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藤田 昌宏(ふじた まさひろ、1954年11月12日 - )… 藤田 昌宏(ふじた まさひろ、1954年11月12日 - )は、日本の経済産業官僚。経済産業省貿易経済協力局長や、住友商事代表取締役副社長、石油資源開発代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。 茨城県水戸市出身。茨城大学教育学部附属中学校、水戸第一高等学校から東京大学に入学。1977年同大学法学部第1類(私法コース)卒業、通商産業省入省(立地公害局保安課)。2002年7月経済産業省産業技術環境局産業技術政策課長。2003年資源エネルギー庁省エネルギー・新エネルギー部長。2007年関東経済産業局長。2008年7月経済産業省貿易経済安全保障局長。2009年退官、三井住友海上火災保険株式会社顧問。2010年住友商事株式会社執行役員。
大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8… 大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8月20日 - 1994年 <平成6年> 12月19日)は日本の大蔵・経済企画官僚。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 東京府神田生まれ。第一高等学校、東京大学法学部卒業。1953年 大蔵省入省(理財局総務課)。1980年12月1日に経済企画庁長官官房審議官(調整局担当)。1982年7月2日 国民生活局長。1983年7月12日 総合計画局長。1985年6月10日に経済企画審議官となり、1986年6月3日より経済企画事務次官。1987年6月23日に退官。同年 大和銀行総合研究所(現:りそな総合研究所)初代理事長(〜1993年4月28日)。1994年12月19日 死去。
杉山 彌太郎(杉山 弥太郎、すぎやま やたろう、1926年1… 杉山 彌太郎(杉山 弥太郎、すぎやま やたろう、1926年1月8日 - 1991年)は日本の大蔵官僚。大臣官房地方課長、日本専売公社総務部長、日本専売公社総務理事などを務めた。 静岡県出身。旧制静岡中学校4年から第一高校文科丙類に進学する。1949年 東京大学法学部政治学科卒業。「我が国の復興に働きたい」との現地から大蔵省かジャーナリストを目指していた。1950年1月 国家公務員六級職試験を合格。 同年 大蔵省入省。東京財務部総務課属。1955年6月30日 石狩税務署長。 1965年12月 海外経済協力基金調査部調査第一課長。1967年12月 広島国税局総務部長。1969年8月15日 国際金融局企画課長。
杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 20… 杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 2008年1月16日 )は、日本の運輸官僚、実業家。第10代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1985年 - 1987年)。従三位勲一等。 東京市大森区で生まれ、4歳のとき父親が死亡し母親が美容師となって生計を立てた。東京府立電機工業学校(現在の東京都立産業技術高等専門学校)、旧制第一高等学校、東京大学経済学部卒業。1951年に運輸省へ入省。入省同期に、山地進(日本航空社長・会長、運輸省鉄道監督局長)、妹尾弘人(海上保安庁長官)などがいる。1969年鉄道監督局国鉄部財政課長に就任の後、国鉄部長になる。このころ自由民主党の有力な運輸族であった三塚博・加藤六月らと親しくなる。
山本 悟(やまもと さとる、1925年7月14日 - 200… 山本 悟(やまもと さとる、1925年7月14日 - 2006年12月17日)は、日本の官僚。総理庁、自治省から宮内庁次長(1978年 - 1988年)に転じ、侍従長(1988年 - 1996年)を務めた。 東京府立一中、第一高等学校を経て、1945年に東京帝国大学法学部に入学した。直後に徴兵検査を受け、8月20日の入営を控えていたところで終戦を迎えた。 在学中の1947年11月に高等文官試験行政科に合格した。1948年、東京大学法学部政治学科を卒業して総理庁に入庁し、内事局官房自治課に配属された。 総理庁の入庁同期には、中島二郎(のち警視庁副総監)、林忠雄(のち自治省事務次官)がいる。 1966年に自治省選挙課長、1968年に徳島県副知事、1971年に自治省行政局選挙部長、1973年に自治省官房長、1976年に自治省行政局長、1977年に自治省財政局長を歴任した。
寺岡雅之(てらおか まさゆき、1925年6月1日 - 199… 寺岡雅之(てらおか まさゆき、1925年6月1日 - 1990年11月24日)は日本の大蔵官僚。南九州財務局長、中国財務局長などを務めた。 大分県出身。旧制第一高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。東大法学部在学中の1950年1月に国家公務員六級職試験を合格。1950年4月 大蔵省に入省。主計局総務課に配属。1969年8月 関東財務局理財部長。1970年7月 国税庁徴収部徴収課長。1971年6月 国税庁徴収部管理課長。1972年6月27日 南九州財務局長。1973年1月16日 中国財務局長。1974年7月10日 大臣官房付。同年7月 退官。同年10月 日本定航保全専務取締役。1981年6月3日 中小企業退職金共済事業団理事(〜1985年7月12日)。
亘理彰(わたり あきら、1925年3月20日 - )は日本の… 亘理彰(わたり あきら、1925年3月20日 - )は日本の大蔵官僚。 防衛施設庁長官、防衛事務次官、石油公団副総裁、日本不動産研究所理事長、同研究所会長などを務めた。 東京府出身。東京府立第九中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1947年12月 大蔵省入省。主計局属。1950年5月 伊予西条税務署長。1951年8月 川口税務署長。 その後は主計局総務課長補佐、主計局主計官補佐(通商産業係主査)、主計局総務課長補佐兼主計局法規課長、大臣官房専門調査官兼臨時行政調査会事務局資料課兼臨時行政調査会調査などを務める。 1965年6月 主計局調査課長。1968年6月 主計局主計官(外務、通商産業担当)。
山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年… 山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年〉2月4日 - 1992年〈平成4年〉4月1日)は、昭和から平成初期の国税官僚、政治家。小田原市長(2期)。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学、旧制第一高校を経て、1949年(昭和24年)東京大学法学部卒業。国税庁に入り、1953年倉吉税務署長、1955年金沢国税局総務部総務課長。1965年札幌国税局総務部長、1967年国税庁長官官房審議官、1968年国税庁長官官房参事官、1969年東京国税局調査第1部長、1970年東京国税局調査第1部長兼調査第2部長兼兼調査第3部長。同年東京国税局調査第1部長。1971年東京国税局総務部長、1973年広島国税局長、1975年大蔵省銀行局保険部長、1976年国税庁次長、1977年東京国税局長。
旦弘昌(だん ひろすけ、1922年10月7日 - 2006年… 旦弘昌(だん ひろすけ、1922年10月7日 - 2006年1月1日)は、日本の大蔵官僚。関税局総務課長、大臣官房審議官(大臣官房担当)、国際金融局次長、関税局長、国際金融局長、日本銀行理事などを務めた。 満州営口市生まれ(父母は岡山県真庭郡勝山町出身)。第一高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に入学するも1943年12月 臨時招集となる。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校し、同年9月に卒業。1945年9月 海軍主計中尉。1946年3月 予備役。1947年12月 高等試験行政科。1948年9月 東京大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省入省。
遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1… 遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1月12日 - 1977年〈昭和52年〉5月4日)は、日本の官僚、実業家。妻は、遠藤マツ子。遠藤周作は、実弟。ペンネームは吹田紀夫。 鳥取県生まれ。1926年、父常久の転勤(第三国立銀行から安田銀行)で、一家で満洲関東州大連に移る。1935年6月23日、カトリック夙川教会聖テレジア大聖堂で主任司祭永田辰之助神父より兄弟で受洗。1933年、旧制灘中学校に入学。四修で第一高等学校に合格。1942年に東京帝国大学法学部を卒業し逓信省へ入省、1971年に電電公社理事、1973年に総務理事に就任。1977年2月に田村電機製作所社長に内定。趣味は、ゴルフ、観劇。
青鹿 明司(あおしか めいし、1920年11月12日 - 2… 青鹿 明司(あおしか めいし、1920年11月12日 - 2008年5月28日)は、日本の大蔵官僚。茨城県副知事、理財局次長、内閣官房内閣審議室長、常陽産業開発センター理事長、常陽銀行副頭取、同行頭取、同行会長などを歴任。茨城県水戸市千波町在住。趣味はゴルフ。 東京府出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝大在学中に高等試験行政科に合格。1943年9月 大蔵省入省。主計局属。同年、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業し、海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に進み終戦を迎えた。 1946年2月 松江税務署長。1954年6月1日 大臣官房文書課長補佐。
海原 治(かいはら おさむ、1917年2月3日 - 2006… 海原 治(かいはら おさむ、1917年2月3日 - 2006年10月21日)は、日本の内務・警察・防衛官僚、軍事評論家。大阪府出身。本籍は徳島県。 第一東京市立中学校・第一高等学校を経て、1939年に東京帝国大学法学部を卒業し、内務省入省。入省同期に後藤田正晴がいた。内務省大臣官房文書課勤務を経て、1940年1月に高知県事務官を発令。太平洋戦争勃発と前後して、1940年2月、陸軍第11師団歩兵第43連隊(徳島)に入営、経理部幹部候補生になり、第11師団経理勤務班隊長の陸軍主計大尉として終戦を迎える。 終戦によって第11師団は兵器を県に引渡し、県が占領軍へと引き渡すことになっていたが、目録を作成して引き渡す第11師団の経理勤務班の隊長でありながら、それを受け取る高知県事務官でもあったので同師団でもっとも早い召集解除となった。
本多 丕道(ほんだ ひろみち、1916年〈大正5年〉5月11… 本多 丕道(ほんだ ひろみち、1916年〈大正5年〉5月11日 - 1990年〈平成2年〉8月5日)は、日本の警察官僚。第68代警視総監。位階勲等は従三位勲二等。 東京府出身。第一高等学校を卒業。1940年(昭和15年)10月、高等試験行政科試験に合格。1941年(昭和16年)3月、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し神祇院属となる。 短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年(昭和16年)4月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年8月に卒業し「霧島」乗組となる。以後、「知床」乗組、下関防備隊主計長、第104航空基地隊主計長、東印海軍航空隊主計長などを歴任しジャワ島で終戦を迎えた。
栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年(大正3年)8月2… 栃内 一彦(とちない かずひこ、1914年(大正3年)8月28日 - 2009年(平成21年)11月8日)は、昭和期の官僚、実業家。第10代海上保安庁長官。 東京府(現東京都)出身。第一高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学経済学部を卒業。1939年(昭和14年)10月、高等試験行政科に合格。大学卒業後、逓信省に入省し管船局に配属された。 1940年、短期現役海軍主計科士官(4期)を志願。同年5月、海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。同年9月に経理学校を卒業。摩耶に配属。佐世保海軍航空隊、佐世保鎮守府第一特別陸戦隊をへて、1942年(昭和17年)3月、主計大尉に昇進し、同年10月、セレベス島(現・スラウェシ島)のケンダリで第753海軍航空隊の主計長として勤務。
中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日… 中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日 - 1992年(平成4年)11月25日)は、日本の内務・警察官僚。警視総監。位階は正四位。 東京都出身。第一高等学校を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年、東京帝国大学法学部を卒業。同年、内務省に入省し計画局属となる。1939年に徴兵され入営。1942年召集解除となる。 内務省に復帰し福岡県警察部職業課長に就任。以後、企画院勤務、内務省防空総本部業務局勤務、神奈川県警察部経済保安課長、同警備第一課長などを歴任し終戦を迎えた。 1946年、内務省警保局防犯課勤務となり、以後、山梨県警察部長、国家地方警察山梨県本部警察長、国家地方警察千葉県本部警察長、国家地方警察本部刑事部鑑識課長、同総務部会計課長、警察庁長官官房会計課長、茨城県警察本部長、警察庁警ら交通部長、警視庁交通部長、警察庁警務局人事課長、警視庁総務部長、同警務部長、警察庁警務局長などを歴任。
堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 20… 堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 2005年5月11日)は、日本の詩人、官僚、実業家。 埼玉県熊谷市生まれ。国鉄御徒町駅に勤めながら苦学して専門学校入学資格検定試験(専検)に合格し1934年 第一高等学校に入る。1940年、高等試験に合格。1941年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大蔵省入省。管財局属。1959年、東京国税局総務部長。1960年、熊本国税局長。1961年、国税庁徴収部長。1962年調査査察部長、1964年、直税部長。1965年、原子燃料公団理事。1967年、動力炉核燃料事業団理事。1969年、忠勇社長。1975年、相談役。1976年、大阪証券金融社長。社業の傍ら、詩を書き、1978年「弾道」で日本詩人クラブ賞受賞。
石原 周夫(いしはら かねお、1911年11月19日 - 1… 石原 周夫(いしはら かねお、1911年11月19日 - 1983年12月27日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 広島県御調郡美ノ郷村(現在の尾道市)出身。旧制第一高等学校、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。東京帝大法学部在学中に高等試験行政科を合格。1934年に大蔵省入省(預金部兼大臣官房文書課)。主計局審査課長、主計局法規課長、主計局法規課長兼主計局企画課長、主計局法規課長兼主計局調査課長などを経て、1948年7月10日に主計局総務課長兼主計局調査課長。同年10月8日に主計局第二部長兼主計局主計官。1949年6月1日に主計局次長(次席)。1950年5月から同年7月の間は米国出張として派遣される。
石田 正(いしだ ただし、1910年1月7日 - 1979年… 石田 正(いしだ ただし、1910年1月7日 - 1979年3月4日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本輸出入銀行総裁。 旧制開成中学、旧制第一高等学校を経て、1933年に東京帝国大学法学部を卒業。同年に大蔵省に入省(大臣官房文書課に配属)。1945年4月13日に広瀬大蔵大臣秘書官(事務担当)。1947年11月19日に理財局為替第一課長。1948年7月5日に理財局外資部長。1949年3月15日に理財局外資部長兼理財局国庫課長。同年6月1日に大臣官房調査部長。その後、主税局税関部長、理財局長、官房長、為替局長を経て、1957年11月15日に銀行局長となり、1959年6月23日に大蔵事務次官に就任。
中島征帆(なかじまゆきほ、1909年6月13日 - 1979… 中島征帆(なかじまゆきほ、1909年6月13日 - 1979年4月1日)は日本の通産官僚。 佐賀県佐賀郡新北村寺井津(現在の佐賀市諸富町寺井津)生まれ。佐賀県立佐賀中学校、第一高等学校を経て東京帝国大学に進学。 1932年、東京帝国大学経済学部卒業後、商工省工務局に入省。化学局合成課、軍需省整備局整備課長、燃料局石油課長、経済安定本部動力局次長、福岡商工局商工部長、石炭庁開発局長、資源庁石炭管理局長、大阪通商産業局長などを務めた。
石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年(明治41年)3… 石川 準吉(いしかわ じゅんきち、1908年(明治41年)3月14日 - 1989年(平成元年)4月14日)は、日本の官僚、歴史学者。行政管理庁行政管理局長、法学博士。 兵庫県朝来郡生野町(現:朝来市生野町)で、石川伊兵衛の四男として生まれる。第一高等学校を卒業。1932年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。1935年10月、高等試験行政科試験に合格。1936年、内閣に入り内閣調査局属となる。 以後、企画庁属、企画院事務官・内政部勤務、地方事務官・富山県勤務、埼玉県地方課長、同商工課長、奈良県地方課長兼振興課長、静岡県官房主事、企画院調査官、軍需省軍需官などを歴任。 戦後、東北地方行政事務局第一兼第二部長、宮城県経済部長、大阪管区経済調査庁査察部物資課長、東京管区監察局第二部第二課長、岡山地方監察局長、名古屋管区行政監察局第二部長、行政管理庁行政監察局監察審議官などを歴任し、1963年12月、行政管理庁行政管理局長に就任。
佐藤 朝生(さとう ともお、1907年〈明治40年〉5月14… 佐藤 朝生(さとう ともお、1907年〈明治40年〉5月14日 - 1999年〈平成11年〉 12月4日)は、日本の内務官僚。人事院事務総長(初代)、総理府総務副長官。位階は正三位。 大正13年(1924年)旧制府立一中4年修了、昭和2年(1927年)旧制第一高等学校、昭和5年(1930年)東京帝国大学法学部政治学科卒業後、内務省へ入省。昭和11年(1936年)内閣書記官、昭和13年(1938年)内閣官房会計課長、昭和20年(1945年)内閣官房総務課長に就任する。 鈴木貫太郎内閣では迫水久常内閣書記官長の下で終戦事務に関わる。ポツダム宣言後の8月1日に、内閣情報局総裁の下村宏が、久富達夫次長から「終戦するには、陛下に自らマイクの前に立って放送していただく。
金山 国治(かなやま くにはる、1906年(明治39年)2月… 金山 国治(かなやま くにはる、1906年(明治39年)2月18日 - 1981年(昭和56年)4月14日)は、日本の内務・警察官僚、陸上自衛官、弁護士。最後の官選佐賀県知事、陸将。 島根県出身。第一高等学校を卒業。1930年10月、高等試験行政科試験に合格。1931年に同司法科試験にも合格し、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。同年、内務省に入省し、地方局属となる。 以後、鹿児島県学務部学務課長、同総務部議事課長、内務省衛生局事務官、警視庁経済警察第一課長、岩手県書記官・警察部長、岩手県部長・警察部長、厚生省衛生局医務課長、群馬県部長・警察部長、防空総本部救護課長、新潟県部長・警察部長、福岡県経済部長、栃木県内務部長などを歴任。
渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年(明治39年… 渡辺 武(わたなべ たけし、渡邊 武、1906年(明治39年)2月15日 - 2010年(平成22年)8月23日)は、日本の官僚。初代財務官。初代アジア開発銀行総裁。公共信託アジア・コミュニティ・トラスト運営委員会代表。渡辺千秋の孫、渡辺千冬の子。 東京府(現・東京都)生まれ。学習院初等科、府立第一中学校4年修了、第一高等学校を経て、1930年(昭和5年)東京帝国大学法学部政治学科卒。 同年 大蔵省入省後、対満事務局に出向し、革新官僚の一人として統制経済の策定にも関わった。同局では殖産課に属し、岩畔豪雄と机を並べて仕事をした。1937年(昭和12年)、大蔵省主計局事務官となり文部省・南洋庁・関東局を担当、隣には陸軍担当の福田赳夫がいた。
舟山 正吉(ふなやま しょうきち、1905年2月1日 - 1… 舟山 正吉(ふなやま しょうきち、1905年2月1日 - 1996年9月20日)は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官、日本開発銀行総裁。 三重県出身。旧制開成中学、旧制第一高等学校を経て、1928年(昭和3年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大学在学中に高等試験行政科に合格。同年4月、大蔵省入省(預金部配属)。1932年(昭和7年)3月、高崎税務署長。1933年(昭和8年)6月、亀戸税務署長。1934年(昭和9年)11月、主税局(兼)高橋是清大蔵大臣秘書官事務取扱。その後は銀行局調査課長、銀行保険局普通銀行課長、銀行局長などを経て、1951年(昭和26年)より大蔵事務次官に就任した。大蔵事務次官時代の1952年(昭和27年)4月、衆議院行政監察特別委員会に証人喚問された。
中島 賢蔵(なかじま けんぞう、1904年〈明治37年〉11… 中島 賢蔵(なかじま けんぞう、1904年〈明治37年〉11月5日 - 1968年〈昭和43年〉8月11日)は、日本の内務官僚、政治家。官選山梨県知事、初代天理市長。 東京府出身。中島浅次郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1927年(昭和2年)12月、高等試験行政科試験に合格。1928年(昭和3年)、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し埼玉県属となる。 以後、内務省大臣官房文書課勤務、秋田県事務官、内務省地方局事務官、内閣調査局調査官、企画院書記官、奈良県書記官・経済部長、厚生省住宅課長、内務省地方局行政課長、同大臣官房会計課長などを歴任。 1945年(昭和20年)4月、山梨県知事に就任。
松下 一(まつした ひとし / はじめ、1904年(明治37… 松下 一(まつした ひとし / はじめ、1904年(明治37年)9月 - 1986年(昭和61年)4月12日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選愛媛県知事。 大阪府出身。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し長崎県属となる。 以後、長崎県警部、福島県事務官、滋賀県警察部警視、和歌山県警察部警視、千葉県警察部特別高等課長、兵庫県警察部特別高等課長、栃木県書記官学務部長、青森県書記官・警察部長、福岡県内務部長などを歴任。 1947年3月、前任の青木重臣が知事選に出馬のため辞任したことに伴い愛媛県知事に発令された。
大野 連治(おおの れんじ、1904年(明治37年)3月21… 大野 連治(おおの れんじ、1904年(明治37年)3月21日 - 1991年(平成3年)11月16日)は、日本の内務官僚。官選青森県知事。湯沢三千男の娘婿。 千葉県東葛飾郡船橋町九日市で生まれる。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。横浜正金銀行を経て、1929年、内務省に入省し社会局属となる。 1946年1月、内務省文書課長から青森県知事に就任。同年11月24日、仮県庁が全焼した。1947年3月、引揚援護院次長に転じた。その後、全国市長会事務局長、人事院参与、地方公務員災害補償基金理事長を務めた。
宮脇 倫(みやわき りん / ひとし、1904年(明治37年… 宮脇 倫(みやわき りん / ひとし、1904年(明治37年)3月5日 - 1963年(昭和38年)3月28日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選埼玉県知事。長男は元皇宮警察本部長・元内閣広報官の宮脇磊介。孫は日本フェンシング協会元専務理事の宮脇信介。曽孫はフェンシング(フルーレ)選手の宮脇花綸。 長野県下伊那郡上郷村(現飯田市)に宮脇金一郎の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、警視庁に配属された。 以後、神田万世橋警察署長、三田警察署長、久松警察署長、警視庁特別警備隊長、新潟県商工水産課長、兵庫県警察部経済保安課長、石川県学務部長、秋田県内務部長、兼秋田県警察部長、茨城県内務部長、厚生省国民保険課長、同錬成体練課長などを歴任。
池田 欽三郎(いけだ きんざぶろう、1904年〈明治37年〉… 池田 欽三郎(いけだ きんざぶろう、1904年〈明治37年〉1月24日 - 没年不詳)は、日本の内務・商工官僚。官選秋田県知事。旧姓・木戸。 三重県出身。木戸吉太郎の三男として生まれ、池田龍一の養子となる。第一高等学校を卒業。 1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 内務省に入省し都市計画課属となる。 以後、青森県商工課長、同庶務課長、埼玉県社会課長、同庶務課長、神奈川県建築課長、同工場監督官、福岡県学務課長、大阪府労務課長、厚生省衛生局指導課長、同資材課長、茨城県書記官・経済部長、神奈川県書記官・学務部長、物価局部長、北海鉱山局長などを歴任。
田中 楢一(たなか ならいち、1903年9月13日 - 19… 田中 楢一(たなか ならいち、1903年9月13日 - 1973年7月25日)は、日本の内務官僚。兵庫県出身。 第一高等学校および東京帝国大学法学部を経て、1929年に内務省に入省。全国の特別高等警察の総元締めである警保局保安課に勤務し、その後は特高官僚としてのキャリアを歩んだ。 第二次世界大戦後は、大阪市警察本部長、日本住宅公団大阪支所長、大阪府副知事を歴任。
山添 利作(やまぞえ りさく、1903年2月14日 - 19… 山添 利作(やまぞえ りさく、1903年2月14日 - 1979年7月7日)は、日本の農林官僚。農林事務次官を務め、退官後は農林漁業金融公庫総裁や日銀政策委員などを歴任した。長女・祥子の夫は参議院議員・衆議院議員を務めた藤井裕久。 京都府与謝郡岩滝町(現与謝野町)で父・山添小三郎、母・たかの次男として生まれる。1920年、京都府立宮津中学校を卒業し、第一高等学校仏法学科へ入学。1923年、一高を卒業し、東京帝国大学へ進学。在学中に高等試験行政科を合格し、1926年に農林省へ入省した。戦前から戦後に至るまで、蚕糸局での勤務が長く蚕糸行政には最も長く関与している。また戦後の農地改革では、その立案と実施に行政の責任者として取り組んだ。
伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日… 伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日 - 1980年(昭和55年)2月16日)は、日本の内務官僚、国会職員。官選島根県知事。位階は従三位。 東京府出身。伊藤徳次郎の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し兵庫県属となる。 以後、和歌山県課長、大阪府課長、京都府課長、東京府課長、厚生省児童課長、和歌山県総務部長などを経て、兵庫県部長・内政部長となる。 1945年9月、島根県知事に就任。戦後の復興に尽力。1946年1月、東京都次長に転じた。後に公職追放となる。 その後、特別調達庁契約局長、参議院事務局内閣委員会調査室長、東京家庭裁判所参与を務めた。
佐伯 敏男(さえき としお、1902年(明治35年)9月1日… 佐伯 敏男(さえき としお、1902年(明治35年)9月1日 - 1963年(昭和38年)4月8日)は、日本の内務・厚生官僚。官選三重県知事。 東京府出身。佐伯頴雄の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、東京府属となる。 以後、富山県経済部長、厚生省職業部課長、福井県総務部長、内務省監査官、厚生省勤労局動員部長、同勤労局長などを歴任。 1946年1月、三重県知事に就任。1947年3月、同県知事選挙に出馬のため知事を辞するが落選した。その後、配炭公団理事兼東海亜炭支団長、関西鉱燃社長を務めた。
川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月1… 川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月16日 - 1987年(昭和62年)11月2日)は、日本の内務官僚、国会職員。最後の官選静岡県知事。位階は正四位。 神奈川県出身。川井立の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し、茨城県属となる。 1935年、山口県書記官・経済部長に就任。以後、千葉県労務部長、内務省計画局庶務課長、同省監査官、京都府内政部長、中国地方行政事務局次長などを歴任。 1947年3月、前任の小林武治が知事選に出馬のため辞任したことに伴い静岡県知事に就任。
稲田 周一(いなだ しゅういち、1902年(明治35年)2月… 稲田 周一(いなだ しゅういち、1902年(明治35年)2月26日 - 1973年(昭和48年)2月5日)は、日本の内務・宮内官僚。侍従長、官選滋賀県知事。位階は従二位。 現・東京都出身。政治学者・稲田周之助の長男として生まれる。開成中学校、第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し佐賀県属となり内務部産業課兼地方課に配属された。 1927年4月、地方事務官・群馬県工場監督官兼社会課長に就任。拓務事務官を経て、1931年12月、内閣官房に転じ内閣書記官・内閣官房総務課勤務となる。以後、内閣官房会計課長、同総務課長、兼同会計課長などを歴任。
田中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12… 田中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12月28日 - 1994年(平成6年)3月8日)は、日本の鉄道官僚・政治家。衆議院議員、内閣官房副長官。 宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)で生まれた。田中猛の養子となる。第一高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年(昭和2年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。鉄道省に入省し広島駅助役となる。 以後、鉄道省事務官、広島鉄道局経理部長、鉄道省監督局総務課長、同総務局主計課長、大臣官房文書課長、情報局情報官、技術院参技官、鉄道監、門司鉄道局長、鉄道総局総務局長などを歴任。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で宮崎県第2区に民主党から立候補し当選。
吉富 滋(よしとみ しげる、1901年〈明治34年〉4月15… 吉富 滋(よしとみ しげる、1901年〈明治34年〉4月15日 - 1946年〈昭和21年〉10月18日)は、日本の内務・厚生官僚。官選高知県知事。 山口県出身。吉富瀬兵衛の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1928年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、神奈川県属となる。 以後、福島県教育課長、同地方課長、島根県警察部特別高等警察課長、兵庫県警察部外事課長、内務省社会局事務官、厚生事務官、軍事保護院書記官、同業務局業務課長、厚生省大臣官房会計課長などを歴任。 1946年1月、高知県知事に就任。県立学校の統合、四国配電株式会社重役陣の改組、県内の復興などに取り組んだ。
野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月15日 - 196… 野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月15日 - 1963年5月13日)は、日本の農林官僚、満州国官吏。徳島県知事。 佐賀県出身。野田清種の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、農商務省に入り食糧局属となる。1925年4月、農商務省が農林省と商工省に分割され、農林属となる。以後、営林局山林事務官、同局事務官、農林事務官、産業組合事務官、農林書記官などを歴任。 その後、満州国に転じ、国務院実業部理事官に就任。以後、農務司農政科長兼墾務科長、地籍整理局事務官、実業部理事官、総務庁参事官などを歴任。
戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月 -… 戸沢 盛男(とざわ もりお、1901年(明治34年)2月 - 1954年(昭和29年)7月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。佐賀県知事、陸軍司政官。 秋田県出身。戸沢清蔵の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。大阪毎日新聞社を経て、1929年、内務省に入省し、北海道庁属となる。 以後、北海道庁社会課長、香川県警察部特別高等警察課長、長崎県警察部特別高等警察課長、大阪府警察部経済保安課長、宮崎県書記官・警察部長、福島県書記官・警察部長、同県部長・警察部長、陸軍司政官、静岡県内務部長などを歴任。 1946年7月、佐賀県知事に就任。
沖野 悟(おきの さとる、1901年〈明治34年〉1月 - … 沖野 悟(おきの さとる、1901年〈明治34年〉1月 - 1964年〈昭和39年〉5月1日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。 広島県出身。沖野広松の長男として生まれる。第一高等学校を首席で卒業。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し土木属となる。同年11月、高等試験行政科試験に合格。 以後、地方警視として秋田県、兵庫県、神奈川県で勤務。さらに、都市計画地方委員会事務官兼地方事務官、大阪府工場監督官、宮崎県書記官・警察部長、茨城県書記官・警察部長、内務書記官・警保局防犯課長、埼玉県書記官・総務部長、福岡県総務部長などを歴任。 1942年7月、高知県知事に就任し、戦時下の対応に尽力。
小沢 久太郎(小澤 久太郎、おざわ きゅうたろう、1900年… 小沢 久太郎(小澤 久太郎、おざわ きゅうたろう、1900年〈明治33年〉12月19日 - 1967年〈昭和42年〉9月18日)は、昭和期の日本の内務官僚、政治家。参議院議員(3期)、郵政大臣(第19代)。 千葉県市原郡加茂村(現在の市原市)出身(出生地は東京府東京市芝区愛宕下町)。第一高等学校を経て、1927年に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業、内務省に入り、土木畑を歩む。特別調達庁促進局次長・近畿地方建設局長・経済安定本部建設交通局長、経済審議庁審議官などを歴任した。 1953年の第3回参議院議員通常選挙に於いて自由党公認候補として全国区に立候補して初当選、保守合同以後は自由民主党に属する。
小林 千秋(こばやし ちあき、1900年(明治33年)11月… 小林 千秋(こばやし ちあき、1900年(明治33年)11月 - 1949年(昭和24年)7月)は、日本の内務官僚。官選県知事。 東京府出身。小林龍三郎の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し土木局属となる。 以後、内務省復興局勤務、福島県地方事務官、兵庫県地方事務官、内務省社会局事務官、同省地方局事務官、同局監督課長、同局財政課長、大臣官房会計課長などを歴任。 1944年8月、和歌山県知事に就任。県立医学専門学校の設立、東南海地震・和歌山大空襲の救援活動に尽力。1945年10月、三重県知事に転任。
宮田 為益(みやた ためます、1900年(明治33年)10月… 宮田 為益(みやた ためます、1900年(明治33年)10月11日 - 1955年(昭和30年)7月2日)は、日本の内務・厚生官僚。官選岩手県知事。 島根県能義郡広瀬町(現・安来市)出身。第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し佐賀県属となる。 以後、高知県警察部警務課長、山口県警察部保安課長兼工場課長、和歌山県学務課長兼社寺兵事課長、兵庫県商工課長、同知事官房主事兼秘書課長、同人事課長、茨城県学務部長、厚生省書記官・薬務課長、山梨県書記官・総務部長兼経済部長、神奈川県官房長、厚生省大臣官房会計課長、同衛生局資材課長などを歴任。
平山 洋三郎(ひらやま ようざぶろう / ようさぶろう、19… 平山 洋三郎(ひらやま ようざぶろう / ようさぶろう、1900年(明治33年)6月22日 - 1970年(昭和45年)10月11日)は、大正から昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院男爵議員。 貴族院勅選議員・平山成信の三男として生まれる。父の死去に伴い、1929年(昭和4年)12月2日、男爵を襲爵した。 第一高等学校を経て、1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格し、1925年、農林省に入省し農林属に就任。以後、山林事務官、農林事務官、営林局事務官、農林書記官、東京営林局長、日本高等女学校長事務取扱、日本高等家政女学校長事務取扱、帝国女子専門学校長(現相模女子大学)などを務めた。
小野 哲(おの あきら、1900年(明治33年)4月8日 -… 小野 哲(おの あきら、1900年(明治33年)4月8日 - 1978年(昭和53年)9月21日)は、日本の鉄道官僚、政治家。千葉県知事(官選第34代)、参議院議員(1期)。 小野禎一郎の二男として京都府乙訓郡向日町(現:向日市)で生まれる。第一高等学校を経て、1924年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。鉄道省に入り神戸鉄道管理局書記となる。 以後、鉄道局副参事、鉄道事務官、在外研究員(欧米留学)、門司鉄道局鳥栖運輸事務所長、東京鉄道局運輸部庶務課長、鉄道省運輸監理官、東京鉄道局運輸部長、大臣官房人事課長、門司鉄道局長、運輸通信省鉄道総局勤労局長、運輸省自動車局長、同企画局長などを歴任。
安積 得也(あずみ とくや、1900年(明治33年)2月17… 安積 得也(あずみ とくや、1900年(明治33年)2月17日 - 1994年(平成6年)7月27日)は、日本の内務官僚、社会評論家、詩人。官選県知事。 東京府(現・東京都)出身。安積得時の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し京都府属となる。 以後、社会局事務官、中央大学講師、地方警視、愛知県経済部長などを経て、東京府経済部長となる。 1943年7月、栃木県知事に就任。1944年11月、内閣綜合計画局部長に転じた。東海北陸地方副総監を経て、1945年9月、岡山県知事に就任。戦後初の県予算を編成したが、1946年1月、公職追放となり知事を辞した。
西尾 寿男(にしお としお、1900年(明治33年)1月8日… 西尾 寿男(にしお としお、1900年(明治33年)1月8日 - 1990年(平成2年)10月29日)は、日本の鉄道省・運輸省官僚。日本交通公社(現・JTB)初代社長。鉄道弘済会や日本ホテル協会理事長を歴任した。 滋賀県彦根市出身。麹町小学校、第一高等学校等を経て、東京帝国大学卒業。高等文官試験行政科に合格し鉄道省(後に運輸省)に入省。仙台鉄道局長、運輸局旅客課長などを歴任した。戦後は財団法人鉄道弘済会理事長を務めるが、在任中の1954年、贈収賄により東京地検特捜部によって元参院議員高田寛と共に逮捕された(いわゆる陸運疑獄に発展)。これを機に運輸省を退官し、1955年に日本交通公社(現・JTB)の株式会社となってから初の代表取締役社長に就任し、後に会長を歴任した。
西村 高兄(にしむら たかえ、1900年(明治33年)1月1… 西村 高兄(にしむら たかえ、1900年(明治33年)1月1日 - 1988年(昭和63年)7月5日)は、昭和時代前期の拓務官僚、台湾総督府官僚。 高知県土佐郡地蔵寺村(現・土佐町西部)に生まれる。東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、1924年(大正13年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業する。翌年11月、高等試験行政科に合格し、さらに翌年の1926年(大正15年)2月に樺太庁内務部殖産課に奉職。1927年(昭和2年)7月より同庁警視警察部警察官練習所長を兼任し、同年9月に同庁事務官長官官房調査課長に転じた。 ついで拓務事務官管理局大臣官房会計課勤務を経て、1931年(昭和6年)9月に台湾総督府に転じ、事務官内務局地方課長に就任。
伊藤 泰吉(いとう たいきち、1899年〈明治32年〉12月… 伊藤 泰吉(いとう たいきち、1899年〈明治32年〉12月17日 - 1965年〈昭和40年〉7月31日)は、日本の政治家、朝鮮総督府官僚。川越市長(6期)。 埼玉県入間郡川越町(現川越市)で生まれる。第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。朝鮮総督府に入府し平安南道庁に配属された。 以後、忠清北道学務課長、忠清北道警察部長、慶尚北道警察部長、総督府警務局警務課長、同総督官房人事課長、同司政局勅任事務官などを歴任。その後、1942年10月23日、同府専売局長に就任。1943年12月1日に専売局が廃止され同府事務官に就任。1944年8月17日、同府逓信局長に就任し終戦を迎えた。
中村 元治(なかむら もとはる、1899年(明治32年)12… 中村 元治(なかむら もとはる、1899年(明治32年)12月3日 - 1982年(昭和57年)9月1日)は、日本の内務・警察官僚。官選大分県知事、陸軍司政長官。位階は従三位。 神奈川県出身。岩本幸八の六男として生まれ、中村元智の養子となる。第一高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し群馬県属となる。 以後、群馬県社会課長、愛知県工場監督官、山梨県勤務、埼玉県地方課長、京都府勤務、青森県経済部長、広島県学務部長、福井県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、新潟県書記官・警察部長などを歴任。1942年8月、陸軍司政長官に任じられ第16軍軍政部付のジャワ島パティ州長官を1944年9月まで務めた。