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井上幸夫(いのうえ ゆきお、1927年3月1日 - 1981… 井上幸夫(いのうえ ゆきお、1927年3月1日 - 1981年3月8日)は日本の大蔵官僚。沖縄開発庁振興局長、沖縄開発事務次官などを務めた。 大阪府出身。第三高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に入学。東大法学部政治学科在学中の1947年12月 高等試験行政科を合格。東大法学部政治学科を卒業し、1948年3月 大蔵省入省。理財局属。1951年8月1日 伊予西条税務署長。1952年9月16日 前橋税務署長。その後は管財局総務課長補佐、主計局総務課長補佐、主計局主計官補佐(公共事業係)、広島国税局総務部長などを務める。1965年7月8日 主計局主計官(防衛担当)。1967年8月4日 主計局主計官(建設、公共事業担当)。
喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月… 喜田村 健三(きたむら けんぞう、1917年(大正6年)6月24日 - 没年不明)は日本の大蔵官僚、実業家。国税庁元次長。万有製薬(現:MSD、メルク・アンド・カンパニーの日本法人)元専務取締役。東京都世田谷区在籍。長男は弁護士(ミネルバ法律事務所所属)の喜田村洋一。 京都府京都市出身。喜田村眼科病院院長を務めた喜田村朔治の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1939年(昭和14年)高等試験行政科に合格。1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、大蔵省に入る。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入学し、海軍主計中尉に任官。1941年(昭和16年)1月、経理学校を卒業し山城に配属。
大国 彰(おおくに あきら、1913年1月1日 - 1997… 大国 彰(おおくに あきら、1913年1月1日 - 1997年3月)は、日本の行政管理官僚。行政管理庁行政管理局長、行政管理事務次官、行政管理研究センター会長などを務めた。 三重県出身。第三高等学校から東京帝国大学法学部法律学科に入学。1934年 高等試験行政科を合格。1935年3月 東京帝大法学部法律学科卒業。同年 拓務省入省。殖産局属。 東京管区経済調査庁調査部経済調査官などを経て、1948年8月1日 東京管区経済調査庁監査部監察第一課長。1952年8月1日 東京管区監察局総務課長。同年8月12日 行政管理庁監察部監察官。1955年2月1日 行政管理庁監察部庶務課長。 1956年5月19日 行政管理庁長官官房秘書課長。
柴田 達夫(しばた たつお、1911年3月18日 - 199… 柴田 達夫(しばた たつお、1911年3月18日 - 1991年7月6日)は、昭和期の内務官僚。建設事務次官、水資源開発公団(現・水資源機構)総裁等を歴任。建設行政の基礎を築き、特に水資源開発に大きな功績を残した。 貴族院議員や内閣書記官長などを務めた柴田善三郎の次男として愛媛県松山市に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学に進み、1935年の卒業とともに内務省に入る。 1939年内務事務官となり、太平洋戦争後の1950年に大阪府警察長に就任。1954年に初代警察庁長官官房長、警視監となる。 建設省大臣官房長(1955年)を経て、1958年12月16日に建設事務次官に就任した(1961年11月1日退任)。
山本 弥之助(やまもと やのすけ、1907年(明治40年)6… 山本 弥之助(やまもと やのすけ、1907年(明治40年)6月27日 - 1986年(昭和61年)4月11日)は、日本の警察・朝鮮総督府官僚、政治家、弁護士。衆議院議員、盛岡市長。位階は従四位。 本籍・岩手県。山本幸太郎の長男として大阪市に生まれる。第三高等学校を卒業。1931年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1932年、京都帝国大学法学部を卒業。朝鮮総督府に入府し内務局属となる。 以後、朝鮮総督府道理事官、平安北道学務課長、忠清南道地方課長、京畿道学務課長、総督府殖産局事務官、黄海道警察部長、咸鏡北道警察部長、総督府書記官・警務局経済警察課長などを歴任。 1944年7月、岩手県部長・警察部長へ転任。
天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月… 天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月7日 - 1984年(昭和59年)8月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。日本国有鉄道副総裁、参議院議員(2期)。 京都府で天坊幸彦の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科試験に合格。1929年4月、鉄道省に入省して鉄道属に任官し大臣官房に配属された。 以後、松阪駅長、大阪鉄道局庶務課文書掛長、鉄道省事務官、中支那派遣軍特務部附、興亜院事務官、鉄道局参事、鉄道調査部書記官・鉄道調査部第一課長、業務局事業課長、運輸通信省自動車局業務部監理第三課長、華中鉄道参事、運輸省鉄道総局勤務、北海海運局長、運輸省大臣官房長、大阪鉄道局長などを歴任。
足羽 則之(あしば のりゆき、1905年〈明治38年〉9月2… 足羽 則之(あしば のりゆき、1905年〈明治38年〉9月22日 - 1966年〈昭和41年〉2月2日)は、日本の鉄道官僚、運輸官僚、実業家。小田急百貨店副社長。 鳥取県鳥取市西町の鳥取士族で、衆議院議員(鳥取市選出)、鳥取市会議長、鳥取県会議員などをつとめた木下義之の三男。足羽家に入る。1926年に第三高等学校文科乙類卒業。1928年に高等試験行政科合格。1929年に東京帝国大学法学部法律学科卒業。 鉄道省に入り鉄道事務官兼企画院・外務省各書記官、運輸大臣官房人事課長を経て1946年に新潟鉄道局長となり1949年に運輸省鉄道監督局長に転じ、1952年4月に退官、私鉄経営者協会専務理事事務局長に就任、関東鉄道協会常任理事事務局長の後1956年5月に小田急取締役に挙げられ、1959年2月に常務に推される。
福田 喜東(ふくだ よしはる、1905年(明治38年)5月2… 福田 喜東(ふくだ よしはる、1905年(明治38年)5月26日 – 1983年(昭和58年)7月15日)は、昭和期の官僚、弁護士、政治家。衆議院議員。 母の生家の大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)で生まれる。第三高等学校を卒業。1927年(昭和2年)12月高等試験行政科試験に合格し、司法科試験にも合格した。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年、内務省に入省し千葉県属に任官した。 以後、社会局属、国際労働機関在勤(ジュネーヴ)、社会局事務官、企画院調査官、東亜研究所参与、企画院書記官、商工省事務官兼書記官・振興部金融課長兼施設課長、総務課長兼工務課長、企業局工政課長、絹毛課長、商工組合中央金庫監理官、熊本営林局総務部長、千葉県教育民生部長、神奈川県労働部長、神奈川労働基準局(現神奈川労働局)長などを歴任し、1948年(昭和23年)に退官した。
増本 甲吉(ますもと こうきち、1904年(明治37年)1月… 増本 甲吉(ますもと こうきち、1904年(明治37年)1月1日 - 1991年(平成3年)3月14日)は、日本の拓務・内務官僚、国会職員。最後の官選岐阜県知事。 現在の大阪府羽曳野市出身。増本有吉の五男として生まれる。第三高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、日本電力株式会社に入社。1929年、拓務省に入省し、拓殖局属となる。 以後、台湾総督府事務官、拓務書記官、樺太庁内務部長、石川県内務部長などを歴任。 1947年3月、前任の桃井直美が知事選に出馬のため辞任したことに伴い岐阜県知事に就任。県議会議員選挙、知事選挙などを執行して同年4月に知事を退任。
北野 重雄(きたの しげお、1903年〈明治36年〉4月29… 北野 重雄(きたの しげお、1903年〈明治36年〉4月29日 - 1990年〈平成2年〉3月16日)は、昭和時代の日本の商工官僚、政治家。群馬県知事。勲一等瑞宝章・従三位[要出典]。 1903年(明治36年)大阪府に北野種次郎の長男として生まれる。1923年(大正12年)旧制第三高等学校を卒業。1925年(大正14年)高等文官試験に合格。翌1926年(大正15年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、商工省に入省。鉱山・商務・工務各局事務官、企画院書記官、商工省転業対策部総務課長、振興部総務課長兼金融課長、満洲国経済部鉱山司長、商工省物価局第一部長、総務局総務課長、軍需省文書課長、石炭部長、東部地方鉱山局長、商工省鉱山局長などを歴任。
堀田 健男(ほった たけお、1903年(明治36年)2月23… 堀田 健男(ほった たけお、1903年(明治36年)2月23日 - 1966年(昭和41年)11月28日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。勲三等旭日中綬章。 大阪府出身。堀田勇次の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し土木局属となる。 以後、岩手県書記官・警察部長、内務省社会局書記官、厚生書記官などを歴任。 1942年7月、奈良県知事に就任し、戦時下の対応に尽力。1943年7月、企画院第三部長に転任。新潟県参事官、内務省国土局長を歴任。1945年9月、静岡県知事に転任し、戦災の復興に尽力した。
渡辺 男二郎(わたなべ だんじろう、1902年(明治35年)… 渡辺 男二郎(わたなべ だんじろう、1902年(明治35年)1月14日 - 1980年(昭和55年)11月20日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選宮城県知事。 現在の広島県呉市出身。渡辺逸太郎の二男として生まれる。第三高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年5月、内務省に入省し、北海道庁属となる。 1929年8月、地方警視として青森県警察部勤務となる。さらに、山形県警察部、福井県警察部で勤務。1935年5月、地方事務官として三重県勤務となり、さらに東京府に移る。1939年4月、内閣東北局書記官に発令され、山口県経済部長、和歌山県内務部長、宮城県内務部長などを歴任。
青柳 一郎(あおやぎ いちろう、1900年(明治33年)7月… 青柳 一郎(あおやぎ いちろう、1900年(明治33年)7月29日 – 1983年(昭和58年)8月2日)は、日本の内務官僚、政治家。山口県知事(官選第28代)、衆議院議員(3期)。 山口県出身。早稲田大学教授・青柳篤恒の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し広島県属となる。 以後、熊本県警察部・福岡県警察部の各特別高等警察課長、上海領事、福島県書記官・警察部長、軍事保護院業務・軍事扶助・総務の各課長、厚生省大臣官房会計・総務の各課長、同省保険局長などを歴任。1946年1月、最後の官選山口県知事に就任し、1947年4月まで在任し退官。
西広 忠雄(にしひろ ただお、1900年(明治33年)3月2… 西広 忠雄(にしひろ ただお、1900年(明治33年)3月28日 - 1958年(昭和33年)9月23日)は、日本の内務・警察官僚。官選宮崎県知事。旧姓・中村。 広島県出身。中村百太郎の二男として生まれ、西広興一郎の養子となる。第三高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し山形県属となる。 以後、山形県事務官、兵庫県事務官、内務事務官、岐阜県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長、静岡県書記官・警察部長、内務省書記官・計画局防空課長、同防空局企画課長、警視庁部長・警務部長、東京府内政部長などを歴任。 1943年7月1日、宮崎県知事に就任。
橋爪 清人(はしづめ きよと、1899年(明治32年)6月1… 橋爪 清人(はしづめ きよと、1899年(明治32年)6月10日 - 1966年(昭和41年)4月11日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選鹿児島県知事。 福岡県出身。第三高等学校を卒業。1924年、東京帝国大学法学部を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し、1926年、栃木県属となる。 1928年、群馬県警察部保安課長に就任。以後、静岡県警察部警務課長、長野県警察部工場課長、静岡県警察部特別高等課長、福岡県警察部特別高等課長、台湾総督府警務局保安課長、奈良県書記官・警察部長、茨城県書記官・警察部長、新潟県書記官・学務部長、高知県内政部長、熊本県内政部長、長野県内政部長などを歴任。
広瀬 永造(ひろせ えいぞう、1899年(明治32年)3月 … 広瀬 永造(ひろせ えいぞう、1899年(明治32年)3月 - 1951年(昭和26年)1月7日)は、日本の内務・警察官僚。官選和歌山県知事。 兵庫県出身。第三高等学校を卒業。1922年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1923年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し静岡県属となる。 以後、静岡県警視、神奈川県勤務、福岡県勤務、兵庫県勤務、宮崎県書記官・警察部長、高知県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、福岡県書記官・警察部長、兵庫県書記官・警察部長、大阪府書記官・警察部長、警視庁警務部長を歴任した。 1941年10月、和歌山県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1944年8月1日、知事を依願免本官となり退官した。
並川 義隆(なみかわ よしたか、1898年(明治31年)4月… 並川 義隆(なみかわ よしたか、1898年(明治31年)4月11日 - 1975年(昭和50年)1月2日)は、日本の内務及び警察官僚。官選滋賀県知事。 京都府出身。並川栄慶の長男として生まれる。第三高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、京都帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し大阪府属となる。 以後、地方警視・宮崎県警察部保安課長、徳島県警察部保安課長、地方事務官・秋田県農務課長兼知事官房秘書課長兼文書課長、奈良県地方課長、同勧業課長、福井県学務部長、岡山県学務部長、島根県総務部長などを経て、1939年4月、富山県総務部長となる。1940年4月、東京府書記官・経済部長に就任。
吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25… 吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25日 - 1987年(昭和62年)9月17日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家。参議院議員、陸軍司政長官。 福岡県出身。吉松民次郎、友子の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、鉄道省に入省して直方駅助役に就任。同年11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、大臣官房文書課勤務、大鉄運輸課旅客掛長、大阪運輸事務所長、広鉄庶務課長、運輸局配車課長、鉄道調査部第一課長、札幌鉄道局長、東京鉄道局長などを務め、1943年(昭和18年)2月、陸軍司政長官に発令された。1945年(昭和20年)に退官した。
高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月… 高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月12日 – 1949年(昭和24年)12月25日)は、大正から昭和前期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員。 山口県玖珂郡麻里布村(麻里布町を経て現岩国市)で、高橋亀助の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 同年、鉄道省に入省し鉄道局書記に任官され東京鉄道局庶務課に配属された。1923年(大正12年)12月、高等試験行政科試験に合格。以後、国府津駅助役、鉄道局副参事・水戸運輸事務所営業主任、新橋運輸事務所営業主任、千葉運輸事務所長、東京鉄道局運輸課庶務掛長、同局運輸課旅客掛長などを経て鉄道省運輸局自動車課長に就任し、1939年(昭和14年)に退官した。
長谷川 透(はせがわ とおる、1897年(明治30年)4月 … 長谷川 透(はせがわ とおる、1897年(明治30年)4月 - 1977年(昭和52年)6月13日)は、日本の内務官僚。官選宮崎県知事。 京都府出身。長谷川吟之助の二男として生まれる。第三高等学校を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。農商務省に入り工務局属となる。その後、内務省に転じた。 以後、福井県理事官、愛媛県理事官、内務省社会局事務官兼内務事務官、同社会局書記官・社会部職業課長、同大臣官房文書課長などを経て、1937年6月、大阪府書記官・総務部長に就任。 1939年9月、宮崎県知事に就任。1941年1月に退官し、大日本産業報国会労務局長に就任。
宮野 省三(みやの しょうぞう、1896年(明治29年)9月… 宮野 省三(みやの しょうぞう、1896年(明治29年)9月28日 - 1972年(昭和47年)12月6日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、陸軍司政長官。旧姓・須知。 三重県出身。須知左馬太郎の三男として生まれ、宮野富次郎の養子となる。第三高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警保局属となる。 以後、富山県警視、同警察部警務課長、大分県理事官、地方事務官・長崎県勤務、内務事務官、同省警保局警務課長、東京府書記官・総務部長、内務書記官・警保局保安課長などを歴任。 1937年2月、岐阜県知事に就任。河川改修、用水改良事業、林道開設、戦時体制の整備などに尽力。
小泉 梧郎(こいずみ ごろう、1895年(明治28年)8月2… 小泉 梧郎(こいずみ ごろう、1895年(明治28年)8月24日 - 1974年(昭和49年)3月4日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。位階は正四位。勲二等瑞宝章。 鳥取県出身。小泉謙蔵の五男として生まれる。第三高等学校を卒業。1921年11月、高等試験行政科試験に合格。1922年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し山梨県属となる。 以後、内務省社会局事務官、山形県書記官・警察部長、熊本県書記官・経済部長、広島県書記官・警察部長、福岡県書記官・警察部長、兵庫県書記官・警察部長、国民精神総動員本部常任理事、大政翼賛会協力会議部長などを歴任。 1942年1月、島根県知事に就任。
副見 喬雄(ふくみ たかお、1895年(明治28年)8月12… 副見 喬雄(ふくみ たかお、1895年(明治28年)8月12日 - 1978年(昭和53年)7月12日)は、日本の内務・警察官僚。官選鳥取県知事。 岐阜県出身。第三高等学校を卒業。1920年、東京帝国大学法学部を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し静岡県属となる。 以後、鹿児島県警察部保安課長、警視庁保安課長、内務事務官、埼玉県書記官・警察部長、兵庫県経済部長、長崎県総務部長などを歴任。 1939年1月、鳥取県知事に就任。戦時体制の強化などに尽力。1940年12月、台湾総督府交通局総長に転じ、1945年1月まで在任。同年に退官し、その後、住宅営団理事を務めた。 戦後、公職追放となった。
西岡 芳次郎(にしおか よしじろう、1895年〈明治28年〉… 西岡 芳次郎(にしおか よしじろう、1895年〈明治28年〉6月9日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。弁護士。 三重県阿山郡新居村(現在の伊賀市)出身。第三高等学校を経て、1921年(大正10年)、東京帝国大学法学部独法科を卒業し、同年11月高等試験行政科に合格した。朝鮮総督府属、警察官講習所教授、忠清北道地方課長、平安南道地方課長、総督官房審議室勤務、農林局水産課長、内務局地方課長、総督官房審議室勤務、企画部長、慶尚南道知事を歴任した。 1943年(昭和18年)に退官した後は、帝国鉱業開発株式会社理事を務めた。戦後に公職追放となった。のち、弁護士を開業。上野市教育委員長を務めた。
山沢 和三郎(やまざわ わさぶろう、1895年(明治28年)… 山沢 和三郎(やまざわ わさぶろう、1895年(明治28年)1月5日 - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚。弁護士。 新潟県西頸城郡糸魚川町(現在の糸魚川市)出身。第三高等学校を卒業。1918年(大正7年)10月、高等試験行政科に合格し、翌年に東京帝国大学法学部独法科を卒業した。朝鮮総督府試補、事務官、京畿道地方課長、同審査課長、咸鏡南道財務部長、全羅南道財務部長、専売局庶務課長、同製造課長、殖産局商工課長、農林局農産課長、総督官房審議室勤務を歴任。1938年(昭和13年)、慶尚南道知事に就任し、さらに農林局長に転じた。 1942年(昭和17年)に退官した後は、東洋拓殖株式会社理事、朝鮮鉱業振興株式会社理事、朝鮮電業株式会社監事を務めた。
林 信夫(はやし のぶお、1894年(明治27年)12月24… 林 信夫(はやし のぶお、1894年(明治27年)12月24日 - 1972年(昭和47年)11月16日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 和歌山出身。林治の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1919年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し兵庫県属となる。同年10月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、兵庫県印南郡長、長崎県理事官、埼玉県参事官、山形県書記官・学務部長、青森県書記官・警察部長、警視庁書記官・保安部長、岡山県書記官・総務部長、東京府書記官・総務部長などを歴任。 1937年1月、茨城県知事に就任。県民の負担増の抑制のため財政の立て直しと、緊急事業の実施に尽力。
中野 与吉郎(なかの よきちろう、1894年〈明治27年〉8… 中野 与吉郎(なかの よきちろう、1894年〈明治27年〉8月24日 - 没年不明)は、日本の内務・警察官僚。弁護士。官選県知事。旧姓・住田。 滋賀県出身。第三高等学校を卒業。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、東京帝国大学法科大学を卒業。内務省に入省し大阪府属兼大阪府警部となる。 以後、島根県書記官・学務部長、群馬県書記官・警察部長、福井県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、内務書記官兼警察講習所教授、警保局警務課長、神奈川県書記官・総務部長、内務省土木局河川課長などを歴任。 1937年11月、福井県知事に就任。戦時体制の整備、結核撲滅に尽力。1939年4月、内務省神社局長兼造神宮副使に転じた。
荒木 義夫(あらき よしお、1894年6月17日 - 198… 荒木 義夫(あらき よしお、1894年6月17日 - 1984年2月5日)は、日本の内務官僚。県知事、台湾総督府警務局長。 兵庫県出身。荒木矩の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1919年京都帝国大学法学部法律学科卒業。伊藤忠に入り、1921年、内務省特殊財産管理局嘱託となる。1922年11月、高等試験行政科試験に合格し内務属となる。 以後、福井県警視、鹿児島県・福井県の各地方事務官、三重県工場監督官、山梨県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、大阪府書記官・警察部長、警視庁警務部長などを歴任。 1939年9月、徳島県知事に就任。1940年12月に退任し、台湾総督府に転じ警務局長となる。
島田 昌勢(しまだ しょうせい、1894年〈明治27年〉2月… 島田 昌勢(しまだ しょうせい、1894年〈明治27年〉2月20日 - 1975年〈昭和50年〉1月2日)は、日本の拓務官僚。台湾総督府官僚。弁護士。 高知県安芸郡室戸村(現在の室戸市)出身。第三高等学校を卒業。1919年(大正8年)、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、同年10月高等試験行政科に合格した。新潟県工場監督官補・新潟県属、同警視、鳥取県理事官、内閣書記官・内閣官房記録課長、拓務省書記官・拓務局第一課長、同奨励課長、同南洋課長を歴任。1936年(昭和11年)、台湾総督府文教局長に転じた。 1940年(昭和15年)に退官した後は、南洋拓殖株式会社理事・管理部長に就任した。戦後に公職追放となった。
足立 収(あだち おさむ、1892年(明治25年)11月 -… 足立 収(あだち おさむ、1892年(明治25年)11月 - 1962年(昭和37年))は、日本の内務官僚。官選栃木県知事。旧姓・秋田。 高知県出身。秋田広吉の二男として生まれ、足立喜代と結婚して足立に改姓。第三高等学校を首席で卒業。1918年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し千葉県属となる。 以後、福井県理事官、兵庫県理事官、内務書記官、内務事務官、宮城県書記官・警察部長、神奈川県書記官・警察部長、北海道庁部長・学務部長、兵庫県書記官・警察部長、静岡県書記官・総務部長、愛知県書記官・総務部長などを歴任。 1937年10月、栃木県知事に就任。
児玉 政介(こだま まさすけ、1891年〈明治24年〉7月6… 児玉 政介(こだま まさすけ、1891年〈明治24年〉7月6日 - 1978年〈昭和53年〉4月14日)は、日本の内務・厚生官僚、政治家。位階は従三位。 秋田市長(第11代)、厚生次官(第3代)、軍事保護院副総裁、傷兵保護院副総裁、厚生省体力局長、石川県知事(官選第34代)、秋田県知事(官選第35代)、奈良県知事(官選第22代)などを歴任。旧姓・小幡。 東京府出身。小幡小二郎の長男として生まれ、児玉隼槌の養子となる。第三高等学校を卒業。1915年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1916年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。内務省に入省し岩手県属となる。 以後、三重県警視、新潟県警視、大阪府理事官、内務省社会局書記官、同省大臣官房文書課長、東京府書記官・内務部長などを歴任。
足立 達夫(あだち たつお、1890年(明治23年)11月3… 足立 達夫(あだち たつお、1890年(明治23年)11月3日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。 京都府天田郡福知山町(現在の福知山市)出身。1912年(明治45年)、第三高等学校卒業。1915年(大正4年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。司法官試補となったが、翌年に警視庁警部に転じ、同警視、赤坂青山警察署長、島根県警視・保安課長、同理事官・学務課長、香川県理事官・視学官・学務課長、同事務官、同書記官・学務部長、静岡県書記官・学務部長、青森県警察部長、栃木県警察部長、同内務部長、福岡県警察部長を歴任。1932年(昭和7年)、鹿児島県書記官・総務部長に就任し、1936年(昭和11年)に退官した。
雪沢 千代治(雪澤 千代治、ゆきざわ ちよじ、1889年(明… 雪沢 千代治(雪澤 千代治、ゆきざわ ちよじ、1889年(明治22年)4月1日 - 1970年(昭和45年)2月20日)は、日本の内務官僚、政治家。府県知事、衆議院議員。 長崎県西彼杵郡雪浦村(現在の西海市)出身。雪沢梅太郎の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入り静岡県属となる。 以後、岩手県理事官、兵庫県警視、内務事務官、新潟県書記官・学務部長、内務省土木局港湾課長、大臣官房都市計画課長などを歴任。 1937年6月、岩手県知事に就任。以後、熊本県・愛知県・京都府の各知事を歴任。1944年4月、愛媛県知事兼四国地方行政協議会長となる。
浅野 安吉(あさの やすきち、1889年(明治22年)3月 … 浅野 安吉(あさの やすきち、1889年(明治22年)3月 - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。 京都府京都市上京区出身。第三高等学校を経て、1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、同年10月に高等文官試験に合格した。台湾総督府警部、同警視、営林局事務官、殖産局営林所営林課長、殖産局庶務課長を歴任。1924年(大正13年)、欧米諸国に出張した。帰国後、殖産局商工課長を経て、1929年(昭和4年)に高雄州内務部長となった。1931年(昭和6年)、台北州内務部長に転じ、さらに花蓮港庁長に転じた。 1932年(昭和7年)に退官した後は、高雄州青果同業組合副組長、高雄青果株式会社社長、高雄州会議員などを務めた。
山口 安憲(やまぐち やすのり、1887年(明治20年)10… 山口 安憲(やまぐち やすのり、1887年(明治20年)10月 - 1962年(昭和37年)1月22日)は、日本の内務官僚。官選県知事。 徳島県出身。山口源三郎の長男として生まれる。第三高等学校を首席で卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1912年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し香川県試補となる。 以後、香川県事務官、兵庫県事務官、朝鮮総督府兼関東庁事務官、東京市助役、復興局書記官、同局経理部購買課長、同局長官官房勤務、同局部長などを歴任。 1929年7月、鹿児島県知事に就任。1931年末に熊本県で陸軍大演習が実施され、それに伴い地方行幸の一環として昭和天皇が来鹿することとなったが、一カ月ほど前に腸チフスとなり、同年10月に急遽、窪田治輔と交代となり山形県知事に転じた。
大西 一郎(おおにし いちろう、1887年(明治20年)6月… 大西 一郎(おおにし いちろう、1887年(明治20年)6月11日 – 1950年(昭和25年)1月21日)は、戦前日本の内務官僚。第11代横浜市長を務めた。 香川県香川郡川東村(現在の高松市)で、大西三千児の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 1912年(明治45年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し、北海道庁属となった。北海道庁警視、同理事官拓殖課長、同勧業課長、岩手県学務課長、兵庫県視学官・知事官房主事・学務課長、香川県警察部長、朝鮮総督府事務官兼参事官、慶尚北道内務部長、復興局土木部庶務課長、東京第一出張所長を歴任した。
村上 義一(むらかみ ぎいち、1885年(明治18年)11月… 村上 義一(むらかみ ぎいち、1885年(明治18年)11月10日 - 1974年(昭和49年)1月20日)は、日本の官僚、政治家、実業家。日本通運社長、近畿日本鉄道社長、日本民営鉄道協会顧問、日本交通公社会長。 滋賀県東浅井郡虎姫町(現長浜市)出身。旧制第三高等学校、東京帝国大学法科大学独法科卒業。1912年に鉄道院(のち鉄道省)に入り、1927年(昭和2年)神戸鉄道局長、1928年(昭和3年)大阪鉄道局長、その後1930年(昭和5年)には南満洲鉄道(満鉄)で理事となった。 1937年(昭和12年)には朝鮮運送社長、同年10月1日発足した鉄道省系の国営企業の日本通運の副社長に、1940年には社長に就任する(1943年まで)。
篠原 英太郎(しのはら えいたろう、1885年(明治18年)… 篠原 英太郎(しのはら えいたろう、1885年(明治18年)10月10日 - 1955年(昭和30年)3月7日)は、日本の内務官僚。林内閣の内務次官、官選県知事、京都市長。 長野県木曽郡木祖村出身。篠原武兵衛の五男として生まれる。第三高等学校を経て、1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、内務省に入り山梨県属となる。1912年11月、文官高等試験に合格した。 以後、石川県理事官、朝鮮総督府殖産局土地改良課長、内務省大臣官房文書課長、同都市計画課長、北海道庁土木部長などを歴任。 1927年5月、山形県知事に就任。1929年10月、文部省普通学務局長に転じた。1931年12月、岡山県知事に就任。
金沢 正雄(かなざわ まさお、1884年〈明治17年〉5月2… 金沢 正雄(かなざわ まさお、1884年〈明治17年〉5月26日 - 1945年〈昭和20年〉4月27日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員。 大阪府交野郡倉治村(北河内郡交野村、交野町を経て現交野市倉治)で、金沢楢松の長男として生まれる。第三高等学校を卒業。1910年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し栃木県属となる。 以後、栃木県警視、同事務官、熊本県理事官、長崎県理事官、愛媛県警察部長、群馬県警察部長、沖縄県内務部長、岐阜県内務部長、長崎県書記官・内務部長、新潟県書記官・内務部長、神奈川県書記官・内務部長などを歴任。
市村 慶三(いちむら けいぞう、1884年(明治17年)2月… 市村 慶三(いちむら けいぞう、1884年(明治17年)2月28日 - 1959年(昭和34年)1月8日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、京都市長。旧姓・古川。 京都府出身。古川専太郎の三男として生まれ、市村貞蔵の養子となる。第三高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り北海道庁属となる。 以後、北海道庁警視、神奈川県橘樹郡長、千葉県・兵庫県の各理事官、奈良県警察部長、皇宮警察長、内務省参事官兼宮内事務官、神奈川県書記官・内務部長、警視庁書記官・官房主事などを歴任。 1926年8月、福井県知事に就任。以後、愛媛県・三重県の各知事を経て、1931年11月、鹿児島県知事に就任。
八木 林作(やぎ りんさく、1883年(明治16年)8月1日… 八木 林作(やぎ りんさく、1883年(明治16年)8月1日 - 1974年(昭和49年)6月11日)は、日本の内務官僚。官選島根県知事、尼崎市長。 京都府天田郡出身。八木新造の六男として生まれる。第三高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁事務官補・同理事官、栃木県理事官、兵庫県事務官、朝鮮総督府道事務官、山梨県警察部長、高知県内務部長、石川県内務部長、兵庫県書記官・警察部長、長崎県書記官・内務部長などを歴任。 1927年5月、島根県知事に就任。1928年7月、第四次産業計画を決定。
田寺 俊信(たでら としのぶ、1882年(明治15年)12月… 田寺 俊信(たでら としのぶ、1882年(明治15年)12月30日 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、姫路市長。族籍は兵庫県平民。 兵庫県飾西郡今宿村(飾磨郡高岡村を経て現姫路市)出身。兵庫県議会議長・田寺敬信の長男。第三高等学校を卒業。1909年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し鳥取県属となる。 以後、鳥取県試補、同県八頭郡長、同理事官・庶務課長、高知県理事官・教育課長、同地方課長・視学官、奈良県理事官・教育課長・視学官、奈良県警察部長、長野県警察部長、香川県内務部長、埼玉県内務部長、愛知県警察部長などを歴任。
三浦 碌郎(みうら ろくろう、1882年(明治15年)9月2… 三浦 碌郎(みうら ろくろう、1882年(明治15年)9月23日 - 1969年(昭和44年)12月16日)は、日本の内務・台湾総督府官僚、政治家。立川市長。 三浦覚の長男として京都府で生まれる。第三高等学校を経て、1908年10月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。1909年、内務省に入り警視庁警部となる。1911年11月、高等文官試験行政科試験に合格。 以後、永代橋警察署長、警視庁警視、深川警察署長、扇橋警察署長、四谷警察署長、熊本県宇土郡長などを歴任。 1919年6月、台湾総督府に転じ、同府警視兼同府警務官・監察官となる。同府事務官・警務局衛生課長、同府州事務官・新竹州内務部長などを経て、1924年12月、高雄州知事に就任。
古宇田 晶(こうだ あきら、1882年(明治15年)4月16… 古宇田 晶(こうだ あきら、1882年(明治15年)4月16日 - 1939年(昭和14年)11月13日)は、日本の内務・警察官僚。政友会系官選宮崎県知事。 東京府出身。古宇田義鼎の四男として生まれた。第三高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。農商務省に入省し山林局に配属。1909年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。 その後、内務省に転じ宮城県事務官となる。以後、新潟県理事官、兵庫県理事官、岩手県警察部長、宮崎県警察部長、静岡県警察部長、愛知県警察部長、北海道庁土木部長などを歴任。 1927年5月、田中義一内閣により宮崎県知事に任じられた。普通選挙による初の県議選において、選挙違反に問われ大迫元繁宮崎市長と共に逮捕された。
富永 鴻(とみなが こう、1880年(明治13年)12月13… 富永 鴻(とみなが こう、1880年(明治13年)12月13日 - 1937年(昭和12年)5月15日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事、長崎市長。 静岡県城東郡、のちの大須賀村(小笠郡横須賀町、大須賀町を経て現掛川市)出身。衆議院議員・富永発叔の二男として生まれ、富永ひでの養子となる。第三高等学校を卒業。1905年、東京帝国大学法科大学を卒業。1906年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し台湾課属となる。 以後、鹿児島県事務官、兵庫県事務官、神奈川県事務官、同県港務部長、徳島県警察部長、宮城県警察部長、石川県内務部長、山梨県内務部長などを歴任。 1921年6月、佐賀県知事に就任。
白男川 譲介(しろおかわ / しろおがわ じょうすけ、188… 白男川 譲介(しろおかわ / しろおがわ じょうすけ、1880年(明治13年)1月19日 - 1951年(昭和26年))は、日本の内務・警察官僚、実業家。官選県知事、鹿児島市長。旧姓・池田。 鹿児島県鹿児島市出身。池田休兵衛の四男として生まれ、1885年、母方の白男川渉の養子となる。第三高等学校を卒業。1906年、京都帝国大学法科大学政治学科を卒業し、大阪市に入る。1909年12月、文官高等試験に合格。内務省に転じ沖縄県属となる。 以後、福井県三方郡長、富山県警察部長、新潟県警察部長、北海道庁土木部長、奈良県内務部長、京都府内務部長などを歴任。 1921年5月、床次竹二郎内務大臣により起用され福井県知事に就任。
人見 次郎(ひとみ じろう、1879年〈明治12年〉12月1… 人見 次郎(ひとみ じろう、1879年〈明治12年〉12月16日 - 1959年〈昭和34年〉12月2日)は、日本の農商務官僚、実業家。朝鮮総督府総督官房鉄道局長、台湾総督府総務長官。 京都府船井郡富本村(現:南丹市八木地区)で人見次郎八の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1904年(明治37年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。農商務省に入り、山林局属となる。特許局事務官・庶務課長、兼特許局図書館長、衆議院事務局書記官兼特許局事務官などを歴任。 1908年(明治41年)、統監府に転じ、特許局事務官に就任。1910年(明治43年)8月に朝鮮総督府が設置されると、書記官・農商工部商工課長に就任。
佐藤 復三(さとう ふくぞう、1879年(明治12年)12月… 佐藤 復三(さとう ふくぞう、1879年(明治12年)12月1日 - 没年不詳)は、日本の内務・警察官僚。官選高知県知事、姫路市長。 広島県出身。佐藤又三郎の二男として生まれる。 第三高等学校を卒業。1908年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。司法省に入省し司法官試補となるが、1909年11月27日に依願免職。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し福島県属兼警部となる。 以後、福島県警視、島根県理事官、同視学官、千葉県事務官、栃木県警察部長、富山県警察部長、宮城県警察部長、関東庁警務官、新潟県書記官・内務部長、青森県書記官・内務部長、熊本県書記官・内務部長などを歴任。
五味 均平(ごみ きんぺい、1877年10月 - 1924年… 五味 均平(ごみ きんぺい、1877年10月 - 1924年4月14日)は、日本の官僚。 長野県諏訪郡境村小六(現富士見町)に生まれ、第三高等学校から東京帝国大学法科大学を1906年卒業。高等官行政科1908年(明治41年)合格。1907年宮内省入省、御料局配属・帝室会計審査官補から、宗秩寮・図書寮・諸陵寮・帝室林野局事務官兼宮内事務官・法制局参事官を歴任。従四位勲四等。 東京市本郷区(現東京都文京区)駒込曙町の自邸で病気療養中の1924年4月14日午前0時10分死去。享年48。墓所は護国寺共葬墓地。自著等の蔵書の一部は、没後の1929年に早稲田大学が購入、現在同図書館が保有している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
土岐 嘉平(とき かへい、1875年(明治8年)2月16日 … 土岐 嘉平(とき かへい、1875年(明治8年)2月16日 - 1946年(明治21年)3月22日)は、日本の内務官僚・政治家。府県知事、北海道庁長官、京都市長。 和歌山県那賀郡、のちの山崎村(岩出町を経て現岩出市)出身。土岐綱右衛門の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1901年、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。 1901年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り土木局に配属された。以後、山梨県参事官、内務省書記官、同参事官、大阪府内務部長などを歴任。 1914年6月、高知県知事に就任。地元の利害に直結する市町村の土木補助費問題に関して、県議会での調整に尽力した。