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坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日 … 坪野 米男(つぼの よねお、1920年(大正9年)7月4日 – 2008年(平成20年)8月16日)は、昭和から平成期の弁護士、政治家。衆議院議員。 大阪府大阪市出身。第三高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部を卒業。厚生省に入省し大臣官房属となる。同年7月、高等試験行政科試験に合格。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1948年(昭和23)に退官して、弁護士、税理士を開業。京都市人権擁護委員、国民救援会京都府連副会長を務めた。
西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 198… 西口 克己(にしぐち かつみ、1913年4月6日 - 1986年3月15日)は、京都市出身の小説家、政治家。 京都府紀伊郡伏見町(現在の京都市伏見区)の中書島遊廓の貸座敷の家に生まれる。第三高等学校から東京帝国大学文学部西洋哲学科卒業、1946年に日本共産党に入党するが、1950年のいわゆる「五十年問題」による党分裂の際、「除名」される。1955年には、日本共産党の統一・正常化と同時に党へ復帰。 この間に義母名義の娼家(第2次世界大戦後は「お茶屋」名目で営業)の片隅で自伝的小説『廓』を執筆。第一部を1956年に刊行。ベストセラーとなり、小説家として認められる。同作は第35回(昭和31年上期)直木賞候補となり、「『廓』より 無法一代」(1957年、監督滝沢英輔)として映画化された(第二部は同年末、第三部は1958年に刊行)。
谷垣 専一(谷垣 專一、たにがき せんいち、1912年(明治… 谷垣 専一(谷垣 專一、たにがき せんいち、1912年(明治45年)1月18日 - 1983年(昭和58年)6月27日)は、日本の政治家。従三位勲一等。文部大臣。妻は陸軍中将影佐禎昭の長女安紀。第24代自由民主党総裁の谷垣禎一は長男。 京都府福知山市の造り酒屋・谷垣松次郎の五男として生まれた。旧制京都府立福知山中学校、旧制第三高等学校文科甲類を経て、東京帝国大学法学部法律学科を卒業後、1936年、農林省入省(農務局嘱託)。要員局運用課長、開拓局管理課長、長野県農地部長、総務局物資調整課長、農地局総務課長、農地局管理部長、農林経済局農業協同組合部長などを経て、1955年10月に大臣官房長、1956年6月に畜産局長となる。
木村 俊夫(きむら としお、1909年(明治42年)1月15… 木村 俊夫(きむら としお、1909年(明治42年)1月15日 - 1983年(昭和58年)12月1日)は、日本の政治家。元衆議院議員。 1909年(明治42年)三重県東員町生まれ。後に東員町名誉町民となる。祖父・木村誓太郎、父・木村秀興はいずれも衆議院議員。津中学校、第三高等学校 (旧制)文科丙類を経て、1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部法律学科と政治学科を卒業。高等文官試験に合格して逓信省に入省。戦時下、逓信省と鉄道省が統合した運輸通信省を経て、運輸省に移る。戦後佐藤栄作に口説かれ、運輸省海運総局総務課長から政界に転身、1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙で旧三重1区から保守系無所属で当選。
山本 弥之助(やまもと やのすけ、1907年(明治40年)6… 山本 弥之助(やまもと やのすけ、1907年(明治40年)6月27日 - 1986年(昭和61年)4月11日)は、日本の警察・朝鮮総督府官僚、政治家、弁護士。衆議院議員、盛岡市長。位階は従四位。 本籍・岩手県。山本幸太郎の長男として大阪市に生まれる。第三高等学校を卒業。1931年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1932年、京都帝国大学法学部を卒業。朝鮮総督府に入府し内務局属となる。 以後、朝鮮総督府道理事官、平安北道学務課長、忠清南道地方課長、京畿道学務課長、総督府殖産局事務官、黄海道警察部長、咸鏡北道警察部長、総督府書記官・警務局経済警察課長などを歴任。 1944年7月、岩手県部長・警察部長へ転任。
天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月… 天坊 裕彦(てんぼう ひろひこ、1907年(明治40年)1月7日 - 1984年(昭和59年)8月23日)は、日本の鉄道官僚、政治家。日本国有鉄道副総裁、参議院議員(2期)。 京都府で天坊幸彦の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1929年(昭和4年)3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1928年(昭和3年)10月、高等試験行政科試験に合格。1929年4月、鉄道省に入省して鉄道属に任官し大臣官房に配属された。 以後、松阪駅長、大阪鉄道局庶務課文書掛長、鉄道省事務官、中支那派遣軍特務部附、興亜院事務官、鉄道局参事、鉄道調査部書記官・鉄道調査部第一課長、業務局事業課長、運輸通信省自動車局業務部監理第三課長、華中鉄道参事、運輸省鉄道総局勤務、北海海運局長、運輸省大臣官房長、大阪鉄道局長などを歴任。
福田 喜東(ふくだ よしはる、1905年(明治38年)5月2… 福田 喜東(ふくだ よしはる、1905年(明治38年)5月26日 – 1983年(昭和58年)7月15日)は、昭和期の官僚、弁護士、政治家。衆議院議員。 母の生家の大分県宇佐郡四日市町(現宇佐市)で生まれる。第三高等学校を卒業。1927年(昭和2年)12月高等試験行政科試験に合格し、司法科試験にも合格した。1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年、内務省に入省し千葉県属に任官した。 以後、社会局属、国際労働機関在勤(ジュネーヴ)、社会局事務官、企画院調査官、東亜研究所参与、企画院書記官、商工省事務官兼書記官・振興部金融課長兼施設課長、総務課長兼工務課長、企業局工政課長、絹毛課長、商工組合中央金庫監理官、熊本営林局総務部長、千葉県教育民生部長、神奈川県労働部長、神奈川労働基準局(現神奈川労働局)長などを歴任し、1948年(昭和23年)に退官した。
北野 重雄(きたの しげお、1903年〈明治36年〉4月29… 北野 重雄(きたの しげお、1903年〈明治36年〉4月29日 - 1990年〈平成2年〉3月16日)は、昭和時代の日本の商工官僚、政治家。群馬県知事。勲一等瑞宝章・従三位[要出典]。 1903年(明治36年)大阪府に北野種次郎の長男として生まれる。1923年(大正12年)旧制第三高等学校を卒業。1925年(大正14年)高等文官試験に合格。翌1926年(大正15年)に東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、商工省に入省。鉱山・商務・工務各局事務官、企画院書記官、商工省転業対策部総務課長、振興部総務課長兼金融課長、満洲国経済部鉱山司長、商工省物価局第一部長、総務局総務課長、軍需省文書課長、石炭部長、東部地方鉱山局長、商工省鉱山局長などを歴任。
金 斗鎔(キム・ドゥヨン、1903年 - 没年不明)は、北朝… 金 斗鎔(キム・ドゥヨン、1903年 - 没年不明)は、北朝鮮の社会運動家、政治家。咸鏡南道咸興出身。 日本に留学し、1923年に旧制第三高等学校に入学、弁論部で活躍した。1926年東京帝国大学文学部美学科に入学し、新人会や日本プロレタリア芸術連盟(プロ芸)で活動し、中野重治らと交友を深める。朝鮮プロレタリア芸術家同盟東京支部を組織し、機関紙『芸術運動』の編集発行にあたり、評論や戯曲を執筆した。1929年から在日本朝鮮労働総同盟にも参加したが、中央委員会を日本労働組合全国協議会(全協)の朝鮮人委員会に改編することをめぐって、金文準らと対立した。1930年に共産主義者に対する弾圧により治安維持法違反で検挙、投獄された後、1935年に東京の『朝鮮新聞』発行や、朝鮮芸術座の演劇活動に関与しながら、『文学評論』などの日本の雑誌や、『朝鮮中央日報』など朝鮮の新聞に文学評論を多数執筆したが、1936年10月29日、朝鮮語劇を通じて民族解放運動ならびに階級意識の高揚に活動したという理由で朝鮮人劇団が弾圧された「朝鮮芸術座事件」で再び検挙され、懲役1年8か月の判決を受けた。
趙 炳漢(チョ・ビョンハン、朝鮮語: 조병한/趙炳漢、190… 趙 炳漢(チョ・ビョンハン、朝鮮語: 조병한/趙炳漢、1902年11月10日 - 没年不詳)は、大韓民国の実業家、政治家。制憲韓国国会議員。 慶尚北道聞慶郡(現・聞慶市)出身。聞慶公立普通学校(現・聞慶初等学校)、大邱高等普通学校、旧制の第三高等学校、東京帝国大学(現・東京大学)法学部卒。 株式会社テドン貿易公社社長、マンジュ家畜振興株式会社監査役などを務めた。朝鮮戦争時の1950年9月2日、鐘路区にて北朝鮮側の関係者3名により拉致された。 1956年7月より在北平和統一促進協議会中央委員を務め、1958年に江界市方面の農場に移住したとされるが、以後消息不明。
青柳 一郎(あおやぎ いちろう、1900年(明治33年)7月… 青柳 一郎(あおやぎ いちろう、1900年(明治33年)7月29日 – 1983年(昭和58年)8月2日)は、日本の内務官僚、政治家。山口県知事(官選第28代)、衆議院議員(3期)。 山口県出身。早稲田大学教授・青柳篤恒の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し広島県属となる。 以後、熊本県警察部・福岡県警察部の各特別高等警察課長、上海領事、福島県書記官・警察部長、軍事保護院業務・軍事扶助・総務の各課長、厚生省大臣官房会計・総務の各課長、同省保険局長などを歴任。1946年1月、最後の官選山口県知事に就任し、1947年4月まで在任し退官。
薩摩 雄次(さつま ゆうじ、1897年12月1日 - 196… 薩摩 雄次(さつま ゆうじ、1897年12月1日 - 1966年8月4日)は、日本の政治家・新聞記者。衆議院議員。福井県おおい町出身。 地主・薩摩三蔵の二男。第三高等学校を経て、1922年に拓殖大学支那語科を卒業。学生時代から猶存社に出入りし、拓大魂の会を組織した。 1923年から1928年まで大東文化協会幹事となり、同協会の副会長であった政友会代議士・小川平吉の秘書役を務めた。 国民新聞に入社し、経済部長、主筆、論説委員を歴任した。 海軍大将の加藤寛治とは親戚であったことから、ロンドン海軍軍縮会議の結果をめぐって表面化した統帥権干犯問題の際に、北一輝らの民間右翼と加藤ら海軍艦隊派とのつなぎ役となる。
吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25… 吉松 喬(よしまつ たかし、1897年(明治30年)5月25日 - 1987年(昭和62年)9月17日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家。参議院議員、陸軍司政長官。 福岡県出身。吉松民次郎、友子の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し、鉄道省に入省して直方駅助役に就任。同年11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、大臣官房文書課勤務、大鉄運輸課旅客掛長、大阪運輸事務所長、広鉄庶務課長、運輸局配車課長、鉄道調査部第一課長、札幌鉄道局長、東京鉄道局長などを務め、1943年(昭和18年)2月、陸軍司政長官に発令された。1945年(昭和20年)に退官した。
高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月… 高橋 定一(たかはし ていいち、1897年(明治30年)4月12日 – 1949年(昭和24年)12月25日)は、大正から昭和前期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員。 山口県玖珂郡麻里布村(麻里布町を経て現岩国市)で、高橋亀助の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。 同年、鉄道省に入省し鉄道局書記に任官され東京鉄道局庶務課に配属された。1923年(大正12年)12月、高等試験行政科試験に合格。以後、国府津駅助役、鉄道局副参事・水戸運輸事務所営業主任、新橋運輸事務所営業主任、千葉運輸事務所長、東京鉄道局運輸課庶務掛長、同局運輸課旅客掛長などを経て鉄道省運輸局自動車課長に就任し、1939年(昭和14年)に退官した。
岸田 幸雄(きしだ さちお、1893年2月24日 - 198… 岸田 幸雄(きしだ さちお、1893年2月24日 - 1987年10月16日)は、日本の政治家、実業家。京都府出身。 兵庫県知事(官選1期・公選2期)、参議院議員(2期)を歴任した。 1893年(明治26年)、山口県士族・岸田氏美の三男として京都府に生まれる。第三高等学校を経て1916年(大正5年)に京都帝国大学法科を卒業し、高等文官試験に合格するも官僚とはならず大阪商船(現在の商船三井)に入社した。1920年(大正9年)、イタリアのジェノヴァで開催された国際労働者会議に使用者代表の随行員として参加する。日本に帰国後、大阪商船子会社の大阪海上火災(現在の三井住友海上)へ出向して神戸支店および東京支店長を務めた。
松尾 守治(まつお もりじ / もりはる、1892年(明治2… 松尾 守治(まつお もりじ / もりはる、1892年(明治25年)10月9日 - 1973年(昭和48年)8月19日)は、大正から昭和期の土木技術者、内務技官、政治家。山口県下関市長。旧姓・市川。 山口県で市川直彦の七男として生まれ、松尾琢三(衆議院議員松尾寅三の長男、馬関電灯取締役)の養子となる。1913年(大正2年)旧制第三高等学校を卒業[要出典]。1917年(大正6年)九州帝国大学工科大学土木工学科を卒業。一年志願兵として入隊した。 1919年(大正8年)内務省に入省し、下関土木出張所、神戸土木出張所で勤務。1924年(大正13年)欧米に出張し港湾施設を視察。帰国後、下関土木出張所に配属され、下関港、門司港の修築工事を担当した。
児玉 政介(こだま まさすけ、1891年〈明治24年〉7月6… 児玉 政介(こだま まさすけ、1891年〈明治24年〉7月6日 - 1978年〈昭和53年〉4月14日)は、日本の内務・厚生官僚、政治家。位階は従三位。 秋田市長(第11代)、厚生次官(第3代)、軍事保護院副総裁、傷兵保護院副総裁、厚生省体力局長、石川県知事(官選第34代)、秋田県知事(官選第35代)、奈良県知事(官選第22代)などを歴任。旧姓・小幡。 東京府出身。小幡小二郎の長男として生まれ、児玉隼槌の養子となる。第三高等学校を卒業。1915年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1916年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。内務省に入省し岩手県属となる。 以後、三重県警視、新潟県警視、大阪府理事官、内務省社会局書記官、同省大臣官房文書課長、東京府書記官・内務部長などを歴任。
雪沢 千代治(雪澤 千代治、ゆきざわ ちよじ、1889年(明… 雪沢 千代治(雪澤 千代治、ゆきざわ ちよじ、1889年(明治22年)4月1日 - 1970年(昭和45年)2月20日)は、日本の内務官僚、政治家。府県知事、衆議院議員。 長崎県西彼杵郡雪浦村(現在の西海市)出身。雪沢梅太郎の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入り静岡県属となる。 以後、岩手県理事官、兵庫県警視、内務事務官、新潟県書記官・学務部長、内務省土木局港湾課長、大臣官房都市計画課長などを歴任。 1937年6月、岩手県知事に就任。以後、熊本県・愛知県・京都府の各知事を歴任。1944年4月、愛媛県知事兼四国地方行政協議会長となる。
村上 義一(むらかみ ぎいち、1885年(明治18年)11月… 村上 義一(むらかみ ぎいち、1885年(明治18年)11月10日 - 1974年(昭和49年)1月20日)は、日本の官僚、政治家、実業家。日本通運社長、近畿日本鉄道社長、日本民営鉄道協会顧問、日本交通公社会長。 滋賀県東浅井郡虎姫町(現長浜市)出身。旧制第三高等学校、東京帝国大学法科大学独法科卒業。1912年に鉄道院(のち鉄道省)に入り、1927年(昭和2年)神戸鉄道局長、1928年(昭和3年)大阪鉄道局長、その後1930年(昭和5年)には南満洲鉄道(満鉄)で理事となった。 1937年(昭和12年)には朝鮮運送社長、同年10月1日発足した鉄道省系の国営企業の日本通運の副社長に、1940年には社長に就任する(1943年まで)。
金沢 正雄(かなざわ まさお、1884年〈明治17年〉5月2… 金沢 正雄(かなざわ まさお、1884年〈明治17年〉5月26日 - 1945年〈昭和20年〉4月27日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員。 大阪府交野郡倉治村(北河内郡交野村、交野町を経て現交野市倉治)で、金沢楢松の長男として生まれる。第三高等学校を卒業。1910年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し栃木県属となる。 以後、栃木県警視、同事務官、熊本県理事官、長崎県理事官、愛媛県警察部長、群馬県警察部長、沖縄県内務部長、岐阜県内務部長、長崎県書記官・内務部長、新潟県書記官・内務部長、神奈川県書記官・内務部長などを歴任。
松山 常次郎(まつやま つねじろう、1884年(明治17年)… 松山 常次郎(まつやま つねじろう、1884年(明治17年)3月22日 - 1961年(昭和36年)6月15日)は、日本の実業家、政治家、衆議院議員。 1884年(明治17年)3月22日、和歌山県伊都郡九度山村(現:九度山町)に松山常治・さわの長男として生まれる。奈良県立五条中学校、第三高等学校を経て、1905年(明治38年)、東京帝国大学土木工学科入学。在学中に日本組合基督教会霊南坂教会で洗礼を受けクリスチャンとなる。 1908年(明治41年)、東京帝国大学土木工学科を卒業後に渡米し、橋梁設計などを学ぶ。日本に帰国したのち、1915年(大正4年)朝鮮に渡り、干拓・開墾事業に従事。南海拓殖株式会社や鮮満拓殖株式会社などを設立し、水田開拓事業で成功を収めた。
市村 慶三(いちむら けいぞう、1884年(明治17年)2月… 市村 慶三(いちむら けいぞう、1884年(明治17年)2月28日 - 1959年(昭和34年)1月8日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、京都市長。旧姓・古川。 京都府出身。古川専太郎の三男として生まれ、市村貞蔵の養子となる。第三高等学校を経て、1910年、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り北海道庁属となる。 以後、北海道庁警視、神奈川県橘樹郡長、千葉県・兵庫県の各理事官、奈良県警察部長、皇宮警察長、内務省参事官兼宮内事務官、神奈川県書記官・内務部長、警視庁書記官・官房主事などを歴任。 1926年8月、福井県知事に就任。以後、愛媛県・三重県の各知事を経て、1931年11月、鹿児島県知事に就任。
三浦 碌郎(みうら ろくろう、1882年(明治15年)9月2… 三浦 碌郎(みうら ろくろう、1882年(明治15年)9月23日 - 1969年(昭和44年)12月16日)は、日本の内務・台湾総督府官僚、政治家。立川市長。 三浦覚の長男として京都府で生まれる。第三高等学校を経て、1908年10月、東京帝国大学法科大学法律学科を卒業。1909年、内務省に入り警視庁警部となる。1911年11月、高等文官試験行政科試験に合格。 以後、永代橋警察署長、警視庁警視、深川警察署長、扇橋警察署長、四谷警察署長、熊本県宇土郡長などを歴任。 1919年6月、台湾総督府に転じ、同府警視兼同府警務官・監察官となる。同府事務官・警務局衛生課長、同府州事務官・新竹州内務部長などを経て、1924年12月、高雄州知事に就任。
真鍋 勝(まなべ かつ、1881年〈明治14年〉12月24日… 真鍋 勝(まなべ かつ、1881年〈明治14年〉12月24日 - 1963年〈昭和38年〉6月7日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党→民主自由党→自由党)、司法参与官。弁護士。 徳島県美馬郡貞光村(現在のつるぎ町)に武田嘉六の子として生まれ、真鍋儀平の養子となった。第三高等学校を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学文科大学英文科を卒業。1923年(大正11年)、京都帝国大学法学部を卒業し、弁護士を開業した。大倉喜八郎の顧問弁護士も務めた。 1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に立候補し、当選。第20回まで4回当選を果たした。その間、阿部内閣で司法参与官を務めた。 戦後は第24回衆議院議員総選挙に当選した。
11代奥野 小四郎(おくの こしろう、1880年(明治13年… 11代奥野 小四郎(おくの こしろう、1880年(明治13年)4月14日 - 1958年(昭和33年)7月23日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員、官選帯広市長。旧姓・武田、初名・雄次。 兵庫県三原郡広田村(のち緑村、緑町を経て、現・南あわじ市)で武田泰三の三男として生まれる。1898年、郁文館中学校を卒業し、同年、第三高等学校第一部に入学したが、家事の都合により一年で退学した。その後、洲本町の先代奥野小四郎の婿養子となり家業に従事。 1904年5月に来道して先代が拓いた上川郡士別村の農場の経営を担当。1906年から2年間、北海道庁真駒内種畜場で畜産獣医の講習を受け、1908年、十勝国中川郡居辺原野で先代と共に牧場を経営し、産馬の改良繁殖に尽力した。
土岐 嘉平(とき かへい、1875年(明治8年)2月16日 … 土岐 嘉平(とき かへい、1875年(明治8年)2月16日 - 1946年(明治21年)3月22日)は、日本の内務官僚・政治家。府県知事、北海道庁長官、京都市長。 和歌山県那賀郡、のちの山崎村(岩出町を経て現岩出市)出身。土岐綱右衛門の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1901年、東京帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。 1901年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り土木局に配属された。以後、山梨県参事官、内務省書記官、同参事官、大阪府内務部長などを歴任。 1914年6月、高知県知事に就任。地元の利害に直結する市町村の土木補助費問題に関して、県議会での調整に尽力した。
志波 安一郎(しば やすいちろう、1873年(明治6年)9月… 志波 安一郎(しば やすいちろう、1873年(明治6年)9月20日 - 1932年(昭和7年)6月10日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党→立憲政友会)。 長崎県高来郡神代村(現在の雲仙市)出身。志波三九郎の長男。第三高等学校を中退後、京釜鉄道社員、神代郵便局長、数寄屋銀行神代支店長、長崎農工銀行監査役、肥前銀行顧問などを務めた。 長崎県会議員を3期務めた後、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は4回を数えた。
塚本 清治(つかもと せいじ、1872年12月5日〈明治5年… 塚本 清治(つかもと せいじ、1872年12月5日〈明治5年11月5日〉- 1945年〈昭和20年〉7月11日)は、明治から昭和にかけての内務官僚・政治家。 兵庫県揖東郡旭陽村(現在の姫路市)出身。初めは河田姓を名乗っていたが、1884年(明治17年)に塚本家の養子に入った。第三高等学校を経て東京帝国大学法科大学を卒業、1902年(明治35年)11月の高等文官試験に合格した。 初め東京府職員であったが、翌年には内務省に移籍して、以後1915年(大正4年)に神社局長、1920年(大正9年)に地方局長、1922年(大正11年)に社会局長を務め、1923年(大正12年)の第2次山本内閣成立と同時に内務次官に任じられた。
添田 敬一郎(そえだ けいいちろう、1871年10月12日(… 添田 敬一郎(そえだ けいいちろう、1871年10月12日(明治4年8月28日) - 1953年(昭和28年)10月20日)は、日本の内務官僚、政治家。衆議院議員、埼玉県知事、山梨県知事、山形県知事などの要職を歴任した。 小浜県遠敷郡西津村(後の雲浜村西津、現・福井県小浜市)に、旧小浜藩士、福井県大飯郡長[要出典]、滋賀県神崎郡長[要出典]を務めた添田良平の長男として生まれる。第三高等学校を経て、1898年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。東京帝大では一木喜徳郎のもとで学んだ[要出典]。同年7月、内務省に入省し内務属・庶務局地理課勤務となり、同年10月、兵庫県属・内務部第一課勤務に異動。
佐柳 藤太(さやなぎ とうた、1870年10月14日(明治3… 佐柳 藤太(さやなぎ とうた、1870年10月14日(明治3年9月20日) - 1925年(大正14年)2月24日)は、日本の内務官僚、政治家。官選県知事、熊本市長、小樽市長。 讃岐国多度郡(後に仲多度郡豊原村、現:多度津町)で生まれる。第三高等学校を経て、1892年、東京法学院(現:中央大学)を卒業。1894年、弁護士試験に合格。1895年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1896年、内務省に入り県治局属となる。 以後、新潟県内務部第一課長、山形県内務部長、福岡県事務官・内務部長などを歴任。 1912年12月、滋賀県知事に就任。1914年4月、千葉県知事に転じた。米作、教育、社会教育の振興に尽した。
伊藤 俊介(いとう しゅんすけ、1870年9月5日(明治3年… 伊藤 俊介(いとう しゅんすけ、1870年9月5日(明治3年8月10日)- 1924年(大正13年)1月24日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員、神戸基督教青年会会長。 播磨国宍粟郡、のちの兵庫県宍粟郡染河内村(一宮町を経て現宍粟市一宮町)で生まれた。のち伊藤繁右衛門の養子となる。同志社、第三高等学校を経て、1896年(明治29年)帝国大学法科大学政治学科を卒業した。 兵庫県農工銀行に入り、のち取締役兼支配人に就任。伊藤博文の別名と間違えられて有名となり、1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(兵庫県郡部、壬寅会)で当選し、衆議院議員に1期在任した。しかし、農工銀行の経営に支障が起こり、その責めを負って退社した。
福地 銭吉(錢吉、ふくち せんきち、1868年11月25日(… 福地 銭吉(錢吉、ふくち せんきち、1868年11月25日(明治元年10月12日)- 1921年(大正10年)4月4日)は、明治から大正期の農業経営者・実業家・政治家。衆議院議員、三重県阿山郡東柘植村長。 伊賀国阿拝郡上柘植村(三重県阿山郡東柘植村上柘植、柘植町、伊賀町を経て現伊賀市)で、福地次郎の長男として生まれる。第三高等学校で学んだ。農業を営む。 伊賀筵叺同業組合長、阿山郡連合産業組合理事、東柘植村産業組合長、第八十三銀行取締役、東海製糸監査役などを務めた。 政界では、東柘植村長、阿山郡会議員、三重県会議員(1911年-1920年)などに在任し、学務委員、所得税調査委員なども務めた。1920年(大正9年)5月、第14回衆議院議員総選挙に三重県第10区から立憲国民党公認で出馬し、川崎克との激しい選挙戦を制して当選したが、議員在任中の1921年4月に死去した。