スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
相沢 巌夫(あいざわ いわお、1906年8月29日 - 19… 相沢 巌夫(あいざわ いわお、1906年8月29日 - 1945年10月2日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。陸軍司政官。 石川県金沢市生まれ。金沢の第四高等学校に入学。四高在学中の192年11月3日、神宮競技大会の100m走で10秒8を出し、当時の日本記録に並んだ。 京都帝国大学法学部に進む。1927年10月9日、近畿選手権の100m走で10秒7を記録し、日本記録を更新。日本陸上競技選手権大会では1927年に200m走で日本記録(21秒9)に並び優勝。 1928年5月中旬の日本陸上競技選手権大会では200mで21秒6の日本記録を更新し2連覇、100mでも優勝した。5月下旬に開催された第1回日本学生陸上競技対校選手権大会(インカレ)で100m、200m、4x400mリレーで優勝した。
高谷 高一(たかたに こういち、1905年10月 - 196… 高谷 高一(たかたに こういち、1905年10月 - 1966年3月)は、日本の都市計画家。三重県副知事などを歴任した。 福井県に生まれる。旧制第四高等学校を経て、1932年東京帝国大学工学部土木工学科を卒業。東京市役所土木部下水課に奉職するが、その後は都市計画地方委員会技師になる。1933年、神奈川地方委員会。1937年、都市計画東京地方委員会。1940年、興亜院。1943年、都市計画兵庫地方委員会。1944年、防空総本部。1945年、戦災復興院計画局土木課。その後建設院計画局建設課長。1950年、経済安定本部兼務。1951年、建設省都市局都市建設課長。1952年、同省復興課長事務代理。1955年、三重県観光開発株式会社副社長。
井上 清一(いのうえ せいいち、1905年〈明治38年〉7月… 井上 清一(いのうえ せいいち、1905年〈明治38年〉7月31日 - 1967年〈昭和42年〉1月8日)は、日本の内務官僚、政治家。参議院議員(2期)、京都市長。 1905年に富山県婦負郡速星村の多額納税者井上清孝の長男として生まれる。第四高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に進学し、在学中の1929年(昭和4年)10月に高等試験行政科試験合格。翌1930年帝大卒業とともに内務省へ入省し、四国地方行政事務局次長、同物価事務局長、京都府警察部長を歴任。 京都府知事木村惇の下で副知事を務めるが、1950年(昭和25年)4月に木村が公職選挙法違反で辞任したことで保守系の推薦で京都府知事選挙に立候補するも蜷川虎三に敗れる。
北村 義男(きたむら よしお、1905年(明治38年)2月2… 北村 義男(きたむら よしお、1905年(明治38年)2月21日 - 1979年(昭和54年)12月1日)は、日本の医学者。石川県七尾市出身。第四高等学校(現:金沢大学)、東京帝国大学(現:東京大学)医学部卒業。 1930年(昭和5年)に東京帝国大学医学部卒業後、1930年(昭和11年)に医学博士号を取得。1936年(昭和28年)に徳島大学教授となる。1954年(昭和29年)から1956年(昭和31年)までは同大学医学部付属病院(現:徳島大学病院)の院長も兼任していた。その後は医学部長を経て1970年(昭和45年)に同大学学長に就任。 1977年(昭和52年)に四国女子大学(現:四国大学)学長に就任したが、1979年(昭和54年)に満74歳で逝去。
北上 四郎(きたかみ しろう、1904年(明治37年)9月3… 北上 四郎(きたかみ しろう、1904年(明治37年)9月3日 - 1953年7月25日)は、兵庫県出身の昆虫学者、登山家。男性。特にアミカ科昆虫の分類学的研究で知られる。日本でアミカの幼虫を初めて発見したのも北上である。 1904年、兵庫県武庫郡山田村 上谷上(現在の神戸市北区山田町上谷上)において、北上倉太良・りつの四男として生まれた。旧制第四高等学校(現在の金沢大学)を卒業し、1924年に京都帝国大学(現:京都大学)理学部動物学科に進学。 登山の愛好家でもあった北上は、大学在学中に早月川(富山県)へ出かけてイワナ釣りをしていた所、イワナの胃の中から当時日本未発見であったアミカの幼虫を発見した。
石堂 清倫(いしどう きよとも、1904年4月5日 - 20… 石堂 清倫(いしどう きよとも、1904年4月5日 - 2001年9月1日)は、日本の評論家、社会思想研究家、社会運動家である。 1904年、石川県石川郡松任町(現白山市)生まれ。第四高等学校で先輩である中野重治を知り、東京帝国大学在学中、新人会で共に活動する。1927年東京帝国大学文学部英文科卒業後、関東電気労働組合に勤務、東京府荏原郡馬込村で西田信春、大間知篤三、岩田義道、栗原佑との5人で共同生活。同年10月、日本共産党入党、11月無産者新聞の編集に携わる。1928年、「三・一五事件」に連座し逮捕。その後釈放と逮捕を繰り返し、執行猶予となって、1933年11月保釈。獄中でロシア語や中国語を独学、ペンネームでウラジーミル・レーニンなどの著作を翻訳。
和久田 鐵雄(わくだ てつお、1904年(明治37年)2月2… 和久田 鐵雄(わくだ てつお、1904年(明治37年)2月25日 - 1990年(平成2年)4月26日)は、日本の内務・警察官僚、簡易裁判所判事、弁護士。最後の官選大分県知事。 静岡県出身。和久田半蔵の長男として生まれる。第四高等学校を卒業。1928年(昭和3年)京都帝国大学法学部を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し、1929年(昭和4年)新潟県警部となる。 以後、警視庁課長、警察講習所教授、岩手県経済部長、企画院第四部第一課長、宮城県部長・経済部長、広島県内務部長などを歴任。 1947年(昭和22年)3月、前任の細田徳寿が知事選に出馬のため辞任したことに伴い大分県知事に発令された。
南 好雄 (みなみ よしお、1904年〈明治37年〉1月29… 南 好雄 (みなみ よしお、1904年〈明治37年〉1月29日 - 1980年〈昭和55年〉9月4日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)、運輸大臣(第26代)を歴任した。 石川県羽咋郡高浜町(現在の志賀町)生まれ。第四高等学校、東京帝国大学独法科卒業後、1928年商工省に入省。商工省大臣官房会計課長、総理府東京地方物価局長を最後に、退職。戦時中は陸軍司政官に転出した。1949年、衆議院議員(当選7回)。1953年、第5次吉田茂内閣の建設政務次官、衆院公選法改正特別委員長を歴任。1960年、第1次池田内閣の運輸大臣として初入閣。1967年の総選挙に立候補せず、前年の衆議院解散をもって政界から引退。
大沢 衛(おおさわ まもる、旧字体:大澤衞。1904年1月1… 大沢 衛(おおさわ まもる、旧字体:大澤衞。1904年1月18日 - 1980年4月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。金沢大学名誉教授。 石川県出身。1927年東京帝国大学文学部英文科卒。第四高等学校教授、戦後金沢大学教授、1969年定年、金沢美術工芸大学長。1975年退職。日本ハーディ協会会長。
田治六郎(たじ ろくろう、1904年 - 1978年)は、日… 田治六郎(たじ ろくろう、1904年 - 1978年)は、日本の造園家。内務技師、地方技師として当該府県の都市計画の策定、とくに都市公園計画に参画して各市を指導。特に西日本や旧満洲の公園緑地の行政と計画設計にあたった。また大阪万博に出展する日本庭園(万博記念公園内に現存)の設計及び施工指導にあたった人物。 1904年(明治37年)、石川県七尾市に生まれる。旧制第四高等学校を経て、1930年に東京帝国大学農学部農学科を卒業。1932年に大学院修了後は内務省都市計画大阪地方委員会技手となり、いくつかの各都市計画地方委員会技手を兼務した。 1937年から2年間は工兵部隊将校として渡満、解除後の1941年から都市計画愛知地方委員会兼愛知県技師。
幸田 清喜(こうだ きよき、1904年(明治37年) - 1… 幸田 清喜(こうだ きよき、1904年(明治37年) - 1992年(平成4年)12月2日)は、日本の地理学者。東京文理科大学卒、第四高等学校教授、1953年「北陸工業地域の実証的研究」で東京教育大学より理学博士の学位を取得。東京教育大学教授、1967年定年退官、名誉教授、千葉敬愛経済大学教授。
鈴木 万平(すずき まんぺい、1903年(明治36年)7月2… 鈴木 万平(すずき まんぺい、1903年(明治36年)7月20日 - 1975年(昭和50年)12月3日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(2期)。 静岡県静岡市で生まれる。静岡県立静岡中学校を経て第四高等学校を卒業。1925年(大正14年)11月、高等試験行政科試験に合格し、1926年(大正15年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。 日本セメント(現太平洋セメント)に入社。1928年(昭和3年)東洋紡績(現東洋紡)に転じ、常務を経て1945年(昭和20年)社長に就任。1946年(昭和21年)社長を辞して東洋冷蔵を経営した。 1949年(昭和24年)望まれて三共第4代社長に就任し、人員整理と品種制限により経営を再建した。
北岡 正見(きたおか まさみ、1903年1月29日 - 19… 北岡 正見(きたおか まさみ、1903年1月29日 - 1979年1月13日)は、日本の医学者、病理学者、ウイルス学者。 富山出身。旧制第四高等学校を経て、1927年(昭和2年)東京帝国大学医学部卒業。同大第三内科入局。同大伝染病研究所入所。1941年(昭和16年)同大助教授。1947年(昭和22年)国立予防衛生研究所リケッチア・ウイルス部、1952年(昭和27年)部長。1970年(昭和45年)予研副所長、1973年(昭和48年)退官。 1934年2月東京帝国大学医学博士。論文の題は「病原性並に非病原性スピロヘータに関する研究」。 妻・安慰子は高田商会社長・高田釜吉の長女。孫は女優の髙田万由子、孫婿(高田の夫)はヴァイオリニストの葉加瀬太郎。
武部 英治(たけべ えいじ、1902年(明治35年)11月2… 武部 英治(たけべ えいじ、1902年(明治35年)11月2日 - 1973年(昭和48年)12月7日)は、昭和期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員、実業家。 武部定吉の次男。として石川県能美郡小松町東町(現小松市東町)で生まれる。第四高等学校を経て、1925年(大正14年)11月、高等試験行政科に合格。1926年(大正15年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。1926年(大正15年)、鉄道省に入省する。1944年(昭和19年)に、台湾総督府交通局鉄道部長となり終戦を迎えた。戦後、運輸省事務官を務めて退官。1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で石川県第1区から改進党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
鏑木 政岐(かぶらぎ まさき、1902年(明治35年)7月2… 鏑木 政岐(かぶらぎ まさき、1902年(明治35年)7月24日 - 1987年(昭和62年)12月27日)は、日本の天文学者。専門は恒星天文学。東京大学名誉教授。 石川県金沢市に神官の子として生まれる。旧制第四高等学校を経て、1926年(大正15年)に東京帝国大学理学部天文学科を卒業し、同学部の助手ならびに東京天文台の技手となる。 1934年(昭和9年)理学博士の学位を授与され、1934年(昭和9年)東京帝国大学理学部助教授に就任。1946年(昭和21年)東京大学理学部教授となり1963年(昭和38年)に定年退官した。1963年(昭和36年)東京理科大学理学部教授となり1973年(昭和48年)に退職。
関 外余男(せき とよお、1902年(明治35年)1月3日 … 関 外余男(せき とよお、1902年(明治35年)1月3日 - 2000年(平成12年)11月8日)は、日本の内務官僚。官選埼玉県知事、陸軍司政長官。旧姓・乾。 石川県金沢市で乾芳久の五男として生まれ、関薫の養子となる。第四高等学校を首席で卒業。1924年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し千葉県属となる。 以後、愛媛県経済部長、福井県書記官・警察部長、対満事務局行政課長、徳島県書記官・総務部長、内務省監査官などを歴任。1942年8月、陸軍司政長官に発令され、第25軍軍政監部付(スマトラ島)として、ジャンビー州長官を1944年8月末まで務めた。
伊能 繁次郎(いのう しげじろう、1901年〈明治34年〉3… 伊能 繁次郎(いのう しげじろう、1901年〈明治34年〉3月10日 - 1981年〈昭和56年〉6月12日)は、日本の運輸官僚・政治家。運輸事務次官に任じられたのち国政に転身し、参議院議員となり、防衛庁長官などを歴任した。 千葉県佐原町(現在の香取市)川岸に生まれる(ただし、本籍は同県中山村北方(現在の市川市北方)にあった)。 第四高等学校・東京帝国大学英法学科を経て、1926年(大正15年)に鉄道省入省(東鉄局書記)、1935年(昭和10年)より在外研究員として欧米各国の交通事情を調査、帰国後の1939年(昭和14年)には鉄道監察官に任じられる。 その後、1943年(昭和18年)運輸通信省書記官兼大臣官房文書室長、翌年には門司鉄道管理局長を歴任、戦後には運輸省鉄道総局長官となった。
渡辺 俊平(わたなべ しゅんぺい、1901年(明治34年)1… 渡辺 俊平(わたなべ しゅんぺい、1901年(明治34年)1月19日 - 1972年(昭和47年)11月28日)は、日本の科学者・教育者・実業家。ホトフィニ株式会社(現在の株式会社JPF)創設者。日本大学芸術学部長を務めた。 現在の東京都文京区に、父・三平と母・勝の長男として生まれる。明化小学校、豊島師範付属小学校、開成中学校、官立旧制第四高等学校を経て、東京大学工学部造兵学科を卒業し、1925年(大正14年)、財団法人理化学研究所に入所した。 理化学研究所に入所した渡辺は、理化学研究所3代目所長を務めた大河内正敏の研究室に所属し、工学士としての長年に亘る研究生活を経て、独自の多面積式録音方式および自動現像方式を発明した。
平澤 興(ひらさわ こう、1900年(明治33年)10月5日… 平澤 興(ひらさわ こう、1900年(明治33年)10月5日 - 1989年(平成元年)6月17日)は、日本の医学者。新潟県出身。専門は脳神経解剖学。京都大学教授、京都大学第16代総長などを務めた。 1900年(明治33年)新潟県西蒲原郡七穂村(のち味方村、現新潟市南区)に生まれる。 幼時より医師になることを志し、地元の小学校を卒業した後父の居た京都に独りで赴き、1912年(大正元年)に京都市立平安中学に入学、1915年(大正4年)に府立第二中学へ転校し1917年(大正6年)に卒業。同年7月、金沢の第四高等学校(金沢大学の前身)に入学、1920年(大正9年)高校を卒業し、京都帝国大学医学部に入学。
長 守善(ちょう もりよし、1900年(明治33年)5月26… 長 守善(ちょう もりよし、1900年(明治33年)5月26日 - 1971年(昭和46年)6月8日)は、日本の経済学者。中央大学名誉教授、松商学園短期大学第4代学長。 1900年、愛媛県松山市生まれ。第四高等学校から、東京帝国大学経済学部に進み、1926年に卒業した。大学院在籍ののち満鉄調査部へ勤務。ベルリン大学留学。 戦後は1948年に中央大学教授となり、経済学部長、経済学研究所長(1964年 - 1966年)などを歴任した。その間、1959年に「福祉国家イギリスの研究:その理念、形成、政策」を一橋大学に提出し、経済学博士の学位を取得。 中央大学を退職して名誉教授となり、1970年4月1日から松商学園短期大学の第4代学長に就任して、4年制大学への昇格を目指すに取り組みに着手したが、在職中の1971年6月8日に急逝した。
舟木 重彦(ふなき しげひこ、1900年(明治33年)3月1… 舟木 重彦(ふなき しげひこ、1900年(明治33年)3月15日 - 1951年(昭和26年)3月6日)は、昭和時代の日本の図書館学者。図書分類法、件名目録法の権威。 石川県金沢市にて生まれ、高知県で育つ。1924年に第四高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部文学科に入学。1927年に同学部独逸文学科を卒業。同年12月から1928年3月まで姫路高等学校講師を務めたのち、千葉高等園芸学校で英語とドイツ語の講師を勤める。1931年に帝国図書館に入り、1947年、文部省図書館職員養成所の初代所長となる。1950年に海外の図書館事業調査のため渡米し、翌年3月の帰国直後に死去。
高坂 正顕(こうさか まさあき、1900年(明治33年)1月… 高坂 正顕(こうさか まさあき、1900年(明治33年)1月23日 - 1969年(昭和44年)12月9日)は、日本の哲学者(カント哲学)。京都学派の一人。西谷啓治、高山岩男、鈴木成高と共に「京都学派四天王」と呼ばれている。 1900年、愛知県名古屋市で生まれた。第四高等学校を卒業し、京都帝国大学哲学科に進んだ。大学では、慕っていた西田幾多郎に師事し、カント哲学の研究の道に進んだ。同期には、三土興三などがいた。1923年に京都帝国大学を卒業。 卒業後は京都医科大学予科の教授に就任。兼任で三高、同志社大学、母校の京都帝国大学法学部ならびに文学部でも教鞭をとった。東京文理科大学助教授、東京商科大学、武蔵高等学校でも講師を務めた。
榊原 亨(さかきばら とおる、1899年〈明治32年〉11月… 榊原 亨(さかきばら とおる、1899年〈明治32年〉11月3日 - 1992年〈平成4年〉1月27日)は、大正末から昭和期の医学者、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、医学博士。心臓外科の創始者。 福井県福井市宝永上町生まれ。幕臣榊原職直の後裔である。開業医の長男として生まれる。第四高等学校を経て、1925年(大正14年)九州帝国大学医学部を卒業した。 金沢医科大学(現金沢大学)に赴任し副手、助手を歴任。泉伍朗教授の元で脾臓手術を行い認められる。1928年(昭和3年)泉教授と共に岡山医科大学(現岡山大学医学部)に赴任し講師に就任し、1929年(昭和4年)助教授となる。収縮性心包炎の手術に成功して名を知られた。
小笠原 道生(おがさわら みちなり、1899年(明治32年)… 小笠原 道生(おがさわら みちなり、1899年(明治32年)9月16日 - 1955年(昭和30年)11月27日)は、文部官僚。 和歌山県出身。小笠原誉至夫の長男として生まれた。旧制和歌山中学時代には野球部員として第1回および第2回の全国中等学校優勝野球大会に出場している。第四高等学校を経て東京帝国大学医学部に進み、1925年(大正14年)卒業。文部省に入り、体育官兼体育研究所技師、大臣官房体育課長を経て、体育局長となる。体育研究所長となり、戦時中に退官した。 戦後は大映監査役、同取締役、文部省厚生振興会会長、横綱審議委員を務めた。
山本 利三郎(やまもと りさぶろう、1899年4月25日 -… 山本 利三郎(やまもと りさぶろう、1899年4月25日 - 1982年5月30日)は、日本の鉄道技術者。 東京急行電鉄(大東急)から分離した後の小田急電鉄に取締役運輸担当として就任し、同社3000形電車(SE車)の開発に尽力した。また、その後の小田急電鉄の車両における思想に影響を残した。 大阪府大阪市南区(現在の天王寺区)上汐に生まれる。旧制第四高等学校を経て、1924年3月に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、鉄道省に入省。 鉄道省では電気局に配属となり、1931年までに品川電車庫、田町機関庫、東京機関庫、蒲田電車庫、国府津機関庫などの現業機関を経験する。田町機関庫では導入されたばかりのイギリス製電気機関車に故障が多く苦労したという。
佐治 孝徳(さじ たかのり、1899年(明治32年)2月20… 佐治 孝徳(さじ たかのり、1899年(明治32年)2月20日 - 1953年(昭和28年)4月1日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。台東庁長。 高知県安芸郡奈半利町に生まれる。第四高等学校を経て、1920年(大正9年)東京帝国大学法学部政治科に入学。1923年(大正12年)同大を卒業。在学中の1922年(大正11年)11月に高等試験に合格し、台湾総督府に奉職し台北州属となった。 高雄州警務課長、台北州七星郡守、新竹州内務部地方課長、台湾総督官房審議室勤務、台湾総督府事務官、台湾総督府営林所庶務課長、台北州内務部長、台中州内務部長、台東庁長、台湾総督府専売局参事・専売局庶務課長兼樟脳課長を経て、1942年(昭和17年)7月、台湾総督府専売局長に就任した。
中村 幸八(なかむら こうはち、1898年(明治31年)12… 中村 幸八(なかむら こうはち、1898年(明治31年)12月18日 - 1966年(昭和41年)11月18日)は、大正から昭和期の商工官僚、政治家。衆議院議員、特許局長官。旧姓・鈴木。位階は従三位。勲二等旭日重光章。 静岡県浜名郡笠井町(現:浜松市中央区)で鈴木幸作の三男として生まれ、のちに同郡雄踏町(現:浜松市中央区)の旧家・中村源左衛門の養子となり中村家31代当主を継承した。第四高等学校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年、農商務省に入省し特許局属に任じられ、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、特許局事務官、同審判官、同意匠課長、製鐵所参事、同労務部福利課長、大阪鉱山監督局鉱政課長、特許局事務官・庶務課長、商工書記官・鉱山局鉱政課長、仙台鉱山監督局長、福岡鉱山監督局長、特許局長官、北海軍需監理部長などを歴任し、1945年(昭和20年)に退官した。
花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)1… 花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)12月3日 - 1995年(平成7年)3月20日)は、日本の仏教学者、浄土真宗本願寺派の僧侶。東京大学名誉教授。 1898年、石川県金沢市で生まれた。第四高等学校を卒業し、東京帝国大学印度哲学科に進学。卒業後に同大学大学院に進んで日本仏教史を専攻した。 修了後は東洋大学教授に就いた。後に東京大学文学部教授、國學院大學教授を務めた。1935年、『聖徳太子御製法華経義疏の研究』で学士院恩賜賞を受賞。1942年、学位論文『勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究』を提出して文学博士号を取得。 1946年2月より、東大教授を務める一方で巣鴨拘置所の教誨師となり、東條英機ら7人のA級戦犯の処刑に立ち会った。
上田 誠一(うえだ せいいち、1898年(明治31年)11月… 上田 誠一(うえだ せいいち、1898年(明治31年)11月10日 - 1969年(昭和44年)1月7日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。 石川県出身。小学校長・上田誠文の長男として生まれる。石川県立金沢第二中学校を卒業。金沢医学専門学校中退を経て、第四高等学校を卒業。1921年10月、高等試験行政科試験に合格。1922年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。同年4月、内務省に入省し、宮城県属となり内務部地方課に配属された。 1923年2月、宮城県警視・警察部警務課長に就任。以後、同保安課長兼工場課長、兵庫県警察部保安課長、同特別高等警察課長、京都府警察部特別高等警察課長、警視庁警視・特別高等警察課長、兼外事課長、警視庁衛生部長を歴任。
三林 隆吉(みばやし りゅういち、1898年4月19日 - … 三林 隆吉(みばやし りゅういち、1898年4月19日 - 1977年2月7日)は、日本の産婦人科学者。京都大学医学部附属助産婦学校第4代校長を歴任。 基靭帯基底部に浸潤した子宮癌に対する超広汎性子宮全摘術や、子宮癌の放射線治療に回転照射術式を考案した。 石川県で生まれる。旧制第四高等学校を経て、1923年(大正12年)に京都帝国大学医学部を卒業する。新潟医科大学(現・新潟大学医学部)の講師を務め、1926年(大正15年) に助教授となる。1929年(昭和4年)医学博士を修める。1930年(昭和5年)ドイツに留学する。 帰国後、1936年(昭和11年)に新潟医科大学産婦人科の第4代教授となる。1938年(昭和13年)、京都帝国大学教授に転任。
里見 富次(さとみ とみじ、1898年〈明治31年〉3月27… 里見 富次(さとみ とみじ、1898年〈明治31年〉3月27日 - 1998年〈平成10年〉6月29日)は、日本の内務官僚。元帝都高速度交通営団理事。 鳥取県境町(現境港市)出身。里見周三の二男。 第四高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。大正13年(1924年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し福島県属となる 大正15年(1926年)7月福島県事務官に任ぜられ爾来神奈川県事務官、高知県経済部長、千葉県書記官・学務部長、文部書記官、九州地方総監府参事官、近畿地方行政事務局次長等を歴任し、昭和23年(1948年)2月帝都高速度交通営団理事に就任した。 晩年は、日本進路指導協会会長、同理事長、顧問を歴任した。
白川 一雄(しらかわ かずお、1898年(明治31年)3月2… 白川 一雄(しらかわ かずお、1898年(明治31年)3月25日 - 1957年(昭和32年)5月14日)は、大正末から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 香川県、のちの丸亀市で、白川友一の二男として生まれる。第四高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。 父の事業に携わり白川保善社専務取締役を経て、1930年(昭和5)同社長に就任。1931年(昭和6年)12月、名古屋市の三引陶器(株)の経営再建に携わり業績を回復し、1932年(昭和7年)12月、社名を白川製陶に改称して社長に就任。日本興業銀行からの要請で、合板発明家の浅野吉次郎が創業した名古屋合板(株)の経営を1932年(昭和7年)7月から引き継ぎ社長に就任した。
坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 19… 坂田 英一(さかた えいいち、1897年3月27日 - 1969年7月22日)は、石川県出身の官僚、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 衆議院議員(7期)。農林大臣(第35代)。自民党佐藤派所属。 石川県加賀市生まれ。第四高等学校を経て、1920年、東京帝国大学農学部卒業後、農商務省入省。1938年、農林省特産課長(1946年まで)。 1949年1月の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党から立候補し初当選(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・前尾繁三郎・橋本龍伍・岡崎勝男・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
山内 継喜(やまうち つぐよし、1897年(明治30年)1月… 山内 継喜(やまうち つぐよし、1897年(明治30年)1月8日 - 1973年(昭和48年)12月26日)は、日本の内務・警察官僚、政治家。官選山形県知事、陸軍司政長官、初代勝山市長。 福井県大野郡荒土村(現:勝山市荒土町境)で、山内喜一郎の長男として生まれる。第四高等学校を卒業。1920年10月、高等試験行政科試験に合格。1921年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し青森県属となる。 1923年、警視庁警視となる。以後、板橋警察署長、大塚警察署長、本富士警察署長、警視庁監察官、台湾総督府事務官、青森県書記官・警察部長、岐阜県書記官・警察部長、山口県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、京都府書記官・警察部長、愛知県書記官・総務部長などを歴任。
柏原 兵太郎(かしわばら ひょうたろう、1896年3月18日… 柏原 兵太郎(かしわばら ひょうたろう、1896年3月18日 - 1952年12月8日)は、日本の鉄道官僚。 富山県出身。農業・柏原大次郎の長男として生れる。高等小学校中退、専検合格、第四高等学校を経て、1924年4月、東京帝国大学法学部を卒業した。 1923年12月、高等文官試験行政科試験に合格。翌年3月、鉄道省に入り、成東駅長、名古屋鉄道局運輸課貨物掛長などを経て、1933年9月から1935年7月まで在外研究員として欧米各国に出張した。大阪鉄道局運輸部貨物課長、鉄道省陸運監理官、鉄道調査部書記官、関東軍司令部事務嘱託(奉天在勤)、鉄道省運輸局配車課長、企画院第2部長、鉄道監、運輸通信省自動車局長などを歴任し、1944年9月、依願免官。
伊藤 武雄(いとう たけお、1895年4月9日 - 1971… 伊藤 武雄(いとう たけお、1895年4月9日 - 1971年2月24日)は、日本のドイツ文学者。 1895年、神奈川県横須賀市生まれ。東京帝国大学文学部独文科で学び、1918年に卒業した。 卒業後は第四高等学校教授となった。戦後の1949年7月、第14代第四高等学校校長となった(1950年3月まで)。一方で、同1949年は国立学校設置法の施行による新制金沢大学が設置され、包摂されることとなったことから金沢大学教授となった。1960年に金沢大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は桃山学院大学教授として教鞭をとった。 なお、1909年生まれのドイツ文学者に名古屋大学教授を務めた伊藤武雄がいるが、全くの別人である。
遠山 信一郎(とおやま しんいちろう、1895年2月1日 -… 遠山 信一郎(とおやま しんいちろう、1895年2月1日 - 1979年6月14日)は、日本の内務官僚。 千葉県印旛郡八街村(現・八街市)生まれ。第四高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治科卒業。 1920年 内務省に入省。長野県配属。1931年 静岡県内務部地方課長。1932年3月 富山県学務部長。学務部長という職にありながら農村報徳運動の普及に力をそそぎ、飛行場建設にも幹事長として重要な役割を果たし、影のプロモーターといわれた。富山県新興報徳社など各地の報徳社の設置にも携わる。1935年1月18日 埼玉県経済部長。なお、1936年2月26日から1941年2月27日まで大日本報徳社の参事を兼ねており、1936年12月26日に設立された報徳経済学研究会では実行委員を務めていた。
東谷 傳次郎(伝次郎、とうたに でんじろう、1894年〈明治… 東谷 傳次郎(伝次郎、とうたに でんじろう、1894年〈明治27年〉12月1日 - 1987年〈昭和62年〉2月15日)は、大正・昭和期の官僚。会計検査院長を務めた。位階は従三位。 広島県安佐郡福木村(現広島市東区)で農業・東谷保五郎の三男として生まれた。専検に合格し旧制第四高等学校を卒業。1921年(大正10年)4月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格した。1922年(大正11年)2月、会計検査院に入院し同書記に任官、第三部第三課に配属された。 以後、官房総務科長、第四部第一課長、第二部第三課長、第一部第一課長、第三部第三課長などを歴任。 1942年(昭和17年)5月、南方軍司令部附に発令。
多田 不二(ただ ふじ、1893年12月15日-1968年1… 多田 不二(ただ ふじ、1893年12月15日-1968年12月17日)は、日本の詩人。 茨城県結城郡結城町(現・結城市)生まれ。江戸時代から続く医者の家系に生まれる。父は産婦人科医。旧制第四高等学校文科乙類を経て、1919年に東京帝国大学文学部心理学科を卒業。日本放送協会に勤務、松山支局長を務めた。室生犀星らの「感情」の同人となる。1917年詩話会結成に参加。20年「悩める森林」を発表。「帆船」を主宰し、第2詩集「夜の一部」を刊行したが次第に詩作から離れた。大甥は免疫学者で東京大学名誉教授の多田富雄。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
時國 益夫(ときくに ますお、1893年(明治26年)3月2… 時國 益夫(ときくに ますお、1893年(明治26年)3月23日 - 1989年(平成元年)9月1日)は、日本の実業家、技術者。キリンビール代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 第四高等学校を経て、1917年東京帝国大学工学部応用化学科卒業、キリンビール入社。1933年仙台工場長。1940年取締役。1942年取締役横浜工場長。1943年監査役。1946年監査役兼企業部長。1951年取締役。1953年常務取締役。1956年常務取締役製造部長。1958年専務取締役。1966年から代表取締役社長を務め、創業家として長年君臨した磯野長蔵亡きあとの経営を担い、ラガービールの品質本位路線などを進めた。
松沢 竜雄(まつざわ たつお、1893年(明治26年)3月9… 松沢 竜雄(まつざわ たつお、1893年(明治26年)3月9日 - 1970年(昭和45年)1月25日)は、日本の内務官僚、朝鮮総督府官僚、弁護士。 山形県飽海郡北平田村(現在の酒田市)出身。第四高等学校を経て、1919年(大正8年)に東京帝国大学法学部独法科を卒業した。三井物産に入社するが、1923年(大正12年)に高等試験行政科に合格し、内務属となる。島根県美濃郡長、同八束郡長、島根県事務官、岡山県事務官、千葉県書記官・学務部長、福井県書記官・警察部長、群馬県書記官・経済部長を歴任。1936年(昭和11年)、朝鮮総督府に転じ、農林局農務課長、総督官房外事部長を経て、1940年(昭和15年)に専売局に就任。
清水 良策(しみず りょうさく、1893年2月27日 - 1… 清水 良策(しみず りょうさく、1893年2月27日 - 1989年9月7日)は、日本の内務官僚、実業家。県知事、川崎重工業取締役。 現在の石川県七尾市出身。清水栄蔵の二男として生まれる。第四高等学校を経て、1916年、京都帝国大学法科大学政治科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入り京都府属となる。 以後、京都府理事官、栃木県学務部長、内務事務官、内務省土木局道路課長、同港湾課長、静岡県書記官・内務部長などを歴任。 1932年6月、和歌山県知事に就任。1934年11月に退任し、満州国民政部総務司長に転じた。1936年6月、徳島県知事となり、次いで、宮城県知事に異動。1940年4月、宮城県知事を辞任して退官し、川崎重工業取締役に就任し、1946年まで在任。
綿貫 勇彦(わたぬき いさひこ、1892年 - 1943年)… 綿貫 勇彦(わたぬき いさひこ、1892年 - 1943年)は、日本の地理学者。 ドイツの地理学を踏まえた地理学方法論を提起し、集落地理学の体系化と研究の深化を図った。 1892年、奈良県奈良町(奈良市)に生まれる。1920年、第四高等学校(現・金沢大学)を卒業し、東京帝国大学理学部地理学科に入学する。山崎直方・辻村太郎らの指導を受け、1923年に卒業。早くも松山高等商業学校(現・松山大学)教授および松山高等学校(現・愛媛大学)講師となる。以後8年間、松山市に在住し、野外調査に意欲を燃やすようになる。当初は、四国などの地形研究を行っていたが、次第に住民の生活に主な関心を移していき、村落の地理学的な研究において幅広い研究領域を開拓していく。
高橋 禎二(たかはし ていじ、1891年5月6日 - 195… 高橋 禎二(たかはし ていじ、1891年5月6日 - 1953年3月17日)は、日本の哲学研究者、翻訳家。 千葉県出身。東京帝国大学哲学科卒。第四高等学校教授。ドイツ文学ではシュテファン・ツヴァイクの作品などを多く翻訳した。
金森 虎男(かなもり とらお、1890年(明治23年)9月2… 金森 虎男(かなもり とらお、1890年(明治23年)9月26日 - 1957年(昭和32年)11月27日)は、日本の大正・昭和期における歯科医・医学博士。東京高等歯科医学校(現在の東京医科歯科大学)教授・東京大学教授・札幌医科大学教授。福井県出身。 1890年(明治23年)、福井県大野郡大野町(現大野市)に伊藤作四郎の四男として生まれ、1909年(明治42年)医師金森辰二郎の養子となった。1902年(明治45年)7月第四高等学校を卒業し、1916年(大正5年)12月東京帝国大学医科大学を卒業した。 養父辰二郎が東京帝国大学医科大学歯科学教室教授である石原久と大学同窓であったため石原に親しみ、虎男は歯科を志望し1916年(大正5年)12月大学卒業後同教室に入局した。
相川 俊孝(あいかわ としたか、1889年(明治22年)12… 相川 俊孝(あいかわ としたか、1889年(明治22年)12月24日 - 1940年(昭和15年)11月18日)は、大正から昭和前期の日本の詩人。 金沢大学の前身となった旧制第四高等学校を中退。室生犀星の影響を受け詩作をはじめ、1916年(大正5年)室生犀星・萩原朔太郎創刊の『感情』に同人として参加する。1920年(大正9年)には『感情同人詩集』に「懲罰」などの詩を発表。1922年(大正11年)『詩聖』に「凝視」などを発表し、1924年(大正13年)には佐藤春夫の序文を得て『万物昇天』を刊行、ほか詩誌『壺』も主宰した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山田 紹之助(やまだ つぐのすけ、1889年〈明治22年〉6… 山田 紹之助(やまだ つぐのすけ、1889年〈明治22年〉6月12日 - 没年不明)は、日本の実業家、工学者。北海道帝国大学教授。阜新製作所社長。満州炭鉱理事。衆議院議員山田喜之助の長男。 東京府の弁護士・山田喜之助の長男。1909年7月、石川県金沢の第四高等学校を卒業後、9月東京帝国大学工科大学機械工学科に進学。1912年7月、大学を卒業し、鉄道院に奉職。1913年、家督を相続した。 その後、官を辞して明治鉱業に入社した。欧米各国に留学した。1925年8月、北海道帝国大学に開設された工学部の教授(鉱山工学教室・鉱山機械学担当)に就任した。1938年3月、北海道帝国大学教授を退官して満州炭鉱株式会社の技師に転じた。
小柏 丑二(おがしわ ちゅうに、1889年(明治22年)6月… 小柏 丑二(おがしわ ちゅうに、1889年(明治22年)6月3日 - 没年不明)は、東京市区長。教育者。 石川県金沢市出身。旧制第四高等学校を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学文科大学国文科を卒業。広陵中学校教諭を務めた後、1919年(大正8年)に島根県立杵築中学校教諭となった。1922年(大正11年)、福岡高等学校教授に就任。1923年(大正12年)、群馬県立沼田中学校校長に転じ、1930年(昭和5年)からは岐阜県岐阜中学校校長を務めた。 1934年(昭和9年)、東京市に入り、教育局視学課長、同学務課長を歴任した。1939年(昭和14年)から本所区長に転じ、東京市本所高等実践女学校の校長事務取扱などを務めた。
山谷 省吾(やまや せいご、1889年5月31日 - 198… 山谷 省吾(やまや せいご、1889年5月31日 - 1982年6月5日)は、日本の聖書学者。 岡山県出身。東京帝国大学卒業。第四高等学校教授、第三高等学校教授、京都帝国大学講師、1937年(昭和12年)「パウロの神学」で京大文学博士。 1945年(昭和20年)より1951年(昭和26年)まで日本基督教団信濃町教会の牧師を務める。1955年(昭和30年)東京神学大学教授、1975年(昭和40年)東北学院大学教授。1978年(昭和53年)にキリスト教功労者を受賞。新約聖書改訳委員として口語訳聖書の完成に努めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
泊 武治(とまり たけじ、1889年(明治22年)3月25日… 泊 武治(とまり たけじ、1889年(明治22年)3月25日 - 1953年(昭和28年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選高知県知事。陸軍司政長官。 石川県出身。泊宗平の五男として生まれる。第四高等学校を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。 三井鉱山を経て、1916年、内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、北海道庁警視、警視庁警視、同理事官、島根県書記官・警察部長、徳島県書記官・警察部長、長野県書記官・警察部長、和歌山県書記官・内務部長、京都府書記官・警察部長、同内務部長、大阪府内務部長、北海道庁土木部長などを歴任。