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寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳… 寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。東邦大学医学部に脳神経外科教室を創設、初代教授を務めた。静岡市出身。「寺尾栄夫」表記も多用される。 1931年、男ばかりの3人兄弟の次男として静岡市に誕生。静岡市城内東小学校卒業。1948年、静岡県立静岡中学校4年終了で、静岡高等学校 (旧制)に入学したが、学制変更により1年で廃止。新制静岡大学文理学部プレメディカルコースに入学。2年後に東京大学医学部入学。1955年、東京大学医学部卒業。医師免許を取得、東京大学医学部附属病院第一外科・脳神経外科に入局と同時に大学院生となった。大学院在籍の間に教授の指示で、船医を経験した。
寺尾 壽夫(てらお としお、1930年(昭和5年) - 20… 寺尾 壽夫(てらお としお、1930年(昭和5年) - 2026年〈令和8年〉3月30日)は、日本の医学者。専門は脳神経内科学。帝京大学名誉教授。静岡県出身。 1930年1月、静岡県生まれ。1946年、静岡県立静岡中学校卒業。1949年、静岡高等学校 (旧制)卒業。1953年3月、東京大学医学部卒業。1954年6月、東京大学医学部冲中内科入局。1955年4月、東京大学大学院修了。1968年2月、西ドイツ留学(ヴッパータール)。1970年6月、メイヨー・クリニック(アメリカ)Research Associate。1977年11月、東京大学医学部第三内科講師、外来医長。1980年4月、帝京大学医学部第1内科教授。
諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日… 諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日本の経済史学者、神奈川大学名誉教授。ドイツを中心としたヨーロッパの経済史が専門。 静岡県静岡市生まれ。1945年旧制静岡県立静岡中学校卒業。1948年旧制静岡高等学校卒業。1952年東京大学経済学部卒業。同大学院修了、1970年「ドイツ初期資本主義研究」で経済学博士の学位を取得。 福島大学経済学部講師、助教授、1965年神奈川大学経済学部教授、1999年定年、名誉教授。
里見 元一郎(さとみ もといちろう、1928年 - )は、日… 里見 元一郎(さとみ もといちろう、1928年 - )は、日本の歴史学者、清泉女子大学名誉教授。専門は西洋中世史。 1928年、静岡県静岡市で生まれた。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、東京大学文学部西洋史学科に進学。1952年に卒業。 卒業後は教員として東京都立白鷗高等学校、東京都立深川高等学校で教鞭を執った。1964年、東海大学文学部助教授に就いた。1967年、清泉女子大学文学部キリスト教文化学科助教授に転じた。後に教授昇格。1999年に清泉女子大学を退職し、名誉教授となった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
子安 勝(こやす まさる、1927年(昭和2年)5月18日 … 子安 勝(こやす まさる、1927年(昭和2年)5月18日 - 2008年(平成20年)4月8日)は、日本の学者。専門は騒音。 1927年5月18日、岐阜県大垣市生まれ。1947年、静岡高等学校理科卒業。1950年3月、東京大学第二工学部物理工学科卒業。同年4月、小林理学研究所入所。1952年4月、東京大学理工学研究所助手。1956年7月、再び小林理学研究所に入所。1965年8月、同所主任研究員。1971年10月、同所所長。1983年10月、音響工学研究所代表取締役。1992年4月から1998年3月まで、千葉工業大学教授。 1984年から1986年まで日本騒音制御工学会会長を、1987年から1989年まで日本音響学会会長を、それぞれ務めた。
松本 三之介(まつもと さんのすけ、1926年2月22日 -… 松本 三之介(まつもと さんのすけ、1926年2月22日 - )は、日本の政治学者。専攻は近代日本政治思想史。東京大学名誉教授。 茨城県出身。旧制静岡高校を経て、1948年東京大学法学部卒業。東京大学で丸山真男に師事。 大阪市立大学法学部助教授(現准教授)を経て、1964年東京教育大学文学部教授、1975年東京大学法学部教授。退官後、駿河台大学法学部教授を歴任。丸山の近世政治思想史研究を引き継ぎ、近世国学や明治期の法思想などの分析をおこなった。東京大学における丸山の講座後継者でもあった。門下には坂本多加雄などがいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年… 世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年11月11日)は、日本の経営者、工学博士。旭化成工業社長を務めた。 三重県尾鷲市出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1948年、東京大学工学部電気工学科卒業。同年、旭化成工業に入社。研究に携わり、1973年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年6月に副社長に就任した。1985年6月に社長に昇格し、1989年6月に副会長に就任し、1993年6月からは相談役を務めた。 1974年と1978年に大河内賞、1975年と1979年に日本化学会賞、1980年に電気化学会賞、1981年に高分子学会賞、1990年4月に日本原子力学会特賞を受賞。
田口 恒夫(たぐち つねお、1924年12月21日-2005… 田口 恒夫(たぐち つねお、1924年12月21日-2005年10月11日)は、日本の医学者。 静岡県富士宮市生まれ。旧制静岡高等学校文科卒。北海道帝国大学医学部入学、即休学。志願して第15期海軍飛行専修予備学生、海軍少尉となる。1950年北海道大学医学部卒。東京大学医学部助手(整形外科)、1960年「脳性小児麻痺児童の言語障害に関する研究」で東京大学より医学博士の学位を取得。肢体不自由児施設整肢療護園医員、国立聴力言語障害センター言語課長、1963年お茶の水女子大学家政学部児童学科助教授、教授、88年定年退官、名誉教授。2003年11月瑞宝中綬章受章。没後従四位受勲。NHK「ことばの治療教室」に出演した。
吉岡 繁(よしおか しげる、1923年11月1日 - 201… 吉岡 繁(よしおか しげる、1923年11月1日 - 2017年1月26日)は、日本の牧師、実践神学者。日本キリスト改革派仙台教会牧師と日本キリスト改革派神学校校長を務める。 日本キリスト教団牧師・松尾造酒蔵は実父。双恵学園の創設者・松尾武は叔父にあたる。 神奈川県横浜市に生まれる。松尾造酒蔵と、妻・きくの次男だった。旧制静岡高等学校(1940年入学)を経て、1943年に東京帝国大学文学部に入学した。しかし、その年に学徒出陣の対象となり、10月21日の「出陣学徒壮行会」では明治神宮外苑競技場を行進した。同年、吉岡家(千代)の養子となる。吉岡千代の夫・愛(めぐむ)の父は吉岡弘毅で、三男が信時潔であった。
杉村 新(すぎむら あらた、1923年6月28日 - 202… 杉村 新(すぎむら あらた、1923年6月28日 - 2025年3月1日)は、日本の地震学・地球物理学者。火山フロント(火山前線)の概念を初めて導入した人物で、上田誠也とともに弧状列島の火山、地震、テクトニクス研究を進めた。 東京府に生まれる。父は東京文理科大学学長の杉村欣次郎。祖父は外交官の杉村濬。伯父も外交官の杉村陽太郎[要出典]。 旧制静岡高等学校を経て、東京帝国大学理学部地質学科に進学、1947年に卒業した。同年、東京大学助手となる。 1961年、「日本及びその附近における地球物理学的岩石学的諸現象の帯状配列」で理学博士の学位を東京大学より取得する。 1974年に神戸大学理学部教授となる。
三枝 正裕(さいぐさ まさひろ、1921年〈大正10年〉3月… 三枝 正裕(さいぐさ まさひろ、1921年〈大正10年〉3月4日 - 2001年〈平成13年〉10月19日)は、日本の医学者、医師。専門は心臓血管外科学。東京大学胸部外科第二代教授。東京大学名誉教授。医学博士。 1921年(大正10年)、広島県呉市に生まれる。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1945年(昭和20年)9月、東京帝国大学医学部卒業。海軍軍医(4月見習士官、9月復員)。同年10月、第二外科(都築正男教授)に入局。当時木本誠二を中心に開発が進められていた心臓外科の研究に従事、その成果が「非チアノーゼ性先天性心疾患の血行動態に関する研究」としてまとめられ、1956年(昭和31年)、医学博士。
萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2… 萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2000年12月17日)は、静岡県出身の東洋史学者。京都大学名誉教授、文学博士。 静岡県生まれ。1938年、静岡県立静岡中学校卒業。静岡高等学校 (旧制)を経て、1946年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。大学院修了後、京都大学副手となったが郷里に戻り、1950年、静岡県立教員養成所教授、静岡大学教育学部講師となった。1955年、再び京都大学に戻り、1958年、京都大学文学部講師となり、『明代満蒙史料』(京都大学文学部刊)の編纂にあたった。1962年、助教授。1977年、『明代蒙古史研究』で京都大学文学博士。1978年、京都大学文学部教授。
平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 20… 平松令三(ひらまつ れいぞう、1919年12月5日 - 2013年5月14日)は、浄土真宗の仏教学者。学位は、博士(文学)(龍谷大学・2009年、学位論文「親鸞の生涯と思想」)。 1919年(大正8年)三重県津市生まれ。静岡高等学校卒、1943年(昭和18年)京都帝国大学文学部史学科卒、同大学院修了、1946年(昭和21年)郷里の一身田郵便局に勤め局長、1980年(昭和55年)龍谷大学文学部特任教授、教授、1990年(平成2年)定年退任。2009年(平成21年)「親鸞の生涯と思想」で龍谷大学より博士(文学)の学位を取得。
松平 千秋(まつだいら ちあき、男性、1915年9月13日 … 松平 千秋(まつだいら ちあき、男性、1915年9月13日 - 2006年6月21日)は、日本の古代ギリシア文学者・西洋古典学者。多数のギリシア文学原典訳を行った。学位は、文学博士(京都大学・1962年)(学位論文「イーリアス第二歌の研究」)。京都大学名誉教授。 1915年、岐阜県生まれ。静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1938年、京都帝国大学文学部文学科言語学専攻卒業。1941年、同大学大学院を修了、同大講師。1947年から助教授。1958年、京都大学教授。1962年、「イーリアス第二歌の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。1979年、停年退官、名誉教授。その後も光華女子大学や京都産業大学で教鞭を執った。
鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6… 鴫谷 亮一(しぎや りょういち、1914年 - 1989年6月21日)は、日本の医学者、医師。専門は循環器内科。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校理科乙類、東京帝国大学医学部卒業。1974年まで群馬大学医学部第二内科(循環器内科)教授。東海大学医学部教授、国立横浜病院院長を歴任。 新谷家は戦国期に今川氏勢力下の駿河国に来住、5代目述賢の頃に新谷を鴫谷姓に改め郷士となり、医術を甲斐国の徳本に学び、代々業とした。江戸幕末期の鴫谷一元(14代)は、兵太夫新田(現藤枝市内)の村松良元に医科修業、田中藩の御典医でもあったと伝えられる。この一元は1876年(明治9年)に隠居別家し、自らは代々定住の子持坂村(現藤枝市内)から近隣の横内村へ転居、医業を継続した。
松本 達郎(まつもと たつろう、1913年11月2日 - 2… 松本 達郎(まつもと たつろう、1913年11月2日 - 2009年2月7日)は、日本の地質学者。 1913年、東京府東京市小石川区で心理学者・松本亦太郎の三男として生まれた。旧制静岡高等学校に入学し、在学中に地学を今野円蔵から学んだ。1933年、高等学校を卒業して東京帝国大学理科大学地質学科に進んだ。大学では小林貞一に師事。1936年に卒業論文『九州大野川盆地の地史学的研究』を提出して卒業し、同大学大学院に進んだ。大学院在学中は小林貞一のアメリカ留学と重なったため、その間併任となっていた東北帝国大学の矢部長克の指導を受けた。 1936年、九州帝国大学理学部助教授に就いた。1944年、英文執筆した学位論文『日本白亜系層序の基礎的研究』を東京帝国大学に提出し、理学博士号を取得。
斎藤 錬一(さいとう れんいち、1913年 - 1983年1… 斎藤 錬一(さいとう れんいち、1913年 - 1983年10月31日)は、日本の気象学者。理学博士。 1913年、静岡県生まれ。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校理科甲類、東北帝国大学理学部物理学科卒業。札幌気象台予報課長・観測課長、気象庁海上気象課長、気象庁統計課長、気象庁予報課長、福岡管区気象台長、気象庁観測部長、気象庁予報部長、気象大学校講師。(判明分) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
三宅 静雄(靜雄、みやけ しずお、1911年(明治44年)2… 三宅 静雄(靜雄、みやけ しずお、1911年(明治44年)2月26日 - 1999年(平成11年)7月31日)は、日本の物理学者。専門は結晶物理学。東京大学物性研究所第3代所長。東京大学名誉教授。岡山県岡山市生まれ。位階は正四位。 静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1933年(昭和8年)、東京帝国大学理学部物理学科卒業。同年3月、理学部助手、1934年(昭和9年)、理化学研究所研究生、1940年(昭和15年)、小林理学研究所研究員、1942年(昭和17年)、理学博士(東京帝国大学)。1949年(昭和24年)東京工業大学教授、1957年(昭和32年)東京大学物性研究所教授、1965年(昭和40年)、同所長、1971年(昭和46年)定年退職、東京大学名誉教授。
松下 清夫(まつした きよお、1910年3月 - 2003年… 松下 清夫(まつした きよお、1910年3月 - 2003年5月5日)は、日本の建築構造学者。東京大学名誉教授。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1935年に東京帝国大学工学部建築学科を卒業。東京大学では木構造の講座などを担当。1970年からは東京理科大学教授併任。日本建築学会構造標準委員会主査など歴任。義父は師の内田祥三。専門は木造建築のほか免震構造など多数。主な構造設計に科学技術館、広島平和記念資料館、損保ジャパン日本興亜本社ビル、千葉県自治会館など。1989年、日本建築学会賞大賞受賞。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
中嶋 敏(なかじま さとし、1910年1月9日 - 2007… 中嶋 敏(なかじま さとし、1910年1月9日 - 2007年6月24日)は、日本の東洋史学者。東京教育大学名誉教授。 1910年、石川県生まれ。1927年、旧制静岡県立静岡中学校卒業。1930年、旧制静岡高等学校卒業。東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。東方文化学院研究員、民族研究所を経て、東京高等師範学校、東京教育大学教授、大東文化大学教授。東京教育大学名誉教授、東洋文庫研究員・評議員。 2007年6月24日、心筋梗塞のため死去。
松丸 志摩三(まつまる しまぞう、1907年8月19日 - … 松丸 志摩三(まつまる しまぞう、1907年8月19日 - 1973年11月7日)は、日本の農民教育家・農業評論家・畜産学者。詩人・社会運動家・元共産党員のぬやま・ひろし(西沢隆二)は実兄。 西沢吉治・松丸みつの三男として神戸に生まれる。長兄・基一、次兄・隆二。 台町小学校から深川八丁堀の小学校に転校、麻布中学を経て旧制静岡高等学校理科を卒業。 1925年、父親の事業の破産に遭い、両親が八丈島に移住したのにつれて移住。 1932年、東京帝国大学農学部獣医学科を卒業。卒業と同時に松丸姓を継ぐ。すぐに朝鮮に渡り、全羅北道で農林学校の教諭を1年余り務めたのち、朝鮮総督府畜産技師となり、1940年、畜産課長となる。
平山 行三(ひらやま こうぞう、1906年 2月27日– 1… 平山 行三(ひらやま こうぞう、1906年 2月27日– 1992年4月28日)は日本の法制史学者。 東京府東京市牛込区払方町の、海軍教授や海軍大学校教官を務めた平山順の三男として生まれる。父の弟である叔父に天文学者の平山信がいる。祖父の平山銓は旧幕臣であった。1924年に東京高等師範学校附属中学校を卒業。1928年に静岡高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1931年に卒業。卒業論文は「守護地頭制度の崩壊」。徳川林政史研究所研究員、和歌山県立日高高等女学校教諭、和歌山青年師範学校教諭を経て、1949年に和歌山大学助教授、1952年に同大学教授。1971年に退官し、同大学名誉教授。
稲村 松雄(いなむら まつお、1905年1月28日 - 19… 稲村 松雄(いなむら まつお、1905年1月28日 - 1996年11月12日)は、日本の英語教育学者。 東京府八王子に織染工場の子として生まれる。静岡高等学校卒業、1929年東京帝国大学文学部英文科卒業。1931年静岡高等学校教授、1950年静岡大学教授、1952年学習院大学教授、1975年定年、名誉教授。1974年『ランダムハウス英和大辞典』で日本翻訳出版文化賞受賞。
小川 太郎(おがわ たろう、1904年(明治37年)12月 … 小川 太郎(おがわ たろう、1904年(明治37年)12月 - 1986年(昭和61年))は、日本の刑務官、行刑学者。 茨城県竜ケ崎生まれ。旧制静岡高等学校卒、1929年東京帝国大学経済学部卒、1931年京都府警部補、1932年司法省看守長、1936年府中刑務所典獄補、1938年滋賀刑務所長、1940年司法事務官、1942年司法書記官、1948年法務庁成人矯正保護局長、1949年関東地方成人矯正保護委員会委員長、1954年関東医療少年院長、1958年法務総合研究所第二部長、1958年アジア極東犯罪防止研修所次長、1965年「保護観察を基点とした保安処分」で東大法学博士。19966年亜細亜大学法学部教授、1970-75年法学部長、1975年学校法人亜細亜学園理事、1982年亜細亜大を定年退任。
塚本 憲甫(つかもと けんぽ、1904年9月16日 - 19… 塚本 憲甫(つかもと けんぽ、1904年9月16日 - 1974年6月7日)は日本の医学者。専門は放射線医学。国立がんセンター総長を務めた。 東京府で塚本道遠、塚本ハマの三男として生まれる。旧制静岡高校卒業。静岡高校時代以来の親友に長沼弘毅がいる。1927年東京帝国大学医学部に入学。1928年憲甫は年子(旧姓小林)と結婚。1929年10月29日長女ルリ子が生まれる。1931年4月、憲甫、東大臨床医学修了。稲田龍吉の内科医局に在籍した後、癌研究会附属病院の放射線科に入りがんの放射線治療にあたる。戦後茅誠司らの薦めで放射線医学総合研究所の二代目所長となる。1967年、久留勝の引きで国立がんセンター病院長となり、久留の後任として国立がんセンター総長となるが、自身ががんに罹り1974年6月7日総長在職のまま死去。
三輪清三(みわ せいぞう、1903年 - 1989年9月18… 三輪清三(みわ せいぞう、1903年 - 1989年9月18日)は日本の内科医、医学者。千葉大学名誉教授。元千葉大学医学部附属病院長。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校を経て、静岡高等学校 (旧制)卒業。1931年(昭和6年)、千葉医科大学卒業、第一内科に入局。国立千葉病院副院長を経て、1955年(昭和30年)、第一内科教授。1963年(昭和38年)、千葉大学医学部附属病院長、同看護学校長を併任。1969年(昭和44年)退官。1971年(昭和46年)、君津中央病院長。 消化器を中心に腎臓、血液、神経、感染症など幅広く診療した。個人の創意を尊重、自由な研究を推進し、その結果、有為の人材が生まれ育ったと言われ、門下から医学教育の教授職者が十指を超えた。
塚原 政次(つかはら せいじ、1872年10月16日(明治5… 塚原 政次(つかはら せいじ、1872年10月16日(明治5年9月14日) - 1946年(昭和21年)10月24日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の教育心理学者。文学博士。 兵庫県出身。1897年(明治30年)、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。1901年(明治34年)からドイツ・アメリカ合衆国に留学し心理学を研究した。帰国後、広島高等師範学校教授、文部省督学官、静岡高等学校長、東京高等学校校長を歴任した。1934年(昭和9年)より広島文理科大学学長・広島高等師範学校校長を務めた。
野櫻 俊一(のざくら しゅんいち、?- 2011年7月26日… 野櫻 俊一(のざくら しゅんいち、?- 2011年7月26日)は、日本の化学者。専門は高分子化学。大阪大学名誉教授。理学博士。野桜俊一とも表記される。 旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1946年(昭和21年)、大阪大学理学部化学科卒業。東洋精機に在職(1946年〜1949年)。1955年(昭和30年)、大阪大学理学部助手。講師、助教授を経て、1971年(昭和46年)、大阪大学理学部高分子学科教授。1985年(昭和60年)、「ビニル重合体の構造と反応に関する研究」で高分子科学功績賞受賞。同大大学院理学研究科教授を経て、大阪大学名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。