大泉 光一(おおいずみ こういち、1943年9月2日 - )… 大泉 光一(おおいずみ こういち、1943年9月2日 - )は、日本の国際関係論学者、青森中央学院大学名誉教授。 長野県諏訪市生まれ。宮城県柴田郡大河原町で育つ。メキシコのインスティテュート・デ・エストゥディオス・ウニベルシタリオス経営大学院修了。1999年国際関係学博士(日本大学)。 危機管理、国際テロなどが専門だが、支倉常長について長く研究をしており、田中英道の『支倉常長』を捏造だと批判して、田中と論争になった。「支倉は徳川幕府打倒のために派遣された」という説を唱えているが、歴史学界では荒唐無稽の説と無視されている。[要出典]
中台 良男(なかだい よしお、1943年〈昭和18年〉9月1… 中台 良男(なかだい よしお、1943年〈昭和18年〉9月1日 - )は、日本の政治家、元千葉県四街道市長(1期)。千葉県議会議員(4期、自由民主党)。 千葉県印旛郡旭村(のち四街道町、現・四街道市)出身。千葉県立市川工業高等学校卒。卒業後は日立製作所に入り、その後、総日機電(株)に移る。後に退社し、石油販売業を始め、有限会社なかだいを創立し、代表取締役となる。ほか四街道市商工会会長、市社会教育委員長などを務める。 自民党に入り、1976年四街道町議会議員に当選。四街道市議会議員を5期務め、議長となる。その後千葉県議会議員を2期務める。1996年、四街道市長小川進の死去に伴う市長選挙に立候補し、当選する。
吉本 直志郎(よしもと なおしろう、1943年(昭和18年)… 吉本 直志郎(よしもと なおしろう、1943年(昭和18年)9月1日 - )は、日本の作家。 子供たちを中心に描いた物語のほか、歴史を題材にした作品などを手がける。 福岡県生まれ、広島県広島市育ち(満1歳から)。11歳の時、原爆孤児のための養護施設「広島戦災孤児育成所」(佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区))に入所。広島県立広島国泰寺高等学校卒業までここで過ごす。 1978年に同所の体験をもとにした『青葉学園物語 右向け、左!』を発表し、児童文学作家としてデビュー。同作は日本児童文学者協会新人賞受賞、ベストセラーとなりシリーズ化、1981年市毛良枝主演で映画化もされた。 1981年に川村たかし、那須正幹ら児童文学者とともに児童文学創作集団・亜空間を結成し、同人誌『亜空間』を創刊した。
藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の… 藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員、二紀会副理事長。早稲田大学栄誉フェロー、名誉教授、維持員。広島大学名誉博士。府中市美術館館長。
内保 博仁(うちほ ひろひと、1943年〈昭和18年〉9月1… 内保 博仁(うちほ ひろひと、1943年〈昭和18年〉9月1日 - )は、日本の政治家。三重県伊賀市長(1期)。 龍谷大学文学部卒。阿山郡阿山町(現・伊賀市)役場に入り、総務課長など務めた。1997年(平成9年)、阿山町長に当選した。2001年(平成13年)、再選を果たした。2004年(平成16年)11月1日、阿山町は上野市などと合併し、伊賀市が発足。助役に就任した。 2008年(平成20年)の市長選挙に無所属で立候補し、新人2人を破って当選した。 ※当日有権者数:79,075人 最終投票率:56.23%(前回比:-pts) 11月21日に就任した。2012年(平成24年)の選挙には立候補しなかった。
松田 博文(まつだ ひろふみ、1943年8月31日 - )は… 松田 博文(まつだ ひろふみ、1943年8月31日 - )は福岡県出身の日本の柔道家。身長162cm。得意技は背負投、内股。 嘉穂高校から関西大学進学後、1964年東京オリンピックの軽量級代表候補になるも今一歩のところで代表にはなれなかった。しかし1965年の世界選手権軽量級では優勝を果たした。その後フランス柔道連盟に招聘されて、一時期フランスで柔道を教えていた。帰国後は東レデュポンに所属していた。1967年の世界選手権中量級で優勝した丸木英二とは大学時代に同級生だった。
野上 暁(のがみ あきら、1943年8月31日 - 、本名:… 野上 暁(のがみ あきら、1943年8月31日 - 、本名:上野明雄)は、日本の児童文学・文化評論家。 東京都生まれ。太平洋戦争で疎開先の長野県飯山市で育つ。中央大学卒業。小学館に勤務、『小学一年生』編集長、児童図書、一般図書担当編集部長などを経て、同社取締役、小学館クリエイティブ代表取締役社長を歴任。藤子不二雄の『パーマン』などを担当。 白百合女子大学児童文化学科、東京成徳大学子ども学部講師などを歴任。東京純心大学現代文化学部こども文化学科客員教授。日本ペンクラブ常務理事、「子どもの本」委員長。日本児童文学学会会員。「鬼ケ島通信」編集長。
伊藤 弘昌(いとう ひろまさ、1943年8月31日 - ) … 伊藤 弘昌(いとう ひろまさ、1943年8月31日 - ) は、日本の工学者。専門は電子工学。東北大学名誉教授。元電子情報通信学会エレクトロニクスソサイエティ会長。東北日米協会会長。 東京都生まれ。海軍技術研究所の無線技術者であった伊藤庸二の四男。兄に、千葉県御宿町長をつとめた伊藤治昌、ハーモニック・ドライブ・システムズ代表取締役会長の伊藤光昌などがいる。 1966年東北大学工学部通信工学科卒業。1971年米澤記念学術奨励賞受賞。1972年東北大学大学院工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士。同年東北大学電気通信研究所助手。1875年日本学術振興会海外長期派遣研究員としてスタンフォード大学客員研究員に就任。
庄司 捷彦(しょうじ かつひこ、1943年8月30日 - )… 庄司 捷彦(しょうじ かつひこ、1943年8月30日 - )は、日本の弁護士・詩人。仙台弁護士会所属。自由法曹団所属。
佐々木 宏一郎(ささき こういちろう、1943年8月30日 … 佐々木 宏一郎(ささき こういちろう、1943年8月30日 - 1989年5月22日)は、岐阜県揖斐郡池田町出身のプロ野球選手(投手)・解説者。 史上11人目の完全試合達成者。 1960年代後半から1970年代前半にかけての近鉄バファローズにおいて、アンダースローの技巧派として鈴木啓示・清俊彦と共に主力投手の1人として活躍した。 岐阜短大付属岐阜では、1960年秋季中部大会県予選準決勝に進むが、県岐阜商に敗退。 1961年夏の甲子園県予選でも準決勝に進出するが、またも県岐阜商に敗れた。 1962年、大洋ホエールズにテスト入団。120人の応募者の中で唯一のテスト合格者であり、1年目から早速一軍での登板機会があった。
田代 洋一(たしろ よういち、1943年8月30日 - )は… 田代 洋一(たしろ よういち、1943年8月30日 - )は、日本の農業経済学者。学位は、経済学博士(論文博士・1995年)(学位論文「農地政策と地域」)。横浜国立大学名誉教授。前大妻女子大学教授。 千葉県生まれ。1966年東京教育大学文学部卒、農水省入省。林野庁、農業総合研究所海外部、九州支所、1975年横浜国立大学経済学部助教授、1985年教授、1995年「農地政策と地域」で京都大学より経済学博士の学位を取得。横浜国立大学経済学部長をへて2008年定年退任、名誉教授、大妻女子大学社会情報学部教授。2016年退任。 1981年日本農業経済学会賞、1985年NIRA東畑賞受賞。
樽井 眞邦(たるい まさくに、1943年8月29日 - 20… 樽井 眞邦(たるい まさくに、1943年8月29日 - 2003年4月23日)は、兵庫県津名郡志筑町(現・淡路市志筑)出身の写真家(日本写真家協会会員)。 奈良大和路写真の大家、入江泰吉に師事。入江の助手時代に京都・奈良の仏像を知り、淡路島の東山寺、成相寺の仏像を撮影。帰島後、兵庫県立淡路文化会館で個展開催。水門会展(入江泰吉の同門会)に毎回出展。2003年に急逝するまで、写真作家として風景写真を中心に、主に淡路島の写真を撮り続ける(急逝する前日にも撮影に出かけていた)。 晩年はオリジナルプリントにこだわり、撮影からプリントまで一貫して自分で行い、自分の納得いく作品作りを追求した。
土居 安邦(どい やすくに、1943年8月29日 - )は、… 土居 安邦(どい やすくに、1943年8月29日 - )は、日本の経営者。UFJ信託銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1966年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に東洋信託銀行に入行。 1993年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、2000年5月に専務を経て、2002年1月にUFJ信託銀行社長に就任。2004年6月を以って、社長を退任。
大内 博(おおうち ひろし、1943年8月29日ー2013年… 大内 博(おおうち ひろし、1943年8月29日ー2013年2月14日)は、日本の英語教育学者、翻訳者。 福島県生まれ。上智大学外国語学部英語学科卒業後、米国政府のハワイ大学東西文化交流センター留学生として米国留学、第二言語としての英語教育修士課程修了。玉川大学文学部助教授、92年教授。定年前に退職し山中湖畔に家族と過ごしていた。「Let's Enjoy English」に1980,81年出演。スピリチュアルに帰依して多くの翻訳を行った。
牧原 憲夫(まきはら のりお、1943年〈昭和18年〉8月2… 牧原 憲夫(まきはら のりお、1943年〈昭和18年〉8月29日 - 2016年〈平成28年〉7月20日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史(特に明治時代の民衆史・社会史)。東京都出身。 1979年、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。1997年、東京経済大学経済学部専任講師となり、2002年に助教授。2004年、同大全学共通教育センター長。2007年3月に依願退職し、同大非常勤講師となった。 この項目は、歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
橋本忠夫(はしもとただお、1943年8月28日-)は多摩大学… 橋本忠夫(はしもとただお、1943年8月28日-)は多摩大学大学院客員教授、ライフパース代表、日本ロジスティクスシステム学会評議員。元サントリー食品工業社長、サントリー取締役。工学博士。 現在、奨学事業・ソーシャルアントレプレナー支援を行う、公益財団法人丸和育志会理事長を務める。
小泉 武夫(こいずみ たけお、1943年8月27日 - )は… 小泉 武夫(こいずみ たけお、1943年8月27日 - )は、日本の農学者、発酵学者、文筆家。東京農業大学名誉教授(農学博士)。専門は、発酵学、食品文化論、醸造学。 福島県小野町の造り酒屋で、6人きょうだいの末っ子として生まれた。幼少時は走り回って囲炉裏の灰に突っ込んだこともあるほどヤンチャで、火傷を防ぐため祖母が柱に帯でつないだこともあったが、右手に身欠き鰊、左手に味噌を持たせると泣き止み、それらをしゃぶっている間は大人しかったという。実家には家族や従業員ら毎食20人分を用意する大きな台所があり、小学生の頃には鰹節を削ったり、ぬか床の手入れをしたりしていた。小学校4年の時、母が亡くなり落ち込んでいたのを見た父から、寂しさを紛らわさせるため専用の台所と調理用具一式を与えられ、料理にのめり込んだ。
菅 良二(かん りょうじ、1943年(昭和18年)8月27日… 菅 良二(かん りょうじ、1943年(昭和18年)8月27日 - )は、日本の政治家。愛媛県今治市長(3期)、愛媛県議会議員(2期)、大三島町長(2期)、大三島町議会議員(5期)等を務めた。 愛媛県今治市大三島町生まれ。愛媛県立今治南高等学校、第一薬科大学薬学部卒業。薬剤師免許を取得している。 製薬会社での勤務を経て、大三島に帰郷し薬局を開業。1977年、大三島町議会議員選挙に出馬し、初当選。以後5期連続当選。 5期目の任期途中で町議を辞職し、菅省三町長死去に伴い1996年に行われた大三島町長選挙に立候補し初当選。2000年の大三島町長選挙でも再選を果たした。 町長時代には伯方塩業の誘致実現やラントゥレーベン大三島(滞在型農園施設)の整備等を手がけた。
伊達 勝身(だて かつみ、1943年〈昭和18年〉8月26日… 伊達 勝身(だて かつみ、1943年〈昭和18年〉8月26日 - )は、岩手県下閉伊郡有芸村(現岩泉町)出身の実業家、政治家。岩泉産業開発・岩泉乳業(現岩泉ホールディングス)各代表取締役会長、元岩泉町長(5期)。 1970年(昭和45年)、早稲田大学社会科学部卒業、田野畑村役場に入職。 田野畑村産業開発公社、岩泉町産業開発公社専務理事を経て、1999年(平成11年)岩泉町長に初当選した。2015年(平成27年)、無投票で5選を果たした。 2016年(平成28年)8月に台風10号が岩手県に上陸した際、町としての対応が批判された。8月30日午前9時、伊達は町内全域に避難準備情報を出し、午後2時には町役場の北側の地区に避難勧告を発令したが、東側地区には避難指示や勧告を出さなかった。
林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002… 林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002年7月13日)は、日本のアナウンサー。 東京府深川区(現在の東京都江東区)出身。TBS編成局アナウンス部副理事。 東京都立第三商業高等学校卒業後、三菱地所に入社。退職後、早稲田大学に入学。卒業後、1967年4月、TBSにアナウンサーとして入社。ラジオ『パックインミュージック』のDJを担当。デビュー前の荒井由実(後の松任谷由実)や、おすぎとピーコを紹介し、若者たちの人気を得る。その後『夜はともだち』『夜はこれから』などを担当。1994年社会情報局アナウンスセンター専任部長を経て、2001年編成局アナウンス部副理事。TBSの放送終了時に流れる「こちらはTBS、東京放送です」とのステーションコールを担当するなどTBSを代表するアナウンサーとして知られた。
光本 幸子(みつもと さちこ、1943年8月25日 - 20… 光本 幸子(みつもと さちこ、1943年8月25日 - 2013年2月22日)は、日本の女優。身長162cm。 東京都出身。上野学園高等学校音楽科を1962年に卒業。幼年より舞踊家の六代目藤間勘十郎に師事。勘十郎と親交のあった初代水谷八重子の目に留まり新派入りし、明治座の舞台『望郷の歌』(1955年)にて子役デビュー。 1969年、『男はつらいよ』初代マドンナ・冬子役に起用され、映画初出演。 結婚(明治座社長と結婚するも、28年後に離婚)・育児による休業を挟むも、1984年5月に舞台『陽暉楼』(新橋演舞場)で復帰。 復帰後は舞台を中心とした活動だったが、テレビドラマや映画に時折出演していた。復帰後の一時期、光本采雉子と改名していた。
愛宕 元(おたぎ はじめ、1943年8月25日 - 2012… 愛宕 元(おたぎ はじめ、1943年8月25日 - 2012年1月2日)は、中国史学者。文学博士(1993年)。京都大学名誉教授、帝京大学教授。 1943年、東洋史学者・愛宕松男の子として京都府で生まれた。京都大学文学部史学科で東洋史学を学び、1967年に卒業。同大学大学院に進み、1970年に博士課程を中退。 その後、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1974年より教養部講師、助教授、1992年より教授。1993年、学位論文『唐代地域史研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。京都大学大学院人間・環境学研究科教授に異動となり、2007年に京都大学を定年退職。名誉教授となった。退任後2008年からは帝京大学教授を務めた。
津村 鷹志(つむら たかし、1943年8月25日 - )は、… 津村 鷹志(つむら たかし、1943年8月25日 - )は、日本の俳優、声優。本名及び旧芸名は津村 秀祐(つむら ひですけ)。身長172cm。父親は元朝日新聞記者で映画評論家の津村秀夫。法学博士津村秀松は祖父。叔父は詩人の津村信夫。 東京都港区出身。学習院高等科、 慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。 大学卒業後、出版社に勤めるが間もなく退社。 1968年に劇団雲に入団。同年、松竹映画『爽春』で映画デビュー。1969年、『天と地と』でテレビドラマデビュー。1973年、『ウルトラマンタロウ』にレギュラー出演。 1975年、劇団雲の分裂に伴い演劇集団 円に参加。1979年の『草燃える』へのゲスト出演がきっかけとなり、『瀬戸内少年野球団』以降は篠田正浩監督の作品に常連出演するほか、個性派俳優として活動。
澤田 善次郎(さわだ ぜんじろう、1943年8月25日 - … 澤田 善次郎(さわだ ぜんじろう、1943年8月25日 - )は、日本の経営学者(専門は生産管理、経営管理)。経済学博士(九州大学)。技術士、中小企業診断士。 愛知県生まれ。名古屋工業大学卒業。椙山女学園大学教授。日本生産管理学会副会長、標準化研究学会会長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
神田 翠月(かんだ すいげつ、1943年8月24日 - 20… 神田 翠月(かんだ すいげつ、1943年8月24日 - 2020年12月2日)は、講談師。本名:遠藤 朝子。 静岡県浜松市有玉南町生まれ。浜松市立積志中学校、静岡県立浜名高等学校卒業。 歌手を目指し上京後、1968年2月、田辺一鶴に弟子入り「小鶴」。女流講談師の草分けの一人。1971年3月二ツ目昇進。1976年5月真打昇進「はまな翠月」。 1979年神田山陽(2代目)門下に移る。 1980年9月「神田翠月」と改名。 講談協会副会長・常任理事兼監査役などを歴任。師の山陽が日本講談協会に移っても講談協会にとどまった。 2020年12月2日、がんのため千葉県船橋市の病院で死去。葬儀は近親者のみで執り行われた。
西谷 敏(にしたに さとし、1943年(昭和18年)8月24… 西谷 敏(にしたに さとし、1943年(昭和18年)8月24日 - )は、日本の法学者。法学博士(学位論文「ドイツ労働法思想史論 集団的労働法における個人・団体・国家」)。名誉法学博士(フライブルク大学・2004年)。大阪市立大学名誉教授。元民主主義科学者協会法律部会理事。兵庫県神戸市出身。 専門は労働法・ドイツ労働法だが、特に労働組合法を研究している。 Vergleichende Einführung in das japanische Arbeitesrecht, Carl Heymanns Verlag, 2003
田村 浩章(たむら ひろあき、1943年〈昭和18年〉8月2… 田村 浩章(たむら ひろあき、1943年〈昭和18年〉8月24日 - )は、日本の経営者。やまぐち産業振興財団理事長、元宇部興産(現・UBE)取締役会長。 1943年(昭和18年)8月24日、東京都の目黒海軍病院で軍医の息子として産まれる。1歳より母方の故郷である熊本県八代市で育つ。熊本県立熊本高等学校、京都大学工学部機械工学科を経て、1966年(昭和41年)に宇部興産(現・UBE)へ入社。なお、同期の入社には、辻卓史(鴻池運輸会長)、前田高行(中東経済研究者)などがいる。1997年(平成9年)に同社取締役建設資材事業本部セメント生産統括部長に就任し、以降、同社常務取締役、同社専務執行役員建設資材カンパニープレジデント、同社取締役(専務待遇)、専務執行役員社長補佐を歴任する。
江見 弘武(えみ ひろむ、1943年8月24日 - 2019… 江見 弘武(えみ ひろむ、1943年8月24日 - 2019年4月13日)は、日本の裁判官。岡山県出身。兵庫県立神戸高等学校を経て、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東京高等裁判所部総括判事などを経て、2007年より高松高等裁判所長官を務め、2008年8月23日、定年により退官。弁護士(第一東京弁護士会所属)として、大江橋法律事務所東京事務所カウンセル。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
小林 英夫(こばやし ひでお、1943年8月24日 - )は… 小林 英夫(こばやし ひでお、1943年8月24日 - )は、日本の歴史学者・経済学者。早稲田大学自動車部品産業研究所顧問、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科名誉教授。専門は東アジア経済論および植民地経済史の研究。 東京生まれ。1966年東京都立大学経済学部卒業。1971年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了後、同経済学部助手。1973年駒澤大学経済学部教授(-1997年)。1978年 文学博士(東京都立大学)。1997年早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授、2014年定年退職。 第二次世界大戦以前における帝国日本の東アジア支配の研究や、近現代日本の社会経済史で戦後の日本の経済発展の研究をしている。
宮本 悦子(みやもと えつこ、1943年8月23日 - )は… 宮本 悦子(みやもと えつこ、1943年8月23日 - )は、日本の陸上競技(短距離走)選手。1964年東京オリンピックで女子400メートルリレー走に出場した。 出身高校は西遠女子学園高等学校(静岡県浜松市)。同校は「陸上の西遠」の名で呼ばれた陸上競技の強豪校であった。1961年のインターハイでは、100m走と200m走で優勝した。 中京大学に進学。1964年5月10日の神奈川県選手権大会の100m走で11秒8(手動計時)を記録、これは当時の日本学生記録であり、また生涯ベストタイムとなっている。1964年7月の日本陸上競技選手権大会では100m走で優勝。同年10月に開催された1964年東京オリンピックでは、400mリレー(井口任子・江副令子・宮本悦子・依田郁子)の第三走者を務めたが、予選突破はかなわなかった。
土井 肇(どい はじめ、1943年8月23日 - )は、日本… 土井 肇(どい はじめ、1943年8月23日 - )は、日本の実業家、馬主。 愛知県名古屋市に本社を置く証券業の大万証券株式会社の取締役会長を務める。 1943年、愛知県出身。1966年3月に甲南大学卒業後、土井商事株式会社に入社し取締役、1967年3月に系列会社の大万証券株式会社社長就任。1975年1月に大万証券社長を辞任し土井商事副社長、1979年11月に大万証券会長、1982年に土井商事社長に就任。2000年7月、大万証券の岡崎支店における損失補填に係る不祥事の発生に伴い社長の近藤忠が引責辞任したため土井が社長に復帰。2001年6月、社長後任に駒田博明の昇格を決定し土井は再度会長へ就任した。
嶋 正利(しま まさとし、1943年8月22日 - )は、日… 嶋 正利(しま まさとし、1943年8月22日 - )は、日本のマイクロプロセッサアーキテクト。
里見 進(さとみ すすむ、1943年8月21日 - )は、群… 里見 進(さとみ すすむ、1943年8月21日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。現姓は夏目。 群馬県立富岡高等学校から1962年に毎日大映オリオンズへ入団。戦力としては「4番手捕手」と扱われていたが、実際には当時の主力投手(小山正明、木樽正明、成田文男)の投球をブルペンで受けることが多く、練習では強打で鳴らした主力打者(江藤慎一、山崎裕之、有藤通世、ジョージ・アルトマン、アルト・ロペスなど)を相手に打撃投手も務めていた。 NPBが1970年のシーズン終了後に(「加盟全12球団の戦力の均等化」を目的にドラフト会議と同じ要領で)プロ野球選抜会議(トレード会議)を始めるに際して、1球団が保有する支配下登録選手の20%に当たる指名対象選手リストへ掲載されたところ、第1回選抜会議の3巡目で南海ホークスから指名された。
五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月2… 五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月21日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、日本の体育学者、アマチュア野球指導者。 1943年(昭和18年)に東京都で生まれるが、太平洋戦争激化の影響により一家で長野県更級郡篠ノ井町(現在の長野市篠ノ井地区)へ疎開し、幼年時代を過ごす。小学校入学の際に東京へ戻り、大田区立羽田小学校へ入学。小学校・中学校と野球に熱中する。 中学校3年時に進学先を決める際に、東京都と神奈川県の高等学校をリサーチし、「高校で野球をやるんなら甲子園へ行きたい」と思い、「法政二高の田丸仁監督は素晴らしい指導者であると言うので、ここへ行こう」と思い法政大学第二高等学校への進学を決めたという。
山口 範雄(やまぐち のりお、1943年8月20日 - )は… 山口 範雄(やまぐち のりお、1943年8月20日 - )は、日本の実業家。第11代味の素株式会社代表取締役社長、同社代表取締役会長、経団連審議員会副議長、消費者庁参与等を務めた。 東京都出身。東京都立西高等学校を経て、1967年東京大学文学部卒業、味の素入社。 人事などを経て、1991年から調味料部長を務めた。1997年取締役に昇格。2000年味の素冷凍食品取締役副社長。2001年味の素常務取締役。2003年代表取締役専務。2005年代表取締役社長。2009年代表取締役会長。2012年消費者庁参与。2015年味の素特別顧問。日本能率協会会長、経団連審議員会副議長、発明推進協会会長なども務めた。
中村士(なかむら つこう、1943年8月20日ー )は、日本… 中村士(なかむら つこう、1943年8月20日ー )は、日本の天文学者、天文学史家、東西交渉史学者。 東京出身。東京大学理学部天文学科卒業、同大学院理学研究科博士課程修了、1975年「1973年におけるガリレオ衛星の相互現象の解析」で理学博士。1976年東京大学東京天文台(のち国立天文台)勤務、探査機はやぶさの可視カメラの設計・開発指導、すばる望遠鏡による微小小惑星の探査研究を行う傍ら、江戸時代の天文学史を研究。のち、帝京平成大学教授。2014年定年退任。文化庁文化財審議専門委員(2010-2014年)。放送大学客員准教授・教授(2004-2014年)。なお、研究論文等については国会図書館DB、リサーチマップ等を参照のこと 。
小林 賢次(こばやし けんじ、1943年〈昭和18年〉8月2… 小林 賢次(こばやし けんじ、1943年〈昭和18年〉8月20日 - 2013年〈平成25年〉6月29日)は、日本の国語学者。学位は、文学博士((旧)東京都立大学・1999年)。(旧)東京都立大学名誉教授。 群馬県安中市生まれ、新潟県十日町市で育つ。1966年東京教育大学国文科卒、1970年同大学院文学研究科日本文学専攻博士課程中退、香川大学教育学部助手、1971年講師、1973年助教授、1978年新潟大学教育学部助教授、1981年上越教育大学助教授。1987年(旧)東京都立大学助教授、1991年教授。1999年「狂言台本を主資料とする中世語彙語法の研究」で(旧)東京都立大学より文学博士の学位を取得。
村井 吉敬(むらい よしのり、1943年8月20日 - 20… 村井 吉敬(むらい よしのり、1943年8月20日 - 2013年3月23日)は、日本の経済学者。元早稲田大学アジア研究機構教授。専門は東南アジアの経済史。 千葉県生まれ。1966年早稲田大学政治経済学部卒業。インドネシアのパジャジャラン大学に留学し、農村経済を研究。1988年上智大学外国語学部教授。2008年早稲田大学アジア研究所客員教授を経て、早稲田大学アジア太平洋研究所上級研究員、アジア研究機構教授。 2013年3月23日、69歳で死去。
庄司 正弘(しょうじ まさひろ、1943年8月19日 - )… 庄司 正弘(しょうじ まさひろ、1943年8月19日 - )は、日本の工学者である。専門は熱流体、東京大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。元神奈川大学工学部機械工学科教授。元神奈川大学工学部長兼第二工学部長。
楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 20… 楢崎 欣弥(ならざき きんや、1943年8月19日 - 2019年3月15日)は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(2期)。 衆議院議員、社会民主連合書記長・副代表を務めた楢崎弥之助は父。母は、部落解放同盟執行委員長の松本治一郎の姪の長女である。名前は泉鏡花の『瀧の白糸』に登場する検事・村越欣弥に由来。 福岡県福岡市生まれ。東福岡高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。大学卒業後、農用地開発機械公団(現森林整備センター)勤務を経て、父・楢崎弥之助の秘書を務める。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で福岡3区から立候補したが、自由民主党の太田誠一に敗れ、落選した。福岡3区は、父・弥之助の選出選挙区であった旧福岡1区に含まれる。
樋口 大介(ひぐち だいすけ、1943年8月18日 - )は… 樋口 大介(ひぐち だいすけ、1943年8月18日 - )は、日本のドイツ文学者、國學院大學名誉教授。ドイツ近現代文学専攻。 1943年、新潟県生れ。東京大学文学部独文科で学び、中野孝次の薫陶を受けた。1967年に卒業し、同大学院に進学。1970年に修士課程を修了した。 その後、國學院大学文学部助教授となり、後に教授昇格。2012年に國學院大学を定年退任し、名誉教授となった。
森田 明(もりた あきら、1943年8月18日 - )は、日… 森田 明(もりた あきら、1943年8月18日 - )は、日本の法学者。東洋大学名誉教授。専門は憲法・未成年者保護法・少年法。東京大学法学部卒[要出典]。 2019年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
朝香 誠彦(あさか ともひこ、1943年〈昭和18年〉8月1… 朝香 誠彦(あさか ともひこ、1943年〈昭和18年〉8月18日 - )は、日本の旧皇族。孚彦王第1王子。朝香宮第3代当主。皇籍離脱前の身位は王で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、誠彦王(ともひこおう)であった。上皇明仁は又従兄弟にあたる。 1943年(昭和18年)8月18日午前5時50分、高輪南町御用邸において誕生。御七夜の8月24日に誠彦と命名される。1947年(昭和22年)10月14日、祖父・朝香宮鳩彦王が皇族の身分を離脱したため、誠彦王も皇室典範(昭和22年法律第3号)第13条により皇籍離脱した(昭和22年宮内府告示第16号)。 東京芸術大学音楽学部器楽科(チェロ専攻)を卒業し、イタリアのサンタ・チェチーリア音楽院に留学。
出町 嘉明(でまち よしあき、1943年8月18日 -19… 出町 嘉明(でまち よしあき、1943年8月18日 -1978年1月19日)は、日本の元スピードスケート選手。青森県館村(現八戸市)出身。日本コカ・コーラ所属。光星学院高等学校を経て日本大学卒業。 1968年冬季ユニバーシアード5000m銅メダル。続くグルノーブルオリンピックでは5000m21位、10000m22位。 しかし、1978年の国体合宿中に急逝した。享年34。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
笠谷 幸生(かさや ゆきお、1943年8月17日 - 202… 笠谷 幸生(かさや ゆきお、1943年8月17日 - 2024年4月23日)は、日本のスキージャンプ選手。 北海道後志支庁余市郡大江村(現・仁木町)出身。余市高校、明治大学を卒業。ニッカウヰスキーに所属していた。2003年紫綬褒章。2018年文化功労者。兄は同じくスキージャンプ選手の笠谷昌生。 4歳の頃から遊びとしてジャンプを始める。仁木中学校3年生の頃には兄に連れられて羽幌炭鉱、明治大学合同の合宿に参加、ここで大人顔負けのジャンプを見せ、「仁木から(兄に続いて)再び神童が現れた」と言われた。 1959年に北海道余市高等学校に入学するがスキー部の方針で高校選手権に出場できず、その怒りを闘争心に変えてこのシーズンのあらゆる大会の少年組を勝ち続けて翌1960年の新潟県高田市(現・上越市)での全日本選手権に出場、この大会で3位に入ったほかこの年から海外遠征をこなすようになり、1963年2月22日の第2回STV杯ジャンプ大会では日本人2人目の100mジャンパーとなる(同大会で直前に菊地定夫が初の100mジャンパーとなっている)など一気に日本を代表するジャンパーへと成長を遂げた。
伊藤 栄明(いとう よしあき、1943年8月17日 - )は… 伊藤 栄明(いとう よしあき、1943年8月17日 - )は、日本の数学者。理学博士。統計数理研究所名誉教授。総合研究大学院大学名誉教授。同大学附属葉山高等研究センター(現・学融合推進センター)フェロー。専門は確率論、統計学、応用数学。 1968年、東京大学理学部地学科卒業。1970年、東京工業大学大学院理工学研究科数学専攻修士課程修了。1972年、東京工業大学大学院理工学研究科数学専攻博士課程退学。同年、旧文部省統計数理研究所研究員。1979年、東京工業大学より博士号(理学)を取得。論文の題は「Stochastic models for interacting populations(相互作用による種の間の個体数変化の確率模型)」。
館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、… 館 淳一(たて じゅんいち、1943年8月16日 - )は、日本の小説家、官能小説家、雑学研究家、エッセイスト。日本文芸家クラブ会員、日本推理作家協会会員。 北海道稚内市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業。 フリーライター、週刊誌アンカーマン(週刊プレイボーイ、週刊明星など)、フリー編集者、日本版PLAYB0Y(月刊プレイボーイ)などで生計をたてる傍らSM小説を書き、蘭光生に認められ1975年雑誌デビュー。以後、官能小説界で活動。著書は190冊(2017年6月時点)。
天野 良晴(あまの よしはる、1943年〈昭和18年〉8月1… 天野 良晴(あまの よしはる、1943年〈昭和18年〉8月16日 - )は、神奈川県出身の元陸上自衛官。父は元統合幕僚会議議長の天野良英。 1966年(昭和41年)3月、防衛大学校本科第10期を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第14普通科連隊長、陸上幕僚監部人事部長、第12師団長、陸上幕僚副長等を歴任し、西部方面総監に就任。次代の陸上幕僚長昇格が有力視されていたが、天野が陸上幕僚監部人事部長在任時に発生した東富士演習場違法射撃事件に伴う不適切な事故処理が発覚し、陸将初となる停職処分を受け辞任した(陸上幕僚長には同期の中谷正寛が就任)。
伊東 秀子(いとう ひでこ、1943年〈昭和18年〉8月15… 伊東 秀子(いとう ひでこ、1943年〈昭和18年〉8月15日 - )は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)を歴任。夫は北海道大学教授を務めた伊東倫厚。 満洲国(現:中国東北部)で出生し、父の故郷である鹿児島県で育つ。川辺郡大浦町(現:南さつま市大浦町)出身。 東京都立戸山高等学校、東京大学文学部卒業。大学卒業後、家庭裁判所調査官を経て、1979年に35歳で司法試験に合格。司法修習34期を経て1982年弁護士登録、札幌弁護士会入会。 当初は日本共産党に所属していたが離党、1990年の第39回衆議院議員総選挙で北海道第1区において日本社会党公認候補として初出馬し横路孝弘道知事や竹村泰子参議院議員の全面的支援で憲政史上最多得票で初当選を飾り鈴木喜久子らとマドンナ議員として注目を集める(社会党現職小林恒人も再選)。
望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - 2… 望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - 2023年6月26日)は、日本の都市計画家、多摩大学名誉教授・大学院客員教授。