伊藤 周雄(いとう ちかお、1940年1月6日 - )は日本… 伊藤 周雄(いとう ちかお、1940年1月6日 - )は日本の実業家。東洋紡不動産代表取締役社長や東洋紡績代表取締役専務、本州四国連絡高速道路代表取締役社長を務めた。繊維学会技術賞受賞。 三重県出身。1962年名古屋工業大学工学部繊維工学科卒業、東洋紡績入社。1990年紡織生産技術部長。1994年取締役紡織加工総括部長。1996年紡織加工事業部長。1998年常務取締役天然繊維事業本部長。1999年化合繊事業本部長。2002年東洋紡不動産代表取締役社長。2003年東洋紡績代表取締役専務。2007年本州四国連絡高速道路代表取締役社長。第10回(昭和58年度)繊維学会技術賞受賞。2023年、旭日中綬章受章。
後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6… 後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6日 - )は、日本の実業家、政治家、林業家。うすき製薬株式会社代表取締役社長、臼杵市長、大分県議会議長、株式会社コアラ会長を歴任した。豊の国木造建築賞優秀賞入賞。 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家の医師の子として生まれる。1964年に一橋大学社会学部を卒業し、三菱重工業神戸造船所で勤務した後、家業再建のため1966年からうすき製薬の代表取締役社長を務めた。 セメント工場建設反対の住民運動に関わったのをきっかけに、1975年から大分県議会議員を5期20年にわたって務め、1989年から約1年間は自由民主党大分県連の幹事長、1990年には県議会議長を務めた。
井上 弘(いのうえ ひろし、1940年(昭和15年)1月5日… 井上 弘(いのうえ ひろし、1940年(昭和15年)1月5日 - )は、日本の実業家、株式会社TBSホールディングス及び株式会社TBSテレビ相談役。社長、会長を歴任した。東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。
金戸 俊介(かねと しゅんすけ、1940年1月5日 - )は… 金戸 俊介(かねと しゅんすけ、1940年1月5日 - )は、石川県出身の飛込競技選手・指導者。1960年ローマ・1964年東京の2度のオリンピックに日本代表選手として出場した。 石川県出身。石川県立金沢桜丘高等学校を卒業し、日本大学に進む。 日本大学在学中の1960年、ローマオリンピックに出場し、飛板飛込みで23位、高飛込みで10位となった。大学卒業後、1964年の東京オリンピックでは飛板飛込み24位、高飛込み11位。 同じくローマ・東京五輪に出場した飛び込み選手・渡辺久美子と結婚。息子の金戸恵太も飛び込み選手として活躍した。 引退後は指導者に転身し、1992年のバルセロナオリンピックでは日本選手団コーチを務めた。
丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、… 丸山 完二(まるやま かんじ、1940年1月5日 - )は、兵庫県西脇市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ。 ファッションデザイナーの丸山敬太は実子。 西脇高校卒業後は1958年に立教大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは1年次の同年、2年次の1959年に3度の優勝を経験。3年次の1960年秋季リーグでは打率.365で首位打者となり、一塁手としてベストナインにも選出された。リーグ通算64試合出場、237打数68安打、打率.287、0本塁打、25打点を記録。大学同期に青野修三、寺本勇がいる。 1962年に国鉄スワローズへ入団。1年目の同年は開幕直後から一塁手、外野手として起用され、一番打者に定着。
重松 省三(しげまつ しょうぞう、1940年1月5日 - )… 重松 省三(しげまつ しょうぞう、1940年1月5日 - )は、愛媛県今治市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
倉田 紘文(くらた こうぶん、本名:ひろふみ、1940年1月… 倉田 紘文(くらた こうぶん、本名:ひろふみ、1940年1月5日 - 2014年6月11日)は、日本の俳人。別府大学名誉教授。専門は国文学。大分県出身。 杵築市山香町生、大分大学学芸学部技術科卒。父が中塚一碧楼に師事した俳人であったため、幼少期から俳句に親しむ。1959年、19歳のときに、耶馬渓で行われた「芹」九州俳句大会にて高野素十に出会い師事、「芹」に入会。1972年、素十の勧めにより32歳で「蕗」を創刊、主宰。1983年、別府大学教授(国文学)に就任。のちに名誉教授。1978年より『大分合同新聞』俳壇選者。1992年より『山陽新聞』俳壇選者。1998年よりNHK俳壇主宰・選者、およびBS俳句王国主宰。
毛利 元敦(もうり もとあつ、1940年〈昭和15年〉1月5… 毛利 元敦(もうり もとあつ、1940年〈昭和15年〉1月5日 - )は、東京都品川区出身の日本の実業家。 長州藩毛利宗家第30代当主で陸軍軍人や貴族院議員を歴任した、毛利元道の四男として東京・品川で生まれる。 幼稚園時には戦火を避けるためにかつての毛利家の本拠地でもあった防府市に疎開。現在は重要文化財や国の名勝にも指定されている毛利邸で幼少期を過ごす。 学習院大学を卒業後は日立金属に入社。サラリーマンとして40年近く同社で勤務していた。40歳代から50歳代にかけては毛利家旧領・山口の山口営業所や毛利家ゆかりの地・広島の中国支店で計13年勤務し、営業所長や支店長を歴任した。また、日立金属の関連会社で海外の現地法人でもある、日立金属シンガポールや日立金属アジアの社長なども歴任している。
平本 紀久雄(ひらもと きくお、1940年1月5日 - )は… 平本 紀久雄(ひらもと きくお、1940年1月5日 - )は、日本の水産学者。 東京生まれ。北海道大学水産学部卒、1980年「マイワシ太平洋系群の房総およびその周辺海域における発育と生活に関する研究」で水産学博士。1962年~2000年主に千葉県水産試験場に勤務し、イワシなど沿岸資源調査に従事。退職後、「千葉の海と漁業を考える会」を創設し、漁業支援・海岸侵食対策などに関わるほか、漁業民俗や食文化調査を続けている。日本キリスト教団南房教会員。
荒岐山 正(あらきやま ただし、1940年1月5日 - 19… 荒岐山 正(あらきやま ただし、1940年1月5日 - 1986年9月5日)は、岐阜県岐阜市弥八町出身(出生地は徳島県徳島市)で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は永野 正(ながの ただし)。最高位は東前頭11枚目(1962年5月場所)。現役時代の体格は177cm、142kg。得意手は左四つ、寄り。 中学校卒業後、時津風部屋へ入門し、1955年3月場所で初土俵を踏んだ。 その後、1960年5月場所で十両昇進、1961年3月場所で入幕を果たした。 しかし、新入幕時に右足を骨折する等、負傷に悩まされた。幕内では結局、1度も勝ち越す事ができなかった。 現役晩年は幕下まで陥落し、1963年5月場所限り、23歳の若さで廃業。
坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4… 坂田 桂三(さかた けいぞう、1940年(昭和15年)1月4日 - 2012年(平成24年)11月6日)は、日本の法学者。専門は商法。日本大学名誉教授。日本大学法科大学院教授、日本大学常任幹事などを歴任。弁護士(東京弁護士会)。前中央選挙管理会委員長(2004年3月 - 2010年3月)。 資産評価政策学会理事。
田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4… 田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4日 - 2025年〈令和7年〉1月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府立三国丘高等学校、同志社大学経済学部卒業後、公明新聞に入社。1986年の第14回参議院議員通常選挙では比例区から公明党名簿第14位に登載され立候補したが、この時には落選している。 1993年の第40回衆議院議員総選挙で公明党の公認候補として旧大阪1区(定数3)から立候補し、同区でトップ当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は大阪3区から新進党公認で立候補し、2期連続当選を果たした。その後は新進党の解党により新党平和を経て、再結成された公明党と所属政党を変えつつも、連続当選した。
村上 敬一(むらかみ けいいち、1940年1月4日 - )は… 村上 敬一(むらかみ けいいち、1940年1月4日 - )は、日本の法学者。裁判官。同志社大学法科大学院教授。
黒岩 秩子(くろいわ ちづこ、旧姓:北大路、1940年1月4… 黒岩 秩子(くろいわ ちづこ、旧姓:北大路、1940年1月4日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。社会福祉法人理事長。旧姓、北大路。
森村 桂(もりむら かつら、1940年〈昭和15年〉1月3日… 森村 桂(もりむら かつら、1940年〈昭和15年〉1月3日 - 2004年〈平成16年〉9月27日、本姓:三宅)は、日本の作家。父は作家の豊田三郎、母は歌人の森村浅香。 作家・豊田三郎の長女として生まれる。公立小学校入学後、学習院初等科に4年次編入し、学習院女子中・高等科を経て、学習院大学文学部国文学科に入学した。大学在学中、19歳の時に父・三郎が病気のため急死。以後一時家計が苦しくなり、また母親との困難な関係を抱え、苦悩のうちに大学生活を送る。 大学卒業後、女性週刊誌(誌名未詳)記者となるが、ゴシップを追うばかりの取材が嫌になり、2か月で退社して暮しの手帖社に入社。ここも短期間で退社し、1964年にニューカレドニアに一人旅に出る。
村松 岐夫(むらまつ みちお、1940年1月3日 - )は、… 村松 岐夫(むらまつ みちお、1940年1月3日 - )は、日本の政治学者。専門は、行政学・地方自治論。学位は、法学博士(京都大学・1984年)。京都大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。瑞宝中綬章。 京都大学法学部教授、京都大学評議員、京都大学大学院法学研究科教授、京都大学大学院法学研究科研究科長、京都大学法学部学部長、学習院大学法学部教授などを歴任した。 静岡県出身の政治学者である。政治学界で従来主流を占めていた官僚優位論に疑問を持ち、新たに政党優位論を提唱した。さらに、戦前戦後断絶論の見地から、日本の行政官僚制や地方公共団体を実証的に分析し、太平洋戦争後の日本の政治体制は多元的な統治構造を持つことを明らかにした。
山内 敏弘(やまうち としひろ、1940年〈昭和15年〉1月… 山内 敏弘(やまうち としひろ、1940年〈昭和15年〉1月3日 - )は、日本の法学者。一橋大学名誉教授。専門は憲法。「立憲平和主義」研究を主業績とする。法学博士(一橋大学、1967年)。元全国憲法研究会代表。田上穣治門下。弟子に加藤一彦など。 山形県東田川郡大和村出身。愛知県起町立起中学校から愛知県立一宮高等学校を経て、1958年に一橋大学法学部に入学。田上穣治のゼミナールに所属していた。卒業後は一橋大学大学院法学研究科修士課程・同博士課程と進み、1967年9月に博士課程を修了。法学博士(一橋大学)。 1968年4月に獨協大学法学部専任講師となり、1972年4月に同助教授に、1977年4月には同教授に昇任。
ゼンジー北京(ゼンジー ペキン、本名 渡辺重信、1940年〈… ゼンジー北京(ゼンジー ペキン、本名 渡辺重信、1940年〈昭和15年〉1月3日 - )は、広島県呉市出身のタレント、手品師である。和光プロダクション所属。 お笑いマジックのパイオニアとして、コミカルなトークと手品を融合させ、独自のエンターテインメントを築き上げている。 広島県呉市生まれ。4歳の時、大阪府三島郡(現在の摂津市)へ転居。大阪府立春日丘高等学校を卒業後、1958年にデパートのマジック売り場で、ディーラー兼実演販売をしていたゼンジー中村に弟子入りし、「魔法のグループ」で後見で初舞台。1963年に独立し、新花月を皮切りに角座に出演。デビュー当初は本名にちなんだ「ゼンジー渡辺」の芸名で活動。
花原 勉(はなはら つとむ、1940年〈昭和15年〉1月3日… 花原 勉(はなはら つとむ、1940年〈昭和15年〉1月3日 - 2024年〈令和6年〉2月5日)は、アマチュアレスリング選手。日本体育大学名誉教授。1964年東京オリンピックレスリンググレコローマンスタイル・フライ級金メダリスト。 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校に在籍中は柔道部で活躍した。 日本体育大学進学後にレスリングに転向し、1960年から1965年まで日本選手権6連覇。東京オリンピックでも、決勝でブルガリアのケレゾフ選手を撃破し金メダルを獲得。日本レスリング陣の士気を上げる価値ある金メダルであった。後年大学界のレスリング王国と呼ばれる日体大の礎を築いた。 2019年、瑞宝中綬章受章。
入交 昭一郎(いりまじり しょういちろう、1940年1月3日… 入交 昭一郎(いりまじり しょういちろう、1940年1月3日 - )は、日本の実業家。高知県出身の神戸市育ち。灘中学に入学後、麻布中学に転校し麻布高校卒。東京大学工学部航空工学科卒業。
鈴木 健二郎(すずき けんじろう、1940年1月3日 - 2… 鈴木 健二郎(すずき けんじろう、1940年1月3日 - 2007年4月25日)は、日本の熱工学者。 1940年、当時の中華民国・上海市出身。 1962年、京都大学工学部機械工学科卒業。神戸製鋼所勤務。 1964年、京都大学工学部機械工学科助手。 1971年、京都大学工学博士。 1975年、同助教授。 1986年、同教授。 1996年、日本機械学会 熱工学部門 部門長。 1998年、日本機械学会 熱工学部門 国際功績賞。 1999年、International Journal of Heat and Mass Transfer, Editor (1999-2006) 1999年、日本伝熱学会 会長。
古田 勝久(ふるた かつひさ、1940年(昭和15年)1月3… 古田 勝久(ふるた かつひさ、1940年(昭和15年)1月3日 - )は、日本の制御工学、ロボット工学の研究者。東京工業大学名誉教授、工学博士(東京工業大学)。東京工業大学教授、東京電機大学教授、同学長を歴任し、非線形制御の検証用として開発した回転テーブル式の倒立振子はFuruta Pendulum(英語版)として世界に知られている。 システム同定や非線形制御、ロボット・メカトロニクスの制御で実績をあげ、スーパーメカノシステムやHAM(Human Adaptive Mechatronics)、Safe Manual Controlといった概念も提唱し、東京工業大学のCOE形成基礎研究や、東京電機大学の21世紀COEプログラムをリードした。
木村 隆文(きむら たかふみ、1940年1月2日 - 201… 木村 隆文(きむら たかふみ、1940年1月2日 - 2011年11月28日)は、日本の教育者。学校法人青森山田学園の理事長や青森山田高等学校の校長を務めていた。スポーツに力を入れ、卓球や野球、サッカーなどで青森山田高等学校の名前を全国に知らしめた。日本卓球協会副会長を務めており、10段を授与されている。 青森県出身。青森県立青森高等学校、日本大学法学部を卒業、1962年に当時母親が校長だった青森山田高等学校の教諭に赴任し、1995年に同校の校長となった。校長就任後はスポーツに力を入れて、野球の渋谷良弥や卓球の吉田安夫など優れた指導者を招くとともに、優秀な生徒を集め、バドミントンや卓球、サッカー、野球などで実績をあげた。
戸塚 進也(とつか しんや、1940年(昭和15年)1月2日… 戸塚 進也(とつか しんや、1940年(昭和15年)1月2日 - )は、日本の政治家。財団法人日韓文化交流基金理事。社団法人静岡県茶業会議所理事。 衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)、掛川市長(初代)、静岡県議会議員(1期)、(旧)掛川市議会議員(1期)を歴任。 静岡県静岡市両替町に生まれる。徳島県をはじめとする各県の知事、衆議院議員を務めた戸塚九一郎は叔父。 玉川学園の小学部から高等部まで籍を置き続け、高等部を卒業して1年後の1959年4月に通商産業省職員となって軽工業局に勤務。通産省を2年で退官して株式会社平喜百貨店(現・株式会社平喜)に転職し、会社員をしながら1963年3月に日本大学法学部第二部法律学科を卒業。
津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2… 津川 雅彦(つがわ まさひこ、1940年〈昭和15年〉1月2日 - 2018年〈平成30年〉8月4日)は、日本の俳優・映画監督・芸能プロモーター・時事評論家。 芸能事務所グランパパプロダクションに所属し、同社の代表取締役を務めた。位階は従五位。 俳優としては1956年の映画『狂った果実』が本格デビューであり、1959年に木下恵介監督の『惜春鳥』、1960年には大島渚監督の『太陽の墓場』など多くの話題作に出演。1980年代以降は『マルサの女』や『スーパーの女』など伊丹十三監督作品に多数出演し存在感を示した。1999年には『プライド・運命の瞬間』で東條英機役を演じ日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。
島野 雅亘(しまの まさのぶ、1940年1月2日 - )は、… 島野 雅亘(しまの まさのぶ、1940年1月2日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 洲本高校では甲子園に出場できなかった。高校の1年上に鎌田実、蔦行雄がいる。1958年に大洋ホエールズへ入団。土井淳の控え捕手として1959年から一軍に定着。1961年には土井と併用され60試合に先発出場。1962年は正捕手として自己最多となる108試合に出場した。しかし翌年に土井にレギュラーの座を奪還され、その後は出場機会が減少。1965年オフに杉本公孝とのトレードでサンケイアトムズへ移籍するが、ここでは岡本凱孝の控えに回され、あまり活躍の場はなかった。1967年限りで引退した。引退後は夫人の経営する旅館を手伝う。
甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は… 甲斐中 辰夫(かいなか たつお、1940年1月2日 - )は、検察官出身の元最高裁判所判事(2002年10月7日 - 2010年1月1日)。元東京高等検察庁検事長、元次長検事。弁護士。兵庫県豊岡市出身。
馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャ… 馬場 元子(ばば もとこ、1940年1月2日 - )は、ジャイアント馬場夫人で元全日本プロレス社長、元全日本プロレスオーナー。兵庫県明石市出身。
吉居 亨(よしい とおる、1940年1月2日 - 2017年… 吉居 亨(よしい とおる、1940年1月2日 - 2017年1月13日)は、日本の経営者。山善社長を務めた。滋賀県米原市出身。 1963年に金沢大学法文学部を卒業し、同年に山善に入社。 1986年12月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1999年5月に専務を経て、2001年6月に副社長に就任し、2003年4月には社長に昇格。2014年10月には会長に就任。 2017年1月13日肺ガンのために死去。77歳没。
林 えり子(はやし えりこ、1940年1月2日 - 2019… 林 えり子(はやし えりこ、1940年1月2日 - 2019年6月18日)は、日本の作家。東京府出身。1962年、慶應義塾大学文学部卒業。本名・林惠理子、旧姓・須川惠理子。日中文化交流協会、日本文芸家協会、各会員。「三田文学」常任理事。 大学在学中から戸板康二に師事し、その後雑誌編集者を経て作家になる。1970年、グラフ社『マイライフ』編集長を辞任。1978年、中央公論小説新人賞佳作。 生粋の江戸っ子(14代目)で、実在の人物をモチーフとした作品や、東京(江戸)の古き良き時代をモチーフにした作品が多い。 1988年には戸板康二の『見た芝居・読んだ本』(文春文庫)で解説文を書いている。 1997年、著書『川柳人 川上三太郎』が、評論・伝記部門で第11回大衆文学研究賞を受賞。
市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 20… 市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 2021年11月21日)は、日本の実業家、情報技術者。株式会社デジタル・インフォメーション・テクノロジー創業者・名誉会長。 愛媛県大洲市出身。1968年東京理科大学理学部二部数学科卒業後、日本電信電話公社入社。プログラマーの資格を取得し、1976年データ通信システム(のちのDTS)入社。1996年東洋インフォネットを設立し、同社代表取締役社長に就任。2002年東洋アイティーホールディングスを設立し、同社代表取締役社長に就任。2006年にはデジタル・インフォメーション・テクノロジーへ社名を変更し、2015年には東京証券取引所JASDAQに上場させ、2017年に東京証券取引所一部への市場変更を果たした。
石橋 直(いしばし ただし、昭和15年(1940年)1月2日… 石橋 直(いしばし ただし、昭和15年(1940年)1月2日 - )日本の実業家。準大手ゼネコン西松建設の代表取締役社長兼執行役員社長。愛媛県出身。 小沢一郎民主党代表側への違法献金事件に関する同社の社内調査で不正が確認され、事件当時に代表権を持っていた石橋社長は6月末の株主総会時に退任する見通しとなった。石橋社長は、一部の会社トップの専権事項として、小沢代表側との関係が長年にわたって築かれていたと強調した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、… 大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県伊都郡九度山町出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。 和歌山県伊都郡九度山町立九度山中学校、和歌山県立伊都高等学校卒。 1956年の日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会で200m自由形で2位、400m自由形では日本新記録を樹立して優勝し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。
樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本… 樋口 年子(、1940年1月1日 - 1979年頃)は、日本の元女優。東京都世田谷区出身。 八雲学園高在学中の1957年、『隠し砦の三悪人』のオーディションに応募し、百姓娘役を射止める。 1959年俳優座養成所に十一期生として入る。1962年卒業と同時に俳優座に入る。おもな出演作に『大学のお姐ちゃん』(1959年 杉江敏男)、『椿三十郎』(1962年 黒澤明)など。 工藤堅太郎の回想記『役者ひとすじ 我が人生&交遊録』(風詠社・2014年11月)では、実名こそ明かしていないが、樋口が病のため39歳で亡くなったと記されている。
沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日… 沢渡 朔(さわたり はじめ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - )は、日本の写真家。東京府出身。女性ポートレートの分野を中心に幅広く活動。『少女アリス』等の写真集を出版。 中学の修学旅行の際に中古のリコーフレックスを入手し、写真を撮り始める。日大二高では写真部に所属。高校3年時に『サンケイカメラ』誌月例コンテストの中高の部でいきなり3作品を入賞させ、その後も月例コンテストの常連となる。 日芸の写真学科に進学後、月例コンテストの選者だった佐藤明のアドバイスで月例コンテストからは撤退。この頃、映画『死刑台のエレベーター』を見てジャズやヌーヴェルヴァーグに傾倒。詩人の白石かずことともに横田基地に通い、黒人女性や子供たちの撮影に取り組む。
田島 莊三(たじま しょうぞう、1940年1月1日 - 20… 田島 莊三(たじま しょうぞう、1940年1月1日 - 2021年1月28日)は、日本の音響監督。愛知県名古屋市中区出身。 名古屋市立前津中学校、名古屋市立菊里高等学校、日本大学芸術学部映画学科卒業。 東映の時代劇を好み助監督を志すが、試験日に寝過ごしてしまい、1年留年して翌年の試験に備えたものの、翌年には募集そのものがなくなってしまった為、産業訓練用スライドの制作会社ピーアールシープロダクション(現:PRC)に入社。2年後、太平洋テレビジョンに勤めていた友人と入れ替わる形で同社に移り、演出部のアシスタントとして吹き替え仕事に関わり始め、1967年に放送された『キャット 闇に挑む男』で演出デビュー。
吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日… 吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日本の映画評論家、著述家。 1940年三重県津市に生まれる。久居中学校、三重県立津高等学校、早稲田大学教育学部国語国文科卒業。1962年4月、三重県立高等学校(国語科)教諭となる。1996年3月、津東高等学校退職。1997年4月~2006年3月三重大学(共通教育機構)非常勤講師。2001年4月、愛知淑徳大学非常勤講師。2007年4月愛知淑徳大学教授。2010年4月愛知淑徳大学非常勤講師、2015年3月退職。 1979年、キネマ旬報創刊60周年記念論文「『祇園の姉妹』と溝口健二の先駆性」で佳作入選。1982年、『男はつらいよの世界』刊行などによって三重県文化奨励賞(文学部門)受賞。
九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023… 九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023年7月1日)は、日本の漫画家、アニメ監督、アニメーションプロデューサー、キャラクターデザイナー。株式会社タツノコプロ第3代代表取締役。京都府京都市出身。本名:吉田豊治(よしだ とよはる)。 タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二。 ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」と言われ「クリ=九里」とし、さらに「一平」をつけたことによる。 挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。
加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1… 加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - 2026年〈令和8年〉1月22日)は、日本の将棋棋士。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。勲等は旭日小綬章。文化功労者。 62年後の2016年に藤井聡太が14歳2か月で更新するまで、14歳7か月で当時の史上最年少中学生棋士となったことから神武以来の天才(詳細は後述)と呼ばれ、また早指し棋戦の名手でもあったことから1分将棋の神様の異名を持つ。 実力制6人目の名人で、戦前生まれの名人経験者としては最後の存命者であった。2017年6月20日に現役引退。 福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - 2026年1月22日)。
田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本… 田畑 治(たばた おさむ、1940年1月1日 - )は、日本の臨床心理学者。臨床心理士。同朋大学大学院人間福祉研究科客員教授。名古屋大学名誉教授。教育学博士(京都大学・1971年)。元名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校校長。専門は、心理臨床学・発達援助臨床学。山口県光市生まれ。
石原 碩夫(いしはら せきお、1940年1月1日 - )は、… 石原 碩夫(いしはら せきお、1940年1月1日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手。
井上 輝夫(いのうえ てるお、1940年1月1日 - 201… 井上 輝夫(いのうえ てるお、1940年1月1日 - 2015年8月25日)は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家。慶應義塾大学名誉教授。 兵庫県西宮市夙川生まれ。慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。同大学大学院を経て、フランスのニース大学で博士号取得。弟弟子にル・クレジオがいた。留学時代にキリスト教に入信。慶應義塾大学経済学部助教授・教授を経て、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)の新設に参画し、1990年同キャンパス総合政策学部教授。1999年から慶應義塾ニューヨーク学院長就任。2005年定年退職、名誉教授、中部大学人文学部教授。2010年、同大学を退職。 1961年、会田千衣子、岡田隆彦、吉増剛造、鈴木伸治とともに詩誌『ドラムカン』を創刊、詩人として活動した。
岡部 うた子(おかべ うたこ、1940年1月1日 - )は、… 岡部 うた子(おかべ うたこ、1940年1月1日 - )は、日本の翻訳家。 山梨県都留市生まれ。駒澤大学文学部英文科卒業。神奈川県横浜市の高校教諭となる。主に児童書の翻訳を手掛けた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
青木 勝治(あおき かつじ、1940年1月1日 - 2011… 青木 勝治(あおき かつじ、1940年1月1日 - 2011年10月25日 )は、日本の弁護士(登録番号:14642、横浜弁護士会)。いちょう総合法律事務所所属だった。 神奈川県横浜市出身。上智大学法学部卒、上智大学大学院法学研究科修了。32歳の時に司法試験に合格し、1975年、弁護士として開業した。
森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年… 森 紀旦(もり としあき、1940年1月1日 - 2018年7月10日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長、日本聖公会中部教区主教。 1940年、埼玉県生まれ。 1966年に聖公会神学院を卒業し、翌1967年に執事叙任。1969年に司祭叙任。 1970年、立教大学大学院文学研究科修士課程修了。 1971年、米国マサチューセッツ州ケンブリッジのエピスコパル神学校に留学。 1976年、立教大学大学院文学研究科博士課程修了。 日本聖公会北関東教区の諸教会で牧会し、立教大学文学部キリスト教学科の講師を務め、ギリシア語や新約聖書を講じる。 聖公会神学院校長、ウイリアムス神学館館長を歴任し、新約聖書学、礼拝学を教える。
草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年… 草原 タカオ(くさはら タカオ、本名:草原 孝雄、1940年1月1日 - 2018年2月13日)は、日本の漫画家、イラストレーター。鹿児島県曽於郡末吉町出身。 1958年に上京し、川崎の東芝のテレビ工場に入社。その傍ら東京のお茶の水絵画研究所で8年間デッサンを学ぶ。1970年に退社しプロ入り。主に青年誌や新聞紙でナンセンス漫画を描く。 1977年『真夜中の子守歌』他作品にて第23回文藝春秋漫画賞受賞。 『農業共済新聞』にて『花咲かじいさん』を連載していた。 2018年2月13日に脳内出血のため死去。78歳没。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は… 荒川 文夫(あらかわ ふみお、1940年1月1日 - )は、現在の佐賀県武雄市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。176cm、94kg。最高位は東十両8枚目。得意技は左四つ、寄り。 1956年5月場所初土俵、1964年3月場所十両昇進。しかし十両中位の壁を破れず、1966年9月場所を以て廃業した。 2024年8月20日に放送された『開運!なんでも鑑定団』(テレ東)のコーナー「出張!なんでも鑑定団」(岡山県矢掛町)に、依頼人の大伯父(依頼人の祖母が荒川の妹)として観客席で出演。それによると引退後は佐賀でちゃんこ鍋料理店を2014年頃に畳むまで経営していたという。その際、同期で後に横綱となった大鵬とは仲が良く、荒川の引退の時に大鵬から餞別として贈られた、大鵬が大関時代に使っていた化粧廻しの一つが出品された。
加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月… 加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月28日 - )は、日本の銀行家。北都銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市土崎港出身。実家は秋田港近くの鮮魚問屋。3、4年、銀行で経験を積んだら家業を継ぐつもりでいた。 秋田県立秋田高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業後、当時横手市に本店のあった羽後銀行に入行、総合企画部長などを歴任する。 北都銀行に移行後は同期入行であった齋藤隆夫頭取を常務、専務として支え、2003年、齋藤の後任として頭取に就いた。 頭取在任時は、ビジネス商談会を軌道に乗せ、エリアサポートチームを新設したほか、みちのく銀行、荘内銀行、東北銀行と債権流動化で提携をむすんだ。
藤田 忠夫(ふじた ただお、1939年〈昭和14年〉12月2… 藤田 忠夫(ふじた ただお、1939年〈昭和14年〉12月27日 - )は、日本の元政治家・元建設技官。元山口県宇部市長。 山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校、東京大学工学部を経て、建設省(当時)に入省。沖縄開発庁振興局専門官、日本道路公団計画部課長、会計検査院技術参事官、建設省関東地方建設局道路部長、同道路局国道1課長、同近畿地方建設局長などを歴任する。 1993年(平成5年)5月に建設省を退官し、翌月の宇部市長選挙に出馬。この市長選挙は、前任の中村勝人が小野湖周辺のゴルフ場建設計画を巡って市長職をリコールされたことに伴い実施されたもので、ゴルフ場開発以外の方法での小野地域振興を掲げた藤田は保守系から日本共産党まで幅広い層の支持を受け、無投票で当選した。
芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - … 芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - )は、日本の電気技術者、実業家。九州電力代表取締役副社長や、九州通信ネットワーク代表取締役社長、博多座代表取締役社長、九州先端科学技術研究所理事長等を歴任した。 長崎県諫早市出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年九州大学工学部電気工学科卒業、九州電力入社。上椎葉水力発電所、北九州支店電力課で計5年現場経験を積んだのち、、本社の工務部給電課に配属された。1973年フランス電力で研修。1982年九州電力本社企画部設備計画課長。1987年電気事業連合会に工務部長として出向。1992年九州電力大分支店長。1995年九州電力工務部長。1996年九州電力企画部長。