しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、し… しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、しめぎ・しがこ。1939年8月1日 - )は、日本の女優。東京府東京市神田区(現・東京都千代田区神田)出身。跡見学園高等学校卒業。 俳優座養成所を経て文学座に所属。1960年頃から日活や大映、東映製作の映画・テレビドラマを中心に活躍した。1970年代前半に芸能界を引退している。
七赤金星:9,285人
しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、し… しめぎ しがこ(旧芸名:標 滋賀子(出生名、読みは同じ)、しめぎ・しがこ。1939年8月1日 - )は、日本の女優。東京府東京市神田区(現・東京都千代田区神田)出身。跡見学園高等学校卒業。 俳優座養成所を経て文学座に所属。1960年頃から日活や大映、東映製作の映画・テレビドラマを中心に活躍した。1970年代前半に芸能界を引退している。
八代目 杵屋彌吉(きねや やきち、1939年(昭和14年〉8… 八代目 杵屋彌吉(きねや やきち、1939年(昭和14年〉8月1日 - 2022年〈令和4年〉5月18日)は、日本の長唄三味線方家元。 本名は、鈴木 吉康(すずき よしやす)。別号として鈴木 勘容(すずき かんよう)。 小学4年生より三味線を習い始め、中学3年生より初代彌一郎(のちの七代目彌吉)に師事し、彌二郎を名乗った。東京芸術大学音楽部邦楽科では、山田抄太郎、菊岡裕晃に師事する。在学中の1978年から稀音家六多郎について、稀曲の習得に励んだ。1984年に東京芸術大学音楽学部邦楽科・邦楽専攻課程を修了した。 1986年に長唄唄方の稀音家義丸と長唄の古典稀曲の研究発表のための長唄双樹会を結成した。
相羽 英勝(あいば ひでかつ、1939年〈昭和14年〉7月3… 相羽 英勝(あいば ひでかつ、1939年〈昭和14年〉7月31日 - )は、日本の政治家、元愛知県豊明市長(1期)。旭日双光章受章。 愛知高等学校を経て、1962年愛知学院大学商学部卒。同年愛知トヨタ自動車に入社。のちトヨタ情報システム愛知に転じ、代表取締役社長となる。その傍ら母校の愛知学院大学非常勤講師や愛知県情報サービス産業協会理事、吉池区区長、吉池区青少年健全育成推進委員長、愛知地区少年補導員を務めた。2007年豊明市長選挙に立候補し当選。豊明市長を1期務めた。
岡井 政義(おかい まさよし、1939年7月31日 - )は… 岡井 政義(おかい まさよし、1939年7月31日 - )は、日本の経営者。ゼネラル石油社長と東燃ゼネラル石油会長を務めた。 兵庫県出身。1962年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年4月にゼネラル石油に入社。1984年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1992年6月に専務を経て、1993年6月には社長に就任。2000年7月から2002年3月までに東燃ゼネラル石油会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
新山 彰忠(にいやま あきただ、1939年7月29日 - 2… 新山 彰忠(にいやま あきただ、1939年7月29日 - 2000年10月22日)は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身の… マッド・アマノ(1939年7月28日 - )は、東京都出身のグラフィックデザイナー、パロディスト。有限会社ビッグバン代表取締役。本名は天野 正之()。東京都立竹早高等学校を経て東京藝術大学美術学部卒。フォトモンタージュによるパロディ作品で知られる。現在は月刊誌『創』誌上において狂告の時代の後継ともいえる、風刺パロディ作品を連載している。自身は風刺やパロディ作品にについて「風刺は権力者との闘争の手段である。」と述べている。 『狂告の時代』(きょうこくのじだい)とは、写真週刊誌「FOCUS」(新潮社)に1981年10月の創刊から2001年10月の休刊まで、最終ページに掲載されていたマッド・アマノによるオマージュ写真の連載企画。
佐々木 元(ささき げん、1939年7月28日 - 1997… 佐々木 元(ささき げん、1939年7月28日 - 1997年)は、日本の映画監督である。 1939年(昭和14年)7月28日、長崎県北高来郡小野村大字小野島(現在の同県諫早市小野島町)に生まれる。本名は不明であるが、姓は「春野」(はるの)であるという。 1955年(昭和30年)4月、長崎県立諫早高等学校に進学する。2学年下の後輩に、のちに脚本家となる市川森一がいた。1958年(昭和33年)3月、同校を卒業して東京に移り、早稲田大学政治経済学部に進学するも、満23歳を迎える1962年(昭和37年)には同学を中途退学する。その後は、織田良一郎の芸術映画社、大映テレビ室(現在の大映テレビ)等の記録映画、テレビ映画の製作会社で製作部や演出部の助手を務めた。
滝川 雄壮(たきがわ ゆうそう、1939年(昭和14年)7月… 滝川 雄壮(たきがわ ゆうそう、1939年(昭和14年)7月28日 - )は、広島県出身の官僚。気象庁長官(第17代)を務めた。
毛利 就擧(もうり なりたか、1939年〈昭和14年〉7月2… 毛利 就擧(もうり なりたか、1939年〈昭和14年〉7月28日 - 2010年(平成22年)5月2日)は、徳山毛利家第13代当主、実業家。 日本大学理工学部を卒業。 1992年4月に東京都目黒区で、映像・音楽編集スタジオを運営するモウリアートワークススタジオ株式会社(前身は1960年代に設立のモウリスタジオ)を設立する。 かつての根拠地の徳山藩に当たる、山口県周南市と東京を毎月往復し、「参勤交代」を江戸時代から約400年近く続けていた。また、周南市のゴルフ場「徳山カントリークラブ」の代表取締役も務めた。 2010年5月2日、脳梗塞のため死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、書きかけの項目です。
上田 重夫(うえだ しげお、1939年7月27日 - )は、… 上田 重夫(うえだ しげお、1939年7月27日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。 田辺高校から1961年に大洋ホエールズへ入団。1963年に引退。
辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆ… 辺見 じゅん(へんみ じゅん、本名:清水 眞弓(しみず まゆみ、旧姓:角川、邊見)、1939年(昭和14年)7月26日 - 2011年(平成23年)9月21日)は、日本の歌人・ノンフィクション作家。二人の娘がいる。 私小説風から童話・詩歌まで幅広い作品を手がける。ノンフィクションにおいては、丹念な聞き取りを元に構成されているとして評価が高い。私小説風作品においては、複雑な家庭環境を元に冷静で批判的に家族を捉える反面、親子の愛情について細やかに描写されている。 父の友人曰く伯父をモデルとした安一は5回離婚したが伯父が離婚したのは4回とコメントしている。 実母・富美子は花冷えの作中の母親が不倫をするくだりと夫婦喧嘩をしてヒステリーをおこす場面を読み「なぜ、実の娘がこんな見てきたような嘘を書くのか、私には分かりません。
田中 宣一(たなか せんいち、1939年(昭和14年)7月2… 田中 宣一(たなか せんいち、1939年(昭和14年)7月26日 - )は、日本の民俗学者。成城大学名誉教授。 福井県足羽郡(現・福井市)生まれ。1962年國學院大學文学部卒。1967年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。神奈川県立茅ヶ崎高等学校教諭、神奈川県立伊勢原高等学校、湘南高校教諭、1976年成城大学文芸学部専任講師、80年助教授、90年教授、1993年「年中行事の研究」で國學院大學民俗学博士に。2007年文学研究科長、2010年定年、名誉教授。
狼 嘉彰(おおかみ よしあき、1939年〈昭和14年〉7月2… 狼 嘉彰(おおかみ よしあき、1939年〈昭和14年〉7月26日 - )は、日本の工学者(宇宙工学)、実業家。学位は工学博士(東京工業大学・1968年)。株式会社加藤製作所取締役、東京工業大学名誉教授。 航空宇宙技術研究所革新航空機研究管理官、東京工業大学工学部教授、宇宙開発事業団技術研究本部研究総監、慶應義塾大学理工学部教授などを歴任した。 日本の宇宙工学者として航空宇宙工学の分野の研究に取り組んできた。宇宙機の姿勢制御、大規模宇宙構造物のダイナミクスと制御の研究、および、スペースシステム全般に関する先端技術の研究開発などに携わってきた。東京工業大学にて工学博士を取得し、航空宇宙技術研究所でキャリアを積む。
高 泰保(コウ・テボ、Ko Taebo、1939年7月25日… 高 泰保(コウ・テボ、Ko Taebo、1939年7月25日 - 没年不明)は、日本の農学博士。大阪市出身。国籍は韓国。京都大学農学部育種学研究、国際高麗学会科学技術部会委員長歴任。アジアに特には、中国、ロシア、北朝鮮における食料問題解決の研究を深めた人物である。 「国民にとって最も重要なもの。それは政治である。最高の科学技術も素晴らしい英知も国民のための政治の下で初めて真の意味をなす。」
須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、… 須田 くにお(すだ くにお、1939年7月24日 - )は、福島県福島市渡利地区在住の合唱指揮者、作曲家。代表作に混声合唱組曲「安積野」や「日本楽器の為の四重奏」、福島大学学生歌「今日の世紀に」等がある。 福島県立福島商業高等学校卒業。古関裕而の後輩に当たる。東京で下総皖一に作曲を師事。 福島アカデミー音楽学院を経営するかたわら、飯野中学校の客演講師や福島市の第九のためのコール・フロイデなどで、福島県の合唱の発展に尽くす。山形交響楽団もブラームスやモーツァルト等のレパートリーの指揮者陣に属する。
根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2… 根路銘 国昭(ねろめ くにあき、1939年7月24日 - 2025年3月28日)は、日本の獣医ウイルス学者。獣医学博士。有限会社生物資源研究所代表取締役・所長。スペインかぜウイルスのルーツを解明するなど、インフルエンザウイルス研究及びワクチン開発の第一人者とされる。沖縄県国頭郡本部町出身。 ・沖縄県立北部農林高等学校卒業。
上野 公成(うえの こうせい、1939年〈昭和14年〉7月2… 上野 公成(うえの こうせい、1939年〈昭和14年〉7月23日 - )は、日本の建設官僚、政治家。都市再生研究所理事長。参議院議員(2期)、通商産業政務次官、内閣官房副長官(政務担当)などを歴任した。 群馬県高崎市出身。父は医師・上野大成。1958年に群馬県立高崎高等学校を卒業後、1966年に東京大学工学部都市工学科の第1期生として卒業[要出典]。同年、建設省に入省。 建設省では住宅関連の業務に携わることが多かった。群馬県土木部住宅課長、建設省住宅局住環境整備室長、大臣官房政策企画官、住宅生産課長、住宅建設課長などを歴任した。1991年、建設省を退官。 1992年、第16回参議院議員通常選挙において、群馬県選挙区から福田宏一後継の新人として立候補し当選した。
笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - … 笠原 章平(かさはら しょうへい、1939年7月21日 - )は、日本のハンマー投選手。 1964年東京オリンピックに出場した。 埼玉県比企郡竹沢村(現在の小川町)出身、埼玉県立松山高等学校に入学。兄が松山高校の陸上部元主将であった縁で、陸上部に属することとなった。ハンマー投げは高校在学中から始め、県大会優勝やインターハイ準優勝といった成績を残した。 中央大学に進学。1962年(昭和37年)に中央大学を卒業し、東急電鉄に入社、実業団チームに属する。1964年(昭和39年)8月の記録会で、自己最高記録(65m01)を出す。1964年東京オリンピックのハンマー投で出場するが、予選落ち。後年の取材によれば「周囲の期待を裏切ってしまったという申し訳なさから、東京五輪出場の話題は長く封印してきた」という。
松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2… 松村 満美子(まつむら まみこ、1939年7月21日 - 2020年8月1日)は、日本の社会福祉活動家・フリーアナウンサー・元NHKアナウンサー。晩年は特定非営利活動法人腎臓サポート協会の理事長を務めており、主にジャーナリスト、評論家として活動していた。 1939年、東京の四谷生まれ。1958年、千葉大学文理学部入学。大学時代は放送部と英語会話部に所属していた。同大学卒業後、1962年NHKにアナウンサーとして入局。1968年、産休中に民放に誘われNHKを退職。その後はフリーのアナウンサーとして活動。2001年、腎臓サポート協会設立の主唱者のひとりとして代表に就任。2005年7月、特定非営利活動法人認可後、理事長に就任。
鳥脇 純一郎(とりわき じゅんいちろう、1939年7月20日… 鳥脇 純一郎(とりわき じゅんいちろう、1939年7月20日 - 2017年10月5日) は、日本の情報工学者。名古屋大学名誉教授。国際パターン認識連盟副会長や、コンピュータ支援画像診断学会会長を務めた。 愛知県知多郡生まれ。1962年名古屋大学工学部電子工学科卒業。稲垣康善は研究室の同期。1964年名古屋大学大学院工学研究科電気・電子工学専攻修士課程修了。1967年名古屋大学大学院工学研究科電気・電子工学専攻博士課程単位取得退学、名古屋大学工学部電子工学科助手。1968年名古屋大学より工学博士の学位を取得。 1974年名古屋大学大型計算機センター助教授。1980年豊橋技術科学大学工学部情報工学系教授。
加藤 奐(かとう かん、1939年7月18日 - )は、日本… 加藤 奐(かとう かん、1939年7月18日 - )は、日本の実業家。京王電鉄第9代社長。 東京都出身。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部商学科卒業後、1962年京王帝都電鉄(現・京王電鉄)入社。経理部長を経て、1993年常務取締役。1998年京王プラザホテル社長に就任。2002年京王電鉄副社長。2003年社長。2009年会長。2015年相談役。2015年旭日重光章受章。
近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は… 近藤 文男(こんどう ふみお、1939年7月18日 - )は、日本の経済学者。専門は、日本企業のグローバルマーケティングの研究。博士(経済学)。京都大学名誉教授。マーケティング史学会名誉会員。 香川県観音寺市出身。香川県立観音寺第一高等学校、香川大学経済学部経済学科卒業。京都大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程修了。 1989年(平成元年)「成立期マーケティングの研究」で学位修得(京都大学 経済学博士)。 研究は、主に3つに分かれる。第1にマーケティング発祥の地アメリカにおける成立期のマーケティングの研究を通じて、マーケティングの本質に迫ろうという研究。第2に国際マーケティング研究において、日本の家電企業の対米輸出マーケティングに関する歴史的研究。
青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 20… 青葉 益輝(あおば ますてる、1939年7月18日 - 2011年7月9日)は、日本のグラフィックデザイナー。
菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日… 菅 孝行(かん たかゆき 1939年7月17日 - )は、日本の思想家、評論家、劇作家。 反天皇制運動連絡会(反天連)の結成等で新左翼系知識人を代表する人物として知られる。者元『変革のアソシエ』運営委員・編集長、公益財団法人利賀文化会議評議員、ルネサンス研究所運営委員、河合文化教育研究所研究員、。元桐朋学園短期大学演劇専攻科非常勤講師(2004年まで)、元財団法人静岡県舞台芸術センター文芸部(2010年まで)、元河合塾小論文科講師(2016年まで)、元梅光学院大学特任教授(2017年まで)。父は陸軍中将を務めた菅晴次。 東京府東京市牛込区市谷に生まれる。 学習院初、中、高等科に進学。学習院での同級生は坂口芳貞、松井康子、山中祥子、太田省吾、本田義勝、植村泰久、亀井久興ら。
鞍田 暹(くらた すすむ、1939年7月16日 - 2023… 鞍田 暹(くらた すすむ、1939年7月16日 - 2023年3月7日)は、日本の経営者。テレビ大阪社長を務めた。 兵庫県出身。1962年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社した。1992年に取締役に就任し、1999年6月にはテレビ大阪社長に就任。2003年6月から2004年6月までには会長を務め、2004年からは日本経済新聞社監査役を務めた。 2023年3月7日死去。83歳没。
高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )… 高畠 久 (たかばたけ ひさし、1939年7月16日 - )は 日本の編集者、脚本家、映画プロデューサー。 樺太出身。洛星中学校・高等学校、早稲田大学文学部演劇科卒業。1962年東宝に入社。「権藤利英」のペンネームで松竹映画『夜の片鱗』の脚本を執筆。1967年東宝退社。1975年、企画制作プロを設立し、映画・テレビドラマ・テレビ番組・コンサートなどの企画・脚本・プロデュースに当たる。2012年に演劇プロデュースグループ「スタジオQ」を設立。
三木 晴雄(みき はるお、1939年7月15日 - 202… 三木 晴雄(みき はるお、1939年7月15日 - 2023年12月11日)は、日本の実業家。 玉の肌石鹸、ミヨシ石鹸各社の代表取締役会長である。
金子 功(かねこ いさお、1939年7月15日 - )は、日… 金子 功(かねこ いさお、1939年7月15日 - )は、日本のファッションデザイナー。ファッションブランド「ピンクハウス」(1973年)や自身の名前を冠した「カネコイサオ」(1990年)、ほか「インゲボルグ(INGEBORG)」や「カールヘルム(Karl Helmut)」などのブランドを創業。なかでも「ピンクハウス」はDCブランドやフォークロアのブームに後押しを受ける形で1980年代に一世を風靡した。妻は1970年代に雑誌「an・an」などで活躍したファッションモデルの立川ユリ。 山口県に出生。高田賢三、松田光弘らと共に文化服装学院を卒業後、セツ・モードセミナーを卒業。アドセンターに入社し、広告等の製作に携わる。
後藤 忠弘(ごとう ただひろ、1939年7月15日 - )は… 後藤 忠弘(ごとう ただひろ、1939年7月15日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは外野手。
坪井 一宇(つぼい かずたか、1939年7月15日 - 20… 坪井 一宇(つぼい かずたか、1939年7月15日 - 2020年11月9日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。位階は従四位。 大阪府大阪市出身。妻の坪井まき(坪井万起)は2003年の大阪市議選に自由民主党から立候補したが落選している。長女は元細野豪志衆議院議員政策担当秘書、参議院議員中村哲治の妻(2006年死去)。
柏原 康夫(かしはら やすお、1939年7月14日 - )は… 柏原 康夫(かしはら やすお、1939年7月14日 - )は、日本の実業家。京都銀行名誉顧問、関西経済連合会副会長、関西文化学術研究都市推進機構(前理事長)。京都市観光協会会長。京都府観光連盟会長。2006年11月藍綬褒章、2019年旭日中綬章を受章。 1939年兵庫県神戸市に生まれる。川崎重工業に勤めていた父が知多工場へ転勤となったため、愛知県半田市に移住。半田高校を経て滋賀大学経済学部を卒業。就職の際には就職難の時代で苦戦を強いられたが、首尾よく京都銀行への入行が決まった。初任地は三条支店(京都市)で本出納補助を担当。次に総務部に移動となり経費を担当。コンピュータ関係の費用や機器の保守料などを削減し、成果を出した。
木村 大作(きむら だいさく、1939年〈昭和14年〉7月1… 木村 大作(きむら だいさく、1939年〈昭和14年〉7月13日 - )は、日本の撮影技師、映画監督。文化功労者。 1939年生まれ。東京府出身。1958年、東京都立蔵前工業高等学校を卒業後、東宝撮影部にカメラ助手として入社し、黒澤明監督の組に配属される。1973年に『野獣狩り』でカメラマンデビュー。 自分の師匠は撮影助手として付いていた宮川一夫や斉藤孝雄ではなく黒澤明だとしており、その影響を強く受けたことを自認している。黒澤からも、そのピント合わせのうまさから一目置かれており、本人から「撮影助手で名前を憶えているのは大ちゃんくらいだ」と言われた事もあるという。黒澤は『用心棒』で犬が人の手首をくわえて歩いて来るカットをビデオで見るたびに、周りの人間に必ず「これ、ピント合わせてるの、大ちゃんだよ。
三宅 輝幸(みやけ てるゆき、1939年7月13日 - )は… 三宅 輝幸(みやけ てるゆき、1939年7月13日 - )は日本の経済学者、和光大学経済経営学部・大学院名誉教授。横浜商科大学講師、国際マネジメント協会試験委員、日本貿易振興機構(ジェトロ)試験委員、東京都中小企業振興公社講師。専門は国際金融論、外国為替論、人民元問題。 千葉県出身。東京外国語大学卒。東海銀行ロンドン支店長代理、シンガポール支店次長、国際資金室長、中京銀行国際部部長、東京外国為替市場慣行委員会委員、日本フォレックス・クラブ総務理事、日本貿易振興会(ジェトロ)資格試験委員などを経て1997年から和光大学経済経営学部・大学院教授、大学院委員長。
西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )… 西川 恭爾(にしかわ きょうじ、1939年7月12日 - )は、日本の実業家。阪神電気鉄道相談役・元社長。 滋賀県彦根市出身。滋賀県立彦根東高等学校、京都大学卒業。京都大学大学院工学研究科(土木工学専攻)修了後の1965年に国鉄へ入社した。大阪駅再開発事業や東北新幹線上野乗り入れ事業にあたるなど、国鉄技術部門の中核を担った。1986年3月、阪神電鉄へ入社した。西梅田開発部長、鉄道事業本部長などを歴任し、2004年6月に代表取締役社長に就任した。その他には朝日放送取締役なども務めた。 しかし、村上ファンドによる株主大量取得事件が発生し、当時の代表取締役会長だった手塚昌利とともに引責辞任をし、相談役へ退いた。
中村 玉緒(なかむら たまお、1939年〈昭和14年〉7月1… 中村 玉緒(なかむら たまお、1939年〈昭和14年〉7月12日 - )は、日本の女優・タレント。本名(旧姓)および旧芸名は林 玉緒(はやし たまお)、結婚後の本名は奥村 玉緒(おくむら たまお)。愛称は「玉緒さん」「お母さん」。 京都市立立誠小学校、京都女子高等学校出身。所属事務所は長良プロダクション。 京都府京都市左京区出身。父は大映映画の貴重な脇役でもあった歌舞伎俳優二代目中村鴈治郎。夫は俳優の勝新太郎、長男は俳優の鴈龍(奥村雄大)、長女は奥村真粧美。また、兄は歌舞伎役者の四代目坂田藤十郎、その子供に四代目中村鴈治郎・三代目中村扇雀兄弟がいる。 1953年、本名で松竹作品『景子と雪江』にて映画初出演を果たすものの、その後、映画出演の仕事は無かった。
丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、… 丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、日本の国際ジャーナリスト、中国研究家。 長野県塩尻市生まれ。1963年京都大学文学部東洋史学科卒、読売新聞記者となる。1971年から1973年までインドネシア・ジャカルタ特派員、1975年から1978年までケニア・ナイロビ特派員を務めた後、中華人民共和国・北京支局長、アジア総局長、外報部次長、読売新聞調査研究本部主任研究員を務めた。 1994年から1998年まで文教大学文学部で非常勤講師、また台湾国策研究院客員研究員を務めた。目白大学社会学部メディア表現学科教授として国際ジャーナリズム論の教鞭を執った。
森本 葵(もりもと まもる、1939年7月11日 - 202… 森本 葵(もりもと まもる、1939年7月11日 - 2021年2月28日)は、日本の陸上競技選手、陸上競技指導者、体育学者。駒澤大学名誉教授。元800m日本記録保持者。1964年東京オリンピック日本代表。 駒澤大学陸上競技部監督として2000年に箱根駅伝初優勝に導くなど、同大の礎を築いた。同総監督、顧問を歴任。日本学生陸上競技連合参与を務めた。 三重県二見町出身。三重県立宇治山田商業高等学校、中央大学卒業。高校入学時は野球部だったが、脚力を買われ陸上部に加わり高校駅伝に出場。県大会で1区区間賞を獲得したのを契機に陸上の道へと進む。元プロ野球選手の中村稔は高校の同期。東京五輪当時はマラソン優勝の裸足のアベベ・ビキラ選手と同じ身長、体重だった。
辻 重五郎(つじ じゅうごろう、1939年(昭和14年)7月… 辻 重五郎(つじ じゅうごろう、1939年(昭和14年)7月11日 - )は、日本の政治家、教諭。元兵庫県丹波市長(3期)。
佐藤 征治郎(さとう せいじろう、1939年7月11日 - … 佐藤 征治郎(さとう せいじろう、1939年7月11日 - )は、日本の政治家、さいたま市議会議員(1期)、元埼玉県岩槻市長(第13代・第14代〈最終〉)、元社会民主党埼玉県議会議員(4期)、元日本社会党岩槻市議会議員(3期)。 秋田県出身。明治大学法学部卒。1971年に岩槻市議選に日本社会党公認で立候補して初当選。1975年でも再選したが、1979年に岩槻市議を2期目の途中で辞して埼玉県議選に東8区(当時・選挙区域は岩槻市)から社会党公認で立候補して落選、1983年に再び埼玉県議選に東8区から立候補して落選する。だが、1987年に岩槻市議選に8年振りに立候補して復帰当選した。1991年、岩槻市議を通算3期目の途中で辞して、埼玉県議選に東8区から3度目の立候補で初当選を果たし、1995年でも再選。
菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 19… 菅野 光亮(かんの みつあき、1939年7月10日 - 1983年8月15日)は日本の作曲家、ジャズピアニスト。宮城県仙台市出身。 国立音楽大学付属高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科に入学し、長谷川良夫に師事。大学在学中の1966年に、第35回日本音楽コンクール作曲部門第2部(室内楽曲)に応募した「弦楽四重奏曲第3番作品24」が3位入賞を果たす。大学卒業後は主にジャズピアニストとして活躍。 男声カルテット「ロイヤルナイツ」の第1回ソ連公演(1966年12月 - 1967年1月)、東欧公演~第3回ソ連公演(1968年5月下旬 - 9月)には、菅野光亮クインテットのピアニストとして同行。 1974年に公開された松竹映画「砂の器」では、ラフマニノフばりの美しいテーマ曲「ピアノと管弦楽のための組曲 宿命」を作曲・ピアノ演奏し、第29回毎日映画コンクール音楽賞、モスクワ映画祭ソビエト作曲家同盟賞を受賞した。
倉田 雅年(くらた まさとし、1939年〈昭和14年〉7月1… 倉田 雅年(くらた まさとし、1939年〈昭和14年〉7月10日 - 2016年〈平成28年〉11月21日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(3期)、総務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、財務大臣政務官(第2次小泉内閣改造内閣・第3次小泉内閣)などを歴任した。 静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。静岡県立清水東高等学校、東京大学法学部卒業。大学在学中に司法試験に合格し、1968年に弁護士開業。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で静岡4区から立候補したが、無所属の望月義夫に敗れ落選。2000年の第42回衆議院議員総選挙に比例東海ブロックから単独立候補し、初当選。2003年の第43回衆議院議員総選挙でも比例単独で再選。
石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 20… 石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 2023年4月30日)は、日本のプロ野球選手。滋賀県草津市出身。 滋賀県立大津東高等学校(1956年4月に膳所高等学校に改称)では投手として活躍。2年生の時、1956年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で、この大会に優勝した中京商の安井勝(立大 - 丸善石油)と投げ合うが、延長10回裏にサヨナラ負けを喫する。同年夏は京滋大会決勝に進むが平安高に惜敗。翌1957年夏も京滋大会決勝で平安高に再度敗退し、甲子園出場を逸する。高校同期に三塁手の金村清がいた。 1958年に大阪タイガースに入団。高校時代に腰を痛めており、入団後すぐに投手から外野手に転向。
太田 枝雄(おおた はつお、1939年7月10日 - )は、… 太田 枝雄(おおた はつお、1939年7月10日 - )は、鳥取県出身の元プロ野球選手(投手、内野手、外野手)。 境高校では1957年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、米子東高に敗退。1958年に阪急ブレーブスへ投手として入団。1959年に内野手に転向。1961年に一軍に上がり、一塁手として8試合に先発出場。翌1962年は開幕直後から一軍に定着、自己最多の26試合に先発する。4月22日には大毎オリオンズを相手に四番打者としても起用され、4打数1安打を記録。また同年はウエスタン・リーグで1シーズン2本の満塁本塁打を放った。1963年にはウエスタン・リーグの本塁打王を獲得するが、一軍では打撃の低迷が続き、外野手として2試合の先発にとどまる。
海野 弘(うんの ひろし、1939年7月10日 - 2023… 海野 弘(うんの ひろし、1939年7月10日 - 2023年4月5日)は、日本の評論家。世紀末芸術などに関する多くの著書がある。本名は中村 新珠(なかむら あらたま/しんじゅ)。 東京都出身。幼少の一時期、母の故郷の青森県脇野沢村(現在のむつ市)に住む。1962年、早稲田大学第一文学部ロシア文学科を卒業。平凡社に入社、『太陽』編集に関わり、1976年から編集長を務めた。在職中、当時ほとんど評価されていなかったアール・ヌーヴォーに注目し、1968年に処女作『アール・ヌーボーの世界』を刊行。 退社独立後は幅広い分野で著述活動を行い、アール・デコの再評価、都市論、文学、音楽、映画、ファッション史などに加え、小説作品も手掛けた。
柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日… 柳内 光子(やない みつこ、1939年7月9日 - )は、日本の実業家。東京都江戸川区出身。 東京都立江東商業高等学校卒業。1957年に内山甚一商店に入社。1963年に兄とともに内山コンクリート工業(後に内山アドバンス)を設立し、生コンクリートメーカーとして成長させる。1985年に副社長に就任。 1969年に建設資材の総合商社・山一興産株式会社の設立に参画し、1984年に代表取締役社長に就任。1994年に社団法人ニュービジネス協議会の理事に就任し、女性経営者委員会の委員長を務めた。1998年より社会福祉事業にも取り組む。2004年に浦安商工会議所会頭に就任し、全国初の女性会頭となる。学校法人草苑学園学園長、社団法人浦安観光コンベンション協会特別理事。
吉行 理恵(よしゆき りえ、本名:吉行→辻→吉行理恵子、19… 吉行 理恵(よしゆき りえ、本名:吉行→辻→吉行理恵子、1939年〈昭和14年〉7月8日 - 2006年〈平成18年〉5月4日)は、日本の小説家・詩人。 東京府生まれ。母は吉行あぐり、父は吉行エイスケ。兄は吉行淳之介、姉は吉行和子。女子学院中学校・高等学校、早稲田大学第二文学部日本文学専修卒業。 父や兄の影響を受け、早くから文筆活動に目覚める。1964年から1967年まで、工藤直子・吉原幸子ら女性詩人8人による同人「ゔぇが」に参加。詩集『夢のなかで』で1968年第8回田村俊子賞を受賞。 詩人としての評価の方が高かったが、小説『小さな貴婦人』で1981年上期芥川賞を受賞。兄妹で芥川賞を受賞した最初の事例として話題を呼んだ(選考委員の1人には兄がいた)。
橋本 淳(はしもと じゅん、1939年〈昭和14年〉7月8日… 橋本 淳(はしもと じゅん、1939年〈昭和14年〉7月8日 - 2026年〈令和8年〉5月21日)は、日本の作詞家である。本名は与田凖介(よだ じゅんすけ)で、詩人・児童文学者の与田凖一(1905年 - 1997年)は実父である。すぎやまこういちに師事し、弟子に中村容子がいる。作曲家の筒美京平とのコンビでヒット曲を多数手がける。 2,000曲を超える楽曲を発表し、代表作として知られるいしだあゆみ『ブルー・ライト・ヨコハマ』のほか、ジャッキー吉川とブルーコメッツ『ブルー・シャトウ』、ヴィレッジ・シンガーズ『亜麻色の髪の乙女』などグループ・サウンズ(GS)の作詞を多く手がけ、オリコンチャート解析で「GS関連で最も売れた作詞家」とされた。
栃内 香次(とちない こうじ、1939年7月8日 - )は、… 栃内 香次(とちない こうじ、1939年7月8日 - )は、日本の工学者。学位は、工学博士(北海道大学)。北海道における自然言語処理研究の第一人者。多くの門下生を輩出した。北海道大学教授・栃内吉彦の長男。祖父に栃内曽次郎がいる。 1962年に北海道大学工学部電気工学科卒業。1964年北海道大学大学院工学研究科電気工学専攻修了。1964年に北海道大学工学部専任講師に就く。以後、1965年に北海道大学工学部助教授。1986年9月工学博士を受く。1987年に北海道大学工学部教授。1994年に北海道大学大型計算機センター長(1998年まで)。1995年に北海道大学大学院工学研究科教授。2002年に定年退任。
畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年… 畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年[要出典])は、日本の学生野球指導者。元四国学院大学硬式野球部監督、元国士舘大学硬式野球部監督。広島県呉市出身。 広島県出身。呉阿賀高校を卒業後、立教大学に進学。長嶋茂雄が卒業した後の三塁手として活躍し、社会人野球の電電東京に入社。チームの主力選手として都市対抗野球大会にも出場し、チームをベスト4に導いた。 現役を引退後、東都大学野球の国士舘大学の監督に就任、チームを1部リーグ昇格に導いた。その後、高校野球、社会人野球で監督を務め、中央大学、全日本大学野球選手権大会優勝時の近畿大学、選抜高等学校野球大会優勝時の観音寺中央高の臨時コーチを経て、2005年1月に四国学院大学の監督に就任。
中村 邦夫(なかむら くにお、1939年〈昭和14年〉7月5… 中村 邦夫(なかむら くにお、1939年〈昭和14年〉7月5日 - 2022年〈令和4年〉11月28日)は、日本の実業家。位階は従三位。松下電器産業(パナソニック)元社長。プラズマテレビ事業を推進したが失敗し、社長退任後、1兆円を超える巨額の赤字を2年連続で計上し、経営危機を招いた。 大阪大学経済学部卒業。松下電器産業(現・パナソニック)を根底から180度改革した人物として有名で、幸之助存命時より松下の冠を外すよう進言し、幸之助は呆れて言葉が出なかった逸話を持つ。2008年(平成20年)10月に社名を「パナソニック株式会社」へ変更する礎を築き「旧来の幸之助神話を壊した男」の異名を取る。実際に幸之助の亡くなる直前に、アメリカ社長への栄転の体を取りつつ、飛ばされている。