佐々木 史朗(ささき しろう、1939年1月22日 - 20… 佐々木 史朗(ささき しろう、1939年1月22日 - 2022年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。本名は佐々木正路(ささき まさみち)。日本アート・シアター・ギルド(ATG)二代目社長。 ATGにて、他の映画会社とは一線を画す非商業主義的な芸術作品を製作・配給し、数多くの若手映画監督の輩出に尽力した。 永年の映画界への貢献が称えられ、日本アカデミー賞協会特別賞や文化庁映画賞(映画功労部門)を受賞。東京国際映画祭の創設にも尽力。日本映画大学の理事長も長年務めた。黒沢清がカンヌ国際映画祭ある視点部門の監督賞を受賞した「岸辺の旅」の製作。 長年 新進気鋭の若手監督や錚々たる監督(大森一樹、
千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny C… 千葉 真一[注釈 1](ちば しんいち、JJ Sonny Chiba [注釈 2], 1939年1月22日 - )は、日本の俳優・体操選手・空手家・歌手・芸能プロモーター・アクション監督・映画監督・映画プロデューサー・作詞家・作曲家・ナレーター・声優。
伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日… 伊藤 卓(いとう たかし、1939年1月21日 - )は、日本の化学者。専門は有機金属化学。日本化学会を通した化学教育への貢献が評価される。横浜国立大学名誉教授。 岐阜県岐阜市出身。都立西高校卒業、東京工業大学工学部卒業、1967年に東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、東京工業大学資源化学研究所助手を経て1975年に横浜国立大学工学部助教授、1989年に同教授、組織替えにより2001年から同大学院工学研究院教授。2004年に定年退官、横浜国立大学名誉教授。 現在、株式会社アド技術顧問兼監査役。 1990年に日本化学会の理事に着任、化学教育へ取り組む。1999年から日本化学会副会長(2年間)、2001年に化学教育協議会副会長、2002年に日本科学教育学会の副会長。
宮村 武夫(みやむら たけお、1939年1月21日 - 20… 宮村 武夫(みやむら たけお、1939年1月21日 - 2019年8月16日)は、日本の牧師。新約聖書解釈学の権威。 東京府出身、日本クリスチャンカレッジ、ゴードン・コンウェル神学校、ハーバード大学神学部(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。寄居教会(当時:日本新約教団)にて牧会後、青梅キリスト教会(当時:日本新約教団)、首里福音教会にて牧会。沖縄聖書神学校校長、日本センド派遣会総主事、宇都宮キリスト集会牧師、名護チャペル協力宣教師、クリスチャントゥデイ編集長を務めた。 2019年8月16日、胃癌のため死去。80歳没。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
伊達 忠一(だて ちゅういち、1939年〈昭和14年〉1月2… 伊達 忠一(だて ちゅういち、1939年〈昭和14年〉1月20日 - )は、日本の政治家。札幌臨床検査センター代表取締役会長。 参議院議員(3期)、参議院議長(第31代)、国土交通大臣政務官(第2次小泉改造内閣)、内閣府副大臣(第2次安倍内閣)、自由民主党幹事長代理、自由民主党参議院国会対策委員長、自由民主党参議院幹事長などを務めた。 北海道生まれ。芦別市出身とも上士幌町出身とも言われる。北海道芦別高等学校卒業。北海道立衛生検査技師養成所卒業。臨床検査技師。1963年4月から札幌医科大学付属病院検査部に勤務し、1965年9月に札幌臨床検査センター株式会社を設立した。 1983年4月、芦別市から北海道議会議員に初当選。
西田 良(にしだ りょう、1939年1月20日 - )は、日… 西田 良(にしだ りょう、1939年1月20日 - )は、日本の俳優。京都府亀岡市保津町出身。本名および旧芸名は西田 良明。代表作は『燃えよ剣』の原田左之助。オフィス ユーリー所属。
太宰 俊吾(だざい しゅんご、1939年1月20日 - )は… 太宰 俊吾(だざい しゅんご、1939年1月20日 - )は、日本の経営者。日立建機社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1961年に大阪大学工学部を卒業し、同年に日立建機に入社。 1995年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2003年4月に社長に就任。2006年4月に会長に就任し、2010年6月には相談役に就任。日立製作所、日立国際電気各取締役も務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年… 響矢 影男(ひびきや かげお、1939年1月20日 - 没年不明 )は、青森県八戸市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は新山 影男(しんやま かげお)。176cm、109kg。最高位は東十両10枚目。得意技は突っ張り、左四つ、寄り。 1955年3月場所に本名の「新山」で初土俵を踏む。翌場所序ノ口で「響矢」を名乗る。1960年7月場所に幕下で青錦大太郎と改名。改名の効果があったためか勝ち越しが続き、1961年1月場所に十両昇進。この場所は3勝12敗と大きく負け越し1場所で幕下へ陥落した。その後も負け越しが続いたが、1961年11月場所で四股名を「響矢」に戻し、1962年に入ってからは調子を取り戻し、1962年9月場所に十両に復帰した。
山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - 201… 山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - 2017年2月10日)は、石川県輪島市生まれの競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの400m自由形・1500m自由形、1960年ローマオリンピックの400m自由形・800mフリーリレーで4つの銀メダルを獲得した。 石川県立輪島高等学校在学中の1956年メルボルンオリンピックに出場。自由形400mと1500mの2種目では、オーストラリアのマレー・ローズに次ぐ2位で銀メダルを獲得した。 早稲田大学教育学部進学後の1959年、自由形200m、400mで世界新記録を作った。 1960年ローマオリンピックでも、自由形400mでローズに敗れ銀メダルを獲得した。
渡辺明(わたなべ あきら、1939年1月18日 - 2003… 渡辺明(わたなべ あきら、1939年1月18日 - 2003年2月10日[要出典])は日本の自治官僚。自治医科大学事務局長、消防庁次長、沖縄開発庁振興局長、沖縄開発庁総務局長、沖縄開発事務次官。 埼玉県出身。東京大学法学部卒業。1963年 自治省入省。北海道東京事務所文書課・財政課。1983年 茨城県総務部長。1986年 自治省財政局公営企業第一課長。1988年7月 沖縄開発庁総務局企画課長。1990年1月 自治医科大学事務局長。1991年3月 消防庁次長。1992年6月 沖縄開発庁振興局長。1993年9月 沖縄開発庁総務局長。1995年1月10日 沖縄開発事務次官。1996年7月2日 退官。
寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」… 寺内 タケシ(てらうち タケシ、本名は同じ読みで「寺内 武」、1939年1月17日 - 2021年6月18日)は、日本人のギタリストである。 作曲家、編曲家、音楽プロダクション経営者、実業家としての顔を持つ。 茨城県新治郡土浦町祇園町(現・土浦市)出身。ニックネームは「テリー」「エレキの神様」「寺さん」。1962年に「寺内タケシとブルージーンズ」を結成。その後バニーズや第二期ブルージーンズなども結成した。1500校を超える高校を回り「ハイスクール・コンサート」を開催。ロシア、アメリカ合衆国、ブラジル、台湾などの各国でも公演を行った。代表曲は『太陽に叫ぼう』(ブルージーンズ)、『太陽の花』『悪魔のベビー』(バニーズ)など。
小山 義一(こやま よしかず、1939年1月16日 - 20… 小山 義一(こやま よしかず、1939年1月16日 - 2019年5月)は、京都府出身の鉄道技術者である。 7000系電車(パノラマカー)のフロントアイ開発に携わったことで有名である。
佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は… 佐々木 赫子(ささき かくこ、1939年1月16日 - )は日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。 兵庫県神戸市生まれ。岡山大学教育学部卒業。 教職を経て子育て中、巡回図書館の蔵書のなかで児童文学に出会った。1970年夏、日本児童文学者協会主催「幼児教育と幼年文学の講座」を受講して創作活動を開始。1971年大石真らが主宰する 同人誌「子どもの町」掲載の「あしたは雨」が翌年の日本童話会賞を受賞。1973年関英雄を師とする 同人誌「てんぐ」に掲載された「旅しばいの二日間」は日本児童文学者協会新人賞を受賞した。「旅しばいの二日間」を長編化した『旅しばいのくるころ』が処女出版となった。 岡山の農村での疎開体験を素材にした上記2作は、逆境のなかでたくましく生きる子どもたちを描いて感動を呼ぶ作品であるが、一方であっけらかんとしたユーモアを見せる『きらくにいこうぜキックオフ』『勉強しないでいい点とれます』、怪談集「月夜に消える」などの作品もあり、創作の幅は広い。
岡村 多希子(おかむら たきこ、1939年〈昭和14年〉1月… 岡村 多希子(おかむら たきこ、1939年〈昭和14年〉1月15日 - )は、日本のポルトガル語研究者、ポルトガル文学研究者。東京外国語大学名誉教授。 東京府出身。旧姓は松尾。東京外国語大学ポルトガル・ブラジル学科卒業。2003年まで東京外国語大学教授。ヴェンセスラウ・デ・モラエスを研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石橋 純一(いしばし じゅんいち、1939年1月13日 - … 石橋 純一(いしばし じゅんいち、1939年1月13日 - )は、元NHKアナウンサー。東京都出身。東京都立芝商業高等学校、明治大学出身。松山局で定年退職し、そのまま嘱託職となった。
檜原勇多賀(ひばら ゆたか、1939年1月13日生まれ - … 檜原勇多賀(ひばら ゆたか、1939年1月13日生まれ - )は山口県岩国市出身の実業家。三菱重工を経て系列の長菱制御システム(現:MHIパワーコントロールシステムズ)では代表取締役社長などを歴任した。 京都大学大学院では機械工学を専攻、修士課程卒業。 三菱重工業に入社後、長崎造船所で勤務し蒸気タービンの設計エンジニアとして地熱発電プラントの拡販に関わる。三菱重工退職後、長菱制御株式会社では常務を経て代表取締役社長を歴任。 後に任意団体シニアネット長崎を設立、第2代会長に就任し長崎新聞社文化功労章を受章。 1989年から1時間6キロのウオーキングを日課とし、2020年東京五輪聖火リレーランナーに選出された。
川上 源太郎(かわかみ げんたろう、1939年1月13日- … 川上 源太郎(かわかみ げんたろう、1939年1月13日- 2013年)は、日本の社会学者、社会評論家・社会評論家。元清泉女学院大学副学長。 東京生まれ。1962年一橋大学社会学部卒業。1967年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。 1968年東京女子大学助教授、非常勤講師を務めたのち1985年から八千代国際大学(現秀明大学)教授、清泉女学院大学教授、副学長。 一橋大学では修士課程ではマルクス主義研究の高島善哉ゼミで、博士課程ではモンテスキュー研究の古賀英三郎ゼミで指導を受け、マックス・ヴェーバーを研究。 やがて民社党・公明党と関わりを持つ様になり、1975年に『親の顔が見たい』を上梓。
木暮 正夫(こぐれ まさお、1939年〈昭和14年〉1月12… 木暮 正夫(こぐれ まさお、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 2007年〈平成19年〉1月10日)は、日本の児童文学作家。 元日本児童文学者協会会長。 群馬県前橋市連雀町(現・本町)に生まれる。群馬県立前橋商業高等学校定時制を卒業。 1959年、20歳の時に「光をよぶ歌」が毎日新聞主催の児童小説コンクールに入選。1961年石神井公園駅前にある福本土地住宅社に勤務する。翌年東久留米市店長になる。初めての単行本は、『ドブネズミ色の街』(理論社、 1962年)で1963年のサンケイ児童出版賞推薦となり、同年12月28日にNHKで単発ドラマとして放送される。同ドラマは、第4回モンテカルロ国際テレビ祭審査員特別賞(ウンダ賞)、国際放送カトリック協会賞、NHK放送総局長賞受賞など数々の賞を受ける。
安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月1… 安井 かずみ(やすい かずみ、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 1994年〈平成6年〉3月17日)は、日本の作詞家、訳詞家、エッセイスト、歌手。本名は漢字で一美。愛称はズズ (ZUZU)。初期のペンネームは みナみ カズみ。日本基督教団のクリスチャンでもあった(1993年受洗)。神奈川県横浜市出身。 フェリス女学院高等学校、文化学院油絵科卒業。ピアノや絵の好きな子供だった。文化学院油絵科に進んだころ、アルバイトで訳詞した「GIブルース」の大ヒットをきっかけにNHKの林叡作に勧められ、初めて作詞したのが「女の子だもん」。フェリス時代の同級生に藤村志保がいる。少女時代から絵画のほか、多数の習い事をしていた。
かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かま… かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年1月12日 - 2017年3月1日)は、日本のミュージシャン。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京都出身。血液型はB型。
大坪 愛雄(おおつぼ なるお、1939年1月12日 - )は… 大坪 愛雄(おおつぼ なるお、1939年1月12日 - )は、日本の経営者。ジーエス・ユアサコーポレーション社長を務めた。東京都出身。 1961年に成城大学政治経済学部を卒業し、同年に三井銀行に入行。 1992年にユアサコーポレーションに転じ、1994年に取締役に就任。1995年に常務、1997年6月に専務を経て、同年11月に社長就任。 2004年4月にジーエス・ユアサコーポレーション社長を経て、2006年6月に相談役に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
小島 厚生(こじま こうせい、1939年1月12日 - )は… 小島 厚生(こじま こうせい、1939年1月12日 - )は、日本の俳人、茶人。 東京府生まれ。1961年、東京大学文学部宗教学宗教史学科卒。博報堂などでコピーライターとして活躍後、(株)レマンに入社。コピーライター時代の代表作は1970年の森永製菓、エールチョコレートの『大きいことはいいことだ』。 1977年、同好の士と俳句同人「九九の会」を結成(現:未名句会)し、世話役として今日に至る。俳号は麦人(ばくと)。著書に『俳諧無辺』『俳句のことばたち』『花あびて』などがある。 また茶人として遠州流茶道を嗜み、茶道遠州会東京支部副部長を務める。茶名は有節庵宗生。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
松永 俊男(まつなが としお、1939年1月12日 - )は… 松永 俊男(まつなが としお、1939年1月12日 - )は、日本の科学史家、桃山学院大学名誉教授。 東京府東京市芝区芝新堀町(現・東京都港区芝)出身。東京都立日比谷高等学校卒、1961年東京大学理学部生物学科植物学卒業、1965年同大学院博士課程中退、理学部助手、1966年退職、1967年東大文学部哲学科に学士入学、1971年卒業、1974年同大学院修士課程修了。講談社契約編集者を経て、1977年桃山学院大学経営学部助教授となり、1987年教授、1989年文学部教授、2001年「ダーウィン進化論の自然神学的背景」で東大博士(学術)。2002年桃山学院大学社会学部教授。2009年定年退職、名誉教授。
かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かま… かまやつ ひろし / ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年〈昭和14年〉1月12日 - 2017年〈平成29年〉3月1日)は、日本のミュージシャン、俳優。通称「ムッシュ」。「ザ・スパイダース」の元メンバーでもある。1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」が正式な活動名である。東京府(現・東京都)千代田区出身。 父はジャズシンガーのティーブ・釜萢。長男のTAROかまやつことかまやつ太郎はアーティスト。ジャズシンガーの浅田陽子は母方の叔母、ジャズ・トランペッターの森山久は義理の叔父(浅田の夫)。フォーク歌手の森山良子は従妹、元・歌手の森山奈歩は従姪、シンガーソングライターの森山直太朗は従甥にあたる。
ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月… ちば てつや(本名:千葉 徹彌、1939年〈昭和14年〉1月11日 - )は、日本の漫画家。男性。代表作に『あしたのジョー』(原作:高森朝雄)、『ハリスの旋風』、『あした天気になあれ』、『のたり松太郎』、『みそっかす』など。 東京府(東京都の前身)出身。現在は練馬区在住。日本大学第一高等学校卒業。 2005年からは文星芸術大学教授を務める。2012年7月から2018年6月まで日本漫画家協会理事長を務め、2018年6月から同協会会長。2019年4月1日より2022年3月31日まで文星芸術大学学長。 紫綬褒章受章者、旭日小綬章受章者、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院会員。 『キャプテン』『プレイボール』などが代表作の漫画家ちばあきお、ちばプロダクション社長千葉研作、漫画原作者七三太朗は実弟。
茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - 20… 茨木 和生(いばらき かずお、1939年1月11日 - 2025年12月23日)は、奈良県出身の俳人。本名は和男。 奈良県生駒郡郡山町(現・大和郡山市)生まれ。奈良県立郡山高等学校、大阪市立大学文学部卒業後、高槻中学校・高等学校教諭(古文担当)を長く勤めた。 高校時代の1956年、創刊したばかりの「運河」に入会し右城暮石に師事。また暮石の紹介で「天狼」に入会し山口誓子にも師事、天狼青年句会で指導を受ける。1986年、「運河」の「運河集」選者。1991年、暮石から継承し「運河」主宰。1997年、『西の季語物語』により第11回俳人協会評論賞、2002年、句集『往馬』により第41回俳人協会賞、2014年、句集『薬喰』により第13回俳句四季大賞を受賞。
藤岡 康宏(ふじおか やすひろ、1939年1月11日 - )… 藤岡 康宏(ふじおか やすひろ、1939年1月11日 - )は、日本の法学者。専門は民法。北海道大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1975年)(学位論文『自動車交通事故による損害の補償―交通災害保険化構想への総論的展望(1)~(2完)』)。広島県出身。 1979年3月から1981年3月にいたる2年間
河原崎 長一郎(かわらさき ちょういちろう、本名;河原崎 統… 河原崎 長一郎(かわらさき ちょういちろう、本名;河原崎 統一<かわらざき とういち>、1939年1月11日 - 2003年9月19日)は、日本の俳優。四代目河原崎長十郎の長男。妻は伊藤榮子。弟は河原崎次郎、河原崎建三。岩下志麻はいとこ(母親が姉妹関係)。親族や友人、仕事仲間たちからは「長さん」と呼ばれ親しまれていた。
大見 忠弘(おおみ ただひろ、1939年1月10日 - 20… 大見 忠弘(おおみ ただひろ、1939年1月10日 - 2016年2月21日)は、日本の工学者。専門は電子工学。東北大学名誉教授。 半導体デバイス、半導体プロセスと電子工業用途のクリーンルームの研究に従事した。 産学官連携功労者表彰・第1回内閣総理大臣賞受賞。紫綬褒章受章。 東京都生まれ。1957年東京都立城北高等学校卒業。1961年東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。1963年東京工業大学大学院理工学研究科電子工学専攻修士課程修了、工学修士。1966年東京工業大学大学院理工学研究科電子工学専攻博士課程修了、工学博士。 1966年東京工業大工学部電子工学科助手。1972年東北大学電気通信研究所助手。
村田 満(むらた みつる、1939年1月10日 - 2025… 村田 満(むらた みつる、1939年1月10日 - 2025年1月4日)は兵庫県出身の「鮎釣り名人」として知られる人物。大阪市東成区で銭湯を営んでいた。愛称は「満 (まん)さん」。
藤田 敬一(ふじた けいいち、1939年1月10日 - )は… 藤田 敬一(ふじた けいいち、1939年1月10日 - )は日本の中国史学者、部落問題研究者。岐阜大学元教授。「『同和はこわい考』通信」「こぺる」を通じて、日本共産党とは違った立場から部落解放同盟を批判した。今村 謙次郎の筆名もある。 京都市下京区生まれ。父親は愛媛県出身で、部落差別意識の強い人だったという。1958年、京都大学文学部入学の夏に部落問題研究所を訪ね、木村京太郎の紹介で朝田善之助の自宅を訪問。京都市内の同和地区を視察し、部落問題の研究を始める。 1962年、京都大学文学部史学科(東洋史学専攻)卒業。1968年、京都大学大学院文学研究科(東洋史学専攻)博士課程修了。1970年、岐阜大学教育学部(史学科)講師。
古城 利明(ふるき としあき、1939年1月10日 - )は… 古城 利明(ふるき としあき、1939年1月10日 - )は、日本の社会学者、中央大学名誉教授。専門分野は政治社会学、地域社会学である。新潟県生まれ。 1957年新潟県立長岡高等学校卒業。1962年東京大学文学部社会学科卒業、1965年3月東京大学大学院社会学研究科修士課程修了。同年4月東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。1965年4月東京大学文学部助手、1967年中央大学法学部講師、1969年同法学部助教授を経て、1975年より中央大学法学部教授。東京大学・一橋大学・東京都立大学 (1949-2011)・立教大学・成蹊大学・北海道大学・名古屋大学・東京女子大学・新潟大学で講師も務めた。1994年中央大学社会科学研究所長。
柴谷 光謹(しばたに みつなり、1939年〈昭和14年〉1月… 柴谷 光謹(しばたに みつなり、1939年〈昭和14年〉1月10日 - 2007年〈平成19年〉7月6日)は、日本の政治家。大阪府八尾市長(第5代、2期)。大阪府議会議員(4期)、八尾市議会議員(3期)を務めた。 大阪府八尾市出身。明治大学農学部卒業。1961年(昭和36年)日本バルカー工業(現バルカー)に勤務。 1967年4月28日の第6回統一地方選挙で日本社会党から立候補。八尾市安中町を拠点に選挙運動を展開し、28歳で八尾市議会議員に初当選した。 以後、市議3期12年を務め、知名度をもとに1983年4月10日の第10回統一地方選挙で大阪府議会議員に鞍替えし初当選。以後、府議4期16年を務めた。
西田 佐知子(にしだ さちこ、1939年〈昭和14年〉1月9… 西田 佐知子(にしだ さちこ、1939年〈昭和14年〉1月9日 - )は、日本の元歌手。愛称は「さっちん」。夫は俳優・テレビ司会者・タレントの関口宏、息子は俳優・タレントの関口知宏。 大阪府大阪市城東区生まれ。帝国女子高等学校(現・大阪国際滝井高等学校)中退。西田佐智子の名で歌手デビュー。それ以前には、「浪花けい子」の名で活動したこともあった。代表作「アカシアの雨がやむとき」は、60年安保当時の世相を表現するテーマ曲のように扱われており、そのハスキーで退廃的な魅力に満ちた歌声は現在でもニュース映像のBGMなどで使用されることがある。 1982年以降表立った活動は無いが、 1990年(平成2年)、歌手・平井菜水のデビュー曲「めざめ」(夫の関口宏が司会を務める日本テレビ系テレビ番組『知ってるつもり?!』のエンディング曲)の作詞を行っている。
阿木 慎太郎(あぎ しんたろう、本名:野上 英之。1939年… 阿木 慎太郎(あぎ しんたろう、本名:野上 英之。1939年1月9日 - )は、日本の小説家。恋愛小説、シリアスホームドラマ、ハードボイルド、ポリティカルフィクションなど多岐にわたる小説を発表している。 東京都出身。慶應義塾大学在学中は劇団を主宰。卒業後、東宝に入社。23年間務め、うち十数年はTVドラマ企画を担当し阿木慎太郎のペンネームで、1975年『愛と憎しみの宴』で文壇デビュー。その作品はNHK・民放などで多数ドラマ化されている。東宝映画取締役を退職後、ロサンゼルスに移住し執筆活動を本格化した。
神本 武征(かみもと たけゆき、1939年1月8日 - 20… 神本 武征(かみもと たけゆき、1939年1月8日 - 2018年8月28日)は、日本の工学者。専門は内燃機関工学。東京工業大学名誉教授。東京工業大学工学部長、ロンドン大学シティ校客員教授、ウィスコンシン大学マディソン校客員教授、ものつくり大学学長、自動車技術会会長等を歴任した。 静岡県沼津市生まれ。1958年埼玉県立浦和高等学校卒業。1963年東京工業大学理工学部機械工学科卒業。1965年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、東京工業大学助手。1976年東京工業大学工学博士。1981年東京工業大学助教授。1987年東京工業大学教授。 1990年航空宇宙技術研究所客員研究員。1997年東京工業大学工学部長。
前田 幸雄(まえだ ゆきお、1939年1月8日 - 2025… 前田 幸雄(まえだ ゆきお、1939年1月8日 - 2025年1月10日)は、日本の経営者。栗本鐵工所社長、会長を務めた。和歌山県出身。 1961年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に栗本鐵工所に入社。1991年6月に取締役に就任し、1995年1月には社長に昇格。1999年4月に会長を経て、2002年6月から相談役を務めた。 2025年1月10日、老衰のため死去。86歳没。
平島 正一(ひらしま まさかず、1939年1月8日 - )は… 平島 正一(ひらしま まさかず、1939年1月8日 - )は、日本の元俳優。福岡県出身。 多摩美術大学附属芸術学園演技科卒業。1960年5月に劇団現代座に入団し、1961年11月まで在籍。1962年5月、劇団青年座に入団。その後は劇団現代に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山本 眞輔(やまもと しんすけ、1939年1月8日 - )は… 山本 眞輔(やまもと しんすけ、1939年1月8日 - )は、愛知県出身の日本芸術院会員。名古屋市立大学名誉教授。白日会副会長 ・彫刻部会員。公益社団法人日展理事。
並河 勉(なびか つとむ、1939年(昭和14年)1月8日 … 並河 勉(なびか つとむ、1939年(昭和14年)1月8日 -2020年(令和2年)9月5日 )は日本の実業家。山陰酸素工業社長。並河家第18代当主。 1962年(昭和37年)同志社大学商学部卒業、同年松下電器貿易勤務 1964年(昭和39年)同ベイルート事務所勤務 1975年(昭和50年)同カイロ事務所所長 1982年(昭和57年)同社退職、同年山陰酸素工業、山陰冷食(現さんれいフーズ)勤務 1987年(昭和62年)山陰酸素工業・さんれいフーズ代表取締役社長就任 2011年(平成23年)さんれいフーズ 代表取締役会長兼社長就任 2020年(令和 2年)山陰酸素工業代表取締役会長就任 並河家の先祖は丹波・亀岡の豪族であった。
松木 明知(まつき あきとも、1939年1月8日- )は、日… 松木 明知(まつき あきとも、1939年1月8日- )は、日本の麻酔科医・医学史家・歴史家。弘前大学名誉教授。専門は麻酔医学。医学史・津軽史などの著書が多数ある。 弘前生まれ。父は医師・歴史家の松木明。1965年弘前大学医学部卒、1970年同大学院博士課程修了、医学博士。弘前大学医学部助教授、教授。2004年定年退官、名誉教授。
笹川 陽平(ささかわ ようへい、1939年〈昭和14年〉1月… 笹川 陽平(ささかわ ようへい、1939年〈昭和14年〉1月8日 - )は、日本の社会運動家。笹川良一(日本船舶振興会初代会長)の三男。 公益財団法人日本財団(旧日本船舶振興会)名誉会長、同笹川平和財団名誉会長、東京財団顧問、世界保健機関 (WHO) ハンセン病制圧大使、ハンセン病人権啓発大使(日本国)などの役職を歴任し、2012年6月11日にはミャンマー少数民族福祉向上大使(日本国)に就任。2013年2月にミャンマー国民和解担当日本政府代表(日本国)に就任。 日本人で初めて『法の支配賞』を受賞。明治大学政治経済学部卒業。次兄に自由民主党元衆議院議員・笹川堯がいる。政治家の笹川博義(笹川堯の息子)は甥。
矢部 丈太郎(やべ じょうたろう、1939年(昭和14年)1… 矢部 丈太郎(やべ じょうたろう、1939年(昭和14年)1月8日 - )は、日本の官僚。元公正取引委員会事務総長。横浜市生まれ。横浜市立大学後援会会長、公立大学法人横浜市立大学理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
金 博昭(こん ひろあき、1939年1月7日 - )は、東京… 金 博昭(こん ひろあき、1939年1月7日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。 帝都育英工を1年で中退し、再入学した日大二高から明治大学、日本大学へ進学したが、それぞれ一年で中退。 1960年に、当時は準硬式野球部であった立正佼成会へ進んだ。翌年にチームが硬式に転向し、1963年には熊谷組、1964年にはサッポロビールの補強選手として都市対抗に出場。1965年の都市対抗にエース若生和也を擁しチーム初出場。大会史上に残る大応援団のもと、1回戦で三重交通を降すが、2回戦で松下電器に敗れた。この大会では打率.528で首位打者となる。また1967年には、監督兼選手としてチームを率いた。同年都市対抗に再度出場し、打率.444を記録し優秀選手となった。
菅谷 定彦(すがや さだひこ、1939年1月7日 - )は、… 菅谷 定彦(すがや さだひこ、1939年1月7日 - )は、日本の新聞記者、実業家。日本経済新聞記者、同専務取締役後、テレビ東京社長、同会長を経て、現在は学校法人渡辺学園(東京家政大学等を運営)理事長。 兵庫県出身。妻は清泉女子大学副学長を務めた菅谷孝子。 中学校から大学までテニス選手として活躍し 、1957年には広瀬均(後にデビスカップ日本代表選手、監督)とのコンビで全日本ジュニアテニス選手権男子ダブルスで優勝している。 テレビ東京の社長としては、月1回のペース(年9 - 10回)で行われる社長定例会見において、本来経営者としてタブーであるライバル局への攻撃や個人としての私見などの発言をすることで有名であった。
高宮 眞介(たかみや しんすけ、1939年1月7日 - )は… 高宮 眞介(たかみや しんすけ、1939年1月7日 - )は、日本の建築家。山形県村山市出身。 山形県立山形東高等学校を経て、1962年に日本大学理工学部建築学科を卒業後、大林組に勤務。 1966年から1968年まで、デンマークのクローン・ラスムッセン設計事務所に勤務する。その後丹下健三都市建築設計研究所を経て、 1975年に計画・設計工房を谷口吉生と開設。1980年には谷口建築設計研究所取締役に就任し、1985年に谷口建築設計研究所の代表となり、谷口吉生とともに、資生堂アートハウス、土門拳記念館、東京都葛西臨海水族園、豊田市美術館などを手がけていく。 1996年から2007年まで母校日本大学理工学部建築学科の教授を務める。
川西 芙沙(かわにし ふさ、1939年〈昭和14年〉1月6日… 川西 芙沙(かわにし ふさ、1939年〈昭和14年〉1月6日 - )は、日本の翻訳家。本名は飯吉 寿美子()。夫はドイツ文学者の飯吉光夫。 東京都出身。旧姓は西川。1961年早稲田大学文学部独文学科卒業。白百合女子大学講師、朝日新聞児童書書評委員などを経て、朝日カルチャーセンター講師、軽井沢絵本の森美術館顧問、ルンビニ幼稚園顧問。1980年代に入ってシルエット・ロマンスの翻訳を始め、あわせてドイツ児童文学などの翻訳に従事するようになった。2010年代はフェリス女学院大学オープンカレッジで「エッセイの書き方」講座の講師などもよく務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日… 井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(3期)。 兵庫県姫路市出身。1957年兵庫県立飾磨工業高等学校卒業後、マッチ製造業の八家化学工業に入社。1965年にヤカ東京工場が設立されると工場長となり、1968年に取締役に就任すると松戸青年会議所の活動に加わる。1977年にヤカ常務に就任すると共に松戸青年会議所理事長。1979年には麻生太郎の後任として日本青年会議所会頭となり、オーナー経営者や二世の多いJCにあって初の高卒・サラリーマン重役出身の会頭として話題を呼んだ。 1983年にヤカ社長となるとともに第13回参議院議員通常選挙に自民党公認(名簿29位)で比例区から立候補、1986年の第14回参議院議員通常選挙でも立候補する(名簿24位)がどちらも落選に終わる。
福塚 勝哉(ふくづか かつや 、1939年1月5日 - )は… 福塚 勝哉(ふくづか かつや 、1939年1月5日 - )は和歌山県出身の元プロ野球選手(捕手)。
伊原木 一衛(いはらぎ かずえ、1939年1月4日 -)は、… 伊原木 一衛(いはらぎ かずえ、1939年1月4日 -)は、日本の経営者。天満屋社長、会長を務めた。 岡山県岡山市出身。1961年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。1960年7月に天満屋社長に就任。1998年5月には会長。 1980年4月からは岡山商工会議所会頭を務めた。 1964年に紺綬褒章を受章した。