中川 三郎(なかがわ さぶろう、1916年〈大正5年〉3月9… 中川 三郎(なかがわ さぶろう、1916年〈大正5年〉3月9日 - 2003年〈平成15年〉10月24日)は、「社交ダンスの父」と呼ばれる日本におけるモダンダンスの創始者。日本タップダンス界の祖。洋舞家。ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒。大阪市出身。「日本のディスコの産みの親」とも呼ばれる。 「擬装の麗人」と呼ばれ、昭和の日本の興行界に一大センセーションを巻き起こした。妻は戦前にジャズ歌手として活躍した上村まり子。長男はタップダンサーの中川一郎(本名:大輔)。長女は女優でタップダンサーの中川弘子。次女は女優の中川姿子。三女は「スリー・チャッピーズ」の元メンバー、女優でタップダンサーの中川裕季子(女優当時の芸名:中川ゆき、本名:元子)。
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二葉 憲香(ふたば けんこう、1916年3月8日 - 199… 二葉 憲香(ふたば けんこう、1916年3月8日 - 1995年11月15日)は、日本の仏教学者。京都女子学園長。龍谷大学名誉教授・元学長。 1916年、広島県高田郡八千代町(現・安芸高田市)土師で生まれた。 生家は浄土真宗明願寺。龍谷大学ならびに同大学研究科で学び、1943年に卒業。 1946年、満洲から引揚げ、その後は龍谷大学教員となった。1974年、学位論文『古代仏教思想史研究』を龍谷大学に提出して文学博士号を取得。その後、龍谷大学教授に昇格。1969年、学長代行を務め、学園紛争を切り抜けた。1976年、龍谷大学第11代学長となった。1983年に学長を退任し、退職後は名誉教授となった。 その後は京都女子学園学園長となった。
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池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 198… 池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 1982年5月30日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(3期)。 鹿児島県蒲生町(当時・蒲生村、現:姶良市の一部)出身。1933年旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)卒業。1936年に第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)を卒業。1940年に京都帝国大学経済学部卒業。日本石油株式会社に入社し勤務するが、1941年に応召し、1946年に復員。1947年に鹿児島県庁職員となり、鹿児島県東京事務所長、鹿児島県林務部長などを歴任。旧制中学時代の恩師でもある小山田政弘蒲生町長の後継として、郷里の町長選に出馬し無投票当選して、1973年5月より第11代蒲生町長。
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長澤 太郎(ながさわ たろう、1916年3月7日 - 200… 長澤 太郎(ながさわ たろう、1916年3月7日 - 2007年11月5日)は、日本の畜産学者・実業家。農学博士(北海道大学)。専門は、畜産学・畜産製造学・農業経営論。 北海道出身。1939年北海道帝國大学農学部卒業。1939年北海道帝国大学農学部助手。1941年岐阜高等農林学校教授。1944年岐阜農林専門学校教授。1953年岐阜大学農学部教授。1964年岐阜大学退官し、森永乳業取締役に就任。1968年森永乳業代表取締役常務。1972年森永乳業代表取締役専務。1977日本製乳代表取締役社長。1979年日本製乳代表取締役会長。1981年日本製乳を退社。玉川大学大学院農学研究科教授。1986年玉川大学定年退職。
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結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 198… 結城 信一(ゆうき しんいち、1916年3月6日 - 1984年10月26日)は、日本の小説家である。 東京府生まれ。1933年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒。早稲田大学英文科卒。国際学友会の日本語学校の教師を経て、1948年、「秋祭」で作家デビュー。以後、『早稲田文学』ほかの文芸雑誌、年に二作程度の短篇を発表する寡作で地味な作家だったが、1980年、老人と少女の交流を描いた「空の細道」で日本文学大賞受賞。没後の2000年、未知谷より全3巻の『結城信一全集』(串田孫一、郡司勝義、結城信孝責任編集)が刊行された。アンソロジスト、エッセイストの結城信孝は息子。墓所は荒川区西日暮里の本行寺。
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岩井 重久(いわい しげひさ、1916年3月6日 - 199… 岩井 重久(いわい しげひさ、1916年3月6日 - 1996年10月14日)は、日本の土木工学者・衛生工学者。京都大学名誉教授・衛生工学科創設者。工学博士(京都大学)。International Association on Water Pollution Research and Control(IAWPRC)名誉会員。環境技術研究協会創設者・初代会長。元土木学会関西支部常議員。勲二等瑞宝章受章。環境衛生工学の第一人者の一人。位階は正四位。 専門は、衛生工学・土木工学、上下水道学・水理学、環境科学・循環型社会システム、廃棄物処理・工業排水処理など。 京都府出身。1936年旧制大阪高等学校卒業。
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恩田逸夫(おんだ いつお、1916年3月6日 - 1979年… 恩田逸夫(おんだ いつお、1916年3月6日 - 1979年8月24日)は、日本近代文学研究者。 東京生まれ。東京帝国大学文学部国文科卒、同大学院(旧制)修了。明治薬科大学教授、跡見学園女子大学教授を務めた。没後宮沢賢治研究の業績に対して日本児童文学学会賞受賞。弟は画家の恩田秋夫。義兄は医学者の武重千冬。
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会田 雄次(あいだ ゆうじ、1916年〈大正5年〉3月5日 … 会田 雄次(あいだ ゆうじ、1916年〈大正5年〉3月5日 - 1997年〈平成9年〉9月17日)は、日本の西洋史学者。京都大学名誉教授。専門はイタリア・ルネサンス。保守派の論客として知られた。 1916年、動物学者・会田龍雄の次男として京都市で生まれた。京都府立第一中学校(現京都府立洛北高等学校・附属中学校)、第三高等学校を卒業して、京都帝国大学文学部史学科に進んだ。1940年に大学を卒業し、同大学大学院に進学。 1942年、京都帝国大学文学部副手に採用された(1948年まで)。1942年からは龍谷大学予科講師を兼任。しかし、戦局の悪化に伴い1943年に応召し、ビルマ戦線に歩兵一等兵として従軍。
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晝間 弘(ひるま ひろし、1916年3月5日 - 1984年… 晝間 弘(ひるま ひろし、1916年3月5日 - 1984年10月6日)は、彫刻家、日本芸術院会員。
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古屋 茂(ふるや しげる、1916年3月5日 - 1996年… 古屋 茂(ふるや しげる、1916年3月5日 - 1996年1月3日)は、日本の数学者。専門は解析学。東京大学名誉教授。 立憲民政党所属の政治家・古屋慶隆の次男として岐阜県恵那市に生まれた。兄は元自治大臣の古屋亨、甥は自由民主党所属の衆議院議員・古屋圭司。圭司は茂の末妹の次男として生まれ、茂の兄、すなわち圭司の伯父に当たる亨の養嗣子となった。 1938年東京帝国大学理学部数学科卒業。立教大学、東京大学、青山学院大学の教授を歴任した。東大退官後は、東京大学名誉教授となった。1996年1月3日、心不全のため79歳で死去。
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森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - … 森岡 貞香(もりおか さだか、女性、1916年3月4日 - 2009年1月30日)は、歌人。
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荒木 武(あらき たけし、1916年3月4日 - 1994年… 荒木 武(あらき たけし、1916年3月4日 - 1994年6月15日)は、日本の政治家、広島市市長(第27~30代)。
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増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 198… 増淵 龍夫(ますぶち たつお、1916年3月3日 - 1983年5月12日)は、日本の経済学者・東洋史学者。専門は東洋経済史。一橋大学名誉教授。 1916年、栃木県那須郡生まれ。旧制栃木県立烏山中学校(現栃木県立烏山高等学校)を経て、1940年旧制東京商科大学(現一橋大学)本科を卒業。大学では上原専禄や三浦新七に師事し西洋経済史を研究したが、後に東洋経済史に転向。教育召集により歩兵1712連隊[疑問点 – ノート]、次いで歩兵第66連隊に入隊。終戦時には二等兵として召集解除。 戦後は、1945年より東京産業大学東亜経済研究所参事。1947年に東京商科大学副手となり、1948年より同大経済研究所研究員、1949年より同大経済研究所助教授。
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小嶋 千鶴子(こじま ちづこ、出生時の戸籍名は岡田 千鶴子(… 小嶋 千鶴子(こじま ちづこ、出生時の戸籍名は岡田 千鶴子(おかだ ちづこ)、1916年〈大正5年〉3月3日 - 2022年〈令和4年〉5月20日)は、日本の実業家。イオンの前身であるジャスコの創設者で、イオングループの共同創業者。イオン株式会社名誉顧問などを歴任した。 1916年(大正5年)3月3日に三重県四日市市に生まれる。父は岡田惣一郎で母は岡田(旧姓・美濃部)田鶴。夫妻の第二子で、5人きょうだい(一男四女)の二女であった。千鶴子の後にも2人続けて女子が誕生したことから、5人目も女子なら家系を絶やさぬよう婿養子を迎えることを検討していたが、5人目で男子の卓也が誕生した。千鶴子が誕生した時は血縁関係の父方の祖父の岡田惣七(婿養子に入る前の旧姓が前田末吉)と四日市岡田家の家系の祖父の岡田惣右衛門の2人の四日市岡田家の祖父が存命中であり、2人の祖父からかわいがられて教育された。
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龜徳 正之(きとく まさゆき、1916年3月3日 - 201… 龜徳 正之(きとく まさゆき、1916年3月3日 - 2014年3月5日)は、日本の大蔵官僚。財務参事官、大臣官房長、国税庁長官などを歴任。 青森県生まれ。旧制一高を経て、1940年10月、高等試験行政科・外交科に合格。東京帝国大学法学部政治学科卒業後、1941年 大蔵省に入省。主税局属。1966年8月1日 財務参事官。1967年1月10日 大臣官房長。1968年6月7日より国税庁長官。1969年8月6日 退官。1970年1月 協栄生命保険副社長。1971年8月 同代表取締役社長。1986年7月 同代表取締役会長。1992年7月 同相談役。2014年3月5日 誤嚥性肺炎で死去。
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梶井 健一(かじい けんいち、1916年(大正5年)3月1日… 梶井 健一(かじい けんいち、1916年(大正5年)3月1日 - 2011年(平成23年)7月16日 )は、日本の実業家。名古屋鉄道の元社長。梶井剛の長男。位階は正四位。 東京都出身。武蔵高等学校を経て、1940年(昭和15年)に東京帝国大学経済学部卒業とともに日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(5期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入学し海軍主計中尉に任官。1941年(昭和16年)1月に経理学校を卒業。衣笠に配属され、以後、厦門警備隊勤務、岩国海軍航空隊副官兼海兵教官を歴任。1942年(昭和17年)5月、主計大尉に昇進。出水海軍航空隊主計長、兼国分海軍航空隊主計長、光州海軍航空隊主計長を務め、1945年(昭和20年)4月、光海軍工廠会計部に転任し、同年5月、主計少佐に進み終戦を迎えた。
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有島 一郎(、1916年〈大正5年〉3月1日 - 1987年… 有島 一郎(、1916年〈大正5年〉3月1日 - 1987年〈昭和62年〉7月20日)は、日本の俳優。本名は大島 忠雄()。愛知県名古屋市出身。旧制名古屋中学校卒業。有島一郎一座に始まり、小夜福子一座、劇団たんぽぽ、劇団空気座、松竹大船、東宝芸能を経て、最後はフリーだった。俳優・歌手のRomi(成田路実)は孫。 鉄工所経営者の長男として生まれる。 日置尋常小学校を経て名古屋中学に入学。その頃から芝居好きで、学生時代は学芸会の花形であった。が、両親が相次いで亡くなる不幸に見舞われ、自活を迫られる。 1933年、俳優を目指して当時の人気スターだった田村邦男に弟子入り。十代で軽演劇の世界へと飛び込む。
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因州山 稔(いんしゅうざん みのる、1916年3月1日 - … 因州山 稔(いんしゅうざん みのる、1916年3月1日 - 1980年5月3日)は、鳥取県気高郡宝木村(現役当時、現在の鳥取県鳥取市気高町)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は梅原 實(うめはら みのる)→渡辺 實(わたなべ -)。現役時代の体格は174cm、101kg。得意手は右四つ、寄り。 17歳の時に、元横綱・栃木山が率いる春日野部屋へ入門し、1934年1月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、「久寶山」。 固く体が締まったアンコ型で、右差しで頭を付けての寄りを得意とした。ただし、右を差さないと力を出せない右一辺倒の力士であり、そのため“右の石松”の異名があった。 昇り坂の時期の1938年1月場所から、兵役により、3年間のブランクがある。
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永富 博道(ながとみ はくどう、1916年3月 - 1995… 永富 博道(ながとみ はくどう、1916年3月 - 1995年以降)は、大日本帝国陸軍兵士で、日本の敗戦後に中国・山西省で中国国民党軍に加わり、国共内戦に参加した。本名は永富 浩喜(ながとみ こうき)。 熊本県阿蘇郡内牧町(現・阿蘇市)出身。 1937年、頭山満の門下生になることを志望し、7度目の訪問で頭山宅への出入りが許された。また、蓑田胸喜に師事する。陸軍大将の荒木貞夫、海軍大将の山本英輔の家にも出入りが許されていた。同年12月、「愛国学生連盟」の代表12名の一人として 上海から南京を視察する。 1938年3月、国士館専門学校(現・国士舘大学)を卒業する。 上海特務機関の陸軍軍属として呉江県宣撫班に服務し、 1940年12月まで安慶特務機関の開設に派遣された。
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中島 辰次郎(なかじま たつじろう、1916年3月 - 19… 中島 辰次郎(なかじま たつじろう、1916年3月 - 1989年6月22日)は大日本帝国陸軍の特務機関員。戦後はキャノン機関や公安警察の協力者であったとされる。 千葉県出身。東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校・附属中学校)卒業。第二次世界大戦中は日高富明大佐の部下で陸軍特務機関員。 1960年12月24日に起きた漁船の船長らによる密出国事件「旭洋丸事件」の一審判決(松江地方裁判所浜田支部)における認定では、中島はかつての関東軍の特務機関員であり、終戦後には在日米軍の情報員となり、以後、「内閣調査室」「韓国景武台機関」に籍を置き、共産圏国家の情報蒐集にあたったとされている。 1963年9月、有楽町の喫茶店「ナイル」で、砒素の入ったコーヒーを飲まされ、暗殺されかかるが、応急処置で九死に一生を得る。
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秋山 正親(あきやま まさちか、1916年(大正5年)2月2… 秋山 正親(あきやま まさちか、1916年(大正5年)2月29日 - 1985年(昭和60年)1月6日)は、昭和時代の政治家。愛媛県北条市長(2期)。 愛媛県温泉郡北条町(北条市を経て現松山市)出身。松山北予中学校卒業。1937年(昭和12年)愛媛県庁に入る。民生、企画の各部長、出納長を歴任する。1978年(昭和53年)3月県庁を退職。退職後は愛媛相互銀行(現・愛媛銀行)監査役、愛媛県人事委員会委員となった。同年11月北条市長に当選。2期務めるが、2期目の1984年(昭和59年)9月病気のため市長を辞職。翌1985年(昭和60年)1月に死去した。
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黒田 正典(くろだ まさすけ、1916年2月29日 - 20… 黒田 正典(くろだ まさすけ、1916年2月29日 - 2009年5月29日)は、日本の心理学者。 宮城県出身。東北帝国大学法文学部心理学科を卒業。1967年「日本文字の筆跡心理学に関する基礎的研究」で東北大学より文学博士号を取得する。新潟大学教育学部助教授、教授を経て、1970年東北大学教養部教授となる。1979年に定年退官、名誉教授となり、岩手大学教授、東北福祉大学教授を務めた、福来心理学研究所。児童心理学を専門とした。
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根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日… 根岸忠雄(ねぎし ただお、1916年2月28日 - )は、日本の実業家。東邦チタニウム社長、日鉱エンジニアリング社長。 埼玉県出身。旧制埼玉県立熊谷中学校、旧制浦和高校を経て、1940年、東京帝国大学工学部卒業。 大学卒業後、日本鉱業に入社。金属事業本部金属加工部長、倉見工場長を経て、1968年、理事金属加工事業本部管理室長、1969年に取締役、1973年、常務、1976年、専務、1979年、日鉱エンジニアリング社長となる。日鉱エンジニアリング退社後、東邦チタニウム社長となる。 チタニウム協会副理事長、日本伸銅協会理事も歴任した。
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伊藤 達二(いとう たつじ、1916年(大正5年)2月28日… 伊藤 達二(いとう たつじ、1916年(大正5年)2月28日 - 2000年(平成12年)12月11日)は日本の実業家。元三菱地所社長。 神田生まれ。旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業後、三菱合資会社入社。大学の同期に水上達三(のちに三井物産社長)がいる。1953年三菱地所に転籍し、主に営業畑を歩む。 副社長等を経て、1980年社長就任。従来のオフィスビル事業、住宅事業に加え、新たに大型商業施設事業に参入。また三菱重工業横浜造船所跡地を取得し、横浜みなとみらい21の開発を行った。1987年取締役相談役。 2000年12月11日、神奈川県鎌倉市の病院で死去、享年84。
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立花 留治(たちばな とめじ、1916年 <大正5年> 2月… 立花 留治(たちばな とめじ、1916年 <大正5年> 2月27日 - 1995年 <平成7年> 6月25日)は、日本の政治家。茨城県日立市長(4期) 。位階は従五位。 茨城県出身。1934年、茨城県立水戸農学校(現・茨城県立水戸農業高等学校)卒。卒業後は茨城県農事試験場に入る。その後、同県農産物検査所を経て、1940年、日立市役所に入る。市役所では秘書、経済、庶務の各課長、産業、総務、水道の各部長などを務めた。1970年に市の水道事業管理者となり、1975年に退職するまで務める。同年、日立市長選挙に立候補して当選、4期連続務める。1991年に引退、同年勲三等瑞宝章を受章する。1995年死去。死没日付をもって叙従五位。
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立見辰雄(たつみ たつお、1916年2月27日 - 1997… 立見辰雄(たつみ たつお、1916年2月27日 - 1997年10月17日)は、日本の鉱床学者・地球化学者。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1954年)(学位論文「宮崎県槙峰鉱山含銅硫化鉄鉱々床の地質と成因」)。東京大学教授を歴任。 陸軍大将・立見尚文の孫として立見子爵家の三男として生まれる。旧制成蹊高等学校を経て、1939年東京帝国大学理学部地質学科で、加藤武夫教授の指導を受けて鉱床学を専攻して卒業。兵役についた後、1942年東京帝国大学理学部助手となり、資源科学研究所などを経て、1949年から東京大学教養学部助教授。1954年に宮崎県槇峰鉱山の地質・鉱床の研究で東京大学から理学博士の学位を取得。
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中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2… 中馬 辰猪(ちゅうまん たつい、1916年2月27日 - 2010年4月18日)は、日本の政治家。衆議院議員、建設大臣。 現在の鹿児島県霧島市国分に、参議院議員を務めた中馬猪之吉の二男として生まれる。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)、第七高等学校 (旧制)を経て、1941年京都帝国大学法学部を卒業。陸軍主計大尉としてインパール作戦に従事し、負傷するものの危機一髪で生還した経験を持つ。帰国後は水産会社役員、鹿児島県煙草耕作連嘱託等を経て、1949年第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で旧鹿児島2区から立候補し当選(当選同期に池田勇人・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
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鳥居 正博(とりい きみひろ、1916年〈大正5年〉2月27… 鳥居 正博(とりい きみひろ、1916年〈大正5年〉2月27日 - 1994年〈平成6年〉5月8日)は、日本の実業家。旺文社元副社長。日本英語検定協会元専務理事。國學院大學マスコミ院友会元副会長。鳥居耀蔵の養玄孫にあたる。鳥居支家十三代目。 東京府出身。杉並区堀ノ内在住。鎌田福寿の四男に生まれ、花園神社社司・鳥居成功の養子となる。養父・成功は鳥居耀蔵の曾孫にあたる。実妹は声優の鎌田弥恵。 1938年(昭和13年)國學院大學国文科を卒業後、旺文社に入社。1942年(昭和17年)国漢部次長となり、1946年(昭和21年)取締役書籍部長、1960年(昭和35年)専務を経て、1967年(昭和42年)副社長に就任。
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金 周仁(キム・ジュイン、朝鮮語: 김주인、1916年2月2… 金 周仁(キム・ジュイン、朝鮮語: 김주인、1916年2月25日 - 2001年3月25日)は、大韓民国の政治家、実業家。第6・7・9・10韓国国会議員。第7・8代大韓民国憲政会会長。 慶尚南道巨済島の巨済面明珍里またはソウル生まれ。中央大学法学部卒業。朝鮮金融組合連合会理事、韓国輸出産業公団社長、農業銀行常任取締役、韓国経済人協会常勤副委員長、事務局長などを務めた。時期は不明だが民主共和党に入党し、同党慶南第4地区党委員長・政策委副議長・政策研究室長・慶南道党党務協議会委員長などを務めた。1963年の第6代総選挙に同党の公認で立候補して初当選し、国会では農林委員長、予決委員長、維新政友会副議長、韓日協力委員会事務総長などを務めた。
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柳澤 壽男(柳沢 寿男、やなぎさわ ひさお、1916年〈大正… 柳澤 壽男(柳沢 寿男、やなぎさわ ひさお、1916年〈大正5年〉2月24日 - 1999年〈平成11年〉6月16日)は、日本の映画監督である。 1916年、群馬県佐波郡玉村町に生まれる。 溝口健二に師事。松竹下加茂撮影所にて、大曽根辰夫や犬塚稔の助監督を務めた。亀井文夫監督の『小林一茶』を見て、ドキュメンタリー映画への道を志すことになり、1942年に松竹を退社した。1943年から1950年までのあいだ、日本映画社にて、『富士山頂観測所』などの作品を手がけた。1953年に岩波映画製作所と契約し、『新風土記 北陸』や『室町美術』などの文化映画を手がけた。1960年代半ばに岩波との契約を解消したのち、自主製作のドキュメンタリー映画に転身し、『夜明け前の子供たち』や『風とゆききし』などを手がけた。
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小林 斗盦(こばやし とあん、1916年〈大正5年〉2月23… 小林 斗盦(こばやし とあん、1916年〈大正5年〉2月23日 - 2007年〈平成19年〉8月13日)は、日本の書道家、篆刻家である。埼玉県生まれ。本名は庸浩(こうよう)、号は斗盦(斗庵)。全日本篆刻連盟会長。篆刻家初の文化勲章受章者。勲三等瑞宝章。 篆刻家・河井荃廬、書家・西川寧に師事。 1916年2月13日、埼玉県川越市の父・勝治(香坡)、母・壽以の長男として生まれる。小林家は祖父の代から印章業を営んでおり、斗盦も10歳の頃に篆刻を教わった。香童と号し、浄碧居派の篆刻を学んだ。1928年、埼玉県立川越中学校に入学。1931年、中学2年生の夏に横浜を訪れ比田井天来に会い、たびたびの訪問ののち天来の指示で号を浩堂に改める。
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横地 節男(よこち せつお、1916年2月22日 - 200… 横地 節男(よこち せつお、1916年2月22日 - 2004年3月17日)は、広島県出身の実業家。島津製作所社長などを務めた。
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川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1… 川越 政則(かわごえ まさのり、1916年2月20日 - 1998年9月6日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者、郷土史家。南日本新聞社社長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。1939年に早稲田大学法学部法律学科を卒業。佐世保海軍経理部調達係での勤務を経て、1943年4月に鹿児島日報社、後の南日本新聞社に入社し、1961年12月に取締役に就任し、1962年12月に常務、1968年3月に鹿児島テレビ放送専務を経て、1972年11月から1981年12月までに南日本新聞社社長を務めた。 1986年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 郷土史家、民芸品収集家としても知られ、鹿児島県文化財専門委員等も務めた。著書に『南日本文化史』『南日本風土記』『鹿児島の旅』『鹿児島県史概説』『鹿児島民芸風土記』『鹿児島の美 南日本民芸図説』『焼酎文化図譜』など。
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風間 栄一(かざま えいいち、1916年2月19日 - 20… 風間 栄一(かざま えいいち、1916年2月19日 - 2001年5月8日)は、新潟県出身のアマチュアレスリング選手。日本レスリング界の第一人者として知られる。 1933年、新潟商業学校(現在の新潟県立新潟商業高等学校)から早稲田大学に進み、第1回全日本選手権でライト級を制覇した。 1936年ベルリンオリンピックにも出場してフリースタイル・ライト級で5位入賞を果たす。1938年には全日本学生選抜チームを率いてアメリカに遠征し、12戦全勝の記録を残した。 日本国内でも、2階級(66キロ級、72キロ級)に渡り全日本選手権で10度の優勝を達成し、1950年までの間不敗を維持するなど、日本のアマチュアレスリング創成期をけん引した選手であった。
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金 翼基(キム・イッキ、朝鮮語: 김익기、1916年2月19… 金 翼基(キム・イッキ、朝鮮語: 김익기、1916年2月19日 - 1992年10月1日)は、大韓民国の実業家、政治家。安東邑長、制憲・第2・3・4・6代韓国国会議員。 本貫は新安東金氏。号は一江(イルガン、일강)。元錦湖アシアナグループ会長の朴定求(朝鮮語版)と元ヘテグループ会長の朴健培は娘婿。 日本統治時代の慶尚北道安東郡出身。日本大学専門部法学科卒。安東酒造株式会社専務取締役、安東金融組合長、独促国民会安東支部副委員長、安東邑長、制憲国会憲法および政府組織法起草委員、第2・3・4代国会社会保健分科委員会委員長、国会憲法委員会委員、酒類業組合中央会長、自由党安東乙区党委員長・院内政策委員長、民政党中央委員会副議長・党務委員、民衆党中央常務委員、イランテヘランIPU総会韓国代表、雲岩鉱山社長、憲政同友会副会長を務めた。
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陳 智雄(ちん ちゆう、Tân Tì-hiông、タン ティ… 陳 智雄(ちん ちゆう、Tân Tì-hiông、タン ティーヒョン、1916年2月18日 - 1963年5月28日)は、台湾の政治家。日本の外務省勤務を経て台湾独立運動に参加、台湾共和国臨時政府の東南アジア巡回大使に就任している。
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本間 啓(ほんま あきら、1916年2月16日 - 1984… 本間 啓(ほんま あきら、1916年2月16日 - 1984年2月28日)は、日本の造園学者。農学博士。技術士。 東京大学農学部旧農業生物学科園芸第二講座緑地学研究室で、都市緑化並びに緑化用植物の研究を進め、特に日本住宅公団住宅における一連の造園緑化手法や東京ベイエリアの調査に基づくエコロジカルコリドーのあり方についても臨海部の森づくりにおいて基礎的調査を実施、臨海埋立地における緑地植物の植栽に関する研究などに取り組んでいる。 東京生まれ。東京帝国大学農学部卒業後、内務省国土局に入る。東京都立園芸学校教諭を経て、建設省発足時に移籍。建設技官、総理府技官を経て、1959年東京大学農学部助教授。1951年、日本都市計画学会「容積地域に関する研究会」補助員。
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三上 隆彦(みかみ たかひこ、1916年2月16日 - 19… 三上 隆彦(みかみ たかひこ、1916年2月16日 - 1988年9月27日)は、日本の洋画家。 東京都出身。明治大学卒業。1934年第10回白日会展に中学生で初入選する。独立美術協会展に14年間出品(恩師:中村節也画伯)。 明大時代はフェンシングや馬術の選手として活躍。(戦後は日本フェンシング協会理事長をつとめた。) その後、渡米しニューヨーク・ナショナル・アカデミー美術学校に学ぶ。欧米で日本の美術文化の紹介に努め、美術教育に当たる。馬の三上と言われる程、馬を描いて有名である。棟方志功は渡米した時に三上隆彦にお世話になったと自伝小説に記している。 1967年、日本へ帰国後1976年日輝会美術協会を創設、会長に就任して第1回日輝展を公募、総合美術展として上野の森美術館で旗揚げした。
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落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1… 落合 英一(おちあい えいいち、1916年2月15日 - 1993年6月10日)は、昭和時代の労働運動家、評論家。 筆名は北 竜平。全国産業別労働組合連合(新産別)書記長、国際自由労連東京事務所所長。 岩手県岩手郡葛巻町生まれ。1936年横浜高等工業学校応用化学科卒、三井化学三池染料工業所に入社。兵役を経て、1943年東京芝浦電気(東芝)に入社。1945年12月東芝堀川町工場従業員組合の結成に参加、委員長。 1946年10月全日本電気工業労働組合(全電工)初代委員長。全日本産業別労働組合会議(産別会議)中央執行委員を兼務。1947年の2・1スト以降、日本共産党のフラクション活動に反対し、産別会議の民主化運動に取り組む。
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小林 正樹(こばやし まさき、1916年2月14日 - 19… 小林 正樹(こばやし まさき、1916年2月14日 - 1996年10月4日)は、日本の映画監督。 北海道小樽区(現・小樽市)に会社員の息子として生まれる。女優の田中絹代は又従弟に当たる。旧制小樽中学校(現在の北海道小樽潮陵高等学校)を経て早稲田大学文学部哲学科に進学。早大では東洋美術を専攻し、会津八一に師事する。在学中に田中絹代に誘われて映画『桑の實は紅い』(清水宏監督)のロケ現場に1ヶ月参加する。1941年(昭和16年)早稲田大学卒業。卒業論文は「室生寺建立年代の研究」。 同年に松竹大船撮影所助監督部に入社する。同期には野村芳太郎がいた。入社試験に際しては、親しい間柄であった田中絹代に紹介を頼んだが、「映画界は実力がなければ通用しない」と諭され、田中の縁者であることを隠し通したという。
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板垣 武四(いたがき たけし、1916年〈大正5年〉2月13… 板垣 武四(いたがき たけし、1916年〈大正5年〉2月13日 - 1993年〈平成5年〉8月12日)は、1971年初当選の第7代札幌市長。北海道上川郡和寒村(現:和寒町)出身。 1916年2月13日、呉服屋を営む家庭の13人兄弟の11番目として、北海道上川郡和寒村(現:和寒町)に生まれた。小学校4年時に兄や母親と死別し、継母と仲良くなれず別の兄の住む札幌に移る。山鼻小、札幌一中(現:札幌南高)を経て、北海道帝国大学予科へ進学するも、法学への道を諦めきれず予科を退学し上京。 旧制第一高等学校を経て、札幌一中時代の友人の下宿に居候しつつ三浪を経て、東京帝国大学法学部卒業。 1941年に三菱電機神戸製作所入社、神戸大空襲に被災し緑豊かな六甲山地の光景から望郷の思いが募り、札幌への帰郷を決意、1946年、札幌市役所に入職。
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酒井 辰雄(さかい たつお、1916年2月13日 - 199… 酒井 辰雄(さかい たつお、1916年2月13日 - 1992年1月8日)は、日本の映画監督。 東京府東京市芝区白金三光町(現・東京都港区)出身。日本大学第三中学校を経て[要出典]、1939年日本大学専門部藝術科(現・日本大学芸術学部)を卒業した。 新劇の演出家・鈴木英輔の紹介で市川猿之助主宰の春秋座演出部に入る予定だったが話が頓挫し[要出典]、1939年新興キネマ東京撮影所監督部に入社する。1940年に退社後、溝口健二に師事して松竹京都撮影所に入り、『浪花女』以来、溝口の助監督を務め、溝口家に寄宿して内弟子生活をする。[要出典]1953年監督に昇進、主に時代劇を監督し、1964年に松竹を退社。
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北條 恒一(ほうじょう こういち、1916年2月11日 - … 北條 恒一(ほうじょう こういち、1916年2月11日 - )は日本の公認会計士、商学博士。 1940年小樽高等商業学校を卒業。元東京都立商科短期大学教授、元拓殖大学大学院教授(租税法)。 日本ペンクラブ会員、日本評論家協会会員、日本会計研究学会会員、租税法学会会員。 この項目は、会計に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト 会計)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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八尋 敏行(やひろ としゆき、1916年(大正5年)2月11… 八尋 敏行(やひろ としゆき、1916年(大正5年)2月11日 - 2014年(平成26年)2月5日)は、日本の実業家、元日本製粉社長、会長。
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黒木 敏郎(くろき としろう、1916年2月11日 - 19… 黒木 敏郎(くろき としろう、1916年2月11日 - 1993年2月5日)は、日本の水産学者。 鹿児島県鹿屋市生まれ。1941年東京帝国大学工学部航空学科卒。陸軍航技大尉で敗戦。1948年鹿児島水産専門学校教授、1949年鹿児島大学助教授、1955年「魚群衆体変動要因としての魚群移動について」で九州大学農学博士。1960年北海道大学教授、1968年東京大学海洋研究所教授、1976年定年退官、東京水産大学教授、1979年定年退官、名誉教授、日本大学理工学部教授。 西日本文化賞、1983年日本水産学会賞・功績賞(水産一般)「魚群行動に関連する応用物理学的研究」、89年勲三等旭日中綬章受勲。農林省のマリンランチング(海洋牧場)計画委員も兼務。
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熊野 紀一(くまの のりかず、1916年2月11日 - 20… 熊野 紀一(くまの のりかず、1916年2月11日 - 2006年3月19日)は、日本の経営者。山口県山口市出身。 1939年に早稲田大学文学部を卒業し、1945年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1970年11月から1985年6月までに宝塚音楽学校校長と1982年6月から1997年6月までに逸翁美術館館長を務めた。 2006年3月19日大腸がんのために死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 201… 中野 友雄(なかの ともお、1916年2月10日 - 2010年4月22日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。勲一等瑞宝章、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章受章。 石川県羽咋郡志賀浦村(現志賀町)生まれ。北海道士別市出身。旧制旭川中学(現北海道旭川東高等学校)を経て、1941年北海道帝国大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、日立工場回転機部配属。1942年大日本帝国陸軍八戸飛行場の第六航空教育隊入隊。ビルマの戦いに参加しシンガポールで日本の降伏を迎えた。レンパン島での捕虜生活を経て、1946年復員し北海道配電入社。1951年北海道電力入社。
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藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日… 藤井 重夫(ふじい しげお、1916年(大正5年)2月10日 - 1979年(昭和54年)1月17日)は、兵庫県生まれの作家。 兵庫県豊岡市生まれ。豊岡商業学校卒(現兵庫県立豊岡総合高等学校)。 21歳で応召し、4年間を中国大陸の戦火の中で過ごした。1941年、25歳の時に朝日新聞に入社(姫路通信局専属通信員)。第二次世界大戦中は陸軍報道班員としてフィリピンやマレーなどに派遣され、約2年間を南方の地で従軍した。戦後の1951年、大阪本社から東京本社へ転勤。雑誌編集などに携わる傍ら、執筆した「佳人」(同人誌『作家』所収)が川端康成に激賞され、芥川賞候補となる。同作が1958年に日活で映画化されたことを機に、翌年朝日新聞社を退社し、作家業に専念する。
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天津 龍太郎(あまつ りゅうたろう、1916年2月10日 -… 天津 龍太郎(あまつ りゅうたろう、1916年2月10日 - 1962年)は、日本の俳優である。新漢字表記天津 竜太郎、本名兼田 隆(かねだ たかし)。日本映画データベースにおける「大津竜太郎」は誤記。 1916年(大正5年)2月10日、岡山県英田郡吉野村(現在の同県美作市五名あたり)に生まれる。 兵庫県神戸市に移り、旧制・神戸市立第三神港商業学校(現在の神戸市立六甲アイランド高等学校)に入学する。同校卒業後、奈良県生駒郡伏見村(現在の同県奈良市あやめ池北1丁目)にあやめ池撮影所を持つ市川右太衛門プロダクションに入社、同社で俳優としてデビュー、脇役・端役等でサイレント映画に出演をしていた。1936年(昭和11年)12月に同社は解散し、松竹キネマに吸収されるが、それを目前とした同年9月、兵庫県西宮市甲陽園に甲陽撮影所を稼働させていた甲陽映画(同年5月設立)に移籍する。
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浜森 辰雄(はまもり たつお、1916年2月9日 - 200… 浜森 辰雄(はまもり たつお、1916年2月9日 - 2009年9月4日)は、日本の政治家。北海道稚内市出身。第4代 - 第11代北海道稚内市長(1959年 - 1991年)。 1939年札幌商業学校、1941年早稲田大学政治経済学部(旧制)卒業。 北海道議会議員(日本社会党会派)を経て、1959年稚内市長に初当選。以後連続8期務め、稚内の天皇とまで称された。1983年に7月にソビエト連邦を初訪し、両国のパイプ役として活躍。同年12月には、ソ連対外友好・文化交流団体連合会より友好促進記章を贈られた。また同年9月の大韓航空機撃墜事件では、遺族対策や報道陣対応でこの年は多忙を極めた。1991年に9選を目指すも落選。
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