下山 順一(しもやま じゅんいち、1921年11月15日 -… 下山 順一(しもやま じゅんいち、1921年11月15日 - 2014年10月26日)は、日本のアナウンサー。 大正10年(1921年)11月15日、東京市下谷区下根岸に生まれる。早稲田大学卒業後、昭和24年(1949年)日本放送協会(NHK)にアナウンサーとして入局。名古屋中央放送局、静岡放送局、新潟放送局、大阪中央放送局でアナウンス業務に従事した。特にスポーツ実況中継に多く携わり、大相撲、高校野球、プロ野球、ラグビー、国民体育大会等の幅広い種目で、ラジオ実況さらに放送が開始されたテレビでの実況中継を担当した。昭和33年12月、民間放送テレビ局の1社として新たに開局した名古屋市東区に本社を置く東海テレビ放送(THK)にアナウンス室長として移籍。
山根 敏子(やまね としこ、1921年11月14日 - 19… 山根 敏子(やまね としこ、1921年11月14日 - 1956年8月29日)は、日本の外交官。 北海道帝国大学の助教授で畜産学者の山根甚信の2女として、札幌市北13条に生まれる。台北州立第一高等女学校(現台北市立第一女子高級中学)を経て、1941年津田英学塾(後の津田塾大学)を繰り上げ卒業。1945年台北帝国大学(国立台湾大学の前身)文政学部文学科英文学専攻を繰り上げ卒業。 1950年、外交官及び領事試験に唯一の女性として合格し外務省研修所研修員となる。ガリオア奨学金を得て、クイーンズ・カレッジでのオリエンテーションを経て、1951年バーモント大学政治学課程修了。 1951年外務省条約局国際協力課事務官、同年外務省国際協力局第1課事務官。
三輪 八郎(みわ はちろう、1921年11月13日 - 19… 三輪 八郎(みわ はちろう、1921年11月13日 - 1944年8月17日)は、群馬県群馬郡片岡村(現・高崎市)出身のプロ野球選手。左投左打。1942年・1943年は、同じ阪神軍に在籍していた三輪裕章と区別するため三輪八と書かれることもある。 高崎市片岡尋常小学校(現:高崎市立片岡小学校)、群馬県立高崎中学校(現:群馬県立高崎高等学校)卒業。甲子園出場経験は無いが、1936年の高崎中3年次には北関東大会決勝まで一人で投げ抜き、群馬県立桐生中学校(現:群馬県立桐生高等学校)に敗れた。 桐生中の野球部監督・稲川東一郎の推薦により、稲川の義弟で大阪タイガースの球団職員だった早川二郎を仲介して同球団に入団。
入野 義朗(いりの よしろう、1921年11月13日 - 1… 入野 義朗(いりの よしろう、1921年11月13日 - 1980年6月23日)は、日本の現代音楽の作曲家。 若い頃の名前は「義郎」であり、1958年以降、現在の名前に改名。十二音技法を始めとする20世紀音楽の創造と啓蒙に尽力すると共に、桐朋学園を中心に後進の育成に力を注いだ。作品は劇音楽、管弦楽、室内楽、声楽など多岐にわたる。1980年の没後、従五位勲四等旭日小綬章を授与された。また同年に「入野賞」、1981年に「アジア作曲家連盟入野義朗記念賞」が設けられ、ともに若い作曲家のための登竜門として今日まで存続し続けている。 入野は1921(大正10)年、貿易会社勤めの父の赴任地、旧ソビエト連邦のウラジオストックに生まれた。
大西 寛介(おおにし ひろすけ、1921年11月11日 - … 大西 寛介(おおにし ひろすけ、1921年11月11日 - 1987年1月29日)は、愛知県岡崎市出身のプロ野球選手。
北川 力夫(きたがわ りきお、1921年(大正10年)11月… 北川 力夫(きたがわ りきお、1921年(大正10年)11月11日 - 没年月日不詳)は、日本の官僚。元厚生事務次官。滋賀県出身。妻の兄・草場敏郎は三井銀行社長。 東京帝国大学法学部卒業後、内務省に入省。岐阜県属。厚生省医務局次長、年金局長、保険局長を経て、1975年(昭和50年)に社会保険庁長官、1976年(昭和51年)厚生事務次官に就任。 1977年(昭和52年)に退官後は、医療金融公庫総裁、全国土木建築国民健康保険組合理事長を歴任した。1993年(平成5年)には勲二等旭日重光章を受章した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松浦 高雄(まつうら たかお、1921年11月8日 - 20… 松浦 高雄(まつうら たかお、1921年11月8日 - 2005年4月12日)は、日本の経営者。小糸製作所社長、会長を務めた。 北海道出身。1945年に東北帝国大学工学部を卒業し、1946年にトヨタ自動車工業に入社。1972年5月に小糸製作所常務に就任し、1976年4月に専務、1979年6月に副社長を経て、1985年6月には社長に就任。1992年7月に会長、1995年6月に取締役相談役を経て、1997年6月に相談役に就任。 1988年に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2005年4月12日腸閉塞のために死去。83歳没。
角山 栄(角山 榮、つのやま さかえ、1921年11月7日 … 角山 栄(角山 榮、つのやま さかえ、1921年11月7日 - 2014年10月15日)は、日本の経済史家。和歌山大学学長や堺市博物館館長を務めた。専攻はイギリス近代経済史。 大阪府大阪市出身で、幼少期は堺市で育った。市岡中学校(旧制)、旧制大阪高等学校を経て、1945年(昭和20年)に京都帝国大学経済学部卒業。1950年(昭和25年)和歌山大学経済学部助教授。1961年(昭和36年)「イギリス毛織物工業史論」で経済学博士(京都大学)。和歌山大学経済学部教授、1967年(昭和42年)-1968年(昭和43年)経済学部長、1975年(昭和50年)4-7月学長、1986年(昭和61年)定年退官、名誉教授。
和田 穣太郎(わだ じょうたろう、1921年11月7日- 2… 和田 穣太郎(わだ じょうたろう、1921年11月7日- 2006年11月29日 )は、日本の経営者。三菱倉庫社長、会長を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学法学部を卒業し、同年に三菱倉庫に入社した。1973年5月に取締役に就任し、1975年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1987年6月には相談役に就任。 1994年6月に日本郵船監査役に就任。 1986年4月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2006年11月29日、腹部大動脈瘤破裂のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月… 西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月5日 - 2001年〈平成13年〉11月10日)は、日本の政治家。那覇市名誉市民、知念村名誉村民、与那国町名誉町民。 沖縄県知事(本土復帰後第3代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、沖縄県那覇市長(第18・19代)、沖縄自由民主党総裁、立法院議員(1期)等を歴任した。 沖縄県八重山郡与那国村(現・与那国町)生まれ。小学生時代の一時期、南洋庁のパラオに在住していた。旧制沖縄県立第二中学校、旧制水戸高等学校を経て1948年、東京帝国大学法学部卒業。戦時下に海軍中尉となる。 外務省に入省するが、半年で退官。沖縄へ戻り、沖縄ヘラルド(その後改名して沖縄朝日新聞)の創設に参加し社長などを歴任する。
梶原 清(かじわら きよし、1921年11月2日 - 201… 梶原 清(かじわら きよし、1921年11月2日 - 2012年2月9日)は、日本の政治家、運輸官僚。参議院議員(2期)。 民主党前衆議院議員の梶原康弘は息子。 兵庫県出身。京都帝国大学法学部卒業。1950年、運輸省に入省する。1978年に自動車局長などを歴任。1979年に退官し、1980年の第12回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補し初当選。1992年に引退し、日本自動車ターミナル代表取締役社長に就任。2000年秋の叙勲で、勲二等旭日重光章受章。 2012年2月9日、肺炎のため東京都の病院で死去、90歳。死没日をもって正四位に叙される。
本田 富雄(ほんだ とみお、1921年11月2日 - 201… 本田 富雄(ほんだ とみお、1921年11月2日 - 2012年7月18日)は、日本の政治家。安田町議、安田町議会副議長、安田町長(10期)、阿賀野市長(1期)を歴任した。 1921年11月2日、新潟県北蒲原郡安田町(現阿賀野市)に生まれる。1940年に旅順工科大学臨時附属技術員養成所鉱山科卒業した。卒業後、満州鉱業開発に入社した。1944年に応召され敗戦時は陸軍少尉だった。1955年、安田町議会議員に初当選した。1957年、安田町議会副議長に就任した。1961年、安田町助役に就任した。1967年5月、安田町長に就任した。1999年4月25日の町長選挙で新人を破って、9選を果たした。2003年4月27日の町長選挙で新人を破って、10選を果たした。
青木 來三郎(あおき らいざぶろう、1921年 <大正10年… 青木 來三郎(あおき らいざぶろう、1921年 <大正10年> 11月 - 2007年 <平成19年> 12月30日)は、茨城県の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員。位階は正五位。旭日中綬章。 明治大学卒業。第76代茨城県議会議長。 古河市議会議員(3期)、同市助役(当時)を経て、1963年の茨城県議会議員選挙に出馬したが、落選。1967年の出直し県議選にて初当選。以後10期連続当選。古河市古河地区のJR宇都宮線高架化などに尽力した。県議会議長在職中にはつくば万博を成功させ、「万博議長」と呼ばれた。 2006年12月10日の県議選に出馬せず、政界を引退。同年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。2007年12月30日、急性心不全により死去。
伊藤 清(いとう きよし、1921年(大正10年)11月 -… 伊藤 清(いとう きよし、1921年(大正10年)11月 - 2012年(平成24年)7月4日)は、大日本帝国海軍軍人。第二次世界大戦における零式艦上戦闘機のエース・パイロットである。 1947年(昭和22年)の結婚により改姓し、加藤 清(かとう きよし)となった。 1921年(大正10年)新潟県村上市で、6人兄弟の3男として生まれた。高等小学校を出て織物工場で働くが、海軍機関兵だった従兄の影響を受けて、1939年(昭和14年)6月1日横須賀海兵団に入隊し、教程を終えた10月に水雷艇「鴻」に乗組みとなった。1940年(昭和15年)11月、海軍飛行予科練習生丙2期生として土浦海軍航空隊に入隊した。
千葉 治平(ちば じへい、1921年10月31日 - 199… 千葉 治平(ちば じへい、1921年10月31日 - 1991年6月23日)は、秋田県仙北市(旧田沢湖町)出身の小説家。本名は堀川 治平(ほりかわ じへい)。秋田県出身者としては、第41回(1959年)の渡辺喜恵子に次ぐ2人目の直木賞受賞者。 秋田工業学校(現・秋田県立秋田工業高等学校)で電気科を学び、1940年で旧満洲で満鉄調査部科学研究所入社を経て、南満洲工業専門学校を卒業した。 終戦後は故郷の秋田に戻り、農業の傍ら「月刊さきがけ」で懸賞小説に応募して、一席入選し、伊藤永之介に師事し、共に秋田文学を創刊する。 1966年に「秋田文学」23号から27号まで連載された「虜愁記」は第54回直木賞を受賞した。
石丸 久(いしまる ひさし、1921年10月31日 - 19… 石丸 久(いしまる ひさし、1921年10月31日 - 1999年12月26日)は、日本の近代文学者。早稲田大学講師、早稲田大学高等学院教諭、代々木ゼミナール講師。 北海道河東郡帯広町(現帯広市)に父・庄七と母・なほこの長男として生まれる。ヨーロッパでの生活経験があり英語・ドイツ語・フランス語に堪能。旧制千葉県立佐倉中学校、旧制静岡高等学校、旧制第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学・および同大学院を卒業。大手大学受験予備校代々木ゼミナールの講師も務めた。後に早稲田大学教授。(石丸を「教授」としているのは小田原市の資料のみであり、他の資料では「講師」と記されている。要検証。) 2012年、夫人の希望によって、架蔵していた北原白秋の初版本60冊ほど(評価額150万円以上)が小田原市に寄贈された。
川井 直人(かわい なおと、1921年10月31日 - 19… 川井 直人(かわい なおと、1921年10月31日 - 1979年7月3日)は、日本の物理学者・地球科学者。専門は古地磁気学。1945年に京都帝国大学理学部地質学鉱物学科を卒業。大阪大学名誉教授。 大阪府生まれ。京都大学で松山基範の薫陶を受け、初めは古地磁気学者として、京都大学講師として教鞭を執った。岩石の微弱な磁化の測定で業績を上げ、松山期よりも新しい年代における逆磁極期の発見に貢献した。 1960年3月、京都大学より理学博士の学位を取得(論文は「地殻の磁気」)。その後、1962年に新設の大阪大学基礎工学部に教授として転任し、地球内部の状態を実験室で再現するための高圧物理の研究を始めた。そして、川井式マルチアンビルセルと呼ばれる高圧発生装置の開発に成功し、高圧条件下における岩石の相変化と地震波速度の不連続面とを関連付ける業績を上げた。
星野 紗一(ほしの さいち、1921年(大正10年)10月3… 星野 紗一(ほしの さいち、1921年(大正10年)10月31日 - 2006年6月22日)は、日本の俳人。夫人は俳人の星野明世(本名 明子)。元現代俳句協会顧問。 埼玉県浦和市(現・さいたま市)に生まれる。1933年(昭和8年)父の星野茅村や『水明』の長谷川かな女のもとで俳句を始める。1942年(昭和17年)拓殖大学を繰上げ卒業し、甲府連隊に入隊。 1946年(昭和21年)『七星会』を創刊。1955年(昭和30年)『水明』編集委員、1969年(昭和44年)『水明』運営委員、編集長。1973年(昭和48年)『水明』2代目主宰の長谷川秋子の急逝により、3代目主宰に就任。1975年(昭和50年)現代俳句協会会員、のち幹事を務めた。
中曽根 蔦子(なかそね つたこ、1921年〈大正10年〉10… 中曽根 蔦子(なかそね つたこ、1921年〈大正10年〉10月30日 - 2012年〈平成24年〉11月7日)は、日本の71・72・73代内閣総理大臣である中曽根康弘の妻。 東京府(現在の東京都)出身。明治大学教授で理学博士であった小林儀一郎の三女として1921年(大正10年)10月30日に生まれる。学制改革前の専門学校であった日本女子大学校の国文科を卒業。戦時中、海軍士官として台湾の高雄の海軍施設部にいた中曽根康弘と東京で出会い、1945年(昭和20年)2月11日に結婚。 1947年(昭和22年)に康弘が衆議院議員選挙に初当選し、代議士の妻となる。また1982年(昭和57年)11月27日から1987年(昭和62年)11月6日までは康弘が内閣総理大臣に在任し、長期にわたってファーストレディとして活動をした。
荻原 賢次(おぎはら けんじ、1921年10月30日 - 1… 荻原 賢次(おぎはら けんじ、1921年10月30日 - 1990年1月7日)は、日本の漫画家。 祖先は松本藩士であったという。神奈川県横浜市で生まれ、東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)の「職人の多い下町」で育つ。少年時代に、湯島聖堂の斯文会で『日本外史』などを通じ、漢文に親しみ、歴史の素養を身につける。小島尋常小学校卒業後、商業補習学校、研数学館などを転々とする。この間、川端画学校を中退したほか、クロッキー研究所に在籍している。クロッキー研究所ではのちにともに漫画家になる根本進、塩田英二郎、上田トシコ、永井保らと知り合う。 自作漫画を雑誌に投稿して頭角を現すと、1939年には永井に、その永井が所属する若手漫画家のグループ「漫画突撃隊」へ勧誘される。
坂倉 芳明(さかくら よしあき、1921年(大正10年)10… 坂倉 芳明(さかくら よしあき、1921年(大正10年)10月29日 - 2014年(平成26年)5月13日)は、日本の実業家。西武百貨店、三越各社長、日本百貨店協会会長を歴任した。 東京都出身。麻布中学校、慶應義塾普通部、慶應義塾大学経済学部予科を経て、1943年、慶應義塾大学経済学部を卒業。当時の岩瀬英一郎三越社長と父が旧知の仲であったため、父から強く三越入りを勧められ入社を決めた。入社後は堪能な英会話を活かし、GHQとの交渉にあたる岩瀬社長直属の通訳として活躍した。百貨店の心臓部とされる業務畑を一貫して歩み、一度も売り場に立ったことはなかった。常務時代には松田伊三雄社長の後継として岡田茂と並び称されるが、後継社長に岡田が就任すると真っ先に粛清の槍玉に挙がってしまう。
仲村 優一(なかむら ゆういち、1921年10月29日 - … 仲村 優一(なかむら ゆういち、1921年10月29日 - 2015年9月28日)は、日本の社会福祉学者、日本社会事業大学名誉教授。 東京出身。東京帝国大学卒。日本社会事業短期大学助教授、1961年日本社会事業大学教授、72年同大学長。1987年定年退任、名誉教授。放送大学教授、淑徳大学教授、学術顧問を歴任。日本学術会議会員。中央社会福祉審議会委員。1964年日本社会福祉学会の創立に参加。
新庄 哲夫(しんじょう てつお、1921年10月28日 - … 新庄 哲夫(しんじょう てつお、1921年10月28日 - 2006年1月10日)は、日本のアメリカ文学者、ジャーナリスト、編集者、翻訳家。本名は新庄 哲雄(読みは同じ)。 アメリカ合衆国サンフランシスコ生まれ、山口県岩国市が本籍。1943年学徒動員により青山学院英文科を繰り上げ卒業、東京新聞外報部勤務となり、戦時下の外務省、戦後のGHQを担当。1953年にハーマン・ウォークの『ケイン号の反乱』の翻訳を上梓しベストセラーとなる。1957年出版部勤務となり「週刊東京」担当、1960年の同誌廃刊とともに本社編集委員。朝夕刊のコラムを執筆、1968年に退社。 大妻女子大学短期大学部教授に就任後、数多くの英米の小説、ノンフィクションを翻訳。
池田 文雄(いけだ ふみお、1921年10月28日 - 20… 池田 文雄(いけだ ふみお、1921年10月28日 - 2012年6月19日)は、日本の法学者。専修大学名誉教授。専門は空法。 岡山県出身。東京帝国大学法学部政治学科卒。1962年「宇宙空間と惑星の法的地位に関する国際法的研究」で東京大学法学博士。国立国会図書館勤務、専修大学法学部助教授、教授。1992年定年、名誉教授。 2012年6月19日、敗血症性ショックのため死去。
平田 藤吉(ひらた とうきち、1921年10月28日 - 1… 平田 藤吉(ひらた とうきち、1921年10月28日 - 1991年1月31日)は日本の政治家。元衆議院議員(日本共産党公認)。日本共産党中央委員会委員。 埼玉県上尾市出身。1933年、新潟県出雲崎尋常小学校卒業。1946年に共産党に入党した。保育園理事長や日本共産党埼玉県委員長などを務めた。1958年の第28回衆議院議員総選挙は旧埼玉3区から立候補して落選。1960年の第29回総選挙から第32回総選挙まで旧埼玉1区で立候補して落選した。1972年の第33回総選挙で初当選を果たす。国政選挙6度目の挑戦にして、トップ当選であった。当選1回。1976年の第34回総選挙では旧埼玉5区から立候補したが落選した。
東富士 欽壹(あずまふじ きんいち、1921年10月28日 … 東富士 欽壹(あずまふじ きんいち、1921年10月28日 - 1973年7月31日)は、東京市下谷区(現・東京都台東区)出身で高砂部屋(入門時は富士ヶ根部屋)に所属した大相撲力士・第40代横綱・元プロレスラー・実業家。本名は井上 謹一(いのうえ きんいち)。 子供時代から巨躯・怪力で、大人に交じって家業の鉄工所を手伝っていたことから“下谷に怪童あり”と評判になる。その評判を聞きつけた富士ヶ根が勧誘して入門させ、1936年1月場所に初土俵を踏む。しかし、緊張から鍛え上げられた力を発揮できずに前相撲を通過して番付に載るまで2年を要したが、幕下時代から双葉山定次に目をかけられ、「キン坊、来い」と呼ばれては猛稽古で鍛えられた。
尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )… 尾形 敏彦(おがた としひこ、1921年10月27日 - )は、日本のアメリカ文学者、京都大学名誉教授。 東京出身。(旧制)東京高等学校卒、1942年京都帝国大学文学部英文科入学、徴兵で従軍し中国大陸に転戦、復員ののち僧籍をもち1947年卒業、大学院在籍、1948年京大附属医学専門部教授、1951年大阪女子大学助教授、1965年京大教養部助教授、教授、1982年名誉教授、奈良女子大学教授、1984年佛教大学教授、92年退職。弟の尾形克彦 (1924 - ) は工学者、米国ミネソタ大学教授。長男・尾形充彦(あつひこ、1954 - )は宮内庁技官正倉院勤務。
星川 清司(ほしかわ せいじ、本名:清(きよし)、1921年… 星川 清司(ほしかわ せいじ、本名:清(きよし)、1921年10月27日 - 2008年7月25日)は、日本の脚本家・小説家。
永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 20… 永井 滋郎(ながい じろう、1921年10月27日 - 2012年10月26日)は、日本の比較教育学者、社会科教員。 大阪市生まれ。広島高等師範学校、学徒動員をへて1945年広島文理科大学卒、広島大学附属中学校・高等学校教諭、広島大学教育学部助教授、84年「国際理解教育に関する研究 国際的協同研究をとおして」で広島大学より教育学博士の学位を取得。定年退官、名誉教授、鳴門教育大学教授。
徳間 康快(とくま やすよし、1921年〈大正10年〉10月… 徳間 康快(とくま やすよし、1921年〈大正10年〉10月25日 - 2000年〈平成12年〉9月20日)は、日本の実業家・映画プロデューサー。日本映画テレビプロデューサー協会、日本雑誌協会、各会員。 株式会社徳間書店社長(初代)、徳間ジャパンコミュニケーションズ社長、大映株式会社社長、徳間プレスセンター社長、学校法人逗子開成学園理事長(第5代)、逗子開成高等学校校長(第12代)、株式会社スタジオジブリ社長(初・3代)、東京都写真美術館館長(第3代)などを歴任した。他に社団法人日本映画製作者連盟理事、社団法人日本レコード協会理事、東京国際映画祭ゼネラルプロデューサーなど。 神奈川県横須賀市生まれ。
徳吉 英雄(とくよし ひでお、1921年10月25日 - 1… 徳吉 英雄(とくよし ひでお、1921年10月25日 - 1958年9月21日)は、日本の画家。1946年(昭和21年)から1948年(昭和23年)にかけて倉吉で民藝の同人誌『意匠』を発行。同時期に、鳥取中部の芸術団体「砂丘社」の機関誌『砂丘』復刊に尽力した。 1921年(大正10年)生まれ。1934年(昭和9年)倉吉中学(現倉吉東高校)に入学し、中井金三に教わる。京都高等工藝学校(現京都工芸繊維大学)図案科に進学。卒業後は、鉄道本省に勤める。兵役を経て敗戦後は倉吉に戻る。 1946年(昭和21年)、私家版として同人誌『意匠』を発行する。『意匠』は郷土の工藝を育み向上させることを意図した雑誌であり、第1号から第4号まで発行された。
川崎 真治(かわさき しんじ、1921年10月25日 - 2… 川崎 真治(かわさき しんじ、1921年10月25日 - 2007年10月9日)は、日本の言語学者、考古学者。大学や公の研究機関には所属していない在野の研究者。 世界各国の古代言語や古代文字(ペトログリフ)と日本語との関係を、極めて大胆な発想で結びつける説を多数提唱している。古くから著作が多く知名度は抜群に高いが、提唱された説が学会で発表されたり、他の考古学者等から支持を得たりすることは少ない。 1921年10月25日、東京、品川に生まれる。「川崎真治」は筆名であり、本名は川﨑治夫。 1944年、東京高等商船学校(現・東京海洋大学海洋工学部)航海科卒業。戦時中は三等航海士として海上勤務した。戦後、龍口直太郎のもとで語学雑誌の編集にたずさわり、その後、『譚海』編集長となる。
川合 章(かわい あきら、1921年10月25日 - 201… 川合 章(かわい あきら、1921年10月25日 - 2010年11月2日)は、日本の教育学者。教育方法史を研究。埼玉大学名誉教授。 新潟県出身。東京文理科大学卒。秋田師範学校教諭、埼玉大学助教授、1969年教授。86年定年退官、名誉教授、中京大学教授。日本生活教育連盟委員長。
西條 文喜(さいじょう ふみき、1921年10月23日 - … 西條 文喜(さいじょう ふみき、1921年10月23日 - 1988年6月9日)は、日本の映画監督、脚本家、作詞家・詩人である。本名は伊奈 文喜(いな ふみき)、別名は鶴巻 次郎(つるまき じろう)。詩人としては本名を名乗った。 1921年(大正10年)10月23日、東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)に生まれる。伯父に作詞家の西條八十(1892年 – 1970年)、叔父に映画監督の伊奈精一(1898年 – 1962年)がいる。 旧制・駒込中学校(現在の駒込高等学校)に進学、叔父・伊奈精一の影響により幼少より映画に親しみ、1940年(昭和15年)3月、同校を卒業するとともに、叔父の紹介を得て、同年4月、新興キネマに入社する。
寺井 久美(てらい ひさよし、1921年10月23日 - 2… 寺井 久美(てらい ひさよし、1921年10月23日 - 2007年3月4日)は、日本の運輸官僚、経営者。海上保安庁長官などを務めた。 和歌山県出身。1945年に九州帝国大学法学部経済学科を卒業し、同年に運輸省に入省し、1947年に高文行政科に合格。1973年9月に航空局長、1974年6月に海上保安庁長官を歴任し、1975年7月に運輸省顧問に就任。その後は、1979年9月に日本アジア航空副社長、1983年10月に日本貨物航空副社長、1990年7月に航空振興財団理事長を歴任。 1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2007年3月4日に腹部大動脈瘤破裂のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
三好 俊夫(みよし としお、1921年10月22日 - 20… 三好 俊夫(みよし としお、1921年10月22日 - 2000年6月29日)は、松下電工代表取締役名誉会長、日経連副会長、日中経済貿易センター会長。愛媛県松山市出身。 1946年に神戸経済大学経済学部(現神戸大学経済学部)を卒業と同時に松山経専(現松山大学)の教授となる。1950年に松下電工に入社。1977年に取締役に就任。その後、1981年に常務取締役、1982年に専務取締役、1987年2月に代表取締役副社長を経て、1988年2月に代表取締役社長に就任。グローバル経営を推進し、丹羽正治に次いで同社を1兆円企業に育て上げた。その後、1993年に関西経営者協会会長を6年間務め、1994年2月に代表取締役会長に退く、1997年4月28日に亡くなった藤井貞夫相談役の葬儀・告別式の委員長を務めた。
藤田 忠(ふじた ただし、1921年10月21日 - 198… 藤田 忠(ふじた ただし、1921年10月21日 - 1989年7月1日)は、日本の経営学者。 水戸市出身。1945年東京帝国大学文学部心理学科卒、1947年同大学院修了。1972年「職務分析と労務管理」で慶應義塾大学商学博士。1949年東京工業大学経営工学科助手、1953年横浜国立大学経済学部講師、1956年助教授、1965年教授。1967年経営学部教授。1975-1978年経営学部長。図書館長をへて、1987年定年退官、名誉教授。1962年『人事考課と労務管理』で日経・経済図書文化賞受賞。
宮本 幸男(みやもと ゆきお、1921年10月21日 - 2… 宮本 幸男(みやもと ゆきお、1921年10月21日 - 2015年9月18日)は、日本のアマチュア天文学者。 天文学界における人口増加に努め、1968年の熊本天文学研究会の創設に携わった。天文学者の星野次郎から鏡作りを学び、1971年にはアマチュア天文学者としては初めてライトシュミット式望遠鏡を作り上げた。 小惑星番号6020の「Miyamoto」は彼の名前を元に付けられた。 1921年10月21日 熊本県熊本市で誕生。1945年 日本大学旧工学部建築学科卒業。 1968年 熊本天文学研究会の創設に携わる。1971年 天体用カメラ「ライトシュミット」を完成。 1982年、熊本市博物館職員を嘱託され、プラネタリウム運営スタッフとなる。
長岡 毅(ながおか たけし、1921年 <大正10年> 10… 長岡 毅(ながおか たけし、1921年 <大正10年> 10月20日 - 2004年 <平成16年> 9月2日)は、日本の経営者。日本通運社長、会長を務めた。位階は正四位。 福島県出身。1943年に早稲田大学専門部商科を卒業し、同年に日本通運に入社した。初代の米国駐在員となり、それ以来、国際輸送部門・航空輸送部門に携わった。1962年に米国日本通運副社長に就任し、1975年5月に取締役、1979年6月に常務、1981年2月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任した。1991年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役に退いた。社長時代には、海外現地法人を22社新設するなど海外輸送網の拡充に尽力した。
オーテス・ケーリ(Otis Cary、1921年10月20日… オーテス・ケーリ(Otis Cary、1921年10月20日 - 2006年4月14日)は、アメリカ合衆国の情報将校、教育者である。同志社大学名誉教授。オーティス・ケーリ、オティス・ケーリなどの表記もある。 1921年、北海道小樽市富岡町に生まれる。父フランク・ケーリ(1888年 – 1973年)は、宣教師、同志社理事。祖父は宣教師で同志社神学校教授、理事のオーテス・ケーリ(1851年 - 1932年)。 14歳でアメリカに帰国、アマースト大学に学び、日米開戦に入った1941年にアメリカ海軍日本語学校に入学。ドナルド・キーンは同級生だった。 1943年2月、海軍少尉となり真珠湾の陸海軍情報局に配属され、アリューシャン列島の作戦及びサイパン島の占領に参加。
加美 早苗(かみ さなえ、1921年10月20日 - 200… 加美 早苗(かみ さなえ、1921年10月20日 - 2000年8月30日)は、日本のバレリーナ・バレエ指導者である。宝塚歌劇団星組に娘役として所属した後、バレリーナ・バレエ指導者へと転身した。 本名は辻野美津枝(つじの・みつえ)といい、1921年に3人姉妹の末娘として兵庫県川辺郡長尾村(現・兵庫県宝塚市)で生まれた。幼少時は「ツーコ」と呼ばれて幸福な生活を送っていたが、小学校5年のときに実母と死別した。継母とはなかなか馴染むことができず、もともと内向的だった彼女はさらに無口になっていった。そんな美津枝の状態を心配した長姉・小ゆきは、引きこもりがちになった彼女を外の空気に触れさせようと、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)の受験を勧めた。
神風 正一(かみかぜ しょういち、1921年10月19日 -… 神風 正一(かみかぜ しょういち、1921年10月19日 - 1990年5月15日)は、香川県大川郡三本松町(のちの東かがわ市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。相撲解説者。本名は赤沢 正一(あかざわ しょういち)。最高位は東関脇。身長179cm、体重98kg。得意手は左四つ、上手投げ、外掛け。 小学校時代は朝日新聞社の健康優良児に選ばれたという経歴をもち、運動神経抜群にして頭脳明晰、噂を聞きつけた横綱玉錦の熱心な勧誘に折れて1937年(昭和12年)5月場所に初土俵を踏む。福住(のちの玉乃海)と同期だった。入門に当たって玉錦には「勉強がしたければ大学だって行かせてやる」とも言われていたが、その玉錦の死後流石に大学は諦めた。
川原 正人(かわはら まさと、1921年10月18日 - 2… 川原 正人(かわはら まさと、1921年10月18日 - 2012年1月30日)は、日本の団体役員。日本放送協会会長(第13代)。 東京都出身。武蔵高等学校、1943年3月東京帝国大学経済学部を卒業。 1946年NHKに入局。職員局長、人事局長、報道局長を歴任。 1973年に理事に就任し、1976年から専務理事、人事本部長。1980年NHK美術センター(現NHKアート)社長。1982年、NHK会長に就任。1988年までの2期を務めた。 2012年1月30日、心不全のため死去。90歳没。
上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2… 上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2011年5月20日)は、日本の政治家。第10代~第12代奈良県知事。 奈良県奈良市生まれ。旧制小学校を卒業後、奈良県庁で働きながら夜間の旧制金鐘中学(現:東大寺学園中学校・高等学校)に通学し、1946年関西大学経済学部卒業。奈良県庁に再度入庁し、各課長、総務部長を歴任、1975年下位副知事の後を受け副知事に就任した。 1980年9月、奥田良三知事が健康上の理由で辞任を表明すると、副知事を務めていた上田繁潔が10月の知事選挙に立候補して当選した。奈良県知事を3期11年余り務め、在任期間の後半はバブル景気に恵まれた。1988年に開催されたなら・シルクロード博覧会では、主催団体だった「財団法人なら・シルクロード博協会」の会長を兼任し、成功した。
水野 弥穂子 (水野 彌穗子 みずの やおこ、1921年10… 水野 弥穂子 (水野 彌穗子 みずの やおこ、1921年10月15日 - 2010年1月26日)は、日本の仏教学者・曹洞宗僧侶。駒澤大学名誉教授。東京女子大学教授。専門は道元の思想。 1921年、東京市出身。1939年4月、東京女子大学国語専攻部予科入学、1942年9月に本科を繰り上げ卒業。その後、東北大学法文学部に進学、卒業後、文部省に勤め、国立国語研究所研究員に転じる。駒澤大学助教授・教授、法政大学通信教育部非常勤講師などを経て、1975年より東京女子大学教授に、1987年3月に退任。 半世紀に及ぶ道元『正法眼蔵』研究で著名。主な注解版は、岩波文庫(全4巻)と、春秋社版『原文対照現代語訳 道元禅師全集』(全7巻)。
三宮 武夫(さんのみや たけお、1921年10月15日 - … 三宮 武夫(さんのみや たけお、1921年10月15日 - 2007年11月13日)は日本の実業家。 1921年、神奈川県大磯町にて出生。1942年、明治大学専門部卒業。 日本曹達入社後は、事業の柱のひとつとなるアグリビジネスなどを手掛け、現在に至る全国農業協同組合連合会との事業基盤などを築き上げた。 昭和期の十五大財閥の1つである、日曹コンツェルン(GHQによる財閥解体前の傘下企業数は42社)の中核企業であった日本曹達は、歴代トップが中央官僚トップ階層の天下りや、メインバンクであった日本興業銀行出身者などが主だったが、三宮は1983年に内部昇格により第10代社長に就任。後に会長となった。
上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日… 上原 重太郎(うえはら じゅうたろう、1921年10月14日 - 1945年8月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大尉。宮城事件森赳近衛師団長殺害事件の首謀者の一人。 兵庫県神戸市生まれ。父は船員であった。京都府立二中、広島陸軍地方幼年学校から陸軍士官学校卒(55期)。陸軍戸山学校生徒を経て、陸軍挺進練習部(現 新田原基地)で落下傘降下を学ぶ。1944年陸軍航空士官学校(現入間基地)へ移る。 1945年8月15日、近衛師団司令部で森師団長を刺殺。同月19日、陸軍航空士官学校(修武台)裏の航空神社前で自決。なお、入間基地内に「上原大尉自刃之碑」がある。
上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年(大正10年)10月… 上迫 忠夫(うえさこ ただお、1921年(大正10年)10月14日 - 1986年(昭和61年)10月20日)は、日本の体操競技選手・指導者。 島根県浜田市浅井町出身。1935年、旧制浜田中学(現・島根県立浜田高等学校)に入学し、体操競技と出会う。昼休みに上級生(体操部の上級生には竹本正男もいた)が鉄棒で行っていた大車輪や宙返りに度肝を抜かされ、自分が進むべきスポーツだと直感して体操部に入部したという。体操に打ち込んだ上迫は、中学生の全国大会で優勝する戦績を残している。 1940年に中学を卒業し、日本体育専門学校(現・日本体育大学)に進学。1942年には東亜競技大会で個人2位の成績を残した。1942年7月、日本体育専門学校を繰り上げ卒業。
月丘 夢路(つきおか ゆめじ、1921年10月14日 - 2… 月丘 夢路(つきおか ゆめじ、1921年10月14日 - 2017年5月3日)は、日本の女優で、元宝塚歌劇団娘役の宝塚歌劇団卒業生である。本名:井上 明子、旧姓:旭爪(ひのつめ)。愛称は「ツメ」(旧姓から)。夫は井上梅次、娘は井上絵美。実妹は月丘千秋、月丘洋子。 広島県広島市大手町(現:中区大手町)に、薬局の長女として生まれる。 袋町尋常小学校(現:広島市立袋町小学校)を経て、県立広島高等女学校(現:広島県立広島皆実高等学校)在学中に小夜福子の宝塚少女歌劇団(現:宝塚歌劇団)の舞台を観劇し、宝塚少女歌劇団へ入団を決意する。反対する親を説得して女学校を中退した。 1937年、宝塚音楽歌劇学校に入学。
由良 三郎(ゆら さぶろう、1921年10月14日 - 20… 由良 三郎(ゆら さぶろう、1921年10月14日 - 2004年4月3日)は日本の推理作家である。