松本 昇三(まつもと しょうぞう 1921年8月12日 - … 松本 昇三(まつもと しょうぞう 1921年8月12日 - 1996年9月4日)は朝日放送元プロデューサー。 「お笑いの昇ちゃん」と言われるほど演芸、お笑い番組を多数手がけた。 大阪松屋町筋の生まれ、子供のころ母に連れられ近所にあった松竹館という寄席に漫才や落語を見に行ったことで興味を持つようになる。 慶應義塾大学法学部に入学、学生時代も四谷の下宿先から大学に通わず近所にあった喜よしという寄席に足繁く通った。 1946年に大学卒業、卒業後も就職せずに大阪戎橋松竹の楽屋に出入りし芸人らと交友を持つようになる。 1951年、戎橋松竹をラジオ中継していた朝日放送に学芸部員として入社、寄席の中継番組などを携わる。
小川 岩雄(おがわ いわお、1921年8月12日 - 200… 小川 岩雄(おがわ いわお、1921年8月12日 - 2006年6月13日)は、日本の物理学者(核物理学)。理学博士(1962年)。立教大学名誉教授。電気工学者の小川一清は父。 東京都生まれ。1943年、東京帝国大学理学部物理学科卒業。1962年 理学博士。学位論文:「グリッド電離箱による核反応の角度分布の新しい測定法 」。 海軍兵学校教官、東京大学助教授、立教大学理学部物理学科教授を経て、立教大学名誉教授。 湯川秀樹の甥にあたる。 海軍兵学校教官時に江田島で広島への原爆投下を目撃、核物理学者の使命として反核兵器を貫く。 湯川秀樹、朝永振一郎とともに第1回パグウォッシュ会議に参加。それ以降十数度にわたり同会議へ参加。
永戸 多喜雄(えいと たきお、1921年8月11日- 201… 永戸 多喜雄(えいと たきお、1921年8月11日- 2010年9月12日)は、フランス文学者。 フランス文学者永戸俊雄の子。東京出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て慶應義塾大学文学部仏文科卒、同経済学部教授、経済学部長を務め、1987年定年退任、名誉教授。サルトルの翻訳をおこなった。 2010年9月12日、心不全のため89歳で死去した。
吉原 三郎(よしはら さぶろう、1921年 <大正10年> … 吉原 三郎(よしはら さぶろう、1921年 <大正10年> 8月10日 - 2008年 <平成20年> 2月3日)は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。位階は従五位。 千葉県出身。1946年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1948年5月に千葉銀行に入行。1952年1月に千葉興業銀行に転じ、1963年5月に取締役に就任し、1975年11月には頭取に昇格。1986年6月に会長、1996年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2008年2月3日急性心筋梗塞のために死去。86歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年… 韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年8月10日 - 1994年8月5日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家、実業家。 第6・8・9・10代韓国国会議員。本貫は清州韓氏、号は鳳巌(ボンアム、봉암/鳳巖)。 元の名前の漢字表記は韓 鍵洙(ハングル表記同じ)であったが、煩雑であったため第2代総選挙の後は金偏のない「韓 建洙」の名前を選挙区民宛のハガキと手紙に使用した。その後は裁判所により改名許可を受けた。 日本統治時代の忠清南道礼山郡に生まれた。礼山農業学校(現在は廃校)を卒業後に渡日し、早稲田大学法学科を卒業した。 世界日報社編集局次長、批判新聞の主筆などを務めた後、1948年より監察委員会(2022年現在は監査院)情報課長、調査課長、1951年より政界公論主筆、1952年より弘益大学校事務処長を務めた。
泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年(大正10年)8月1… 泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年(大正10年)8月10日 - 1991年(平成3年)10月5日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 北海道幌別郡、現在の登別市出身。1944年(昭和19年)日本国有鉄道札幌鉄道教習所運輸高等科を修了。 北海道大学医学部附属登別分院勤務、室蘭駅助役、副鉄道官補、運輸事務官、国鉄労働組合北海道地評議長、全北海道労働組合協議会議長、北海道交通運輸労働組合協議会議長、北海道産業教育審議会委員、北海道環境衛生適正化審議会委員、札幌陸運局自動車運送協議会委員、北海道開発審議会委員などを務めた。 1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 194… 池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 1944年)は、長崎県出身のプロ野球選手(捕手)。
高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月… 高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月9日 - 2004年〈平成16年〉7月8日)は、日本の農学者・経済学者。専門は農業経済学。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授、元釧路公立大学学長。位階は正四位。指導教授は松田武雄。門下生に出村克彦。 『北海道人物・人材リスト 2004 あ-そ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
南 晋一(みなみ しんいち、1921年8月7日 - 1989… 南 晋一(みなみ しんいち、1921年8月7日 - 1989年9月29日)は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元応用化学教室担当。 専門は、工業化学・有機金属化学、電気化学。 1959年大阪大学大学院工学研究科応用化学専攻にて、工学博士(大阪大学)。松下電器産業(現:パナソニック)無線事業本部研究所などを経て、大阪工業大学工学部応用化学科教授として着任し、応用化学教室を担当。1989年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部応用化学科にて長きに渡り教鞭を執り、同学科開設後の初期の応用化学(特に、有機金属化学・電気化学)研究・育成に貢献した。 主な所属学会は、日本化学会、金属表面技術協会、電気化学協会、チタニウム懇話会。
朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 -… 朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 - 2002年10月21日)は、日本の地理学者・教育学者。 栃木県宇都宮市生まれ。1942年東京高等師範学校卒。1945年9月東京文理科大学地理学科卒、東京都立上野中学校(現東京都立上野高等学校)教諭。47年東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)教諭。51年東京教育大学助教授。56年文部省初等中等教育局長事務官、58年同教科調査官。1963年宇都宮大学学芸学部助教授、68年教養部助教授、70年教授、72年教育学部教授、74-78年宇都宮大学教育学部附属中学校校長、1979年筑波大学教授、85年定年退官、上越教育大学教授、87-89年上越教育大学附属中学校校長兼任、90年定年退官、名誉教授、豊田短期大学教授、94年学長。
遠藤 健一(えんどう けんいち、1921年8月7日 - 20… 遠藤 健一(えんどう けんいち、1921年8月7日 - 2008年9月8日)は、日本の経営者。東京出版販売(現在のトーハン)社長を務めた。 東京都出身。1943年に法政大学を卒業し、1946年に東京出版販売に入社。1969年に取締役、1977年に常務、1979年に専務、1985年に副社長を経て、1987年6月に社長に就任。1991年6月に会長に就任し、1995年6月には顧問に就任。 2008年9月8日に急性心不全のために死去。87歳没。
若林 法雄(わかばやし のりお、1921年8月5日 - 20… 若林 法雄(わかばやし のりお、1921年8月5日 - 2006年4月14日)は、日本の経営者。野村不動産社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業。野村建設工業、安井建築設計事務所での勤務を経て、1961年1月に野村不動産に転じ、取締役に就任し、1963年1月に常務、1967年1月に専務を経て、1972年11月に副社長に就任し、1978年10月には社長に昇格。1981年12月に会長に就任し、1983年11月から1987年12月までに監査役を務めた。 2006年4月14日胆嚢癌のために死去。84歳没。
村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 201… 村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 2011年6月20日)は、日本の労働運動家。元全日本海員組合組合長。 大阪市生まれ。神戸高等商船学校(現神戸大学海洋政策科学部)航海科卒。新和海運出身、甲種船長。1956年全日本海員組合中央執行委員。1960年から1966年に教育部長を務め、機関誌『海員』の編集を担当。組合の先輩を紹介する物語を連載し、1966年に『海上労働運動夜話』(成山堂書店)として刊行した。1971年6月の海員組合第30回臨時大会で組合長に選出。1972年4月から7月の「賃上げ・人間性回復・合理化対策」のスローガンを掲げた92日間のストを指導。民社党員で同盟副会長(1972年1月~1981年1月)を務めたが、日本生産性本部との関係解消、政党支持自由化、全港湾など総評系組合との共闘、総選挙での共産党候補の推薦など海員組合の路線転換を推進した。
岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4… 岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長としてマダガスカル攻撃に参加し、戦死。二階級特進により最終階級は海軍大尉。 香川県綾歌郡山田村出身。税務署職員であった父が勤務していた愛媛県松山市に生まれる。四人兄弟妹の次男であった。岩瀬は父の転勤により、小中学校で三度の転校を経験した。入学した中学は滋賀県立膳所中学で、徳島県立池田中学に転入し、1938年(昭和13年)、中学4年で陸軍士官学校と海軍兵学校に合格した。海兵進学を選択し、1941年(昭和16年)3月に卒業した。岩瀬は海兵69期生で、このクラスは343名の同期生中223名が戦死している。
鎌田 英夫(かまた ひでお、1921年(大正10年)8月4日… 鎌田 英夫(かまた ひでお、1921年(大正10年)8月4日 - 2009年(平成21年)4月23日)は、日本の官僚。会計検査院事務総長や、会計検査院長を務めた。退官後、大成建設常任顧問。 愛媛県出身。海軍中将・鎌田道章の長男として生まれる。1947年(昭和22年)東京大学法学部政治学科卒業。同年10月会計検査院に入り、終戦処理検査第一課、法規改善課、管理課、出資検査第二課を各勤務。その後、第一局大蔵検査課調査官を経て、1962年(昭和37年)4月第五局上席調査官、1966年(昭和41年)1月官房会計課長、1967年(昭和42年)4月第二局参事官、同年7月第四局参事官、1969年(昭和44年)7月第五局参事官を歴任。
高橋 国一郎(たかはし くにいちろう、1921年(大正10年… 高橋 国一郎(たかはし くにいちろう、1921年(大正10年)8月2日 - 2013年(平成25年)4月18日)は、昭和から平成時代の土木工学者。内務技師、建設技監。建設事務次官。日本道路公団総裁。 新潟県柏崎市出身。1944年(昭和19年)東京帝国大学工学部土木科を卒業後、内務省(土木局)に入る。 1945年(昭和20年)秋に復員し関東土木出張所に勤務。1950年(昭和25年)五十里ダム出張所長、1956年(昭和31年)関東地建4号国道、1958年(昭和33年)東京国道の両工事事務所長、1964年(昭和39年)高速道路課高速道路調査室長、1966年(昭和41年)地方道課長、国道第一課長、1970年(昭和45年)道路局長、1972年(昭和47年)建設技監、1974年(昭和49年)建設事務次官、1976年(昭和51年)日本道路公団副総裁、1978年(昭和53年)総裁を経て、1986年(昭和61年)辞任した。
山根 幸夫(やまね ゆきお、1921年8月2日 - 2005… 山根 幸夫(やまね ゆきお、1921年8月2日 - 2005年6月24日)は、日本の東洋史学者。専門は明代史および中国近現代史。東京女子大学名誉教授。 兵庫県神崎郡越知谷村(現・神河町)に生まれる。1941年4月東京帝国大学文学部東洋史学科入学。同期の神田信夫(専門は清代史)とは後に共著を出版。1942年10月から1945年9月まで肺結核のため休学する。1947年9月に東京帝国大学卒業。同年10月、東京大学大学院特別研究生(文部省給費)に採用される。 1952年4月東洋大学文学部講師、1953年同助教授。1954年4月から4年間、公益財団法人 東洋文庫研究員をつとめ、1958年東京女子大学文学部助教授、東洋文庫兼任研究員となる。
佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日 … 佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日 - 1996年(平成8年)11月10日)は、日本の政治家。全国商工会連合会会長、参議院議員(1期)。 鹿児島県揖宿郡頴娃村(頴娃町を経て現南九州市)出身。1936年(昭和11年)松原高等小学校を卒業。酒造業、製飴業などを経て、1948年(昭和23年)に酒造業を法人化し有限会社佐多宗二商店を設立。 1955年(昭和30年)鹿児島県議会議員に初当選し、1975年(昭和50年)まで務め、県議会議長にも就任。田中角栄から声が掛かった事がきっかけで、1975年(昭和50年)自由民主党参議院議員に当選。1982年(昭和57年)全国商工会連合会会長に就任。
大森 荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1… 大森 荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。 物理学から哲学に転向し、科学における哲学的問題の検証を目指した。物心二元論を否定し、独特の一元論による哲学体系を確立。著書に『言語・知覚・世界』(1971年)、『時間と存在』(1994年)などがある。 岡山県生まれ。東京府立一中から第一高等学校理科乙類を経て、1944年 東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1945年、海軍技術研究所三鷹実験所勤務。当初は物理学を志すも、科学における哲学的問題を問うため、哲学に転向。1949年、東京大学文学部哲学科を卒業する。はじめ現象学などを学ぶが、満足せずアメリカに留学。
青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 200… 青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 2002年6月12日)は、日本の実業家。讀賣テレビ放送(よみうりテレビ、読売テレビ)社長・名誉会長、日本民間放送連盟副会長、関西経済連合会理事、関西経営者協会理事、近畿警察官友の会会長、日本室内楽振興財団理事長。広島県府中市出身。
山口 敏雄(やまぐち としお、1921年(大正10年)8月1… 山口 敏雄(やまぐち としお、1921年(大正10年)8月1日 - 2014年(平成26年)4月8日)は日本の実業家。元神鋼商事社長。元神戸製鋼所顧問。広島県出身。旧姓:木村。
藤原 宏(ふじわら ひろし、1921年8月1日 - 2008… 藤原 宏(ふじわら ひろし、1921年8月1日 - 2008年10月2日)は、日本の国語教育学者。国語・書写を担当した。兵庫教育大学教授・早稲田大学教育学部教授を歴任。 東京出身。東京大学文学部支那文学哲学科卒。1956年同大学院修了。1965年文部省初等中等教育局教科書審査官、1975年兵庫教育大学教授、早稲田大学教育学部教授、1992年定年退任。
河本 國雄(かわもと くにお、1921年 <大正10年> 8… 河本 國雄(かわもと くにお、1921年 <大正10年> 8月1日 - 2011年 <平成23年> 9月25日)は、日本の経営者。第一証券社長、平和不動産社長を務めた。位階は正五位。 東京都出身。1944年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1945年10月に日本勧業銀行に入行した。1952年12月に日本長期信用銀行に転じ、1964年11月に第一証券専務に就任し、1966年11月には社長に昇格。1975年11月から1986年11月までに東京証券取引所副理事長を務め、1987年6月から1994年6月までに平和不動産社長を務めた。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2011年9月25日、前立腺がんのために死去。
陶 隆司(すえ たかし、1921年7月31日 - 2010年… 陶 隆司(すえ たかし、1921年7月31日 - 2010年12月26日)は、日本の俳優。群馬県館林市生まれ埼玉県出身。本名及び旧芸名は陶 隆(読みは同じ)。 はちの会、、劇団中芸、東京芸術座、東京映画俳優協会、つくしグループに所属していた。 浦和町立浦和商業学校(現・埼玉県立浦和商業高等学校)卒業。東京陸軍経理学校卒業。 経理将校として、太平洋戦争(兵役(旧・満州国 関東軍経理将校)に従軍。 1951年、舞台『街道』でデビュー。 1954年、劇団中芸(東京芸術座の前身)発足時に、新人オーディションに合格して入団。 剣道と槍術の心得があり、双方では『嗚呼!! 花の応援団 男涙の親衛隊』の青田玄道役を、また、槍術ではテレビドラマ『新選組血風録』(1965年 東映京都+NET)の武田観柳斎役の起用のきっかけとなった。
藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月… 藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月31日 - 1999年〈平成11年〉3月3日)は、日本の政治学者、評論家。広島県尾道市生まれ。「ふじわら こうたつ」と呼ばれることが多い。 雑貨店の忠雄と美容師キクノの長男。5歳の時に父を腸チフスで亡くし、母は国鉄駅員と再婚。尾道市立筒湯小学校(現・尾道市立久保小学校)、福山誠之館中学を経て、第六高等学校に入学。同級生に星野直樹次男の星野良二。 1942年(昭和17年)東京大学法学部に入学。同級生に志垣民郎。高等学校の教師の伝手で法制局参事官の長村貞一の邸宅に下宿していた。1943年(昭和18年)12月末に学徒出陣に召集され、歩兵第11連隊補充隊(広島西部第2部隊)にて3か月間の普通教育を受けたのち、久留米第一予備士官学校に入学。
稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1… 稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1982年2月28日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 広島県呉市生まれ。1939年に広島県立呉第一中学校を卒業し、広島高等学校文科に進学。同校2年生だった1940年の夏、東京中野在住だった兄の家に滞在していたときに、隣家に住んでいた宝月圭吾を紹介され、進学先の相談をしたところ、東京帝国大学を勧められ、同大学への進学を決めたという。1942年に高校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同期入学に永原慶二、安田元久、山口啓二らがいる。翌年、海軍に入隊し、その間の1944年9月に卒業。1947年、東京帝国大学大学院を退学。 同年、東京帝国大学史料編纂所に入所、1966年助教授、1969年教授。
塩澤 護(しおざわ まもる、1921年(大正10年)7月30… 塩澤 護(しおざわ まもる、1921年(大正10年)7月30日 - 2009年(平成21年)2月20日)は、日本の実業家。第8代養命酒製造社長。 長野県上伊那郡大草村(現中川村)出身。父の友茂は4代目と6代目と2度にわたって養命酒製造の社長をつとめた。明治大学商学部卒業。養命酒製造に入社。常務、専務をへて1973年、社長に就任。墓所は多磨霊園(22-1-29-2)
高月 ことば(たかつき ことば、1921年7月30日 - 2… 高月 ことば(たかつき ことば、1921年7月30日 - 2006年10月18日)は、日本の作詞家である。本名は-辞(-ことば)。渡哲也の『東京流れ者』(1965年)や、白根一男の『はたちの詩集』(1961年)、木立じゅんの『484のブルース』(1968年、補作詞)で知られる。 1921年(大正10年)、愛媛県宇和島市に生まれる。 1955年(昭和30年)、作詞家の清水みのるに師事する。その後、東芝レコードに「専属作詞家第1号」として入社し、その後、テイチクレコードを経て、フリーランスの作詞家となった。 日本音楽著作権協会(JASRAC)、日本作詩家協会で、それぞれ評議員を務めた。 2006年(平成18年)10月18日、18時30分、胃がんのため岡山県倉敷市の病院で死去、84歳没。
高橋 富雄(たかはし とみお、1921年7月28日 - 20… 高橋 富雄(たかはし とみお、1921年7月28日 - 2013年10月5日)は、日本の日本史学者。東北大学名誉教授。福島県立博物館名誉館長。 東北古代史研究の第一人者である。永年歴史上の謎とされて来た前九年の役の古文書に記述されている阿久利川事件発生地の比定に携わり、地道な郷土史研究と発掘作業により宮城県栗原市志波姫の迫川流域(阿久戸)の地域同定に至った。[要出典] 岩手県北上市生まれ[要出典]。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業[要出典]、1943年、東北帝国大学法文学部国史学科卒業。同大学大学院特別研究生を経て、旧制第二高等学校講師。1949年、東北大学教養部講師、その後同大助教授、教授となる。
谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2… 谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日)は、日本の民俗学者・地名学者・作家・歌人。近畿大学教授・日本地名研究所所長等を歴任。2007年文化功労者選出。 在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげた。 1921年、熊本県水俣で六人兄弟の長男として生まれた。熊本中学、浪速高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部に進学。しかし東京大学入学後、結核を患い、各地の療養所を転々とした。大学ではフランス文学専攻で学び、卒業。 30歳を過ぎた頃より編集者として平凡社に勤務、『風土記日本』(1957-60年)、『日本残酷物語』(1959-61年)などを企画・編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務めた。
三雲 四郎(みくも しろう、1921年(大正10年)7月28… 三雲 四郎(みくも しろう、1921年(大正10年)7月28日 - 2007年(平成19年)1月11日)は、日本のジャーナリスト。産業経済新聞社取締役論説委員長。 鹿児島県出身。学徒出陣後に復学し、慶應義塾大学経済学部を卒業。 「自分はペンで生活していきたい」と、1946年産業経済新聞社に入社。本社経済部長や編集局次長、外信記者としてロンドン特派員、パリ支局長、欧州総局長を務めたほか、論説委員長も担った。娘・孝江も小学2年の夏から小学6年までロンドンで過ごしたという。 1971年に東京都公害審査委員会委員に就任し、1983年3月まで務めた。 2007年1月11日午後8時2分、肺炎のため東京都内の病院で死去。
須知 徳平(すち とくへい、本名:須知 茂(すち しげる)、… 須知 徳平(すち とくへい、本名:須知 茂(すち しげる)、1921年7月28日 - 2009年3月17日)は、日本の小説家、児童文学作家。 岩手県盛岡市出身。國學院大學専門部卒業。軍隊から復員後、岩手県や北海道で中学、高校の教師をしたのち上京する。 1962年、『ミルナの座敷』で講談社児童文学作品受賞(当時は佐川茂名義)、同作品はNHKのNHK少年ドラマシリーズ(1972年4月1日 - 4月29日放送)にもなった。 ほかには小林旭の監督で映画化された『春来る鬼』で、1963年毎日新聞社主催の第一回吉川英治賞を受賞(現在の吉川英治文学賞とは別)。1988年から盛岡大学の教授および非常勤講師を務めた。
八馬 啓(はちうま ひろし、1921年〈大正10年〉7月28… 八馬 啓(はちうま ひろし、1921年〈大正10年〉7月28日 - )は、日本の実業家。多聞酒造相談役。 兵庫県西宮市久保町、三代八馬兼介の長男。1944年、東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。海兵に入団する。1945年、復員後に八馬汽船取締役。 1947年、オーエス映画監査役、1949年、新朝日自動車副社長となり、1951年、八馬汽船専務に就任。宝梅園農場社長、多聞酒造社長、相談役を務めた。 八馬理、八馬望、八馬立の兄である。 趣味は碁、写真。宗教は真宗。住所は兵庫県西宮市、宝塚市小林字梅圃。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
広瀬 京一郎(ひろせ きょういちろう、1921年 7月28日… 広瀬 京一郎(ひろせ きょういちろう、1921年 7月28日 - 1980年1月12日)は、日本の倫理学者。 1944年東京帝国大学文学部倫理学科卒。聖心女子大学助教授/教授、お茶の水女子大学教授。父は北海道拓殖銀行頭取や札幌商工会議所会頭を務めた広瀬経一。
古谷 法夫(ふるや のりお、1921年7月27日 - 没年不… 古谷 法夫(ふるや のりお、1921年7月27日 - 没年不明)は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 宇都宮実業では1938年と1939年に夏の甲子園北関東大会へ進出するも、1938年は初戦、1939年には準決勝でそれぞれ敗退して甲子園に出場することはできなかった。 高校卒業後は1940年に法政大学へ進学するも中退し、1941年に東京鉄道局へ入社。南安男と並ぶ主戦投手になり、1942年と1946年の都市対抗に出場するが、それぞれ準々決勝で敗退。 コロムビア移籍後はエースとして活躍し、1950年に国鉄スワローズへ入団。1年目は結成第1戦となる3月10日の大洋戦(下関)に先発登板する予定であったが、緊張と重圧に耐えきれずに「はたして自分に開幕投手が務まるのだろうか?」と思い悩み、この日は「病院に行ってくる」と宿舎を出たきり戻らなかった。
山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2… 山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2006年7月15日)は、日本の政治家。千葉県勝浦市長(8期)。 千葉県出身。1943年明治大学専門部卒。1963年勝浦市議会議員に当選し1期務める。1967年勝浦市長に当選。以来連続8期32年務める。在職中国際武道大学を勝浦市に誘致し、開学した。同大学の副理事長や日本武道館常任理事を務めた。1999年退任する。2002年勲三等旭日中綬章受章。2006年7月15日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される。
柴田つる子(しばた つるこ、1921年7月27日 - 199… 柴田つる子(しばた つるこ、1921年7月27日 - 1997年11月28日)は、日本の歌手。北海道函館市出身。本名、西谷ツル子。 函館実習高等女学校を卒業後、歌手の小林千代子に師事。その後、ムーランルージュ新宿座や日劇ダンシングチームで歌っていた。戦時中になると、活躍の場を奪われ退団。1946年(昭和21年)、戦後初めて行われた「コロムビア新人歌手募集」に合格。同期での合格者に岡本敦郎、津村謙がいた。同年5月、「港に灯りのともる頃」(藤浦洸作詞、平川英夫作曲)でデビュー、ヒットする。同時期に活躍していた、奈良光枝、池真理子と共に、コロムビア新人歌手の三羽烏と評された。 1954年(昭和29年)、結婚し引退。
宇井 あきら(うい あきら、本名:宇井昶〈読み同じ〉、192… 宇井 あきら(うい あきら、本名:宇井昶〈読み同じ〉、1921年〈大正10年〉7月26日 - 2009年〈平成21年〉9月1日)は、日本の元作曲家、シャンソン歌手。武蔵野音楽学校声楽科卒業。 1955年にシャンソン歌手としてデビュー。『ひるのいこい』(NHKラジオ第一放送)にレギュラー出演するなどの活動をした後に作曲家へ転身し、シャンソンを中心に歌謡曲やテレビドラマの主題歌、或いは東京都内の小学校校歌に至るまで幅広いジャンルの作品を手掛けた。特に菅原洋一が1970年にヒットさせた『今日でお別れ』は其の年の日本レコード大賞を受賞するなどして宇井あきらの代表作となった。 また、宇野ゆう子を始め、後進のシャンソン歌手育成にも熱意を傾けたことでも知られる。
山崎喜陽(やまざき きよう、1921年7月25日 - 200… 山崎喜陽(やまざき きよう、1921年7月25日 - 2003年11月11日)は、機芸出版社元社長・代表取締役。長崎県佐世保市出身。 戦前、『子供の科学』主催のスピード競争・牽引力競争で優勝。やがて『模型鉄道』、『科学と模型』に投稿を続ける。 1945年(昭和20年)、東京帝国大学理学部を卒業後、地理学教室に嘱託として残るが鉄道関係の小冊子を数冊発刊した。 1946年(昭和21年)、機芸社(のちの機芸出版社)を設立し、雑誌『鉄道模型趣味』(TMS)を創刊。病気のため事実上離れる最晩年まで長年主筆を務めた。 鉄道模型においては、軌間16.5mmのHOゲージ(縮尺1/87)およびOOゲージ(縮尺1/76)との対比から、日本型車輌を縮尺1/80とし、これらを総称して「16番ゲージ」と呼称することを定めた。
安居 香山(やすい こうざん、1921年7月24日 - 19… 安居 香山(やすい こうざん、1921年7月24日 - 1989年7月20日)は、日本の中国文化学者。讖緯思想の研究で知られる。また、大正大学の学長を務めた。 滋賀県出身。1944年大正大学哲学科を卒業。1977年「緯書成立の研究」で大正大学文学博士。大正大学文学部助教授を経て、1971年に教授。1984年に文学部長、1987年に学長に就任した。
山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2… 山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2013年3月)は、日本の日本史学者・教育者。 1921年(大正10年)7月23日、福島県に生まれる。1940年(昭和15年)3月、福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)卒業。1942年(昭和17年)9月、新潟高等学校(現・新潟大学)文科甲類卒業、東京帝国大学に進学。1944年(昭和19年)3月、学徒出陣。1945年(昭和20年)9月、召集解除、復員。1947年(昭和22年)3月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業直後に腎臓摘出の手術を受け、さらに結核により半年あまり自宅療養する。1952年(昭和27年)3月、東京大学文学部大学院満期修了。
北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9… 北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9月15日)は日本の探偵小説家、原子物理学者。作品に「写真解読者」『アトム君の冒険』など。本名は鈴木 坦(すずき ひろし)。 東京府東京市王子区(現:東京都北区)出身。京都帝国大学理学部卒。 1946年、探偵小説誌『ロック』に「写真解読者」を発表しデビュー。以降も『ロック』を中心に短編を発表した。また、同時期には本名で『アトム君の冒険』などの科学解説書も著している。 物理学者としては湯川秀樹門下であり、横浜国立大学の助教授も務めた。 1951年9月15日、持病であった喘息の発作から死去。30歳。
山田 稔(やまだ みのる、1921年7月23日 - 1995… 山田 稔(やまだ みのる、1921年7月23日 - 1995年5月1日)は、日本の実業家。ダイキン工業元社長・会長。ダイキン工業創業者の山田晁の長男。 福岡県出身。芦屋市立精道小学校、神戸第一中学校、第六高等学校、東京帝国大学工学部卒業。1946年に大阪金属工業(現・ダイキン工業)入社。1972年に3代目社長へ就任し、22年間務めた後、1994年より会長を務めた。その他には関西経済連合会副会長、関西経済同友会代表幹事、 太平洋人材交流センター初代理事長も務めた実績がある。 元サントリー会長の佐治敬三、森下仁丹2代目社長の森下泰とは長年の友人だった。
風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23… 風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23日 - 2016年〈平成28年〉9月28日)は、日本の女優。群馬県富岡市出身。本名は中村 フサ(なかむら - )。最終所属先は放映新社。 1921年、群馬県富岡市七日市に生まれる。 富岡高等女学校(現・群馬県立富岡高等学校)を中退し、父が芸事を好んでいたことからエノケン一座に入団。 1937年に日活のオーディションに合格。 1939年に公開された内田吐夢監督映画『土』で主役に抜擢された。 1940年代後半からは松竹・新東宝・東映などの映画にも出演し、1960年代前後からテレビドラマでも活動を開始。 2000年、『忘れられぬ人々』で第22回ナント三大陸映画祭主演女優賞を受賞。
村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月2… 村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月21日 - 1996年〈平成8年〉8月16日)は、日本の政治家。 鹿児島県議会議員、衆議院議員(10期)、衆議院副議長(第58代)などを歴任した。 鹿児島県姶良郡蒲生町(のちの姶良市)にて生まれた。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業。1941年に台南師範学校卒業後、小学校教員、鹿児島県評事務局長、鹿児島県議会議員を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党より立候補し当選、以後当選10回。 党内では和田博雄 – 勝間田清一 – 石橋政嗣の派閥に所属する。1982年2月、飛鳥田一雄委員長の下で国会対策委員長に就任、その後馬場昇書記長下ろしに伴う役員改選により、同年12月副委員長となる。
服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月2… 服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月20日 - 2005年〈平成17年〉7月15日)は、法制史学者、東北大学名誉教授。専門は近世武家法。 愛媛県新居浜市生まれ。1939年愛媛県立西条中学校卒、1942年旧制広島高等学校卒、同年九州帝国大学法文学部入学、1943年学徒動員、1945年復員。 1946年九州帝国大学法文学部卒、1952年同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:金田平一郎)、九州大学九州文化史研究所研究員、1953年金沢大学法文学部助教授、1957年同教授、1962年九州大学にて論題「近世封建法の性格」で法学博士受く、1967年東北大学法学部教授、1979年同図書館長、1985年定年退官、名誉教授。
片岡 明(かたおか あきら、1921年7月20日 - 199… 片岡 明(かたおか あきら、1921年7月20日 - 1997年8月14日)は、日本の経営者。ヒガシマル醬油社長を務めた。兵庫県出身。 1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、1952年4月にヒガシマル醬油に入社。1966年に取締役に就任し、1971年5月に常務、1978年3月に専務を経て、1986年3月に副社長に就任し、1990年3月には社長に昇格。1996年3月には副会長に就任。 1997年8月14日急性呼吸不全のために死去。76歳没。
中込 八郎(なかごみ はちろう、1921年〈大正10年〉7月… 中込 八郎(なかごみ はちろう、1921年〈大正10年〉7月20日 - 1999年〈平成11年〉11月14日)は、日本の高等学校物理教師、科学写真家。 群馬県館林市生まれ。群馬師範学校を経て、1944年東京高等師範学校卒。東京都立竹早高等学校、東京都立西高等学校教諭として勤務。1986年定年退職。日本物理教育学会理事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
保井 浩一(やすい こういち、1921年7月19日 - 20… 保井 浩一(やすい こういち、1921年7月19日 - 2001年11月17日)は、京都府出身のプロ野球選手・監督。
古角 俊郎(こすみ としろう、1921年7月19日 - 20… 古角 俊郎(こすみ としろう、1921年7月19日 - 2013年1月8日[1])は、日本の高校野球指導者。和歌山県立新宮高等学校硬式野球部元監督、明治大学硬式野球部OB会の駿台倶楽部顧問を務めた。