藤田 嘉夫(ふじた よしお、1929年〈昭和4年〉‐ 202… 藤田 嘉夫(ふじた よしお、1929年〈昭和4年〉‐ 2024年〈令和6年〉3月20日)は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授。北海道岩見沢市出身。 寒冷地のコンクリート耐久力を研究。コンクリートの新方式・限界状態設計法を提案。北海道の多くの河川橋で採用された。 『北海道人物・人材リスト 2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。
李 進熙(り じんひ、イ・ジンヒ、韓: 이진희、1929年 … 李 進熙(り じんひ、イ・ジンヒ、韓: 이진희、1929年 - 2012年4月15日)は、在日韓国人の歴史研究者・著述家。和光大学名誉教授。文学博士(明治大学)。専門は考古学、古代史、日朝関係史。慶尚南道出身。1984年に韓国籍を取得。 1970年代に李の提唱した仮説は大きな論議を呼んだが、歴史小説的イマジネーションに富む反面、実証的な考古学の立場からは否定的に扱われる部分がある。主なものとしては以下の通りである。
ゼンジー中村(ゼンジー なかむら、本名、中村則文、1929年… ゼンジー中村(ゼンジー なかむら、本名、中村則文、1929年〈昭和4年〉 – 1978年〈昭和53年〉7月21日)は、和歌山県出身の手品師である。和歌山大学卒業。 ゼンジー北京の師匠として知られる。 石田天海、2代目松旭斎天勝の両師匠に師事。1961年に神戸松竹座で初舞台。その後松竹座、角座など松竹系の劇場で活躍。のちに弟子等を従えて「魔法のグループ」を結成。1978年7月21日に、肺結核で死去。 芸は弟子の北京とは違いしゃべくりのない大ネタを得意とした。
垂井 康夫(たるい やすお、1929年 - )は、日本の電子… 垂井 康夫(たるい やすお、1929年 - )は、日本の電子工学研究者。 1929年に東京市小石川で生まれ、1951年に早稲田大学第一理工学部電気工学科を卒業して工業技術院電気試験所に入所した。1958年にバイポーラトランジスタと電界効果トランジスタを一体化した一種の集積回路の特許を申請し、1961年1月21日に傳田精一のグループと共に日本で最初の集積回路を完成した。1965年に電気試験所半導体部品研究室長になり、1968年には電子線描画装置を発案して1969年にはショットキーTTL、1970年にはDSAMOSトランジスタを発案した。1976年に超LSI技術研究組合の共同研究所所長に就任。1981年には東京農工大学電子工学科の教授に就任した。
西形 節子(にしかた せつこ、1929年 - 2025年6月… 西形 節子(にしかた せつこ、1929年 - 2025年6月27日)は、日本舞踊家、舞踊研究家。 東京に生まれる。18歳の時、初代藤間勘斎(七代目松本幸四郎)から名取りを許されて、藤間すみれを名乗る。その後早稲田大学文学部演劇学科、同大学院文学研究科修士課程で河竹繁俊に演劇を学ぶ。お茶の水女子大学・共立女子大学などで近世文学(歌舞伎・日本舞踊)の講座を持つかたわら、日本舞踊の師匠として後進の育成に当たる。のち集団日本舞踊21を主催し、全国各地で公演を行なう。またイヤホンガイドも務める。 2025年6月27日死去。96歳没。
後藤 大秀(ごとう だいしゅう、1929年 - 2020年9… 後藤 大秀(ごとう だいしゅう、1929年 - 2020年9月9日、後藤 秀美でも活動 )は昭和・平成時代のからくり人形師。 現在、日本で本格的な「からくり人形師」として活動しているのは、九代目玉屋庄兵衛ほか数名しかおらず、後藤大秀はその一人である。全国的に知られた大垣祭、大津祭といった祭りの、「山車からくり(だしからくり)」の完全復元や修復を多く手がける。(この場合の復元とは、昔の人形を基に全く同じ姿形の人形を新しく制作する事。修復とは、昔の人形の破損した箇所だけを作り直す事。)なかでも、大垣祭の相生山「神主友成」復元制作では、昔の人形はすでに紛失しており、古い写真一枚と古老の証言のみを基に制作をした。
北西 英子(きたにし ひでこ、1929年〈昭和4年〉 - 1… 北西 英子(きたにし ひでこ、1929年〈昭和4年〉 - 1999年〈平成11年〉7月17日)は、日本の歴史研究家。女性の地位向上をテーマとした広島県の女性団体「広島女性史研究会」の代表。夫は政治学者で広島大学名誉教授の北西允。 山口県須佐町(後の萩市)で誕生した。男女差別の厳しい土地に生まれ育ったことが、後の活動の原点となった。1955年(昭和30年)に結婚に伴い、夫の都合で広島県へ転居した。 1970年(昭和45年)、女性の地位向上をテーマとして、ボランティア活動などに携わる主婦たちを集めて広島女性史研究会を発足させ、代表を務めた。1981年(昭和56年)に、新聞から拾った女性の記事を年表にまとめ、『新聞集成広島女性史』を出版した。
夜桜 銀次(よざくら ぎんじ、1929年 - 1962年1月… 夜桜 銀次(よざくら ぎんじ、1929年 - 1962年1月16日)は、20世紀に活動した日本のヤクザ。暴力団・三代目山口組 石井組組員(舎弟)。大分県由布市出身。本名は平尾 国人。全身に夜桜の咲き乱れる刺青をしていたことからこの呼び名がついた。 大分県大分郡庄内町に出生。1952年頃に石井一郎(のちの三代目山口組直参)の舎弟となり、1957年の別府抗争では襲撃の先頭に立ち警察に指名手配された。このため神戸に逃れ、山口組・田岡一雄組長の舎弟・白石幸吉の許に身柄預かりとなる。 1960年の明友会事件でも明友会襲撃に猛威を振るい、再度大阪府警から傷害・銃刀法違反容疑で指名手配された。このため、山口組若頭・地道行雄、山口組若頭補佐・山本広、白石幸吉の勧めで、福岡県福岡市の伊豆組・伊豆健児組長の許に身を寄せる。
辻岡 靖仁(つじおか せいじ、1929年 - 2015年)は… 辻岡 靖仁(つじおか せいじ、1929年 - 2015年)は、日本の経済学者、労働問題研究者。 和歌山県和歌山市出身。 旧制大阪商科大学卒。大学卒業後、関西労働者教育協会を立ち上げ、労働学校の開催など大阪での労働者教育に従事する。 1968年、労働者教育協会理事長に就任、同協会が主催する通信講座「勤労者通信大学」の講師、同協会が編集する『学習の友』への寄稿、全国の学習組織が開催する労働学校や「資本論」教室などに携わる。 1988年、前任の畑田重夫の後を引き継ぎ会長に就任。2004年まで労働者教育協会会長・勤労者通信大学学長として、科学的社会主義の立場に立つ労働者教育の中心的役割を担った。 2015年1月7日、急性心不全で死去。
金子 俊男 (かねこ としお、1929年 - 2006年4月… 金子 俊男 (かねこ としお、1929年 - 2006年4月29日)は、日本の新聞記者。樺太豊原市出身。 北海タイムス社に勤務し社会部長や編集委員を歴任した。 退職後の1972年、真岡郵便電信局事件など樺太における終戦史をまとめた『樺太一九四五年夏』を講談社より出版した。 2006年4月29日、直腸ガンのため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
三谷 好憲(みたに よしのり、1928年12月30日 - 1… 三谷 好憲(みたに よしのり、1928年12月30日 - 1992年4月30日)は、宗教哲学者。 1928年、島根県大田市の寺院で生まれる。一家は朝鮮に渡り、布教活動に従事する。1945年、旧制京城帝国大学予科へ入学。敗戦を元山で迎え、北緯38度線を突破して帰国した。 帰国後は、旧制龍谷大学予科に入学し、1949年に卒業。1953年、京都帝国大学文学部哲学科を卒業し、同大学大学院哲学科に進んだ(1962年まで在学)。1953年より大阪市立汎愛高等学校で英語教師をつとめ、1963年からは大阪市立高等学校で英語教師をつとめた。1966年に京都産業大学講師となった。1972年より助教授、1978年より教授。
金平 聖之助(かねひら しょうのすけ、1928年12月30日… 金平 聖之助(かねひら しょうのすけ、1928年12月30日 - 2019年11月7日)は、日本の編集者、出版学者。小学館国際室長、大妻女子大学短期大学部教授などを歴任した。 京都府生まれ。早稲田大学第一高等学院を経て早稲田大学教育学部英語教育科卒業。小学館に入り、『めばえ』『よいこ』『幼稚園』編集長、国際室長、1988年大妻女子大学短期大学部教授。日本出版学会常任理事。アメリカ出版研究会主宰。 死後、蔵書は金平文庫として白百合女子大学に収められた。
品田 一良(しなだ いちら、1928年12月29日 - 20… 品田 一良(しなだ いちら、1928年12月29日 - 2007年2月8日)は、フランス文学者、早稲田大学名誉教授。 映画評論家・品田雄吉の兄で本名は品田 三和一良(しなだ みわいちら)。早大仏文科卒、同大学院を経て早大教授。1999年定年退任、名誉教授。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - … 桑田 昭三(くわた しょうぞう、1928年12月29日 - 2016年3月31日)は日本の教育者・教育評論家。学力偏差値を用いた進路指導を行ったことで知られる。 長野県下伊那郡鼎村(現:飯田市)生まれ。旧制中学校在学中に海軍予科練に志願し、敗戦で復員する。旧制上田蚕糸専門学校卒業後、14年間教員生活を送る。長野県や東京都の公立中学校の理科教員を務める(1950年4月~1963年3月)。 東京都港区立城南中学校に勤務していた1957年(昭和32年)、別の学校の先生から偏差値について聞き、進路指導のために学力偏差値を使用し始めた。 1963年にテスト業者の進学研究会に転職。1976年の自著には「私は偏差値の生みの親とされている」と記しており、1981年の自著のタイトルでは「ミスター偏差値(Mr.HENSACHI)」と名乗っている。
鵜飼 一郎(うかい いちろう、1928年(昭和3年)12月2… 鵜飼 一郎(うかい いちろう、1928年(昭和3年)12月28日 - 2006年(平成18年)10月16日)は、日本の政治家。愛知県春日井市長(4期)。全国市長会副会長、東海市長会会長などを歴任。位階は正五位。旭日中綬章受章。 愛知県東春日井郡坂下町(現・春日井市)生まれ。愛知県明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)卒業。1944年(昭和19年)、旧坂下町役場に奉職。1958年(昭和33年)1月1日、春日井市は坂下町と高蔵寺町を編入。市長公室長、助役などを歴任。 1990年(平成2年)、春日井市長の鈴木義男が翌年の市長選不出馬を明らかにし、後継として鵜飼が立候補する意向を表明。同年10月、助役を辞任した。
多木 浩二(たき こうじ、1928年12月27日 - 201… 多木 浩二(たき こうじ、1928年12月27日 - 2011年4月13日)は、日本の美術評論家・写真評論家・建築評論家。専門は芸術学。元千葉大学教授。 写真評から出発し、美術、建築、思想と多岐にわたって批評活動を展開した。スポーツと社会の関連も論究。著書に『眼の隠喩』(1982年)、『天皇の肖像』(1988年)、『シジフォスの笑い』(1997年)などがある。 兵庫県神戸市生まれ。神戸一中、旧制第三高等学校、東京大学文学部美学美術史学科卒業。和光大学助教授、東京造形大学教授、千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授を歴任。 1955年、『美術批評』誌の第2回芸術評論賞にて「井上長三郎論」で佳作入選。
阪田 誠造(さかた せいぞう、1928年(昭和3年)12月2… 阪田 誠造(さかた せいぞう、1928年(昭和3年)12月27日 - 2016年(平成28年)7月21日)は、日本の建築家。 大阪府大阪市出身。1951年(昭和26年)、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年坂倉準三建築研究所入所。 1969年(昭和44年)の坂倉準三死去に伴い、西沢文隆らと共に坂倉建築研究所を設立し、取締役東京事務所長、1985年(昭和60年)から1999年(平成13年)まで代表取締役、1999年(平成13年)以後は最高顧問を務めた。 1990年(平成2年)から1991年(平成3年)まで新日本建築家協会副会長、1993年(平成5年)から1999年(平成11年)まで明治大学理工学部建築学科教授を務めるなど、建築界の発展や教育にも貢献した。
福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月… 福永 令三(ふくなが れいぞう、1928年〈昭和3年〉12月25日 - 2012年〈平成24年〉11月19日)は、日本の童話作家。愛知県名古屋市出身。 名古屋市立東白壁小学校、愛知県立明倫中学校、第二早稲田高等学院を経て、早稲田大学第一文学部国文科卒業。大学在学中は小説を1か月に原稿用紙千枚以上必ず[要出典](200枚程度)書いていたという。大学卒業後は文筆生活に入り、純文学、児童文学、ミステリなどジャンルを問わず様々な文学賞に応募をし続けた。1946年より静岡県熱海市に移住し、生涯在住した。 1956年に「赤い鴉」で、黒岩松次郎(後の団鬼六)らを抑えて文藝春秋の第9回オール新人杯を受賞。 代表作は、1964年に第5回講談社児童文学新人賞を受賞した『クレヨン王国の十二か月』。
河野博式(こうの ひろのり、1928年12月25日 - 20… 河野博式(こうの ひろのり、1928年12月25日 - 2011年1月1日)は、日本の実業家。日鉱金属(現JXHD)社長。 1928年12月25日(1929年1月1日)広島に生まれる。幼少期を広島で過ごし、京都大学法学部に進学。 その後、日本鉱業(現JX金属)に入社。1992年日鉱金属営業開始とともに、代表取締役社長に就任。1996年同社の代表取締役会長に就任。1999年取締役会長に就任。その他にも、数々の組織に所属していた。 引退後は、趣味のゴルフ、園芸に没頭。2011年1月1日食道がんのため82歳で死去。 2008年秋に、旭日重光章を受章している。
高橋 高見(たかはし たかみ、1928年12月23日 - 1… 高橋 高見(たかはし たかみ、1928年12月23日 - 1989年5月10日)はミネベアの元社長、元会長。元民社党衆議院議員の高橋高望は弟。ミネベアミツミ代表取締役会長兼社長執行役員の貝沼由久は娘婿。 東京都出身。父・精一郎は鉄屑商から身を起こしミネベアを創業して成功させた資産家であったが、「鉄屑屋の息子」という生い立ちにはコンプレックスを抱えていた。慶應義塾大学経済学部在学中は応援団長や経済学部自治会委員長を歴任し、応援団の制服を学ランからセーターに変え、早慶戦前夜祭を創設した。 鐘淵紡績から日本ミネチュアベアリング(現・ミネベアミツミ)に移り、社長に就任。日本におけるM&Aの先駆者であり、1970年代に企業買収を繰り返し、従業員数十人規模の日本ミネチュアベアリングを上場企業に成長させた。
鈴木 嘉吉(すずき かきち、1928年〈昭和3年〉12月23… 鈴木 嘉吉(すずき かきち、1928年〈昭和3年〉12月23日 - 2022年〈令和4年〉12月16日)は、日本の建築史学者。 東京府出身。1952年(昭和27年)東京大学工学部建築学科卒業。1961年(昭和36年)に論文『遺構の復原を主とした奈良時代寺院僧房の研究』で工学博士。奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長。文化庁文化財保護部建造物課長。同文化財鑑査官。奈良国立文化財研究所長。(財)文化財建造物保存技術協会理事。 飛鳥寺や薬師寺の発掘調査に加えて、正倉院御物や法隆寺東室などの修理に携わり、「60年来の修理屋」を自称する。 2018年(平成30年)に終わった興福寺中金堂(ちゅうこんどう)の再建を指導し、東大寺境内整備にも助言している。
佐藤 慶(さとう けい、1928年〈昭和3年〉12月21日 … 佐藤 慶(さとう けい、1928年〈昭和3年〉12月21日 - 2010年〈平成22年〉5月2日)は、日本の俳優、ナレーター。福島県会津若松市生まれ。本名:佐藤 慶之助(さとう けいのすけ)。 佐藤家は先祖代々会津藩士で、戊辰戦争に敗れて以降は漆器材料の卸商を営んでいた。また、二・二六事件に参加し刑死した渋川善助の妻絹子は叔母。 福島県立会津工業学校(現・福島県立会津工業高等学校)染織科卒業後、会津若松市役所戸籍係に勤務するかたわら、地元で結成した新劇愛好会で演劇に打ち込んでいたが、会の発表会の日に無断欠勤をして役所を免職されたという「根っからの新劇人」。 その後1951年に上京し、俳優の小沢栄太郎の芝居を見て、「ふてぶてしいまでに人間の暗い面を表現している」と憧れた。
武鹿 悦子(ぶしか えつこ、1928年12月20日 - )は… 武鹿 悦子(ぶしか えつこ、1928年12月20日 - )は、日本の児童詩人、児童文学作家、翻訳家。 東京生まれ。本姓・荒谷。東京都立第八高等女学校卒業。 戦後西條八十との出会いを契機に、NHKラジオ「うたのおばさん」に童謡を発表、文筆生活に入る。 フランス民謡の曲「踊る少女」と「きらきら星」の訳詞を担当。 1983年『詩集ねこぜんまい』で産経児童出版文化賞、日本童謡賞受賞。2014年『星』で日本児童文学者協会賞、日本童謡賞受賞。 2009年に三郷町図書館に「武鹿文庫」を設立した。 児童詩、絵本、再話、翻訳、子供向け伝記など多数を執筆している。奈良県三郷町在住。
八木 柊一郎(やぎ しゅういちろう、1928年12月20日 … 八木 柊一郎(やぎ しゅういちろう、1928年12月20日 - 2004年6月14日)は神奈川県出身の劇作家である。本名は八木伸一。旧制山形高等学校中退。
宇野 俊一(うの しゅんいち、1928年12月20日 - 2… 宇野 俊一(うの しゅんいち、1928年12月20日 - 2012年7月26日)は、日本の歴史学者。千葉大学名誉教授。 1928年、香川県で生まれた。東京大学文学部国史学科で学び、1954年に卒業。 千葉大学助教授となり、後に教授昇格。1994年に千葉大学を定年退官し、名誉教授となった。
杉山 好(すぎやま よしむ、1928年12月19日 - 20… 杉山 好(すぎやま よしむ、1928年12月19日 - 2011年9月10日)は、ドイツ文学、キリスト教学者。東京大学教養学部名誉教授。 1928年、静岡県生まれ。第一高等学校を卒業し、東京帝国大学独文科に進む。1952年に卒業。同1952年に東京大学教養学部助手に採用される。以後、講師、助教授、教授(ドイツ語)に昇進。1989年、東京大学を定年退官し、名誉教授となった。それまで矢内原忠雄の創設した無教会主義系東京大学聖書研究会(東大聖研)の顧問だったが、川中子義勝に交代した。その後は恵泉女学園大学教授として教鞭をとった。また、獨協大学の非常勤講師を1963年頃から1998年まで続けたが、これは同大学創立者の天野貞祐に依頼されたからとされる。
杉江 栄一(すぎえ えいいち、1928年(昭和3年)12月1… 杉江 栄一(すぎえ えいいち、1928年(昭和3年)12月18日 - 2016年(平成28年)10月25日)は、日本の国際政治学者、中京大学名誉教授。専門は国際政治学、軍縮問題。 東京生まれ。同志社大学大学院法学研究科修士課程修了、三重短期大学講師、助教授、中京大学法学部教授。1999年定年退任、名誉教授。日本科学者会議幹事、「日本の科学者」編集長、日本平和学会理事。
湧田 佑(わくた ゆう、1928年12月18日 - )は、日… 湧田 佑(わくた ゆう、1928年12月18日 - )は、日本の文芸評論家。本名・優(まさる)。 神奈川県出身。日本大学文理学部国文科卒。専門学校講師。井伏鱒二について研究してきた。
葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )… 葉梨 信行(はなし のぶゆき、1928年12月16日 - )は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員。北海道大学大学院理学系研究科修士課程修了。東京都出身。父は衆議院議員を務めた葉梨新五郎。三女の夫は衆議院議員の葉梨康弘。
3代 矢田 松太郎(やたまつたろう、1928年(昭和3年)1… 3代 矢田 松太郎(やたまつたろう、1928年(昭和3年)12月16日 - 2016年(平成28年)12月26日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。加賀市長。片山津観光事業株式会社(旅館「矢田屋」)会長、北陸観光開発社長、片山津観光協会会長、石川県旅館業環境衛生同業組合理事長、加賀信用組合(2002年破綻)理事長、日本温泉協会副会長なども務めた。旧名・礼二。父親の2代矢田松太郎(旧名・資朗、1903-1970)も元加賀市長。 片山津温泉の旅館「矢田屋」の主人で第2代加賀市長の2代矢田松太郎(資朗)と愛子の二男として石川県江沼郡作見村に生まれ、亡父より松太郎を襲名する。1953年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、日本交通公社に入社、同社海外旅行部を経て、1955年に矢田屋の支配人になる。
石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )… 石栗 龍雄(いしくり たつお、1928年12月15日 - )は、日本の騎手、調教師。 1951年に国営競馬(のち日本中央競馬会)で騎手デビュー。1959年に引退し、1965年より調教師。主な管理馬には1980年天皇賞(秋)に優勝した牝馬プリテイキャストなどがいる。また横山典弘は門下生である。2000年に定年引退。日本中央競馬会調教師の石栗龍彦は長男。 1928年、北海道札幌市の商家に生まれる。取り立てて競馬に興味をもってはいなかったものの、騎手見習いとなった友人に誘われて競馬場に出入りをはじめ、馬に惹かれていった。太平洋戦争中には援農作業で農耕馬を扱っていた。 1945年に旧制北海中学を卒業し、1947年秋に稗田虎伊のもとへ騎手見習いとして入門。
駒形 和男(こまがた かずお、1928年12月15日 - 2… 駒形 和男(こまがた かずお、1928年12月15日 - 2022年9月9日)は、日本の微生物学者。東京大学名誉教授。日本学士院エジンバラ公賞受賞。 新潟県南魚沼郡浦佐村(現南魚沼市)生まれ。1945年盛岡農林専門学校(現岩手大学農学部)農芸化学科入学。1948年同卒業。同年東京大学農学部研究生。1954年東京大学応用微生物研究所職員。1958年文部技官任官。1960年農学博士。1961年味の素入社。1968年東京大学応用微生物研究所助教授。1978年東京大学応用微生物研究所教授。1981年理化学研究所ライフサイエンス培養生物部長,理化学研究所ライフサイエンス研究情報室長、東京大学応用微生物研究所付属有用菌保存施設長。
五十嵐 敬一(いがらし けいいち、1928年 <昭和3年> … 五十嵐 敬一(いがらし けいいち、1928年 <昭和3年> 12月15日 - 2015年 <平成27年> 1月12日)は、日本の経営者。白洋舍社長、会長を務めた。 東京都出身。1952年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に白洋舎に入社した。1961年に取締役に就任し、1965年3月に常務、1971年に専務、1973年3月に副社長を経て、1975年2月には社長に就任。1991年3月に会長を経て、1999年3月には相談役に就任。 2015年1月12日、病気のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小島 静馬(こじま しずま、1928年12月15日 - 20… 小島 静馬(こじま しずま、1928年12月15日 - 2015年8月15日)は、日本の政治家。
28代 木村 庄之助(にじゅうはちだい きむら しょうのすけ… 28代 木村 庄之助(にじゅうはちだい きむら しょうのすけ、1928年12月15日 - 2010年4月1日)は大相撲の立行司の一人である。木村庄之助としての在位期間は1991年1月~1993年11月。山形県鶴岡市出身。出羽海部屋所属。本名は後藤悟(ごとう さとる)(旧姓・赤松-あかまつ)。平成の名行司と謳われている。 史上屈指の名行司であった松翁20代木村庄之助に入門。1938年5月に9歳で木村松尾の名で初土俵を踏み、当時は「豆行司」と呼ばれて人気を博したという。のちに松翁の養子となる。松翁の死後に22代庄之助の預かり弟子となった。 1947年式守松男時代より場内アナウンスを担当。 1949年5月に師匠の22代庄之助の前名である林之助(式守林之助)を名乗る。
沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 19… 沢藤 礼次郎(さわふじ れいじろう、戸籍上は澤藤禮次郎 1928年12月14日 - 2004年8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)出身。沢藤幸治・ウメの長男。父親は同町の町長であった。黒沢尻中学校を経て海軍兵学校(77期)に進んだ。在学中に広島市への原子爆弾投下による犠牲者を見て反戦の意識が強まったという。戦後、盛岡農林専門学校(現・岩手大学農学部)に入り、1948年に卒業。1951年に母校の黒沢尻高校で定時制教諭になり、その後花巻農業高校の教諭などを務めた。また、沢令二のペンネームで執筆活動を行なっている。1961年に岩手県高教組の書記長、1968年同委員長に就任。
三浦 保(みうら たもつ、1928年12月13日 - 199… 三浦 保(みうら たもつ、1928年12月13日 - 1996年9月9日)は、日本の実業家、芸術家、三浦工業の創始者。愛媛県松山市生まれ。 三浦工業創業と前後して、趣味として陶芸や能楽を始めた。 能楽においては、松山と縁の深い観世流職分藤井久雄主宰の観謳会で研鑽を積み、1981年、松山市内能楽堂にて大曲「安宅」を披いた。その後、1987年には東京・国立能楽堂にて「安宅」再演。これらの功績により、観世流名誉師範の称を得た。また、狂言にも親しみ、地元公演会などに出演した。 本社玄関に飾るべく、三浦が技法を開発した陶板画「Miurart(ミウラート)」は、本社隣接のMiurart Village(長谷川逸子設計)に多数展示されている他、県内各所に寄贈されている。
五味 努(ごみ つとむ、1928年12月13日 - 2013… 五味 努(ごみ つとむ、1928年12月13日 - 2013年9月13日)は、日本の機械工学者。上智大学名誉教授。
野坂 和彦(のさか かずひこ、1928年12月12日 - 1… 野坂 和彦(のさか かずひこ、1928年12月12日 - 1993年9月28日)は、日本の経営者。秩父セメント社長を務めた。青森県出身。 1948年に秋田鉱山専門学校鉱山機械学科を卒業し、1954年に秩父セメントに入社。1980年8月に取締役に就任し、1982年8月に常務、1984年8月に専務を経て、1986年8月には社長に就任。1991年6月に取締役相談役に就任。 1993年9月28日呼吸不全のために死去。64歳没。
山中 永之佑(やまなか えいのすけ、1928年(昭和3年)1… 山中 永之佑(やまなか えいのすけ、1928年(昭和3年)12月12日 - )は、日本の法制史学者、大阪大学名誉教授。日本近代法制史が専門。 大阪府生まれ。1953年大阪大学法経学部法学科卒、大学院に進む。 1957年大阪大学法学部助手、1961年8月同講師、1965年1月同助教授、1970年3月同教授。1975年「日本近代国家の統治機構の法的構造に関する研究」で、法学博士(大阪大学)の学位を取得。1983-1985年法学部長、1988年日本学術会議会員、1992年阪大を定年退官、名誉教授、追手門学院大学経済学部教授、1995年経営学部教授。2000年退職。 2008年瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
大坪 孝雄(おおつぼ たかお、1928年12月12日 - 2… 大坪 孝雄(おおつぼ たかお、1928年12月12日 - 2026年4月6日)は、日本の経営者。本州製紙社長を務めた。 東京都出身。1951年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年に本州製紙に入社。1982年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1994年6月に社長に就任。1996年10月に王子製紙会長に就任し、2001年6月には相談役に退いた。 2002年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2026年4月6日、心不全のため死去。97歳没。
加藤 康三(かとう こうぞう、1928年(昭和3年)12月1… 加藤 康三(かとう こうぞう、1928年(昭和3年)12月12日 - 2011年(平成23年)3月26日)は元・オリエンタルランド代表取締役会長。東京都出身。趣味は読書。 東京出身。1953年に東京大学農学部卒業と同時に千葉県庁に入庁。水産部長を経て、1985年にオリエンタルランドに移籍し専務取締役となる。 1988年4月に高橋政知代表取締役社長の妻・弘子が心臓病の悪化した事をきっかけに、同年6月25日付で同社の代表取締役副社長となる。 1992年1月9日に森光明社長が心筋梗塞で急死した為、同年6月23日付で4代目代表取締役社長に就任 1994年2月14日に100%出資子会社「舞浜コーポレーション」を設立。
佐々木 昭(ささき あきら、1928年12月12日 - 20… 佐々木 昭(ささき あきら、1928年12月12日 - 2017年8月30日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・地球化学。理学博士。 1952年、東京大学理学部地学科を卒業後、工業技術院地質調査所(産業技術総合研究所、地質調査総合センターの前身)鉱床部に入所。日本のタングステン鉱床などの研究をした後、1962~1965年カナダ国地質調査所、1965~1969年同アルバータ大学にポストドクトラルフェローなどとして留学。以降は留学により取得した同位体分析技術を駆使し,硫黄・鉛の同位体を用いた地球化学的な研究に力をそそぎ、各種鉱床の金属や硫黄の起源を論ずるなど、多くの成果を上げた。特に、同じ調査所の所員であった石原舜三と共同で、花崗岩のタイプにより、含まれる硫黄の同位体比に明瞭な違いがあることを見出し、花崗岩の成因論に大きな影響を与えた。
下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しも… 下川 辰平(しもかわ たっぺい、本名;下川 辰典<しもかわ ときふみ>、1928年12月11日 - 2004年3月25日)は、日本の俳優。福岡県福岡市出身。武蔵野美術大学中退。
土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - … 土本 典昭(つちもと のりあき、1928年12月11日 - 2008年6月24日)は、記録映画作家、ルポルタージュ作家。
井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 20… 井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 2022年1月9日)は、日本の映画監督。京都府出身。京都商業学校を経て、同志社大学文学部英文科卒業。 1950年、大映京都撮影所に入社、助監督となる。同期には土井茂、黒田義之、池広一夫らがいる。 助監督として溝口健二、森一生、吉村公三郎らについた。井上は森から映画を撮るテクニックを、溝口から「形而上学的な情念の世界」を学んだと述べている。1960年に『幽霊小判』で監督としてデビュー。井上によるとこの作品は『悪魔のような女』を時代劇にアレンジしたものだという。監督デビュー以降も『大菩薩峠』、『釈迦』では助監督を務めた。大映在籍中に21本の作品で監督を務めた。
塚田 新市(つかだ しんいち、1928年12月10日 - 2… 塚田 新市(つかだ しんいち、1928年12月10日 - 2004年10月3日)は日本の政治家。鹿児島県串木野市長(6期)。串木野市名誉市民。 鹿児島県串木野市下名(現いちき串木野市)出身。串木野の尋常高等小学校を1929年に卒業した後、大阪で鋳物工場の給仕や夜学の教師として働きながら苦学。1933年関西大学第二商業科卒業。1941年関西大学法文学部法律学科(現関西大学法学部)卒業。関大法科卒業後は東京に移り、築地本願寺近くの織物統制会社に就職。1944年5月、鹿児島県庁に入職。鹿児島県職業指導主事補(1944年)、地方事務官鹿児島県勤務(1946年)、鹿児島県議会事務局庶務課長(1951年)、調査課長(1955年)、鹿児島県民生労働部労政課長(1958年11月)、農政部農業経済課長(1963年5月)、衛生部医務課長(1965年)、鹿児島県監査委員事務局長(1967年6月)を経て、1968年7月より鹿児島県民生労働部長。
風間 喜代三(かざま きよぞう、1928年12月9日 - )… 風間 喜代三(かざま きよぞう、1928年12月9日 - )は、日本の言語学者、東京大学名誉教授。 1926年、東京生まれ。1952年東京大学文学部言語学科卒業、高津春繁の指導を受け、比較文法学を研究。ウィーン大学留学。 帰国した後、名古屋大学助教授、東京大学文学部助教授を経て教授。1978年10月には「印欧語の親族名称の研究」を東大に提出して文学博士号を取得。1989年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後も法政大学第一教養部教授を1999年まで務めた。 日本における比較言語学の第一人者のひとりとして印欧語の語源研究などにも携わっている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
川村 茂邦(かわむら しげくに、1928年12月9日 - 1… 川村 茂邦(かわむら しげくに、1928年12月9日 - 1999年4月1日)は、日本の経営者。大日本インキ化学工業社長を務めた。 関東州大連市出身。1953年に東京大学法学部政治学科を卒業。日本長期信用銀行での勤務を経て、1959年に大日本インキ化学工業に転じ、1966年5月に取締役に就任し、1972年12月に常務、1974年11月に専務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1978年6月には社長に昇格。1994年3月に特別顧問に就任。 1999年4月1日呼吸不全のために死去。70歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 -… 森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 - 2023年7月31日 )は、日本の神学者、牧師、翻訳家。東北学院大学名誉教授。 広島市生まれ。1945年群馬県立高崎中学校卒業。1948年松本高等学校理科甲類卒業。1953年広島文理科大学物理学科卒業。1957年東京神学大学大学院修士課程修了。日本基督教団信濃町教会、若草教会牧師。1966年東北学院大学助教授、教授。1996年定年退任、名誉教授。