森 博(もり ひろし、1929年〈昭和4年〉9月7日 - 1… 森 博(もり ひろし、1929年〈昭和4年〉9月7日 - 1999年〈平成11年〉1月30日)は、日本の社会学者。東北大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 神奈川県川崎市生まれ。1953年東北大学文学部社会学科卒。同・教養部助教授を経て教授。1993年定年退官。甲南女子大学教授。在職中に死去。『サン・シモン著作集』、カール・ポパーなどを訳した。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
三宅 鴻(みやけ こう、1929年9月6日 - 2003年2… 三宅 鴻(みやけ こう、1929年9月6日 - 2003年2月4日)は、日本の英語学・言語学者、法政大学名誉教授。 1929年、東京府(現・東京都世田谷区)で生まれた。東京大学文学部英文科で学び、1952年に卒業。 卒業後は、鶴見女子大学助教授、成蹊大学教授、法政大学文学部教授を務めた。
細谷 精一(ほそや せいいち、1929年(昭和4年)9月6日… 細谷 精一(ほそや せいいち、1929年(昭和4年)9月6日 - 1996年(平成8年)9月26日)は、日本の生理学者。専門は環境生理学。元旭川大学女子短期大学部学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
藤原 房雄(ふじわら ふさお、1929年(昭和4年)9月6日… 藤原 房雄(ふじわら ふさお、1929年(昭和4年)9月6日 - 2015年(平成27年)12月28日)は、日本の政治家。北海道小樽市出身。室蘭工業大学電気工学科卒業。参議院議員(3期)、衆議院議員(2期)。 小樽市に生まれる。室蘭工業大学電気工学科を卒業する。通商産業省に勤める。その後、同札幌通産局(現北海道経済産業局)勤務を経て、聖教新聞社北海道支局長を務める。この頃、創価学会北海道事務局長も兼任していた。 1968年(昭和43年)7月7日、第8回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として全国区から立候補し、初当選する(以降3期)。参議院科学技術振興対策特別委員長などを務める。 3期目の任期満了目前となった1986年(昭和61年)、同年7月6日執行第38回衆議院議員総選挙に公明党公認で北海道1区から立候補(公示日となる同年6月21日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職))、衆議院議員に鞍替え当選する。
石澤 一朝(いしざわ かずとも、1929年9月5日 - 20… 石澤 一朝(いしざわ かずとも、1929年9月5日 - 2007年12月7日)は、日本の経営者。カネボウ社長を務めた。 東京都出身。1952年に慶應義塾大学工学部電気工学科を卒業し、同年に鐘紡に入社。1980年7月に取締役、1983年12月に常務、1984年7月に専務を経て、1989年6月に社長に就任。1992年5月に副会長に就任し、同年6月に会長を経て、1994年4月から名誉顧問を務めた。 1985年に藍綬褒章を受章。 2007年12月7日に肺炎のために死去。78歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡辺 広士(わたなべ ひろし、1929年9月5日 - )は、… 渡辺 広士(わたなべ ひろし、1929年9月5日 - )は、日本の文芸評論家、フランス文学者、翻訳家。 広島県生まれ。東京大学仏文科卒業。1965年「三島由紀夫と大江健三郎」で群像新人文学賞受賞、雑誌『審美』に参加。1968年法政大学助教授、のち教授を2000年まで務めた。 ロートレアモンなどを研究、翻訳し、戦後文学を論じた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
半嶺 当泰(はんみね とうたい、1929年〈昭和4年〉9月5… 半嶺 当泰(はんみね とうたい、1929年〈昭和4年〉9月5日 - 2019年〈平成31年〉4月14日)は、日本の政治家。元沖縄県石垣市長(1期)。 石垣市生まれ。旧制沖縄県立八重山中学校卒。琉球大学語学部国語科中退。自治大学第二部課程修了。石垣市大浜支所総務課長や議会事務局長などを歴任した。1970年(昭和45年)石垣市議会議員に当選し、5期務めた。この間、1982年(昭和57年)9月から1990年(平成2年)3月まで第11・12代市議会議長を務めた。 1990年(平成2年)、任期途中で市議を辞職した。同年の市長選挙に立候補して、5選を現職の内原英郎を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:88.85%(前回比:-pts) 1994年(平成6年)の市長選に再選を目指して立候補したが、元沖縄県立八重山病院長の大濱長照に敗れた。
藤井 隆(ふじい たかし、1929年9月4日 - 2020年… 藤井 隆(ふじい たかし、1929年9月4日 - 2020年7月17日)は、日本の国文学者、書誌研究者。名古屋市立大学名誉教授。 東京府羽田町に生まれる。1953年に名古屋大学文学部国文科を卒業。 愛知大学副手、助手、講師、帝塚山短期大学助教授、教授、名古屋市立大学教養部助教授、教授。1995年に定年退官、名誉教授。1998年より2005年まで豊橋市美術博物館館長を務める。 1993年、豊橋市文化振興賞を受賞。 藤井の学問は、およそ次の4つに分けて考えることができる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年… 成田 亨(なりた とおる、1929年9月3日 - 2002年2月26日)は、日本のデザイナー、彫刻家。青森県出身。 神戸市生まれで、翌年より両親の故郷青森県に移り父方の出身地である青森市にて育つ。俳優の成田浬は息子、漫画家の成田美名子は従兄弟の娘。 生後8ヶ月の時、青森市の自宅で囲炉裏の炭をつかんで左手に火傷を負い、数度の手術でも治らなかった。1936年4月、青森市立古川尋常小学校(現:青森市立古川小学校)に入学。8歳の時に兵庫県武庫郡大庄村(現:尼崎市)へ移り、大庄村立大庄尋常小学校(現:尼崎市立大庄小学校)に転校。4年生時の学校分離により大庄村立大庄尋常第二小学校(旧:尼崎市立西小学校)に通い、14歳までの6年間を尼崎市で過ごす。
丸茂 明則(まるも あきのり、1929年 <昭和4年> 9月… 丸茂 明則(まるも あきのり、1929年 <昭和4年> 9月3日 - 2011年 <平成23年> 10月16日)は、日本の官僚・経済学者。位階は従四位。 東京生まれ。1952年青山学院大学文学部英米文学科卒業。1955年早稲田大学第二政治経済学部卒業。1956年経済企画庁入庁。1957年アメリカ合衆国商務省に国連留学生として派遣。1970年フランスOECD日本政府代表部勤務。1983年経済企画庁調整局審議官。1985年経済企画庁調査局長。1986年国際大学教授、三菱信託銀行顧問。1994年国際大学副学長。1999年勲三等瑞宝章受勲。2000年国際大学名誉教授。没後、従四位追贈。
宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月… 宇佐美 江中(うさみ こうちゅう、1929年(昭和4年)9月1日 - )は愛知県出身の日本の日本画家。本名は豊。社団法人日展会員を経て日展理事、日春展顧問。 1929年(昭和4年)9月1日、愛知県に生まれる。愛知県立松蔭高等学校卒業。始め川合玉堂、後に奥田元宋に師事。 1962年(昭和37年)「凪」が新日展に入選。以後1993年(平成5年)第25回日展にて日展会員賞、1997年(平成9年)第29回日展にて文部大臣賞。 2004年(平成16年)、2003年(平成15年)第35回改組日展出品作「暮れゆく函館」が平成15年度(第60回)日本芸術院賞。
村上哲朗(むらかみ てつろう、1929年9月1日 - )は、… 村上哲朗(むらかみ てつろう、1929年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。仙台国税局長、税務大学校長、自動車保険料率算定会副理事長などを歴任した。 東京府出身。東京大学経済学部経済学科在学中に国家公務員六級職試験(経済職、法律職)を合格。東大経済学部経済学科を卒業し、1953年 大蔵省に入省(銀行局検査部審査課) 。同期に吉野良彦、水野繁、大場智満、宮下創平、宮本保孝、楢崎泰昌、名本公洲らが居り、更に新制組に西垣昭、梅沢節男、矢崎新二らが居た。 1957年10月から東京国税局調査査察部で勤務する 。1958年11月 東京国税局の調査官として比較的のんびりと過ごしていたが、突如として主計局の勤務を命ぜられた。
松恵山 邦治(まつえやま くにはる、1929年9月1日 - … 松恵山 邦治(まつえやま くにはる、1929年9月1日 - 2001年8月31日)は、立浪部屋に所属した元力士。本名は柏谷 邦治(かしわだに くにはる)。現在の宮崎県延岡市出身。身長168cm、体重102kg。最高位は東十両17枚目。得意技は右四つ、寄り。 1950年5月場所に初土俵、1955年3月場所に十両昇進。1957年5月場所に廃業した。引退後は故郷に帰ってちゃんこ料理店を開業した。2001年8月31日に死去、71歳没。現在、宮崎県には松恵山の教え子が開いた松恵山相撲道場がある。また、佐渡ヶ嶽部屋に所属している9代尾車(元幕内・琴恵光)は孫であり、この道場の出身者である。
中村 貢(なかむら みつぐ、1929年9月 - )は、日本の… 中村 貢(なかむら みつぐ、1929年9月 - )は、日本の経済学者であり、計量経済学および不動産経済学を専門とする。東京大学経済学部教授や日本大学経済学部教授などを歴任し、日本における計量経済学教育のパイオニアとして知られる。戦後日本で初めて計量経済学の講義を担当した人物で、1980年代後半には東京大学経済学部長(大学院経済学研究科長)も務めた。 東京大学経済学部出身で、1950年代後半から統計学・計量経済学の研究に携わった。1958年には、ノーベル賞経済学者ローレンス・クラインの著書『計量経済学』の宮沢光一教授と共に日本語翻訳を岩波書店から出版しており、これは日本に計量経済学を紹介する草分け的役割となった。
加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 20… 加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 2019年12月22日)は、日本の社会運動家、随筆家。 日本の高度経済成長期、地方から集団就職した勤労青年たちの交流サークル「若い根っこの会」を創設し、亡くなるまで会長を務めた。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田中学校(現・秋田県立秋田高等学校)を経て、1946年に秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)に入学するが翌年中退、しばらく住み込みで農業に従事。1953年、東京農業大学農学部農業経済学科卒業。在学中、青山ほとりに合わせ大根を持って応援を行う「大根踊り」を考案したという説がある(異説あり。詳細は青山ほとり#大根踊りを参照)。 1952年から1958年にかけ、東農大在学生のサークル「あすなろ会」、および若者の交流サークル「経堂青年会」「雑草の会」「東京青年の会」を立ち上げる。
山路 修(やまじ おさむ 、1929年8月31日 - )は日… 山路 修(やまじ おさむ 、1929年8月31日 - )は日本の元サッカー選手。ポジションはDF。
塔 和子(とう かずこ、本名・井土 ヤツ子(いづち やつこ)… 塔 和子(とう かずこ、本名・井土 ヤツ子(いづち やつこ)1929年8月31日 - 2013年8月28日)は、日本の詩人。11歳でハンセン病を発病し、国立療養所大島青松園に入所するかたわら、多くの詩を書いた。 1929年8月31日、愛媛県東宇和郡(現西予市)明浜町田之浜にて、8人きょうだいの3番目の次女として生まれる。1941年、田之浜国民学校初等科6年生の春、11歳の時(と思われる)にハンセン病を発病。1943年6月21日、13歳の時に、ハンセン病により国立療養所大島青松園(おおしませいしょうえん)に入所。1951年9月、同園の赤沢正美と結婚。1952年頃に、特効薬プロミンによりハンセン病が完治。
大國 昌彦(おおくに まさひこ 1929年8月30日 - 2… 大國 昌彦(おおくに まさひこ 1929年8月30日 - 2012年9月27日)は、日本の実業家。位階は従三位。 大國昌彦は、安土桃山時代から江戸時代にかけて越後の国主であった上杉謙信に仕えた樋口兼豊の次男・大国実頼(小国氏の養子)の末裔である(実際には大国実頼の弟樋口秀兼の子で、実頼の養子大国光頼の末裔)。その縁で大國実頼の居城であった天神山城(新潟県新潟市西蒲区岩室)の本丸跡の石碑文を揮毫している。 妻は阿南惟幾の娘・聡子。
小沢 介三(おざわ かいぞう、1929年8月29日 -201… 小沢 介三(おざわ かいぞう、1929年8月29日 -2015年4月13日 )は、日本の政治家、元山梨県南部町長である。 1929年(昭和4年)に山梨県南巨摩郡睦合村(現在の南部町)に産まれる。その後山梨県立身延中学校(現在の山梨県立身延高等学校)、南部町役場勤務、会社役員を経て1986年(昭和61年)に旧南部町長選挙に立候補し、無投票で当選した。その後旧南部町長を5期、合併後の現南部町長を1期務めた。2007年(平成19年)に紺綬褒章、2008年(平成20年)に旭日小綬章を受章。2009年(平成21年)には名誉町民となっている。 旧南部町長時代に過疎化や高齢化が著しかった町の地域復興策を次々と進行させ、また1995年(平成7年)に急行「富士川」が特急化される際内船駅が通過対象であると聞くとJR東海に対して陳情を行ない、特急停車駅化を果たしている(鉄道と政治#停車駅争奪戦・追加運動・臨時停車などを参照)。
佐藤 泰正(さとう やすまさ、1929年8月29日 - 20… 佐藤 泰正(さとう やすまさ、1929年8月29日 - 2021年1月16日)は、日本の教育心理学者、筑波大学名誉教授。障害児教育が専門だが、速読術、野球などに関する一般書も多く著した。 東京生まれ。1952年東京文理科大学心理学科卒。東京教育大学講師、助教授、筑波大学心身障害系教授。82年「視覚障害児の読書速度に関する発達的研究」で筑波大学教育学博士。1993年定年退官、名誉教授。日本医療科学大学学長。2015年瑞宝中綬章受勲。 2021年1月16日、老衰のため、埼玉県川口市の自宅で死去。91歳没。死没日をもって正四位に叙される。
鈴木 和美(すずき かずみ、男性、1929年〈昭和4年〉8月… 鈴木 和美(すずき かずみ、男性、1929年〈昭和4年〉8月28日 - 2003年〈平成15年〉6月29日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、日本社会党)、国土庁長官(第28代)。 福島県出身。福島県郡山商業学校(現福島県立郡山商業高等学校)卒。専売労組出身。 1980年6月22日に行われた第12回参議院議員通常選挙において、日本社会党から全国区にて出馬し初当選。 1996年1月11日から1996年11月7日の間、第1次橋本内閣において国土庁長官。 1998年の第18回参議院議員通常選挙に出馬せず、政界を引退。 1999年秋の叙勲で勲一等瑞宝章受章。 2003年6月29日、大腸癌のため死去、73歳。
内嶋 善兵衛(うちじま ぜんべえい、1929年(昭和4年)8… 内嶋 善兵衛(うちじま ぜんべえい、1929年(昭和4年)8月27日 - )は、日本の農業気象学者。農学博士(九州大学・論文博士・1961年)。お茶の水女子大学名誉教授。 長崎県島原市生まれ。1950年宮崎農林専門学校(現・宮崎大学)農科卒業、農林省農業技術研究所に入る。1961年「水田用水ならびに水田水の熱状態に関する研究」で九州大学より農学博士の学位を取得。1962 - 1963年コーネル大学に学ぶ。九州農業試験場、農業環境技術研究所研究員、1983年同気象管理課長、1987年お茶の水女子大学教授、名誉教授、宮崎公立大学人文学部教授、学部長、学長。1965年日本農業気象学会賞、1986年農林水産省研究功績賞受賞。
桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年… 桂 千穂(かつら ちほ、1929年8月27日 - 2020年8月13日)、日本の脚本家、小説家、翻訳家、映画評論家。男性。岐阜県出身。別名義に宇治 英三、リチャード・ピータース。本名は島内 三秀である。 父は高知県出身の陸軍将校。読書家だった母の影響と病弱だったことから、読書に耽る少年時代を送った。1943年(昭和18年)、志願して名古屋陸軍幼年学校に入学し、ここで終戦を迎える。退校直前に幼年学校の映画会で古川緑波主演の喜劇を観て、映画の魅力に取り憑かれた。 1954年(昭和29年)、早稲田大学文学部卒業。1955年(昭和30年)にTBSに入社。編成局連絡課に配属されるが、激務のために高校時代に患った結核が悪化して6ヶ月で退社。
秋山 和夫(あきやま かずお、1929年〈昭和4年〉8月26… 秋山 和夫(あきやま かずお、1929年〈昭和4年〉8月26日 - 2000年〈平成12年〉9月14日)は、日本の教育学者。岡山大学名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 1952年広島文理科大学教育学科卒、岡山大学教育学部助教授、教授、1992年定年退官、名誉教授、山陽学園大学学長。 2000年9月14日、胃癌のため死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 201… 出口 保夫(でぐち やすお、1929年8月26日 - 2019年8月2日)は、日本の英文学者、英国文化研究家、翻訳家。早稲田大学名誉教授。 三重県松阪市生まれ。1953年早稲田大学教育学部英語英文科卒業、同副手。1955年早稲田大学大学院修了。1963年早大教育学部講師、1966年助教授、1971年教授、2000年に退職後、名誉教授。2009年春、瑞宝中綬章受勲。 1963年、大英博物館研究員として渡英。その後も、オックスフォード大学キャンピオン・ホール(Campion Hall)上級客員教授などとして、たびたびイギリスに滞在する。 ジョン・キーツをはじめとするイギリス・ロマン派についての研究業績や、『キーツ全詩集』などの訳業も多い。
赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月2… 赤松 良子(あかまつ りょうこ、1929年〈昭和4年〉8月24日 - 2024年〈令和6年〉2月6日)は、日本の労働官僚、外交官、政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。筆名は青杉 優子。在ウルグアイ大使、文部大臣、公益財団法人日本ユニセフ協会会長を歴任した。女性の政治参画拡大を目指す市民団体「Qの会」代表。労働省の婦人局長として、1986年に施行された男女雇用機会均等法の成立に尽力し「均等法の母」と呼ばれた。 労働省婦人局長時代、男女雇用機会均等法制定の中核となった。細川護熙、羽田孜両内閣で文部大臣を務めたほか、国際女性の地位協会会長なども務めた。選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているネットの呼びかけ人でもある。
有田 英世(ありた えいせい、1929年(昭和4年)8月23… 有田 英世(ありた えいせい、1929年(昭和4年)8月23日- 2006年(平成18年)9月2日)は、実業家である。元資生堂取締役。岡山県出身。 岡山県に生まれる。旧制高梁中学校(現在の岡山県立高梁高等学校)に進み、1947年(昭和22年)に卒業し、旧制高松経済専門学校(現在の香川大学経済学部)に入学した。同期の友人には、香川銀行の第5代頭取だった大林一友がいる。 旧制高梁中学校を卒業した有田は、憧れである第六高等学校に進み、帝国大学を目指したかった。しかし、家庭の経済状態が良くなく、歴史が得意だったため、広島高等師範学校に進み、学校の教師になろうとも考えていたが、結局、高松経専へ進んだ。1950年(昭和25年)、21歳のときに同校を卒業し、資生堂に入社した。
渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2… 渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2006年9月18日)は、広島県三次市三良坂町出身の元プロ野球選手(投手)。 私立日彰館中学校卒業後、広島県庁の軟式野球チーム「オール県庁」で広岡富夫とバッテリーを組む。剛速球投手として知られていた渡辺はある日、広島球団から呼び出しがあって広陵高へ行ってみると石本秀一監督が立ち合ってのテストであった。ものの10分ほど投げると「カープへ来ないか」と誘われたが、渡辺に入る気は無く、県庁の職員からも「なんで渡世稼業みたいな世界に入らないけんのや」と猛反対された。結局、渡辺は「独身だったし、測量や設計の技術者だったこともあって食べることには心配ない。
山崎 泰廣(やまさき たいこう、1929年8月23日 - 2… 山崎 泰廣(やまさき たいこう、1929年8月23日 - 2025年3月11日)は、真言宗僧侶・密教学者・種智院大学名誉教授。常光院住職。 神戸市生まれ。1954年高野山大学大学院密教学科修了。1955年宮島の弥山にて虚空蔵求聞持法成満。1966年種智院大学助教授、72年教授。高野山大学教授を兼ねる。1974年伝燈大阿闍梨位。1990年密教学芸賞受賞。1999年高野山真言宗大僧正。2000年種智院大学・高野山大学定年退職。種智院大学名誉教授。1968年より、密教の源流と瞑想に関する研究・修行・講義のためインド・ネパール・タイ・カンボジア・スリランカ・中国・アメリカ・イタリアなどを踏査。 2025年3月11日に死去。
幡谷 豪男(はたや ひでお、1929年〈昭和4年〉8月23日… 幡谷 豪男(はたや ひでお、1929年〈昭和4年〉8月23日 - 2010年〈平成22年〉8月6日)は、日本の政治家。大阪府堺市長(第17代)。市制施行100周年を担当し、21世紀まで3期連続して就任した。 千葉県、現在の成田市出身。大阪府企画部長、堺市助役などを経て、1989年(平成元年)に堺市長に当選し3期12年間務めた。 1期目の1991年、市制施行100周年事業を締めくくる新庁舎の完成、21世紀を目指す第三次総合計画の開始を担った。 2010年8月6日午後9時28分、胃癌のため堺市の病院で死去。80歳没。
北原 怜子(きたはら さとこ、1929年8月22日 - 19… 北原 怜子(きたはら さとこ、1929年8月22日 - 1958年1月23日)は、キリスト教の教義に基づき献身的な活動を展開した社会奉仕家である。蟻の町のマリア(ありのまちのマリア)と呼ばれた。東京都出身。2015年に教皇庁によって尊者と認められた。 東京府豊多摩郡(現:東京都杉並区)生まれ。学者で教育者の北原金司の三女。桜蔭高等女学校(現桜蔭中学校・高等学校)、昭和女子薬学専門学校卒業。1949年光塩女子学院内のメルセス会修道院にて受洗。洗礼名はエリザベト、霊名はエリザベト・マリア。 1950年に浅草にある姉の家に転居した際に、“ゼノ神父”ことゼノ・ゼブロフスキー修道士(コンベンツァル聖フランシスコ修道会)と知り合う。
羽矢 謙一(はや けんいち、1929年8月22日 - 202… 羽矢 謙一(はや けんいち、1929年8月22日 - 2021年10月6日)は、日本の英文学者。明治大学名誉教授。 熊本市生まれ。東京大学英文科卒。同大学院を経て、青山学院大学助教授、明治大学文学部教授、2000年に定年し名誉教授。 D・H・ロレンスを専門とし、伊藤整が裁判で敗訴し、削除版のままになっていた『チャタレイ夫人の恋人』の完訳を1973年に刊行した。
若林 慎一郎(若林愼一郎、わかばやし しんいちろう、1929… 若林 慎一郎(若林愼一郎、わかばやし しんいちろう、1929年8月22日 - )は、日本の精神医学者。 島根県浜田市出身。1958年名古屋大学医学部卒、1963年同大学院精神医学博士課程修了、1964年「児童神経症についての一考察」で医学博士。1967年日本福祉大学助教授、1969年名古屋大学医学部付属病院講師、1974年愛知県立心身障害者コロニー・発達障害研究所治療部長、1978年名古屋大学医学部助教授、教授、1993年定年退官、金城学院大学教授、岐阜大学医学部教授。1991-1994年日本児童青年精神医学会理事長。
小野 俊夫(おの としお、1929年8月22日 - )は、日… 小野 俊夫(おの としお、1929年8月22日 - )は、日本の経済学者、早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒、同大学院経済学研究科博士課程満期退学。駒澤大学商経学部助教授ののち、早大社会学部教授。2000年定年、名誉教授となる。2008年11月瑞宝中綬章受勲。カタストロフィー理論、カオス理論が専門で、近年は哲学的なカオス理論について書いている。
八木 祐四郎(やぎ ゆうしろう、1929年8月21日 - 2… 八木 祐四郎(やぎ ゆうしろう、1929年8月21日 - 2001年9月9日)は、日本の実業家。 北海道枝幸郡中頓別村(現・中頓別町)出身。旧制旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)、日本大学法学部法律科卒業。卒業後は国民生活金融公庫に勤務する傍ら、スキー指導に携わり、母校日本大学スキー部監督や全日本スキー連盟専務理事、全国ビルメンテナンス協会会長、日本オリンピック委員会会長を歴任した。
中西 進(なかにし すすむ、1929年〈昭和4年〉8月21日… 中西 進(なかにし すすむ、1929年〈昭和4年〉8月21日 - )は、日本の教育者・文学者(日本文学・比較文学)。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1962年)。国際日本文化研究センター名誉教授、大阪女子大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授、奈良県立万葉文化館名誉館長。文化功労者。文化勲章受章。 東京学芸大学附属高等学校教諭、成城大学文芸学部教授、筑波大学歴史人類学系教授、国際日本文化研究センター教授、帝塚山学院大学教授、帝塚山学院大学国際理解研究所所長、大阪女子大学学長、日本学術会議会員、学校法人帝塚山学院理事長、京都市立芸術大学学長、池坊短期大学学長、奈良県立万葉文化館館長、高志の国文学館館長などを歴任した。
糸魚川 淳二(いといがわじゅんじ、1929年8月21日 - … 糸魚川 淳二(いといがわじゅんじ、1929年8月21日 - 2021年11月11日)は、日本の古生物学者、地質学者。名古屋大学名誉教授、元豊橋市自然史博物館館長。学位は、理学博士(京都大学・1961年)。 岐阜県恵那郡坂下町(現・中津川市)に生まれる。1942年4月、恵那中学(現・岐阜県立恵那高等学校)に入学。1945年4月、海軍経理学校予科に入校し終戦を迎える。恵那中学に復学し、1946年9月には旧制第四高等学校理科甲類に入学し1949年3月に卒業。同年4月、京都大学理学部に入学。1957年、京都大学大学院を退学。同年8月、名古屋大学理学部に採用される。1958年2月、助手。1971年4月、助教授。
大井康暢(おおい こうよう、1929年8月21日 - 201… 大井康暢(おおい こうよう、1929年8月21日 - 2012年5月6日)は、日本の詩人。静岡県生まれ。本名読み・やすのぶ。海軍経理学校合格。日本大学文学部英文科卒。東京都内の私立高校、静岡県内の公立中学校に勤務し、詩や小説を書いた。詩誌『岩礁』主宰。静岡県詩人会会長、静岡県芸術祭選者などを歴任した。
小山 道夫(こやま みちお、1929年(昭和4年)8月21日… 小山 道夫(こやま みちお、1929年(昭和4年)8月21日 - 2009年(平成21年)3月16日)は、昭和から平成時代初期の政治家。埼玉県蓮田市長。 埼玉県南埼玉郡綾瀬村(蓮田町を経て現蓮田市)出身。1950年(昭和25年)早稲田大学専門部商科卒業。1982年(昭和57年)から蓮田市長を2期務めた。
菊池 康郎(きくち やすろう、1929年〈昭和4年〉8月20… 菊池 康郎(きくち やすろう、1929年〈昭和4年〉8月20日 - 2021年〈令和3年〉11月3日)は、囲碁のアマチュア強豪。東京都大田区出身。専修大学卒業。 世界アマチュア囲碁選手権戦優勝、全日本アマチュア本因坊戦等国内アマ大会優勝20数回を数え、アマ四強と呼ばれた一人。緑星囲碁学園を主宰し、山下敬吾を始め、多数のプロ・アマ棋士を育成した。国際囲碁交流にも尽力、緑星囲碁学園代表、国際囲碁友好会理事長、全国子ども囲碁普及会代表、一般社団法人全日本囲碁協会理事長。 大田区蒲田に生まれ、3歳頃に囲碁好きの父の影響で囲碁を覚え、碁会所で腕を磨く。高輪中学時代に横浜市中山に疎開し、相原忍三段や、伊藤友恵、小泉重郎らの指導を受ける。
大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8… 大竹 宏繁(おおたけ ひろしげ、1929年 <昭和4年> 8月20日 - 1994年 <平成6年> 12月19日)は日本の大蔵・経済企画官僚。位階は従三位。勲二等瑞宝章。 東京府神田生まれ。第一高等学校、東京大学法学部卒業。1953年 大蔵省入省(理財局総務課)。1980年12月1日に経済企画庁長官官房審議官(調整局担当)。1982年7月2日 国民生活局長。1983年7月12日 総合計画局長。1985年6月10日に経済企画審議官となり、1986年6月3日より経済企画事務次官。1987年6月23日に退官。同年 大和銀行総合研究所(現:りそな総合研究所)初代理事長(〜1993年4月28日)。1994年12月19日 死去。
鈴木 正(すずき ただし、1929年8月20日 - 2014… 鈴木 正(すずき ただし、1929年8月20日 - 2014年10月23日)は、日本の経営者。第一製薬社長を務めた。 愛知県出身。1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に第一製薬に入社。1973年に取締役に就任し、1975年に常務、1983年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任。1999年6月に会長に就任し、2004年7月には相談役に就任。 2003年11月に旭日中綬章を受章。 2014年10月23日、肺炎のために死去。85歳没
池端 清一(いけはた せいいち、1929年〈昭和4年〉8月2… 池端 清一(いけはた せいいち、1929年〈昭和4年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉2月28日)は、日本の政治家。 国土庁長官(第27代)兼研究・学園都市担当大臣兼土地対策担当大臣兼阪神・淡路復興対策担当大臣(村山改造内閣)、衆議院懲罰委員長、同災害対策特別委員長、衆議院議員(7期)、社会民主党国会対策委員長(初代)などを歴任。 北海道室蘭市生まれ、釧路市出身。旧制釧路中学校、旧制弘前高校を経て、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後は北海道日高支庁管内の学校教員に奉職し、北海道教職員組合の書記長も務めた。 1976年、第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧北海道4区から立候補し、初当選。
松下 圭一(まつした けいいち、1929年8月19日 - 2… 松下 圭一(まつした けいいち、1929年8月19日 - 2015年5月6日)は、日本の政治学者・法学博士。法政大学名誉教授。元日本政治学会理事長。専門は、政治学、政治思想史、地方自治論。 福井県福井市生まれ。旧制福井中学、第四高等学校を経て、1952年東京大学法学部卒業。在学中は東京大学新聞編集長を務めた。丸山眞男門下として名高く、法政大学法学部に赴任後、助教授、教授を経て、2000年に法政大学を定年退職。また、日本政治学会理事長や日本公共政策学会会長を歴任した。マルクス主義全盛の時代潮流において大衆社会論を唱えて論壇に登場し、江田三郎の構造改革論や、地方自治のイデオローグとして活躍した。 2015年5月6日午前1時20分、心不全のため死去。
山本 兵蔵(やまもと へいぞう、1929年8月19日 - )… 山本 兵蔵(やまもと へいぞう、1929年8月19日 - )は、日本の経営者。大成建設社長、会長を務めた。 佐賀県西松浦郡有田町出身。1952年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に大成建設に入社。1985年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1993年6月には社長に昇格。1997年4月に会長に就任し、2001年4月に取締役相談役を経て、同年6月には相談役に就任。
高秀 秀信(たかひで ひでのぶ、1929年(昭和4年)8月1… 高秀 秀信(たかひで ひでのぶ、1929年(昭和4年)8月18日 - 2002年(平成14年)8月29日)は、日本の政治家、官僚。従三位勲一等瑞宝章。 横浜市長(第25・26・27代)、全国市長会会長(第24代)、水資源開発公団総裁、建設事務次官を歴任。 北海道夕張郡夕張町(現:夕張市)出身。北海道立夕張中学校から北海道大学工学部土木工学科を卒業後、1952年に建設省に入省。建設事務次官を経て、1986年には水資源開発公団の総裁に就任した。 1990年2月15日、横浜市長の細郷道一が任期中に病死。細郷の死去に伴い4月8日に行われた市長選に、自民党幹事長在任中の小沢一郎や自民党の派閥で当時最大最強の経世会会長金丸信の後押しを受けて立候補。
小野 二郎(おの じろう、1929年8月18日 - 1982… 小野 二郎(おの じろう、1929年8月18日 - 1982年4月26日)は、日本の英文学者、思想家。 1929年、東京府高円寺で生まれた。1947年、東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を卒業。東京大学教養学部教養学科イギリス科で学び、1955年に卒業。同大学院比較文学比較文化に進み、1958年に修士課程を修了した。 卒業後は出版社の弘文堂に勤務し、谷川雁の評論集「原点が存在する」や「現代芸術論叢書」シリーズを企画し、師の島田謹二『ロシヤにおける広瀬武夫』や、澁澤龍彦『サド復活』、篠田一士『邯鄲にて』等多くを刊行した。 1960年、中村勝哉と共に晶文社を設立し、のち編集顧問。弘文堂を退職し、東海大学専任講師となった。
鈴木 治彦(すずき はるひこ、1929年8月18日 - )は… 鈴木 治彦(すずき はるひこ、1929年8月18日 - )は、日本のアナウンサー。愛称は「治さん」。味の素創業者一族・鈴木家の一人。 神奈川県藤沢市辻堂出身で、第二次世界大戦後に茅ヶ崎市へ転居して以来、茅ヶ崎に在住。慶應義塾中等部3年生の時に相撲中継がやりたくてアナウンサーへの道を志す。 1955年4月、第4期アナウンサーとしてラジオ東京(現在のTBS)入社(同期には田畑国夫・増子智英・松野道男・柳広武・大沢嘉子・杉田喜代子・高橋作子・松浦園子)。1966年1月にラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部に所属、1967年11月15日にはアナウンサー研修室設置に伴いチーフ・アナウンサーへ就任。その後、テレビ本部編成局朝ワイド制作部兼ラジオ局アナウンス室(1971年2月)、報道局朝ワイド制作部(1976年11月)、第二制作局朝ワイド制作部(1979年12月)、第二制作局(1981年7月)をそれぞれ歴任。
坂本 卓(さかもと たかし、1929年8月18日 - 202… 坂本 卓(さかもと たかし、1929年8月18日 - 2024年6月29日)は、日本の経営者。新日鉱ホールディングス会長を務めた。東京都出身。 1953年に東京大学理学部鉱物学科を卒業し、同年に日本鉱業に入社。1981年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、同年12月には取締役に降格。1992年6月に日鉱金属副社長にも就任し、1996年6月には社長に昇格し、2002年4月に会長に就任し、同年9月には相談役と新日鉱ホールディングス会長に就任し、翌年6月には相談役に専任。2006年6月から特別顧問を務めた。 1996年11月に藍綬褒章を受章。 2024年6月29日、肺炎のため死去。
村野 鐵太郎(むらの てつたろう、1929年8月18日 - … 村野 鐵太郎(むらの てつたろう、1929年8月18日 - 2020年7月)は、日本の映画監督。 鹿児島県鹿児島市大黒町出身。東京商船大学を受験する予定だったが、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』を観た影響で、早稲田大学に入学。同期には篠田正浩、和田勉がいた。 大学を卒業後大映に入社、最初は東京撮影所企画部に所属、助監督部に移籍すると溝口健二、増村保造などの作品を担当、1960年には『青い嵐』で監督デビュー。『闇を裂く一発』を監督したのを最後に大映を離れた。その後は石原裕次郎主演の『富士山頂』を監督した。 1979年には『月山』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、アカデミー外国語映画賞日本代表になった。