青山 健熙(あおやま けんき、1939年 - )は、北朝鮮の… 青山 健熙(あおやま けんき、1939年 - )は、北朝鮮の元工作員。1998年に脱北した。「青山健熙」は仮名であり、本名は非公開。 大阪府生野区生まれの在日朝鮮人。1960年(昭和35年)の秋、帰国事業のため単身で北朝鮮に渡った。すでに帰国船(ソ連船クリリオン号)のなか、また、清津港の様子から「地上の楽園」という朝鮮総連・日本共産党の宣伝が嘘であり、「この世の地獄」であることに気づいたという。行き先は北朝鮮当局によって一方的に決められ、1960年9月から1年間、咸興機械工場で働いた。朝鮮総連に騙されてきてしまったことに対する悔しさと居住・移動・職業選択の自由のない不条理感から、抗議や暴力沙汰があちこちで起きたが、それに加わった人びとは当局に引っ張られていった。
齋藤 利江(さいとう としえ、1939年 - )は、昭和30… 齋藤 利江(さいとう としえ、1939年 - )は、昭和30年代に撮影した写真を中心に活動を行う写真家。 1939年、群馬県桐生市出身。10歳の時に父親からカメラをもらったことがきっかけとなり写真撮影をはじめる。中学・高校の時から複数の写真コンテストに入賞、齋藤も写真家を夢見ていたが、父親が病に倒れたため写真家になる夢を断念。また、父親は齋藤が写真家になることに強く反対し、写真のネガを全て没収した。齋藤は家業でカメラ屋を営みながらも趣味として写真撮影を続け、コンテストへの応募や写真展を開催していた。 1999年、父親の遺品整理中に、処分されたと思っていた大量のネガフィルムが見つかる。これを機に60歳から写真家としての活動をはじめ、昭和30年代の撮影した写真による写真展や雑誌の連載などを行っている。
井川 憲明(いかわ のりあき、1939年 - )は、日本の農… 井川 憲明(いかわ のりあき、1939年 - )は、日本の農学者。元明治大学農学部教授。日本感性工学感性商品研究部会副会長、日本景観学会理事、NPO法人グリーンサイエンス21運営委員。 三重県熊野市出身。物理化学と環境倫理学を専門に研究。経営資源の一つとして感性に注目し、「感性工学」という研究ジャンルを確立した。 1997年明治大学 農学博士。論文の題は「食品のテクスチャ-に関する研究 -標準化のテクスチャ-と新テクスチャ-試論 」。
大久保 力(おおくぼ りき、1939年 - )は、日本のレー… 大久保 力(おおくぼ りき、1939年 - )は、日本のレーシングドライバー、自動車ジャーナリスト。東京都小金井市出身。元モーター新党代表。 1953年14歳から原付オートバイに乗り始める。その後、米軍立川基地周辺のライダーが集まるオートバイクラブ「東京オトキチクラブ」の一員に。1958年に浅間高原自動車テストコースで開催されたクラブマン初の全日本モーターサイクルクラブマンレース大会(MCFAJ主催に関わりレースとの縁が深まる。1960年5月、アマチュアオートレース大会(大井オートレース場、50ccクラス優勝・スーパーカブ)を機に同年9月にはトーハツ(東京発動機)の支援を受けていた同クラブから宇都宮市の元陸軍清原飛行場跡地で開催の第3回クラブマンレースにレーシングライダーの本格的デビューをする。
池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の… 池原 昭治(いけはら しょうじ、1939年 - )は、日本の画家。童絵作家を名乗って活動している。日本漫画家協会会員。 高松短期大学客員教授、香川県「子育て心配無用教え隊」、埼玉県川越市「小江戸川越大使」、埼玉県狭山市「狭山観光大使」も務めている。 読売新聞、朝日新聞、神奈川新聞、上毛新聞、四国新聞、日本農業新聞などに、童絵や民話、連載漫画などを掲載。 日本各地の民話を訪ね歩き、『童絵』という独自の画風を確立。観音霊場や祭りに関する多くの著書がある。 香川県高松市出身。高校卒業後、会社勤めを経て1963年に東映動画に入社し、アニメーターとして働く。1983年から、テレビ「まんが日本昔ばなし」の演出・作画・美術を担当する。
高森 直史(たかもり なおふみ、1939年(昭和14年) -… 高森 直史(たかもり なおふみ、1939年(昭和14年) - )は、海上自衛官、海軍史・海軍料理研究家、管理栄養士。本名は、日浦直史。最終階級は1等海佐。 熊本県人吉市出身。1959年(昭和34年)、佐伯栄養専門学校卒業。1960年(昭和35年)、海上自衛隊に入隊(2等海士)。1965年(昭和40年)、海上自衛隊幹部候補生学校卒業。防衛大学校教官、護衛艦補給長、航空群司令部幕僚、海上幕僚監部人事課、護衛艦隊司令部幕僚、海上幕僚監部衣糧班長、同給与班長、第4術科学校研究部長、舞鶴地方総監部経理部長を歴任。1986年(昭和61年)、1等海佐に昇任。1994年(平成6年)、退官。 旧海軍料理書から「肉じゃが」のルーツを発掘し、舞鶴や呉の町おこしに協力。
大倉 元(おおくら げん、1939年 - )は、日本の詩人。… 大倉 元(おおくら げん、1939年 - )は、日本の詩人。 徳島県西祖谷山村(現三好市)生まれ。 大倉元は2008年に第一詩集『石を蹴る』を出版、収録の詩「石を蹴る」は2007年の滋賀県芸術文化祭の現代詩の部芸術文化祭賞を受賞、同じく詩「おつる」は同年の第二十二回国民文化祭(とくしま2007)の現代詩で入選した。また第二詩集『祖谷』収録の詩「思い出の家」(「旅人」を改題。)は国民文化祭かながわ旅の詩人賞を受賞した。大倉元には作詞集もあり、作詞「五十年前のラブレター」は2006年滋賀県芸術文化祭作詞の部特選も受賞している。日本詩人クラブ会員。関西詩人協会会員。近江詩人会会員。詩誌「風鐸」「ふーが」同人。
只野康夫(ただの やすお、1939年〈昭和14年〉 - )は… 只野康夫(ただの やすお、1939年〈昭和14年〉 - )は、日本の建築家。法政大学多摩キャンパス、国際科学技術博覧会テーマ館、出光興産中央研究研究所、IHI豊洲センタービル、博多リバレインあるいはMM21パシフィコ横浜(国際会議場・展示場・ホテル複合施設)などを手がけたことで知られている。
司 茜(つかさ あかね、1939年 - )は、日本の詩人。 … 司 茜(つかさ あかね、1939年 - )は、日本の詩人。 大阪府布施市(現東大阪市)生まれ。戦時下の1944年に母の郷里である福井県高浜町に疎開し育った。福井県立若狭高等学校卒業。奈良県大和郡山市在住。 1992年に大阪文学学校に参加し、詩誌「楽市」、地球の元同人、現在は「山脈」、「若狭文学」同人、「詩のひろば」元発行人、現在は「風鐸」の発行人である。 1994年に第一詩集『若狭に想う』を出版、収録の詩「若狭に想う」で第4回日本海文学大賞を受賞した。2002年出版の第二詩集『番傘をくるくる』に収録した詩「若狭内浦の里」は『女性たちの現代詩 日本100人選詩集』(麻生直子編、2004年、梧桐書院)に選ばれ、埼玉県羽生市の第一回ふるさとの詩の入選作品ともなった。
橘田 喜和(きつだ よしかず、1939年 - )は、日本の経… 橘田 喜和(きつだ よしかず、1939年 - )は、日本の経営者、元野村證券 代表取締役副社長 元 野村ファイナンス代表取締役社長 元 日本相互証券代表取締役社長 大阪市中央区船場出身。大阪府立清水谷高校卒業 和歌山大学経済学部卒業
唐渡 吉則(からわたり よしのり、1939年 - )は、日本… 唐渡 吉則(からわたり よしのり、1939年 - )は、日本のプロ野球中継専属リポーター・ラジオパーソナリティ・歌手・実業家(広告会社社長〔株式会社クリエイティブタグ代表取締役〕 - 本業)。大阪府生まれ。MBSラジオ制作の阪神タイガース(以下、阪神、同球団)関連番組で、長らくリポーター・スポーツコメンテーターとして活躍していた。 通称は『ミスター・トラ』(元々は、阪神関連番組出演時の名義だった。後述参照)。愛称は『唐(から)さん』、『からやん』。血液型はA型。 1962年に関西大学文学部新聞学科を卒業してから、広告代理店に8年間在籍。トップセールスマンとして活躍した後に、独立して広告会社を設立した。
小泉 典子(こいずみ のりこ、昭和14年(1939年) - … 小泉 典子(こいずみ のりこ、昭和14年(1939年) - )は、日本の栄養学者。専門は食品科学。学位は、医学博士。相模女子大学名誉教授、前学長。2015年瑞宝中綬章受章。 1939年、鳥取県境港市中野町生まれ。鳥取県立境高等学校を経て、1962年、相模女子大学学芸学部食物学科(管理栄養士専攻)卒業。東京農工大学や東京栄養食糧専門学校での勤務を経て、1964年から相模女子大学と相模女子短大で教壇に立つ。1989年、相模女子大学教授。1993年、食生態学の論文で医学博士号取得。2005年、相模女子大学・相模女子大学短期大学部学長に就任(同大学初の女性学長であり、初の卒業生学長)。2008年、相模女子大学・相模女子大学短期大学部の学長を退任した。
江原 栄昭(えばら ひであき、1939年 - )は、日本の政… 江原 栄昭(えばら ひであき、1939年 - )は、日本の政治家。新社会党本部中央執行委員。
杉本 良夫(すぎもと よしお、1939年 - )は、日本の社… 杉本 良夫(すぎもと よしお、1939年 - )は、日本の社会学者・文化人類学者。オーストラリアのラトローブ大学名誉教授。
藤村 貞夫(ふじむら さだお、1939年 - )は、日本の工… 藤村 貞夫(ふじむら さだお、1939年 - )は、日本の工学者。博士(工学)。東京大学名誉教授。
篠崎 鉄男(しのざき てつお、1939年 - )は、日本の政… 篠崎 鉄男(しのざき てつお、1939年 - )は、日本の政治家。前熊本県宇城市長(1期)。元熊本県議会議員。元三角町議。成城大学卒業。
川端 俊一郎(かわばた しゅんいちろう、1939年 - )は… 川端 俊一郎(かわばた しゅんいちろう、1939年 - )は、日本の経済学者、北海学園大学名誉教授。学校法人北海学園元理事。北海道生まれ。 専門は、当初は農業経済学で、次いで経済政策・マーケティング、さらに建築史及び意匠・仏寺関連の歴史と多岐にわたる。特に、南朝尺と法隆寺に関する研究を手がける。恩師は高倉新一郎
須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴… 須藤 貢明(すどう つぐあき、1939年 - )は、日本の聴覚障害児教育の研究者、東京学芸大学名誉教授である。青森県弘前市出身。青森県立弘前高等学校を経て、1962年電気通信大学電波通信学部卒業。玉川大学工学部専任講師、東京学芸大学専任講師を経て、1992年に東京学芸大学教授に、2003年に同学名誉教授に就任した。聴覚心理学、言語指導論を研究する。 1992年に「聴覚障害児教育における言語指導の方法に関する実験的研究」で博士(教育学)を取得した(筑波大学、第471号)。
平田 昭吾(ひらた しょうご、1939年 - )は、満州(現… 平田 昭吾(ひらた しょうご、1939年 - )は、満州(現在は中華人民共和国の東北地区・瀋陽市)生まれの絵本作家、翻訳家。日本の福島県・会津若松市育ち。 日本のアニメ絵本文化の先駆者であり、300巻(総計330巻)の絵本作品を出版している。日本国外での評価も高く、2005年までに国外の出版冊数が3億巻を突破した。 1956年、福島県立会津工業高等学校時代に笹川ひろしらと「会津漫画研究会」を設立する。 1958年に高校卒業後、手塚治虫に師事する。内弟子となり、専属アシスタント第2号となる。貸本漫画にてデビュー。1960年、「平田ポン」名義で『こだまブック』付録に作品が掲載される。[要出典]また、手塚の紹介でアニメ作家の政岡憲三の門下生となる。
坪井龍文 (つぼい たつふみ、1939年-)は、日本の防衛官… 坪井龍文 (つぼい たつふみ、1939年-)は、日本の防衛官僚。元内閣安全保障室長。 東京都出身。埼玉県立熊谷高等学校を経て、1962年、東京大学法学部卒業。防衛庁人事局人事第一課長、防衛庁人事局長を経て1992年~1993年の間防衛研究所所長、1993年~1995年、内閣官房内閣安全保障室室長兼内閣総理大臣官房安全保障室長を務める。その他、防衛省職員生活協同組合理事長、公益財団法人埼玉学生誘掖会代表も務める。2009年春の叙勲で瑞宝重光章受章。
長谷川和廣(はせがわ かずひろ、1939年 - )は、日本の… 長谷川和廣(はせがわ かずひろ、1939年 - )は、日本の経営者、実業家、経営コンサルタント、ノンフィクション作家。現在、会社力研究所代表。 千葉県生まれ。千葉県立佐倉高等学校を経て、中央大学経済学部を卒業後、マルチナショナル企業である十條キンバリー、ゼネラルフーズ、ジョンソン等で、マーケティング、プロダクトマネジメントを担当。その後、ケロッグジャパン、バイエルジャパン、バリラックス・ジャパンなどで代表取締役社長などの要職を歴任。2000年、株式会社ニコンの眼鏡事業部、及び子会社ニコンオプチカル社と、仏エシロールの日本法人バリラックス・ジャパンとの合弁会社ニコン・エシロール社の副社長、後に代表取締役。
荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6… 荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6月5日)は日本画家、抽象画家。 兵庫県神戸市生まれ。東京都立駒場高等学校芸術科を経て、1963年に東京芸術大学日本画科を卒業。高校の非常勤講師として絵画を教える傍ら制作活動に取り組み、新制作協会日本画部に出品、1973年と1974年には春季展賞を受賞した。1971年に結婚、夫の母である日本画家の荘司福とは共に取材旅行を行い制作に励む。1974年に結成された創画会にも出品を重ね、4年連続で春季展賞を受賞するなどしたが、1979年に腸癌で死去。享年39歳。 その作品は、加山又造により「稀有の才能に満ち」「日本画という制約の多いとも思える素材、技法で、日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、しかも才能豊かに、一貫して発表しぬいて居られ」「胸をときめかして見たのである」と評された。
継岡 リツ(つぎおか -、 (旧姓:丸橋) 1939年 - … 継岡 リツ(つぎおか -、 (旧姓:丸橋) 1939年 - )は、日本の洋画家。 神奈川県横浜市生まれ。女子美術大学付属高等学校、女子美術大学洋画科卒業。女子美術大学洋画研究室助手、高崎芸術短期大学教授を経て、文化庁在外特別研究員としてイタリアブレラ美術学院へ留学。 女子美術大学付属高等学校・中学校長(2009年4月 - 2013年3月)、学校法人女子美術大学理事(中等部門担当、2009年5月 - 2013年5月)。女子美術大学大学院美術研究科洋画研究室兼任講師、女流画家協会会員、立軌会同人、日本美術家連盟会員。
鶴来 紘一(つるぎ こういち、1939年または1940年 -… 鶴来 紘一(つるぎ こういち、1939年または1940年 - )は、日本の地方公務員。神戸市都市計画局長、同市建設局長、同市助役、同市住宅供給公社理事長を歴任。瑞宝小綬章受章。 石川県立金沢泉丘高等学校卒業、金沢大学工学部土木工学科卒業。神戸市役所入庁後、都市計画畑を歩み、都市計画局計画部計画課長、土木局西土木事務所長、都市計画局計画部長、企画調整局参与(技術担当)などを歴任後、1995年 (平成7年) 1月17日 阪神・淡路大震災発生。同月25日 市都市計画局長だった鶴来は建設省幹部に対し新長田駅南側について区画整理と再開発を要望。スピード重視の計画策定の中心を担った。1997年4月 都市計画局長を松下綽宏と交代し市田清弘の後任として建設局長、同年11月 前野保夫とともに神戸市助役。
泉 德治(いずみ とくじ、1939年 - )は、日本の弁護士… 泉 德治(いずみ とくじ、1939年 - )は、日本の弁護士(TMI総合法律事務所顧問)。福井県朝日町(現:越前町)出身。2002年11月6日から2009年1月24日まで、裁判官から最高裁判所判事となる。退官後は弁護士となる。弁護士登録上の表記は泉 徳治。2010年秋の叙勲で旭日大綬章受章。 補足意見を含め個別意見を36件書いており、そのうち反対意見は25件ある。
太田 幸夫(おおた ゆきお、1939年 - )は、日本のサイ… 太田 幸夫(おおた ゆきお、1939年 - )は、日本のサイン・デザイナー、グラフィックデザイナー。日本サイン学会元会長。愛知県刈谷市出身。 多摩美術大学教授を経て現在、太田幸夫デザインアソシエーツ代表、NPO法人サインセンター理事長。ISO国内委員会委員。企業のCI(シンボルマークとデザイン計画)やピクトグラム、公共の案内サイン等を設計するデザイナーであり、国際規格検討デザインである非常口サインをデザインしたことで知られる。
森本 清一(もりもと せいいち、1939年(昭和14年) -… 森本 清一(もりもと せいいち、1939年(昭和14年) - 2012年(平成24年) 3月11日)は、日本の弁護士。大阪府出身。 弁護士活動として東京都内にて人権擁護活動を行っている。東京都の墨田区民に対し、生きがいと健康の増進を得ること、そして豊かな地域づくりのため生涯学習の機会を提供する活動をしている。たとえば、区民に対して生涯学習に関する情報を提供をしたり、区民からの相談や生涯学習団体等の活動を支援する事業を行っている。 2000年(平成12年)9月25日に認証された特定非営利活動法人・すみだ学習ガーデンでは代表を務め、すみだ生涯学習センターの「すみだプラネタリウム」を運営している。墓所は築地本願寺和田堀廟所。
森本 昌義(もりもと まさよし、1939年 - )は、日本の… 森本 昌義(もりもと まさよし、1939年 - )は、日本の実業家。英国国立ウェールズ大学経営大学院MBA(日本語)プログラム・CSR担当講師、森本CSR研究室主宰、経営倫理士、M.ProーConsulting代表取締役社長。 1939年大阪市生まれ。大阪府立北野高等学校を経て、1962年東京大学法学部卒業。ソニーに入社後、米コロンビア大学経営大学院留学、ソニーアメリカに15年、ソニーブラジルに10年勤務したのち、ソニー執行役員専務、アイワ代表取締役社長を経て、2003年6月25日にベネッセコーポレーションの代表取締役社長兼COOに就任。 その後、2006年6月代表取締役社長兼CEOに昇格。2007年2月21日、CEOを辞任し同社を退社。
伊藤 利彦 (いとう としひこ、1939年または1940年… 伊藤 利彦 (いとう としひこ、1939年または1940年 - ) は、日本の地方公務員。広島市財政局長、同収入役、広島バスセンター社長を歴任。瑞宝小綬章受章。 1958年 (昭和33年) 広島県立廿日市高等学校卒業、1962年 立命館大学法学部卒業、広島市役所入庁、1995年 (平成7年) 4月 山岡俊英の後任として環境事業局長、1997年4月 同職を池原資實と交代し財政局長、1999年5月 千田淳と同職を交代し若狹武治の後任として広島市収入役、2003年3月 松浦洋二を後任として収入役を辞職。 市役所退職後に株式会社広島バスセンター代表取締役社長。
和 秀雄(にぎ ひでお、1939年 - 2025年1月25日… 和 秀雄(にぎ ひでお、1939年 - 2025年1月25日)は、日本の霊長類学者、大阪大学名誉教授。 元北海道大学教授の和孝雄は兄。 鹿児島県・奄美大島生まれ。奄美小学校、名瀬中学校を経て、1957年鹿児島県立大島高等学校卒業、中央大学法学部法律学科中退、北海道大学理類に入学して獣医学部へ進み1962年3月卒業。1978年「ニホンザルの排卵前後の卵巣の形態学的変化に関する研究」で獣医学博士の学位を取得。(財)日本モンキーセンター研究員、日本獣医畜産大学教授、1996年大阪大学人間科学部人間生態学教授、2002年定年退官、名誉教授、広島国際大学社会環境科学部教授。1985年『ゴンはオスでノンはメス』で毎日出版文化賞を受賞。
武重 邦夫(たけしげ くにお、1939年 - 2015年7月… 武重 邦夫(たけしげ くにお、1939年 - 2015年7月2日)は日本の映画監督。日本映画学校、日本映画大学相談役。株式会社シネマネストJAPAN映画製作研究所代表。
中平 幸典(なかひら こうすけ、1939年 - 2009年9… 中平 幸典(なかひら こうすけ、1939年 - 2009年9月23日)は、日本の大蔵官僚。財務官。
根岸 毅(ねぎし たけし、1939年 - )は、日本の政治学… 根岸 毅(ねぎし たけし、1939年 - )は、日本の政治学者。専攻は、民主主義論、政治理論。
米倉 伸之(よねくら のぶゆき、1939年 - 2001年7… 米倉 伸之(よねくら のぶゆき、1939年 - 2001年7月29日)は日本の地形学、第四紀学者。東京大学名誉教授。
新坂 一雄(しんさか かずお、1939年-1991年12月2… 新坂 一雄(しんさか かずお、1939年-1991年12月28日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。従五位。勲四等。
秋光純(あきみつ じゅん、1939年 - )は、日本の物理学… 秋光純(あきみつ じゅん、1939年 - )は、日本の物理学者。学位は理学博士(東京大学・1970年)。青山学院大学理工学部名誉教授。2001年紫綬褒章、2014年瑞宝中綬章を受章。
田中 千鶴子(たなか ちづこ、1939年または1940年 -… 田中 千鶴子(たなか ちづこ、1939年または1940年 - )は、日本の陸上競技選手。専門は中距離走。日本で中断していた女子中距離走が復活した時期に、日本記録を樹立した選手である。 名古屋女学院から愛知学芸大学に進む。愛知学芸大学では、監督の竹内伸也の指導を受けた。愛知学芸大学に所属していた1959年8月1日、第43回日本陸上競技選手権大会でオープン競技の800mに出場し、2分27秒5で25年ぶりの日本記録を樹立した。当時、日本では女子800mについては長いブランクがあり、日本陸上競技選手権大会では1936年を最後に正式種目としての開催が途絶え、1960年ローマオリンピックの正式種目に採用されたことからオープン競技として実施されたものだった。
稲邑 清也(いなむら きよなり、1939年(昭和14年) -… 稲邑 清也(いなむら きよなり、1939年(昭和14年) - 2017年(平成29年)11月23日)は、昭和から平成時代の医学物理学者。専門は放射線治療学、放射線物理学。 金沢大学工学部電気工学科、大阪大学大学院工学研究科修士課程電子工学専攻、同研究科博士課程電子工学専攻を経て、1967年(昭和42年)日本電気に入社。電子応用事業部医用電子部リニアック課に配属される。その後、放射線医学総合研究所外来研究員などを経て、1990年(平成2年)大阪大学医療技術短期大学部教授(現・大阪大学医学部保健学科)となり、同大学医学部保健学科放射線技術科学専攻教授、同大学大学院医学系研究科保健学専攻教授を経て、2003年(平成15年)関西国際大学経営学部教授となった。
志水 英二(しみず えいじ、1939年 - 2021年11月… 志水 英二(しみず えいじ、1939年 - 2021年11月28日 )は日本の工学者。工学博士。大阪市立大学名誉教授。 専門は電気電子工学、通信・ネットワーク工学。 1963年大阪大学工学部電子工学科卒業。1966年電気通信学会稲田記念学術奨励賞受賞。大阪市立大学工学研究科教授を経て、宝塚大学造形芸術学部教授。 2018年瑞宝中綬章受章。
木村 吉宏(きむら よしひろ、1939年- 2021年2月2… 木村 吉宏(きむら よしひろ、1939年- 2021年2月24日)は、日本の指揮者。大阪市音楽団(現、Osaka Shion Wind Orchestra )の団長を務めた。元大阪市音楽団団長、広島ウインドオーケストラ名誉音楽顧問。 大阪音楽大学(クラリネット専攻)卒業。クラリネットを中尾信二郎、大橋幸男、ルドルフ・イエッテルに師事。指揮は朝比奈隆の薫陶を受ける。1962年4月大阪市音楽団入団以来、同楽団コンサートマスター、バイス・コンダクターを経て、1985年4月に第5代団長に就任。その後、2002年まで名誉指揮者を務めた。 1971年にはモーツァルテウム音楽院国際セミナー(ザルツブルク)に参加した。
平野 昌繁(ひらの まさしげ、1939年 - 2024年1月… 平野 昌繁(ひらの まさしげ、1939年 - 2024年1月16日)は、日本の地形学者。2003年3月、大阪市立大学文学部教授を退任。大阪市立大学名誉教授。理学博士。 1939年、東京都生まれ。 1963年に大阪市立大学理学部地学科卒業、1968年、同大学院理学研究科博士課程地質学専攻を単位取得退学。日本学術振興会奨励研究員をへて、大阪市立大学文学部教授に着任。 2003年、同大学教授を退任。 2019年、瑞宝中綬章受章。 2024年1月16日に死去。没後に正四位に追叙された。 地形学の原点のひとつに位置するプトレマイオスが述べたことに「地理学は知られている世界を統一体とみなして、その自然と位置を示す。
柴崎 浩(しばさき ひろし、1939年 - 2022年6月9… 柴崎 浩(しばさき ひろし、1939年 - 2022年6月9日)は、日本の医学者。専門は神経内科学。京都大学医学部名誉教授。 兵庫県に生まれる。1958年福岡県立修猷館高等学校を経て、1964年九州大学医学部を卒業。在日米陸軍病院インターン。1969年九州大学大学院医学研究科を修了。 1969年ミネソタ大学で臨床神経学レジデント(研修医)となり、1972年九州大学神経内科助手、1978年英国Queen Square客員研究員、1980年九州大学神経内科講師、1981年佐賀医科大学(現・佐賀大学医学部)内科助教授、1988年国立精神・神経センター(現・国立精神・神経医療研究センター)神経研究所疾病研究4部部長などを経て、1990年より京都大学医学部脳病態生理学講座教授に就任。
寺阪 昭信(てらさか あきのぶ、1939年 - 2022年8… 寺阪 昭信(てらさか あきのぶ、1939年 - 2022年8月6日)は、日本の地理学者。流通経済大学名誉教授。専攻は経済地理学、観光地理学。徳島県出身。 1968年に京都大学大学院文学研究科博士課程を中退して、埼玉大学教養学部助手となった。その後、講師に昇任し、1977年に東京都立大学理学部助教授に転じ、さらに、1987年に流通経済大学経済学部教授となり、2010年に退職して名誉教授となるまで在職した。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
松野 隆一(まつの りゅういち、1939年〈昭和14年〉 -… 松野 隆一(まつの りゅういち、1939年〈昭和14年〉 - 2022年〈令和4年〉4月10日)は、日本の食品工学者。京都大学名誉教授、石川県立大学名誉教授。
金城 実(きんじょう みのる、1939年 - )は、日本の彫… 金城 実(きんじょう みのる、1939年 - )は、日本の彫刻家。沖縄県読谷村在住。 沖縄県浜比嘉島に生まれ、京都外国語大学卒業後、西宮市立西宮西高等学校や近畿大学附属高等学校で英語を教える傍ら、彫刻制作を始める。1986年に沖縄県読谷村で彫刻制作を村の人達と共に始める。沖縄靖国訴訟原告団の団長を務めている。強制動員真相究明ネットワーク呼びかけ人。 2025年5月には重慶爆撃遺跡を見学した。 また、中国メディアの鳳凰衛視のインタビューに「自分を日本人だとは思っておらず、琉球人である」と答えている。 こころの時代「沖縄は我が念仏」(2017年7月30日、NHK Eテレ)
安西 修一郎(あんざい しゅういちろう、1939年 - 20… 安西 修一郎(あんざい しゅういちろう、1939年 - 2025年3月2日)は、工学者。学位は工学博士。慶應義塾大学名誉教授(定年退職)。 専門分野は、相関電子系における金属-非金属転移・ミクロ・マクロ系の相転移。物理学会・応用磁気学会・応用物理学会に所属。物性物理学者である一方で、安西修悦の筆名で切手収集家(郵趣家)としても活動した。 慶應義塾大学元塾長の安西祐一郎は親族である。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
石川 康輔(いしかわ こうすけ、1939年 - 2004年1… 石川 康輔(いしかわ こうすけ、1939年 - 2004年1月14日)は、日本のカトリック司祭。東京出身。 1964年、慶應義塾大学文学部を卒業。1967年に司祭に叙階された。1968年、ローマ・サレジオ大学の神学部を、1972年にローマ教皇庁立聖書研究所を卒業。1992年に司祭銀祝を迎えた。洗礼名はヨセフ。サレジオ会士。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
鈴木 紘夫(すずき ひろお、1939年 -2022年12月1… 鈴木 紘夫(すずき ひろお、1939年 -2022年12月17日 )は、関西テレビ放送の元アナウンサー。 大阪府出身。甲南大学卒業後、1962年関西テレビにアナウンサーとして入社。同期は塩田利幸と杉本清。 主に「ハイ!土曜日です」のアシスタントや「奥さまリビング」のメイン司会を担当した。のちにテレビ宮崎へ出向し、1982年から1983年にかけて「UMKニュースレポート」のメインニュースキャスターを務めた。関西テレビを退職後、甲子園大学でマスコミ論やジャーナリズム論などを担当。現在はFM宝塚番組審議委員長を務めている。
染谷 光広(そめや みつひろ、1939年 - 2003年8月… 染谷 光広(そめや みつひろ、1939年 - 2003年8月11日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所教授。 千葉県出身。1963年に國學院大學文学部卒業、1965年國學院大學大学院文学研究科修士課程を修了とともに、東京大学史料編纂所に勤務。『大日本史料』第10編の編修に従事し、1981年助教授、1996年教授。2000年に定年退職の後は帝京平成大学経営情報学科教授となるが、体調不良のため2002年に退職、病気療養にあたっていた。2003年、肝硬変のため死去。 日本中世史を専門とし、『信長公記』の著者太田牛一が、永禄12年(1569年)から天正10(1582)年にかけての京都行政担当時から、丹羽長秀の家臣であり右筆をしていた、との説を提唱した(論文「織田信長の右筆についての序説」)。
相崎 由松(あいざき よしまつ、1939年 - 2025年1… 相崎 由松(あいざき よしまつ、1939年 - 2025年1月10日)は、日本の実業家。東京都出身。株式会社長野放送相談役・元代表取締役社長。株式会社産業経済新聞社元取締役副社長。旭日小綬章受章。 東京都出身。1962年、上智大学文学部新聞学科卒業。同年、株式会社産業経済新聞社に入社。1964年から1966年の間、アメリカに留学。同社の国際報道担当や取締役副社長等を歴任。その後、株式会社長野放送代表取締役社長に就任し、2017年には同社相談役に就任。2016年、旭日小綬章を受章。 2025年1月10日、病気のため埼玉県所沢市の自宅で死去した。85歳没。