内藤 博文(ないとう ひろふみ、1931年〈昭和6年〉1月2… 内藤 博文(ないとう ひろふみ、1931年〈昭和6年〉1月20日 - 2013年〈平成25年〉4月29日)は、山梨県出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手。 甲府中学(学制改革により1948年より甲府一高)では野球部と陸上部を掛け持ちし、1947年の第2回国民体育大会では短距離走種目に出場した。1948年に読売ジャイアンツが初めて開いた入団テストを受け、第一号の合格者となる。同年夏の大会では山梨県予選で優勝するも、山静大会で敗れたため、高校を中退して巨人に入団した。 入団3年目の1950年に前年度までの正遊撃手であった白石敏男が広島に移籍したことからチャンスを掴み、遊撃手として出場した66試合を含む113試合に出場し、準レギュラー格となる。
中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1… 中村 八大(なかむら はちだい、1931年1月20日 - 1992年6月10日)は、日本の作曲家、ジャズピアニスト。 『上を向いて歩こう』、『こんにちは赤ちゃん』、『遠くへ行きたい』、『明日があるさ』など、1950年代末から1960年代にかけての数々のヒット曲を作曲した。 兄の中村二大(1921年 - 生死不明)はクラリネット奏者。妹の夫は漫画家の寺田ヒロオ。 1931年、青島にて誕生。父親は青島の日本人学校で校長を務めており、自宅にはピアノや蓄音機、レコードなどがあるという恵まれた音楽環境であった。音楽的素養を認めた父の勧めで1940年春、小学4年生に進級すると同時に日本へ単身留学、新宿の国民学校へ転校。
有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月2… 有吉 佐和子(ありよし さわこ、1931年(昭和6年)1月20日 - 1984年(昭和59年)8月30日)は、日本の小説家、劇作家、演出家。和歌山県和歌山市出身。日本の歴史や古典芸能から現代の社会問題まで広いテーマをカバーし、読者を惹きこむ多くのベストセラー小説を発表した。カトリック教徒で、洗礼名はマリア=マグダレーナといった。代表作は『紀ノ川』、『華岡青洲の妻』、『恍惚の人』など。娘にエッセイストの有吉玉青がいる。正確には「吉」の字は下が長いのだが、小説を書いていた頃には活字がなかった。
内野 重昭(うちの しげあき、1931年〈昭和6年〉1月20… 内野 重昭(うちの しげあき、1931年〈昭和6年〉1月20日 - 2017年〈平成29年〉2月28日)は、日本の近代五種競技選手。1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック日本代表選手。 宮崎県串間市鹿谷地区出身。1960年ローマオリンピックに日本人最初の近代五種競技選手として出場した。また、出身の串間市では初のオリンピック代表選手である。 近年では未来のオリンピック選手を輩出するために、平成23年度から3年間小中高生を対象に近大三種大会を串間市で開催していた。 2017年2月28日に死去。86歳没。
明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 … 明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 - )は、日本の外交官、国際公務員、政治家。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)顧問、国際教養大学名誉教授、同大学トップ諮問会議委員、名城大学アジア研究所名誉所長、群馬県立女子大学外国語教育研究所所長、京都文教学園学術顧問、神戸大学特別顧問・特別教授。国際連合事務次長や国際連合事務総長特別代表を歴任。 戦国時代のキリシタン武将の明石全登の子孫であるといわれている。母親の実家は、忠犬ハチ公の生家であった。 秋田県北秋田郡扇田町(現在の大館市比内町扇田)出身。築山小学校在学時に秋田市に移住。県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)から旧制山形高校(現在の山形大学人文学部および理学部)を経て、東京大学に進学。
吉田 秀太郎(よしだ ひでたろう、1931年1月19日 - … 吉田 秀太郎(よしだ ひでたろう、1931年1月19日 - )は、日本のスペイン語学者、大阪外国語大学名誉教授。 香川県・仲多度郡仲南町出身。1953年大阪外国語大学イスパニア語科卒、1956年チリ大学卒。1957年大阪外国語大学講師、助教授、72年教授、95年定年退官、名誉教授。
柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 20… 柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 2015年10月4日)は、日本の実業家。朝日放送の元社長・会長・相談役。 大阪府大阪市出身。旧制大阪高等学校を経て、1953年に京都大学文学部卒業後、朝日新聞社へ入社。深代惇郎とは同期。社会部員、外報部員、サイゴン、パリ各支局長、ヨーロッパ総局長、1976年東京本社外報部長、1983年大阪本社編集局長、1987年朝日放送取締役、1989年常務、1990年専務、1995年6月社長、2002年6月27日会長、2005年6月28日相談役。その他には大阪日伊協会会長、社団法人アジア協会アジア友の会会長などを歴任した。 ※この他宝塚歌劇で上演された「凱旋門」(2000年・雪組)や「琥珀色の雨にぬれて」(2002年・花組)の公演プログラムにも本人の執筆によるエッセイが掲載されている。
吉田 誠一(よしだ せいいち、1931年1月19日 - 19… 吉田 誠一(よしだ せいいち、1931年1月19日 - 1987年10月28日)は、日本の英文学者、翻訳家。 神奈川県横浜市出身。東京外国語大学英米語科卒業。横浜市立大学教授を務めた。また、日本英文学会会員であった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
広 信良(ひろ のぶよし、1931年〈昭和36年〉1月19日… 広 信良(ひろ のぶよし、1931年〈昭和36年〉1月19日- 2014年12月4日 )は、日本の経営者。東京証券社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1954年に同志社大学経済学部を卒業し、同年4月に日興證券に入社した。1981年12月に取締役に就任し、1983年9月に常務、1985年11月に専務を経て、1987年8月に副社長に就任し、1990年6月には東京証券社長に就任した。1995年6月に会長に就任し、1998年4月には相談役に就任。 2014年12月4日、慢性心不全のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18… 磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18日 - 1987年(昭和62年)2月5日)は、日本の文芸評論家、イギリス文学者。東京工業大学教授などを歴任。没後勲四等旭日小綬章受章。 1964年に三島由紀夫論『殉教の美学』を刊行し文壇に登場。戦後文学の再検討を進め、文学を通した近代論へと批評の幅を広げた。代表作に『永井荷風』、『思想としての東京』、『鹿鳴館の系譜』などがある。 神奈川県横浜市中区伊勢町(現・西区伊勢町)に生まれ、東京都葛飾区亀有育ち。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)3年の時に敗戦を迎え、1948年に第一高等学校 (旧制)入学。東京大学文学部英文学科に進学し、イギリス・ロマン派を専攻して卒業。
赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 20… 赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 2012年5月7日)は、広島県出身の俳人。本名蕙。 大柿町(現江田島市)生。旧制広島県立広島第一高等女学校を経て広島県広島有朋高等学校卒業。1947年、俳誌「雪解」に入会、皆吉爽雨に師事。1953年、山口県徳応寺に嫁ぐ。「鶴啼いて月に一滴づつの金」「眠りみなこの世にさめて櫻どき」など、宗教性を持ちつつ着想に富む句風。1975年、『白亳』により第15回俳人協会賞受賞。1994年、山口県選奨(芸術文化功労)受賞。 句集に『子菩薩』『白亳』『天衣』『散華』『月幽』『海戀』『佩香』。また、俳人協会の「自註現代俳句シリーズ(3期)」に『赤松蕙子集』がある。
井口 昭夫(いぐち あきお、1931年1月18日 - 200… 井口 昭夫(いぐち あきお、1931年1月18日 - 2008年5月8日)は、囲碁・将棋の観戦記者。兵庫県出身。 神戸市外国語大学卒業。1953年、毎日新聞社に入社。学芸部副部長、学芸部編集専門委員を経て、1982年編集委員。 将棋・囲碁担当記者として、約40年にわたって囲碁の本因坊戦、将棋の名人戦、王将戦の観戦記を書いた。 1989年、第一回将棋ペンクラブ大賞(新聞観戦記部門)を受賞。将棋ペンクラブ代表幹事(事務局長)。 2000年、大山康晴賞(第7回)を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
川勝 久(かわかつ ひさし、1931年1月18日 - )は、… 川勝 久(かわかつ ひさし、1931年1月18日 - )は、日本の社会心理学者、ビジネス書の翻訳家、文筆家。 産業能率短期大学講師、助教授、教授をへて、淑徳大学国際コミュニケーション学部教授。 1953年一橋大学社会学部社会学科卒業。東京放送(TBS。現・TBSホールディングス / TBSテレビ・TBSラジオ)に入社し、CM部長、営業促進部長、調査部長等を歴任した。このころより、海外ビジネス書の翻訳、ビジネス書の執筆に携わる。 1985年、NPO法人知的生産の技術研究会で講師を務めた。一橋大学大学院修士課程修了、1985年退職。 1980年から2002年にかけてホノルルマラソン協会スペシャル・アドバイザーを務めた。
菅 登未男(すが とみお、1931年1月17日 - )は、日… 菅 登未男(すが とみお、1931年1月17日 - )は、日本の俳優・タレント。宮崎県出身。所属事務所はGMBプロダクション。シニアタレントとして数多くのテレビ番組・CM・プロモーションビデオなどに出演。身長155cm。かつては麗タレントプロモーション、ジンズ・キャストに所属していた。 CM制作会社太陽企画株式会社にて清掃員として勤務。職務中に個性的なキャラクターが某ディレクターの目に留まり、2001年にマツモトキヨシのCMに出演が決まる。70歳でのデビューであった。 2005年より『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に「ピカデリー梅田」として準レギュラー出演していたことで知られる(初登場は次長課長河本準一の七変化コーナー。
緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 20… 緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 2023年3月18日)は、日本の医学者・麻酔科医。獨協医科大学名誉教授。学位は、医学博士(東京大学)。
藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年〈昭和6年〉1月17… 藤本 孝雄(ふじもと たかお、1931年〈昭和6年〉1月17日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)、沖縄開発庁長官、厚生大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣などを歴任した。 香川県高松市出身。香川県立高松高等学校、東京大学法学部卒業。証券会社、日本電信電話公社勤務を経て、1963年衆院選に初当選。(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。通算当選10回。自民党内では三木→河本派に属し沖縄開発庁長官、厚生大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣などを歴任。農水大臣時代は、諫早干潟事業続行決定に対して環境破壊との批判があった。
高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2… 高柳 芳夫(たかやなぎ よしお、1931年1月17日 - 2023年11月23日)は、日本の元小説家、外交官。 栃木県宇都宮市生まれ。栃木県立宇都宮高等学校卒業、京都大学文学部独文科卒業。同大学大学院文学研究科修士課程修了。 1957年、外務省入省。在独大使館、ベルリン総領事館副総領事等を歴任。 1971年、「『黒い森』の宿」で第10回オール讀物推理小説新人賞受賞。1973年、「『禿鷹城』の惨劇」で第19回江戸川乱歩賞候補になるが落選。松本清張の推薦もあって刊行されるが、外務省研修所教務主事に左遷され、1977年に退職。 1979年、プラハの春以後の国際情勢を題材とした「プラハからの道化たち」で第25回江戸川乱歩賞受賞。
岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17… 岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17日 - 2023年12月29日)は、日本のSF翻訳家、詩人。日本文藝家協会会員。杉山 高之の名義も使用した。 静岡県静岡市出身。1953年静岡大学文理学部卒業。静岡のSFサークル「東海SFの会」で活動している際、浜松在住の浅倉久志の紹介でSF翻訳家になる。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、杉山高之名義で論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で「読み応えがある」と4頁もにわたり投稿全文が紹介されている。なお、この時の杉山の在住地は「静岡県志太郡岡部町」と書かれている。
乾 宏巳(いぬい ひろみ、1931年1月17日 - )は、… 乾 宏巳(いぬい ひろみ、1931年1月17日 - )は、日本の歴史学者。大阪教育大学名誉教授。専門は日本近世史(都市史)。東京都墨田区出身。 1956年、東京教育大学大学院文学研究科修士課程修了。東京都立高校教諭・大阪教育大学助教授を経て同大学教授。1996年退官。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
板橋 敏雄(いたばし としお、1931年1月17日 - 20… 板橋 敏雄(いたばし としお、1931年1月17日 - 2019年3月25日)は日本の実業家。板通会長、わたらせテレビ社長、公益財団法人ロータリー米山記念奨学会理事長、国際ロータリー会長代理、日台ロータリー親善会議総裁などを歴任した。国際ロータリー超我の奉仕賞等受賞。 1953年一橋大学商学部卒業、三菱商事入社。1959年、当時従業員15人程度だった家業の板橋通商(現板通)に入り、カリスマ的トップに依存した経営体制からの脱却などを行った。1972年柏ハウジング代表取締役。1973年板通通商代表取締役社長。1993年同代表取締役会長。1996年足利ケーブルテレビ(現わたらせテレビ)代表取締役社長。
山上 正高(やまかみ まさたか、1931年1月17日 - 2… 山上 正高(やまかみ まさたか、1931年1月17日 - 2014年2月27日)は、日本の経営者。三重テレビ放送社長を務めた。 三重県出身。1954年に三重大学農学部を卒業し、同年に近畿東海放送に入社。1958年に東海テレビ放送に転じ、1983年に取締役に就任し、1987年に常務、1991年に専務を経て、1999年6月から2003年6月までに三重テレビ放送社長を務めた。 2014年2月27日肺炎のために死去。83歳没。
千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 20… 千原 しのぶ(ちはら しのぶ、1931年1月16日 - 2009年11月22日)は、日本の女優。本名、石原知子(いしはら ともこ)。岡山県久米郡久米町(現・津山市)出身。 父は中日新聞の前身・新愛知の記者で、父の転勤に伴い、小学校は石川県金沢市、福井県敦賀市、長野県松本市と3度転校した。岡山県美作高等学校に進学し、将来は日舞で身を立てようと考えていたが、同校卒業後、フルーツパーラーでアルバイトをしながら日舞の稽古に励んでいたある日、父が親交のあった片岡千恵蔵に会い、片岡の推薦で1952年、東映に入社。 千恵蔵のお声がかりという看板はあまりの効き目で、ズブの素人だったにもかかわらず、次々にお呼びがかかった。
三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 201… 三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 2019年8月1日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。専門は国際経済学、特に国際貿易論。 1931年に富山県高岡市で生まれた。1950年に広島県立尾道北高等学校を卒業し、大阪市立大学に進学。大学では名和統一の薫陶を受けた。1954年に卒業。その後は同大学大学院経済学研究科に進学し、1956年に修士号を取得。博士課程を単位取得退学。 その後は大阪市立大学助手に採用された。1961年には6月から8月の2か月間コロラド大学ボルダー校に留学し、マーティン・ブロンフェンブレンナー(英語版)の下で学んだ。その1か月後の1961年9月からはロチェスター大学大学院に進学し、、修士号(M.A.)と博士号(Ph.D.)を取得。
荒木 亨(あらき とおる、1931年1月16日 - 2009… 荒木 亨(あらき とおる、1931年1月16日 - 2009年8月31日)は、フランス文学・比較文学者。元国際基督教大学教授。 北海道生まれ。東京大学文学部仏文科卒、同大学院比較文学比較文化博士課程中退。ソルボンヌ大学を卒業後、1966年国際基督教大学講師。助教授、準教授を経て1978年教授。1992-1995年比較文化研究科長。2002年退任。
本田 和子(ほんだ ますこ、1931年1月15日 - 202… 本田 和子(ほんだ ますこ、1931年1月15日 - 2023年2月12日)は、日本の児童学者。お茶の水女子大学名誉教授。元お茶の水女子大学学長。専門は児童文化論、児童社会史。 新潟県生まれ。放送倫理・番組向上機構(放送と青少年に関する委員会(青少年委員会))委員長も務めた。 2023年2月12日、死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平野 雅章(ひらの まさあき、1931年1月15日 - 20… 平野 雅章(ひらの まさあき、1931年1月15日 - 2008年11月22日)は、日本の食物史家。儀礼文化学会専門委員。なお雅章はペンネームである。本名・平野 武(たけし)。初期の筆名は正章だったが1980年ころ雅章に改名。千葉県富津市生まれ、同市に在住した。 早稲田大学第二文学部心理学専修卒業。大学在学中より北大路魯山人に師事し海外旅行にも同行した。魯山人の遺した美術・料理等の著作を編纂した。主婦の友社編集局に勤務の後、日本食物文化史の研究に専念し文筆活動を続ける。 フジテレビ系列の人気番組であった『料理の鉄人』に「かの魯山人の愛弟子」との紹介され、審査員としてレギュラー出演した。同じく審査員としてレギュラー出演していた料理記者の岸朝子は、主婦の友社時代の同僚でもあった。
瀧島 未香(たきしま みか、1931年〈昭和6年〉1月15日… 瀧島 未香(たきしま みか、1931年〈昭和6年〉1月15日 - )は、日本のフィットネスインストラクター。株式会社パワーエイジング所属。SIXPAD HOME GYMのインストラクター。 1931年1月15日、東京府荏原郡(現在の東京都品川区)のすし屋の5女として生まれる。 1949年、日本橋の高島屋に就職。子供服売り場担当であった。知人の紹介で知り合った男性と1年ほど交際し、24歳で結婚して2人の娘を出産。娘たちが独立した後、家事の負担が減ったが運動をしてなかったため15キロ太った。65歳の時、家族から体型を指摘され夫が探したジムに入会。しかしそのジムが閉店したため別のジムに移り、そこでパーソナルトレーナーの中沢智治に出会い、パーソナルトレーニングを受ける。
矢内 一雄(やない いちお、1931年〈昭和6年〉1月14日… 矢内 一雄(やない いちお、1931年〈昭和6年〉1月14日 ‐ )は、群馬県出身の政治家。元伊勢崎市長、群馬県議会議員、伊勢崎市議会議員。 1931年、群馬県伊勢崎市の農家の長男として生まれる。 旧制佐波農業学校(後の群馬県立佐波農業高等学校、現在の群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を1948年に卒業、しばらく農業に従事したが、父義雄の友人の薦めで米穀検査官となる。 検査官は2年ほどで辞め、農業に戻る。その後、前橋市立工業短期大学(現:前橋工科大学)建築工学科の聴講生となる。同短大には当時勤労学生を対象とした夜間コースしかおかれていなかった。 聴講を開始して半年ほどで二級建築士の試験に合格したため退学、地元の協働建設に建築士として入社。
倉田 喜弘(くらた よしひろ、1931年1月14日- 202… 倉田 喜弘(くらた よしひろ、1931年1月14日- 2022年8月31日)は、日本の芸能史研究家。 大阪市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業後、NHKに勤務。1966年、根岸登喜子と結婚。1988年、NHKを退職。その後は芸能史研究に専念する。特に、端唄を収録した『江戸端唄集』の編纂で知られる。2022年8月31日、肺がんのため死去。91歳没。
伊牟田 經久(伊牟田 経久、いむた つねひさ、1931年1月… 伊牟田 經久(伊牟田 経久、いむた つねひさ、1931年1月14日 - 2025年8月11日)は、日本の日本語学者、日本古典文学研究者。鹿児島大学名誉教授、志學館大学名誉教授。『蜻蛉日記』など平安期の国語国文学研究や、『大石兵六夢物語』など江戸時代の鹿児島文学の研究で知られ、鹿児島大学教育学部長、志學館大学文学部長、志學館大学学長を歴任した。 鹿児島県揖宿郡喜入村(後に揖宿郡喜入町、2004年鹿児島市へ編入)生まれ。1952年東京高等師範学校文科第二部(国語専攻)卒業。高等師範卒業後、鹿児島県指宿高等学校教諭を3年間務め、在職中に校歌を作詞。高校教諭を退職して東京教育大学(現筑波大学)文学部文学科国語国文学専攻3年次に編入学し、1957年3月に卒業。
木庭 久美子(こば くみこ、1931年1月14日 - 202… 木庭 久美子(こば くみこ、1931年1月14日 - 2024年9月14日)は、日本の劇作家。 東京生まれ。旧本名福家久子。明治大学仏文科卒。1956年、前年妻を失った明大教授・中村光夫(本名木庭一郎)と結婚。1979年頃から戯曲の勉強を始める。1985年神奈川県演劇コンクールに脚本「友達」が第一位、文化庁創作作品募集で「父親の肖像」により舞台芸術創作奨励賞、1988年1月戯曲「父親の肖像」を書いて劇団昴によって福田恆存の演出で上演され劇作家デビュー。同年7月夫を喪うがその後も劇作を続け、1991年「カサブランカ」で菊池寛ドラマ賞奨励賞、「さよならパーティ」(1992)「ピアフの妹」「夢二の妻」(1998)「選択 一ヶ瀬典子の場合」(2008)などを上演している。
関根 則之(せきね のりゆき、1931年〈昭和6年〉1月13… 関根 則之(せきね のりゆき、1931年〈昭和6年〉1月13日 - 2022年〈令和4年〉6月19日)は、日本の自治官僚・政治家。 第17代消防庁長官、参議院議員(2期)、静岡県副知事を務めた。位階勲等は正四位勲二等。 埼玉県比企郡吉見町出身。1943年、埼玉県立松山中学校入学。1945年、海軍兵学校入学。1948年、旧制浦和高等学校入学。 1953年、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業、自治省入省。1957年、フルブライト留学生としてシラキュース大学、マンハッタン大学(英語版)に留学。 1960年、宮城県地方課長。1971年、三重県教育長。1976年、自治省財政局財政課長、大臣官房審議官。
内山 康(うちやま やすし、昭和6年(1931年)1月13日… 内山 康(うちやま やすし、昭和6年(1931年)1月13日 - 平成4年(1992年)8月25日)は、広島県出身の実業家。レーザーテック株式会社の創業者。
豊田 都峰(とよた とほう 1931年1月13日 - 201… 豊田 都峰(とよた とほう 1931年1月13日 - 2015年7月25日)は、日本の俳人。京都府出身。立命館大学文学部卒。卒業後は京都府内の高校で教諭として務める。1948年、鈴鹿野風呂の「京鹿子」に入会。1973年、同編集長。1993年、同副主宰。1999年、丸山海道から引継ぎ「京鹿子」主宰。2006年より関西現代俳句協会の会長を務める。 2004年、『雲の唄』により第1回文学の森俳句大賞受賞。2010年、『土の唄』により第10回俳句四季大賞受賞。2013年、京都市芸術振興賞受賞。京都の風土性と現代との接点を探索。長谷川素逝の研究家でもある。
清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12… 清水 一行(しみず いっこう、1931年(昭和6年)1月12日 - 2010年(平成22年)3月15日)は、日本の小説家。本名:清水和幸(しみず・かずゆき)。 実際に起きた経済事件に関わった実在の人物をモデルに、企業の実態や事件の内幕を描く作風を確立した。高杉良、城山三郎らと並ぶ経済小説の第一人者として知られる。息子に自動車評論家の清水草一、孫に元テレビ朝日アナウンサーの竹内由恵、元俳優の竹内太郎がいる。 東京府南葛飾郡吾嬬町(現在の東京都墨田区八広)の2階屋が4軒続く長屋で、大工の次男として生まれた。父は忠助、母ははな。清水が生まれた吾嬬町は、『玉の井』と呼ばれる私娼街(娼家が密集している地域)の南側に隣接していた。
岡本 康雄(おかもと やすお、1931年1月12日 - 20… 岡本 康雄(おかもと やすお、1931年1月12日 - 2015年8月2日)は、日本の経営学者。 東京生まれ。東京大学経済学部卒、1958年同大学院社会科学研究科博士課程修了。福島大学助教授、武蔵大学助教授、青山学院大学助教授、東京外国語大学助教授、東京大学経済学部助教授、教授、91年定年退官、名誉教授、青山学院大学国際政経学部教授。2000年退任。
大海 赫(おおうみ あかし 1931年1月12日 - 男性)… 大海 赫(おおうみ あかし 1931年1月12日 - 男性)は日本の児童文学作家。イラストレーターとして挿絵も兼任。人間心理のダークサイドをえぐる作品を書く。 東京都港区新橋生まれ。生家はファーストホテルヨシカワの正面にあった。3歳でぜんそくをわずらい、学校行事どころか朝礼もなかなか出席できなかった。兄弟も二人は乳児の時、一人は27歳で亡くなっている。食肉加工業者の父と異なる仕事につきたいと考え、将来の夢が小学生の時は漫画家だったが、16歳の時に作家を目指す。早稲田大学第一文学部仏文科でブレーズ・パスカル、大学院ではアンリ・ベルクソンに傾倒する。 卒業後は就職したくなく、神奈川県横浜の下宿先の大家がたまたま書道塾を兼業しており、ふとしたはずみでここを利用して学習塾を営むことになった。
内藤 繁春(ないとう しげはる、1931年1月12日 - 2… 内藤 繁春(ないとう しげはる、1931年1月12日 - 2013年8月12日)は、愛知県碧海郡高浜町(現・高浜市)出身の元騎手・元調教師・元馬主。管理馬通算出走11201回という中央競馬の史上最多記録を打ち立て、調教師として定年引退間際の2000年に騎手復帰を試みたことで話題を集めた。 実兄・博司は東海地方で飲食店をチェーン展開する株式会社だるまの創業者、同社会長で馬主の内藤耕造は甥である[要出典]。 実家は名古屋コーチンを生産する養鶏場を営んでおり、太平洋戦争を経て、戦後は定時制高校に通いながら鉄工所や瓦の製造会社に就職したが、工場内で排出される煤煙で肺を病み休職を余儀なくされて高校も中退。
岡地嶺(おかじ みね、1931年1月11日- )は、日本の英… 岡地嶺(おかじ みね、1931年1月11日- )は、日本の英文学者、中央大学名誉教授。 埼玉県出身。青山学院大学文学部英文科卒、同大学院博士課程中退。中央大学商学部助教授、教授、2001年定年、名誉教授。英国ロマン派が専門。
田口 富久治(たぐち ふくじ、1931年(昭和6年)1月11… 田口 富久治(たぐち ふくじ、1931年(昭和6年)1月11日 - 2022年5月23日)は、日本の政治学者。名古屋大学名誉教授。マルクス主義の立場から、資本主義国家論、政党論、政策論、民族問題を論じた。 秋田県出身。1953年、東京大学法学部卒業。明治大学政経学部教授を経て、1975年から名古屋大学法学部教授。1994年-2001年、立命館大学政策科学部教授。 田口は、丸山真男に代表される近代主義的政治理論のマルクス主義による内在的な批判を意図。日本共産党の党員であったが、ユーロコミュニズムの立場に近づき、『先進国革命と多元的社会主義』をめぐって不破哲三との間に論争を繰り広げた。論争の結果、田口は日本共産党中央委員会付属社会科学研究所での自己批判に追い込まれた。
宮田 親平(みやた しんぺい、1931年1月11日 - 20… 宮田 親平(みやた しんぺい、1931年1月11日 - 2018年12月18日)は、日本の医学・科学ジャーナリスト。 東京府北豊島郡(現・東京都北区)生まれ。1954年東京大学医学部薬学科卒業。薬剤師を経て、文藝春秋社入社。『週刊文春』編集長、『文藝春秋』編集委員を経てフリー。2008年『毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者』で科学ジャーナリスト賞大賞受賞。 2018年12月18日に肺炎のため死去。87歳没。
佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - … 佐藤 健次郎(さとう けんじろう、1931年1月10日 - 2015年5月14日)は、日本の彫刻家 、国画会会員。 栃木県、のちの那須塩原市出身。具象彫刻、新宿中央公園、栃木県総合運動公園、北海道から屋久島まで各地にモニュメントがある。また、評論家の草柳大蔵とも親交があり、新宿中央公園の「燮(やわらぎ)」の像は草柳が名付けたもの。日本交渉学会理事。 下野新聞「談話室」、栃木新聞「渡辺美智雄氏の胸像を作る彫刻家佐藤健次郎さんが来社」
小塩 節(おしお たかし、1931年1月10日 - 2022… 小塩 節(おしお たかし、1931年1月10日 - 2022年5月12日)は、ドイツ文学者。中央大学名誉教授。フェリス女学院理事長。妻・小塩トシ子(1931- 、フェリス女学院大学名誉教授)は英文学者。 長崎県佐世保市生まれ。父は牧師小塩力。旧制松本高等学校文科乙類を経て、東京大学独文科卒、同大学院修了。 1958年、国際基督教大学専任講師、準教授、1967年からNHKの「ドイツ語講座」を1985年まで担当。 1970年、中央大学文学部教授、のち常任理事、在職のまま1985年から1988年まで駐西ドイツ・日本大使館公使、ケルン日本文化会館館長。 1997年中央大学退職、名誉教授、フェリス女学院院長、2004年理事長。
井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 20… 井上 安雄(いのうえ やすお、1931年1月10日 - 2014年1月2日[1])は、和歌山県[2]出身のプロ野球選手。
小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 201… 小川 英次(おがわ えいじ、1931年1月10日 - 2019年7月4日)は、日本の経営学者。専門は生産管理論、中小企業経営論。名古屋大学名誉教授、学校法人梅村学園名誉理事長。第6代中京大学学長、第5期日本中小企業学会会長等も務めた。日経・経済図書文化賞受賞、瑞宝重光章、豊田市市政功労章受章。 名古屋市出身。1953年旧制名古屋大学工学部機械学科卒、1955年名古屋大学経済学部経営学科卒業、1960年名古屋大学大学院経済学研究科経営学専攻博士課程単位取得満期退学。64年「生産計画論」で名古屋大学より経済学博士の学位を取得。末松玄六研究室出身。 60年名大経済学部助手となり、62年生産管理論専任講師。
猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9… 猪熊 重二(いのくま じゅうじ、1931年〈昭和6年〉1月9日 - 2007年〈平成19年〉1月28日)は、日本の政治家、弁護士。中央大学卒業。公明党参議院議員(2期)。 娘は東京都副知事の猪熊純子。 1931年、群馬県北群馬郡子持村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1953年中央大学法学部を卒業。小学校教諭、弁護士を務める。東京都港区西新橋に猪熊重二法律事務所を設立。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として立候補したが落選する。1986年7月6日、第14回参議院議員通常選挙に、比例区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。
千野 武廣(ちの たけひろ、1931年1月9日 - 2012… 千野 武廣(ちの たけひろ、1931年1月9日 - 2012年)は日本の歯学者、歯科医師。松本歯科大学名誉教授、松本歯科大学付属病院元院長。医学博士。 長野県南安曇郡豊科町(現安曇野市)生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、1959年(昭和34年)大阪大学歯学部卒業。 1962年(昭和37年)九州大学より医学博士号の学位取得。 札幌医科大学教授、松本歯科大学教授を務めた後、定年退官。松本歯科大学名誉教授。松本歯科大学副学長、松本歯科大学付属病院院長を務めた。
滝沢 武久(たきざわ たけひさ、1931年1月9日 - 20… 滝沢 武久(たきざわ たけひさ、1931年1月9日 - 2015年7月5日)は、日本の心理学者、翻訳家。電気通信大学名誉教授。 東京出身。東京大学教育学部卒。同大学院をへて、東京大学新聞研究所助手、新潟大学助教授、電気通信大学助教授、1975年教授。1995年定年退官、大妻女子大学教授。 1964年フランス政府招聘留学生としてパリ大学発達心理学研究室に留学 (1965年まで)。ピアジェの影響を受け、発達心理学や教育心理学を研究。
佐藤 哲男(さとう てつお、1931年1月9日 - )は、日… 佐藤 哲男(さとう てつお、1931年1月9日 - )は、日本の薬学者。 学位は薬学博士(北海道大学・1966年)。 千葉大学生物活性研究所助手、シカゴ大学毒性研究所准教授、ミシシッピ大学メディカルセンター客員教授、東京薬科大学薬学部教授、国際毒性学会連合(IUTOX)副会長、アジア毒性学会(ASIATOX)初代事務局長、理事、同アドバイザー、米国及び日本の毒性学会関係専門誌の編集委員、編集委員長などを歴任した。 1931年、秋田県秋田市楢山生まれ。1955年に富山大学薬学部を卒業。1966年に北海道大学大学院薬学研究科博士課程を修了。薬学博士(北海道大学)。 2019年1月、日本毒性学会において、佐藤哲男賞(国際貢献賞)が創設された。
稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - 202… 稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - 2022年2月27日)は、神奈川県出身の俳人。俳人高浜年尾の娘で、俳人高浜虚子の孫。『ホトトギス』名誉主宰、日本伝統俳句協会名誉会長。 神奈川県横浜市に、父高濱年尾、母喜美の次女として生まれる。幼児期を鎌倉で過ごしたのち、1935年に兵庫県芦屋市に転居する。小学校のころから祖父高濱虚子と父年尾のもとで俳句を教わった。小林聖心女子学院高校卒業、1949年同英語専攻科在学中に病を得て中退する。英語専攻科中退後、俳句修行に専念し、祖父と父に同行して全国を廻る。1956年、24歳で稲畑勝太郎の孫、稲畑順三と結婚。のち2男1女の母となる。1965年『ホトトギス』同人。