伊藤博行(いとう ひろゆき、1938年1月25日 - )は日… 伊藤博行(いとう ひろゆき、1938年1月25日 - )は日本の大蔵官僚。関税局長、内閣官房内閣内政審議室長などを歴任。現在は公益財団法人日本住宅総合センター評議員。 愛知県名古屋市出身。愛知県立旭丘高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1960年 大蔵省に入省する(主税局調査課)。主に主計局と主税局で勤務経験を積む。1981年7月に主税局調査課長となって以降は、主税畑一筋となる。1988年6月 国税庁次長。1989年6月 日本銀行政策委員会大蔵省代表委員。1990年7月 関税局長。1991年6月14日より内閣官房内閣内政審議室長。1993年6月16日に退官。1994年7月1日 住宅金融公庫副総裁(2001年1月31日まで)。
松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto… 松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto、男性、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 2023年〈令和5年〉2月13日)は、日本の漫画家。代表作に『男おいどん』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』など。 福岡県久留米市出身。血液型B型。本名は松本 晟(まつもと あきら)。宝塚大学特任教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。正六位、旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。称号は練馬区名誉区民。 妻は同じく漫画家の牧美也子。弟は早稲田大学大学院名誉教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本將。 一般的にSF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争、動物など様々なジャンルの漫画を描いている。
木村 守男(きむら もりお、1938年1月24日 - 202… 木村 守男(きむら もりお、1938年1月24日 - 2023年6月25日)は、日本の政治家。青森県知事(3期)、衆議院議員(4期)、青森県議会議員(3期)などを歴任した。父は衆議院議員を務めた木村文男、長男は元衆議院議員の木村太郎。次男は衆議院議員の木村次郎。 青森県南津軽郡藤崎町出身。東奥義塾高等学校から青森県立浪岡高等学校を経て、1960年、日本大学法学部法律学科を卒業。 1967年から青森県議会議員を3期務め、その間、青森県議会農林常任委員長などを務める。 1977年、新自由クラブ公認で参議院青森県選挙区に立候補するが、落選。1980年、新自由クラブ公認で衆議院青森2区に立候補、初当選する。
岩井 嘉男(いわい よしお、1938年1月24日 - 201… 岩井 嘉男(いわい よしお、1938年1月24日 - 2012年)は、日本の電気/電子物理工学・半導体工学者。工学博士(大阪大学)。電気学会関西支部2001協議員 。大阪大学工学部電気系同窓会澪電会元会員。 専門は、半導体工学・電気/電子物理工学。 京都市生まれ。1961年大阪工業大学工学部電気工学科卒業。1963年大阪大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了、のちに工学博士(大阪大学)。1969年大阪工業大学工学部電気工学科に講師として着任。その後、助教授・教授などを経て、2003年大阪工業大学退官。退官後は、同大学電気クラブ会長も務めた。2012年逝去。 大阪工業大学工学部電気工学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に半導体工学の研究・育成に貢献した。
大武浩幸(おおたけ ひろゆき 1938年1月23日-2020… 大武浩幸(おおたけ ひろゆき 1938年1月23日-2020年6月19日)は、日本の実業家。栃木県那珂川町出身。 1956年3月、株式会社ワタル商会(現ワタル株式会社及びワタル不動産株式会社)入社 1968年3月、同社取締役就任。 1973年11月、株式会社ユニカフェ取締役就任。1977年11月同社常務取締役就任、1989年11月同社専務取締役を就任を経て、1991年11月同社代表取締役に就任。 2001年9月、同社は東京証券取引所市場第一部に上場。現在に至る。 日本家庭用レギュラーコーヒー工業会幹事(現任)、全日本コーヒー公正取引協議会常任理事(現任)、社団法人全日本コーヒー協会技術環境委員会委員長、独立行政法人中小企業基盤整備機構 新事業開拓促進出資事業に係る出資先選定委員会(現 出資先候補評価委員会)委員などを務める。
ジャイアント馬場(ジャイアントばば、1938年〈昭和13年〉… ジャイアント馬場(ジャイアントばば、1938年〈昭和13年〉1月23日 - 1999年〈平成11年〉1月31日)は、日本のプロレスラー、タレント、元プロ野球選手。本名および旧リングネーム・プロ野球選手時代の登録名は馬場正平()。 日本のプロレス界の史上最大の長身と巨体を持ち、力道山・アントニオ猪木と並んで日本のプロレスそのものを代表する存在である。コマーシャルやテレビ番組などでも人気を博した。現役時代は、当時の世界最高峰の王座であるNWA世界ヘビー級王座に3度就いた。全日本プロ・レスリング代表取締役社長・会長、NWA第一副会長を歴任した。三条市名誉市民。 リングネームは、初渡米武者修行中の1961年、ニューヨークのプロモーターであったビンス・マクマホン・シニアがババ・ザ・ジャイアント(Baba the Giant)と命名したことに由来する。
米倉 守(よねくら まもる、1938年1月23日 - 200… 米倉 守(よねくら まもる、1938年1月23日 - 2008年2月25日)は、日本の美術評論家。 三重県安芸郡河芸町(現:津市)生まれ。関西学院大学を経て、関西大学文学部国文科卒業後、朝日新聞社入社。大阪本社および東京本社学芸部の美術担当記者、編集委員を経て、1994年に多摩美術大学教授に就任。造形表現学部長、松本市美術館長を歴任。 美術評論家・東野芳明の評伝を執筆中に下咽頭癌で死去し、未完に終わった。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は… 上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は、日本の詩人、エッセイスト、画家。 広島県広島市に生まれる。1945年、原爆投下の数日後に広島市内を横切り入市被曝。詩「一枚のハガキ」で第7回白鳥省吾賞の最優秀賞受賞。詩集『八月の夕凪』の著者。 2017年 戦争や災害による犠牲者を追悼する「レクイエム・プロジェクト」の混声合唱曲「生きとし、生けるものへ」の作詞を手がける。作曲は、上田益。同曲は、3月5日に広島県民文化センターで、また8月6日に長崎市民会館文化ホールで公演された。8月6日、上田由美子は詩朗読と講演を1000に近い参加者の前で行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小林 恒人(こばやし つねと、1938年1月22日 - 20… 小林 恒人(こばやし つねと、1938年1月22日 - 2020年2月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。従四位。 川西農業高校卒業後、国鉄釧路鉄道管理局に入局。のち国労札幌地方本部副委員長を務め、本籍地および住民票を小樽市に移した。 島本虎三の勇退に伴い、1979年10月の第35回衆議院議員総選挙で日本社会党公認で北海道1区から立候補したが落選。翌1980年6月の第36回衆議院議員総選挙で初当選を果たした。得票数は同じ北海道1区で立候補した社会党の現職、横路孝弘を上回った。1983年12月第37回衆議院議員総選挙、1986年7月第38回衆議院議員総選挙、1990年2月第39回衆議院議員総選挙でも再選された。
鳥井 信一郎(とりい しんいちろう、1938年1月22日 -… 鳥井 信一郎(とりい しんいちろう、1938年1月22日 - 2004年7月5日)は、日本の実業家でサントリー(現サントリーホールディングス)元社長・元会長。元関西経済連合会副会長。大阪府出身。位階は正五位。 1956年大阪府立池田高等学校卒業。1960年ノースウェスタン大学卒。1963年神戸大学法学部卒業。住友銀行(現・三井住友銀行)を経て、1967年にサントリーに入社。国際本部長を経て1972年取締役となり、1990年3代目の創業家社長に就任する。「サントリーホップス」「マグナムドライ」といった発泡酒のジャンルを切り開くキーパーソンとなった。 1995年サントリー文化財団理事長。その後2001年にサントリー会長に退き、2004年3月からは相談役になっていたが、同年7月5日、肺炎のため死去。
種部 儀康(たねべ のりやす、1938年1月21日 - )は… 種部 儀康(たねべ のりやす、1938年1月21日 - )は、鳥取県倉吉市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。妻は宮田征典(読売ジャイアンツ同期入団)の姉・鈴子。孫はシンガーソングライター兼グラビアアイドルの宮田みほ。 上灘小から倉吉東中を経て入学した倉吉農業高ではエースとして活躍したが、同年次に米子東高の義原武敏や境高の米田哲也といった好投手がおり、甲子園には出場できなかった。高校卒業後は1957年に米子鉄道管理局へ入社し、改札の切符切りなどの業務に従事。鉄道関係の略号などに詳しくなったほか、レールの上を走る汽車や貨車の車種を当てる特技も身に付けた。1961年にはクラレ岡山の補強選手として都市対抗に出場し、北海道拓殖銀行との1回戦に登板したが、敗戦投手となっている。
金井 久兮(かない ひさし、1938年1月21日 - )は、… 金井 久兮(かない ひさし、1938年1月21日 - )は、日本の経営者。 群馬県出身。1961年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に日本勧業銀行に入行。1990年6月に第一勧業銀行取締役に就任し、1992年4月に常務、1994年4月にオリエントコーポレーション顧問を経て、同年6月に副社長に就任し、1999年6月から2003年6月までに社長を務めた。
松尾 靖彦(まつお やすひこ、1938年1月21日 - )… 松尾 靖彦(まつお やすひこ、1938年1月21日 - )は、日本の経営者。佐賀銀行頭取を務めた。 東京都出身。1961年に東京大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1988年6月に大臣官房審議官、同年7月に金属鉱業事業団理事を経て、1992年5月に佐賀銀行顧問に就任し、同年6月に常務、1994年6月に専務、1999年6月に副頭取を経て、2003年6月から2012年6月までに頭取を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北原 綴(きたはら つづる、1938年〈昭和13年〉1月21… 北原 綴(きたはら つづる、1938年〈昭和13年〉1月21日 - )は、日本の作家。本名は武井 遵(たけい じゅん)。詩人の金素雲は父。歌手の沢知恵は姪。主に児童書を書いたが、通貨偽造・強盗殺人事件により無期懲役判決が確定した。 1938年(昭和13年)に群馬県群馬郡室田町(榛名町を経て現・高崎市)で生まれる。母の実家・武井家は裕福な農家だったが、遵の父・金素雲には別居中の妻がおり、私生児であった。父は群馬に来ることなく朝鮮へ渡り、母も東京に出たため祖母の手で育てられた。幼少期に学校で朝鮮人差別を受け、群馬県立榛名高等学校に進学するが、傷害事件を起こし中退。自著では「東洋音大ヴィオリン科卒」とされている。
北原 亞以子(きたはら あいこ、本名:高野美枝、1938年1… 北原 亞以子(きたはら あいこ、本名:高野美枝、1938年1月20日 - 2013年3月12日)は、日本の小説家。 東京・新橋の祖父の代からの椅子専門の洋家具職人の家に生まれる。4歳で父が南方戦地で戦死し、6歳の1944年(昭和19年)11月30日に空襲で生家が焼失し、7歳で終戦を迎える。千葉県立千葉第二高等学校卒業。高校のころから小説家を志望し、石油会社でOLをしながら書き続ける。 28歳の時に同人誌「文藝首都」の同人への推薦人のつてが無く購読と批評提出のできる会員となり、処女作を提出するが出した原稿が訂正の赤入れだらけで真っ赤になるほど酷評され、ショックを受けて会員をやめる。1968年、同人誌「文学地帯」の同人となる。
安部 彪(あべ たけし、1938年〈昭和13年〉1月20日 … 安部 彪(あべ たけし、1938年〈昭和13年〉1月20日 - 2025年〈令和7年〉2月1日)は日本の会計検査官僚。位階勲等は従三位瑞宝重光章。会計検査院事務総局次長、会計検査院事務総長、国民生活金融公庫副総裁(初代)などを歴任。血液型はB型。妻がいる。 大分県出身(母も大分県)。大分大学学芸学部附属中学校、大分県立大分上野丘高等学校、東京大学法学部卒業。1960年(昭和35年) 大蔵省に入省(銀行局金融制度調査官付)。1966年(昭和41年)7月 福知山税務署長。1982年(昭和57年)7月 会計検査院事務総長官房法規課長。1983年(昭和58年)6月 会計検査院事務総長官房総務課長。1984年(昭和59年)12月 会計検査院事務総局第三局審議官。
中村 輝子(なかむら てるこ、1938年1月20日 - )は… 中村 輝子(なかむら てるこ、1938年1月20日 - )は、ジャーナリスト・翻訳家。高井有一の妻。 北海道生まれ。本名・輝。東京大学文学部社会学科卒業後、1962年共同通信社入社。文化部記者、編集委員、論説委員を経て、1998年退社。1984年、高井有一と結婚。立正大学客員教授を務めた。
川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年1月20日 - 20… 川戸 貞吉(かわど さだきち、1938年1月20日 - 2019年3月11日)は、日本の演芸評論家。代表的な名跡は都家西北。 アナウンサー・ジャーナリストの川戸恵子は妻である。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学卒業。大学で落語研究会に入会し、のちに7代目立川談志となる柳家小ゑん、三遊亭全生、林家照蔵、のちに3代目古今亭志ん朝となる古今亭朝太、など同世代の若手と知り合って落語に没頭し、8代目桂文楽に目をかけられたのをきっかけに落語の録音、文献のコレクターとしても知られるようになる。3代目志ん朝の初高座を生で見た人物の一人でもある。 1961年4月にTBSへアナウンサー7期生として入社し、1993年3月に退社。
上野 民夫(うえの たみお、1938年(昭和13年)1月19… 上野 民夫(うえの たみお、1938年(昭和13年)1月19日 ‐ 2018年(平成30年)9月17日)は、日本の化学者。専門は天然物有機化学。京都大学名誉教授。 京都市左京区岡崎に生まれる。父は開業医を営んでいた。京都府立鴨沂高等学校から京都大学農学部に進み、1962年に卒業。同大の大学院博士課程(農学研究科)を1967年3月に修了して、農学博士号を取得した。 1967年5月よりダルムシュタット工科大学(当時は西ドイツ)の有機化学研究所で研究員となる。1968年に帰国し、9月より京都大学農学部附属農薬研究施設、農薬化学生物学部門の助手に就任。以後、助教授(1979年4月)を経て、1992年6月に教授(農芸化学科生物調節化学講座)に昇格した。
早房 長治(はやぶさ ながはる、1938年1月19日 - )… 早房 長治(はやぶさ ながはる、1938年1月19日 - )は、日本のジャーナリスト、政治経済評論家。 北海道生まれ。東京都立新宿高等学校を経て1961年東京大学教養学部卒業、朝日新聞社入社。1982年経済部次長を経て、論説委員、1985年編集委員、1998年朝日新聞社退職。地球市民ジャーナリスト工房を設立、代表。 株式会社チャンネルジェイの設立に参画。日本ネットジャーナリスト協会理事。
北村 昭斎(きたむら しょうさい、1938年1月19日 - … 北村 昭斎(きたむら しょうさい、1938年1月19日 - 2023年7月7日)は、漆芸家。元奈良文化女子短期大学客員教授。螺鈿の重要無形文化財保持者(人間国宝)。本名、北村謙一。 1938年、漆芸家の北村大通の長男として奈良県に生まれる。東京藝術大学美術学部工芸科卒業後、早川電機工業(現在のシャープ)工業デザイン部門を経て、父のもとで漆芸の制作と文化財修理を行う。1998年、紫綬褒章受章。1999年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2008年、旭日小綬章受章。 2023年7月7日、クモ膜下出血のため、奈良市の自宅で死去した。85歳没。 紫綬褒章、文部大臣賞、日本工芸会賞、朝日新聞社賞他。
川岸 近衛(かわぎし このえ、1938年1月19日 - 20… 川岸 近衛(かわぎし このえ、1938年1月19日 - 2022年5月21日)は、日本のジャーナリスト。読売新聞社論説副委員長や、証券取引等監視委員会委員などを務めた。 1961年一橋大学経済学部卒業。大学在学中は宮崎省吾、平尾光司、飯沼健真、酒井武史らと学生運動に参加し、一橋新聞編集長も務めた。大学卒業後読売新聞社入社。1983年経済部次長。1988年論説委員。1992年論説副委員長。1998年証券取引等監視委員会委員。2004年三菱自動車工業企業倫理委員会委員。税制調査会特別委員、資金運用審議会専門委員、海運造船合理化審議会専門委員、航空審議会委員なども歴任した。 北海道支社勤務時代の1960年に、札幌市立山の手養護学校の生徒から王貞治宛のファンレターを託され、その後長く続きゴールデンスピリット賞へと到る同校への慰問のきっかけを作った。
宮崎 省吾(みやざき しょうご、1938年1月19日 - )… 宮崎 省吾(みやざき しょうご、1938年1月19日 - )は、日本の市民運動家、貿易商。国鉄横浜新貨物線反対同盟連合協議会事務局長などとして、住民運動を展開した。 東京出身。1961年一橋大学社会学部卒業。大学在学中川岸近衛、平尾光司、飯沼健真、酒井武史らと学生運動に参加。政治学岡義達ゼミ出身。大学卒業後は総合商社や、貿易会社勤務を経て、貿易商人となり、貨物線反対運動に参加。1966年国鉄横浜新貨物線反対同盟連合協議会事務局長に就任。独自の住民運動を展開した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1… 柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1月18日 - 2022年〈令和4年〉2月15日)は、落語協会に所属していた落語家。新潟県中蒲原郡村松町(現・五泉市)出身。本名∶榑井 昌夫(くれい まさお)。 新潟県立村松高等学校卒業後1957年6月に五代目柳家小さんに入門、柳家小二三を名乗り内弟子修行。 1960年11月に二ツ目昇進し、柳家小三郎に改名。1962年、さん吉に改名。(※一部の資料で-1963年改名となっている) 1973年3月、三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、三升家勝二、桂小益、林家枝二、さん吉の十人で真打昇進。 サウナで倒れ全身火傷を負ってしまい、闘病・リハビリをしていた。
京極 高晴(きょうごく たかはる、1938年〈昭和13年〉1… 京極 高晴(きょうごく たかはる、1938年〈昭和13年〉1月18日 - 2024年〈令和6年〉5月6日)は、豊岡京極家15代当主。第10代靖国神社宮司。 1938年(昭和13年)、東京市渋谷区生まれ。1943年(昭和18年)、兵庫県豊岡市に疎開。兵庫県立豊岡高等学校(1957年)、東京大学法学部(1961年)を卒業。日本郵船事業部長を経て、氷川丸マリンタワー社長、関東曳船社長などを歴任。 2009年6月15日から2013年1月18日まで靖国神社宮司を務めた。前任者の南部利昭に続いて神職経験のない宮司であった。 日本会議の代表委員も務めた。 2024年5月6日、硬膜下血腫のため死去。86歳没。
吉野 光(よしの ひかる、本名・中島純司、1938年1月18… 吉野 光(よしの ひかる、本名・中島純司、1938年1月18日- )は、日本の作家・美術史学者。佛教大学名誉教授。 長野県生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。東京国立博物館勤務、群馬県立女子大学教授、佛教大学教授。1991年『撃壌歌』で文藝賞受賞。2008年定年退任、名誉教授。中世日本の水墨画、特に雪舟を専門とし、歴史に取材した小説を書く。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
近藤 定男(こんどう さだお、1938年1月18日 - )は… 近藤 定男(こんどう さだお、1938年1月18日 - )は、日本の経営者。三洋電機社長を務めた。新潟県出身。 1960年に新潟大学工学部を卒業し、同年に東京三洋電機(のちの三洋電機)に入社。1993年2月に取締役に就任し、1995年2月に常務、1996年6月に専務を経て、1998年6月には社長に就任。2000年11月には取締役に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
茂木 賢三郎/第十三代茂木 七左衞門(もぎ けんざぶろう/も… 茂木 賢三郎/第十三代茂木 七左衞門(もぎ けんざぶろう/もぎ しちざえもん、1938年1月18日 - )は、日本の実業家。勲等は旭日中綬章。独立行政法人日本芸術文化振興会理事長。1973年にハーバード大学でMBAを取得し、のちにハーバード・ビジネス・スクール日本同窓会会長も務めた。日本芸術文化振興会の理事長に就任した後、先代の逝去を受けて、名前を七左衞門(しちざえもん)に改めた。茂木啓三郎は父、茂木友三郎は実兄。妻は東ソー創業者岩瀬徳三郎の孫。 1938年千葉県出身。1960年3月一橋大学経済学部卒業。大学時代は中山伊知郎ゼミナール、柔道部に所属。1960年4月東京銀行に入行。 キッコーマンが、野田醤油として設立されて以来、茂木家からは各家一世代に一人しか入社できないという不文律があったところ、既に兄の茂木友三郎が入社していたため、賢三郎は入社できないこととなっていたが、後に一族の本家である茂木本家茂木潤一郎(第十二代七左衞門)の養子となったことから、入社が可能となり、1962年東京銀行を退社し、キッコーマンに入社した。
長田 豊臣(ながた とよおみ、1938年1月18日 - )は… 長田 豊臣(ながた とよおみ、1938年1月18日 - )は、アメリカ史学者、文学博士(立命館大学、学位論文『南北戦争と国家 』)。学校法人立命館理事長、学校法人立命館総長、立命館大学学長・文学部教授を歴任した。プリンストン大学客員教授。アメリカ学会元会長。日本私立大学連盟常務理事。大学基準協会副会長。専門はアメリカ南北戦争前後の歴史。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山本 昌平(やまもと しょうへい、1938年〈昭和13年〉1… 山本 昌平(やまもと しょうへい、1938年〈昭和13年〉1月17日 - 2019年〈令和元年〉10月30日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。本名同じ。身長168cm、体重76kg。フリーポートプロを経て、オフィス山本に所属していた。 台湾の澎湖島生まれ、熊本県育ち。東京都立江戸川高等学校卒業。既婚。 中学生時代、走高跳で九州大会第2位となった実績を持つ。 1957年に劇団七曜会の研究生となる。その後、劇団三期会演出部を経て、浅草フランス座のコメディアンとして3年間活動後、1963年にフリーとなる。 フリーとなって以降は『荒野のダッチワイフ』(1967年)などのピンク映画を中心に活動するが、一時俳優を廃業する。
古川 凱章(ふるかわ がいしょう、本名はよしあき、1938年… 古川 凱章(ふるかわ がいしょう、本名はよしあき、1938年1月17日 - 2016年1月1日)は、競技麻雀の元プロ雀士。101競技連盟の創設者。トッププロとして長年に渡り活躍した。神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校、早稲田大学卒業。2016年1月逝去。 日本におけるプロ雀士のパイオニアとしてその名を知ることが出来る。プロの雀士になる以前は小学館に勤めていた。しかし麻雀に没頭して2年で退社し、無職の雀ゴロ生活を送っていたという。1970年に阿佐田哲也・小島武夫と「麻雀新撰組」を結成。阿佐田から「新しい麻雀集団を作らないか」との誘いを受けた小島武夫は、メンバー候補としてまっ先に古川凱章を思い浮かべたという。
源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 -… 源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 - 2002年5月14日)は日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長、大和銀行副頭取などを歴任。血液型はA型。 広島県広島市出身(父母も広島県)。広島大学附属高等学校、東京大学法学部卒業。1961年4月 大蔵省入省(主税局調査課)。イリノイ大学留学。1967年7月 山口税務署長。その後は国税庁直税部資産税課長補佐、派遣職員(アジア開発銀行)、主計局主計官補佐(司法・警察係主査)、大阪税関総務部長、内閣官房長官秘書官(事務担当)などを務める。1978年12月 大臣官房企画官。1979年4月 大臣官房参事官。同年7月 主税局国際租税課長。
藤田 太寅(ふじた たかのぶ、1938年〈昭和13年〉1月1… 藤田 太寅(ふじた たかのぶ、1938年〈昭和13年〉1月17日 - 2018年〈平成30年〉5月28日)は日本の経済ジャーナリストで、元NHK記者・解説委員。 東京都出身。麻布中学校・高等学校卒業。寅年に生まれたことから「太寅」と命名された。 東京大学文学部社会学科を卒業後、1963年NHKに記者として入局。初任地は新潟局。東京に異動後は報道局経済部で当時の大蔵省、経済企画庁などを担当。その後大阪局報道デスクを経て報道局記者に復帰。「NHK特集」等の制作・演出を担当。1990年に解説委員となり、経済番組の進行役などを務め分かりやすい解説でお茶の間に親しまれた。1999年に定年退職。 1999年4月、関西学院大学総合政策学部教授就任。
青木 清(あおき きよし、1938年1月17日 - 2023… 青木 清(あおき きよし、1938年1月17日 - 2023年5月4日)は、日本の動物行動学者、生命倫理学者、上智大学名誉教授、公益財団法人生存科学研究所理事長。
白江 治彦(しらえ はるひこ、1938年1月16日 - )は… 白江 治彦(しらえ はるひこ、1938年1月16日 - )は、囲碁のプロ棋士、八段。石川県小松市出身、大窪一玄門下。日本棋院所属、2004年に引退。 アマチュアへの普及活動に献身し、多くのファンの指導に当たったため剣術の吉岡一門になぞらえて「門弟三千人」などとも言われた。軽妙なトークを生かして囲碁番組の司会などを数多く務めており、囲碁界の底辺拡大の功績は極めて高く評価されている。 棋風は中央戦を得意とし、珍しい着点である大高目(4線と6線の交点)や「浮かび」(第6線と第10線の交点)などを多用したことで知られる。 息子に、ダイアモンド囲碁サロン経営者の白江徹一。 図のように第六線を三連打する布石を一時期多用し、「アポロ流」と称していた。
石部 安浩(いしべ やすひろ、1938年1月16日 - 20… 石部 安浩(いしべ やすひろ、1938年1月16日 - 2010年9月29日)は、中央大学名誉教授。元陸上競技(走高跳)選手。1986年4月から2008年3月まで中央大学教授。1978年4月から1990年3月まで中央大学陸上競技部監督。1995年ユニバーシアード福岡大会の日本代表の陸上女子監督、2000年日本学生陸上競技連合オーストラリア遠征の日本代表監督。日本陸上競技連盟強化委員、関東学生陸上競技連盟コーチ、日本学生陸上競技連合強化委員などを務めた。 1956年4月中央大学入学~1958年3月 膝蓋靭帯炎(ジャンパー膝)の為、2年間競技中断 日本陸上競技選手権大会の記録一覧 (男子)
下福 力(しもふく ちから、1938年1月16日 - 202… 下福 力(しもふく ちから、1938年1月16日 - 2026年2月1日)は、日本の音楽家、ピアニスト。鹿児島大学名誉教授。 旧満洲国生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立甲南高等学校に1954年4月入学、1957年3月卒業。高校在学中は音楽部に所属し、西部合唱コンクールに3年連続で県代表として出場。東京学芸大学音楽科を卒業し、同大学専攻科を1962年に修了。小島喜久寿、西勇恕が恩師。 東京学芸大学附属竹早中学校教諭、東京学芸大学講師、鹿児島大学講師、鹿児島大学助教授を経て、1980年に鹿児島大学教育学部音楽科教授就任。1983年、鹿児島県芸術文化奨励賞を受賞。2018年春、瑞宝中綬章を受章。
杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16… 杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16日 - )は、航空自衛官。兵庫県出身。第22代航空幕僚長、第21代統合幕僚会議議長。保守系日刊紙『世界日報 (日本)』のコラム「ビューポイント」の常連寄稿者の一人である。現在は千葉県在住。戦闘機パイロット出身でTACネームは“BAN”。
初代 桜川唯丸(しょだい さくらがわ ただまる、1938年1… 初代 桜川唯丸(しょだい さくらがわ ただまる、1938年1月16日 - )は、日本の江州音頭取り、歌手、詩人。大阪府寝屋川市出身。 1938年1月16日、寝屋川市下神田町に生まれる。 1947年 - 1973年(入門からの修行時代) 9歳だった1947年(昭和22年)11月上旬、芸事好きだった母方の祖母に薦められて、寝屋川萱島在住の音頭取りの二代目桜川房丸に弟子入り。 翌年8月、寝屋川市太秦の櫓で初櫓(デビュー)。 音頭修行に励み、師匠以外では、1950年(昭和25年)夏、神田天満宮での櫓で共演した中学1年生の時に、当時健在だった大倉壽賀義に初代房丸が学んだ耳に心地良い節(音頭)に深く影響を受けて取り組み、古老たちから河内音頭を学ぶ。
冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15… 冨士 眞奈美(ふじ まなみ、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の女優、随筆家、俳人。血液型はA型。本名、岩崎 真奈美。アンテーヌ所属。俳号は衾去(きんきょ)。 6人きょうだいの三女(上から女、女、本人、男と続き、5人目と6人目の性別は不明)として育った。静岡県三島市で生まれた後、1歳の頃に一家で東京都滝野川区(現・北区)で暮らし、小学校に上がる前、三島で暮らす祖父の急死により、ひとり娘の母とともに一家で三島へ戻った。県立三島北高校卒業。 1956年にNHKのテレビドラマ『この瞳』の主役に抜擢されてデビューし、これを機に上京して芸能活動を始めた。1957年、NHK専属女優の第一号となり、『輪唱』の三姉妹役で共演した馬渕晴子・小林千登勢とNHK三人娘と呼ばれて人気を博した。
益田 昭雄(ますだ あきお、1938年1月15日 - )は、… 益田 昭雄(ますだ あきお、1938年1月15日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(投手)。 1970年の「黒い霧事件」にて敗退行為に関与したとして、池永正明らと共に永久追放処分とされた。 山口県立久賀高等学校から社会人野球の山陽特殊製鋼へ進み、1962年の第33回都市対抗野球大会に出場すると2回戦(対日本鉱業日立戦)で石戸四六(日立製作所からの補強選手)と投げ合い完封勝利を収めた。チームは準々決勝まで進出するも東洋レーヨンに敗れた。 同年に読売ジャイアンツへ入団し、1963年に初勝利を含む2勝を挙げる。翌年こそ勝ち星を挙げられなかったが1965年と1966年に4勝を挙げ、1966年の日本シリーズ(対南海ホークス戦)では3勝2敗で迎えた第6戦の先発を任され、皆川睦雄と投げ合い完封勝利を収めた。
浜口 允子(はまぐち のぶこ、1938年1月15日 -202… 浜口 允子(はまぐち のぶこ、1938年1月15日 -2023年3月22日 )は、日本の中国学者。放送大学名誉教授。長野県出身。 1960年にお茶の水女子大学文教育学部史学科を卒業。1972年から1975年には二人の男児を連れて中国・北京に滞在。初期の東京第一学習センターから放送大学と関わり、その後東京世田谷センターに10年勤務したのち、東京世田谷学習センター所長・神奈川学習センター所長を務めた。主に中国についての研究を行った。あまり知られていないが、卒業した 東京都立名門の、東京都立富士高等学校の校歌の作詞は同氏(旧姓:鯨井 時)の作品。2025年現在も歌い継がれている。 故 浜口義曠(元 農林水産省事務次官、日本中央競馬会理事長)は夫。
稲葉 威雄(いなば たけお、1938年〈昭和13年〉1月15… 稲葉 威雄(いなば たけお、1938年〈昭和13年〉1月15日 - )は、日本の元裁判官、弁護士(第一東京弁護士会、鳥飼総合法律事務所)。 京都大学法学部卒業。名古屋地方裁判所長、広島高等裁判所長官などを歴任。専門は商法で、法務省(出向)時代には商法改正を手がけた。定年退官後は早稲田大学法科大学院客員教授として商法を担当した。2005年商法改正には批判的で、「企業会計」(58巻6号)では、会社法立案担当者であった郡谷大輔と会社法の主要論点について議論の応酬を繰り広げた。 1960年(昭和35年)に京都大学法学部を卒業後、第14期司法修習生。1962年(昭和37年)4月10日に東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補任官。
田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日… 田村 徹(たむら とおる、1938年1月15日 - )は、日本の作曲家、教育者、文教大学名誉教授、元学校法人文教大学学園理事長。 現在の北朝鮮沙里院市生まれ。終戦後の1945年、福岡県久留米市に引き揚げる。1962年、武蔵野音楽大学作曲科卒業。渡辺浦人、安部幸明、クラウス・プリングスハイムに師事した。 1963年、管弦楽曲「筑後地方の俗楽によるコンポジッション」が第4回TBS賞特賞受賞。1965年、「フルート、クラリネット、ファゴットのための三重奏」が日本音楽コンクール作曲部門室内楽曲第3位入賞。文教大学、武蔵野音楽大学等で作曲を教授し、文教大学学生部長、文教大学学園理事長を歴任。九州・沖縄作曲家協会元会長、名誉会員、東アジア作曲家協会理事、日本現代音楽協会会員。
伊藤 治夫(いとう はるお、1938年1月15日 - )は日… 伊藤 治夫(いとう はるお、1938年1月15日 - )は日本の国際経済学者。専門は中東経済。 横浜国立大学経済学部卒業後、東洋大学大学院経済学研究科修士課程修了。東急百貨店勤務を経て、日本貿易振興会(JETRO)に勤務し、ベイルート・ジャパン・トレード・センター駐在、海外調査部など主として海外経済の調査活動に従事した。神奈川大学経済学部、横浜国立大学経済学部の非常勤講師を経て、西南学院大学経済学部教授。2009年3月退職。著書に「アラブ経済の旅」「バグダードからアデンまで」「OPEC危機の構造」「中東産油国の工業開発」「中東政治経済論」など この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
大矢 鞆音(おおや ともね、1938年1月15日 - )は、… 大矢 鞆音(おおや ともね、1938年1月15日 - )は、日本の作家、美術評論家、研究者。 1938年(昭和13年)、日本画家大矢黄鶴の次男として東京に生まれる。7人兄弟の次男で、2歳年長の兄大矢紀、2歳下の弟大矢十四彦も後に日本画家となる。1962年(昭和37年)、早稲田大学第一文学部美術史学専修卒業。在学中から『萌春』など美術雑誌の展覧会評を執筆し、河北倫明らの知遇を得る。日本放送出版協会(NHK出版)に入社。同社で『趣味の園芸』編集長などを経て、美術書の企画・編集にも携わり、取締役美術部長。1977年(昭和52年)の『杉山寧:エジプト幻想行』・『平山郁夫:わが心のシルクロード』を皮切りに河北倫明を監修に刊行を始めた「現代日本画家素描集」シリーズ全20巻は当時、こうした美術書としては空前のヒットとなった。
浜中 祥和(はまなか よしかず、1938年1月14日 - )… 浜中 祥和(はまなか よしかず、1938年1月14日 - )は、福井県出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 若狭高校では、同期のエース松井武雄を擁し1955年春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準々決勝に進むが、県尼崎高の今津光男投手に完封を喫する。夏の選手権は、2回戦で立命館の富永格郎投手に抑えられ敗退。同年の神奈川国体は決勝に進むが、エース高橋正勝を擁する四日市高に接戦の末に3-4で敗れ、準優勝にとどまる。 卒業後は立教大学へ進学。長嶋茂雄の2年後輩に当たり、東京六大学野球リーグでは5回優勝。1957年、1958年に全日本大学野球選手権大会連続優勝。リーグ通算37試合出場、126打数33安打、打率.262。
上杉 明(うえすぎ あきら、1938年1月14日 - )は、… 上杉 明(うえすぎ あきら、1938年1月14日 - )は、日本の英文学者。 茨城県水戸市出身。1974年明治大学大学院英文学博士課程満期退学、芝浦工業大学講師、80年助教授、日本大学商学部助教授、教授、2009年定年。1977年「G・K・チェスタトン著作集 9」で日本翻訳出版文化賞受賞。1988年「先礼」で日本文芸賞優秀賞受賞。
和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13… 和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代ロシア史とソビエト連邦史および現代朝鮮。東京大学名誉教授。 1968年にキング牧師が暗殺されたことをきっかけに、妻の和田あき子と共に地元の大泉学園でベトナム戦争反対の市民運動を始めた。主な著作として『ニコライ・ラッセル』『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』および『朝鮮戦争』がある。 大阪府出身、静岡県立清水東高等学校卒業。父の和田捷雄は歴史の教師で、清水東高等学校の校長代理をつとめた。東京大学文学部卒業。ドイツ語クラスの同級生に古井由吉や加藤祐三がいた。大学入学から退官まで、約50年間にわたって東京大学においてのみ過ごした。
田中 通義(たなか みちよし、1938年1月13日 - )は… 田中 通義(たなか みちよし、1938年1月13日 - )は、日本の物理学者。電子回折専攻。東北大学名誉教授。元国際結晶学連合 (IUCr) 副会長。元日本結晶学会会長。元日本電子顕微鏡学会会長。フンボルト賞等受賞。 東京都生まれ。1958年東京工業大学理学部物理学科卒業。1965年東京工業大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士、東京工業大学理学部助手。1968年東北大学理学部助教授。1970年フリッツ・ハーバー研究所客員研究員。1981年科学計測振興会賞受賞。1989年東北大学科学計測研究所教授。1996年東北大学評議員、日本結晶学会会長。1997年東北大学科学計測研究所所長、日本電子顕微鏡学会会長。