芹田 健太郎(せりた けんたろう、1941年3月10日 - … 芹田 健太郎(せりた けんたろう、1941年3月10日 - )は、日本の法学者。専門は、国際法・国際人権法。神戸大学名誉教授。前京都ノートルダム女子大学学長。満洲国生まれ。瑞宝中綬章受章(2017年秋)。 下條正男によると、韓国の主張に同調する日本人を「良心的日本人」として韓国の民間団体「独島を日本に知らせる運動連帯」が2013年5月2日中央日報に「朴槿恵大統領に捧げる公開請願」という2面の「極右学者」を非難する意見広告を掲載したが、「日本にも正しい学者が多数いる」として堀和生京都大学教授、内藤正中島根大学名誉教授、梶村秀樹東京大学教授、古地図収集家の久保井規夫と共に「良心的日本人」の一人として名前が挙げられている。
西野 忠臣(にしの ただおみ、1941年3月10日 - )は… 西野 忠臣(にしの ただおみ、1941年3月10日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。 広島県立忠海高等学校ではエース。卒業後は1959年に巨人に入団し内野手に転向する。1961年に土屋正孝が国鉄にトレードされたため、藤本伸・塩原明らと二塁手の定位置を争い15試合に先発出場。しかし、打撃面で伸び悩み、肘の故障もあって1963年限りで引退した。通算46打数7安打、打率.152 。 引退後、当時巨人のスカウトだった沢田幸夫が競輪ファンだった縁で、競輪選手養成のために、養成塾を開いていた小林三郎(期前)に弟子入りし、競輪に転身。日本競輪学校第20期生となる。なお、スピードスケートから転身した伊藤繁(日本競輪学校第21期生)も、小林養成塾の門下生で、一緒に競輪選手を目指して練習に励んだ間柄だった。
石本 藤雄 (いしもと ふじお、1941年3月10日 - )… 石本 藤雄 (いしもと ふじお、1941年3月10日 - )は、日本のテキスタイルデザイナー。マリメッコ社(フィンランド)のテキスタイルデザイナーとして活躍。
末延 岑生(すえのぶ みねお、1941年3月10日 - )は… 末延 岑生(すえのぶ みねお、1941年3月10日 - )は、日本の英語教育学者。兵庫県立大学名誉教授。 神戸市長田区生まれ。三菱神戸造船所で独学のカタカナ英語を使い外国から資材調達の巨額取引をしていた父・幸司の影響で英語教師を志す。中学時代にアポストロフィーの位置を誤ったりピリオドが抜けていただけで零点にされ日本式教育が誤りであると確信した。24歳の時に世界一周の旅に出、アメリカでもイギリスでも英語発音の汚さを指摘されたが、ドイツではそんなことで悩むなと励まされ、自国訛りを恥じない人々に会い、インドでもエジプトでも自分の英語が通じた。このような経験から、自らの道は正しいと確信。関西学院大学大学院教育専攻科修了。
嵩 聡久(だけ としひさ、1941年3月10日 - )は、日… 嵩 聡久(だけ としひさ、1941年3月10日 - )は、日本の経営者。長谷工コーポレーション社長、会長を務めた。北海道出身。 1963年に東京大学法学部を卒業し、同年に建設省に入省。1989年12月に大臣官房審議官を就任し、1991年7月に長谷工コーポレーションに転じ、顧問に就任し、1992年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1999年5月に社長に就任。2005年4月に会長に就任。
鬼頭 季郎(きとう すえお、1941年3月10日 - )は、… 鬼頭 季郎(きとう すえお、1941年3月10日 - )は、日本の元裁判官、弁護士(西村あさひ法律事務所カウンセル)。元内閣府情報公開・個人情報保護審査会会長。愛知県名古屋市港区南陽町出身。裁判官の鬼頭史郎は実兄。[要出典] 東京高裁ではライブドアによるニッポン放送敵対的買収事件など企業法務で著名な事件を担当。旭川地方裁判所所長時代には、組織的犯罪対策法案の骨子を盗聴法案だとして朝日新聞の読者欄に批判投稿した寺西和史判事補を厳重注意処分とした。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鳴海 広道(なるみ ひろみち、1941年(昭和16年)3月1… 鳴海 広道(なるみ ひろみち、1941年(昭和16年)3月10日 - 2020年(令和2年)12月15日)は、日本の政治家。青森県黒石市長(4期)。青森県議会議員(通算5期)。 青森県黒石市出身。日本大学法学部中退。黒石市議会議員を経て、1975年(昭和50年)の青森県議会議員選挙で初当選。1995年(平成7年)まで務める。この間、1991年(平成3年)議長に就任した。 1995年の第17回参議院議員通常選挙において青森県選挙区から自由民主党公認で立候補したが、新進党公認の山崎力に敗れた。 1998年(平成10年)6月の黒石市長選挙に出馬し、元青森県議の高樋憲を破って初当選した。 黒石市長を4期務め、2014年(平成26年)に退任した。
芝山 努(しばやま つとむ、1941年〈昭和16年〉3月9日… 芝山 努(しばやま つとむ、1941年〈昭和16年〉3月9日 - 2026年〈令和8年〉3月6日)は、日本の男性アニメーター、アニメーション演出家、アニメーション監督。亜細亜堂コンテンツ代表取締役。東京都台東区浅草出身。 浅草で4代続いた三味線付属部品の卸・販売業の次男として生まれ、母方の祖母は歌舞伎役者の髪結いをなりわいとしており、幼少期から芸事や芝居など下町文化に触れることが多かった。 埼玉県立春日部高等学校、明治大学文学部演劇学科を卒業後、演出家を志望して、東映本社のCMの企画・演出の募集に応募するも不合格。そこで「アニメーションは演出の勉強になるから」と紹介された東映動画(現:東映アニメーション)の採用試験を受けたのがアニメ業界入りのきっかけだった。
中島 尚正(なかじま なおまさ、1941年3月9日 - )は… 中島 尚正(なかじま なおまさ、1941年3月9日 - )は、日本の工学者(工学博士)。東京大学名誉教授。専門は機械工学。 東京都調布市出身。東京都立西高等学校(11期)、東京大学工学部卒。東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻博士課程修了。1969年博士論文「針金束で構成した金型・母型電極の研究 -非切削数値制御加工の一研究-」を提出し工学博士の学位を取得。2001年に東京大学工学部名誉教授の称号を得る。 東京大学工学部講師(1969年)、東京大学工学部助教授(1970年~1983年)、東京大学工学部教授(1983年~2001年)、東京大学人工物工学研究センター長(初代センター長、1992年)、東京大学大学院工学系研究科長 兼 工学部長(1998年)、OECD科学技術政策委員会副議長(1999年)、東京大学運動会理事長(2000年)を経て2001年3月で東京大学を定年退職。
安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月… 安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月9日 - 2010年(平成22年)4月30日)は、日本の政治家。公選第16代宮崎県知事。 宮崎県西都市出身。宮崎県立妻高等学校、宮崎大学学芸学部(現在の同学教育文化学部)卒業。 1964年に宮崎県に入庁。総務部人事課長、商工労働部長などを歴任。1998年には県庁を退職し翌年の宮崎県知事選に出馬するも落選。2003年には自営業者や主婦層を支持基盤とした「草の根選挙」を展開し、松形祐堯前知事の後継と目されていた民主党、社民党推薦の牧野俊雄を破り初当選を果たした。2005年10月には公約通り、副知事に元体操選手の坂佳代子が起用された。 だが、2006年11月に発覚した宮崎県官製談合事件の責任を問われ、12月1日に県議会が安藤知事の不信任決議案を賛成40票反対なし欠席2人で可決した後、事件への関与を認めることになるとして一旦は議会を解散させず自らも辞職しないという方針を表明したが、その後辞職の意思を表明し12月4日で知事職を辞職した。
小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016… 小松 幹生(こまつ みきお、1941年3月9日 - 2016年8月12日)は、日本の劇作家である。 高知県安芸市出身。1959年に高知県立安芸高等学校を卒業し、上京。1968年早稲田大学演劇科卒。以後、劇作ひとすじに、地味で寡作ながらも中味の濃い創作活動を続けている。劇団には所属せず、演出や出演も行っていない。様々な演劇賞の選考委員を務めるほか、学校演劇に使われる脚本なども執筆。演劇雑誌『テアトロ』の編集委員。日本劇作家協会常務理事。 2016年8月12日、胃癌のため死去。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小早川 隆治(こばやかわ たかはる、1941年〈昭和16年〉… 小早川 隆治(こばやかわ たかはる、1941年〈昭和16年〉3月8日 - )は、東京都出身の自動車技術者、モータージャーナリスト。小早川家当主。 日産自動車の自動車技術者の小早川元治の長男として誕生。 学習院大学理学部物理学科を卒業後、広島県の東洋工業(現:マツダ)に入社。RX-7&モータースポーツ担当主査、北米マツダ副社長などの役職を務める。 マツダを退職後はモータージャーナリストとしても活動。日本自動車研究者ジャーナリスト会議監事を務める。 出典が無い限り霞会館 1996, p. 608を参照している。
小川 晴久(おがわ はるひさ、1941年3月8日 - )は、… 小川 晴久(おがわ はるひさ、1941年3月8日 - )は、東洋思想学者、東京大学名誉教授、元二松學舍大学教授。NPO「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」名誉代表。 1941年(昭和16年、愛知県で生まれた。1959年に愛知県立時習館高等学校を卒業し、東京大学文学部に進学。東洋史学科で学び、1963年に卒業。同大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程で学び、1969年に博士課程を中退。 その後は東京女子大学助教授に就いた。1978年より韓国延世大学校国学研究所客員研究員を兼任。1980年、東京大学教養学部助教授に転じ、1988年に同大学教授昇格。2001年に東京大学を定年退官し、同大学名誉教授となった。
眞柄 泰基(まがら やすもと、1941年 <昭和16年> 3… 眞柄 泰基(まがら やすもと、1941年 <昭和16年> 3月8日 - )は、日本の工学者。北海道大学教授、学校法人トキワ松学園理事長を歴任。専門は環境衛生工学、環境リスク工学。 愛知県出身。1966年 北海道大学大学院修了。1979年工学博士。国立公衆衛生院衛生工学部長、同院水道工学部長、北海道大学大学院工学研究科教授、同大学創成科学研究機構特任教授。2001年 (平成13年) 2月 バングラデシュの飲料水のヒ素汚染について同大学研究室の学生を伴った現地調査のため現地で実証プラントによるヒ素除去の調査実験を開始。2005年同大学公共政策大学院特任教授。トキワ松学園理事長。2017年2月 給水工事技術振興財団第12回評議員会において理事長に選出された。
斯波 弘行(しば ひろゆき、1941年3月7日 - )は、日… 斯波 弘行(しば ひろゆき、1941年3月7日 - )は、日本の物理学者。専門は固体物理学。東京工業大学名誉教授。東京大学名誉教授。第69期日本物理学会会長。理学博士。 1941年3月7日、神奈川県横浜市にて生まれた。東京大学理学部物理学科を卒業後、1968年に同大学院理学研究科物理学専攻の博士課程を修了した。大阪大学理学部の助手を経て、1973年に東京大学物性研究所の助教授に着任した。1984年に同研究所の教授に昇任し、1989年に東京工業大学理学部の教授に転任した。2001年に神戸大学理学部の教授となった。2013年3月31日より、第69期日本物理学会会長を務めた。
日高壮平(ひだか そうへい、1941年3月6日 - 2004… 日高壮平(ひだか そうへい、1941年3月6日 - 2004年7月28日)は日本の大蔵官僚。血液型はO型。 東京都港区出身(父は大分県、母は富山県)。神奈川県立湘南高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1963年4月 大蔵省入省(為替局総務課)。課長補佐時代は主に主税局と国際金融局で勤務。主計局主計官(運輸、郵政、電信電話担当)、主税局税制第二課長などを経て、1986年7月 大蔵大臣事務担当秘書官。1988年6月27日 大臣官房文書課長。1989年6月23日 近畿財務局長。1990年6月29日 大臣官房審議官(大臣官房担当)。1991年6月11日 日本銀行政策委員会大蔵省代表委員。同年10月4日 大臣官房総務審議官。
加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015… 加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015年4月20日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。 東京府(現東京都)生まれ。一歳年上の姉がいる。幼稚舎から慶應義塾に通う。 1957年11月、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から神奈川県茅ヶ崎市に転居したが、これが縁で同年12月23日にアメフト部の先輩の紹介により俳優・上原謙のクリスマス・パーティーに誘われ、当時、慶應義塾大学2年生だった加山雄三に出会い、音楽面のみならず、プライベートでも親交を深めるようになる。 慶應義塾大学法学部政治学科在学中の1961年に、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成する。その後、ホリプロに所属し、清野太郎、かまやつひろしらとバンド「キャノンボール」を結成。
村田 嘉一(むらた かいち、1941年3月6日 - )は、日… 村田 嘉一(むらた かいち、1941年3月6日 - )は、日本の実業家。日立製作所名誉顧問。元日立キャピタル(現三菱HCキャピタル)代表執行役社長。 茨城日立市出身。明治大学商学部在学中の1961年、公認会計士第2次試験合格。1963年、明大卒業と同時に日立製作所入社。1991年財務部長、1997年取締役財務部長、1999年専務取締役財務部長。 2001年、前年に日立クレジットと日立リースの合併により発足した、日立グループの金融サービス中核企業である日立キャピタルの代表取締役社長に就任。日立本体の財務部門トップ出身者として、グループ内銀行の枠に留まらない多くの新規事業を手掛けた。2005年日立製作所特別顧問。
井上 治典(いのうえ はるのり、1941年3月5日 - 20… 井上 治典(いのうえ はるのり、1941年3月5日 - 2005年10月5日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、博士(法学)(神戸大学・論文博士・1993年)(学位論文「多数当事者訴訟の法理」)。甲南大学教授、神戸大学教授、九州大学教授、立教大学教授などを歴任。弁護士。 山口県下関市にて生まれる。妻と三男も弁護士である。父は「連合赤軍事件」の弁護を務めた九州大学名誉教授の井上正治(刑法・刑事訴訟法・刑事学専攻)。母方の祖父は、不破武夫(九州帝国大学法文学部刑法講座担任)。 吉村徳重を指導教官として研究生活に入る。当初の研究課題は多数当事者訴訟の研究であり、従来共同訴訟と称されていたこの分野を多数当事者訴訟という観点から再構成した。
森光 正吉(もりみつ しょうきち、1941年3月5日 - )… 森光 正吉(もりみつ しょうきち、1941年3月5日 - )は、高知県須崎市出身の元プロ野球選手。
土井 栄次(どい えいじ、1941年3月5日 - )は、日本… 土井 栄次(どい えいじ、1941年3月5日 - )は、日本の経営者。上新電機社長を務めた。広島県出身。 1963年に関西大学法学部を卒業し、同年4月に京都ダイカスト工業に入社。1972年12月に上新電機に転じ、1985年5月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1998年6月に副社長を経て、2001年10月には社長に就任。2012年6月には会長に就任。
谷 克二(たに かつじ、1941年3月5日 - )は、日本の… 谷 克二(たに かつじ、1941年3月5日 - )は、日本の小説家。狩猟冒険小説の第一人者として知られる。 宮崎県延岡市出身。本名は谷 正勝(たに まさかつ)。 1963年、早稲田大学商学部を卒業。ドイツに渡りフォルクスワーゲン社に勤務する。 その後イギリスに渡り、ロンドン大学で歴史経済学を専攻する。 帰国後、創作活動を開始し、1974年の処女作「追うもの」で第1回野性時代新人賞を受賞する。 1978年には『狙撃者』で第5回角川小説賞を受賞する。 『サバンナ』「スペインの短い夏」「越境線」が直木賞候補となる。 現在、テレビ宮崎『MIYAZAKI経済ナビ』の「わが心の宮崎」という、国内のトップ企業の中枢にいる宮崎県出身者に話を聞くシリーズにおいて、聞き手として出演している。
坂本 進一郎(さかもと しんいちろう、1941年3月4日 -… 坂本 進一郎(さかもと しんいちろう、1941年3月4日 - 2025年8月1日)は、農民・農業評論家。 仙台市荒浜南生まれ。1964年東北大学経済学部卒業。北海道東北開発公庫勤務。1969年八郎潟干拓地(大潟村)に第四次入植者として入植。農民の立場から農業問題に関し提言した。
村上 保壽(むらかみ やすとし、1941年3月4日 - )は… 村上 保壽(むらかみ やすとし、1941年3月4日 - )は、日本の倫理学者、仏教学者。博士(文学)(1995年、東北大学にて取得)。 京都府加佐郡で出生。綾部市出身。1965年東北大学文学部哲学科卒業、1967年同大学院文学研究科修士課程修了、東北大学助手、山口大学教養部助教授、1985年同大学教授。1990年高野山大学教授。総本山金剛峯寺執行・高野山真言宗教学部長を歴任。高野山大学名誉教授・高野山伝燈大阿闍梨。1995年「空海の世界と智の構造」で東北大学にて博士(文学)。元の専門はルソーなど。2022年、瑞宝中綬章受章。
井上 博一(いのうえ ひろかず、1941年3月3日 - )は… 井上 博一(いのうえ ひろかず、1941年3月3日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 秋田県大館市出身。大館鳳鳴高等学校中退。舞台芸術学院卒業。現代制作舎に所属していた。 特技は殺陣、東北弁。蜷川幸雄の「現代人劇場」に参加。 映画では市川崑作品に複数回起用されていた。 (1984年、TX / 勝プロ) ※1980年製作
數土 文夫(すど ふみお、1941年(昭和16年)3月3日 … 數土 文夫(すど ふみお、1941年(昭和16年)3月3日 - )は、JFEホールディングス第2代社長・相談役、元日本放送協会経営委員会委員長。元東京電力ホールディングス取締役会長。 富山県旧富山市の村役人を務めた家に生まれ、父は国語教師で、石動高校と新湊高校で校長を務め、婦中町教育長も務めた數土寅夫。富山県立富山中部高等学校、北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。 剛腕の経営者として知られ、為替、金利など経済・経営全般に関する発言も見られる。中国の古典を愛読。兄の直方はエスエス製薬名誉会長。東京大学工学部を卒業し、泰道照山の三女と結婚した。弟の数土武夫も東京大学工学部卒で、同仁医薬化工社長、エスエス製薬取締役を務めた。
徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月3日〈戸籍上は3… 徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年3月3日〈戸籍上は3月10日〉 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ニュースキャスター。日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問、日本司会芸能協会顧問、海原会(学校法人海城学園OB会)会長。オフィス ラ・メール所属。マネジメントはソニー・ミュージックアーティスツと業務提携。元日本テレビアナウンサー。
西田 利貞(にしだ としさだ、1941年〈昭和16年〉3月3… 西田 利貞(にしだ としさだ、1941年〈昭和16年〉3月3日 - 2011年〈平成23年〉6月7日)は、日本の霊長類学者。京都大学名誉教授。日本モンキーセンター所長を務めた。 京都府出身。霊長類研究の第一人者として知られ、主にチンパンジー研究に携わった。ホミニゼーション(ヒト化)に関する著作もある。 伊谷純一郎に師事し、当初はニホンザルのオスと群れの関係を調査した。この研究によって、野生下においては、ニホンザルのオスは成長すると出自の群れから離れることが一般的であり、非出自群に受け入れられること、そして何年かの滞在後その群れから離れるというライフヒストリーを描くことが明らかになった。 1965年からタンザニアのマハレ山塊で野生チンパンジーの調査に着手し、1966年に餌付けに成功した。
松平 信久(まつだいら のぶひさ、1941年3月3日 - 2… 松平 信久(まつだいら のぶひさ、1941年3月3日 - 2021年5月20日 )は、日本の教育学者。専門分野は教育心理学、教授学、児童文化論、教師教育論。学校法人立教学院学院長、立教大学名誉教授。 1941年、東京都府中市に生まれる。1963年立教大学文学部を卒業。1963年から1966年にかけての3年間、東京都八丈小島の八丈町立鳥打小中学校に、小学校教諭として赴任。 その後大学院に戻り、1968年に立教大学大学院文学研究科心理学専攻修士課程を修了。1975年に文学部助教授、1982年教授。キリスト教教育研究所所長、立教大学文学部教育学科長、立教高等学校校長、立教新座中学校・高等学校校長などを歴任。
木村 一童(きむら いちどう、本名:入枝 政次、1941年3… 木村 一童(きむら いちどう、本名:入枝 政次、1941年3月3日 -没年不詳)は大相撲の元三役格行司。春日野部屋→北の湖部屋所属。長崎県五島市出身。血液型O型。 1958年5月場所に木村 真佐也の名で初土俵。1972年3月場所に木村 孔一と改名。以後三役格まで進み、2005年11月場所よりに木村一童と改名する。 能の研究家でもあったため、それゆえ所作は非常に凝っていた。また、掛け声や呼び上げ、口上にもその影響が見られ、美声には定評があった。一童の行司ぶりだけを見に来る客もいたと言う。 三段目格時代の1963年1月場所では木村浩士(のち幕下格)を、幕下格行司時代の1974年1月場所(当時の武藏川理事長よって行司選抜制度が導入された場所)では木村忠雄(のちの三役格・10代式守錦太夫)を抜いたが、いずれも年齢差調整や相手の差し違え数によるものであり、1975年3月場所では式守勝治(のちの11代式守与太夫→34代木村庄之助)及び再び忠雄に序列で抜かれている。
水野 耕太郎(みずの こうたろう、1941年3月1日 - )… 水野 耕太郎(みずの こうたろう、1941年3月1日 - )は、東邦ガス代表取締役元会長。愛知県出身。 1963年名古屋大学法学部卒業後、東邦ガス入社。人事部長、企画部長等を経て代表取締役社長。2008年早川敏生会長と相談の上、後任の社長に佐伯卓を据え、社長を退任、会長に就任。中部経済同友会代表幹事。2008年12月より愛知県公安委員会委員長。
肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日… 肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日 - )は、日本の児童文学作家、政治家、薬剤師。大阪樟蔭女子大学教授、文字・活字文化推進機構理事長。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)を歴任。 大阪府大阪市出身。大阪府立大手前高等学校を経て 1965年に大阪薬科大学卒業。1965年、白水貿易株式会社 歯科医療器入社。1975年、薬局開業。1979年に「先生しごいたる」で児童文学作家としてデビュー。1981年、川村たかし・那須正幹ら児童文学創作集団「亜空間」の結成に参加。 1989年の第15回参議院議員通常選挙において日本社会党公認で比例区より立候補し初当選。1991年、社会党シャドーキャビネット文化政務次官に就任。
久代 信次(くしろ しんじ、1941年3月1日 - )は、日… 久代 信次(くしろ しんじ、1941年3月1日 - )は、日本の実業家。株式会社東京ドーム代表取締役会長。 1941年3月1日、東京府出身。1965年に中央大学卒業と同時に後楽園スタヂアム入社。入社以後は財務・経理畑を中心に歩む。 1995年に株式会社東京ドーム常務取締役就任。その後は子会社の後楽園不動産社長なども務め、専務執行役員に昇格する。 2009年に林有厚の後を受けて東京ドーム代表取締役社長に就任。その他には野球殿堂博物館理事、 中央大学学員会東京文京区支部副会長を務めている。 2015年2月24日付で、第6代日本ボクシングコミッション会長・コミッショナーに就任した。 2016年4月に東京ドーム代表取締役社長を退任し、会長に就任。
若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007… 若浪 順(わかなみ じゅん、1941年3月1日 - 2007年4月16日)は、茨城県猿島郡七郷村(のち同郡岩井町→岩井市、現・坂東市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は冨山 順(とみやま じゅん)。最高位は東小結(1968年5月場所)。現役時代の体格は178cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、うっちゃり。 引退後は、年寄・大鳴戸から同・玉垣を襲名した。 実家は農家で土地相撲の大関を務めた父に似たのか、幼少の頃から怪力で、小学生の時に米俵を持ち上げ兄弟達を驚かせていた。自身の証言によると、米俵を担いだのは中学1年生の頃であり、2年生の時には80㎏の墓石を持ち上げた。兄弟はみな力が強く、冨山も野球、柔道、走り高跳び、砲丸投げで体を鍛えた。
池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日… 池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元調教師、元騎手で現在は競馬評論家、馬主である。 騎手時代には「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝、うち重賞で17勝を挙げた。代表的騎乗馬にはヤマピットがいる。1979年に調教師へ転身、メジロデュレンによる菊花賞を始めとして数々のGI級競走を制し、1994年にJRA顕彰馬に選出されたメジロマックイーン、日本生産馬として初めて国外の国際GI競走を制したステイゴールド、2005年に中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成したディープインパクト(JRA顕彰馬)など、数々の活躍馬を手掛けた。2011年に調教師引退。
瀬戸上 健二郎(せとうえ けんじろう、1941年3月 - )… 瀬戸上 健二郎(せとうえ けんじろう、1941年3月 - )は、日本の医師(外科)。鹿児島県肝属郡東串良町出身。志布志高等学校、鹿児島大学医学部出身。 1941年、鹿児島県出身。志布志高等学校、鹿児島大学医学部卒業。 1972年から国立療養所南九州病院で外科医長を務め、1978年、下甑島の下甑村大字手打(現在の薩摩川内市下甑町手打)にある下甑村手打診療所に所長として赴任し、2017年3月まで38年間、離島医療に尽力 専門は胸部外科であり肺ガン等の離手術も手打診療所で成し遂げ、専門外の内科、産婦人科、獣医も幅広い分野の医療を施すことが出来る。他村の診療所との「診診連携」、インターネットを活用した医療連携等々、離島、僻地医療にも携わっている。
唐木 圀和(からき くにかず、1941年3月 - )は、日本… 唐木 圀和(からき くにかず、1941年3月 - )は、日本の経済学者。専門は国際経済学、開発経済学。慶應義塾大学名誉教授。 1941年3月に東京市四谷区に生まれる。1947年に文京区立元町小学校を卒業、1956年に文京区立第四中学校を卒業、1959年に東京都立小石川高等学校を卒業する。1963年に慶應義塾大学商学部を卒業、1965年に同大学大学院商学研究科修士課程を修了、1968年に同博士課程を単位取得退学する。1965年に慶應義塾大学商学部助手となり、1972年に同助教授、1984年に同教授となる。1970年から2年間米国のフレッチャー・スクールを、1986年から2か月間中国復旦大学を訪問している。
坂巻 清(さかまき きよし、1941年3月 - )は、日本の… 坂巻 清(さかまき きよし、1941年3月 - )は、日本の歴史学者、東北大学名誉教授。専門はイギリス社会経済史。東北大学経済学部教授、立正大学文学部史学科教授を歴任。 東京大学文学部西洋史学科卒。イギリス都市史、毛織物工業史、産業革命などについて研究。イギリスの近世期の都市が工業化、国民経済形成や近代社会成立に果たした役割について研究し、さらに産業革命がどのように開始されたかについても論じている。主要な研究は、中世から近世にわたる、ロンドンのギルドとリヴァリ・カンパニーの展開についての実証的な研究であり、ロンドンがイギリスの農村工業の発展に結びつき、全国的な規模で都市と農村を結合しつつ、国民経済形成の中心となったことを示した。
谷光 太郎(たにみつ たろう、1941年3月 - )は、日本… 谷光 太郎(たにみつ たろう、1941年3月 - )は、日本の経営学者。元大阪成蹊大学教授。 香川県出身。1963年東北大学法学部卒業、同年三菱電機株式会社入社、LSI開発研究計画部参事などを経て、1994年山口大学経済学部教授、2004年大阪成蹊大学現代経営情報学部教授。2011年退職。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
松村 弓彦(まつむら ゆみひこ、1941年3月 - )は、日… 松村 弓彦(まつむら ゆみひこ、1941年3月 - )は、日本の法学者、弁護士。専門は環境法、医事法、民事法。川崎製鉄理事を経て、明治大学法学部教授を務めた。 1963年一橋大学法学部卒業、川崎製鉄(現JFEスチール)入社。川崎製鉄理事を経て、1993年杏林大学保健学部専任講師。1995年杏林大学保健学部助教授。1998年明治大学法学部助教授。2000年明治大学法学部教授。2002年『ドイツ土壌保全法の研究』により、高橋滋・松本恒雄・山田洋の審査で、博士(法学)(一橋大学)の学位を取得。2004年明治大学大学院法務研究科教授兼任。2011年第二東京弁護士会弁護士登録。専門は環境法、医事法、民事法。
大橋 孝至(おおはし たかよし、1941年3月 - 2009… 大橋 孝至(おおはし たかよし、1941年3月 - 2009年3月9日)はマツダスピードの専務取締役、レース監督である。
菊川 剛(きくかわ つよし、1941年2月27日 - )は、… 菊川 剛(きくかわ つよし、1941年2月27日 - )は、日本の実業家である。2001年(平成13年)から2011年(平成23年)までオリンパスの社長を務めた。 1941年(昭和16年)、日本発送電に勤務していた父・博と、母・花子の長男として愛媛県西条市に生まれた。愛知県守山町小幡小学校、振甫中学、旭丘高校を経て、慶應義塾大学法学部に進学した。 大学を1963年(昭和38年)卒業し、中堅商社の関連会社に入ったが、配属されたのは倉庫係。荷物を運ぶ日々が続き、転職先を探した。大学卒業の翌年1964年(昭和39年)10月にオリンパス光学工業に入社。1977年(昭和52年)、アメリカに同年設立された販売子会社であるオリンパス・カメラ・コーポレーションに出向し、ロサンゼルス勤務を経て、翌1978年(昭和53年)にニューヨーク州ロングアイランドに着任。
アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - … アントニオ古賀(アントニオ こが、1941年2月26日 - )は、日本人ギタリスト、歌手、編曲家。東京国際大学人間社会学部客員教授。 ギター演奏や、ピアノ、ギター寄贈などの活動を通してキューバとの親善交流を精力的に行っている。 1941年2月26日、東京都出身。本名は伊東 貞行(いとう さだゆき)。 1949年に日比谷公会堂で催された「古賀政男ショー」を母親と観劇した。このショーの1部と2部の幕間に日本でセゴビア奏法をマスターした唯一のギタリストといわれる[要出典]阿部保夫が出演した。阿部の弾いたギターソロ「荒城の月」を聞いて母親に「ギターをやりたい」と懇願する。当時通っていた小学校の担任に母親が相談し、当時開いていた阿部のギター教室を探し当て阿部に弟子入りし、クラシックギターを学ぶ。
梶田 正巳(かじた まさみ、1941年2月26日 - 201… 梶田 正巳(かじた まさみ、1941年2月26日 - 2016年1月29日)は、日本の教育心理学者、名古屋大学名誉教授。
布施 勉(ふせ つとむ、1941年2月25日 - 2024年… 布施 勉(ふせ つとむ、1941年2月25日 - 2024年7月8日)は、日本の国際法学者。法学博士(中央大学)で、2008年から2014年まで横浜市立大学学長を務めた。弟に歌手で俳優の布施明がいる。 東京都出身で都立国立高校を経て中央大学法学部を卒業後に大学院博士課程で学ぶ。 日本の国際海洋法草分けの一人とされる。国際海洋法学会理事・企画評議会議長として海洋法の発展に国際的な貢献をした。 テレビ神奈川(tvk)で番組審議会委員を務めたことがあるがテレビ、ラジオの報道番組や情報番組のキャスターやコメンテーター、タレント活動は行ったことはない。
鹿内 孝(しかうち たかし〈本名では「しかない たかし」と読… 鹿内 孝(しかうち たかし〈本名では「しかない たかし」と読む〉、1941年2月25日 - )は、日本の俳優、歌手、アーティスト。ケイダッシュ所属(デビュー当時は渡辺プロダクション)。千葉県市川市出身。血液型はB型。
田中 昌彦(たなか まさひこ、1941年2月24日 - )は… 田中 昌彦(たなか まさひこ、1941年2月24日 - )は、東京都出身の空手家。日本空手協会八段・前副首席師範・現技術局顧問IAKF世界大会の第一回、二回の優勝者。 東京都出身。父親の仕事の都合で小学生、中学生時代は日本各地へ転校を繰り返す。中学時代は柔道に明け暮れ、高校一年を京都の立命館高等学校で過ごした後、二年生から東京の日本大学鶴ヶ丘高等学校へ転校、ラグビー部を創設し右のロックで活躍する。 日本大学経済学部にラグビー推薦で入学、大学一年生の時に父親を亡くし、林業を専門に勉強するため二年生の時に農獣医学部に転部、在学中に日本空手協会本部の四谷道場に通う。日本大学空手部にも入部。 大学卒業後会社員となり、その後、31歳の時、空手の指導員としてデンマークに渡った。
藤井 俊一(ふじい しゅんいち、1941年2月24日 - )… 藤井 俊一(ふじい しゅんいち、1941年2月24日 - )は、日本の経営者。不二家、ネスレ日本各社長を務めた。 神奈川県出身。1964年に慶應義塾大学商学部を卒業し、1966年に不二家に入社。 1979年6月に取締役に就任し、1988年6月に常務を経て、1989年6月から1995年1月までに社長を務めた。1996年4月にネスレマッキントッシュ社長に就任し、1999年1月に会長とネスレ日本副社長を経て、2001年4月にはネスレ日本社長に就任。2003年6月に会長に就任。
高井 英幸(たかい ひでゆき、1941年(昭和16年)2月2… 高井 英幸(たかい ひでゆき、1941年(昭和16年)2月24日 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。東宝社長、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事、ユニジャパン理事長などを務めた。東京都出身。
桑山 博之(くわやま ひろゆき、1941年〈昭和16年〉2月… 桑山 博之(くわやま ひろゆき、1941年〈昭和16年〉2月24日 - 2022年〈令和4年〉10月30日)は、日本の政治家、元岡山県津山市長(1期)。岡山県議会議員(自由民主党)。位階は正五位。旭日中綬章受章。 岡山県出身。立命館大学法学部卒業。行政書士、司法書士の資格を取得。津山市議会議員を2期務め、1983年、岡山県議会議員に初当選。6期務め、議長も務めた。2006年1月、津山市の再開発ビル「アルネ・津山」への税金投入が批判を浴び、津山市長・中尾嘉伸の解職(リコール)が成立。同年3月に行われた津山市長選挙に立候補し、前職の中尾らを破って当選した。津山市長を1期務め、2010年の選挙では元津山市職員の宮地昭範に敗れ、落選した。