近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11… 近藤 紘一(こんどう こういち、1940年(昭和15年)11月27日 - 1986年(昭和61年)1月27日)は、日本のジャーナリスト、作家。サンケイ新聞編集委員。サイゴン支局長として赴任した際にはベトナム戦争を取材し、サイゴン陥落を目撃した。東京府出身。 祖父、父と2代続いた医師の家の長男として東京大学医学部附属病院で生まれる。父・台五郎は、東京女子医科大学教授などを務め、ファイバースコープの開発にも貢献した。 湘南・逗子で育ち、進学した神奈川県立湘南高等学校では、万葉集などの日本の古典やサルトルなどのフランス文学に親しんだ、なかでも大河小説『チボー家の人々』に感銘を受け、早稲田大学仏文専修に入ったのも、訳者の山内義雄を慕っての選択だった。
吉川 春子(よしかわ はるこ、1940年11月26日 - )… 吉川 春子(よしかわ はるこ、1940年11月26日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の元参議院議員(4期)。 2007年2月21日、マイク・ホンダがアメリカ合衆国下院121号決議を成立させる動きに連動し、米議会の公聴会で慰安婦を名乗り証言した李容洙を招いて開催した集会に参加。円より子は「現在、『促進法案(戦時性的強制被害者問題解決促進法案)』が(審議されず)吊るしっぱなしになっている。法案を通過させ被害者の名誉を回復したい。そのために通常国会で審議されるよう努力していく」と述べた。岡崎トミ子は『(被害者の証言は)日本の国会がすべきこと。米国で先に実現し恥ずかしく思う。日本がアジアで尊敬される国になるには戦争加害責任をきちんととって周辺の国々と友好を深めていかなければならない』と述べた。
中野 寛成(なかの かんせい、1940年〈昭和15年〉11月… 中野 寛成(なかの かんせい、1940年〈昭和15年〉11月26日 ‐ )は、日本の政治家。 衆議院議員(11期)、大阪府豊中市議会副議長、民社党書記長、新進党政策審議会長、新党友愛代表(初代)、民主党幹事長、衆議院副議長(第62代)、国家公安委員会委員長(第84代)、拉致問題担当大臣(菅直人再改造内閣)、公務員制度改革担当大臣(菅直人再改造内閣)などを歴任した。 現在[いつ?]は、大阪民社協会常任顧問、吉本興業特別顧問、世界連邦運動協会会長代行、関西大学政治学会顧問を務めている。 長崎県長崎市生まれ。4歳の時に原爆投下を経験している。後に大阪府へ転居し、大阪府立豊中高等学校、関西大学法学部卒業。
琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 -… 琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ、1940年11月26日 - 2007年8月14日)は、鳥取県東伯郡倉吉町(のちの鳥取県倉吉市)出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。第53代横綱。本名は鎌谷 紀雄(かまたに のりお)。 1940年11月26日に、鳥取県倉吉町の借家地で警察官の子として誕生する。倉吉町立成徳小学校を卒業後、倉吉町立東中学校時代に実父から柔道を仕込まれ、本来は中学生では取得を認められていない段位を特例で認めてもらうほどの腕前にまで上達する。偶々柔道の全国大会のTV中継を見てその才能を見出し、そうして鳥取にやって来た佐渡ヶ嶽から熱心に勧誘されたが、周囲に反対されるもののどうにか了解を得て佐渡ヶ嶽部屋に入門、1959年1月場所に初土俵を踏んだ。
河津 光朗(かわず こうろう、1940年11月25日 - )… 河津 光朗(かわず こうろう、1940年11月25日 - )は、日本の陸上競技選手である。 京都市立洛陽工業高等学校工業化学科卒業後、日本大学に入学。日本大学卒業後、日本レイヨン(現在のユニチカ)に入社し競技を続ける。 1964年東京オリンピックで男子走幅跳に出場した。
池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 20… 池内 紀(いけうち おさむ、1940年11月25日 - 2019年8月30日)は、日本のドイツ文学者、エッセイスト、翻訳家。 カフカを中心にドイツ文学の評論・翻訳が専門。旅行記や人物伝、大衆芸能と幅広く文筆活動を行う。著書に『ウィーンの世紀末』(1981年)、『海山のあいだ』(1994年)、『カント先生の散歩』(2016年)など。 兵庫県姫路市出身。姫路市立城北小学校卒業。兵庫県立姫路西高等学校卒業、東京外国語大学外国語学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。神戸大学講師、旧:東京都立大学助教授、1986年東京大学文学部助教授を経て、1990年に教授。定年前の1996年に早期退官。
植村 孝(うえむら たかし、1940年11月25日 - )は… 植村 孝(うえむら たかし、1940年11月25日 - )は、日本の詩人。兵庫県姫路市生まれ。
山内 ジョージ(やまうち ジョージ、1940年11月24日 … 山内 ジョージ(やまうち ジョージ、1940年11月24日 - 2025年2月27日)は、日本の漫画家、文字絵作家。日本児童出版美術家連盟会員、東アジア文化支援プロジェクト事務局長。山内 譲二名義による作品もある。本名は山内 紀之(やまうち のりゆき)。 日本の租借地であった関東州(現在の中華人民共和国遼寧省)大連市で、関東局勤務の警察官の家庭に生まれる。1945年、日本の第二次世界大戦敗戦に伴い収容所生活を送った後、1947年に日本へ引き揚げ、父の郷里の宮城県登米市で育つ。小学校5年生の時、手塚治虫と文通。中学校2年生の時、小野寺章太郎(石ノ森章太郎)と知り合う。宮城県佐沼高等学校卒業。 上京後、1960年9月から1962年3月までトキワ荘に住み、石森章太郎や赤塚不二夫のアシスタントを経て独立。
石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - … 石川 嘉延(いしかわ よしのぶ、1940年11月24日 - )は、日本の自治官僚、政治家、行政学者(専門は地方自治)。勲等は旭日大綬章。日本大学国際関係学部客員教授。「嘉延」の読みは「よしのぶ」が正式だが、「かえん」と呼ばれることもある。 静岡県知事(第49〜52代)、内閣府中央防災会議委員、地震調査研究推進本部政策委員会委員、全国知事会理事・災害対策委員会委員長、学校法人静岡文化芸術大学理事長などを歴任した。 日本統治時代の台湾生まれ。両親はいずれも静岡県出身の日本人だが仕事の都合で台湾に滞在しており、石川は生後5年間を台湾で過ごした。1945年の終戦にともない、家族の故郷である静岡県小笠郡佐束村(現掛川市)に引き揚げた。
石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - … 石川 陽造(いしかわ ようぞう、1940年11月24日 - )は、愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身の元プロ野球選手(投手)。
松本 元(まつもと げん、1940年11月24日 - 200… 松本 元(まつもと げん、1940年11月24日 - 2003年3月9日)は日本の脳科学者。神経細胞が巨大で観察しやすいヤリイカの人工飼育法の開発、神経細胞の研究、脳型コンピュータの開発を手掛けた。
原口 幸市(はらぐち こういち 1940年11月24日 - … 原口 幸市(はらぐち こういち 1940年11月24日 - 2009年10月4日)は、日本の元外交官、官僚。
たこ 八郎(たこ はちろう、1940年〈昭和15年〉11月2… たこ 八郎(たこ はちろう、1940年〈昭和15年〉11月23日 - 1985年〈昭和60年〉7月24日)は、日本の元プロボクサー・コメディアン、俳優。本名は斉藤 清作(さいとう せいさく)。 元日本フライ級王者。俳優活動では太古 八郎、多胡 八郎、多古 八郎、タコ 八郎などの名義も用いた。 座右の銘は「迷惑かけてありがとう」。 宮城県仙台市新田(現宮城野区)の農家に、8人兄弟の次男(第4子)として生まれる。少年時代に友達と泥んこの投げ合いをしていて、泥が左眼に当たったことが原因で左眼の視力をほとんど失う。すぐに病院に行き治療すれば失明はしなかったと言われたが、少年時代は裕福な家庭ではなかったため、病院に行けば親に迷惑がかかると思い黙っていたと後に語っている。
佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 20… 佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 2016年7月31日)は、日本の歴史学者。位階は従四位。 京都大学名誉教授。専門は日本近代政治史。秋田県大仙市出身。 立教大学文学部において大久保利謙の指導を受けた。国立国会図書館司書補佐として、憲政資料室において「三条実美関係文書」や「広沢真臣関係文書」の整理や目録編纂を行う。1977年に京都大学人文科学研究所助教授となり、1988年に教授に昇任。2004年に定年を迎える。幕末・維新から自由民権期にかけての政治史や人物史を中心に多数の著書・論文を執筆したほか、『大津市史』など自治体史編さんにも参画した。また2000年から2004年まで明治維新史学会会長を務めている。
竹本 直一(たけもと なおかず、1940年11月23日 - … 竹本 直一(たけもと なおかず、1940年11月23日 - )は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自民党大阪府連会長。元財務副大臣(第3次小泉改造内閣)。
時政勗(ときまさ つとむ、1940年11月23日- )は、日… 時政勗(ときまさ つとむ、1940年11月23日- )は、日本の経済学者、広島修道大学名誉教授。 山口県生まれ。1964年九州大学経済学部卒業、69年同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。83年「最適成長論の基礎」で経済学博士。西南学院大学経済学部講師・助教授・教授、佐賀大学経済学部教授、広島修道大学経済科学部教授、人間環境学部教授。2012年定年、名誉教授。専門は環境経済学、資源経済学、マクロ経済学。
加地 隆雄(かじ たかお、1940年11月23日 - 201… 加地 隆雄(かじ たかお、1940年11月23日 - 2015年1月13日)は、日本の実業家。千葉県富津市出身。 1960年に定時制高校を卒業後、電通に入社し同社の横浜支社に配属された。当時の人事部長から「学費は出すから大学へ入れ」と言われ、駒澤大学経済学部に入学。業務の傍ら学業もこなし、駒大を卒業した。1985年より横浜支社次長。 1990年に長年務めた横浜支社を離れ東京本社営業部に転勤し、営業局局次長や営業統括局主幹を歴任。1996年に電通子会社でドラマ制作会社の「C.A.L.」の代表取締役に。同社では人気時代劇「水戸黄門」の制作に携わった他、1997年に岡田茂東映会長に働きかけ、時代劇コンテンツ推進協議会を設立した。
大木 淳吉(おおき じゅんきち、1940年11月23日 - … 大木 淳吉(おおき じゅんきち、1940年11月23日 - 1996年12月13日)は、日本の映画監督。別名:大木 淳。法政大学経済学部卒。 1964年、サンケイ映画社でのドキュメンタリーなどを経て円谷特技プロダクションに入社。円谷英二に師事し、『ウルトラQ』で本編班演出部助監督と『マグマ大使』で特撮助監督、『ウルトラマン』で特撮班助監督を手掛け、『快獣ブースカ』で特殊技術デビュー。 実相寺昭雄とコンビを組むことが多く(『無常』『曼陀羅』などでは助監督にもついている)、デビュー作の『ウルトラセブン』第8話「狙われた街」、現在欠番作品となった第12話「遊星より愛をこめて」のほか、映画『帝都物語』(1988年、東宝)のビジュアルスーパーバイザー、『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』の特技監督を手がけた。
大坪 元雄(おおつぼ もとお、1940年11月23日 - )… 大坪 元雄(おおつぼ もとお、1940年11月23日 - )は、おもに関西地方を中心に活動する競馬評論家。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)生まれ。 遠戚にホースニュース・馬のオーナーがいた縁で1958年に同社へ入社。1958年9月、同社の関西進出に伴い異動。1964年に東京へ戻ってから本紙予想を任される。その後競馬ブックに移籍し同社のトラックマンを経て、2011年現在はフリー。ただし新聞関係は引き続き競馬ブックと専属契約を結ぶ。 長らくラジオNIKKEI(旧・ラジオたんぱ)毎週土曜日午後の『中央競馬実況中継・第2放送(現在は同題名第2部)』と、関西テレビ『DREAM競馬』(旧題・ドリーム競馬)のメイン解説を務め、JRAが大レース前に場内放送する調教ビデオ(関西開催のものに限る)の解説も担当。
野崎 国昭(のざき くにあき、1940年11月22日 - … 野崎 国昭(のざき くにあき、1940年11月22日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1963年に中央大学商学部を卒業し、同年9月に北越銀行に入行した。1995年6月に取締役に就任し、1998年6月に常務、2001年6月に専務を経て、2003年4月から2007年6月までに頭取を務めた。 2017年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - … 中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - ) は、日本の工学者。専門は電子工学。東北大学名誉教授。東北大学電気通信研究所所長や、岩手県立大学学長、映像情報メディア学会会長、公立大学協会副会長、全国公立短期大学協会副会長等を歴任した。 東京府生まれ。父は岩手県滝沢村出身のエンジニア。中学校から岩手県盛岡市で過ごし、1959年岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1963年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。指導教官は岩崎俊一だが、永井健三も君臨していた。 1968年東北大学電気通信研究所助手。1971年東北大学電気通信研究所助教授。1987年東北大学電気通信研究所教授。
鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 20… 鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 2016年5月7日)は、日本の政治家。元群馬県みなかみ町長(1期)、元新治村長(5期)。利根沼田地域の「水源地特区」を目指し、『みなかみ水源地構想』を提唱していた。 群馬県利根郡新治村に農家の長男として生まれ、兼業農家として生計を立て30歳で村議会議員に初当選、47歳で新治村長。「農村公園構想」を策定し、「道の駅たくみの里・遊神館・フルーツ公園・まんてん星の湯」を事業化して、都市と農村の交流インフラを整備した。また「でんでこ座・三国館」・民話と紙芝居の家を建設し、芸術と文化の香る村づくりを推進。平成の大合併に取り組み、利根西部合併協議会長として実現。
秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は… 秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は、日本の通産官僚。内閣法制局総務主幹、内閣法制局第四部部長、内閣法制局第二部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、財団法人新エネルギー財団会長などを歴任した。東京府出身。 1963年から通商産業省で、通商政策局通商調査課、機械情報産業局計量課、貿易局為替金融課、産業政策局調査課にて、それぞれ課長を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第四部、第二部、第一部にてそれぞれ部長を務めるなど、要職を歴任した。1999年には内閣法制次長に就任した。2002年には津野修の後任として内閣法制局長官に就任し、第1次小泉内閣から第2次小泉内閣にかけて同職を務めた。
広野 翼(ひろの まもる、1940年11月21日 - )は、… 広野 翼(ひろの まもる、1940年11月21日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(外野手)。実弟は元プロ野球選手(中日,西鉄,巨人でプレー)の広野功。
秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は… 秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は、東京出身の元内閣法制局長官。元通産官僚。
園部 孝(そのべ たかし、1940年11月21日 - 200… 園部 孝(そのべ たかし、1940年11月21日 - 2003年10月28日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。愛知県出身。 1964年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社。海外勤務を経て、1999年6月に三菱自動車工業常務に就任し、副社長を経て、2000年11月に社長に就任。社長在任時には、ダイムラークライスラーとの資本提携交渉に携わり、経営再建計画であるターンアラウンド計画を推進し、会社の立て直しに尽力した。2002年からは会長を務めた。 2003年10月28日急性心不全のために死去。62歳没。
宇仁 貫三(うに かんぞう、1940年11月21日 - 20… 宇仁 貫三(うに かんぞう、1940年11月21日 - 2019年1月10日)は、日本の殺陣師、俳優である。兵庫県尼崎市出身。 高校を卒業後、宝塚映画製作所に入り、俳優として修行する。黒澤明監督作品などの映画出演を経て、殺陣師久世竜の弟子となる。三船プロダクションに籍を置いた後独立し、時代劇と現代劇の映画・舞台・テレビドラマを多く手掛ける。剣道2段、居合道2段の腕前を持つ。弟子に寺島進がいる。 長年東京の撮影所作品での担当が多かったが、東宝の作品を長年監督していた高瀬昌弘が松竹京都で鬼平を撮影するにあたり、「太陽にほえろ!」や「江戸シリーズ」などで共に仕事をした宇仁を東京から呼びよせ、以降「剣客商売」などの松竹撮影所の作品にも関与している。
谷 順二(たに じゅんじ、1940年11月20日 - 201… 谷 順二(たに じゅんじ、1940年11月20日 - 2012年8月27日) は、日本の機械工学者。東北大学名誉教授。元東北大学流体科学研究所所長。元日本AEM学会副会長。 1963年金沢大学工学部機械工学科卒業、金沢大学工学部助手。1966年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1969年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士。 東北大学高速力学研究所講師。1971年東北大学高速力学研究所助教授。1974年東北大学高速力学研究所教授。1989年東北大学流体科学研究所教授。 1990年日本AEM学会副会長。1992年日本機械学会機械力学・計測制御部門副部門長。1993年日本機械学会機械力学・計測制御部門部門長。
八束 和廣(やつづか かずひろ、1940年11月20日 - … 八束 和廣(やつづか かずひろ、1940年11月20日 - )は、日本の裁判官、弁護士。福岡高等裁判所部総括判事判事、福岡家庭裁判所長、横浜家庭裁判所長等を歴任した。 愛媛県出身。1963年日本大学法学部卒業。1967年裁判官任官。主に刑事事件を扱い、浦和地方裁判所熊谷支部長、松江地方裁判所長、福岡高等裁判所部総括判事、福岡家庭裁判所長、横浜家庭裁判所長等を歴任した。2011年春の叙勲で瑞宝重光章受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
藤 ひさし(ふじ ひさし、1940年11月19日 - )は、… 藤 ひさし(ふじ ひさし、1940年11月19日 - )は、日本の映像作家、美術コンテンツ・プロデューサー。東京西麻布生まれ。本名は遠藤 欽久(えんどう よしひさ、一般社団法人日本美術アカデミー理事)。 中央大学フランス文学科を卒業後、会社員を経て映像制作会社を設立。ルーブル、プラド、エルミタージュ等、海外の有名美術館と直接交渉し、主要な所蔵作品をハイビジョン映像にて撮影。『世界の美術館』(ビデオ全18巻。後にレーザーディスク、DVD版も)として1991年に発売。以後、DVDやテレビ番組など美術関連の映像制作物の脚本・プロデュース、美術関連書籍の執筆など幅広く活躍。(参考資料:書籍の著者紹介、作品の制作資料)
梅津 龍太郎(うめづ りゅうたろう、1940年11月19日 … 梅津 龍太郎(うめづ りゅうたろう、1940年11月19日 - )は、徳島県徳島市出身のラジオパーソナリティ。オフィス・ユー・アイ代表取締役。愛称は龍ちゃん。 高校卒業後に、東京都の栄養専門学校に進学した。 21歳で徳島県に戻った。 関西テレビ・テレビ愛媛の記者、カメラマンを経てフリーとなる。その後、四国放送「おはようとくしま」のキャスターを昭和58年(1983年)4月から平成3年(1991年)3月の8年間にわたり務める。キャスターの退任後は朝日放送や西日本放送のラジオ番組に出演。また、特定非営利活動法人徳島フィルムコミッションの代表を務め、山田洋次監督「虹をつかむ男」、藤竜也主演「村の写真集」、渡辺謙主演「沈まぬ太陽」、マシュー・バーニー監督で世界の歌姫ビョーク主演「拘束のドローイング」の映画4本と「土曜ワイド劇場」、「女と愛とミステリー」など15本のテレビドラマを徳島に誘致し、撮影協力する他、山田洋次映画祭、脇町映画祭を企画、運営。
成田 純治(なりた じゅんじ、1940年11月18日 - )… 成田 純治(なりた じゅんじ、1940年11月18日 - )は博報堂代表取締役社長。東京都出身。
野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )… 野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )は、日本の実業家。三菱電機相談役。元産業技術総合研究所理事長。 1940年に鹿児島県で生まれる。出水市出身。1965年京都大学大学院理学研究科修士課程修了。同年に三菱電機に入社後、一貫して研究開発畑を歩き、2002年4月に代表取締役社長に就任。重電分野に経営資源を集中する「選択と集中」を進め、2002年3月期には780億円の連結最終赤字を計上した業績を、純利益で業界1位に回復させた。 知的財産権に関する見識が高く、総合科学技術会議知的財産戦略専門調査会専門委員、産業構造審議会知的財産政策部会委員、工業所有権審議会委員、日本経済団体連合会知的財産委員会委員長、日本知的財産協会会長、内閣官房知的財産戦略本部本部員を務めた。
久高 正之 空観(ひさたか まさゆき くうかん、1940年1… 久高 正之 空観(ひさたか まさゆき くうかん、1940年11月18日 - )は少林寺流拳行館空手道を主宰する空手家。 清和源氏子孫であり、少林寺流拳行館空手の 久高幸利の息子。 彼は3歳で柔道と空手を始め、13歳になるまでに両方の分野で初段を取得した。 彼は1961年と1962年に全日本オープン空手道選手権と1958年から1962年に少林寺流拳行館選手権を勝ち取る。彼は日本大学に進学し卒業までに四段に、柔道や空手は五段を取得。 久高正之はニューヨーク市 (1964)とモントリオール (1967)の世界博覧会で日本代表となる。 コロンビア大学 、ニューヨーク州立大学 、 マギル大学 、 ロヨラカレッジ 、 カナダ国立劇場学校 、少林寺流拳行館空手道のカナダ本部で空手道を指導した。
小坂 照男(こさか てるお、1940年11月18日 - 20… 小坂 照男(こさか てるお、1940年11月18日 - 2019年4月3日)は、日本の元プロボクサー。千葉県君津郡富津町(現・富津市)出身。元日本ライト級、OBF東洋ライト級王者。現役時代は帝拳ボクシングジム所属。 16歳の頃、帝拳名誉師範荻野貞行の葉山の自宅へクリーニング店の配達に出向いていたところ、その筋力と面構えが荻野の目に留まり、帝拳に紹介されて心技両面から指導を受けるようになった。 カウンターパンチャーが多い中、強烈な左右フックを武器にフルラウンドにわたって打ち続けることのできるファイターだった。 1957年3月30日、プロデビュー戦では4R判定勝利を収めた。同年12月15日、第14回東日本フェザー級新人王トーナメント決勝戦で6R判定負けを喫した。
中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は… 中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は、千葉県市川市出身(兵庫県武庫郡鳴尾村 (現・西宮市)生まれ)の元調教助手・元調教師。父は元調教師の中野吉太郎。 父・吉太郎は青森県上北郡大深内村(現・十和田市)出身の騎手で、中野は最初の子供であった。後に妹、弟、妹と続き、四人兄弟の長男となる。バリアー式スタートの競馬場で天神乗りによってレースに出ていた吉太郎を、中野は記憶している。とはいえ、それは鳴尾競馬場で見た記憶ではなかった。中野が2歳であった1942年に、吉太郎は家族をあげて市川の中山競馬場のすぐ近くに引っ越した。中野の記憶の中に生まれた鳴尾の出来事は一切残らず、市川市立中山小学校で5年まで学んだ。
川原 誠(かわはら まこと、1940年〈昭和15年〉11月1… 川原 誠(かわはら まこと、1940年〈昭和15年〉11月17日 - )は、日本の元裁判官。愛知県出身。名古屋大学卒。 第20期司法修習生(司法修習地は名古屋)。1965年(昭和40年)9月の司法試験に合格し、1966年(昭和41年)4月 - 1968年(昭和43年)4月まで司法修習を受けていた。 1968年(昭和43年)4月5日に金沢地方裁判所判事補として赴任し、2005年(平成17年)11月17日をもって定年退官した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三枝 輝行(さえぐさ てるゆき、1940年11月16日 - … 三枝 輝行(さえぐさ てるゆき、1940年11月16日 - )は、日本の経営者。阪神百貨店社長、会長を務めた。 その他、2007年から2021年までに「三枝輝行の商い勘所」のパーソナリティも務めた。 1940年、兵庫県加西市に生まれた。一人っ子で、兄弟姉妹はいなかった。父親の二郎は、海軍で南方戦線に従軍し、その後大分県別府市で働いていた。三枝自身も防空壕に避難した経験があり、また母親と一緒に別府を訪れたことを覚えている。 終戦間際に父親が復員し、神姫バスとして知られるバス会社の経営を本格化させ、家計が安定し始めた。しかし、その後、母親が結核にかかり、三田市の病院に入院した。この頃、夜の8時や9時に帰宅した父に、夕食を作ってもらう日々が続いた。
椎名 哲也(しいな てつや、1940年11月16日 - 2… 椎名 哲也(しいな てつや、1940年11月16日 - 2022年12月23日)は、日本の経営者。東京都民銀行頭取を務めた。 千葉県出身。1965年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年4月に東京都民銀行に入行した。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1996年6月に専務、2003年6月に副頭取を経て、2004年6月には頭取に就任。2008年6月には会長に就任。 2011年春に旭日小綬章を受章。 2022年12月23日、死去。82歳没。
荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - … 荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - 2010年9月2日)は、佐賀県東松浦郡鎮西町馬渡島(※現役当時、現・唐津市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は牧山 通雄(まきやま みちお)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。最高位は西前頭4枚目(1965年3月場所)。現役時代の体格は184cm、106kg。 同じ東松浦郡鎮西町出身で、小結まで昇進した松浦潟達也(本名・牧山強臣、錦島部屋→立田山部屋)とは、血縁関係にあった。 カトリック教徒でもあった。 日本相撲協会から離れ、その後、故郷に程近い長崎県で造船業に従事していた。造船会社を辞めてからは福岡市に移り住み、相撲料理店「ちゃんこ荒波」を経営したが、2004年頃に閉店したという。
山本 鎮雄(山本 鎭雄、やまもと しずお、1940年11月1… 山本 鎮雄(山本 鎭雄、やまもと しずお、1940年11月15日 - )は、日本の社会学者、日本女子大学名誉教授。 東京府東京市中野区(現・東京都中野区)生まれ。1966年東北大学文学部社会学科卒、1968年同大学院修士課程修了。1968年広島女子大学講師、助教授、1979年日本女子大学助教授を経て、教授、2011年定年、名誉教授となる。新明正道に師事した。
瀬尾 健(せお たけし、1940年11月14日 - 1994… 瀬尾 健(せお たけし、1940年11月14日 - 1994年6月5日)は、日本の工学者。理学博士(京都大学・1977年)、最終職歴は京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)計測装置部門助手(現助教)であった。熊取六人衆の一人。 1940年(昭和15年)11月14日、兵庫県神戸市に生まれる。 1959年(昭和34年)3月、大阪府立高津高等学校を卒業、翌1960年(昭和35年)4月、京都大学工学部原子核工学科に入学する。1964年(昭和39年)3月、同大学同学科卒業、同年4月、京都大学大学院工学研究科原子核専攻修士課程に入学する。 1966年(昭和41年)3月、同大学院同課程修了、工学修士の学位を取得、同年4月、京都大学原子炉実験所計測装置部門助手(現在の職階では助教)となる。
岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - … 岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - 2002年1月23日)は、日本の政治家。 自由民主党元衆議院議員(3期)。民主党元衆議院議員・紀の川市市長岸本健の父。 和歌山県那賀郡粉河町(現在の紀の川市粉河町)出身。和歌山県立粉河高等学校、神奈川大学卒業、法政大学大学院修了。京都短期大学政治学講師。 1975年(昭和50年) 和歌山県議会議員。1987年(昭和62年)5月19日 - 和歌山県議会副議長。1988年(昭和63年) -全国みかん生産府県議会議員対策協議会会長。1990年(平成2年)7月11日 - 和歌山県議会議長。 1992年(平成4年) 自由民主党県連議員総会会長。
内田 讓(うちだ ゆずる、1940年11月14日 - )は、… 内田 讓(うちだ ゆずる、1940年11月14日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・桜花会元幹事。工学博士(大阪市立大学)。 専門は、有機合成化学・物理化学/物質科学・熱分解。 大阪工業大学工学部応用化学科卒業。大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。1974年大阪工業大学工学部応用化学科助教授などを経て、1982年大阪市立大学大学院より工学博士号を取得。大阪工業大学工学部応用化学科教授を経て、2005年同大学名誉教授。 大阪工業大学応用化学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である桜花会幹事も務めた。 主な所属学会は、日本化学会など。
山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11… 山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の海上自衛官、第23代海上幕僚長。防衛大学校第7期卒業。 東京府出身。両国高校を経て防衛大学校(第7期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「とかち」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、統合幕僚会議事務局長、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第23代海上幕僚長に就任。在任中の1998年(平成10年)には「北朝鮮によるミサイル発射実験」、翌1999年(平成11年)には「能登半島沖不審船事件」が発生。不審船事案では海上自衛隊創設以来初となる海上警備行動が発令され事態に対処した。
瀬戸口 嘉昭(せとぐち よしあき、1940年(昭和15年)1… 瀬戸口 嘉昭(せとぐち よしあき、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県枕崎市長(1期)。 鹿児島県立枕崎高等学校を経て、鹿児島大学文理学部卒。鹿児島県教育次長、鹿児島県高校長協会理事長、県高野連会長、加世田市(現・南さつま市)教育長、鹿児島県立鶴丸高等学校校長などを経て、2006年の枕崎市長選挙に立候補し、現職の神園征を破って当選した。4年後の2010年の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した神園に敗れた。2014年の市長選挙でも再立候補したが、現職の神園に敗れた。
小田 兼三(おだ けんぞう、1940年11月13日 - )は… 小田 兼三(おだ けんぞう、1940年11月13日 - )は、日本の社会福祉学者。東京福祉大学教授。本名・憲三。 大阪市生まれ。関西学院大学卒、1964年同大学院社会学研究科社会福祉学専攻修士課程修了。聖和女子大学講師、助教授、聖和大学助教授、教授、大阪市立大学教授、川崎医療福祉大学教授、龍谷大学教授、東京福祉大学教授。1994年「現代イギリス社会福祉研究-日本からみた理論・政策・実践と課題」で関西学院大学より博士(社会学)の学位を取得。
鎌田 信夫(かまた のぶお、1940年11月13日 - )は… 鎌田 信夫(かまた のぶお、1940年11月13日 - )は、日本の実業家。株式会社ソリトンシステムズ創業者・代表取締役会長。 山形県生まれ。1962年山形大学工学部卒業。1964年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院修士課程修了。1972年同大学大学院博士課程修了、理学博士(応用物理学)。同年同大学応用物理電磁物性研究室研究員。1973年インテルジャパン入社。インテル研究員、インテルジャパンマーケティングマネージャーを経て、1979年カマタ研究所設立、代表取締役社長。1982年ソリトンシステムズに社名を変更。2007年にジャスダック市場に上場し、2017年には東京証券取引所一部への上場を果たした。
小佐川 源次郎(おさがわ げんじろう、1940年11月13日… 小佐川 源次郎(おさがわ げんじろう、1940年11月13日 - )は、日本の俳優。本名、小鯖 孝。 東京府(現・東京都)出身。日本大学芸術学部演劇科卒業。劇団前進座所属。以前は劇団青俳に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松岡 賛(まつおか すすむ、1940年〈昭和15年〉11月1… 松岡 賛(まつおか すすむ、1940年〈昭和15年〉11月13日 - )は、日本の政治家。元福岡県嘉麻市長(2期)、元山田市(現・嘉麻市)長(2期)。旭日小綬章。 福岡県出身。福岡学芸大学(現・福岡教育大学)卒。福岡県筑豊教育事務所長を経て、2001年、山田市長武信弘隆の死去による市長選挙に立候補して当選する。2005年に再選した。 2006年に山田市は合併で嘉麻市となり、合併後の市長選挙に立候補し、当選した。2010年の市長選挙でも再選した。嘉麻市長は2期務め、2014年に退任した。2016年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。