愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 -… 愛野 興一郎(あいの こういちろう、1928年4月18日 - 1998年3月20日)は、日本の実業家、政治家。祐徳自動車3代目社長・初代会長。衆議院議員(9期)、経済企画庁長官(第40代)。 父も実業家・政治家で、祐徳自動車創立者、衆議院議員の愛野時一郎。 1928年愛野時一郎、すみれ夫妻の長男として神奈川県横浜市に生まれる。1945年に旧制鹿島中学校を卒業。 1951年に中央大学法学部を卒業後、農協組合長、1968年佐賀県議会議員、父の時一郎が創立したバス会社の祐徳自動車副社長・社長(議員在任中も社長を務め、後述の経済企画庁長官就任時に辞任し、初代会長に就任)を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に自由民主党から立候補し初当選。
佐藤 幹夫(さとう みきお、男性、1928年4月18日 - … 佐藤 幹夫(さとう みきお、男性、1928年4月18日 - )は、日本の数学者で佐藤超函数、概均質ベクトル空間、D加群の創始者。大阪大学教授を経て京都大学数理解析研究所名誉教授。京都大学数理解析研究所元所長。1992年退官。東京都出身。
篠田 雄次郎(しのだ ゆうじろう、1928年4月18日 - … 篠田 雄次郎(しのだ ゆうじろう、1928年4月18日 - 1992年3月25日)は日本の経済学者。上智大学教授を務めた。 日本人論の『日本人とドイツ人 猫背の文化と胸を張る文化』を発表している。 東京・中野生まれ。海軍兵学校卒業後、1951年上智大学卒業、1957年ケルン大学卒業。上智大学社会経済研究所教授(文化社会学)、社会経済研究所長・日本船舶振興会理事長を務めた。 1992年3月25日、中咽頭癌のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木谷 勤(きたに つとむ、1928年4月18日 - 2018… 木谷 勤(きたに つとむ、1928年4月18日 - 2018年9月15日)は、日本の歴史学者、名古屋大学名誉教授。西洋史専攻。 香川県生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒、1953年同大学院博士課程満期退学、大阪教育大学助教授、教授、名古屋大学文学部教授、1992年定年退官、名誉教授、大阪国際大学教授。 2018年9月15日、腹腔内動脈塞栓のため死去。90歳没。
佐藤 幹夫(さとう みきお、1928年〈昭和3年〉4月18日… 佐藤 幹夫(さとう みきお、1928年〈昭和3年〉4月18日 - 2023年〈令和5年〉1月9日)は、日本の数学者。京都大学名誉教授。学位は理学博士(東京大学・1963年)。 東京大学理学部数学科卒。同大学にて学位取得。大阪大学教授、京都大学数理解析研究所所長を歴任。佐藤超函数、概均質ベクトル空間、D加群の創始者。 東京都出身。東京大学理学部数学科で彌永昌吉に師事した後、一時期高校教師を務めるなど異色の経歴を持つ。ノーベル物理学賞受賞の物理学者朝永振一郎に学んだこともある。大阪大学教授を経て京都大学数理解析研究所所長。弟子には柏原正樹、河合隆裕、三輪哲二、神保道夫らがいる。1992年退官。 2023年1月9日、老衰のため京都市の自宅で死去。
石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016… 石河 清(いしかわ きよし、1928年4月17日 -2016年6月22日)は、日本の合唱指揮者・合唱指導者・合唱曲の作曲家。合唱王国福島を築く。[要出典]福島県合唱連盟名誉理事長。福島県いわき市生まれ。
山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、… 山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、日本の国際法学者。立命館大学名誉教授。専門分野は、国際法・国際経済法・EU法(EC法)。広島県広島市出身。 昭和3年(1928年)4月15日、広島県安佐郡深川村(現広島市安佐北区)で生まれる。昭和17年(1942年)4月に旧制崇徳中学校へ入学。途中、海軍兵学校へ入学するが(1945年4月-8月、海軍兵学校第78期)、終戦後復帰し、昭和21年(1946年)3月に卒業する。昭和21年(1946年)9月に旧制山口高等学校理科甲類に進学し、昭和24年(1949年)卒業する。昭和24年(1949年)4月に旧制京都大学法学部に進学、昭和27年(1952年)には旧制京都大学大学院法学研究科に進学し、昭和29年(1954年)修了。
家入 昭(いえいり あきら、1928年4月15日 - 201… 家入 昭(いえいり あきら、1928年4月15日 - 2011年4月21日)は、日本の経営者。ブリヂストン社長を務めた。東京都出身。 1953年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年にブリヂストンタイヤに入社。1974年2月に取締役に就任し、1977年1月に常務、1980年3月に専務を経て、1984年4月に副社長に就任し、1985年2月に社長に昇格。社長在任時には、1988年にアメリカのファイアストン社を買収し、ブリヂストンの海外展開を進めていった。1993年3月に特別顧問に就任。 1990年5月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2011年4月21日肺炎のために死去。
泉 久雄(いずみ ひさお、1928年4月14日 - 2017… 泉 久雄(いずみ ひさお、1928年4月14日 - 2017年4月29日)は、日本の法学者。専門は民法・家族法。専修大学名誉教授。法学博士(東北大学)。中川善之助門下。弟子に家永登(専修大学教授)、高橋敏(国士舘大学教授)、小野憲昭(北九州市立大学教授)、久々湊晴夫(北海学園大学教授)など。 宮城県伊具郡角田町出身。旧制山形高等学校卒業。1951年東北大学法学部卒業。東北大学法学部助手を経て、1954年専修大学法学部助教授。1961年専修大学法学部教授。1963年「相続人の責任に関する研究」にて東北大学にて法学博士受く。1972年(昭和47年)東京家庭裁判所参与。1983年(昭和58年)専修大学法学部長。
加納 嘉徳(かのう よしのり、1928年4月14日 - 19… 加納 嘉徳(かのう よしのり、1928年4月14日 - 1999年5月21日)は、日本の囲碁棋士。京都府出身、日本棋院所属、鈴木秀子五段門下、九段。日大国文科卒。本因坊戦リーグ4期など。大平修三、加田克司とともに、戦後新三羽烏と呼ばれた。日本棋院副理事長、幹事を歴任。 9歳の時に上京して、鈴木秀子に入門。1943年(昭和18年)入段。1948年(昭和23年)青年棋士選手権戦優勝。1952年(昭和27年)五段。1958年(昭和33年)本因坊戦リーグ入り(以後1964年(昭和39年)、1969年(昭和44年)、1970年(昭和45年)にリーグ入り)。1961年(昭和36年)第5期首相杯争奪戦優勝。1964年(昭和39年)八段。
宮腰 太郎(みやこし たろう、1928年4月13日 - 20… 宮腰 太郎(みやこし たろう、1928年4月13日 - 2009年5月6日)は、日本の文筆家、放送作家。東京府生まれ。本名:裕(ゆたか)。 生年を昭和4年(1929年)とするプロフィールもある。 (旧制)武蔵高等学校卒業、東京教育大学文学部中退。その後、雑誌編集者、映画脚本家(または映画監督)、コピーライターを経て、フリーライターとなる。1979年から2009年1月まで、TBSラジオの番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』の構成作家(筋書き作家)を務めた。担当番組については、パーソナリティ(口演)・小沢昭一との共著という形で書籍化された。 2009年5月6日、気管支肺炎のため、東京都町田市の病院で死去。
宇津 徳治(うつ とくじ、1928年4月13日 - 2004… 宇津 徳治(うつ とくじ、1928年4月13日 - 2004年8月18日)は、日本の地震学者。東京市芝区(現東京都港区)生まれ。
坪島 孝(つぼしま たかし、1928年4月13日 - 200… 坪島 孝(つぼしま たかし、1928年4月13日 - 2007年8月12日 )は、日本の映画監督。広島県東広島市出身。 1952年に早稲田大学第一商学部を卒業。大学在学中には邦画・洋画問わず、あらゆる映画を鑑賞し、映画監督を志して、大学卒業と同時に東宝に入社。しかし、この頃の東宝は東宝争議の影響で助監督の正式採用を中止していたため、演技事務(俳優への手当ての配当などを行う係)へと配属された。 3年間の演技事務を経て、1955年に助監督となり、山本嘉次郎、千葉泰樹、福田純らに師事。1963年、夏木陽介・星由里子主演の『写真記者物語 瞬間に命を賭けろ』で監督に昇進する。監督第2作目で、いきなり当時東宝のドル箱番組だったクレージー・キャッツ主演の『クレージー作戦 くたばれ!無責任』を任され、以降、東宝のクレージー映画において古澤憲吾と共にメイン監督として活躍する。
笹口 淳(ささぐち すなお、1928年4月13日 - )は、… 笹口 淳(ささぐち すなお、1928年4月13日 - )は、日本の画家。2018年2月現在、大東文化大学美術部コーチ。白日会が主催する白日会展で第60回内閣総理大臣賞を受賞。 1928年4月13日に父・笹口正雄、母・笹口りゑの次男として長崎県東彼杵郡折尾瀬村(現在の佐世保市三川内地域)に生まれる。 小学校を卒業した後、長崎師範学校の予科に入学した。在学中に学徒動員で、三菱兵器で魚雷作りをする。 1945年8月9日、長崎市への原子爆弾投下により被爆。大村の海軍病院に入院し、退院後、自宅で原爆療養(この間に父の笹口正雄は戦死)。自宅療養中、折原東範と出会い、人生を考える糸口を得る。 師範学校卒業時に平塚益徳に出会い、人生の課題を自覚する。
松森 健(まつもり たけし、1928年4月12日 - 201… 松森 健(まつもり たけし、1928年4月12日 - 2016年12月)は、日本の映画監督。神奈川県出身。 1945年に旧制神奈川県立横須賀中学校から海軍経理学校に進学するも終戦。1951年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、東宝に入社。監督部に配属され、谷口千吉、松林宗恵、岡本喜八、本多猪四郎、松山善三らの助監督を務める。 1965年、テレビドラマ『青春とはなんだ』で監督に昇進。本作ではメイン監督を務め、翌1966年には、東宝製作の青春映画『これが青春だ!』で劇場用映画デビューを果たす。以降、映画と並行して、青春もの、刑事もの、時代劇など、テレビドラマを多数演出した。
三島 佑一(みしま ゆういち、1928年4月11日- 201… 三島 佑一(みしま ゆういち、1928年4月11日- 2016年1月5日)は、日本近代文学研究者・作家。四天王寺大学名誉教授。 大阪船場道修町生まれ。大阪大学付属薬学専門部、京都大学文学部国文科卒。四天王寺国際仏教大学教授をへて、名誉教授。はじめ友川泰彦の筆名を用い、その後も小説を書く一方、堀辰雄、谷崎潤一郎などを論じた。船場大阪を語る会会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
梅津 耕作(うめづ こうさく、1928年4月11日 - 19… 梅津 耕作(うめづ こうさく、1928年4月11日 - 1999年4月8日)は、日本の臨床心理学者。東京都生まれ。行動療法の導入者。長男は慶應義塾大学商学部教授の梅津光弘。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
黒沢 吉蔵(くろさわ きちぞう、1928年4月11日 - 2… 黒沢 吉蔵(くろさわ きちぞう、1928年4月11日 - 2009年2月22日)は、日本画家。 1928年に福島県郡山市で生まれる。東京芸術大学の日本画科を卒業し、1955年、1965年、1966年の3回にわたり新制作協会の日本画部新作家賞を受賞している。 2009年2月22日に心筋梗塞のため死去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
日野 昭(ひの あきら、1928年4月11日 - 2011年… 日野 昭(ひの あきら、1928年4月11日 - 2011年7月19日)は、日本の日本古代史学者。龍谷大学名誉教授。 岐阜県生まれ。龍谷大学卒、同大学院文学研究科修了、1980年「日本古代氏族伝承の研究」で龍谷大学文学博士。龍谷大学助教授、教授を務めた。1997年定年、名誉教授となる。門下に松倉文比古、水谷千秋がいる。
大沼 淳(おおぬま すなお、1928年〈昭和3年〉4月11日… 大沼 淳(おおぬま すなお、1928年〈昭和3年〉4月11日 - 2020年〈令和2年〉11月21日)は、学校法人文化学園の元理事長。日本私立大学協会会長。海軍兵学校76期修了生、元人事院官僚。 宗徳恵と正恵の着用していた韓服や化粧台・裁縫箱などの愛用品が文化学園服飾博物館に李親王からの寄贈を初代学長が受けて収蔵・展示していたが、2015年6月に日韓の文化的友好協力の増進を希望する大沼により徳恵の韓服のうち7点が長年の親交を持つ韓国人と協力して韓国文化財庁に寄贈された。
木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - … 木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - )は、日本の彫刻家。石彫による作品を多く手がけている。東京都出身。1952年、東京美術学校卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松永 義弘(まつなが よしひろ、1928年4月10日 - 2… 松永 義弘(まつなが よしひろ、1928年4月10日 - 2016年6月13日)は、日本の作家。 佐賀県生まれ。日本大学法文学部史学科卒。歴史小説を数多く書いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
高橋 揆一郎(たかはし きいちろう、1928年4月10日 -… 高橋 揆一郎(たかはし きいちろう、1928年4月10日 - 2007年1月31日)は、北海道出身の日本の小説家。本名、良雄(よしお)。歌志内市名誉市民。 歌志内市上唄の炭鉱長屋で生まれる。歌志内小学校卒業後、北海道庁の給仕をしながら、庁職員養成を目標とした札幌市の私立昭和中学校(夜間中学)を卒業。 卒業後、母校の歌志内小学校で代用教員を2年間勤め退職、北海道第一師範学校(現・北海道教育大学札幌校)に進学するも中退し、住友石炭鉱業上歌志内砿に入社。1970年に退社した後、時事漫画を中心としたイラストレーターの傍ら「くりま」で小説の同人活動を続け、1971年「3年間だけ小説を書かせてくれ」と妻に頼み込み、執筆活動に集中。
久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日 - 2024年… 久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日 - 2024年11月24日)は、日本のアニメーション作家、イラストレーター、絵本作家、洋画家。一コマ漫画家としても活動している。本名:栗原 英夫(くりはら ひでお)。 2016年以降、クリ ヨウジ、または姓名の間に中黒を入れたクリ・ヨウジの名義を併用して活動している。 福井県今立郡鯖江町(のちの鯖江市)出身。父は軍人。陸軍幼年学校の受験に失敗後、旧制福井県立武生中学校(のちの福井県立武生高等学校)へ入学。中学時代に終戦を迎えた。1947年、京都市美術学校の入学試験に合格するが、父親が公職追放となり、学費の目処が立たなくなったために進学を断念し、郷里で様々な職業について家計を助けた。
鈴木 昭一郎(すずき しょういちろう、1928年4月8日 -… 鈴木 昭一郎(すずき しょういちろう、1928年4月8日 - 2011年5月3日)は、東京都出身のフランス文学者。京都大学名誉教授。
土屋 雅春(つちや まさはる、1928年(昭和3年)4月8日… 土屋 雅春(つちや まさはる、1928年(昭和3年)4月8日 - 2001年(平成13年)4月7日)は、日本の医者・医学者(内科学)。学位は、医学博士。慶應義塾大学名誉教授。レジオン・ド=ヌール勲章受章。
石垣 守一(いしがき もりいち、1928年4月8日 - 没年… 石垣 守一(いしがき もりいち、1928年4月8日 - 没年不明)は、日本の俳優。北海道和寒町出身。本名は中塩 幸雄。 1935年、和寒町立和寒小学校に入学し、6年生時に歌志内市に転居。 1951年、東洋大学経済学部経済科に入学。大学在学中から演劇サークルで活動しながら演劇学校で演技を学ぶ。大学卒業後の1956年4月、劇団手織座に入団。1962年12月、『どん底』のクレーシチ役で劇団演技賞を受賞した。 劇団では総務と制作を担当し幹部俳優として活躍した。
疋田 生次郎(ひきた せいじろう、1928年〈昭和3年〉4月… 疋田 生次郎(ひきた せいじろう、1928年〈昭和3年〉4月7日 - 2001年〈平成13年〉2月17日)は、日本の声楽家(バリトン)・音楽教育者。元・武蔵野音楽大学教授。 北海道出身。1957年(昭和32年)武蔵野音楽大学専攻科修了。 1969年(昭和44年) - 1972年(昭和47年)イタリアのローマ、ミラノに留学し、マリオ・サンマリーニ、デ・スカルツィ、レオニーダ・ベッロンらに師事。 音楽教育者として優れ、優秀な声楽家を数多く育てた。著名な門下生は、伊原直子、山路芳久、牧野正人、青山智英子、星洋二、高橋啓三、村田健司、笠井幹夫、田口興輔、塩田美奈子、丹藤亜希子、三縄みどり、大澤一彰、小貫岩夫、新垣勉、富浦元公など、錚々たる顔ぶれである。
井上 次郎(いのうえ じろう、1928年4月6日 - 196… 井上 次郎(いのうえ じろう、1928年4月6日 - 1969年4月29日)は、昭和時代中期日本の実業家。現在のイオングループの源流となった企業の1社・シロの創業者。大阪府出身。 1928年(昭和3年)4月6日、大阪府豊能郡庄内村(現在の豊中市庄内)で飯田家に生まれる。関西大学経済学部を卒業後、井上米子との結婚に伴い入婿し井上姓となった。 1955年(昭和30年)、実兄の義雄と共同で衣類の生地小売、染色、機械販売およびアパートの賃貸を業務とする飯田株式会社を創業し、同年12月15日より米子と夫婦でアパートの1階を改装した店舗で婦人服の仕立業を始めた。1961年(昭和36年)6月、アパートを鉄筋コンクリート4階建て構造に建て替え「シロ」の1号店とする。
片野 彦二(かたの ひこじ、1928年4月5日 - 2012… 片野 彦二(かたの ひこじ、1928年4月5日 - 2012年10月17日)は、日本の経済学者。 愛知県生まれ。1952年名古屋大学経済学部卒、神戸大学経済経営研究所助手、1957年助教授、1970年「発展途上国における最適成長径路の決定に関する研究」で神戸大学経済学博士。1971年神戸大学助教授、1991年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授。2000年退任。専門は国際経済学。
渡部 龍雄(わたなべ たつお、1928年4月4日 - 200… 渡部 龍雄(わたなべ たつお、1928年4月4日 - 2001年12月11日)は、1950年代前半に活躍した元スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-小樽経済専門学校-早稲田大学-三井鉱山芦別 小樽中学時代はテニスで鳴らした。1952年のオスロオリンピックスペシャルジャンプで27位だった。
加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 … 加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 - 1977年(昭和52年)12月2日)は、日本の小説家、教員。 秋田県雄勝郡湯沢町(現・湯沢市)生まれ。1968年に文學界新人賞を受賞したほか、1971年から1975年にかけて四度芥川賞候補となった。 秋田県立横手中学校(現・横手高等学校)在学中に予科練に入隊し、土浦海軍航空隊で桜花特攻要員として訓練中、秋田県北秋田郡合川町(現・北秋田市)の大野岱で終戦を迎えた。復員後、秋田県立湯沢南高等学校(現・湯沢高等学校)から秋田大学学芸学部(現・教育文化学部)英語科に進み、1954年(昭和29年)3月に卒業。秋田県の高校英語科教員として、横手・湯沢北 ・湯沢高校などで教鞭を執った。
吉崎正義(よしざき せいぎ、1928年4月3日 - )は日本… 吉崎正義(よしざき せいぎ、1928年4月3日 - )は日本の厚生医系技官。環境庁大気保全局長、厚生省医務局長、健康政策局長などを歴任。 新潟県出身。東京大学医学部医学科卒業。1956年 厚生省入省。1970年7月1日 鳥取県厚生部長。1974年1月16日 鳥取県衛生環境部長。同年6月11日 厚生省環境衛生局水道環境部環境整備課長。1975年7月8日 厚生省医務局国立療養所課長。1977年6月21日 厚生省医務局国立病院課長。1979年8月7日 厚生省大臣官房統計情報部長。1981年12月 環境庁大気保全局長。1983年8月26日 厚生省医務局長。1984年7月1日 厚生省健康政策局長。1985年8月17日 退官。
江口 孝夫(えぐち たかお、1928年4月3日- )は、日本… 江口 孝夫(えぐち たかお、1928年4月3日- )は、日本の国文学者。江田 孝二(えだ こうじ)名義での著作もある。 千葉県生まれ。東京教育大学東洋文学科卒、東京成徳短期大学教授を務め、1999年退職。上代から近世までの日本文学・日本漢詩を研究し多数の著作を執筆、後年は特に川柳の紹介に力を尽くした。ほか大学入試の参考書も書いた。
市瀬 由自(いちのせ よしみ、1928年4月3日 - 没年不… 市瀬 由自(いちのせ よしみ、1928年4月3日 - 没年不明)は、日本の地理学者、地形学者。 長野県下伊那郡竜江村(現飯田市)に生まれ、1948年4月上京し、法政大学高等師範部地歴科に入学、資源科学研究所の嘱託研究員として勤務(1970年3月まで)する傍ら、1953年に文学部地歴科を卒業、新設された法政大学大学院人文科学研究科地理学専攻修士課程の第一期生として入学、1965年には博士課程を修了し、法政大学文学部専任講師、1968年助教授、1970年教授となり、1999年定年退職するまで、多くの学生を指導した。 河川源流部における地滑りや崩壊地の形成、付随する土砂暦の供給と運搬に関する研究に始まり、人間の生活の舞台として位置づけられる沖積平野を主に地殻運動の観点から調査し、平野の形成過程を吟味し、沿岸部の砂丘地形に関する研究や、平野の地形環境と遺跡の立地と分布に関する研究など、地形形成に関与する「河川の作用」をベースに研究を進めた。
林 保夫(はやし やすお、1928年4月2日 - 2022年… 林 保夫(はやし やすお、1928年4月2日 - 2022年8月14日)は、日本の政治家。元衆議院議員(民社党)(3期)。 岡山県総社市出身。岡山一中(現岡山県立岡山朝日高等学校)卒業、海軍兵学校中退。1947年時事通信社に入社。神戸支局長、経済解説編集長などを経て、1972年日本経済教育センター事務局長に就任、その後専務理事に就任した。1975年民社党岡山県連常任顧問執行委員長、民社党機関紙局副局長、国際局副局長を務め、1979年、第35回衆議院議員総選挙で岡山2区から初当選。通算3期務めた。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選し、政界から引退した。後継候補は石田美栄。1998年、勲三等旭日中綬章受章。
黒川 武(くろかわ たけし、1928年〈昭和3年〉4月1日 … 黒川 武(くろかわ たけし、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2021年〈令和3年〉7月28日)は、日本の労働運動家。位階は従三位。日本労働組合総評議会(総評)最後の議長。 群馬県館林市出身。1945年旧制館林中学校卒業。1946年帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)に入社。1950年中央大学専門部卒業。神田駅助役を経て、1957年帝都高速度交通営団労働組合(営団地下鉄労組)執行委員、1962年同労組委員長。1974年日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)副委員長、1980年同委員長。1983年日本労働組合総評議会(総評)議長。1987年11月の全日本民間労働組合連合会(民間連合)結成に貢献。1988年私鉄総連会長。
古在 由秀(こざい よしひで、1928年(昭和3年)4月1日… 古在 由秀(こざい よしひで、1928年(昭和3年)4月1日 - 2018年(平成30年)2月5日)は、日本の天文学者(天体力学)。位階は正四位。勲等は勲二等。学位は、理学博士(東京大学・1958年)。東京大学名誉教授、国立天文台名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、群馬県立ぐんま天文台名誉台長、日本学士院会員、文化功労者。名誉三鷹市民。 東京大学附属東京天文台教授、東京大学附属東京天文台台長(第12代)、国立天文台台長(初代)、国際天文学連合会長、群馬県立ぐんま天文台台長などを歴任した。 古在由正・澄江夫妻の長男として東京府北豊島郡巣鴨町駒込(現・東京都豊島区駒込)に生まれた。 1940年、東京府立第十四中学校(後の東京都立石神井中学校、現・東京都立石神井高等学校)に入学。
塩沢 とき(、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2007年… 塩沢 とき(、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2007年〈平成19年〉5月17日)は、日本の女優。本名及び旧芸名は塩沢 登代路()。 東京市牛込区中里町出身。実践高等女学校卒。亡くなるまで東宝芸能に所属。 1947年、越後憲や杉葉子らと東宝ニューフェイス第2期に合格。芸能界入りからしばらくは、三越のファッションショーにモデルとしてたびたび出演した。1950年に端役で『女三四郎』で映画初出演。以降、1950年代の東宝作品に出演し、デビューからしばらくは本名の塩沢登代路で活動した。 1958年、舌癌を病み、手術の際に総入れ歯となったが、幸運にも担当医が舌癌の最新療法(当時)を学んでいたことで、寛解する。
犬養 康彦(いぬかい やすひこ、1928年(昭和3年)4月1… 犬養 康彦(いぬかい やすひこ、1928年(昭和3年)4月1日 - 2015年(平成27年)7月12日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。共同通信社社長を務めた(1991年 - 1998年)。 東京で犬養健、仲子(後藤象二郎の孫娘)の長男として生まれる。学習院大学文政学部卒業後、共同通信社に入社。人事部長、総務部長、社会部長、論説主幹などを歴任した後、1991年社長に就任。退任後は相談役を務めた。学習院時代の登山仲間に顔恵民がいる。 2015年7月12日、虚血性心疾患のため死去。87歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
荒木 宏(あらき ひろし、1928年4月1日 - 1995年… 荒木 宏(あらき ひろし、1928年4月1日 - 1995年1月14日)は、日本の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、2期)を務めた。自由法曹団幹事。 神戸市出身。神戸商業大学(現・神戸大学)中退。小学校の教員をやりながら、関西大学法学部を卒業。1959年に弁護士となり、同年共産党に入党した。 1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧大阪5区から立候補し1位で初当選を果たした。続く1976年の第34回衆議院議員総選挙でも同区から立候補し再選を果たすも、体調不良により1979年の第35回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界からの引退を表明する。地盤は引退当時、堺市選出の大阪府議会議員であった藤田スミに譲る。
宗宮 重行(そうみや しげゆき、1928年4月1日 - 20… 宗宮 重行(そうみや しげゆき、1928年4月1日 - 2018年8月8日)は、日本の化学工学者。東京工業大学栄誉教授。日本学士院賞受賞。紫綬褒章、ドイツ連邦共和国功労勲章一等十字勲章等受章。 岐阜県出身。1952年東京工業大学窯業学科卒業。同大学特別研究生。ペンシルベニア州立大学留学を経て、1960年東京工業大学着任。1962年東京工業大学工学博士。齋藤進六に勧められ、平野眞一、吉村昌弘らの協力で水熱材料合成研究を行った。1974年東京工業大学教授。1986年度日本化学会賞受賞。1988年帝京大学教授。1990年西東京科学大学教授。1995年紫綬褒章受章。1999年日本学士院賞受賞。2000年勲三等旭日中綬章受章。
水谷 幸正(みずたに こうしょう、1928年4月1日 - 2… 水谷 幸正(みずたに こうしょう、1928年4月1日 - 2014年2月7日)は、日本の仏教学者。学校法人東海学園元理事長、佛教大学元学長、学校法人佛教教育学園元理事長、浄土宗元宗務総長。専攻は仏教学。位階は従四位。 1928年、三重県阿山郡伊賀町(現・伊賀市)で生まれた。佛教専門学校(現・佛教大学)を卒業し、龍谷大学大学院文学研究科に進んだ。1956年に修了。 1979年、学位論文『浄土教と如来蔵思想の研究』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。 宗門にあっては、京都府京都市伏見区の三縁寺住職。1999年11月、浄土宗の宗務総長に選ばれた(2003年11月再選)。2006年12月に辞任。 2014年2月7日、肝臓内胆管がんのため死去。
菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 20… 菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 2011年12月26日)は、日本の建築家。一級建築士、博士(工学)。 福岡県久留米市出身。1944年、早稲田大学専門部工科建築学科入学。1945年に久留米駅舎コンペで1等、1948年に広島平和記念カトリック聖堂コンペで3等を獲得するなど、在学中から既に活躍していた。1950年、早稲田大学理工学部建築学科卒業、同年竹中工務店勤務。1952年村野・森建築設計事務所を経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設。 1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する。
加藤 晴明(かとう はるあき、1928年4月 - )は、日本… 加藤 晴明(かとう はるあき、1928年4月 - )は、日本の検事。 秋田県平鹿郡大森町(現・横手市)生まれ。1943年から1953年にかけて秋田県や横浜市の小学校教諭を務め、1954年中央大学法学部(夜間)卒業、司法試験合格。司法修習生を経て1957年検事に任官、名古屋、福井、大分、京都、東京、札幌の各地検に勤務。1973年法務総合研究所事務局長兼教官。1976年東京地検交通部副部長。1977年人権擁護局総務課長兼教官。1979年横浜地方検察庁刑事部長。1981年水戸地方検察庁次席検事。1982年福岡法務局長、1985年東京法務局長、1987年新潟地方検察庁検事正。1989年退官、東京法務局所属公証人。
山田 恭一(やまだ きょういち、1928年3月31日 - … 山田 恭一(やまだ きょういち、1928年3月31日 - 2010年7月2日)は、日本の経営者。そごう社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。旧制松山高等学校を経て、京都大学農学部水産学科へ入学した。在学中は学生運動を行っていた一方、同じ大学・学部の出身者という縁で李登輝と接点を持つことになる。 1952年に大学を卒業し、そごうに入社。そごう神戸店(現在の神戸阪急)に配属後、7年ほど東京店を中心に新人研修など人事を担当していた。1964年に神戸店に復帰後、1970年4月に取締役に就任した。神戸店に戻る際、水島廣雄に将来のため神戸店を何とかするよう言われたところから、水島はサラリーマン経営者ながらロマンに情熱を燃やす男であり、将来の人のためを思っていると感じた。
田畑 麦彦(たばた むぎひこ、1928年3月31日 - 20… 田畑 麦彦(たばた むぎひこ、1928年3月31日 - 2008年6月6日)は、日本の小説家。本名・篠原省三。東京府生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。佐藤愛子の元夫。実姉・篠原逸子は、服部金太郎の孫である。 東京急行電鉄社長を務めた篠原三千郎の二男として生まれる。妹の桂子は渥美昭夫の妻。中学校から慶應義塾に通う。毎日新聞社、東映映画に勤務。 1953年『三田文学』に「夜の窓」を発表、『文藝首都』同人として小説を書く。1956年、同人誌仲間であった佐藤愛子と結婚。1962年「嬰ヘ短調」で文藝賞受賞。同年より妻愛子とともに産業教育教材販売会社「日本ソノサービスセンター」の設立、経営に参画する。1964年より日本ソノフィルムやエスプリ企画の代表取締役社長を務めるが、事業の失敗により離婚。
常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005… 常見 昇(つねみ のぼる、1928年3月30日 - 2005年11月16日)は、群馬県桐生市稲荷町出身の元プロ野球選手。1954年の登録名は常見泰生。「常見三兄弟」の次男であり、兄の常見茂、弟の常見忠も桐生中、東急フライヤーズに在籍している。 桐生中学では1940年の選抜、1941年夏の甲子園(戦局の悪化により中止)に出場。4学年上には兄・茂や中村栄、深沢督、3学年上に木暮力三、2学年上に池田力、1学年上に木暮英路、1学年下には斎藤宏が在籍していた。 桐生中学卒業後は野球部OBである皆川定之との関係で、タイガース入りが内定していたが、軍事徴用されたために契約破棄をせざるを得なくなった。徴用先の小学校代用教諭として1年勤務した後、終戦を迎える。
竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年… 竹中 労(たけなか ろう、本名:たけなか つとむ、1928年3月30日、戸籍上では1930年5月30日 - 1991年5月19日)は、日本のルポライター、アナーキスト、評論家。 東京都出身。甲府中学(現:山梨県立甲府第一高等学校)中退。「夢野京太郎」「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」などの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出した。晩年には癌を患うが、闘病しながら活動を続けた。 父はシュルレアリスムの画家として知られる竹中英太郎であり、彼の作品にも影響を与えた。妹の金子紫は「竹中英太郎記念館」の館長を務めており、兄と父の遺志を引き継ぐ形で活動を続けている。
大木 道則(おおき みちのり、1928年3月30日 - 20… 大木 道則(おおき みちのり、1928年3月30日 - 2016年11月23日)は、日本の化学者。 兵庫県氷上郡久下村(現・丹波市)出身。旧制柏原中学校、大阪高等学校、東京大学理学部卒。1953年「化学構造と発情作用の関係」で理学博士。 米国イリノイ大学留学。 東京都立大学助教授、 東大理学部助教授、教授、1989年定年退官、名誉教授、岡山理科大学教授。1990年紫綬褒章受章。1999年退職。