岡村 宏一(おかむら ひろかず、1928年3月29日 - )… 岡村 宏一(おかむら ひろかず、1928年3月29日 - )は、日本の土木工学者。工学博士(大阪市立大学)。大阪工業大学名誉教授・構造実験センター(現:八幡工学実験場)第2代所長。 専門は、構造解析、構造工学(複合構造・コンクリート工学)、建設システム工学・橋梁工学、社会基盤マネジメント・維持管理工学。 1952年大阪大学工学部構築工学科卒業。のちに、大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院にて工学博士(大阪市立大学)。同大学工学部助手などを経て、1962年大阪工業大学工学部土木工学科講師、土木工学教室を担当。1965年同学科助教授。同学科教授を経て、1988年大阪工業大学構造実験センター(現:八幡工学実験場)第2代所長(初代所長は伊藤冨雄)。
宮川 洋一(みやがわ よういち、1928年3月28日 - 2… 宮川 洋一(みやがわ よういち、1928年3月28日 - 2001年3月19日)は、日本の俳優、声優。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校卒業、早稲田工手学校中退。 緑ヶ丘音楽舞踊学校、劇団言葉座、劇団新作座、衣笠プロ、テレビ8プロ、グループりんどうを経て、1964年、劇団東芸に入団。その後は演劇舎燦、エー・アンド・イーなどに所属していた。 洋画の吹き替えで知られ、ウィルフォード・ブリムリーやリチャード・アッテンボローなどを担当したほか、『ウルトラセブン』のマナベ参謀役など特撮ドラマの実写作品にも出演。東宝や石原プロモーション製作の刑事ドラマへの出演も数多い。 2001年3月19日死去。72歳没。
稲垣 実男(いながき じつお、旧字体: 稻垣 實男、1928… 稲垣 実男(いながき じつお、旧字体: 稻垣 實男、1928年〈昭和3年〉3月28日 - 2009年〈平成21年〉3月5日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、国務大臣北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官などを歴任。 愛知県幡豆郡一色町(現・西尾市)の仕出し料理屋「新黒」に生まれる。愛知県立西尾実業学校(現・愛知県立鶴城丘高等学校)、愛知県岡崎中学校特設科(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。 1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に中垣国雄が旧愛知4区から立候補。このとき一色町出身の池田駒平県議から頼まれ、中垣の選挙を手伝う。「新生日本を築くのはこの人だ」と確信を深めた稲垣は1948年春に上京。
野上 龍雄(のがみ たつお、1928年3月28日 - 201… 野上 龍雄(のがみ たつお、1928年3月28日 - 2013年7月20日 )は脚本家。東京都出身。
田中 茂穗(たなか しげほ、1928年(昭和3年)3月28日… 田中 茂穗(たなか しげほ、1928年(昭和3年)3月28日 - 2020年(令和2年) 5月11日[要出典]、武道家(明治神宮武道場至誠館 名誉館長)。 1949年、拓殖大学卒業。年少の頃より柔剣道を修行。戦後、合気道開祖植芝盛平翁、植芝吉祥丸二代目道主、塩田剛三より合気道を、鹿島神流第18世宗家国井道之師範より鹿島神流を学ぶ。 1954年、東京大学合気道部を創設し、師範となるほか、中央大学、専修大学、富山大学、金沢大学、日本国有鉄道本社、ならびに中央鉄道学園にて合気道の師範となる。 1961年、全日本学生合気道連盟発足に携わり、講師に就任する。 1973年、合気道八段位。明治神宮武道場至誠館設立に尽力し、同武道場に奉職。
前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 20… 前川 明人(まえかわ あきと、1928年3月28日 - 2025年2月10日)は、長崎原爆を体験した被爆者、歌人。長崎県長崎市出身・在住。2025年2月死去。享年96。 短歌会「未来」「幻桃」に所属。「幻桃」では顧問を務める。長崎県文芸協会常任委員。長崎歌人会相談役。長崎原爆忌文芸大会選者。歌集『褐色山脈』は長崎県文学奨励賞、『空間』は第18回長崎県文学賞を受賞した。 1928年、長崎市に生まれる。山里国民学校を卒業後長崎逓信講習所(長崎市麹屋町)に入学。1944年4月、長崎本博多郵便局に勤務。1945年6月、通信書記補に任官。空襲警報が鳴ると夜中でも鉄かぶとを頭にかぶり、足にはゲートルを巻いて、大浦・日の出町の自宅から同局まで走った。
三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27… 三浦 大助(みうら だいすけ、1928年(昭和3年)3月27日 - )は、日本の政治家、厚生官僚。元長野県佐久市長。 長野県南佐久郡野沢町(現・佐久市)生まれ。旧制長野県野沢中学校(現・長野県野沢北高等学校)を経て、東京慈恵会医科大学卒業。昭和27年(1952年)医学博士。同28年(1953年)同大学公衆衛生学教室に入り、同29年(1954年)旧厚生省入省。同38年(1963年)富山県厚生部環境課長、同44年(1969年)山形県衛生部長、同47年(1972年)厚生省環境衛生局食品衛生課長、同50年(1975年)保険局医療課長、同53年(1978年)統計情報部長、同54年(1979年)旧環境庁大気保全局長、同56年(1981年)厚生省公衆衛生局長、同58年(1983年)公害等調整委員会委員を歴任した。
田辺 聖子(たなべ せいこ、本名:田邉 聖子、1928年3月… 田辺 聖子(たなべ せいこ、本名:田邉 聖子、1928年3月27日 - 2019年6月6日)は、日本の小説家、随筆家。文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 大阪府大阪市生まれ。淀之水高等女学校を経て樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科卒。恋愛小説などを中心に活動し、第50回芥川龍之介賞などの受賞歴がある。 1928年3月27日、大阪府大阪市此花区(現・福島区)に田辺貫一と勝世(岡山出身)の間に三人の子供の長女として生まれる。父方は広島県福山市の出身で祖父の代から写真館を経営していた。大阪市内に生まれ、大阪の風俗文化に深く親しみながら育ったことが、のちの作風に影響を与えている。因みに北摂の新興都市については風俗文化が乏しいと評している。
野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 200… 野底 武彦(のか たけひこ、1928年3月27日 - 2007年8月10日)は、琉球政府および沖縄県の政治活動家。 琉球独立党(現・かりゆしクラブ)の前党首で、2005年以降は「名誉党首」。沖縄県与那国町出身。ペンネームは「野底 土南(ぬか どなん)」。 1928年(昭和3年)3月27日生まれ。沖縄本島に渡り沖縄県立首里第一中学校(現在の沖縄県立首里高等学校)入学する。その後台湾に移住し、台北州立基隆中学校(現在の国立基隆高級中学)に転校する。 終戦後、台湾から島づたいで北上し、法政大学経済学部に進学する。在学中には沖縄県出身者では初の公認会計士の資格を取得した。卒業後はアメリカ統治下であった沖縄県に戻り、沖縄大学の講師に就任した。
多田 茂治(ただ しげはる、1928年(昭和3年)3月27日… 多田 茂治(ただ しげはる、1928年(昭和3年)3月27日 - 2020年(令和2年)5月3日)は、日本の文芸評論家。 福岡県小郡市に生まれる。1954年九州大学経済学部卒業。旧制福岡高等学校在学中から小説を書き始め、九州大学在学中に『九州文学』『新日本文学会』などの同人誌に参加し、作品を発表。大学卒業後は福岡で新聞記者となり、この頃夢野久作の三男・杉山参緑と知り合い、夢野久作に関心を持ち始める。上京後、週刊誌編集者、フリーライターを経て文筆業。51歳の時に、町田市ゆかりの明治の自由民権家、石坂昌孝や細野喜代四郎などを描いた「多摩困民記」を刊行し、作家デビューする。「自分の書き残したいものだけを書く」というポリシーのもと、綿密な調査や取材を行い、ノンフィクションや伝記を次々に執筆した。
古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 20… 古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 2019年9月9日)は、日本の通商産業官僚。通商産業省貿易局長を最後に退官後、電源開発理事等を経て、マツダ第7代社長に就任。 大分県宇佐市出身。実兄は珉珉創業者であり日本画家の古田安夫。中津商業学校(現大分県立中津東高等学校)、大分経済専門学校(現大分大学経済学部)を経て、東京大学経済学部卒業。 1952年(昭和27年)、通商産業省入省。同期には杉山和男(通産省事務次官)、並木信義(名古屋市大教授)、小松国男(通産審議官)、小島英敏(経企次官)、谷村昭一(経企次官、日商専務理事)、服部典徳(工業技術院総務部長)、倉部行雄(防衛庁装備局長)、平林勉(官房審議官)などがいる。
松村 正義(まつむら まさよし、1928年(昭和3年)3月2… 松村 正義(まつむら まさよし、1928年(昭和3年)3月27日 - 2022年(令和3年)12月27日)は、日本の歴史学者、政治学者。帝京大学名誉教授。専門は近代日本外交史、特に外交宣伝、国際交流史。法学博士。 福井県出身。東京大学法学部を卒業し、1952年(昭和28年)外務省に入省。1970年(昭和45年)ニューヨーク領事。1975年(昭和50年)国際交流基金に勤務。1979年(昭和54年)法学博士号を取得。1985年(昭和60年)米国コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、1988年帝京大学教授を経て、2003年から日露戦争研究会会長。
菅野 久光(すがの ひさみつ、1928年(昭和3年)3月27… 菅野 久光(すがの ひさみつ、1928年(昭和3年)3月27日 - 2006年(平成18年)5月14日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。 参議院議員(3期)、参議院副議長、北海道・沖縄開発政務次官(細川内閣)、旭川市議会議員などを務めた。 北海道釧路市出身。北海道第三師範学校(現・北海道教育大学旭川校)卒業。 小学校教諭、旭川市議会議員などを経て、1979年北海道教職員組合中央執行委員長。1983年の参院選に北海道選挙区から日本社会党公認で出馬し初当選。2001年に引退するまで3期18年務めた。 1993年、細川内閣にて、北海道・沖縄開発政務次官を務める。 1996年、民主党結党に参加。
山上 達人(やまがみ たつんど、1928年3月26日 - 2… 山上 達人(やまがみ たつんど、1928年3月26日 - 2004年)は、日本の会計学者。商学博士(論文博士・1971年)(学位論文「生産性会計論」)。大阪市立大学名誉教授、奈良産業大学名誉教授。 大阪市出身。大阪商科大学卒業。1960年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1971年「生産性会計論」で商学博士の学位を取得。関西大学商学部講師、助教授、大阪市立大学商学部助教授、教授。1991年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授。2003年退任、名誉教授。
関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)… 関 敬六(せき けいろく、本名:関谷 敬二(せきや けいじ)、1928年3月25日 - 2006年8月23日)は、日本のコメディアン、俳優、声優。栃木県足利市出身。 1945年3月旧制栃木町立栃木商業学校(現・栃木県立栃木商業高等学校)を卒業して、陸軍特別幹部候補生として入隊するも、終戦で除隊。その後、法政大学政治経済学部に入学、1951年最後の旧制大学専門部を卒業した。 浅草の税務署に勤務していたが、出征中に演じた素人芝居が忘れられずに仕事をさぼって度々喜劇の舞台に出演するようになる。榎本健一のエノケン劇団を経て、浅草フランス座に所属した。当時は渥美清や谷幹一と出会い、三人で下積み時代を支えあった。
池原 義郎(いけはら よしろう、1928年3月25日 - 2… 池原 義郎(いけはら よしろう、1928年3月25日 - 2017年5月20日)は、日本の建築家、早稲田大学名誉教授、日本芸術院会員。 東京都渋谷区生まれ。明治学院中学校、早稲田大学高等学院を経て1951年早稲田大学理工学部建築学科卒業、1953年同大学院工学研究科建設工学専攻建築計画専修修了、山下寿郎設計事務所勤務、1956年早大理工学部建築学科今井兼次研究室助手、1964年には、多摩美術大学美術学部で講師を務め、1965年早大理工学部建築学科専任講師、1966年助教授、1971年教授、1974年日本建築学会賞、1988年池原義郎・建築設計事務所設立、日本芸術院賞、1989年日本芸術院会員。1995年早大名誉教授。
佐谷 和彦(さたに かずひこ、1928年3月25日 - 20… 佐谷 和彦(さたに かずひこ、1928年3月25日 - 2008年5月23日)は、日本の画商。京都府生まれ。1978年に佐谷画廊を設立。東京画廊・山本孝、南画廊・清水楠男を日本において近代・現代の美術を扱う画商の第一世代とすると、第二世代を代表する一人であった。 「企画展の内容こそが、画廊の仕事を表現するものだ」とする信念によって、国内外の20世紀美術の作家を取り扱い、数多くの展覧会を実施。展覧会に際して制作した自らのあとがきエッセイを付したカタログは100冊を超え、自著も少なくない。1988年刊の著書「画廊のしごと」は、画商自身が画廊経営について論じた本の嚆矢として、美術業界を目指す後進の参考にされることがしばしばあった。
小林 美夫(こばやし よしお、1928年 <昭和3年> 3月… 小林 美夫(こばやし よしお、1928年 <昭和3年> 3月25日 - 2017年 <平成29年> 10月5日)は、日本の建築家、教育者。勲等は瑞宝中綬章。位階は従五位。学位は工学博士。株式会社アトリエ・K主宰、日本大学名誉教授。 1950年、日本大学卒業後、日本放送協会建築部に採用された。1958年には母校である日本大学の講師に就任し、1973年より理工学部教授に就任した。日本大学では長く後進の育成にあたった。 また、自身の建築設計事務所としてアトリエ系建築設計事務所「アトリエ・K」を主宰した。 主要な作品としては、岩手県営体育館、秋田県立体育館、日本薬学会長井記念館、東京薬科大学八王子キャンパス、静岡県立大学などが挙げられる。
増尾 竜一(龍一、ますお りゅういち、1928年 <昭和3年… 増尾 竜一(龍一、ますお りゅういち、1928年 <昭和3年> 3月24日 - 1999年 <平成11年> 1月6日)は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授、工学博士(京都大学)。第6代大阪工業大学機械工学科同窓会会長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 専門は、機械計測工学、機械力学、機械金属工学。 京都府京都市左京区出身。1951年京都大学工学部卒業。結核を患い、療養所に入る。復帰後、1954年大阪工業大学工学部機械工学科に着任、機械工学教室を担当。1961年京都大学大学院工学研究科にて工学博士。大阪工業大学機械工学科計測研究室で多数の研究室生を輩出し、その研究室卒業生により「竜の子会」が1962年に結成される。
石井 真司(いしい しんじ、石井眞司、1928年3月24日 … 石井 真司(いしい しんじ、石井眞司、1928年3月24日 - 2004年5月17日)は、日本の弁護士、法学者。 東京府東京市(現東京都台東区)出身。1952年中央大学法学部卒、日本勧業銀行に入り、1966年最高裁司法研修所修了、勧銀に戻り、調査部課長代理、同主任調査役、同参与、第一勧業銀行調査部、第一勧銀総合研究所、第一勧銀経営センター、みずほ銀行法務部各顧問を経て、2003年退職。銀行勤務の傍ら、全国銀行協会連合会法規専門部会・不渡手形審査専門委員会各特別委員、金融法学会理事、法制審議会倒産法部会委員などを歴任。弁護士(尾崎昭夫法律事務所)。
高田 誠二(たかだ せいじ、1928年3月24日 - 201… 高田 誠二(たかだ せいじ、1928年3月24日 - 2015年)は、日本の科学史家、計量工学者。北海道大学名誉教授。 東京府生まれ。1950年東京大学工学部計測工学科卒業、通商産業省中央度量衡検定所(のち計量研究所)に入り、温度計測・単位論の研究に従事。1961年「金点における黒体放射の実現」で東京大学より工学博士の学位を取得。1970年『単位の進化』で毎日出版文化賞受賞。同年計量研究所研究企画官、72年第二部長、1980年北海道大学理学部教授、1991年退官、名誉教授、久米美術館参事・研究員。 計量に関する研究、一般書の著述のほか、岩倉使節団の自然科学面での研究著述も行った。
藤田 宏達(ふじた こうたつ、1928年3月24日 - 20… 藤田 宏達(ふじた こうたつ、1928年3月24日 - 2023年9月17日)は、日本の仏教学者。北海道大学、札幌大谷短期大学名誉教授。北海道大学教授・札幌大谷短期大学学長を歴任。浄土真宗の僧侶で北海道の真宗大谷派役員でもある。 1950年、東京大学文学部哲学科(印度哲学専修)を卒業し、同大学院で中村元に師事した。卒業後は北海道大学教授。1992年に札幌大谷短期大学長に就いた。 2023年9月17日、心不全のため死去。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
皆川 完一(みながわ かんいち、1928年3月24日 - 2… 皆川 完一(みながわ かんいち、1928年3月24日 - 2011年10月28日)は、昭和・平成時代の歴史学者。東京大学名誉教授。 1949年(昭和24年)3月、東京大学文学部国史学科入学。1953年(昭和28年)卒業後は同大学院に進学。1956年(昭和31年)から史料編纂所に勤務し、1962年助手、1972年助教授、1979年教授、1988年(昭和63年)定年退官、名誉教授、愛知学院大学教授、1992年(平成4年)中央大学文学部教授、1998年(平成10年)定年退職。 文化庁文化財保護審議会専門委員・新潟県史編纂委員会参与・日本歴史学会理事・日本古文書学会理事などを歴任。 国史大系『令集解』後編・『尊卑分脈』の校訂に従事。
中瀬 寿一(なかせ としかず、1928年3月23日 - 20… 中瀬 寿一(なかせ としかず、1928年3月23日 - 2001年8月26日)は、日本史・経営史学者。 大阪府出身。同志社中学校卒、旧制大阪高等学校卒、1954年大阪市立大学経済学部卒、年表編纂委員となる。関西国民文化会議、大阪総評十年史代表編纂委員。1969年「日本広告産業発達史研究」で中央大学商学博士。大阪産業大学助教授、教授、1972-1973年、1978年経営学部長、1998年定年、名誉教授。
久木田 稔(くきた みのる、1928年3月22日 - 198… 久木田 稔(くきた みのる、1928年3月22日 - 1988年6月12日)は、日本の経営者。鹿児島県出身。 1951年に大阪大学法学部を卒業し、同年に宝酒造に入社。1965年5月に取締役に就任し、1970年5月に常務、1975年5月に専務を経て、1977年6月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。 1988年6月12日脳腫瘍のために社長在任時に死去。60歳没。
網岡 雄(あみおか ゆう、1928年3月22日 - 2011… 網岡 雄(あみおか ゆう、1928年3月22日 - 2011年2月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 三重県三重郡菰野町出身。1951年、岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)卒業。薬剤師になる。 1959年、愛知県議会議員に名古屋市千種区選挙区から立候補し初当選。以後5期20年県議を務め、日本社会党愛知県本部書記長、副委員長を歴任した。 1979年、第35回衆議院議員総選挙に衆議院旧愛知2区から社会党公認で立候補するが次点で落選。1980年の総選挙も次点で落選。 1983年春の褒章で藍綬褒章受章。同年第37回衆議院議員総選挙において初当選。1986年の総選挙は落選。1990年の総選挙で返り咲く。
島原 健三(しまはら けんぞう、1928年3月22日 - )… 島原 健三(しまはら けんぞう、1928年3月22日 - )は、日本の化学者、翻訳家、成蹊大学名誉教授。筆名・芹生 一(せりう はじめ、せりゅう はじめ)。 東京生まれ。父は慶應予科教授の島原逸三、姉はロシア語翻訳家の島原落穂。1950年慶應義塾大学工学部応用化学科卒、1974年慶大工学博士。化学工場勤務、高校教諭を経て、1974年成蹊大学工学部教授、1999年定年、名誉教授。芹生一の筆名で英米児童文学の翻訳を行い、詩も書いた。
助川 弘之(すけがわ ひろゆき、1928年〈昭和3年〉3月2… 助川 弘之(すけがわ ひろゆき、1928年〈昭和3年〉3月22日 - 2013年〈平成25年〉9月8日)は、日本の政治家、教育者、医師、市民運動家。 霞ケ浦の再生を考える会会長でいのちの水・霞ヶ浦を守る市民ネットワーク代表、筑波メディカルセンター病院理事長、第16・17・18・19代茨城県土浦市長、茨城県公安委員長を歴任した。旭日小綬章受章者。 助川喜四郎の三男として、茨城県新治郡土浦町敷島町(現・土浦市桜町)で生まれた。その後、東京大空襲に遭遇したが生き延びる。東京慈恵会医科大学医学部を卒業し、医師免許を取得。長じて政治を志し、箱根宏の死去にともなう1987年の土浦市長選挙に立候補し初当選。以後、1991年・1995年・1999年の市長選にも当選し、4選を果たした。
石川 恭子(いしかわ きょうこ、1928年3月22日 - 2… 石川 恭子(いしかわ きょうこ、1928年3月22日 - 2020年4月14日)は、日本の歌人、医師。 東京府生まれ。小学校時代から作歌を始める。東京女子医学専門学校卒業。内科医として働くかたわら短歌を詠み、短歌結社『立春』、加藤克巳の『個性』をへて、歌誌『素馨(そけい)』主宰。1994年、歌集『木犀の秋』で第21回日本歌人クラブ賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
黄 珞周(ファン・ナクチュ、朝鮮語: 황낙주、1928年3月… 黄 珞周(ファン・ナクチュ、朝鮮語: 황낙주、1928年3月22日 - 2002年12月12日)は、大韓民国の政治家。第8・9・10・12・13・14・15代大韓民国国会議員、第14代国会副議長・議長(後半)などを歴任した。本貫は長水黄氏。 日本統治時代の慶尚南道昌原郡(現・昌原市鎮海区)出身。馬山商高、ソウル大学校商科大学経済学部卒、早稲田大学大学院政経研究科政治学専攻修了。忠武中学校(のちの鎮海西女子中学校、現在は廃校)および忠武商業高等学校(現・鎮海世和女子高等学校(朝鮮語版))創設者・校長・理事長、新民党慶南支部副委員長・慶南第6地区党委員長、自治体促進闘争委員会慶南支部長、新民党慶尚南道党委員長・院内首席副総務・政務委員・中央人権擁護委員長、APU韓国代表、新民党院内総務、統一民主党政務委員、国会動力資源委員長、民自党中央委員会議長、第14代国会副議長・議長、ハンナラ党常任顧問を務めた。
野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月2… 野﨑 元治(のざき げんじ、1928年 <昭和3年> 3月21日 - 2023年 <令和5年> 5月20日)は、日本の経営者、銀行家。十八銀行頭取を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1948年に第五高等学校を経て、1951年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に大蔵省に入省した。1978年2月に大臣官房審議官、同年8月にアジア開発銀行理事、1982年9月に東洋信託銀行常勤顧問、1986年9月に西宮酒造副社長を歴任し、1989年6月に十八銀行副頭取に就任し、1990年2月には頭取に昇格。2000年6月には会長に就任。 2023年5月20日、老衰のために死去。95歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
藤田 弘道(ふじた ひろみち、1928年 <昭和3年> 3月… 藤田 弘道(ふじた ひろみち、1928年 <昭和3年> 3月21日- 2018年 <平成30年> 3月13日)は、日本の経営者。凸版印刷社長、会長を務めた。位階は従四位。 静岡県出身。1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に凸版印刷に入社した。1980年に取締役に就任し、1985年8月に常務、1987年8月に専務を経て、1989年4月に副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格した。2000年6月に会長に就任。 1999年4月に勲二等瑞宝章を受章した。 2018年3月13日、腎不全のために死去。89歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 201… 奥田 幹生(おくだ みきお、1928年3月21日 - 2018年3月2日)は、日本の政治家。京都市会議長・衆議院議員(6期)・文部大臣などの要職を歴任。従三位。 京都府綾部市出身。京都師範学校を卒業後、教員生活を経て早稲田大学政治経済学部を卒業。早大卒業後、読売新聞記者となる。その後京都市会議員・同市会議長・京都府議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧京都1区から立候補し、落選した。翌1980年の第36回衆議院議員総選挙では(現職の田中伊三次が公認を返上したため)唯一の自民党公認候補として選挙戦を戦い、初当選した(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・川崎二郎・柿澤弘治など)。
渡辺 茂男(わたなべ しげお、1928年3月20日 - 20… 渡辺 茂男(わたなべ しげお、1928年3月20日 - 2006年11月18日)は、日本の児童文学者、翻訳家。元慶應義塾大学文学部図書館学科(現在の図書館・情報学専攻)教授。 昭和時代戦後から平成時代にかけて、児童文学を多数創作した他、『エルマーのぼうけん』をはじめとした英米の絵本や童話を中心とした児童文学や、海外の児童文学理論の翻訳を数多く手がけた。 静岡県静岡市葵区生まれ。静岡県立静岡商業学校、久我山工業専門学校を経て、慶應義塾大学文学部図書館学科を卒業後、米国のウェスタン・リザーブ大学大学院を修了。ニューヨーク公共図書館児童部勤務を経て、1975年まで慶應義塾大学文学部図書館学科(現在の図書館・情報学専攻)教授。
吉岡 利固(よしおか としかた、1928年3月20日 - 2… 吉岡 利固(よしおか としかた、1928年3月20日 - 2022年7月16日)は、日本の実業家。新日本海新聞社代表取締役社主、グッドヒル代表取締役社主。徳島県美馬市出身。 中央大学法学部を卒業後、大阪国税局調査官、紳士服メーカー・エフワンの鳥取県での製造・販売代理店として1961年に設立された鳥取エフワン(現・グッドヒル)の経理部長を経て、同社社長に就任。不動産事業(ハウス日本海)にも進出した。 1976年、会社更生法の適用を申請して休刊中だった日本海新聞の経営を引き受け、鳥取県を代表する地方新聞として再建を果たした。さらに2000年には大阪日日新聞を傘下に収め、2002年にはエフワン本社(大阪市)を親会社の三井物産から買収し、全国進出への足がかりとした。
鈴木 茂(すずき しげる、1928年3月20日 - 1987… 鈴木 茂(すずき しげる、1928年3月20日 - 1987年9月21日)は、日本の哲学者。 横浜市生まれ。1945年3月東海海運局勤務、48年宮城県坂元村立坂元中学校助教諭、1949年京都大学文学部哲学科選科入学、50年横浜市立神橋小学校助教諭、54年京都大学文学部哲学科卒、57年同大学院修士課程修了。59年京都府立山城高等学校教諭、60年京大博士課程満期退学、63年京都府立桂高等学校教諭、1974年松山商科大学経済学部助教授、教授。1986年立命館大学経営学部教授。見田石介に傾倒していた。鈴木茂は妻に先立たれた寂しさを酒で紛らせ入浴中シャワーの下で絶命し数日後に発見された。
稲賀 敬二(いなが けいじ、1928年(昭和3年)3月20日… 稲賀 敬二(いなが けいじ、1928年(昭和3年)3月20日 - 2001年(平成13年)4月11日)は、日本の国文学者。平安文学専攻。広島大学名誉教授。美術史家稲賀繁美の父。 旅順市明治村に生まれる。本籍地は鳥取県境港市。1947年(昭和22年)広島高等学校文科甲類卒業。1950年(昭和25年)、東京大学文学部文学科卒業。1954年(昭和29年)、東京大学大学院特別研究生退学。東京大学在学中は池田亀鑑のもとで『源氏物語大成』(全9巻)『源氏物語事典』(全2巻)などの編集に従事した。 1956年(昭和31年)、立教大学一般教育部講師、広島大学文学部講師。1961年(昭和36年)、広島大学文学部助教授。
田中 彰(たなか あきら、1928年3月20日 - 2011… 田中 彰(たなか あきら、1928年3月20日 - 2011年11月9日)は、日本の歴史学者。北海道大学名誉教授。専門は、日本近代史。 山口県徳山市生まれ。戦中は陸軍予科士官学校に在籍。1953年、東京教育大学文学部卒業。1959年、同大学院文学研究科博士課程修了。都留文科大学助教授、北海道大学文学部助教授、同教授。1991年、北海道大学停年退官。札幌学院大学経済学部教授。2000年、札幌学院大学退職。 陸軍予科士官学校生徒として終戦降伏を迎えた敗戦体験が、幕末・明治維新史研究の起点となる。明治以降の近代日本史を批判的に取り組み、石橋湛山による小国主義(小日本主義)、近代天皇制を軸とした大日本帝国否定論を基調としている。
野平 祐二(のひら ゆうじ、1928年3月20日 - 200… 野平 祐二(のひら ゆうじ、1928年3月20日 - 2001年8月6日)は、日本の騎手(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会〈JRA〉 )、調教師(日本中央競馬会)。千葉県船橋市古作出身。騎手としても調教師としても成功し「ミスター競馬」と呼ばれた。父の野平省三は元騎手(日本競馬会)、元調教師(国営競馬、日本中央競馬会)。孫の二本柳壮は騎手(JRA)。2004年、騎手顕彰者に選出。 父の省三が騎手を引退したあと、下総御料牧場で働いていたときに生まれる。幼少のころから馬が身近にいる環境で育ち、小学校時代には馬に鞍をつけて乗るようになっていた。 尋常小学校を卒業後、旧制関東中学校(現・千葉敬愛高等学校)に進学するが、騎手を志して退学。
山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19… 山下 艶子(やました つやこ、旧姓:生田、1928年3月19日 - 2021年2月12日)は、日本のフィギュアスケート選手、コーチ。大阪府大阪市出身。大手前高等女学校(現・大阪府立大手前高等学校)、関西学院大学卒。155cm。長女は元フィギュアスケート選手で1968年グルノーブルオリンピック、1972年札幌オリンピック女子シングル日本代表の山下一美(現姓・大西)。 6歳のとき、大阪・中之島にあった朝日会館内のリンクで永井康三に師事し、スケートを始めた。 1938-1939年と1939-1940年シーズンの全日本フィギュアスケートジュニア選手権で2連覇を果たし、1940-1941年の全日本フィギュアスケート選手権で3位となった。
光瀬 龍(、1928年〈昭和3年〉3月18日 - 1999年… 光瀬 龍(、1928年〈昭和3年〉3月18日 - 1999年〈平成11年〉7月7日)は、日本のSF作家。本名は飯塚 喜美雄。旧姓は千葉で、結婚する際に妻の姓に改めた。 東京府北豊島郡南千住大字千住南に生まれ、1933年から1945年3月まで板橋区練馬南町に育つ。東京市開進第三国民学校5年生のときに海野十三の短編集『十八時の音楽浴』を読み、強い感銘を受ける。 川村学院中学校在学中、1945年4月、岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)に疎開する。岩手育ちと自称していたが、実際に岩手ですごしたのは17歳から20歳までの3年間のみである。この間、光瀬は一関中学校(現・一関第一高等学校)に学び、1948年3月に同校を修了するまで青春期のひとときを謳歌している。
近藤 照久(こんどう てるひさ、1928年3月18日 - 2… 近藤 照久(こんどう てるひさ、1928年3月18日 - 2009年1月3日)は、東洋炭素創業者、元社長、会長。香川県出身。
鐸木 能子(すずき よしこ、1928年〈昭和3年〉3月17日… 鐸木 能子(すずき よしこ、1928年〈昭和3年〉3月17日 - 2008年〈平成20年〉)は、日本の人形作家。 木彫木目込み衣装人形という伝統技法を現代の雛人形制作に取り入れた。長男は作家・音楽家・狛犬研究家の鐸木能光。 1928年3月、群馬県佐波郡伊勢崎町(現・伊勢崎市)で蝋燭問屋・細野家の四女(7人きょうだいの6番目)として生まれる。聖路加女子専門学校(後の聖路加看護大学、現在の聖路加国際大学)を卒業。 終戦後は立教女学院に就職。その後、看護師として福島県白河市の病院に勤務。結核で入院していた患者(福島県職員)と結婚後、病院を退職し福島大学附属中学校で養護教諭を務める。離婚を経て、理科の中学校教員と再婚。
芳賀 綏(はが やすし、1928年3月17日 - 2017年… 芳賀 綏(はが やすし、1928年3月17日 - 2017年10月3日、日本の日本語学者。東京工業大学名誉教授。 福岡県北九州市出身。1953年に東京大学文学部を卒業し、1957年に東洋大学助教授となったのち、藤女子大学助教授、法政大学助教授、東京工業大学教授を歴任。1992年に定年退官、静岡県立大学教授に就任。その間西ドイツ・ボーフム大学客員教授、NHK部外解説委員も務めた。保守的な立場での政治評論も多く書いている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高木実(たかぎ みのる、1928年3月17日 - )は、日本… 高木実(たかぎ みのる、1928年3月17日 - )は、日本の中世ドイツ文学研究者、早稲田大学名誉教授。 東京出身。早稲田大学第一文学部独文科卒、同語学教育研究所助教授、文学部教授。99年定年、名誉教授。
大越 幸夫(おおこし ゆきお、1928年3月16日 - 20… 大越 幸夫(おおこし ゆきお、1928年3月16日 - 2018年12月4日)は、TBS顧問、同局初代北京特派員である。東京都出身。 1951年早稲田大学卒業後、同年にTBS入社。1964年TBS北京特派員、1975年同局編成局長、1977年報道局長、1981年取締役、1983年常務取締役、1986年同局映画社社長、1991年同局緑山スタジオ社長、1993年同局ビジョン社長、1997年同局顧問となり日中交流に活躍した。 2018年12月4日、肝不全のため死去。
伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – … 伊賀 弘三良(いが こうざぶろう、1928年3月16日 – 1998年11月22日)は兵庫県出身の編集者、出版事業家。祥伝社元社長。 兵庫県神崎郡香寺町(現姫路市)出身。旧制姫路中学校から陸軍予科士官学校、旧制第六高等学校を経て東京大学文学部仏文科卒業。 もともと作家志望だったが、渡辺一夫教授により神吉晴夫に紹介され、1953年、大卒一期生として光文社に入社。同期に、のちの祥伝社社長藤岡俊夫がいた。出版局に配属され、1955年、京大の動物学者伊谷純一郎に『高崎山のサル』を書かせてヒットを飛ばす。 1959年、カッパ・ノベルス創刊編集長に昇進。以後、カッパ・ブックスの編集長を兼任。ノベルスからは松本清張の社会派推理小説を続けて刊行(なお、この「社会派推理小説」という言葉を考えたのも伊賀だという説もある)。
斎藤 茂男(さいとう しげお、1928年3月16日 - 19… 斎藤 茂男(さいとう しげお、1928年3月16日 - 1999年5月28日)は、日本のジャーナリスト。 東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。1952年共同通信社入社。社会部記者、次長、編集委員を経て1988年退社。1958年「菅生事件」報道で日本ジャーナリスト会議賞、1974年再度同賞受賞、1983年長年の報道活動で日本記者クラブ賞、1984年「日本の幸福」シリーズで日本新聞協会賞受賞。多くの著書があり、特に「ルポルタージュ父よ母よ!」を原作に、1980年に木下惠介監督『父よ母よ!』が映画化された。 晩年に著作集『ルポルタージュ日本の情景』全12巻が出された。
坂本 百大(さかもと ひゃくだい、1928年3月15日 - … 坂本 百大(さかもと ひゃくだい、1928年3月15日 - 2020年12月17日)は、日本の哲学者(科学哲学・記号論理学・記号学・生命倫理・心の哲学)。心身問題に対するひとつの解答として原一元論を提唱した。青山学院大学名誉教授。 1928年、台湾で生まれた。東京都目黒区出身。1948年、第一高等学校文科丙類に入学。1949年に卒業し、東京大学教養学部に入学。東京大学文学部哲学科に移り、1954年を卒業。同大学院人文科学研究科に進んで、1956年に修士課程を修了。1958年よりジョンズ・ホプキンス大学大学院哲学科で学び、その後もカリフォルニア大学ロサンジェルス校大学院哲学科、カリフォルニア大学バークレー校数学科で学んだ。
西原 春夫(にしはら はるお、1928年3月13日 - 20… 西原 春夫(にしはら はるお、1928年3月13日 - 2023年1月26日)は、日本の法学者。位階は従三位。専門は刑法。早稲田大学名誉教授。法学博士(早稲田大学)。東京都出身。 東京都武蔵野市吉祥寺出身。1941年成蹊小学校卒業、1948年旧制成蹊高等学校卒業。1949年に早稲田大学第一法学部(3年次)に入学する。1951年に同学部を卒業。1951年同大学大学院法学研究科修士課程に入学し齊藤金作教授に師事する。同大学副手就任。1953年に同研究科博士課程入学後、同大学助手に就任する。1956年に同研究科博士課程を修了。 1959年早稲田大学専任講師、1962年同大学助教授、1967年同大学教授。