西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2015年… 西尾 昇(にしお のぼる、1923年1月7日 - 2015年/2016年)は、日本映画の録音技師。旧活動名は西尾 浩伸(にしお ひろのぶ)。 山梨県南巨摩郡飯富村(現身延町)出身。小学5年生の頃、松竹洋画系の本郷座で観た『キング・コング』で、この映画の画と音への感動が録音技師を志望する契機となった。同作は当時、誠文堂の月刊誌『子供の科学』に頻繁に載っていたトーキーで、西尾は友達の母親(女教師)に声をかけられ、4~5人の同級生と共に連れられて観に行っていた。 1941年に電機学校を卒業し、1943年に朝日映画社に入社する。1948年に独立し、西尾サウンドを設立する。東宝、大映、東映などの独立プロ作品の受注を開始する。
吉田 満(よしだ みつる、1923年〈大正12年〉1月6日 … 吉田 満(よしだ みつる、1923年〈大正12年〉1月6日 - 1979年〈昭和54年〉9月17日)は、日本の作家。日本銀行職員。キリスト者。 大日本帝国海軍における戦時体験をもとにした戦記を残すとともに、日本銀行職員の要職を歴任する傍ら、「戦中派」として独自の著作活動や言論活動を続けた。代表作の『戦艦大和ノ最期』は、映画化、長時間テレビドラマ化もされ、海軍での上官であった臼淵磐も吉田の著作を通しても広く知られるようになった。 1923年(大正12年)1月6日、父・吉田茂と母・ツナの長男として、東京市赤坂区青山北町(現・東京都港区北青山)で誕生。上には姉の瑠璃子がいた。同年の9月の関東大震災のため、その後一家は渋谷町(現・渋谷区)に移った。
世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 199… 世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 1998年9月25日)は、日本の政治家、医学者、学校法人理事長。位階は正三位。 日本大学第二高等学校卒業。1949年、日本大学医学部を卒業する。同大学に残り、同大医学部皮膚科学の教授に。1960年 日本大学 医学博士。論文の題は「紫斑性皮膚疾患の血液学的分布」。 1965年から父弘一のあとを継ぎ、2代目近畿大学総長・理事長を務める。 1967年に第31回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧和歌山2区から立候補し当選するが(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)、1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。
桃井 久資(ももい きゅうじ、1923年〈大正12年〉1月6… 桃井 久資(ももい きゅうじ、1923年〈大正12年〉1月6日 - 2010年〈平成22年〉6月13日)は、新潟県佐渡郡小木町(現在の佐渡市)の元小木町議会議長、元町長。小木町出身。 小木小学校、旧制新潟県立佐渡中学校(現在の新潟県立佐渡高等学校)卒。合資会社久松屋商店代表社員、小木町教育委員、小木町商工会長、小木町議会議員・議長などを経て、1985年に小木町長に当選。2期8年務める。 2010年、耳下腺がんで死去。
重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年… 重松 泰雄(しげまつ やすお、1923年1月6日-1999年6月19日)は、日本の日本近代文学研究者。
田中 太郎(たなか たろう、1923年 <大正12年> 1月… 田中 太郎(たなか たろう、1923年 <大正12年> 1月6日 - 没年不明)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1945年に東京帝国大学工学部機械学科を経て、1947年に東京大学工学部大学院を修了し、同年10月に民生ディーゼル工業に入社。1958年10月に日本電装に転じ、1971年2月に取締役に就任し、1978年5月に常務、1979年3月に専務を経て、1985年3月に副社長に就任し、1987年3月には社長に昇格。1991年3月から1995年3月までに会長を務めた。 1989年4月に藍綬褒章を受章。
高﨑 元尚(たかさき もとなお、1923年1月6日 - 20… 高﨑 元尚(たかさき もとなお、1923年1月6日 - 2017年6月22日)は、日本の美術家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 -… 西沢 正太郎(にしざわ しょうたろう、1923年1月5日 - 2019年7月10日)は、日本の児童文学作家。 埼玉県狭山市生まれ。1940年、学校組合立豊岡実業学校卒業後、中央大学専門部法科第二部に進学し卒業。小学校教諭のかたわら福田清人・石森延男・浜田廣介に師事して児童文学を書く。 1961年、『プリズム村誕生』で講談社児童文学作品受賞。1966年、『青いスクラム』で小学館文学賞受賞。自身の作品執筆のほか、教員が推薦する本の紹介文なども手掛けた。 小学校では校長まで務め、退職後は作家活動に専念。1989年から1993年まで日本児童文芸家協会理事長も務めた。理事長退任後、同協会顧問。 同じ児童文学作家の香川茂とは長年の友人だった。
太田 實(おおた みのる、1923年1月5日 - 2004年… 太田 實(おおた みのる、1923年1月5日 - 2004年3月6日)は、日本の建築都市環境学の研究者。都市計画家。建築家。北海道大学名誉教授。北海道大学で長く建築学、都市計画学および地域計画学に関する研究と後進の教育に従事し、工学部と大学院(工学研究科、環境科学研究科)教授として人材育成に尽力。北海道大学退官後は北海道工業大学教授も務め戦後の近代都市計画学の普及と発展に貢献する。 福岡県生まれ。1944年東京帝国大学第一工学部建築学科を卒業。同大学大学院修了。1948年、北海道大学工学部に建築工学科が新設にともない赴任。学科創設期から1986年に退官するまで、教育と研究に寄与した。1950年から1952年にかけては丹下健三らと北海道稚内市の都市計画を手がける。
賀川 光夫(かがわ みつお、1923年(大正12年)1月5日… 賀川 光夫(かがわ みつお、1923年(大正12年)1月5日 - 2001年(平成13年)3月9日)は、日本の考古学者。『週刊文春』の報道被害により自死した。 栃木県烏山町(現那須烏山市)出身。1944年(昭和19年)、日本大学法文学部在学中に学徒出陣で応召し、宇佐海軍航空隊に配属。広島市へ原子爆弾が投下された際には九七式艦上攻撃機で広島への偵察を行なった。 1947年(昭和22年)、日大法文学部卒業後、大分県文化財委員会などを歴任し、別府大学文学部教授(後に名誉教授)を務め、大分県を中心に、旧石器時代から中世に至るまでの広範囲の遺跡の発掘調査に関わり、九州の考古学のパイオニアと目された。1963年には別府大学文学部に史学科を設立した。
豊田 耕作(とよた こうさく、1923年(大正12年)1月4… 豊田 耕作(とよた こうさく、1923年(大正12年)1月4日 - 2012年(平成24年)2月13日) は、日本の教育者、金属工学者(冶金学者)。千葉工業大学元理事長・千葉工業大学元会長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
三好 主(みよし ちから、1923年1月3日 - )は巨人に… 三好 主(みよし ちから、1923年1月3日 - )は巨人に在籍した元プロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手、遊撃手。
佐藤 晴夫(さとう はるお、1923年1月3日 - 2009… 佐藤 晴夫(さとう はるお、1923年1月3日 - 2009年)は、日本の刑務官、翻訳家。 北海道生まれ。東京帝国大学文学部心理学科卒業。法務省矯正研修所長をへて、東洋大学工学部教授、常盤大学兼任教授。 マルキ・ド・サドなどエロティック小説の翻訳を行う。
富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年… 富田容甫(とみた よすけ、1923年1月3日 - 1984年6月23日)は、昭和期の北海道を代表する政治学者・行政学者。恩師は尾形典男。 千葉県安房郡北条町(現・館山市)出身。1943年旧制第二高等学校文科卒業。東北帝国大学法学部に入学するも、同じ年に召集令状によって大日本帝国陸軍戦車連隊に入隊。1945年復員。1947年東北帝国大学法学部卒業。 北海道帝国大学法文学部助手。1952年北海道学芸大学学芸学部札幌分校岩見沢分教場助教授に就任。1954年北海道学芸大学学芸学部札幌分校助教授。1957年北海道大学法学部助教授。1962年北海道大学法学部教授。1965年北海道大学評議員に就任。1976年北海道大学評議員に再度就任。
朴 璟遠(パク・キョンウォン、朝鮮語: 박경원、1923年1… 朴 璟遠(パク・キョンウォン、朝鮮語: 박경원、1923年1月3日 - 2008年2月20日)は、大韓民国の政治家。第10代大韓民国国会議員。元内務部長官(3回)、第19代逓信部長官、第17代交通部長官。統一主体国民会議事務総長。 本貫は密陽朴氏。号は蓮牛(ヨヌ、연우)。カトリック教徒。 日本統治時代の全羅南道霊光郡に生まれた。木浦商業高等学校(現・木商高等学校(朝鮮語版))、長崎高等商業学校卒業。学徒出陣して日本軍少尉。千葉陸軍高射学校卒業。1946年6月12日付で軍事英語学校を卒業して任少尉(軍番10106番)。1960年に檀国大学校法律学科を卒業し、翌年に国防大学院を修了した。韓国陸軍入隊後は少将・中将を務めた。
大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 20… 大川 政三(おおかわ まさぞう、1923年1月3日 - 2007年3月21日)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。専門は財政学。勲三等旭日中綬章受章。 日本財政学会代表理事、日本経済政策学会理事、日本地方自治研究学会理事、国際財政学会理事、財政制度審議会委員、大学設置審議会委員、日本学術会議会員、国税審議会会長などを歴任。 指導学生に堀場勇夫(青山学院大学名誉教授)、内藤忠顕(元日本郵船社長)、永田雄志(元東洋エンジニアリング会長)、伊藤隆敏(コロンビア大学教授)、金田勝年(元法務大臣)、進藤孝生(日本製鉄会長)、塚原治(元国税庁国税審議官)、鹿取克章(元駐インドネシア大使)、吉國眞一(元国際決済銀行アジア太平洋総代表)、星野茂夫(元国土交通省海事局長)など。
福田 正彦(ふくだ まさひこ、1923年〈大正12年〉1月2… 福田 正彦(ふくだ まさひこ、1923年〈大正12年〉1月2日 - 2001年〈平成13年〉4月29日 )は、岡山県出身の政治家。新見市議会長を経て新見市長を3期務めた。 岡山県新見市にて生れる。地元に近い旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。同期には、東芝を経て日本原子力研究所副理事長を務める天野昇や大学教授になる田井庄之助、丸善石油(現:コスモ石油)副参与と北海道の各社の関連社長を務めた古米初男がいる。1940年(昭和15年)同校を卒業した。 その後、紆余曲折を経て新見市議会議員となり、新見市議会議長を務めた後、当時の新見市長を4期務めた赤木孜一の退任に伴う、新見市長選挙で松浦宏美と塚村正二に競り勝ち、新見市長となる。
酒井 次吉郎(さかい じきちろう、1923年 <大正12年>… 酒井 次吉郎(さかい じきちろう、1923年 <大正12年> 1月2日 - 2010年 <平成22年> 1月25日)は、日本の銀行家。元静岡銀行代表取締役会長。第7代静岡銀行頭取。位階は従四位。 バブル時代に頭取を務め、異常な熱気を帯びた日本経済の先行きに疑問を感じ、地方銀行本来の役割を思い起こし、都心の大企業やノンバンクから貸出金を回収。後のバブル崩壊の影響を最小限度に止めた。 1923年(大正12年)静岡県島田市に生まれる。1940年(昭和15年)静岡県立静岡中学校卒業。1944年(昭和19年)慶応義塾大学文学部卒業。1945年(昭和20年)、静岡銀行入行、1969年(昭和44年)、取締役。
小川 泰(おがわ たい、1923年1月2日 - )は、日本の… 小川 泰(おがわ たい、1923年1月2日 - )は、日本の政治家。元民社党衆議院議員(1期)。 千葉県出身。1944年中央大学専門部経済学科卒。同年日本発送電入社。戦後、東京電力に入り、同社労組役員を経て、全日本労働総同盟副書記長、同政治福祉局長などを務める。 1979年の第35回衆議院議員総選挙で神奈川2区から曾禰益の後継者として民社党公認で立候補したが落選。翌年の第36回衆議院議員総選挙でも落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙で初当選し、衆議院議員を1期務めた。1986年の第38回衆議院議員総選挙で落選。1987年・1989年(リクルート事件に伴う革新系現職辞任による選挙)二度の川崎市長選で県議経験者の新人永井英慈(民社、自民、進歩の各党推薦)を全面的支援するも永井は落選。
岩原 信九郎(いわはら しんくろう、1923年1月2日 - … 岩原 信九郎(いわはら しんくろう、1923年1月2日 - 1978年2月3日)は、日本の心理学者。愛知県豊橋市出身。 愛知県豊橋市出身。1947年東京文理科大学心理学科卒。1949年ミズーリ大学に留学。帰国後、奈良女子大学助教授、東京教育大学助教授を経て、1972年教授、1976年筑波大学教授併任。薬理心理学、生理心理学の発展に寄与した。 1978年1月3日、急性心不全のため東京都豊島区西池袋の平塚胃腸病院にて死去。55歳。
磯貝 英夫(いそがい ひでお、1923年1月2日 -2016… 磯貝 英夫(いそがい ひでお、1923年1月2日 -2016年1月13日)は、日本近代文学の研究者。広島大学名誉教授、ノートルダム清心女子大学名誉教授。 愛知県生まれ。広島文理科大学卒業。広島大学附属高等学校教諭、1957年広島女子短期大学講師、1960年助教授、1962年広島大学文学部助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、ノートルダム清心女子大学教授、のち退職し名誉教授。近現代日本文学を研究した。
佐口 卓(さぐち たかし、1923年1月2日 - 2000年… 佐口 卓(さぐち たかし、1923年1月2日 - 2000年3月11日)は、日本の社会制度学者。学位は、商学博士(早稲田大学・論文博士・1978年)(学位論文『日本社会保険制度史』)。早稲田大学名誉教授。 東京都生まれ。早稲田大学商学部卒、早稲田大学商学部助教授、教授を歴任し、1993年には早稲田大学名誉教授となる。 2000年3月11日、多臓器不全のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日… 玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう、1923年1月2日 - 1987年9月27日)は、大分県大分市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は三浦 朝弘(みうら ともひろ)。最高位は東関脇。全盛期の体格は181cm、120kg。得意手は右四つ、櫓投げ、外掛け。栃若時代の実力者の一人で、長谷川や琴錦と並んで、最強関脇との見方もある。 引退後は年寄・12代片男波を襲名し、片男波部屋を興した。 1923年1月、料亭の板前の家に六人兄弟の長男として生まれる。小学校時代は野球に熱中しており、大分県立商業学校(現大分県立大分商業高等学校)からの誘いもあったが中学には進学せず、玉錦(二所ノ関部屋)の一行が巡業に来たのを見て力士になることを志望した。
太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 198… 太田 じろう(おおた じろう、1923年1月2日 - 1982年3月29日)は、日本の漫画家、絵本作家。本名、太田二郎。東京市京橋区八丁堀出身。 東京市京橋区八丁堀にて製本職人の家庭に生まれる。早稲田実業学校卒業後、新潮社や東宝美術部に勤務。日本画を学び、野口昂明たちの勧めで『日の出』誌にカットを寄稿、1941年、『イソップまんが』で漫画家としてデビューした。 1943年に徴兵され、大刀洗飛行場で従軍にあたった。1945年に復員した後、帷子進や芳谷勝に師事する。1950年、『少年クラブ』に『お山のクロちゃん』を連載。1952年、島田啓三の長女と結婚した。1960年、『こりすのぽっこちゃん』で第5回小学館漫画賞を受賞する。
玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987… 玉置 和郎(たまき かずお、1923年1月1日 - 1987年1月25日)は、日本の政治家。参議院および衆議院議員、総務庁長官を務めた。和歌山県御坊市出身。 五人兄弟の三男として生まれ、中学入学直前に父親を亡くす。御坊商業学校(現・和歌山県立紀央館高等学校)卒業後中国大陸に渡り、華北交通の給費学生として1941年北京中央鉄路学院本科を修了。1943年に満鉄に入社。終戦後、製塩業、ゴム工場などの様々な仕事に就く。その後、上京し自由民主党本部に就職、党職員になる。和歌山県選出の早川崇衆議院議員に見出され、早川が労働大臣に就任した際、大臣秘書官となった。 生長の家政治連合の支援を得て、1965年の第7回参議院議員通常選挙に自民党公認で立候補し、当選する。
水津 一朗(すいづ いちろう、1923年1月1日 - 199… 水津 一朗(すいづ いちろう、1923年1月1日 - 1996年4月8日)は、日本の地理学者。人文地理学を専攻。伝統的地理学と計量革命後の計量地理学の止揚を目指し、「位相地理学」を提唱した。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1971年)。京都大学名誉教授。奈良大学元学長。 1923年山口県山口市生まれ。山口県立山口中学校(山口県立山口高等学校の前身)、旧制山口高等学校(現・山口大学)文科甲類卒業、1942年10月に京都帝国大学文学部史学科に進学するも、学徒出陣により兵役に従う。後に復員、復学。1946年9月に同大学を卒業。その後は特別研究生として大学院に進学。 1952年大阪市立大学講師、同大学助教授を経て、1959年に京都大学文学部助教授に就任(1966年から1967年まで、在外研究でヨーロッパに赴き、ドイツ、スウェーデンに滞在)。
西本 順次郎 (にしもと じゅんじろう、1923年1月1日… 西本 順次郎 (にしもと じゅんじろう、1923年1月1日 - 2006年6月7日) は、日本の精神科医。モンテッソーリ教育による幼児・障害者教育にも携わった。 広島県庄原市出身。1944年、台北帝国大学医学部を卒業する。台北帝国大学医学部精神科、九州大学医学部精神科に勤務した。1951年、国立久里浜病院医長となる。 1952年、九州大学にて医学博士号を取得し、慶応義塾大学医学部精神科に勤務した(他に群馬大学医学部および広島大学教育学部講師を務める)。 1957年、呉市に「安浦病院」を開設、同時に現在の広島市西区に「教育医学研究所」を設立した。「モンテッソーリ子どもの家」を中心に、精神科リハビリの生理学的治療を実施した。
若林 誠郎(わかばやし まさお、1923年1月1日 - )は… 若林 誠郎(わかばやし まさお、1923年1月1日 - )は、日本の実業家。京都市の百貨店「丸物」入社後、近鉄グループ入り・社名変更後の京都近鉄百貨店で社長を務めた。 東京府(現・東京都)出身で、旧制・東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)を卒業後、京都帝国大学へ進んだ。 学徒動員から復員後の京都帝大は混乱の中ではあるが、学問に対する熱気があふれているように感じたという。1947年(昭和22年)3月に大学を卒業した後、同年9月に京都市の百貨店「丸物」へ入社した。 設立以来、同社は創業者の中林仁一郎がずっと社長を務めていたが、1960年3月末に死去。長男の中林仁良が社長となって以降、1962年にはいったん伊藤忠商事の傘下を経て、1966年春には近畿日本鉄道(現・近鉄グループホールディングス)の子会社となり、資本構成などが大きく変化したものの、若林は昇進を続けた。
井江 春代(いえ はるよ、1923年1月1日 - 2011年… 井江 春代(いえ はるよ、1923年1月1日 - 2011年5月11日)は、日本の美術家、絵本作家。 1923年、鳥取県に井江耕宗の子として生まれる。1944年、女子美術専門学校(現 女子美術大学)師範科日本画部卒業。 1964年、絵本『かえるのけろ』で第13回小学館絵画賞を受賞。 1973年、初めてのラテンアメリカ旅行。これ以後、昭和60年まで5回ペルーを訪問。 2011年、死去。享年88。
金 鶴烈(キム・ハンニョル、朝鮮語: 김학렬、1923年1月… 金 鶴烈(キム・ハンニョル、朝鮮語: 김학렬、1923年1月1日 - 1972年3月21日)は、大韓民国の官僚。第3代経済企画院次官、第22代財務部(現・企画財政部)長官、第10代副総理、第10代経済企画院長官。 本貫は慶州金氏。キム・ハギョル(漢字同、김학열)という表記も見られる。 日本統治時代の慶尚南道固城郡出身。釜山商業学校、ウォンサン商業学校、中央大学卒。1950年に第1回高等考試行政科外務職に合格し、1952年にはミズーリ大学とアクロン大学大学院で経済学を専攻した。帰国後に財務部司税局長・予算局長、経済企画院調整官・副院長補(1962年)・次官(1963年12月17日〜1966年9月26日)、大統領首席政務秘書官を務めた。
池原 森男(いけはら もりお、1923年 <大正12年> 1… 池原 森男(いけはら もりお、1923年 <大正12年> 1月1日 - 2016年 <平成28年> 12月10日)は、日本の薬学者。核酸化学が専門。位階は正四位。 東京府出身。1947年東京帝国大学医学部薬学科卒業。1950年東京大学医学部薬学科助手、1955年北海道大学医学部薬学科助教授、1966年北海道大学薬学部教授を経て、1968年大阪大学薬学部教授。大阪大学蛋白質研究所教授、大阪大学細胞工学センター教授を併任。1986年定年退官、大阪大学名誉教授、蛋白工学研究所所長、東京理科大学生命科学研究所教授、蛋白工学研究所所長代行、生物分子工学研究所顧問を歴任。 1979年に大腸菌ホルミルメチオニン転移RNAの全合成、1983年にヒト成長ホルモン遺伝子の合成とその大腸菌での発現に成功。
沢辺 守(さわべ まもる、1923年1月1日 - 没年不明)… 沢辺 守(さわべ まもる、1923年1月1日 - 没年不明)は、日本の農林官僚。 岐阜県出身。1947年に高文行政科に合格し、1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に農林省に入省。1976年11月に大臣官房長に就任し、1978年1月に食糧庁長官を経て、1979年7月から1981年9月までに農林水産事務次官を務め、1985年7月から1990年6月までに日本中央競馬会理事長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松本 亮(まつもと まこと、1923年 <大正12年> 1月… 松本 亮(まつもと まこと、1923年 <大正12年> 1月1日 - 2005年 <平成17年> 10月19日)は、日本の薬学者(生化学)。勲等は勲三等。位階は従四位。学位は薬学博士(東京大学・1961年)。静岡県立大学名誉教授、社団法人日本薬学会有功会員、日本脂質生化学会名誉会員。 東京大学伝染病研究所助手、静岡薬科大学薬学部教授、静岡薬科大学学生部部長、静岡県立大学薬学部教授、静岡県立大学薬学部学部長(初代)などを歴任した。 埼玉県出身の生化学を専攻する薬学者である。複合脂質の研究で知られており、特に燐脂質と糖代謝の研究で多くの学術賞を受賞している。これらの業績から、日本の脂質生化学の発展に多大な貢献をした研究者の一人とされている。
大長 健一(おおなが けんいち、1923年〈大正12年〉1月… 大長 健一(おおなが けんいち、1923年〈大正12年〉1月1日 - 1970年〈昭和45年〉9月19日)は、日本のヤクザ。大長組組長。福岡県北九州市門司区出身。兇健と呼ばれた。 大正12年(1923年)1月1日、福岡県門司市常盤町2丁目(現:福岡県北九州市門司区老松町)で生まれた。父・若一は、沖仲仕の小頭だった。部屋仲仕は常時30数人を抱えていた。母の名前は静江。弟は、大長定雄(後の大長組幹部)。幼い頃は、母方の姓である大塚を名乗っていた。静江の弟は、博徒・大塚兼雄だった。静江の妹・絹江と早死にした最初の夫との子供が、博徒・大塚重雄(中間市の大野一家・大野留雄組長の四天王の1人、竹下浅市の兄弟分)だった。
田浦 武雄(たうら たけお、1923年1月 - )は、日本の… 田浦 武雄(たうら たけお、1923年1月 - )は、日本の教育学者。元名古屋柳城短期大学学長。名古屋大学名誉教授。 専門は、教育哲学、ジョン・デューイの哲学思想。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
長谷川 敏(はせがわ さとし、1923年1月 - 2011年… 長谷川 敏(はせがわ さとし、1923年1月 - 2011年3月)は、日本の教育者。灘中学校・高等学校第5代校長。 兵庫県出身。旧制灘中学校、旧制姫路高等学校を経て、東京帝国大学文学部英文学科卒業。1987年から1993年まで灘中学校・高等学校の校長を務めた。
竹浪 祥一郎(たけなみ しょういちろう、1923年- )は、… 竹浪 祥一郎(たけなみ しょういちろう、1923年- )は、日本の経済学者、桃山学院大学名誉教授。 青森県北津軽郡板柳町出身。弘前中学校(現青森県立弘前高等学校)、旧制弘前高等学校卒、1947年東京帝国大学(現・東京大学)経済学部卒、大学院、東京大学社会科学研究所助手、中部日本新聞の記者をへて、1963年桃山学院大学経済学部助教授、1965年教授、1969年経済学部長、図書館長、1992年定年退任、名誉教授。
高橋宏幸(たかはし ひろゆき、1923年-2010年)は、児… 高橋宏幸(たかはし ひろゆき、1923年-2010年)は、児童文学者、挿絵画家。 秋田県由利本荘市東由利老方に生まれる。旧下郷村立老方小学校、旧制秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)卒業。在校中、全国中等柔道大会で準優勝。柔道は講道館五段。旧秋田鉱山学校(現秋田大学工学資源学部)卒業後、入隊。1943年から45年にかけ満州・千島に転戦。1946年小峰書店取締役初代編集長。退任後、日本初の出版プロダクションを設立。1972年「チロヌップのきつね」を機に作家となる。1990年の「オオカミ王ぎん星」で日本児童文芸家協会賞受賞。日本児童文芸家協会理事長、日本児童文芸家協会顧問、産経児童出版文化賞選考委員を務め、実作指導も行った。
関 信弘(せき のぶひろ、1923年 - 2010年)は、日… 関 信弘(せき のぶひろ、1923年 - 2010年)は、日本の機械工学者。北海道大学名誉教授。初代北海道職業訓練短期大学校校長。初代日本熱物性研究会会長。 秋田県立大館中学校(現秋田県立大館鳳鳴高等学校)を経て、1945年北海道大学工学部機械工学科卒業、北海道大学工学部機械工学科助手。1952年北海道学芸大学助教授。1961年北海道大学工業教員養成所教授。1962年工学博士。1969年北海道大学工学部機械工学科教授。1980年初代日本熱物性学会会長。1986年北海道大学名誉教授、北海道職業訓練短期大学校校長。1990年移動大学講座運営委員会設立。1999年勲三等旭日中綬章受章。
高村 武次(たかむら たけじ、1923年 - 2005年)は… 高村 武次(たかむら たけじ、1923年 - 2005年)は、日本の映画監督、元岩波映画製作所社長。 旧制栃木県立栃木中学校を経て東京帝國大学法学部卒。
林 邦雄(はやし くにお、1923年-2000年)は、ファッ… 林 邦雄(はやし くにお、1923年-2000年)は、ファッション評論家。 京都生まれ。浅野中学校、青山学院高商部卒業、1947年日米通信社入社、54年独立。日本ユニホームセンター相談役。
青木 みか(あおき みか、1923年 - )は、日本の栄養学… 青木 みか(あおき みか、1923年 - )は、日本の栄養学者、名古屋女子大学名誉教授。 三重県一志郡美杉村に生まれる。旧姓・森田。津高等女学校卒業ののち、19歳で結婚するが、夫はその半年後に朝鮮半島沖で戦死。1953年(昭和28年)三重大学農学部農芸化学科卒業、1955年(昭和30年)九州大学大学院修士課程修了。名古屋女学院短期大学講師、1956年名古屋女子大学に勤務、1967年三重県立大学医学博士。名古屋女子大学教授、1989年定年退職、名誉教授。
津田 耕(つだ こう、1923年 - 2003年)は、日本の… 津田 耕(つだ こう、1923年 - 2003年)は、日本の版画家。元日本宣伝美術会会員。 大阪府岸和田市生まれ。旧制岸和田中学校卒業後、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)に学ぶ。 1952年に積水化学に入社し、宣伝部に所属する。1959年、アートハウスを設立する。1974年にはスタジオパレットを、1997年にシーディーシーを、それぞれ設立した。 2002年に、BSデジタルラジオ320chJFN1 BSジャズギャラリーにて「津田耕ジャズの世界」の放送が開催された。 2003年12月に死去。
崔基鎬(チェ・ギホ、1923年 - )は、韓国の加耶大学校客… 崔基鎬(チェ・ギホ、1923年 - )は、韓国の加耶大学校客員教授。
前川 正義(まえかわ まさよし、1923年 - 没年不明)は… 前川 正義(まえかわ まさよし、1923年 - 没年不明)は愛知県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、捕手)。
尾西 信一(おにし しんいち、1923年 - )は、兵庫県出… 尾西 信一(おにし しんいち、1923年 - )は、兵庫県出身のプロ野球選手。
佐分利 輝彦(さぶり てるひこ、1923年 - 1998年)… 佐分利 輝彦(さぶり てるひこ、1923年 - 1998年)は、厚生労働官僚。厚生省(現厚生労働省)公衆衛生局長、医務局長などを務めた。
中谷 義雄(なかたに よしお、1923年 - 1978年)は… 中谷 義雄(なかたに よしお、1923年 - 1978年)は、日本の医師。医学博士。 大阪府大阪市西成区出身。1945年に岩手医学専門学校(現岩手医科大学)を卒業し、1946年に医院を開業する。1950年には良導絡を発見し、基礎的研究を始める。1954年に京都大学生理学教室入室。同年京都大学鍼灸懇話会を設立、100回幹事となる。1957年に笹川久吾の指導の下で皮膚通電抵抗と良導絡を京都大学に提出し、学位を取得。1959年に関西鍼灸柔整専門学校(現関西医療大学)講師。1961年に良導絡医学会を設立し、副会長に就任。1966年に大阪医科大学麻酔科東洋医学担当非常勤講師を務め、1978年に膀胱癌で逝去。
中村 正(なかむら ただし、1923年 - 2013年)は、… 中村 正(なかむら ただし、1923年 - 2013年)は、日本の技術者。三重県伊勢市出身。学位は工学博士。 1966年蛍光表示管を発明、伊勢電子工業株式会社(現・ノリタケ伊勢電子)を創業した。後年は、技術者であるとともに、伊勢に伝わる通能(とおりのう)を舞うことで、地方伝統文化継承にも尽くした。
山田 正治(やまだ まさじ、1923年(大正12年) - )… 山田 正治(やまだ まさじ、1923年(大正12年) - )は日本の工学者。茨城大学名誉教授。専門は制御工学。 2005年(平成17年)8月、フェルマーの最終定理の短い証明を発表した。さらに自身のサイトで短い証明の英語版と日本語訳を公開した。