宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、… 宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、日本の教育学者、佛教大学名誉教授。 広島大学教育学部卒、同大学院博士課程満期退学、1968年「フランス大学入学資格試験制度史研究」で広大教育学博士。皇學館女子短期大学講師、美作女子大学助教授、佛教大学文学部助教授、教授、1995-97年教育学部長を兼任。
1930年(昭和5年)生まれ:1,252人
宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、… 宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、日本の教育学者、佛教大学名誉教授。 広島大学教育学部卒、同大学院博士課程満期退学、1968年「フランス大学入学資格試験制度史研究」で広大教育学博士。皇學館女子短期大学講師、美作女子大学助教授、佛教大学文学部助教授、教授、1995-97年教育学部長を兼任。
荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年… 荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年8月16日)は、日本の新約聖書学者・グノーシス主義研究者。学位は、神学博士(ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授。日本学士院会員。 1930年(昭和5年)、秋田県大曲市(現大仙市)で生まれた。秋田県立秋田高等学校より東京大学へ進み、1954年、東京大学教養学部を卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、西洋古典学を専攻した。1959年に博士課程を単位取得満期退学。その後はドイツ・フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルクに留学し、『ナグ・ハマディ写本』中の『真理の福音』のキリスト論に関する学位論文を提出して神学博士の学位を得た。
長尾 弘子(ながお ひろこ、1930年5月6日 - 2023… 長尾 弘子(ながお ひろこ、1930年5月6日 - 2023年10月5日)は、日本画家。徳島県徳島市出身。徳島市立高等女学校(現徳島市立高等学校)卒業。 1939年に和田青華のもとで日本画を学び、1946年には徳島市立高等女学校にて高岡何有に師事。その後、第1回徳島県展初出品で特選となって以降、特選を重ね、現在は特別出品となる。 1993年にそごう徳島店美術画廊にて個展を開く。2010年に徳島県郷土文化会館にて画業70年を記念した個展「日本画展-この道七十年のあしあと」を開く。 2001年に徳島新聞文化賞、徳島県文化賞、地域文化功労者文部科学大臣表彰を受賞。
久保園 晃(くぼその あきら、1930年5月6日 - 201… 久保園 晃(くぼその あきら、1930年5月6日 - 2016年12月26日)は、日本の宇宙航空エンジニアであり、日本の宇宙開発の草分け的存在である。 1930年(昭和5年)5月に中国遼寧省瀋陽市に生まれる。戦後鹿児島県日置郡伊集院町(現・日置市)に引き上げ、旧制第七高等学校、鹿児島大学文理学部物理学科を卒業後、1953年(昭和28年)運輸省運輸技術研究所航空部に入所。航空機の風洞実験などを学ぶ。1955年(昭和30年)新三菱重工(現・三菱重工業)名古屋航空機製作所に入社。技術部の空力研究課、電子技術課、飛翔体基礎設計課などで、航空機に関する実験、設計などを行い、国産旅客機YS-11の開発にも携わった。
田中 純夫(たなか よしお、1930年〈昭和5年〉5月5日 … 田中 純夫(たなか よしお、1930年〈昭和5年〉5月5日 - )は、日本の元競泳選手。 広島市に生まれる。5歳頃から水泳を始めた。広島市立広瀬小学校、広島県立広島第二中学校を経て、1949年(昭和24年)早稲田大学に入学する。 大学在学中、1952年ヘルシンキオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場し14位に終わった。
川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日… 川崎 浹(かわさき とおる、1930年5月5日 - )は、日本のロシア文学者、著述家。早稲田大学名誉教授。 福岡県に生まれる。1948年福岡県中学修猷館、1954年早稲田大学第一文学部露文学科卒業、1964年同大学大学院文学研究科露文学専攻博士課程単位取得満期退学。同年同大学教育学部非常勤講師となり、1965年同大学第一、第二文学部、法学部非常勤講師、1967年同大学教育学部専任講師、1970年同大学教育学部助教授。1971年9月から1973年3月にかけてパリ大学・早稲田大学交換制度による在外研究の後、1974年早稲田大学大学院文学部露文学専攻を兼担。1975年同大学教育学部教授に就任。1984年9月から1985年7月にかけてモスクワ大学・早稲田大学交換制度による在外研究を行う。
関本 昌弘(せきもと まさひろ、1930年5月5日 - )は… 関本 昌弘(せきもと まさひろ、1930年5月5日 - )は、日本の経営者。服部セイコー(現在のセイコーグループ)社長を務めた。 東京都出身。1955年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年に服部時計店(現在のセイコーグループ)に入社。1981年6月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年7月に専務、1991年4月に副社長を経て、同年6月に社長に就任。1997年6月に取締役相談役に就任。
坂田 英治(さかた えいじ、1930年(昭和5年)5月5日 … 坂田 英治(さかた えいじ、1930年(昭和5年)5月5日 - 2024年(令和6年)10月31日)は、日本の医師。埼玉医科大学名誉教授。順天堂大学医学部卒、東京大学大学院博士課程修了、医学博士。静岡県生まれ。 「めまい」「耳鳴り」の治療研究に精力的に取り組み、その先駆者として後進の指導にあたった。 めまいの原因である病巣の位置の確認に取り組む。フレンツェル眼鏡の診察による病巣の位置と、外科的に開かれた脳における病巣の位置を確認し、眼振の診断と脳の外科手術で眼振診断が正しいことをまとめた論文内容が「内科診断学」という専門書に掲載された。 「めまい」「耳鳴り」の治療研究 『臨床神経耳科学入門』坂田英治著(医歯薬出版)
和泉 模久(いずみ ひろひさ、1930年5月5日 - )は、… 和泉 模久(いずみ ひろひさ、1930年5月5日 - )は、東南アジア諸語の研究者。 東京生まれ。1957年東京大学文学部西洋史学科卒。1963年大阪外国語大学講師。1967-1970年カンボジアに滞在、プノンペン大学客員教授。カンボジア語(クメール語)、フィリピン語(タガログ語)、インドネシア語、タイ語、マレー語などを研究。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐久間 昭(さくま あきら、1930年5月5日 - 2016… 佐久間 昭(さくま あきら、1930年5月5日 - 2016年2月7日)は日本の臨床薬理学者。東京医科歯科大学の名誉教授の称号を受けている。専門は薬理学、臨床薬理学、薬効評価学、生物統計学、計量生物学。 1958年、フルブライト奨学生としてミシガン大学に留学。2010年春の叙勲で瑞宝中綬章を受ける。 埼玉県浦和市で生まれる。東京大学医学部薬学科卒業。同大学院化学系研究科修士課程修了後、ミシガン大学で薬理学を研究。1958年、東京大学大学院化学系研究科博士課程を修了、薬学博士を取得した。留学中に現地の大学院学生を対象に生物統計学の講義を担当、後に推論の多重性の研究などもまとめて「生物検定法」を著し、その後の「薬効評価I・II」:東大出版会で近代的手法を用いた生体データの解析法を網羅的に纏めた。
小島 三郎(こじま さぶろう、1930年5月4日 - 198… 小島 三郎(こじま さぶろう、1930年5月4日 - 1984年7月8日)は、日本の経営学者。 東京市本郷区(現・文京区)白山生まれ。都立小石川高校(現都立小石川中等教育学校)卒業後、1953年慶應義塾大学経済学部卒業、1958年同大学院博士課程満期退学、同商学部助手となり、1962年助教授、1968年経済学博士。1969年教授、1979年商学部長となるが53歳で死去した。
浦岡 敬一(うらおか けいいち、1930年5月4日 - 20… 浦岡 敬一(うらおか けいいち、1930年5月4日 - 2008年11月24日)は日本の編集技師。 1948年、松竹に入社。浜村義康に師事し、小津安二郎監督作品などの編集助手を務め、1958年『人間の條件』(小林正樹監督)で編集技師となる。1969年、松竹を退社。その後も、フリーの技師として精力的に幅広い作品を担当する。1989年には『帝都物語』(実相寺昭雄監督)、『優駿 ORACION』(杉田成道監督)で第12回日本アカデミー賞優秀編集賞を受賞。 日本映画編集協会(現・協同組合日本映画テレビ編集協会)の設立にも尽力し、初代編集協会理事長を務めた。また、日本映画学校に於いて多数の後進の育成に努めた。
村上 伸(むらかみ ひろし、1930年5月4日 - 2017… 村上 伸(むらかみ ひろし、1930年5月4日 - 2017年11月23日)は、日本のキリスト教学者。東京女子大学名誉教授。 福島県生まれ。東京神学大学大学院修士課程修了、愛知県で牧師。1966年から1968年まで西ドイツに留学、組織神学を専攻。1974年から1978年まで南西ドイツ福音主義教会世界宣教部研究主事。1978年東京女子大学教授、1996年定年退任、名誉教授。 2017年11月23日、死去。87歳没。墓所は多磨霊園の代々木上原教会共同墓地。
十一世 福井四郎兵衛(じゅういっせい ふくい しろべえ、本名… 十一世 福井四郎兵衛(じゅういっせい ふくい しろべえ、本名:林 啓治郎、1930年5月2日 - 2018年12月17日)は、幸清流小鼓方職分の能楽師。社団法人能楽協会名古屋支部会員、日本能楽会(重要無形文化財総合指定)会員。 1930年(昭和5年)5月2日、愛知県名古屋市の大須の商家に6人兄弟の末っ子として生まれる。1943年(昭和18年)、南久屋国民学校(現・名古屋市立栄小学校)を卒業。元首相の海部俊樹は同級生。1948年(昭和23年)、旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)を卒業。担任教師が能楽に造詣が深く、中学3年で能の「隅田川」を観て以来とりこに。すぐに謡曲愛好会を立ち上げる。 1950年(昭和25年)7月、九世福井五郎に師事(福井家は幸清流家元の分家格・後見職の家。
井村 哲夫(いむら てつお、1930年5月2日- )は、日本… 井村 哲夫(いむら てつお、1930年5月2日- )は、日本の国文学者、京都府立大学・京都外国語大学名誉教授。 大阪府生まれ。大阪大学文学部卒業。1963年関西大学大学院博士課程単位取得修了。園田学園女子大学助教授、教授、京都府立大学教授、同名誉教授・京都外国語大学教授をへて、同名誉教授。文学博士。『万葉集』が専門。『万葉集全注 巻第5』では万葉歌を五七五七七の短歌体で現代語訳する試みに取り組んだ。
板倉 聖宣(いたくら きよのぶ、1930年〈昭和5年〉5月2… 板倉 聖宣(いたくら きよのぶ、1930年〈昭和5年〉5月2日 - 2018年〈平成30年〉2月7日)は、科学史や教育学、理科教育史を専門とする日本の研究者。 主な業績は「科学的認識の成立条件」の発見、仮説実験的認識論の発見と仮説実験授業による具体化と実証によって「授業の科学的研究」を確立した。仮説実験授業研究会設立による「たのしい授業学派」の確立など。 東京大学理学博士。「仮説実験授業」の提唱者で、「いたずら博士」として科学啓発書を中心に多数の著書を執筆した。国立教育研究所 物理教育推進室長、仮説実験授業研究会 代表、(私立)板倉研究室 室長、日本科学史学会 会長を歴任。『ひと』(太郎次郎社)や『たのしい授業』(仮説社)の創刊にも貢献。
寺川 昭二(てらかわ しょうじ、1930年5月2日 - )は… 寺川 昭二(てらかわ しょうじ、1930年5月2日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 志太高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1年目は未勝利だったが2年目は初勝利を含む5勝を挙げた。翌年は開幕投手を任され自己最多となる7勝を挙げるが、以降は成績も低下し1956年限りで引退した。
眞仁田 勉(まにた つとむ、1930年5月1日 - 2022… 眞仁田 勉(まにた つとむ、1930年5月1日 - 2022年2月15日)は、日本の地方公務員。東京都生活文化局長、東京都副知事、首都高速道路公団理事長、東京都競馬代表取締役社長などを歴任した。 東京府出身。東京都立千歳高等学校を経て、1953年早稲田大学第一法学部卒業、東京都入庁。東京都生活文化局長、東京都副知事、首都高速道路公団副理事長を経て、1993年首都高速道路公団理事長。1995年東京都競馬代表取締役社長。2022年叙従四位。
佐野 主税(さの ちから、1930年5月1日 - 2014年… 佐野 主税(さの ちから、1930年5月1日 - 2014年7月6日)は、日本の経営者。アサヒ飲料社長、会長を務めた。 静岡県出身。1953年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社した。1982年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務、1988年2月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任。1988年9月にアサヒビール飲料製造社長に就任し、1990年9月にアサヒビール飲料社長に就任し、1996年7月にこれらの2社が統合して発足したアサヒ飲料社長に就任。1999年1月に会長に就任し、2000年10月には社長も兼任し、2001年3月に社長の座を植松増美に譲り、自身は取締役相談役に退き、2002年3月に相談役に就任。
梶山 純(かじやま じゅん、1930年(昭和5年)5月 - … 梶山 純(かじやま じゅん、1930年(昭和5年)5月 - )は、日本の法学者。専門は商法。八幡大学名誉教授。長崎県国見町出身。 長崎県立長崎中学校 (旧制)3年生の時に原爆を体験する。第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1953年九州大学法学部法律学科卒業。その後九州大学大学院助手を経て、1960年八幡大学法経学部講師に就任、以後助教授、教授を歴任。2003年九州国際大学より名誉教授の称号を受く。
鈴木 重幸(すずき しげゆき、1930年5月 - 2015年… 鈴木 重幸(すずき しげゆき、1930年5月 - 2015年2月8日)は、日本の言語学者。横浜国立大学名誉教授。主な研究対象は日本語の文法(形態論)である。 日本共産党系の民主主義科学者協会とその後身の言語学研究会に所属した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小山 誠三(こやま せいぞう、1930年(昭和5年)4月30… 小山 誠三(こやま せいぞう、1930年(昭和5年)4月30日 - 2012年(平成24年)9月21日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。埼玉県飯能市長。 埼玉県入間郡飯能町(現飯能市)出身。埼玉県立川越中学校卒業。農業を営む。1972年(昭和47年)から石油会社を経営し、飯能市連合青年団長、飯能市議会議員を3期務めたのち、1989年(平成元年)飯能市長に当選した。
見上 和由(みかみ かずよし、1930年(昭和5年)4月30… 見上 和由(みかみ かずよし、1930年(昭和5年)4月30日 - 2024年(令和6年)11月22日)は、日本の政治家。元神奈川県綾瀬市長(3期)。位階は従五位。旭日小綬章。 神奈川県出身。1950年より綾瀬町役場に勤務しながら私立藤沢高等学校(現・藤嶺学園藤沢中学校・高等学校)の定時制に通う(1952年卒業)。国民年金課長、総務参事、市制施行準備室長、収入役、助役を経て、1992年の市長選挙で現職で旧綾瀬町時代からの市長だった鈴木進を破り、初当選した。市長を3期務め、2004年の市長選挙で元綾瀬市議の笠間城治郎に敗れた。 2006年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。2024年11月22日、老衰のため死去。
戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30… 戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30日 - 1993年(平成5年)3月25日)は、日本の俳優・声優。大阪府大阪市出身。本名は東良 睦宏(とうら むつひろ)。 代表作に『藪の中の黒猫』・『竹山ひとり旅』・『沈黙 SILENCE』・『とべない沈黙』など。 ライター・編集者・AV監督の東良美季は息子(次男)。 旧制・上宮中学校(現在の上宮高校)を経て京都大学に進学する。 京都大学文学部英文学科在学中から演劇志望であり、大学内の劇団「風波」で活動していた。映画監督の野田幸男も、在学中に同劇団に参加している。また、同窓生の大島渚らと学生運動にも参加していた。 大学卒業後は大阪高等学校で英語教師とラグビーフットボール部顧問をしながらセミプロの劇団活動を行っていた。
大原 健士郎(おおはら けんしろう、1930年4月30日 ‐… 大原 健士郎(おおはら けんしろう、1930年4月30日 ‐ 2010年1月24日)は、日本の医学者・精神科医。浜松医科大学名誉教授。専門は自殺研究、森田療法など。 高知県吾川郡伊野町(現・いの町)生まれ。伊野小学校から土佐中学に入学。1945年中学2年の時に東京陸軍幼年学校(49期、終戦時第1学年で復員)を受験して合格し、学校のある東京都の南多摩(現・八王子市)に移転するが、同年8月に学校が空襲で被災したため高知県に戻り、土佐中学に復学する。48年に東京慈恵会医科大学に進学し、56年に卒業、61年同大学院医学研究科精神医専攻修了、66年慈恵医大講師、広島で開かれた日本精神神経学会のシンポジウムの研究発表がきっかけで渡米、66―67年南カリフォルニア大学招聘教授、ロサンゼルス自殺予防センター特別招聘研究員、76年東京慈恵会医科大学助教授、77年浜松医科大学精神神経科教授、88年森田療法学会理事長、96年浜松医科大学退任、名誉教授、97年愛知淑徳大学教授、2003年日本社会精神医学会理事長退任、05年愛知淑徳大学退任。
見澤 俊明(みさわ としあき、1930年4月30日 - 20… 見澤 俊明(みさわ としあき、1930年4月30日 - 2008年12月29日)は、日本の法学者。専門は労働法。東ドイツを中心とする社会主義圏の労働法を研究した。札幌学院大学名誉教授。 北海道夕張郡栗山町出身。北海道大学法経学部卒業後、北海道札幌星園高等学校教諭となる。1956年に北海道大学大学院法学研究科修士課程修了。 北海道札幌星園高等学校教諭、北海道札幌石山高等学校教諭を歴任し、1968年に札幌短期大学講師に就任。1969年、同短期大学助教授、1971年に教授となる。 1973年、京都大学法学部に国内留学し、片岡曻の元で研究した。1977年の札幌商科大学教授を経て、1980年にドイツ・ベルリン大学に留学。
岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年〈昭和5年〉4月2… 岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年〈昭和5年〉4月29日 - 2006年〈平成18年〉12月17日)は、日本の女優、声優、童話作家。本名同じ。身長156 cm。血液型はA型。 自由学園高校卒業。父は劇作家で文学座創設者の岸田國士、母は翻訳家の岸田秋子。姉に詩人で童話作家の岸田衿子、俳優の岸田森とは従弟にあたる。元夫は俳優の仲谷昇。 東京府豊多摩郡(現在の東京都杉並区)に劇作家の岸田國士・秋子夫妻の次女として生まれる。 10代の頃戦争により姉妹で長野県に疎開した後、1946年に東京に戻り自由学園高校に入学。在学時に彫刻家・本郷新の美術の講義に触発され、同時に父の蔵書で戯曲に親しんだ。舞台美術に興味を抱いて舞台美術家を志し、高校卒業と同時に裏方として文学座付属演技研究所に入り研修生となる。
横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29… 横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29日 - 2003年10月14日)は、日本の漫画家。代表作は『やる気まんまん』。 愛知県名古屋市出身。本名:横山正雄。愛知県立明和高等学校卒。 1950年、明治大学在学中に『ウサギのかごや』でデビューし主に貸し本漫画を多数執筆。1960年代頃からは横山プロダクションを立ち上げ、自身やアシスタントの作品を発表すると同時に、活動の場を少年週刊誌や月刊誌、少女雑誌に広げて活躍した。 1970年代に入って貸本が廃れてくると活動の場を少年誌から成年誌に変えて執筆するようになった。少年向け劇画作家から成年向けアダルトコミックに転身し成功した一人で、日刊ゲンダイに連載した、男性器をオットセイに、女性器を貝に擬したアダルトコミックで一般にもよく知られていた。
窪田 登(くぼた みのる、1930年4月29日 - 2017… 窪田 登(くぼた みのる、1930年4月29日 - 2017年8月20日)は、日本の元ボディビルダー、元重量挙げ選手。吉備国際大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。 岡山県倉敷市に生まれる。兄の影響でウエイトトレーニングを始め。1947年の第1回関西重量挙げ選手権ではライト級第2位となる。1952年、日本ウエイトリフティング協会が開催したボディコンテスト「ミスター日本コンテスト」にて優勝。このコンテストが日本ボディビル協会(のちの日本ボディビル連盟)設立のきっかけとなる。 旧制倉敷高校・新制倉敷高校(現・岡山県立倉敷青陵高等学校)を経て、早稲田大学第一法学部を卒業。1960年、ローマオリンピック・ウエイトリフティング競技に出場し、ライトヘビー級7位。
橘野 富彦(きつの とみひこ、1930年4月29日 - 19… 橘野 富彦(きつの とみひこ、1930年4月29日 - 1994年12月24日)は、日本の洋画家。国画会会員。 山口県生まれ。肖像画を描きながら全国を旅していた洋画家の父の影響で、幼い頃から絵画に没頭する。1950年、東京芸術大学油学科卒業後、フランスのパリで洋画に影響を受け、帰国し洋画家安井曽太郎に師事。国画会で第29回国画会展1955年にプールブ賞、1956年に30周年記念賞を受賞し、翌年には早くも同会会員となり、異例の若さで入会する。数々の賞を受賞し、名誉会員として名が刻まれる。妻は二科会会員の恵委子(1932年 - 2002年1月)。女子美術大学を卒業し渡仏していた彼女と、パリで知り合った。
長谷部 宏(はせべ こう、コ―・ハセベ、1930年4月29日… 長谷部 宏(はせべ こう、コ―・ハセベ、1930年4月29日 - )は日本の写真家。本名:長谷部 欣宏(はせべ よしひろ)。 東京都出身。1960年代から1990年代まで多くの洋楽ミュージシャンを撮影。日本人カメラマンとしては初めてビートルズを1965年に撮影している。 東京都墨田区にて出生。学生時代から、写真関連の仕事をしていた姉の夫の手伝いなどをしていた。周囲の勧めもあり、東京写真専門学校(現東京工芸大学)に進学する。 1951年に東京写真専門学校を卒業。近代映画社でカメラマンを務める。上原謙や原節子、美空ひばりや坂本九といった日本映画界、音楽界を代表するスターたちや、1954年2月に訪日したマリリン・モンローを撮影する。
高木 訷元(たかぎ しんげん、1930年4月28日- )は、… 高木 訷元(たかぎ しんげん、1930年4月28日- )は、日本の真言宗僧侶(大僧正)、仏教学者、高野山大学名誉教授。高野山真言宗主教・島根支所学頭。円応寺(島根県大田市)住職。 島根県出身。1956年高野山大学仏教学科卒。1965年東北大学大学院印度哲学修了。文学博士。1967年高野山大学助教授、73年教授、82年文学部長、87年学長。2000年定年退任、名誉教授。 2009年4月瑞宝中綬章受章。
河原 枇杷男(かわはら びわお、1930年4月28日 - )… 河原 枇杷男(かわはら びわお、1930年4月28日 - )は、俳人。本名は田中 良人(たなか よしひと)。兵庫県宝塚市に生まれる。龍谷大学文学部卒。 1954年より永田耕衣に師事し「琴座」同人、1958年に高柳重信の「俳句評論」創刊に参加。1984年「序曲」を創刊・主宰(1989年まで)。第3回俳句評論賞、第2回鬣TATEGAMI俳句賞、第4回正岡子規国際俳句賞を受賞。また西宮市大谷記念美術館事務局長などを歴任。代表句に「野菊まで行くに四五人斃れけり」「身のなかのまつ暗がりの螢狩り」「或る闇は蟲の形をして哭けり」など。存在論的な深みを持つ幻想的な句風。句集に『烏宙論』『流灌頂』『蝶座』などがある。
鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日… 鎌倉 節(かまくら さだめ、1930年(昭和5年)4月27日 - 2014年(平成26年)10月25日)は、日本の警察官僚。位階は従三位。内閣調査室長、警視総監、宮内庁長官などを務めた。 高知県出身。高知城東中、高知高等学校 (旧制)を経て、1954年(昭和29年)東京大学法学部卒業。国家地方警察本部(現警察庁)入庁。同期入庁の佐々淳行(初代内閣安全保障室長)、金澤昭雄(第13代警察庁長官)等と共にキャリアとして評価された。 大阪府警を振り出しに愛知県警本部、警視庁など刑事畑を歩む。1973年(昭和48年)富山県警本部長となり、警視庁公安、警務各部長、同副総監、内閣調査室長、警察大学校長、警視総監など歴任。
下森 定(したもり さだむ、1930年4月27日 - 202… 下森 定(したもり さだむ、1930年4月27日 - 2021年10月1日)は、日本の法学者。専門は民法。法政大学名誉教授・元総長・元理事長。島根県鹿足郡日原村(現・津和野町)出身。 詐害行為取消権についての責任説、瑕疵担保責任の法的性質に関する法定責任説(修正説) 安全配慮義務等契約責任の再構成等の研究で有名。高須順一法政大学教授や、木納敏和東京高等裁判所部総括判事は、下森ゼミの教え子。 民法上の主要な問題点につき、通説的解釈からスタートしつつも、外国法(ドイツ法)からの示唆を加味し、独自の修正を加え、結論としての妥当性と解釈論としての妥当性との調和を目指す解釈を基調としている。平井宜雄の『法律学基礎論覚書』にて「良い法律論」の一例として、詐害行為取消権についての責任説が紹介されている。
神保 信一(じんぼ しんいち、1930年(昭和5年)4月27… 神保 信一(じんぼ しんいち、1930年(昭和5年)4月27日 - 2018年(平成30年)12月24日)は、日本の教育心理学者。明治学院大学名誉教授。 東京生まれ。1955年東京大学教育学部教育心理学科卒、1962年同大学院博士課程満期退学。 明治学院大学文学部専任講師、助教授、教授、1999年退職、名誉教授。2018年12月24日午前9時7分、老衰のため自宅で死去、88歳。
加藤 秀俊(かとう ひでとし、1930年(昭和5年)4月26… 加藤 秀俊(かとう ひでとし、1930年(昭和5年)4月26日 - 2023年(令和5年)9月20日)は、日本の社会学者。社会・思想・文化評論家。 長男加藤文俊は慶應義塾大学教授。 東京商大(現・一橋大学)で社会学を学び、丸山眞男らの「思想の科学研究会」に参加。1954年渡米し、社会学者デイヴィッド・リースマンから大衆社会論の指導を受けた。その間『中間文化』(1957年)を発表。同年、社会心理学を土台にした理論「マス・コミュニケーション」を提唱。以後『人間関係』(1966年)、『空間の社会学』(1976年)など、日常生活のありふれた現象から、社会の隠された構造を露わにする方法で、多彩な研究活動を展開。
新谷 洋二(にいたに ようじ、1930年(昭和5年)4月26… 新谷 洋二(にいたに ようじ、1930年(昭和5年)4月26日 - 2022年(令和4年)2月16日)は、日本の都市計画研究者。交通工学者。東京大学名誉教授。専門は都市交通工学で、駐車場の関連法規制定などに関わり、東京大学工学部都市工学科、日本大学理工学部土木工学科で研究の傍ら後進の育成にあたる。日本都市計画学会会長を歴任。工学博士(東京大学)。旧東京府荏原郡北品川宿(現・東京都品川区)生まれ。 ※本節の記載は日本大学理工学部科学技術史センターウェブサイトによる。 1953年3月、東京大学工学部土木工学科卒業。 1955年3月、東京大学大学院数物系研究科土木工学専門課程修士課程修了。以後、北海道開発局、建設省都市局など勤務を経て1965年に東京大学工学部助教授。
伊東 俊太郎(いとう しゅんたろう、1930年4月25日 -… 伊東 俊太郎(いとう しゅんたろう、1930年4月25日 - 2023年9月20日)は、日本の歴史学者(科学史・文明史)。Ph.D.(ウィスコンシン大学)。東京大学名誉教授・国際日本文化研究センター名誉教授・麗澤大学名誉教授。位階は正四位、瑞宝中綬章受章者・文化功労者。 ウィスコンシン大学人文科学研究所助手、東京大学教養学部教授、麗澤大学教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長(初代)などを歴任した。 東京生まれ、旧制東京高等学校、東京大学文学部哲学科卒業。同大学院修士課程修了、ウィスコンシン大学PhD.修得。 ウィスコンシン大学人文科学研究所助手、東京大学教養学部助手・講師・助教授を経て、東京大学教養学部教授を務め、1989年より国際日本文化研究センター教授を兼任、1991年東大定年退官、名誉教授、1995年より2007年まで麗澤大学教授、同比較文明文化研究センター初代所長。
川瀬 白秋(かわせ はくしゅう、1930年4月25日 - 2… 川瀬 白秋(かわせ はくしゅう、1930年4月25日 - 2013年7月31日)は、東京出身の日本の筝曲、胡弓演奏家。母の前田白秋に筝曲、胡弓を、川瀬里子に九州地歌を、岩井真吾に声楽、作曲を学ぶ。都立駒場高校卒業。本名は薫(かおる)。昭和38年に2代白秋を襲名し、生田流白秋会家元となる。平成11年胡弓独奏「鶴の巣ごもり」などで芸術選奨。16年歌舞伎下座における三曲演奏、とくに胡弓のすぐれた技術、ならびに「楊貴妃(ようきひ)」「二枚櫛(にまいぐし)」の作曲・演奏で芸術院賞。 内弟子に白秋会代表の川瀬露秋(かわせろしゅう)を持つ。 代表曲に「千鳥の曲」「鶴の巣籠」「松竹梅」などがありどれも日本舞踊愛好家に絶大な信頼と実績と人気を博している。
岩井 重人(いわい しげと、1930年(昭和5年)4月25日… 岩井 重人(いわい しげと、1930年(昭和5年)4月25日 - 2018年(平成30年)1月6日)は、日本の実業家。住友不動産販売代表取締役社長、不動産流通経営協会理事長を歴任した。不動産協会不動産協会功労者表彰。 長野県佐久市出身。1949年長野県野沢北高等学校卒業、住友銀行(現三井住友銀行)入行。川崎支店長を経て、1982年代表取締役専務に昇格。1983年住友不動産取締役。1988年住友不動産代表取締役専務。1993年から14年間住友不動産販売代表取締役社長を務め、2000年には東京証券取引所市場第一部に上場を果たした。2003年不動産流通経営協会理事長、東日本不動産流通機構理事長、不動産協会理事。
宍戸 健夫(ししど たけお、1930年4月25日 - )は、… 宍戸 健夫(ししど たけお、1930年4月25日 - )は、日本の保育学者、愛知県立大学名誉教授。 横浜市出身。1954年東京大学文学部教育学科卒、1959年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、愛知県立女子大学・愛知県立女子短期大学講師、助教授、1973年教授、愛知県立大学教授。1991年「日本の幼児教育 昭和保育思想史」で東大教育学博士。1996年定年退官、名誉教授。佛教大学教授、同朋大学教授、大阪健康福祉短期大学教授。
黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 20… 黛 弘道(まゆずみ ひろみち、1930年4月24日 - 2010年12月17日)は、昭和・平成時代の日本の歴史学者。専攻は日本古代史。学習院大学名誉教授。 東京大学教授の坂本太郎の弟子。律令国家・律令制度の成立史に関する研究で博士号を取得した。
桂 由美(かつら ゆみ、1930年〈昭和5年〉4月24日 -… 桂 由美(かつら ゆみ、1930年〈昭和5年〉4月24日 - 2024年〈令和6年〉4月26日)は、ウエディングドレスデザイナー、実業家。本名:結城 由美(旧姓:満生)。株式会社ユミカツラインターナショナル社長、株式会社桂由美ウエディングシステム社長、一般社団法人全日本ブライダル協会会長、全米ブライダルコンサルタント協会名誉会員、アジアブライダル協会連合会会長、NPO法人地域活性化支援センター理事、アジア・クチュール協会創立メンバー。ウエディングドレスなどブライダルデザインの第一人者、ブライダル業界の重鎮として知られる。 1930年4月24日、東京府南葛飾郡小岩町(現在の東京都江戸川区小岩)生まれ。
押川 國秋(おしかわ くにあき、1930年4月24日 - … 押川 國秋(おしかわ くにあき、1930年4月24日 - 2025年10月14日)は、日本の脚本家、小説家。 宮崎県児湯郡川南町出身。実家は結婚式場兼料理店を経営。高鍋高等学校、中央大学法学部卒。 元々脚本家という仕事をよく知らず、漠然と小説家を志していたことはあったが、大学生時代に野田高梧の『シナリオ構造論』を読んだことがきっかけで脚本家を志す。 本人は人間の問題として安楽死に興味があった。24歳の時に亡くなった父親が「もし俺が倒れて半身不随になったり口が利けなくなったら、殺してくれ」と良く言っていたということで、この自身の体験を結び合わせて書いた『罪』という作品で日本新人シナリオコンクールにて佳作入選。
髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年4月24日 - 2… 髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年4月24日 - 2003年3月17日)は、日本の法学者。商法専攻。正五位勲三等瑞宝章。弁護士。
髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年〈昭和5年〉4月2… 髙窪 利一(たかくぼ としかず、1930年〈昭和5年〉4月24日 - 2003年〈平成15年〉3月17日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、博士(法学)(中央大学・論文博士・1995年)。日本学術会議会員。正五位勲三等瑞宝章。弁護士。 東京都生まれ。都立日比谷高校を経て、1953年、中央大学法学部卒業。1955年、中央大学大学院民法専攻修士課程修了(指導教授は升本喜兵衛 (四代))。1955年、同法学部助手。1959年中央大学法学部助教授。1966年中央大学法学部教授に就任。1969年同学生部長。学校法人中央大学評議員。1988年中央大学法職講座運営委員会委員長。1991年同大学院法学研究科委員長。
秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日… 秋山 駿(あきやま しゅん、1930年〈昭和5年〉4月23日 - 2013年〈平成25年〉10月2日)は、日本の文芸評論家、日本藝術院会員。位階は従四位。本名は駿(すすむ)。 東京府池袋出身。旧制東京都立第十中学校(現・東京都立西高等学校)を経て、1948年に旧制第二早稲田高等学院入学、翌年学制改革により新制早稲田大学第一文学部仏文科に移り、1953年に卒業する。1956年6月、報知新聞社に入社。1960年「小林秀雄」で『群像』第3回新人文学賞評論部門受賞。評論「内部の人間」「想像する自由」(いずれも1963年発表)などを、久保田正文や三島由紀夫に激賞された。1979年から1993年まで東京農工大学教授、1997年から武蔵野女子短期大学・武蔵野女子大学教授。
高尾 利数(たかお としかず、1930年4月23日 - 20… 高尾 利数(たかお としかず、1930年4月23日 - 2018年5月6日)は、日本の神学者、宗教学者、法政大学名誉教授。 山梨県都留市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1949年昭和大学医学部中退、1951年茨城キリスト教短期大学卒業、1953年アブリン・キリスト教大学文学部(アメリカテキサス州)卒業、1959年東京神学大学大学院組織神学専攻修士課程修了。茨城キリスト教短期大学専任講師、名古屋学院大学助教授、関東学院大学神学部助教授、法政大学第二教養部教授、法政大学社会学部教授、2001年3月定年退職、名誉教授。
竹村 幸雄(たけむら ゆきお、1930年(昭和5年)4月23… 竹村 幸雄(たけむら ゆきお、1930年(昭和5年)4月23日 - 1998年(平成10年)11月19日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)を務めた。 堀川高校卒業。京都新報社社長や京都原水禁議長を歴任。 現在の京都府第2区に含まれる東山区選出の京都市議を経て1972年第33回衆議院議員総選挙に、旧京都1区から日本社会党公認で初当選(同じ自治体議員出身の社会党新人代議士に村山富市)。しかし任期満了で迎えた1976年第34回衆議院議員総選挙で落選。35回、36回、38回の総選挙にも京都1区から立候補するも全て落選している。 その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙で京都府選挙区から立候補するが落選。