内藤 久(ないとう ひさし、1948年7月5日 - 2025… 内藤 久(ないとう ひさし、1948年7月5日 - 2025年2月2日)は、山梨県出身のプロ野球選手(外野手)。右投両打。 山梨県立日川高等学校では、高校三年間の通算打率四割、スイッチ・ヒッター、ベース一周14秒1の快足の持ち主だった。 東京六大学入りを希望していた内藤を渡辺スカウトが説得。1966年第1次ドラフト会議にドラフト10位にて西鉄ライオンズへ入団。しかし、僅か1年で西鉄を退団した。 1969年は中南米で新たに発足したグローバルリーグの東京ドラゴンズに参加。しかし、同年限りでリーグが解体したため、帰国を余儀なくされた。 東京ドラゴンズ解散後、玉沢運動具店に入社すると納入企業であった縁から川上哲治監督に素質を見いだされ巨人へ入団。
奥野 修司(おくの しゅうじ、1948年7月5日- )は、日… 奥野 修司(おくの しゅうじ、1948年7月5日- )は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家。 大阪府出身。立命館大学経済学部卒業。1978年より移民史研究者で評論家の藤崎康夫に師事して南米で日系移民調査を行う。帰国後、フリージャーナリストとして女性誌などに執筆。1998年「28年前の『酒鬼薔薇』は今」(文藝春秋1997年12月号)で、第4回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。 2006年『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で、第27回講談社ノンフィクション賞・第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。同年発行の『心にナイフをしのばせて』は高校生首切り殺人事件を取り上げ、8万部を超えるベストセラーとなった。
瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 19… 瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 1999年3月16日)は、日本のミステリー評論家、映画評論家、編集者。筆名に、宅和宏、藤崎誠などがある。 映画評論家の瀬戸川宗太は弟。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業。在学中は「ワセダミステリクラブ」に所属し、海外ミステリ評論を手掛けていた。1年後輩の北村薫や、2年後輩の折原一らと親交があった。卒業後は東宝に入社し、テレビ部に配属されてテレビ番組の制作にたずさわり、7年後に退社。 1973年に紀田順一郎、荒俣宏が創刊した雑誌『幻想と怪奇』に、鏡明とともに編集同人として参加。 1980年、自身の個人出版社「トパーズプレス」を設立。 また、1982年に読書人向けの雑誌『BOOKMAN』を創刊。
本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、ア… 本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、アマチュア野球監督、近畿大学野球部監督として1990年代後半に黄金期を築いた名将。広島県東広島市高屋町出身。 広陵高等学校出身だが異色の軟式野球部出身。速球派投手として活躍し国体で無安打無得点試合を達成した。近畿大学(大阪府)に進みプロ野球を目指したが肩を壊し卒業後は同大職員となり野球部コーチとなる。1972年広島六大学野球連盟所属の近畿大学工学部硬式野球部(広島県呉市、現在は東広島市)に就任。直後の部員は10数人、また自前の練習場も持たないジプシー弱小チームを、卓越した指導で同リーグでは無敵の強力チームに育て上げた。また一学部の小野球部ながら全日本大学野球選手権大会でも1980年から三年連続ベスト4に進出、1984年明治神宮野球大会では佐々木修を擁して広島六大学野球リーグ所属チームとして初の決勝進出に導いた(準優勝)。
冨岡 勉(とみおか つとむ、1948年7月4日 - )は、日… 冨岡 勉(とみおか つとむ、1948年7月4日 - )は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の元衆議院議員(4期)。文部科学副大臣、文部科学大臣政務官、衆議院文部科学委員長、衆議院厚生労働委員長、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長等を歴任。 福岡県中間市出身。福岡県立東筑高等学校、長崎大学医学部卒業。同大学助教授に就任。 1999年、長崎県議会議員に初当選。県議会で文教委員会委員長を務めるが、2003年の選挙で落選。 2005年の第44回衆議院議員総選挙で長崎1区から自由民主党公認候補として出馬。選挙区では労働組合の厚い組織票に支えられた民主党の高木義明に敗れたが、比例九州ブロックで復活し初当選した。
山口 久和(やまぐち ひさかず、1948年7月4日 - )は… 山口 久和(やまぐち ひさかず、1948年7月4日 - )は、日本の中国哲学研究者。大阪市立大学名誉教授。 1948年、滋賀県彦根市で生まれた。大阪市立大学文学部中国文学科で学び、1973年に卒業。京都大学大学院文学研究科中国哲学史専攻に進み、1979年に博士課程を満期退学した。 1996年、学位論文『章学誠の知識論:考証学批判を中心として』を大阪市立大学に提出して文学博士の学位を取得。同年、大阪市立大学教授に就いた。2012年に大阪市立大学を定年退任し、名誉教授となった。 その後は関西外国語大学教授を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松田 和憲(まつだ かずのり、1948年7月4日 - )は、… 松田 和憲(まつだ かずのり、1948年7月4日 - )は、学校法人関東学院学院長、日本バプテスト同盟牧師。実践神学専攻。宮城県出身。
福田 俊司(ふくだ としじ、Toshiji Fukuda、1… 福田 俊司(ふくだ としじ、Toshiji Fukuda、1948年7月3日 - ) 日本の動物写真家。極東の自然を撮り続け、世界初のシーンをとらえた作品も多い。 1948年に栃木県の宇都宮市で生まれる。幼少時より感受性が強く、生き物全般に関心が高かった。小学生時代には宇都宮大学の学生達に交じってムシの研究をしていたほど。宇都宮市の中心部とはいえ、幼い頃は木に覆われた広い敷地の家で育ち、自然への愛着が深く、休みの度に山を散策していたらしい。 地元の栃木県立宇都宮高等学校を卒業後、上智大学法学部へ進学。上智大学在学中、動物写真家である田中光常に師事。 1973年に結婚し、その後は実家のビジネスホテルを経営しながら、地元である栃木県の自然(主に日光市)を撮影する。
河本 英典(かわもと えいすけ、1948年7月3日 - 20… 河本 英典(かわもと えいすけ、1948年7月3日 - 2025年11月29日)は、日本の実業家、元政治家。元参議院議員(2期)。滋賀県を代表する綾羽株式会社代表取締役社長、滋賀経済同友会代表幹事、滋賀経済団体連合会会長、滋賀県防衛協会会長、滋賀県スポーツ協会会長、滋賀県販売士協会会長、大津商工会議所会頭などを務めた。 滋賀県高島市出身。慶應義塾大学商学部を卒業後、1972年綾羽に入社。1983年に社長に就任。父は元参議院議員、綾羽グループ創業社主の河本嘉久蔵。曾祖母の河本にわは、かつて長寿世界一だった人物で、確かな記録が残る人物としては江戸時代生まれ最後の生き残りであった。 1992年に行われた第16回参議院議員通常選挙において自由民主党から滋賀県選挙区に立候補し初当選。
河野 正雄(かわの まさお、1948年(昭和23年)7月3日… 河野 正雄(かわの まさお、1948年(昭和23年)7月3日 - )は、日本の政治家。元福岡県前原市(現・糸島市)長。 熊本市立商業高等学校(現・熊本市立千原台高等学校)卒業。卒業後の1967年日本電信電話公社に入社。福岡電報電話局勤務を経て、2002年に関連会社に移る。同年11月の前原市議会議員選挙に民主党公認で立候補したが落選した。翌2003年に会社を退職し、前原市でパソコン教室を開く。同年7月の前原市長選挙に立候補し、現職の春田整秀を破り、当選する。しかし、就任後に市長公用車の廃止や市立図書館の建設中止などの公約を全く実施しないことや、議会での発言が一定しないことを理由に、2004年前原市議会は市長の河野に対し、辞職勧告決議案を提出した。
岡村 佳典(おかむら よしのり、1948年7月3日 - )は… 岡村 佳典(おかむら よしのり、1948年7月3日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
中島 美博(なかじま よしひろ、1948年7月3日 - )は… 中島 美博(なかじま よしひろ、1948年7月3日 - )は、日本の経営者。千葉県出身。 1971年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に東急不動産に入社。1998年6月に取締役を就任し、2002年4月に常務、2006年4月に専務を経て、2008年4月には副社長に就任。2006年10月から2011年4月までに東急ハンズ社長を務め、2011年6月から2015年4月までに東急リバブル社長を務めた。
佐々木 富男(ささき とみお、1948年7月2日 - )は、… 佐々木 富男(ささき とみお、1948年7月2日 - )は、日本の医師・医学者。専門は脳神経外科。九州大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1967年に岡山県立倉敷天城高等学校を卒業。1973年に東京大学医学部を卒業。 脳神経外科医として米国バージニア大学メディカルセンター助教授、東京大学助教授、群馬大学教授を経て、2002年に九州大学医学部脳外科の教授に就任。 2013年に九州大学を退官後、フリーランスの脳神経外科医として活動。その生き方が『情熱大陸』(2015年7月26日放送)で取り上げられた。 脳血管障害と脳腫瘍の手術で数多くの実績があり、医師が選ぶ医師「Best Doctors in Japan」を2002年から10年以上連続で受賞している。
大下 一真(おおした いっしん、1948年7月2日 - )… 大下 一真(おおした いっしん、1948年7月2日 - )は、日本の歌人、臨済宗円覚寺派の僧侶。瑞泉寺住職。 静岡県生まれ。駒澤大学仏教学部卒業。1981年まで、円覚寺専門道場にて修行。1985年、瑞泉寺住職。 1971年、高校在学中に歌誌「まひる野」に入会。1982年より同誌編集委員、2015年より編集発行人。角川「短歌」選者。 親交のあった山崎方代の没後、1988年、研究誌「方代研究」の創刊にかかわり、以来、編集を担当。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
犬飼 隆(いぬかい たかし、1948年(昭和23年)7月2日… 犬飼 隆(いぬかい たかし、1948年(昭和23年)7月2日 - )は、日本の日本語学者、元愛知県立大学教授。 愛知県名古屋市生まれ。1972年東京教育大学国文科卒、1977年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1977年より学習院女子短期大学専任講師・同助教授、1984年神戸大学助教授・同教授を経て、1996年より2014年まで愛知県立大学文学部(のち日本文化学部に改組)教授。1993年「上代文字言語の研究」で筑波大学博士(言語学)。木簡から古代日本語を再現する研究を行っている。
松井 みどり(まつい みどり、1948年7月2日 - )は、… 松井 みどり(まつい みどり、1948年7月2日 - )は、日本の翻訳家。 東京都生まれ。東京教育大学英文科卒。高校で教えたあと、ロバート・ホワイティングの日本の野球・相撲に関するエッセイを翻訳し、翻訳家となる。犬好きでもあり、裏千家の茶道師範でもある。
北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - … 北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ、1948年7月2日 - )は、北海道瀬棚郡北檜山町(現・久遠郡せたな町)出身で九重部屋(入門時は出羽海部屋)所属の元大相撲力士。本名は土谷 孝(つちや たかし)。最高位は東関脇(1976年7月場所)。現役時代の体格は身長175cm、体重115kg。得意技は左四つ、寄り、もろ差し。 出羽海部屋付きの九重(元横綱・千代の山)の勧誘を受けて1964年7月場所、初土俵を踏む。力士になった理由は中学の校長が九重を大相撲に勧誘したというものであり、そういった経緯もあって以降関取に向けて精進を重ねた。1967年3月、九重親方の独立に際して、大関北の富士らとともに九重部屋へ移籍。
尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は、日… 尾形 好雄(おがた よしお、1948年7月2日 - )は、日本の登山家。福島県福島市出身。元スポニチ登山学校校長、現日本山岳協会理事長。ヒマラヤ山脈の未踏峰を登頂し、一度も事故を起こさなかった日本を代表する登山家である。 福島県福島市出身、同県二本松市在住。 父親を早くに亡くしたため、小学校時代から家計のために自転車での牛乳配達をはじめていた。中学生時代から登山に興味を示し、兄たちとともに地元安達太良山を踏破する。福島県立福島工業高等学校入学後、山岳部に入部、登山の基礎知識を学ぶ。生徒会長と折衝して部の予算を倍額にした。 1967年に社会人で構成される「雪と岩の会」に参加、登山家として活動を始める。
森下 裕(もりした ゆたか、1948年7月1日 - )は、日… 森下 裕(もりした ゆたか、1948年7月1日 - )は、日本の政治家。第2代福井県三方上中郡若狭町長。 福井県遠敷郡上中町大鳥羽(現・三方上中郡若狭町)出身。福井県立若狭農林高等学校卒業後、1968年に旧上中町職員として奉職。福井県出向、琵琶湖若狭湾快速鉄道建設および小浜線電化促進協議会への勤務を経て、産業課長、企画課長を歴任。2005年に旧三方町との合併で生まれた若狭町の初代助役に就任。同町の副町長を経て、2009年から第2代若狭町長を務める。
黑田 義久(くろだ よしひさ、1948年〈昭和23年〉7月1… 黑田 義久(くろだ よしひさ、1948年〈昭和23年〉7月1日 - )は日本の外交官。EU公使等を経て、ウズベキスタン及びタジキスタン駐箚特命全権大使。 兵庫県姫路市出身。姫路市立砥堀小学校等を経て、1973年に京都大学法学部を卒業し外務省入省。1974年7月から1977年6月までロシア語研修。 ウラジオストク総領事、ユジノサハリンスク総領事、欧州連合政府代表部公使、レバノン駐箚特命全権大使を経て、2009年から独立行政法人航海訓練所監事。2010年からウズベキスタン駐箚特命全権大使。タジキスタン兼箚。 家族は妻と娘が1人いる。
塩崎 修(しおざき おさむ、1948年〈昭和23年〉7月1日… 塩崎 修(しおざき おさむ、1948年〈昭和23年〉7月1日 - )は、日本の外交官。内閣官房内閣審議官等を経て、ホンジュラス共和国駐箚特命全権大使。 東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業。1973年外務省入省。[要出典] 1984年在エジプト日本大使館一等書記官、1986年在インドネシア日本大使館参事官、1990年外務省経済協力局国際機構課長、1991年内閣官房内閣内政審議室内閣審議官、1993年外務省文化交流部文化第一課長、1995年在ケニア日本大使館公使、1997年在オーストラリア日本大使館公使。[要出典] 2000年宇宙開発事業団調査国際部参事、2002年ニューヨーク領事。2003年7月からホーチミン総領事を3年半務め、日系企業のベトナム進出の支援等を行った。
小美野 廣行(こみの ひろゆき、1948年7月 - )は日本… 小美野 廣行(こみの ひろゆき、1948年7月 - )は日本の公認会計士。関西学院大学大学院経営戦略研究科教授、エスエス製薬代表取締役、日本ベーリンガーインゲルハイム代表取締役、WDBユニバーシティ代表取締役等を歴任。 東京都生まれ。東京学芸大学附属大泉中学校、東京都立大泉高等学校を経て、1971年一橋大学商学部卒業、帝人株式会社入社。古野電気株式会社代表取締役社長の古野幸男は大学及び帝人入社同期。1985年マサチューセッツ工科大学経営大学院修士課程修了。 1996年公認会計士登録。1999年日本ベーリンガーインゲルハイム株式会社常勤監査役。2002年エスエス製薬株式会社代表取締役専務取締役財務経理本部長。
石井 哲士朗(いしい てつしろう、1948年7月 - 202… 石井 哲士朗(いしい てつしろう、1948年7月 - 2022年10月)は、日本の言語学者。東京外国語大学名誉教授。専門は、ポーランド語学、ロシア語学。 この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐藤 研(さとう みがく、あるいは佐藤研眞〈けんしん〉、19… 佐藤 研(さとう みがく、あるいは佐藤研眞〈けんしん〉、1948年7月 - )は、日本の神学者・宗教学者・禅指導者(三宝禅)。専門は、新約聖書学・初期キリスト教史・禅。。立教大学名誉教授。 1948年に福島県に生まれる。1973年に東京外国語大学外国語学部フランス語学科を卒業後、 東京大学大学院人文科学研究科西洋古典学専門課程に進学。1976年に同修士課程を修了、博士後期課程進学。1982年に単位取得満期退学後、スイスに留学。 1984年、ベルン大学神学部を卒業。 1991年に、立教大学一般教育部人文・社会学科助教授に就任。1995年に文学部キリスト教学科に異動、1997年に教授に昇任、翌1998年にコミュニティ福祉学部教授に異動、2009年にキリスト教学科に戻る。
榎並 和雅(えなみ かずまさ、1948年7月 - ) は、日… 榎並 和雅(えなみ かずまさ、1948年7月 - ) は、日本の情報工学者。NHKデジタル推進担当局長や、NHK放送技術研究所長、情報通信研究機構ユニバーサルメディア研究センター長、日本バーチャルリアリティ学会会長、映像情報メディア学会副会長などを歴任した。 孫はkpopアイドルBABYMONSTERのASA 愛知県生まれ。1971年東京工業大学工学部電子物理工学科卒業、日本放送協会入局。1989年東京工業大学博士(工学)。1990年映像情報メディア学会論文賞受賞。1991年放送文化基金賞受賞。1994年NHK放送技術研究所先端制作技術研究部長。第28回(平成7年度)市村学術賞貢献賞受賞。1997年NHK放送技術研究所マルチメディア研究部長。
朝永 徹一(ともなが てついち、1948年6月30日 - )… 朝永 徹一(ともなが てついち、1948年6月30日 - )は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー、サインデザイナー。都市計画や大型施設のサイン・ディスプレーのプロデュースを行っている。元女子美術大学短期大学部非常勤講師。 長崎県長崎市に生まれる。 1964年、長崎市立長崎商業高等学校 時代、1年先輩の蛭子能収らと美術部で活動した。1965年、日本宣伝美術会西日本展で準入選となる。 1968年、新宿の歌声喫茶「灯」 で、合唱歌集の楽譜・イラスト等グラフィック面から、舞台装置・照明に至るまで演出を担当する。 1970年、日本万国博覧会においてテーマ館太陽の塔内部の展示計画(ディスプレイ)の一部を、また東京都の世界貿易センタービルのサイン計画を乃村工藝社所属で、それぞれ担当する。
矢部 徳美(やべ のりよし、1948年6月29日 - )は、… 矢部 徳美(やべ のりよし、1948年6月29日 - )は、福島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 内郷高校では1年から遊撃手。1966年夏の甲子園県予選で準々決勝に進むが会津高に敗退。高校卒業後は常磐炭鉱に入社。同社の系列会社で構成する社会人野球チームであるオール常磐に入団、遊撃手として活躍する。 一番打者として1970年の都市対抗に出場。1回戦では電電東海を相手に逆転本塁打を放ち、勝利の立役者となる。2回戦で日本石油のエース三浦健二に完封を喫するが、小柄ながら好守好打の内野手として注目を浴びる。 1970年ドラフト会議で南海ホークスから2位指名を受け入団。1971年のジュニアオールスターに出場。
杉原 厚吉(すぎはら こうきち、1948年6月29日 - )… 杉原 厚吉(すぎはら こうきち、1948年6月29日 - )は、日本の数理工学者。東京大学名誉教授。明治大学先端数理科学インスティテュート研究特別教授。 1948年岐阜県高山市生まれ。高山市立西小学校、高山市立中山中学校、岐阜県立斐太高等学校を経て、1971年東京大学工学部計数工学科卒業、1973年東京大学大学院工学系研究科計数工学専門課程修士課程修了、工学部助手、7月通商産業省電子技術総合研究所研究官、1980年東京大学より工学博士の学位を取得。1981年名古屋大学工学部情報工学科助教授、1986年東京大学工学部助教授、1991年教授、2001年東京大学大学院情報理工学系研究科数理情報学専攻教授、2009年4月より明治大学研究・知財戦略機構特任教授。
八村 広三郎(はちむら こうざぶろう、1948年〈昭和23年… 八村 広三郎(はちむら こうざぶろう、1948年〈昭和23年〉6月29日 - )は、日本の工学者。立命館大学情報理工学部名誉教授、工学博士。滋賀県地域情報化推進会議顧問。 専門は情報工学(画像情報学)。 鳥取県鳥取市出身。鳥取銀行元頭取の八村信三・緑夫妻の三男として生まれる。鳥取県立鳥取西高等学校を経て、1971年(昭和46年)京都大学工学部電気工学第二学科卒業。1976年(昭和51年)京都大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程単位取得退学。 1978年(昭和53年)国立民族学博物館第五研究部助手。1979年(昭和54年)京都大学工学博士。1983年(昭和58年)京都大学情報処理教育センター助教授。
鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、日… 鎌田 實(かまた みのる、1948年6月28日 - )は、日本の医師、作家、社会運動家。地域医療従事者。 諏訪中央病院名誉院長、日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)理事長、日本・イラク・メディカルネット(JIM-NET)代表、東京医科歯科大学臨床教授、東海大学医学部客員教授、岐阜経済大学客員教授。北九州市アドバイザー。ピースボート水先案内人。 東京都杉並区出身。1歳10ヶ月で養子に出され、青森県から上京し個人タクシー業を営む養父と病弱な養母に引き取られる。ただし30歳を過ぎてパスポートを取得するまで養子であることは鎌田本人には伏せられていた。 子供の頃から読書家で『どくとるマンボウ航海記』を読んで、船医になって世界中を旅することに憧れていた。
鈴木 弘(すずき ひろし、1948年6月28日 - )は、東… 鈴木 弘(すずき ひろし、1948年6月28日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(内野手)。左投左打。 196cmの長身から「ジャンボ鈴木」の異名を持つ。 国士舘高等学校、大東文化大学を経て、1970年春にキャピー原田に誘われサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ。MLBの球団と契約した初の日本人野手となった。 この年の3月に行われた日米野球にジャイアンツのメンバーとして来日して2試合に出場(うち1試合は先発)。アメリカに戻った後は傘下A級ディケーター・コモドアーズ(英語版)で開幕を迎えたが、1か月後にはルーキー級のグレートフォールズ・ジャイアンツ(英語版)に降格。異国での生活に慣れなかったこともあり成績は上がらず、2球団合計で70試合に出場して、打率.149、2本塁打という結果に終わった。
角﨑 利夫(つのざき としお、1948年(昭和23年)6月2… 角﨑 利夫(つのざき としお、1948年(昭和23年)6月28日 - )は、日本の外交官。カザフスタン兼キルギス駐箚特命全権大使、セルビア兼モンテネグロ駐箚特命全権大使、査察担当大使などを歴任した。 富山県高岡市出身。富山県立高岡高等学校を経て、1972年(昭和47年)東京大学法学部を卒業し、外務省に入省する。外務省では、駐ソ連大使館、駐英大使館勤務、外務省国際連合局人権難民課長、大蔵省関税局監視課長を経て、 夫人の角崎悦子は、アジア防災センター主任研究員。悦子夫人の父は大蔵官僚出身で自由民主党衆議院議員、経済企画庁長官や総務庁長官を務めた塩崎潤。帝京大学法学部教授や政策研究大学院大学(政策研究院)名誉教授の山根裕子は悦子夫人の姉、自民党衆議院議員で安倍内閣内閣官房長官の塩崎恭久は弟である。
安達 哲治(あだち てつじ、1948年6月28日 - )は日… 安達 哲治(あだち てつじ、1948年6月28日 - )は日本を代表するバレエ洋踊家の一人。香川県丸亀市出身。 1979年 専修学校教員認定授与 1991年 文化庁芸術祭賞受賞(個人) 1993年 文化庁在外特別研修員(パリオペラ座、ロイヤルバレエ団) 2000年 文化庁芸術祭優秀賞受賞(NBAバレエ団) 2004年 橘秋子賞特別賞受賞(個人) 2005年 舞踊批評家協会賞受賞(NBAバレエ団) 2006年 ジャクソン国際バレエコンクール審査員 2011年 丸亀市文化観光大使委嘱 2014年 著書「バレエコンクール審査員は何を視るか?」 2020年 丸亀市文化振興賞受賞 1948年、安達家の次男として丸亀市で生まれる。
関戸 明夫(せきど あきお、1948年6月28日 - )は、… 関戸 明夫(せきど あきお、1948年6月28日 - )は、日本の企業家。ギグワークス株式会社代表取締役(兼グループCEO)、株式会社グローバルBPO代表取締役。 東京都出身。東京海上火災保険在職中に、企業派遣研修生としてマサチューセッツ工科大学のビジネススクール(スローン・スクール・オブ・マネジメント)に留学後、「環境制御システムの設計・施行」を手がける三協工業の社長に就任。体験重視の哲学から会社説明会で井戸掘りを体験させたり、外国人留学生の積極採用、「22歳の人を副社長にしても差はない」と新入社員から副社長を公募したりなどが夕刊フジ特捜班「追跡」に取り上げられている。 その後、マサチューセッツ工科大学のクラスメートで、後にSynnex社をニューヨークに上場したロバート・ファン氏と「パソコン部品のディストリビューター」であるシネックスジャパンを設立。
石川 賢(いしかわ けん、KEN ISHIKAWA、本名:石… 石川 賢(いしかわ けん、KEN ISHIKAWA、本名:石川賢一、1948年6月28日 - 2006年11月15日)は、日本の漫画家。栃木県那須郡烏山町(現・那須烏山市)出身。血液型はAB型。 代表作に『ゲッターロボ』、『魔獣戦線』、『虚無戦記』、『極道兵器』などがある。バイオレンス描写をメインに、スペースオペラ、ヒーローロボット、時代劇・忍術、任侠、ゴルフなど多岐にわたる主題を扱った。 高校卒業後の1969年、永井豪のアシスタントとしてダイナミックプロに入社する。永井は、「弟子などと思ったことは一度もない。戦友であり、友であり最大の味方である」と語っている。また「デビュー前から知り合っていたら、藤子不二雄先生みたいになっていたかも知れない。
瀬戸山 功(せとやま いさお、1948年6月27日 - )は… 瀬戸山 功(せとやま いさお、1948年6月27日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。 鹿児島県出身。國學院大學卒業。東宝芸能、星野事務所に所属していた。 1970年代から1980年代にかけて映画、テレビドラマ、舞台に脇役として出演。1973年の円谷プロ制作の特撮ドラマ『ジャンボーグA』(毎日放送)では、PAT隊員・大羽健次役でレギュラー出演した。 特技は、殺陣、乗馬。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
鎌田 守恭(かまだ もりやす、1948年6月27日 - )は… 鎌田 守恭(かまだ もりやす、1948年6月27日 - )は日本の政治家。自民党所属の香川県議会議員。当選9回。 高松中心市街地を地盤としている数少ない県議会議員の一人。高松中央商店街の再開発を始めとした市街地活性化や観光振興に積極的に取り組んでいる。香川漆器にも造詣が深く漆芸振興策を訴えている。
中 康次(なか こうじ、1948年6月26日 - 2015年… 中 康次(なか こうじ、1948年6月26日 - 2015年12月19日)は、日本の俳優。旧芸名は中 康治(読み同一)、中 孝舟()。本名は福中 康治。 京都府京都市出身。京都府立嵯峨野高等学校卒業。 高校時代に父が病死し、高校卒業直後に上京。ファッションモデル、CMモデルの仕事をしながら生計を立てていた。 1979年、映画『戦国自衛隊』では上杉と武田の争う真っ只中にタイムスリップする自衛隊員を演じ、191cmの長身と甘いマスクで正統派の二枚目として注目を集めた。以後、『柳生あばれ旅』(テレビ朝日)、『宮本武蔵』(NHK)、『スケバン刑事』(フジテレビ)などのテレビドラマで活躍。 1986年の東京宝塚劇場『三味線お千代』で初舞台を踏んでからは、多くの舞台にも出演した。
諸石 幸生(もろいし さちお、1948年6月26日 - 20… 諸石 幸生(もろいし さちお、1948年6月26日 - 2022年4月9日)は、日本の音楽評論家。 1948年佐賀県佐賀市に生まれる。1967年、佐賀県立佐賀北高等学校卒業。早稲田大学法学部卒業。 学生時代にはオーケストラでトロンボーン奏者を経験する一方、夜にはバンドマンを務めたりもしていた。 大学卒業後は音楽鑑賞教育振興会に10年間勤務、義務教育課程における鑑賞指導法の研究・啓蒙に携わる一方、『演奏家大事典』の編纂にも従事していた 1984年にステレオサウンド社から創刊された『音楽通信』に創刊メンバーの1人として携わる《編集長には同じく音楽評論家の黒田恭一が就任したものの、半年で休刊となった》 以後、フリーの音楽評論家として、音楽専門誌、新聞、ライナーノーツへの執筆や、ラジオ放送におけるクラシック音楽関連番組へのパーソナリティ或いはゲスト解説者としての出演などの活動を行ってきている。
高田 文夫(たかだ ふみお、1948年〈昭和23年〉6月25… 高田 文夫(たかだ ふみお、1948年〈昭和23年〉6月25日 - )は日本の放送作家、タレント。本名は高田 文雄(読み同じ)。愛称は「高田ギョロメ文夫」「高田先生」「高田センセー」。 落語家として、「立川 藤志楼」の高座名で落語立川流Bコース入りしている。「駄句駄句会」同人、俳号は「風眠(ふうみん)」。生年月日は沢田研二・誠直也と同じ。長男は日刊スポーツ記者の高田文太。 東京ヤクルトスワローズのファンとしても知られている。 東京都渋谷区富ヶ谷に生まれる。父の高田栄三は歴史書関係の出版社 国文社の経営者で丹羽文雄と仲が良かった事から「文雄」と名付けられた。父方の親戚は出版社の経営者が多く、雑誌『映画評論』発行人高田俊郎もその一人で芸能好きは彼の影響が大きい。
沢田 研二(さわだ けんじ、1948年〈昭和23年〉6月25… 沢田 研二(さわだ けんじ、1948年〈昭和23年〉6月25日 - )は、日本の歌手、俳優、ソングライター。ザ・タイガースおよびPYGのボーカル。本名:澤田 硏二(読み同じ)。 両親の実家がある鳥取県岩美郡津ノ井村(現・鳥取市)生まれで京都府京都市育ち。ニックネームは『ジュリー』。妻は女優の田中裕子。義弟は俳優の田中隆三。前妻は歌手の伊藤エミ。 1960年代後半のグループ・サウンズ全盛期から最前線で活躍し、ソロとしてのシングル総売上は1,241万枚を記録。1982年から1991年までの9年間は歴代1位の座を保つ。アルバムも合わせた総売上は約1572万枚。ザ・タイガース、PYG時代も含めたシングルの総売上は1,668万枚に上る。
荒川 俊三(あらかわ しゅんぞう、1948年6月25日 - … 荒川 俊三(あらかわ しゅんぞう、1948年6月25日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(外野手)。 兵庫高校では第38回選抜高等学校野球大会に一番、センターで出場。初戦で高知高校に敗れる。 高校卒業後は、かまぼこ製造業に就職したが、その後に近鉄の入団テストを受ける。打撃もよく、100メートル走と遠投でテスト生全員のトップで晴れて合格し、1966年にドラフト外で近鉄バファローズへ入団した。高校時代は大野姓で、プロ入り後に荒川姓となる。 近鉄では控え内野手でほとんど出場機会がなかったが、1968年7月21日東京スタジアムでの東京オリオンズ戦で乱闘の最中、もみ合いの中で榎本喜八をバットで殴打し、昏倒させた。
松田 譲(まつだ ゆずる、1948年6月25日 - )は、日… 松田 譲(まつだ ゆずる、1948年6月25日 - )は、日本の薬学研究者、実業家、農学博士。協和発酵キリン代表取締役社長や、日本製薬団体連合会副会長、日本農芸化学会副会長を務めた。 新潟県出身。1971年新潟大学農学部卒業。1977年東京大学大学院農学系研究科博士課程修了、農学博士、協和発酵工業(現協和発酵キリン)入社。東京研究所研究員を務め、新薬開発にあたった。主任研究員を経て、2000年執行役員医薬総合研究所長。2002年常務取締役総合企画室長に昇格。 2003年から協和発酵工業代表取締役社長を務め、キリンファーマとの経営統合を行い、2008年に合併後の協和発酵キリン代表取締役社長に就任。
林 信夫(はやし のぶお、1948年6月25日 - )は、日… 林 信夫(はやし のぶお、1948年6月25日 - )は、日本の法制史学者。京都大学名誉教授。京都大学大学院法学研究科長・法学部長、京都大学副学長、エア・ウォーター監査役等を歴任した。 1973年東北大学法学部法学科卒業。1974年東北大学法学部助手。専修大学法学部専任講師を経て、1982年専修大学法学部助教授。1988年専修大学法学部教授。1995年立教大学法学部教授。2001年京都大学大学院法学研究科教授。2009年京都大学大学院法学研究科長・法学部長。2011年京都大学附属図書館長、京都大学図書館機構長。2012年京都大学文書館長、京都大学副学長(法務・コンプライアンス担当)。2013年京都大学名誉教授、京都大学大学院総合生存学館特定教授。
中条 博(ちゅうじょう ひろし、1948年6月24日 - )… 中条 博(ちゅうじょう ひろし、1948年6月24日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
王 紅花(おう こうか、1948年6月23日 - )は、歌人… 王 紅花(おう こうか、1948年6月23日 - )は、歌人。本名は松平美津。歌人・画家の松平修文は夫。 埼玉県児玉郡上里町生まれ。埼玉県立熊谷女子高等学校を経て、ロサンゼルス市立大学卒業。 大学在学中に作歌を始め、「ロッキー短歌」「潮音」に出詠。1971年、大学を卒業し、帰国。1978年、松平修文と結婚。1979年2月、個人誌「夏暦」を創刊。1982年、個人誌と同じタイトルの歌集『夏暦』を上梓。 2017年、夫である松平修文が死去。2025年に刊行された歌集のタイトル『緑色の人』は松平のことを指す。
新井 昌則(あらい まさのり、1948年6月23日 - )は… 新井 昌則(あらい まさのり、1948年6月23日 - )は、埼玉県大里郡岡部町(現・深谷市)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 深谷商では3年次の1966年に夏の甲子園西関東大会県予選準々決勝へ進出するが、川越工に敗退、甲子園には届かなかった。同年の第1次ドラフト3位で大洋ホエールズに入団し、俊足好打の内野手と期待されるが、5年間で僅か2試合にしか出場できずほとんど二軍暮らしで終わった。 1972年に佐藤元彦との交換トレードで、ロッテオリオンズへ移籍。1973年に初安打を放つと、1974年には一軍に定着し、内野ならどこでも守れるユーティリティプレイヤーとして起用され91試合に出場。6月1日の近鉄戦(川崎)で神部年男から初本塁打を記録。
二宮 さよ子(にのみや さよこ、本名同じ、1948年6月23… 二宮 さよ子(にのみや さよこ、本名同じ、1948年6月23日 - )は、日本の女優、舞踊家。身長162cm、体重55kg。静岡県熱海市生まれ。 静岡県立三島北高等学校卒業。 趣味は三味線。実家はとんかつ屋。 1967年に高校を卒業すると、同年に文学座付属演劇研究所へ入所。杉村春子の部屋子として、身の回りの世話をしながら女優としての心得を叩き込まれる。 1973年から座員に昇格し、1990年、退団。 1973年に萩原健一主演の『化石の森』でスクリーンデビューしており、『吉原炎上』共々ヌードによる大胆な演技で話題となった。 はっきりした美貌と口跡で、気丈な女性役を得意とし、アメリカのテレビ映画の主人公ワンダーウーマン役のアテレコなどもこなした。
阪口 善雄(さかぐち よしお、1948年(昭和23年)6月2… 阪口 善雄(さかぐち よしお、1948年(昭和23年)6月23日 - )は、日本の政治家。大阪府吹田市長(3期)、大阪府議会議員(3期)を務めた。 大阪府生まれ。大阪府立茨木高等学校、大阪市立大学文学部卒業。1982年から吹田市職員。 1987年、父親の跡を継ぎ、大阪府議会議員選挙に日本社会党公認で出馬し、初当選を果たした。以後3期連続当選。1999年、自民・民主・社民3党の推薦で吹田市長選挙に出馬し、当選。約30年続いた革新市政に終止符を打った(ただし阪口も元々は社会党の出身である)。 2011年4月、統一地方選挙に際して実施された吹田市長選に4選をめざして出馬したが、大阪維新の会が擁立した新人の井上哲也に敗れ、落選した。
大場 隆広(おおば たかひろ、1948年6月23日 - 20… 大場 隆広(おおば たかひろ、1948年6月23日 - 2016年7月16日)は、福岡県田川郡香春町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。息子は元巨人の大場豊千。 別府鶴見丘高校では3年次の1966年、エースとして夏の甲子園予選中九州大会準決勝に進出したが、熊本一工の田尻茂敏と投げ合い敗退。甲子園出場はならなかったが、予選では1試合平均11の三振を奪う。荒削りながら速球に魅力があり、ドロップを武器とした。1966年第1次ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け、1967年に入団。1年目にはジュニアオールスターに選出されるなど貴重な本格派左腕として期待されたが、一軍では結果を出せず、1970年オフに自由契約となり、近鉄バファローズへ移籍。