長谷 政弘(はせ まさひろ、1937年(昭和12年)1月 -… 長谷 政弘(はせ まさひろ、1937年(昭和12年)1月 - 2011年12月20日)は、日本の商学者。日本大学商学部教授などを経て、同大学名誉教授。総合観光学会会長。 東京都出身。日本大学商学部を卒業後、同大学院商学研究科博士課程を満期退学(商学修士)。その後、日本大学商学部に勤務。副手・助手・専任講師、助教授、教授を務め、2000年(平成12年)~2002年(平成14年)まで同学部の学部長兼同大学大学院商学研究科長(前任は、杉井弘和、後任は勝山進、後々任は小関勇)、学校法人日本大学理事を歴任。 また、コロンビア大学経営大学院客員研究員、明治大学商学部非常勤講師、日本観光学会副理事長、日本商業学会理事などを歴任。
笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - … 笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - 1996年(平成8年))は、日立製作所の元主任研究員、工学博士。 秋田県横手市出身。横手美入野高校(現秋田県立横手高等学校)卒業、1963年慶應義塾大学工学部卒業後、日立製作所日立研究所入社。同所主任研究員、日立アメリカ・リミテッド研究開発副社長、同社自動車機器事業部副技師長を経る。IEEEおよびSAEフェロー。電気学会センサシステム応用技術委員会、「自動車センサ関連調査専門委員会)委員長などを歴任。 1984年、慶応義塾大学工学博士 論文の題は「トランジスタの二次降伏耐量の研究とその自動車用電子装置への適用 」。
舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )… 舘井 啓明(たてい ひろあき、1937年 - 1995年 )は韓国京城府(現・ソウル特別市)出身の画家。新作家美術会、赤光社、福島青美会、会員 舘井は1981年の個展開催に際して、こう記している。「いつの頃からか ふと。一人で旅をするのが好きになりました。それは僕の内なるものが駆り立てる未知への憧憬でしょうか。太陽の下できらきらと光る海、そして山、湖 赤い屋根のある白壁の静かなたたずまい 知らず知らずに手が動くまま心に書き留めたのがこれらのスケッチです。」
高橋 三郎(たかはし さぶろう、1937年 - )は日本の社… 高橋 三郎(たかはし さぶろう、1937年 - )は日本の社会学者。栃木県出身。 栃木県立栃木高等学校を経て、京都大学卒業。同大大学院文学研究科博士課程修了(社会学)。京都大学名誉教授。広島国際学院大学現代社会学部教授。
小野田 町枝(おのだ まちえ、1937年 - )は、(財)小… 小野田 町枝(おのだ まちえ、1937年 - )は、(財)小野田自然塾理事、小野田牧場共同経営者、日本女性の会会長。夫は小野田寛郎。 茨城県出身。千葉県立佐原女子高等学校卒業後、日産自動車、トーメン、ブリヂストンに勤務。その後、保険代理店を経営しながら、上智大学で聴講生として心理学を学ぶ。 1976年に小野田寛郎と結婚し、ブラジルへ移住。牧場を開拓し、日本語学校を創設した。 2006年、安西愛子の後任として日本会議の女性組織・日本女性の会の会長に就任。
三宅 康文(みやけ やすぶみ、1937年 - )は、東京都出… 三宅 康文(みやけ やすぶみ、1937年 - )は、東京都出身の男性書体デザイナー。
柿沼 孝子(かきぬま たかこ、1937年 - )は日本の文学… 柿沼 孝子(かきぬま たかこ、1937年 - )は日本の文学者。立正大学名誉教授。専門は米文学、意味論。 東京女子大学英米文学科を卒業後、法政大学大学院英文学専攻修士課程を修了する。後に立正大学経済学部教授となる。専門の米文学ではマーク・トウェインを主に研究した。2007年に立正大学を定年退任し名誉教授となる。
白鳥 正喜(しらとり まさき、1937年 - )は、日本の大… 白鳥 正喜(しらとり まさき、1937年 - )は、日本の大蔵官僚、経済学者。元大蔵省国際金融局次長。専門は国際金融論、開発経済学。 東京都立大学附属高等学校を経て、1960年に東京大学法学部第2類(公法コース)を首席で卒業。大蔵省に入省する(為替局総務課)。1962年6月に関東財務局理財部。1963年6月には経済企画庁調整局貿易為替課へ出向。1964年4月に大臣官房財務参事官付調査主任(フルブライト留学生としてコロンビア大学留学)。1966年12月に国際金融局企画課長補佐(総括・企画・貴金属特会)。その後、IMF財務局上級エコノミストやOECD日本政府代表参事官などを経て、国際金融局課長・次長となる。
藤正 巖(ふじまさ いわお、1937年 - )は、日本の医師… 藤正 巖(ふじまさ いわお、1937年 - )は、日本の医師、医学者、医学博士。東京大学名誉教授、政策研究大学院大学名誉教授。専門は医用生体工学、社会構造学、医療政策、人間生物学。 1964年に東京大学医学部医学科卒業後、1965年に東京大学医学部電子研究施設助手となる。1975年に助教授となった後に、1986年に東京大学先端科学技術研究センターへ移籍する。1988年に同センター教授に昇格し、医学部教授を併任した。1996年に埼玉大学大学院政策科学研究科教授となり、翌年に創設された政策研究大学院大学教授に就任した。2005年に定年後は、同大学のリサーチフェローを経て、アカデミックフェロー・客員教授を務めた。
鈴木 功(すずき いさお、1937年 - )は、日本の録音技… 鈴木 功(すずき いさお、1937年 - )は、日本の録音技師。神奈川県出身。日本映画テレビ録音協会会員。1980年より山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズの録音技師となる。 1937年、神奈川県に生まれる。1956年に松竹に入社し、松竹大船撮影所で録音助手となる。
吉野 賢治(よしの けんじ、1937年 - )は、日本の公認… 吉野 賢治(よしの けんじ、1937年 - )は、日本の公認会計士。新日本監査法人副理事長や学校法人中央学院理事長、日本マクドナルドホールディングス監査役、高エネルギー加速器研究機構監事等を歴任した。インディアナポリス名誉市民。 1955年中央商業高等学校(現中央学院大学中央高等学校)卒業。1959年東京経済大学経済学部卒業。母校中央商業教諭を経て、1965年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。指導教官飯野利夫。 1965年アーサーヤング会計事務所東京事務所入所。1969年公認会計士登録。外国法人や海外に子会社を持つ日本企業の監査などにあたったほか、ODA部を設立し、JICAからの受注など、事業拡大を行った。
森口 豁(もりぐち かつ、1937年 - )は、日本のジャー… 森口 豁(もりぐち かつ、1937年 - )は、日本のジャーナリスト。東京都出身。一貫して沖縄県に関わる諸問題を追及し続けている。 玉川学園高等部在学中、沖縄県の言葉についての研究発表を行った一学年後輩の金城哲夫と知り合う。この金城の研究発表がきっかけとなり、1956年に玉川学園の教師や他の生徒とともに米軍政下の沖縄本島を訪問。その際、本土との間にある政治的・精神的分断に衝撃を受け、沖縄県に関わる問題を強く意識するようになっていく。 玉川大学文学部を中退後、琉球新報社会部記者、日本テレビ沖縄特派員として暮らす。テレビドキュメンタリー『ひめゆり戦史 いま問う国家と教育』、『島分け 沖縄鳩間島哀史』などを制作、テレビ大賞優秀個人賞などを受賞。
村上 春樹(むらかみ はるき、1937年 - )は、日本の国… 村上 春樹(むらかみ はるき、1937年 - )は、日本の国文学者。『将門記』の研究で知られる。 早稲田大学教育学部国語国文学科国語学専攻卒業。横浜市立戸塚高等学校国語科教諭、横浜市立桜丘高等学校副校長を経て定年退職。横浜市立図書館嘱託となり、任期終了後は各地の文化講座などで講師を務める。元千葉県立関宿城博物館客員研究員。東洋史家宮澤正順とは、戸塚高校在職時の同僚。神奈川県在住。 『ノルウェイの森』などで知られる作家の村上春樹とは同姓同名で出身大学も同じであることから、混同されることがある。
清水 丈夫(しみず たけお、1937年〈昭和12年〉 - )… 清水 丈夫(しみず たけお、1937年〈昭和12年〉 - )は、日本の新左翼活動家。前革命的共産主義者同盟全国委員会(略称:革共同全国委、通称:中核派)議長。 筆名は岡田新、津久井良策など。敵対勢力である革マル派の機関紙『解放』では、「シミタケ」とあだ名がつけられている。 1937年(昭和12年)、神奈川県生まれ。農家の出身。湘南高校ではラグビー部に所属した。東京大学経済学部時代に日本共産党に入党するが武装闘争放棄に反発し1958年(昭和33年)に離党、島成郎、香山健一、北小路敏らと共産主義者同盟(第一次ブント)を結成する。全学連の書記長として60年安保闘争で活躍。その後、自己批判して1961年(昭和36年)に革共同全国委に結集。
岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本… 岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家、政治家。息子の岩崎夏海は放送作家。 東京生まれ。父は岩崎書店創業者・岩崎徹太。兄は精神科医の岩崎徹也。慶応義塾高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築科へ入学。 大学卒業後、建築設計事務所を2年間経営した後、アフリカ・ガーナの国立科学技術大学専任講師、そしてハーバード大学デザイン大学院都市デザイン専攻留学。
竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の… 竹内 邦光(たけうち くにみつ、1937年 - )は、日本の作曲家。 東京都出身。長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。同大学在学中にNHK洋楽オーディションに合格しピアニストとして活動を始める。NHK学校放送番組「ことばと文学 浄瑠璃寺の春」の附帯音楽の作曲を手がけ作曲活動を始める。1968年信州大学教育学部教授。その後、昭和音楽大学音楽学部作曲学科(現・音楽芸術表現学科作曲・音楽デザインコース)教授として長年、ピアノ、楽曲分析、楽式論、対位法、和声等の講義を担当。「音楽旬報」の評論スタッフとして多くの演奏家評論を著した。門下生に、岩下哲也、横島浩、若林千春がいる。
雨宮 次生(あめみや つぎお、1937年(昭和12年) - … 雨宮 次生(あめみや つぎお、1937年(昭和12年) - 2020年(令和2年))は、日本の医学者。専門は眼科学。長崎大学医学部眼科学教室第11代教授。長崎大学名誉教授。 1956年(昭和31年)、静岡県立静岡高等学校卒業。京都大学医学部眼科学教室を経て、長崎大学助教授。1987年(昭和62年)長崎大学医学部眼科学教室第11代教授。長崎大学大学院医歯薬学総合研究科教授。退職して、長崎大学名誉教授。
猪熊 兼勝(いのくま かねかつ、1937年 - )は、日本の… 猪熊 兼勝(いのくま かねかつ、1937年 - )は、日本の考古学者。専門は、日本考古学(特に古墳時代より飛鳥時代の墓制)。学位は、文学修士(関西大学)。京都橘大学名誉教授。葵祭行列保存会会長、時代祭考証委員長。所属学会は日本考古学協会、韓国考古学研究会。 京都府京都市に生まれる。猪熊家は代々猪熊通に居住していたが、応仁の乱で焼け出された。京都府立鴨沂高等学校を経て、1962年関西大学文学部史学科卒業。1964年関西大学大学院文学研究科考古学専攻修士課程修了、文学修士。 奈良国立文化財研究所に就職し、同所埋蔵文化財センター研究指導部長、1997年同所飛鳥藤原宮跡発掘調査部部長となる。1998年京都橘大学文学部教授、のちに同名誉教授。
家森 幸男(やもり ゆきお、1937年 - )は、日本の医学… 家森 幸男(やもり ゆきお、1937年 - )は、日本の医学者。医学博士。WHO循環器疾患専門委員、武庫川女子大学国際健康開発研究所長、ハーバード大学客員教授、京都大学名誉教授(予防栄養学)。病理学専攻。日本に「カスピ海ヨーグルト」を紹介したことで知られ、長寿に関する研究で知られる。 京都府出身。京都府立鴨沂高等学校を経て、1962年、京都大学医学部を卒業し、1967年に京都大学大学院医学研究科博士課程修了。島根医科大学教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授などを務めた。
岩﨑 隆(いわさき たかし、1937年 - )は、日本の実業… 岩﨑 隆(いわさき たかし、1937年 - )は、日本の実業家。株式会社ノリタケカンパニーリミテド代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部経済同友会代表幹事などを務めた。 京都府立洛北高等学校を経て、1960年同志社大学経済学部卒業、日本陶器株式会社(現ノリタケカンパニーリミテド)入社。1992年取締役に昇格。1994年常務取締役。1997年専務取締役。1998年取締役副社長。1999年から代表取締役社長を務め、2002年には社章を制定した。2004年代表取締役会長。2009年相談役。中部経済同友会代表幹事なども務めた。
坂東 昌子(ばんどう まさこ、1937年(昭和12年) - … 坂東 昌子(ばんどう まさこ、1937年(昭和12年) - )は、日本の物理学者。専門は、素粒子論・非線形物理。NPO法人知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん理事長、京都大学基礎物理学研究所協力研究員、愛知大学名誉教授。理学博士。 京都大学・湯川秀樹研究室の出身。専門は素粒子論・非線形物理であるが、環境問題や科学教育、放射線リスクなど幅広く研究を進めている。 女性研究者や若手研究者の支援にも積極的に取り組み、2007年には日本物理学会で2人目の女性会長に就任。会長退任後も、日本物理学会にキャリア支援センターを設立して、初代センター長をつとめた。愛知大学を定年退職したのちはNPO法人を立ち上げ、女性研究者の地位向上、ポストドクター問題の改善、研究者間の更なる連携を目指して活動をおこなっている。
松島 巖(まつしま いわお、1937年 - 2007年以降没… 松島 巖(まつしま いわお、1937年 - 2007年以降没)は前橋工科大学名誉教授、第2代学長。 腐食防食・耐食鋼の研究、錆研究で知られる。腐食防食協会協会賞などを受賞。 京都府京都市に生まれる。菁々中学校を経て、東京大学理学部化学科を卒業した。 1959年から1997年まで日本鋼管に研究職として勤務する。この間、1963年から1965年まで、米国マサチューセッツ工科大学に留学した。また、1982年に論文「鉄鋼の局部腐食の研究」で工学博士の学位を東京大学より取得した。1995年から1996年まで国際協力機構 (JICA)の長期派遣専門家として、メキシコ国立工科大学(IPN)教授を務めた。 1997年、前橋工科大学建築学科教授に就任した。
伊達 美徳(だて よしのり、1937年 - )は、アール・ア… 伊達 美徳(だて よしのり、1937年 - )は、アール・アイ・エーの元取締役。伊達計画文化研究所代表取締役所長。日本都市計画家協会常務理事事務局長。日本の都市計画家。岡山県高梁市出身。 1937年(昭和12年)、岡山県高梁市に生まれる。実家は神社の境内にあった。その後、地元の岡山県立高梁高校を1956年(昭和31年)に卒業し、東京工業大学理工学部(建築学課程)へ進学。1961年3月、同大学を卒業した。卒業後、都市計画コンサルタント事務所であるアール・アイ・エーに就職した。 入社後、様々な都市計画を担当した。1963年には、日本住宅公団の名古屋港地区再開発計画を担当し、1980年代には東京都中央区勝どきの再開発を担当した。
有岡 利幸(ありおか としゆき、1937年 - )は、植物・… 有岡 利幸(ありおか としゆき、1937年 - )は、植物・植生研究家。 岡山県生まれ。岡山県立勝間田高校卒業後、1956年-1993年大阪営林局で国有林における森林の育成・経営計画業務などに従事。1993-2003年は近畿大学総務部総務課勤務。2003-2009年水利科学研究所客員研究員。1993年『ケヤキ林の育成法』で林業技術賞受賞。1993年『松と日本人』で毎日出版文化賞受賞。
篠山 重威(ささやま しげたけ、1937年 - )は、日本の… 篠山 重威(ささやま しげたけ、1937年 - )は、日本の医学者。京都大学名誉教授、同志社大学生命医科学部チェアプロフェッサー教授。
原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、… 原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、日本の軍事史研究者、陸上自衛官。防衛省防衛研究所図書館調査員、軍事史学会副会長。最終階級は1等陸佐。専攻は日本軍事史(特に国土防衛史)。 香川県出身。県立観音寺第一高校卒業後、1960年(昭和35年)防衛大学校本科卒業(第4期生)。同年陸上自衛隊入隊。第10普通科連隊、第28普通科連隊に勤務後、防衛大学校、陸上自衛隊少年工科学校、陸上自衛隊幹部候補生学校教官を歴任。この期間に日本大学法学部政治経済学科を卒業(通信教育課程)、国士舘大学で歴史学を研修[要出典]。 1980年(昭和55年)より防衛庁防衛研究所戦史部所員。1991年に自衛官を退官後、教官として防衛研究所戦史部勤務、1998年定年退官し非常勤調査員として戦史部に勤務後、現職。
高倉 やえ(たかくら やえ、1937年 - )は、日本の小説… 高倉 やえ(たかくら やえ、1937年 - )は、日本の小説家。 福岡県立小倉高等学校を経て、東京女子大学英米文学科卒業。1983年に通訳者・翻訳者養成学校ISS(現・ISSインスティチュート)を卒業後、会議通訳者として活躍しており、これまでに、アジア人口会議、北京女性会議、日・米・欧教科書会議、北方生物会議など多くの会議を担当。2004年より朝日カルチャーセンターの小説教室で根本昌男(元『海燕』編集長)の指導を受ける。2015年2月、投稿作「ものかげの雨」で第1回林芙美子文学賞佳作を受賞。
泉 康子(いずみ やすこ、1937年 - )は、日本の作家、… 泉 康子(いずみ やすこ、1937年 - )は、日本の作家、ノンフィクション作家。満洲国・新京(現:長春市)生まれ。 山岳遭難や雪崩事故などをテーマに、綿密な取材に基づいたドキュメンタリー(ルポルタージュ)作品を発表している。その作風は徹底したノンフィクションであり、事実の記録性を重んじるため、可能な限り登場人物を実名で記述することを特徴としている。 1937年、満州国新京に生まれる。熊本県立第一高等学校を経て、1958年に早稲田大学第二文学部に入学。在学中は安保闘争(60年安保)に関わった。 1965年に同大学を卒業後、新日本文学会ルポルタージュ研究会に入会。1976年には社会人山岳会「のらくろ岳友会」を結成し、剱岳や槍ヶ岳などへの登山(単独行含む)を行う傍ら、機関誌の編集に携わった。
小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説… 小石 房子(こいし ふさこ、1937年 - )は、日本の小説家、女性史研究家、日本ペンクラブ会員。 大分県大分市生まれ。大分県立大分上野丘高等学校を経て、青山学院女子短期大学国文科を卒業。 当初は那須辰造に師事し、トナカイ村の同人として児童文学を書き、1975年の国際婦人年を契機に作家の南原幹雄にすすめられて女性史を中心とした歴史物を手がけるようになる。 日本は男尊女卑の男社会だったので、正史に書かれなかった女帝や歪曲された女性の真相を歴史小説とし、また正史は為政者の歴史だったので、裏面史として流人史を書く。 執筆のかたわら、カルチャー教室の歴史の講師をつとめ、平成元年(1989年)に始まった横浜の教室は令和まで30年以上つづき、八丈島から始まった「歴史の旅」も31回を数える。
上村 和也(かみむら かずや、1937年(昭和12年)-)は… 上村 和也(かみむら かずや、1937年(昭和12年)-)は、日本の比較文学者・英文学者。外国人による日本文化論を研究・翻訳。鹿児島大学名誉教授、湘潭大学名誉教授、佐賀大学元教授。 鹿児島県出身(生まれは満洲国の奉天)。言語学者上村孝二鹿児島大学名誉教授の長男。父・孝二の鹿児島県師範学校赴任にともない4歳で鹿児島市へ移る。鹿児島県立甲南高等学校、九州大学卒業。1961年(昭和36年)九州大学大学院文学研究科修士課程修了。鹿児島県立短期大学助教授を経て、鹿児島大学教授となり1996年(平成8年)度まで比較文学と英文学を教えた。鹿児島大学退官後は佐賀大学文化教育学部教授も務めた。 訳書にパーシヴァル・ローエル『神々への道』(平岡厚と共訳)、サー・フィリップ・シドニー『アストロフェルとステラ 付 サーティン・ソネッツ』(大塚定徳ほか共訳)があるほか、クルト・ジンガー(英語版)の翻訳も学術誌で発表。
濱島 敦俊(はましま あつとし、1937年-)は、日本の歴史… 濱島 敦俊(はましま あつとし、1937年-)は、日本の歴史学者、東洋史学者。文学博士、学術博士(博士(学術))、大阪大学名誉教授。専門は宋代から清代までの中国社会経済史で、また中国でフィールドワークをおこない未解明の民間信仰も研究した。 鹿児島県喜入村瀬々串(現・鹿児島市喜入瀬々串町)出身。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1962年に東京大学文学部を卒業し、同大学院に進む。1965年に東京大学東洋文化研究所助手となり、高知大学文理学部助教授と北海道大学文学部助教授を経て、中国社会科学院近代史研究所客員研究員。1980年1月、論文「均田均役法の研究」により東京大学から文学博士の学位を授与される。1985年、大阪大学文学部助教授(東洋史学)となり、1987年に教授へ昇任して2001年まで務めた。
加藤 廣志(かとう ひろし、1937年 - )は、秋田県山本… 加藤 廣志(かとう ひろし、1937年 - )は、秋田県山本郡藤里町出身の元高校教諭、バスケットボール指導者である。能代工業高校バスケットボール部の礎を築いた名将として知られる。
北村 三郎 (きたむら さぶろう、1937年 - ) は、沖… 北村 三郎 (きたむら さぶろう、1937年 - ) は、沖縄県北谷村出身の俳優・演出家。本名は高宮城 實(実)政 (たかみやぎ じっせい)。
磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝… 磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝鮮韓国に関わる作家、評論家、活動家。「在日朝鮮人作家を読む会」の主宰。金城学院大学非常勤講師。NPO法人「三千里鐵道」副理事長。 1937年、愛知県半田市生まれ。愛知大学法経学部経済学科卒業。1977年から名古屋で「在日朝鮮人作家を読む会」を主宰し、会の文芸誌『架橋』を発行。 大学講師、警備員などの仕事をしながら、新日本文学会、マダン劇グループ、外国人登録法反対運動、在日韓国人に対する参政権付与運動、NPO法人「三千里鐵道」など、主に朝鮮韓国に関わる様々な活動に参加している。 2006年には、全18巻に及ぶ『〈在日〉文学全集』(勉誠出版)を黒古一夫とともに編集した。
石川 能弘(いしかわ よしひろ、1937年 - )は、日本の… 石川 能弘(いしかわ よしひろ、1937年 - )は、日本の歴史小説作家。 東京都生まれ。青山学院大学英米文学部卒業。 航空会社勤務の傍ら、推理作家山村正夫の元で小説作法を学び、1999年(平成11年)、『山本勘助』にてデビュー。 主に史実に忠実な歴史小説を手掛けるが、『花橘の乱 在原業平異聞』で異色の平安朝歴史伝奇ミステリーを手掛けた。
黒澤英典(くろさわ ひでふみ、1937年 - )は、日本の… 黒澤英典(くろさわ ひでふみ、1937年 - )は、日本の教育学者。武蔵大学名誉教授。 埼玉県秩父郡両神村(現小鹿野町)1937年生まれ 1960年 埼玉大学教育学部卒埼玉県立浦和高等学校定時制・蕨高等学校定時制教諭 1961年~63年 東京教育大学聴講生 1963年 青山学院大学大学院文学研究科修士課程教育学専攻入学 1965年 青山学院高等部講師・教諭 1969年 青山学院大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程単位修得退学 1975年 流通経済大学助教授・教授 1985年 武蔵大学人文学部教授(教育哲学、教育史、教師教育) 1992年 日中教育研究交流会議監事 1993年 第一回日中教師教育国際シンポジュム日本側実行委員(中国華東師範大学) 1995年 第二回日中教師教育国際シンポジュム日本側実行委員(日本中央大学)1997年 武蔵大学人文学部研究委員長文部省メディア開発センター・アドバイザー環太平洋教師教育国際シンポジュム日本側実行委員(北京師範大学) 1998年 文部省委託事業衛星通信利用による武蔵大学公開講座委員文部省委託事業衛星通信利用による公開講座専門委員会委員長秩父高等看護学校の創設に参画 2001年 武蔵大学人文学部長、武蔵学園常任理事、武蔵大学協議委員 2008年 退職、名誉教授、白雉教育会名誉顧問 放送大学埼玉学習センターアドバイザー 日本子どもを守る会理事等 1994年 北京大学高等教育科学研究所客員研究員として張光珮教授と共同研究「近代社会における日中教員養成制度の比較研究」及び大学院生に「現代日本の教育改革」講義等 1995年 ドイツにSchnepfenthalのC.G. Salzmannschuleを訪問し、研究資料収集及び「日本におけるC.G. Salzmannschuleの教育思想の受容」講演 2000年 北京大学大学院日本文化センター特任教授として教員養成制度について講義及び資料収集。
篠原 茂(しのはら しげる、1937年(昭和12年) - )… 篠原 茂(しのはら しげる、1937年(昭和12年) - )は、日本の映画プロデューサー、脚本家。脚本家名は「しのだとみお」。 1937年(昭和12年)生まれ。青山学院大学卒業後、映画会社東映を経て松竹に入社。「松竹テレビ部」の方で、テレビドラマの製作に就く。 1970年(昭和45年)、年末に梅津製作本部長から頼まれ、ピー・プロダクションへ出向。製作主任として、フジテレビの特撮番組『宇宙猿人ゴリ』の第4話「ラー 地球人をさぐる」から制作スタッフとして参加する。 1971年(昭和46年)、3月から松竹テレビ部に戻りピー・プロダクションから離れるが、今度はフジテレビプロデューサーの別所孝治と鷺巣富雄(うしおそうじ)両者から頼まれ、7月から再び『宇宙猿人ゴリ』の現場に復帰した。
内藤 三津子(ないとう みつこ、1937年 - )は日本の編… 内藤 三津子(ないとう みつこ、1937年 - )は日本の編集者。薔薇十字社元社長。 上海市東洋街生まれ。姉は遠藤麟一朗の妻。6人兄弟で女手ひとつで育つ。兄や姉らも、昭和20年代の雑誌『世代』(旧制一高学生による文芸誌で、いいだもも、中村稔、吉行淳之介らを輩出したことで知られる)や中山書店の編集者。 1960年、青山学院大学文学部英米文学科卒業。北原白秋の甥が経営する玄光社の『コマーシャルフォト』誌編集部で堀内誠一と出会う。薄給を理由に1年で同社を辞め、姉の紹介で中山書店に入社。『生物学大系』編集部を経て、8ヶ月で同社を退社。七曜社でのアルバイトを経て、1962年、重森弘淹や本多光夫(諸井薫)の紹介で新書館に入社。
坂元 義種(さかもと よしたね、1937年 - )は、日本の… 坂元 義種(さかもと よしたね、1937年 - )は、日本の歴史学者。専門は朝鮮古代史。 1960年、新潟大学人文学部史学科卒業。1965年、大阪大学大学院文学研究科博士課程中退。京都府立大学助教授、京都府立大学教授、龍谷大学教授。2008年、龍谷大学名誉教授。 石井正敏は、「倭の五王研究に画期的な業績をあげた坂元氏」「緻密な文献考証、史料批判を宗とされる坂元氏」と評している。
斎藤 義和(さいとう よしかず、1937年 - )は、日本の… 斎藤 義和(さいとう よしかず、1937年 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学工学部機械工学科元助教授、機械工学教室担当。工学博士(慶應義塾大学)。ASME-JSME-JSES太陽エネルギー国際会議1987副座長。 専門は、流体工学・熱工学。 大阪工業大学工学部機械工学科卒業。のちに、慶應義塾大学大学院理工学研究科機械工学専攻にて工学博士。1963年大阪工業大学工学部機械工学科助手、機械工学教室を担当。1981年同講師などを経て、同学科助教授。2000年退職。大阪工業大学工学部機械工学科にて、30年以上の長きに渡り教鞭を執った。 主な所属学会は、日本機械学会、日本太陽エネルギー学会、空気調和・衛生工学会。
福島 和人(ふくしま かずと、1937年(昭和12年) - … 福島 和人(ふくしま かずと、1937年(昭和12年) - )は、日本の仏教学者(浄土真宗)。石川県金沢市生まれ。1961年金沢大学法文学部史学科卒。1963年大谷大学大学院仏教文化学部修士課程修了。大谷高等学校教諭。大谷専修学院講師、真宗大谷派教学研究所嘱託研究員。
石原 和昌(いしはら かずあき、1937年〈昭和12年〉‐ … 石原 和昌(いしはら かずあき、1937年〈昭和12年〉‐ )は、日本の経営学・儒教文化研究家。北海道出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
岡本 祐次(おかもと ゆうじ、1937年- )は、日本の経済… 岡本 祐次(おかもと ゆうじ、1937年- )は、日本の経済学者(専攻は経済原論および経済学史)。三重短期大学教授を経て、元学長。滋賀県出身 1962年関西大学経済学部卒業。1964年同大学院経済研究科修士課程修了。1965年兵庫県立西宮高等学校社会科教諭。1967年関西大学大学院経済研究科博士課程単位取得満期退学、関西大学経済・政治研究所客員研究員。1968年三重短期大学法経科専任講師(経済原論・経済学史・ゼミ担当)。1971年同法経科助教授。1976年同法経科教授、同付属図書館長。1978年同法経科長。1982年同付属図書館長再任。1983年同学長代理を経て、同年三重短期大学学長に就任。1988年全国公立短期大学協会副会長。
粟田 哲夫(あわた てつお、1937年 - )は、日本の画家… 粟田 哲夫(あわた てつお、1937年 - )は、日本の画家。岐阜県土岐郡笠原町(現多治見市)出身。岐阜県大垣市のシューニャ美術館を運営し、自らの作品を展示している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
竹田津 実(たけたづ みのる、1937年 - )は、日本の随… 竹田津 実(たけたづ みのる、1937年 - )は、日本の随筆家・写真家・獣医師。大分県東国東郡竹田津町出身。大学卒業後、1991年まで獣医師として北海道の家畜診療所に勤務。キタキツネなどの野生動物の観察、撮影、治療、リハビリなどにも取り組む。写真集、随筆、児童書などの多数の著作がある。 幼い頃の夢は動物園の園長になることであった。このことが獣医学を専攻する切っ掛けとなる。大学入学直後に動物園の園長になることが難しいことがわかり、園長になることを諦める。大学時代は、カナダのアルバータ州で獣医をすることを希望していたが断念。大学卒業後は、北海道の知床の野生動物に憧れて、斜里町への就職をもとめたがかなえられず、隣の町である斜里郡小清水町の家畜診療所に獣医師として勤務し、家畜の診療に携わる。
伊藤 徹魯(いとう てつろ、1937年 - 没年不明)は、日… 伊藤 徹魯(いとう てつろ、1937年 - 没年不明)は、日本の哺乳類学者。大阪府大阪市出身。 1937年大阪市生まれ。1961年京都大学農学部農林生物学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。1971年朝日大学歯学部助手。2001年朝日大学歯学部退職。尖閣諸島など日本海沿岸や日本の太平洋沿岸に生息していたニホンアシカなど鰭脚類の分布、生態、形態について研究していた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
伊藤光彦(いとう てるひこ、1937年 - )は、日本のドイ… 伊藤光彦(いとう てるひこ、1937年 - )は、日本のドイツ文学者。元毎日新聞社ヨーロッパ総局長、和光大学名誉教授。 長野県生まれ。京都大学文学部独文科卒。毎日新聞社ドイツ特派員、欧州総局長。 1982年『ドイツとの対話』で日本エッセイストクラブ賞受賞。 1992年福井県立大学教授、2000年和光大学表現学部教授。2008年退職。
勝村 哲也(かつむら てつや、1937年 - 2003年)は… 勝村 哲也(かつむら てつや、1937年 - 2003年)は、日本の中国文献学者。京都大学名誉教授。 1963年神戸大学文学部史学科卒業。京都大学大学院文学研究科東洋史学専攻修了後、佛教大学専任講師、同助教授を経て、1975年京都大学人文科学研究所助教授。1979年から情報化に取り組み、『京都大学人文科学研究所漢籍目録』の編纂や、『東洋学文献類目』のデータベース化を行った。1998年京都大学人文科学研究所教授。2000年定年退官、京都大学名誉教授、島根県立大学メディアセンター長・教授。
檜垣 正已(ひがき まさみ、1937年 - )は、日本の地方… 檜垣 正已(ひがき まさみ、1937年 - )は、日本の地方公務員。東京都福祉局長や、東京都財務局長を経て、東京都副知事を務めた。退任後、東京都歴史文化財団理事長、東京都慰霊協会会長など。 1959年京都大学法学部卒業、東京都庁入庁。1970年大田区厚生部国民年金課長。1973年東京都総務局副主幹(局務担当)。1973年東京都総務局副主幹(都市提携担当)。1975年東京都人事委員会事務局試験室副室長。1986年東京都総務局学事部学事第二課長。1978年同局総務部文書課長。1980年同局人事部職員課長。1981年同局主幹(人事部職員課長事務取扱)。1982年同局主幹(局務担当)。1984年同局参事。
正本 順三(まさもと じゅんぞう、1937年 - )は日本の… 正本 順三(まさもと じゅんぞう、1937年 - )は日本の高分子化学者。 エンジニアリングプラスチックの代表であるポリアセタール樹脂の革新的な製造技術を開発した研究開発者として著名。 旭化成特別主席研究員・京都大学化学研究所客員教授・京都工芸繊維大学客員教授・福井工業大学教授を経て、2011年より北陸学園北陸食育フードカレッジ(新潟県 長岡市)専任教授。2006年春に紫綬褒章を受章。日本化学会フェロー・高分子学会フェロー。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。