吉原 健二(よしはら けんじ、1932年〈昭和13年〉1月2… 吉原 健二(よしはら けんじ、1932年〈昭和13年〉1月22日 - )は、日本の厚生官僚。 岡山県出身。東京都立第六中學校では富永健一(理論社会学者、社会変動論・変動経済論)らが同期だった。1950年(昭和25年)、新制東京都立新宿高等学校を卒業。1955年(昭和30年)、東京大学法学部を卒業。同年厚生省に入省。入省後、長らく年金行政などに携わり、医務局指導課長、総理府総務局参事官、社会局老人福祉課長、医務局整備課長、環境庁大気保全局企画課長、年金局企画課長、環境庁長官官房秘書課長、厚生省大臣官房審議官、公衆衛生局老人福祉部長などを歴任。国民皆保険及び国民皆年金の制度創設、国民年金法の法案作成、老人保健法の制定などに取り組んだ。
品田 穰(しなだ ゆたか、1932年〈昭和7年〉1月22日 … 品田 穰(しなだ ゆたか、1932年〈昭和7年〉1月22日 - )は日本の文化生態学・都市生態学者、ナチュラリスト、自然保護活動家。 東京府下豊多摩郡野方町大字上鷺宮生まれ。都市近郊の農村地帯、麦畑、屋敷森、雑木林の中で育つ。太平洋戦争中は富士南麓に疎開、戦後は練馬区で生活。 1957年、東京教育大学(筑波大学の前身)理学部在学中、自然教育・自然保護を目的に「野外研」を立ち上げる。当時自然保護団体としては三浦半島自然保護の会についで2例目であった。 1960年、卒業後北海道開発庁農業水産部で開拓地の水源・ため池調査に従事。以降、文部省大学学術局、国立自然教育園、国立科学博物館を経て文化財保護委員会(行政委員会)・文化庁で天然記念物の指定・保護を担当。
横山 邦治(よこやま くにはる、1932年1月22日 - )… 横山 邦治(よこやま くにはる、1932年1月22日 - )は、日本の国文学者。専門は日本近世文学、特に読本。広島文教女子大学名誉教授。 広島県生まれ。広島大学文学部文学科を経て、1962年、同大学院文学研究科国語国文学科専攻博士課程単位取得退学。同年4月、可部女子短期大学講師。1969年9月「読本の研究」で広島大学文学博士。広島大学文学部助手として2年間勤務した後、広島文教女子大学助教授、教授。1995年から1997年まで同大学学長を務めた。1997年、停年退職。その後は、中国大連に活動拠点を移し、大連外国語学院客員教授、大連理工大学客員教授を歴任した。現地では、大連図書館の満州鉄道資料を始めとする書籍群の全貌を解明すると同時に、現地の日本語教育に貢献した。
稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21… 稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、日本の実業家、技術者。京セラや第二電電(現・KDDI)の創業者であり、京セラ社長・名誉会長を歴任した他、後年には経営破綻した日本航空の会長に就任し、同社の経営再建を担った(後に日本航空名誉会長)。公益財団法人稲盛財団理事長。「盛和塾」塾長。 妻の朝子は、禹長春の四女である。 1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)を卒業し、私立鹿児島中学校(旧制、現在の鹿児島高等学校)へ進む。
横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 202… 横川 端(よこかわ ただし、1932年1月21日 - 2024年12月2日)は日本の実業家。 すかいらーく創業者の一人であり、東京交響楽団会長を歴任している。藍綬褒章受章。2002年、勲二等瑞宝章受章。 1932年(昭和7年)1月21日、横川家の長男として長野県諏訪郡四賀村(現諏訪市)に生まれる。1947年(昭和22年)3月に長野県諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)を中退し、同年4月に諏訪精工舎(現セイコーエプソン)に入社、後に諏訪精工舎を退社し、兄弟と共に設立した、ことぶき食品有限会社取締役になる。すかいらーくの専務取締役、代表取締役会長、取締役グループ統括機構代表理事、取締役最高顧問などを歴任した。
今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4… 今 充(こん みつる、1932年1月20日 - 2018年4月14日)は、日本の医学者。弘前医療福祉大学特任教授、弘前大学名誉教授。学位は医学博士(弘前大学)。専門は一般外科・消化器外科(特に大腸外科・肛門括約筋機能温存術)高齢者・福祉医療、緩和・終末期医療。 青森県弘前市出身。1962年に弘前大学大学院医学研究科を修了後、弘前大学第二外科助手に就任。66年から2年間、人癌研究のため米国ロズウェルパーク記念研究所へ出張する。91年から第二外科学教室教授として昇任。大腸癌、特に直腸癌における低位前方切除術の先駆者として自律神経温存手術などの治療に注力。94年には青森県で初めての生体部分肝移植を指揮。
鈴木 その子(すずき そのこ、1932年(昭和7年)1月20… 鈴木 その子(すずき そのこ、1932年(昭和7年)1月20日 - 2000年(平成12年)12月5日)は、昭和50年代から平成年代にかけての美容研究家・料理研究家である。本名、鈴木 荘能子(読み同じ)。株式会社トキノ(現在の株式会社SONOKO)を創業した。
佐藤 任弘(さとう たかひろ、1932年1月20日 - 19… 佐藤 任弘(さとう たかひろ、1932年1月20日 - 1998年6月19日)は、日本の海洋地理学者。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)生まれ。1954年東京大学理学部地質学科卒、1956年同大学院修士課程修了、1964年「日本列島周縁の深海平坦面と海底谷に関する地質学的研究」で理学博士。1956年海上保安庁水路部へ入る。1975年第六管区海上保安本部水路部長、1977年水路部海図課長、1982年測量課長、1983年沿岸調査課長、1984年企画課長、1985年第一管区海上保安本部次長、1986年水路部長。1984年硫黄島付近の海徳海山の隆起を見守った。
川内 彩友美(かわうち さゆみ、1932年1月20日 - )… 川内 彩友美(かわうち さゆみ、1932年1月20日 - )は、日本のアニメーションプロデューサー、実業家。日本美術家連盟会員、作詞家、画家。 川内康範の娘(先妻の連れ子)。法政大学文学部、武蔵野美術大学を卒業。愛企画センター入社後は「世の中から昔話が消えてしまう」との危機感から『まんが日本昔ばなし』を企画製作、プロデューサーとして長年にわたり手掛けた。のち株式会社愛企画センター代表取締役会長、株式会社愛プロ代表取締役会長。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
郷司 裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年)1月19日 … 郷司 裕(ごうし ひろし、1932年(昭和7年)1月19日 - 2006年(平成18年)12月12日)は、日本の野球審判。元日本学生野球協会常任理事。 旧制明治中学校(現:明治大学付属明治高等学校・中学校)時代に身体を壊して野球が出来なくなった時に野球部監督であった島岡吉郎から「選手でダメなら審判をやれ」と審判への転向を勧められる。 明治大学卒業後に日本放送協会(NHK)に入職し、運動部記者を務めていたが、父親の事業を継ぐためにNHKを退職。事業の傍らアマチュア野球審判員となり、半世紀余りを高校、大学、社会人の各大会で2,000を越える試合でマスクをかぶった。特に、夏の甲子園では決勝戦の球審を13回務め、1965年~1975年まで実に春夏通算11年連続決勝戦の球審を務めた。
花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年… 花井 悠(はない ゆう、1932年1月19日 - 2007年12月14日)は、岐阜県出身のプロ野球選手、野球解説者。 岐阜高等学校(1948年8月までの校名は岐阜第一高等学校)では、エースとして1948年の夏の甲子園に出場。準決勝に進むが、小倉高の福嶋一雄に抑えられ完封負け。翌1949年の夏の甲子園でも順調に勝ち進み、決勝に進出。佐々木信也のいた湘南高と対戦するが3-5で逆転負け、準優勝にとどまる。チームメートに河合保彦、森和彦らがいた。卒業後は慶應義塾大学へ進学し、野手転向。東京六大学野球リーグでは1951年秋季リーグから2季連続優勝、右翼手、四番打者として活躍する。リーグ通算86試合出場、265打数76安打、0本塁打、49打点、打率.287。
武田 建(たけだ けん、1932年1月19日 - )は、日本… 武田 建(たけだ けん、1932年1月19日 - )は、日本の心理学者、社会福祉学者。関西学院大学教授、同大学学長、理事長を歴任した。関西学院大学名誉教授。関西福祉科学大学名誉教授。関西学院大学の定年退職後は関西福祉科学大学教授を務めた。関西学院大学ファイターズ元監督。東京都出身。 関西学院中学部・高等部を経て、1952年関西学院短期大学英文科卒業、1954年同大学文学部社会事業学科卒業、1956年同大学院文学研究科教育学専攻修了。カナダ、アメリカ合衆国に渡り、1958年トロント大学大学院社会福祉専攻修了(M.S.W)、1962年にはミシガン州立大学大学院カウンセリング心理博士課程修了(Ph.D)。
乾 裕幸(いぬい ひろゆき、1932年〈昭和7年〉1月19日… 乾 裕幸(いぬい ひろゆき、1932年〈昭和7年〉1月19日 - 2000年〈平成12年〉9月22日)は、日本の国文学者。元関西大学教授。専門は井原西鶴や松尾芭蕉などの俳諧。 和歌山県那賀郡池田村(後の打田町、現・紀の川市)生まれ。1954年高野山大学卒業。在学中、天理大学図書館に通い、中村幸彦、木村三四吾の知遇を得る。 卒業後は府立高校教員(地方公務員)として池田市立中学校教諭となった後、地方公務員を退職したが、引き続き私立学校教員として、大谷高等学校教諭を経て、1970年親和女子大学助教授、1976年同教授。1978年帝塚山学院大学教授。1981年『ことばの内なる芭蕉』で芭蕉祭文部科学大臣奨励賞。
桑名 一博(くわな かずひろ、1932年1月19日 - )は… 桑名 一博(くわな かずひろ、1932年1月19日 - )は、日本のスペイン文学者、翻訳家。多くの翻訳書がある。 東京生まれ。1956年東京外国語大学スペイン語学科卒業。1963年龍谷大学講師、1965年神奈川大学助教授、1972年愛知県立大学助教授、1975年教授、1980年外国語学部長、1983年東京外国語大学教授、1995年定年となり清泉女子大学教授を務めた。 1988年、フランシスコ・デ・ケベード『大悪党』をはじめとするスペイン古典文学の翻訳で会田由賞受賞。 ホセ・オルテガ・イ・ガセットのほか、ガブリエル・ガルシア=マルケスなど20世紀ラテンアメリカ文学の翻訳も多く出した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
多田 尋子(ただ ひろこ、1932年1月19日 - 2026… 多田 尋子(ただ ひろこ、1932年1月19日 - 2026年3月22日)は長崎県生まれの小説家。長崎市出身。日本女子大学国文科卒業。本名・石亀尋子(いしがめ ひろこ)。 駒田信二の朝日カルチャーセンターの小説教室に通っていた。 2026年3月22日、敗血症のため横浜市の病院で死去。94歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 … 広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 - 2006年(平成18年)7月20日)は日本の実業家、編集者。陸上競技社設立者・元社長、元関東学生陸上競技連盟会長。苗字の広は正確には广に黄。 愛知県稲沢市に生まれる。愛知県立一宮高等学校を1950年(昭和25年)に卒業、1954年(昭和29年)に法政大学経済学部を卒業し、ベースボールマガジン社に入社。季刊だった『陸上競技マガジン』の編集長に就任し、月刊化する功績を果たしたものの退社。その頃教科書出版に進出する講談社から、保健体育の編集者として声を掛けられ入社し、同時に1967年(昭和42年)に陸上競技専門誌『月刊陸上競技』を創刊、編集長を務める。
宮地 惟友(みやじ よしとも、1932年1月18日 - )は… 宮地 惟友(みやじ よしとも、1932年1月18日 - )は、石川県金沢市出身の元プロ野球選手(投手)。
岡田 睦(おかだ ぼく、男性、1932年1月18日 - )は… 岡田 睦(おかだ ぼく、男性、1932年1月18日 - )は、日本の作家。 東京生まれ。1956年慶應義塾大学文学部仏文科卒。 家庭教師などをしつつ黒田壽郎、黒田美代子、古屋健三らと同人誌『作品・批評』を創刊、また『三田文学』などに小説を書き、1960年「夏休みの配当」で芥川賞候補。 以後ゴーストライターや無署名ライターをしながら私小説を書いた。 三回結婚したが最後の妻から家を追い出され、老人ホームに入所、生活保護を受けていた。 2010年に「灯」を発表したが以後消息不明。
長瀧 重信(ながたき しげのぶ、1932年1月18日 - 2… 長瀧 重信(ながたき しげのぶ、1932年1月18日 - 2016年11月12日)は、日本の医学者。長崎大学名誉教授、国際被曝医療協会名誉会長。 長崎大学医学部長、放射線影響研究所理事長などを歴任した。 東京都生まれ。東京大学医学部卒業後、内科に入局しハーバード大学医学部に留学。帰国後、東京大学附属病院外来診療所医長、1980年長崎大学医学部教授(内科学第一教室)、学部長、放射線影響研究所(広島・長崎)理事長、日本アイソトープ協会常務理事、国際被曝医療協会(International Association of Radiopathology)会長などを歴任した。 長崎大学時代に被爆者の治療や調査にあたっており、東海村JCO臨界事故で現場周辺住民の健康管理にかかわった。
矢野浩一郎(やの こういちろう、1932年1月18日 - 2… 矢野浩一郎(やの こういちろう、1932年1月18日 - 2013年12月28日)は、日本の自治官僚。消防庁長官、市町村職員中央研修所学長、救急振興財団理事などを務めた。位階は正四位。勲二等旭日重光章受章。 宮崎県出身。東京大学法学部を卒業し、1954年 自治省に入省。振り出しは長崎県総務部庶務課。 1960年 自治庁長官官房総務課調査係長。同年 香川県職員研修所長。その後は同県農地拓殖課長、同県総務部地方課長、同県総務部財政課長、自治省財政局交付税課長補佐、大阪府総務部次長兼総務部財政課長、同府総務部長などに就く。 自治省税務局府県税課長などを経て、1978年7月1日 自治省財政局財政課長。1979年10月15日 自治省大臣官房審議官(税務担当)。
佐藤 功一(、1932年〈昭和7年〉1月18日 - )は、日… 佐藤 功一(、1932年〈昭和7年〉1月18日 - )は、日本の俳優。東京都出身。早稲田大学卒業。身長174センチメートル。 1953年11月、大学在学中に帝国劇場へ入団。1955年、帝劇のシネラマ設置に伴い、東宝の専属俳優となる。 クレジットされる作品は少数だが、1950年代から1970年代まで活動していた。東宝の俳優であった中島春雄によれば、東宝が専属制度を廃止したのちに佐藤は清水良二らとともに養鶏会社へ転職したという。
杉山 義法(すぎやま ぎほう、1932年1月17日 - 20… 杉山 義法(すぎやま ぎほう、1932年1月17日 - 2004年8月3日)は、新潟県新発田市出身の脚本家。新潟県立新発田高等学校を経て、日本大学芸術学部映画学科卒業。 代表作は、日本テレビ系列の「年末時代劇スペシャル」シリーズ。本名をそのまま筆名にしているが、読み方は、筆名が「すぎやま・ぎほう」、本名が「すぎやま・よしのり」。 日本放送作家協会、脚本家連盟、各会員。 生家は映画館で、本人も少年時代は映画少年だったと話す。映画監督を志すも、映画会社の入社試験には次々に失敗。「そんなに映画が僕を嫌うなら映画の敵になってやる」として、まず映画とは違う方向へ行ってみようと、フリーでラジオ界入り。野坂昭如と知り合い、野坂が回してくれた伝手を頼って紹介してくれたNHKディレクターの安江泰雅との出会いが大きな転機となる。
奥田 正司(おくだ ただし、1932年(昭和7年)1月17日… 奥田 正司(おくだ ただし、1932年(昭和7年)1月17日 - 2011年(平成23年)9月14日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取を務めた。 京都府船井郡園部町(現在の南丹市)出身。1955年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入社した。1971年10月、合併。第一勧業銀行が発足。六本木支店、人事第一部各次長、金融財政、人事第二各部長を歴任。 1985年に取締役に選任。人事第二部長委嘱、1988年常務、業務本部副本部長委嘱、副頭取を経て1992年に頭取に就任した。1996年に会長に退くが、翌年6月に総会屋への利益供与事件に関与したことにより、会長を辞任し、逮捕された。 2011年9月14日、肺がんのため死去。
新井 明(あらい あきら、1932年1月17日- 2023年… 新井 明(あらい あきら、1932年1月17日- 2023年10月9日)は、日本の英文学者、日本女子大学名誉教授。ジョン・ミルトンが専門で、聖書も研究した。 茨城県水戸市生まれ。1954年東京教育大学英文科卒。アマースト大学卒、東京教育大学大学院修士課程修了、ミシガン大学修士。1961年、名古屋大学講師、のち助教授。1968年、東京教育大学助教授。1972年、「ミルトン研究 ヒロイズム観の展開」で東京教育大学文学博士。1977年、大妻女子大学教授。1981年、日本女子大学教授、2000年退任、名誉教授。敬和学園大学学長。2009年退任。 2023年10月9日午前に老衰のため藤沢市の老人ホームで死去。
藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 199… 藤田 敏八(ふじた としや、1932年1月16日 - 1997年8月29日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優。 朝鮮・平安北道平壌府(現:朝鮮民主主義人民共和国平壌直轄市)に生まれる。 朝鮮鉄道の社員だった父に従って朝鮮半島を転々と移り住むが、釜山で終戦を迎え、三重県四日市市に引き揚げる。中学に編入後、三重県立神戸高等学校に進学するも、四日市市馳出に戻り三重県立四日市高等学校を卒業。浪人生活を経て東京大学に入学し、文学部仏文科に進む。在学中に演劇に熱中し、俳優座養成所に第5期生として入所する。同期に平幹二朗がいる。 1955年、大学卒業とともに日活に入社。助監督として舛田利雄、蔵原惟繕らにつく。
丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は… 丹宗 朝子(たんそう ともこ、1932年1月16日 - )は、日本の裁判官、弁護士。浦和地方裁判所長や東京高等裁判所部総括判事、男女共同参画審議会委員などを務めた。福岡県出身。 大学在学中に司法試験に合格。女性裁判官が地方裁判所長になるのは丹宗が2人目で、家庭裁判所長も含めると4人目。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
人見 勝人(ひとみ かつんど、1932年1月16日 - )は… 人見 勝人(ひとみ かつんど、1932年1月16日 - )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。 大阪府出身。1955年京都大学工学部機械工学科卒業。1958年同大学院博士課程退学。1962年工学博士。1959年ペンシルベニア州立大学研究員。1961年京大助教授、1965年東京工業大学助教授、1971年大阪大学教授、79年京大教授。96年定年退官、名誉教授、龍谷大学教授。北京大学客員教授、南京大学兼担教授、重慶大学顧問教授。生産システム工学。
荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020… 荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020年1月15日)は、日本の国文学者。熊本大学名誉教授。 福岡県大牟田市生まれ。1954年熊本大学法文学部文学科卒、1957年早稲田大学大学院修士課程修了。1978年「今川了俊の研究」で早大文学博士。1956年熊本大学法学部助手、1962年講師、1964年教養部助教授、1970年法文学部助教授、1975年教授。1985-1987年図書館長、1997年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授、、2010年瑞宝中綬章。
阿井 景子(あい けいこ、1932年1月16日 - )は、日… 阿井 景子(あい けいこ、1932年1月16日 - )は、日本の作家。本名・浦順子。 長崎県長崎市生まれ。佐賀大学教育学部卒業後、高校教師となるがすぐ辞めて上京、北大路魯山人の口述筆記をおこなう。編集者、『女性自身』記者などを経て、結婚、1974年離婚、その間松本清張の担当にもなる。 1971年、本名で初の著書を出し、1979年『龍馬の妻』で作家デビュー。歴史上の人物の周囲の女を描く。特に坂本龍馬関係が多く、1991年以後は大河ドラマに合わせての執筆が多い。
石下 年安(いしげ としやす、1932年1月16日 - 20… 石下 年安(いしげ としやす、1932年1月16日 - 2000年12月27日)は、日本の射撃競技(クレー射撃)選手、実業家、馬主。オリンピックにクレー・ピジョン(トラップ)種目で出場2回(1964年東京・1976年モントリオール)。日本選手権を3度獲得したほか、アジア競技大会や世界選手権にも出場した。1968年時点で有限会社大谷石商会専務取締役。 栃木県出身。大東文化大学卒業。高校・大学時代に打ち込んでいたのは野球で、プロ球団の入団テストも受け、最終選考まで進んだという。家業の石材会社を継いでからも野球を続けていたが、大会で骨折し野球をやめた。射撃競技との出会いはその後のことで、28歳の時に友人から勧められてクレー射撃を始めた。
脇村 春夫(わきむら はるお、1932年1月15日 - )は… 脇村 春夫(わきむら はるお、1932年1月15日 - )は、日本の実業家、元アマチュア野球選手。第5代日本高等学校野球連盟会長(2002年11月 - 2008年11月)。現在は、公益財団法人脇村奨学会代表理事。博士(経済学)(大阪大学)。 脇村禮次郎と祐子(正田貞一郎の三女)との子として東京府東京市小石川区(現:東京都文京区)に生まれる。祖父は田辺市名誉市民・脇村市太郎、正田貞一郎。おじに経済学者・脇村義太郎、鉱物学者・正田篤五郎、数学者・正田建次郎がいる。上皇后美智子の従兄にあたる。
今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 20… 今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 2015年3月20日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。
治山 正次(はるやま しょうじ、1932年1月15日 - 2… 治山 正次(はるやま しょうじ、1932年1月15日 - 2022年12月17日)は、日本の経営者。はるやま商事の創業者。岡山県出身。 1954年に大阪市立大学を卒業。 1955年、玉野市に前身となるはるやま洋服店を創業。1973年にはるやま商事を設立して社長に就任。1978年、倉敷市の幹線道路沿いに初めて郊外型の店舗を出店し、1988年には岡山市内に大型店をオープン。以降、全国の主要幹線道路沿いに店舗を展開し、紳士服大手企業として発展させた。2003年6月に社長職を息子の正史に譲り、2009年まで代表取締役会長を務めた。2009年からは名誉会長に就任。 その後、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大よる経営不振を理由に、2020年の株主総会で大株主である長女とともに正史ら経営陣の退任を要求。
伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 20… 伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 2001年11月6日)は、日本の経営者。NTN社長を務めた。山口県萩市出身。 1956年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に東洋ベアリング製造(のちのNTN)に入社。 1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1994年4月に専務を経て、1995年6月には社長に就任。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2001年11月6日冠不全のために在任中に死去。70歳没。
谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2… 谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2017年2月21日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 岡山県高梁市出身。1954年同志社大学経済学部卒。新聞記者、岡山市議会議員を経て、1967年より岡山県議会議員を6期務める。1990年の総選挙で旧岡山1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 2017年2月21日、多臓器不全のため、死去した。85歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
劍龍 猛虎(けんりゅう たけとら、1932年1月15日 - … 劍龍 猛虎(けんりゅう たけとら、1932年1月15日 - 1998年1月25日)は、時津風部屋に所属した元力士。元関脇・巨砲丈士の実父。本名は松本 隆一(まつもと りゅういち)。現在の福岡県嘉麻市出身。168cm、81kg。最高位は東十両筆頭。得意技は左四つ、下手投げ。 1947年6月場所に初土俵。1953年3月場所に十両昇進。1955年5月場所は東十両筆頭まで躍進したが5勝10敗と負け越し、ついに入幕はならず、右膝の負傷で途中休場した1957年5月場所限りで廃業した。
松山 正男(まつやま まさお、1932年 1月14日- 20… 松山 正男(まつやま まさお、1932年 1月14日- 2025年9月16日)は、日本の英文学者、英語教育学者。神奈川大学名誉教授、大学英語教育学会顧問。 1932年1月14日東京蔵前生れ。1950年都立大森高校卒業。1959年東京都立大学 (1949-2011)英文科博士課程満期終了。青山学院女子短期大学英文科、東京工業大学、神奈川大学教授を歴任。非常勤講師として、早稲田大学(39年間)、慶応義塾大学(5年間)、東京都立大学 (1949-2011)(3年間)、日本英語検定協会(30年間)、文化放送大学受験ラジオ講座(30年間)、NHK教育テレビ(2年間)等でも教えた。英語教育関連の著書多数。 「鈴木正三の聖俗一致説」という論文の中で、武士から曹洞宗の僧侶になった鈴木正三が日常の労働を重視ししていることを指摘し、仕事を通して人は修行し向上してゆくと述べている。
麻原 美子(あさはら よしこ、1932年(昭和7年)1月14… 麻原 美子(あさはら よしこ、1932年(昭和7年)1月14日 - )は、日本の国文学者、日本女子大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1954年日本女子大学文学部国文科卒、1966年東京教育大学大学院文学研究科日本文学博士課程満期退学。1982年「幸若舞曲考」で筑波大学文学博士。1966年日本女子大学専任講師、助教授、教授、2000年定年退職、名誉教授、聖徳大学教授。中世文学専攻。
樋口 康子(ひぐち やすこ、1932年(昭和7年)1月14日… 樋口 康子(ひぐち やすこ、1932年(昭和7年)1月14日 - 2023年(令和5年)6月11日)は日本の看護師、看護学者、教育者。日本赤十字看護大学名誉学長、日本看護科学学会名誉会員、看護教育学博士(コロンビア大学)。第40回(2005年)フローレンス・ナイチンゲール記章受章。 1932年1月14日、東京府に生まれる。3歳(1935年)のとき、官吏であった父親の転勤のため満州国・奉天市(現在の遼寧省・瀋陽市)に家族で移住する。13歳(1945年)で終戦を迎え、翌年日本に引き揚げるまでの1年間は当時のソビエト軍、中国共産党軍による日本人に対する壮絶な仕打ちを目の当たりにし、自身も何とか生きながらえたと語っている。
笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 20… 笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 2017年11月8日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。日本大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1950年、日本大学第一高等学校卒業。1954年、日本大学文学部国文学科卒業。1979年、日本大学文理学部教授。2002年、同名誉教授。 はじめ歌作を行う。評論は中世文学から出発し、1967年、『中世の発見』『中世の美学』を刊行。その後、近代文学における情念に関心を寄せながら、『虚構と情念』『泉鏡花 美とエロスの構造』『谷崎潤一郎 宿命のエロス』などを刊行。現代短歌や現代俳句も論じている。
田中 敏朗(たなか としろう、男性、1932年1月13日 -… 田中 敏朗(たなか としろう、男性、1932年1月13日 - )は、日本の元プロボクサー、現役のプロボクシング・プロモーター。熊本県出身。全日本パブリックボクシングジム会長。三池高校および明治大学出身の経済学士。 日本中央競馬会元騎手で調教師の田中剛は実子。フリーアナウンサーの田中歩は実孫(剛の娘)。 両親は教師、実兄は陸軍幼年学校を経た医師という家系に生まれる。自身も陸軍幼年学校を受験したが不合格、一年浪人し高校に進学しアマチュアボクシングを始め、インターハイ出場し、スポーツ推薦で明治大学に進学し全日本選手権でライトフライ級及びフライ級の二階級制覇、白井義男のスパーリングパートナーも務めた。 卒業した1955年に日興ジム所属でプロデビューし1967年まで現役で活躍し矢尾板貞雄と引き分けた実績も有したが、明大時代からの後輩米倉健志に世界挑戦のチャンスを譲りバンタム級に転向。
小田 喜美雄(おだ きみお、1932年1月13日 - 201… 小田 喜美雄(おだ きみお、1932年1月13日 - 2012年6月)は、熊本県出身のプロ野球選手(外野手)。
松本 良太(まつもと りょうた、1932年1月13日 - )… 松本 良太(まつもと りょうた、1932年1月13日 - )は、日本の経営者。ノーリツ社長を務めた。 兵庫県出身。1959年、富山大学経済学部を卒業し、1962年、能率風呂工業(現在のノーリツ)に入社。1969年2月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年3月に副社長に就任し、1995年1月から1999年1月まで社長を務めた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
忍足 欣四郎(おしたり きんしろう、1932年1月12日 -… 忍足 欣四郎(おしたり きんしろう、1932年1月12日 - 2008年3月26日)は、日本の言語学者、英文学者。東京都立大学名誉教授。 東京都に生まれる。1955年に東京大学文学部を卒業。 都立大学教授を退官後、白百合女子大学教授を2006年まで務めた。ベーオウルフの新訳で知られる。 2008年3月26日、脳梗塞のため死去。
稲福 健蔵(いなふく けんぞう、1932年1月12日 - 1… 稲福 健蔵(いなふく けんぞう、1932年1月12日 - 1996年)は、日本のアナウンサー・報道記者である。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
川路 紳治(かわじ しんじ、1932年1月11日 - 202… 川路 紳治(かわじ しんじ、1932年1月11日 - 2023年3月27日) は、日本の物性物理学者。学習院大学名誉教授。量子ホール効果を発見し、日本学士院賞等を受賞した。川路聖謨の曾孫。 北海道出身。旧帯広中学校(現北海道帯広柏葉高等学校)卒業後、旧制北海道大学予科を経て、1953年北海道大学理学部卒業。漕艇部出身。1958年北海道大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。指導教官は古市二郎だが、北海道大学触媒研究所で半導体を学んだ。 1959年学習院大学理学部物理学科講師。1960年助教授。1963年マサチューセッツ工科大学研究員。1968年学習院大学理学部物理学科教授。1985年学習院大学学生部長。
藤田 耕三(ふじた こうぞう、1932年1月11日 - 20… 藤田 耕三(ふじた こうぞう、1932年1月11日 - 2023年12月31日)は、日本の法律家。 神奈川県出身。1950年に神奈川県立湘南高等学校を卒業後、1955年に東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業する。在学中に司法試験に合格後、司法修習生となった後に、1957年に裁判官に任官する。1971年に東京地方検察庁検事および1947年から総理府中央公害審査委員会事務局審査官を務める。1981年に検察官特別考査会臨時委員などに任命され、1989年には千葉地方裁判所所長、1991年に東京地方裁判所所長、1993年に仙台高等裁判所長官、1995年に広島高等裁判所長官を歴任後、1997年に退官し弁護士登録をする。
岡本 忠成(おかもと ただなり、1932年1月11日 - 1… 岡本 忠成(おかもと ただなり、1932年1月11日 - 1990年2月16日)は、日本のアニメーション作家。 持永只仁や川本喜八郎とともに日本のアニメーション黎明期の礎を築き、多大な功績と発展を遺した「アニメーションの神様」の一人として知られる。 妻は人形作家の森田さと子、長男はブックデザイナーの岡本洋平。義弟にイタリア美術研究で著名な森田義之がいる。 大阪府豊中市生まれ。大阪大学法学部卒業、一般会社に就職した後にチェコのアニメ作家イジー・トルンカを始めとしたチェコのアニメーションの作品に魅せられて退社し、日本大学芸術学部映画学科に編入学。 1961年に持永只仁のMOMプロダクションに入社し、アニメーション撮影の腕を磨く。
三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭… 三代目 三遊亭 圓歌(さんゆうてい えんか、(1932年〈昭和7年〉1月10日 - 2017年〈平成29年〉4月23日)は、日本の落語家、俳優、日蓮宗僧侶。本名は中澤 信夫であるが、出家後の資料では中澤 圓法(円法)としている場合がほとんどである。出囃子は「二ツ巴」。定紋は片喰。 生年については1932年説と1929年説があり、落語協会公式サイト では1932年1月10日となっている。これに対して1929年説は「空襲で役所が焼け、戸籍を再度届け出た際に家族が間違え、戸籍上3歳若くなったためである」としている。一般的には1929年説が通っているともされていたが、4代目圓歌によれば、3代目の通夜が終わった後、飲み屋で会った岩倉鉄道学校の卒業生が1931年生まれで圓歌のことを「1年後輩」と言ったこと、かつて手伝いに来ていた圓歌の母に1929年生まれが正しいのか聞いたところ「そんなに早く産んだ覚えはない」と言われたことに加え、1929年説は5代目春風亭柳朝との確執の末に出てきたものだという。
鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 20… 鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 2025年8月15日)は、日本のジャーナリスト。元帝京平成大学教授。元日本ジャーナリスト専門学校校長。 福岡県大牟田市出身。早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞西部本社管轄の福岡総局、大分支局勤務を経て東京本社勤務となり、社会部副部長、編集委員、『サンデー毎日』編集長を歴任。『サンデー毎日』時代の1980年には、同誌編集部員の鳥越俊太郎と共に、社会問題となっていた「イエスの方舟」への密着取材を敢行。主宰者の千石剛賢に単独インタビューを行うなど、当時他マスコミから全く無視されていた「イエスの方舟」側の主張を取り上げ、事態の沈静化へ導いた。