山田 幸一(やまだ こういち、1925年10月30日 - 1… 山田 幸一(やまだ こういち、1925年10月30日 - 1992年7月30日)は、建築学者。 1925年、京都市で由緒ある左官屋に生まれた。京都帝国大学工学部建築学科で学び、戦後の1949年に卒業。一級建築士として、鹿島建設に勤務。一方で、京都大学大学院特別研究生として学んだ。 1953年、大阪市立大学講師に就いた。1961年、学位論文『日本壁の歴史的研究』を京都大学に提出して工学博士号を取得。1963年、助教授昇格。1968年、関西大学工学部教授となった。大学では、日本建築史だけでなく、一般構造学、建築設計製図の講義や演習なども担当。また関西大学が企画した日印共同「伝祇園精舎発掘プロジェクト」にも参加した。
野地 二見(のじ ふたみ、1925年10月30日 - 201… 野地 二見(のじ ふたみ、1925年10月30日 - 2018年3月9日)は日本の実業家。フジテレビ勤務を経て、産経新聞社取締役、日本工業新聞社副社長、第二電電常任顧問、ツーカーセルラー東海社長などを歴任。同台経済懇話会常任幹事。 福島県二本松町生まれ。仙台陸軍幼年学校および陸軍士官学校(59期)を卒業。戦後、中央大学を卒業。日本の復興推進のための陸士・陸幼出身の経営者団体の必要性を感じ、同台経済懇話会を創立し、常任幹事に就任する。 2018年3月9日、末期腎不全のため死去。92歳没。
松本 昭(まつもと あきら、1925年10月30日 - 20… 松本 昭(まつもと あきら、1925年10月30日 - 2018年11月9日)は、日本のジャーナリスト・仏教学者、昭和女子大学副学長。 神奈川県生まれ。早稲田大学文学部美術史専攻卒業、同大学院特別研究生。1982年「弘法大師入定説話の研究」で早大文学博士。毎日新聞社入社後、サンデー毎日編集部、学芸部、政治部を経て事業部長。昭和女子大学副学長を務めた。
村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2… 村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2014年12月14日)は、日本の指揮者。福岡県生まれ。日本指揮者協会の会員で、2014年の死没まで日本最年長の指揮者であった。村方指揮法教室を主催して後進指揮者育成に力を注いだ。ブラジルよりリオ・ブランコ勲章を受章している。また、第1回ヴィラ=ロボス国際指揮者コンクール特別賞を受賞している。日本ヴィラ=ロボス協会会長、日本演奏連盟会員。東京都中学校吹奏楽連盟初代理事長。 村方の音楽との出会いは、12歳で自由学園に入った時から始まる。 村方は最初、自由学園でフルートを学び、次にヴァイオリンを学んだ。3年後には、オーケストラの重要なメンバーの一人になっていた。
秋山 英一(あきやま えいいち、1925年10月29日 - … 秋山 英一(あきやま えいいち、1925年10月29日 - )は、日本、韓国の実業家。ロッテ百貨店副社長。 日本タングステンの創業者である秋山英二と母トシの長男として、母の実家である佐賀市多布施に生まれる。父・英二の当時の勤務地であった門司で幼少期を過ごすが、1931年、英二の日本タングステン創業に伴い家族で福岡市に転居し、1938年、福岡県中学修猷館に入学。在学中、家庭教師の当時旧制福岡高校生であった楢崎弥之助から数学と英語を学んでいる。修猷館の同期の友人には、経営学者の林周二、医学者の緒方道彦らがいる。1943年、慶應義塾大学経済学部に進学するが、半年も経たず自主退学し、翌1944年、旧制第五高等学校に進学。
鈴木 重生(すずき しげお、1925年10月29日 - )は… 鈴木 重生(すずき しげお、1925年10月29日 - )は、日本のフランス文学者、作家、中央大学名誉教授。
濱田博之(はまだひろゆき、1925年10月29日 - )は、… 濱田博之(はまだひろゆき、1925年10月29日 - )は、空手武道家。 日本古伝神道流空手道の創始者。フェルトン・メッシーナ(Felton_Messina)の師匠。鹿児島県薩摩川内市生まれ。 1939年15歳のときに沖縄泊風の空手を稽古し始めた。1943年3月、彼は第二次世界大戦で2年間の授業がなく高校を卒業した。その年、首里手や手手など他沖縄のスタイルを学び始めた。 1943年4月から1944年3月までの間に、彼は完全に空手の訓練と完成に専念した。 1944年4月には海兵隊に召集。1945年に戦争が終わるまでに、彼は倉敷の軍部隊にいた。日本の敗北のニュースが彼に届いたとき、彼は切腹をすべきかどうか考えて10日間を費やした。
鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 200… 鈴木 明(すずき あきら、1925年10月28日 - 2003年7月22日)は、日本のノンフィクション作家・フリージャーナリスト。本名は今井 明夫。
永井 玄哉(ながい げんや、1925年10月28日 - )は… 永井 玄哉(ながい げんや、1925年10月28日 - )は、日本の元俳優、元声優。本名同じ。 東京都出身、東京俳優生活協同組合に所属していた。 特技は乗馬、スキー。 上智大学卒業。1948年、民衆芸術劇場研究所入所。1949年、江々宮舞踏団入所。1950年、俳優座養成所卒業。1953年5月、劇団仲間に入団し、同年11月に退団。1955年5月、劇団泉座入団。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
穴山 武(あなやま たけし、1925年10月28日 - 20… 穴山 武(あなやま たけし、1925年10月28日 - 2014年5月27日)は、日本の工学者。磁気工学専攻。東北大学名誉教授。元八戸工業高等専門学校長。元豊橋技術科学大学副学長。従三位勲二等瑞宝章。 山梨県出身。1948年東京工業大学電気工学科卒業。1951年山梨大学工学部助手。1957年山梨大学工学部助教授。1960年東北大学工学部助教授。1961年東京工業大学より工学博士の学位を取得。1963年東北大学工学部教授。1979年文部省学術審議会専門委員。1985年東北大学工学部長、東北大学評議員。1988年八戸工業高等専門学校長、東北大学名誉教授。1994年八戸工業高等専門学校名誉教授。1996年豊橋技術科学大学副学長。
仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月… 仲谷 義明(なかや よしあき、1925年(大正14年)10月27日 - 1988年(昭和63年)11月18日)は、日本の政治家、自治官僚。元愛知県知事(2期)。 愛知県渥美郡神戸村(現・田原市)で農業を営んでいた父親の仲谷清一は第一次世界大戦の好況にあおられ、田畑を売り、機屋(はたや)を始めた。ところがつぶれてしまい、夜逃げ同然で一家は名古屋市に出た。1925年10月27日、仲谷は名古屋市西区桜木町3丁目で出生した。父親は織機会社のあとミシン会社に勤め、やがて仲谷ミシン商会として独立した。 名古屋市立新道尋常小学校、愛知県立明倫中学校卒業。1945年3月、第四高等学校文科甲類卒業。同年4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学。
小林 肇(こばやし はじめ、1925年(大正14年)10月2… 小林 肇(こばやし はじめ、1925年(大正14年)10月27日 - )は、日本の歴史学者、郷土史家。 現在の佐賀県鳥栖市に生まれる。1945年佐賀師範学校卒業、1952年日本大学法文学部人文地理学科卒業。 佐賀大学教育学部附属中学校教諭、佐賀県立佐賀西高等学校教諭、佐賀県立鳥栖高等学校教諭を経て西九州大学名誉教授。 1984年(昭和59年)4月1日 鳥栖市が公募する「鳥栖市民憲章」で最優秀賞を受賞し採用された。鳥栖市役所前にその市民憲章を彫った石碑が建っている。 ・田代売薬〔対馬田代領〕の史的研究 ・対馬領田代売薬の史的研究(第4報)領域経済と田代売薬の創業 ・対馬領田代売薬の史的研究-第5報-宝歴・天明期における田代売薬 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小野 二郎(おの じろう、1925年〈大正14年〉10月27… 小野 二郎(おの じろう、1925年〈大正14年〉10月27日 - )は、日本の鮨職人。すきやばし次郎創業者。「寿司の神様」との俗称も見られる。 静岡県出身の鮨職人である。東京都にて「すきやばし次郎」を創業した。映画『二郎は鮨の夢を見る』への出演でも知られている。2022年時点でミシュラン史上最高齢の三つ星シェフで、2019年にギネス世界記録として認定された。 静岡県天竜市(当時は静岡県磐田郡)で生まれ、7歳から静岡県の料理店で奉公し、のちに東京で修業する。 1951年に鮨職人となり、1965年に独立して現在地ですきやばし次郎を開店する。 2005年に「江戸時代以来のにぎり鮨の伝統を踏まえながら、常に新しい工夫を怠らず、江戸前の握り鮨の型と魂を継承している」として厚生労働省が卓越した技能者表彰により現代の名工に選出する。
瀬川 昌治(せがわ まさはる、1925年10月26日 - 2… 瀬川 昌治(せがわ まさはる、1925年10月26日 - 2016年6月20日)は、日本の映画監督、脚本家、舞台演出家。喜劇映画の名手とされ、1960年代に数多くの喜劇シリーズを監督した。 1925年10月26日、東京市神田区神保町(現在の東京都千代田区神田神保町)の官吏の家に生まれる。学習院初等科、中等科に学び、一学年上の三島由紀夫などと交流する。学習院高等科 (旧制)在学中に陸軍船舶兵として応召。終戦後、東京帝国大学(現・東京大学)文学部英文科に入学するが、在学中は野球部のレギュラー外野手として活躍し、東京六大学野球リーグ戦にも出場した(東京大学野球部出身の映画監督としては、他に井坂聡や秋原正俊らがいる)。
植田 義明(うえだ よしあき、1925年10月26日 - )… 植田 義明(うえだ よしあき、1925年10月26日 - )は、日本の経営者。上新電機社長を務めた。奈良県出身。 1948年に大阪大学工学部通信工学科を卒業し、日本電信電話公社に入社した。 近畿電気通信局長などを経て、1979年7月に理事に就任し、1984年4月に日本電通建設副社長などを歴任し、1993年6月には上新電機社長に就任。1998年6月に会長、2000年6月に取締役相談役を経て、2001年6月に特別顧問に就任。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。
繁尾 久(しげお ひさし、1925年10月26日 - 199… 繁尾 久(しげお ひさし、1925年10月26日 - 1993年10月17日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。明治学院大学名誉教授。 J・D・サリンジャー、ソール・ベローなどを研究・翻訳。イギリス文学作品も翻訳した。 1925年、東京・渋谷生まれ。慶應義塾大学を卒業。明治学院大学教授を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
鈴木 三成(すずき みつなり、1925年10月25日 - )… 鈴木 三成(すずき みつなり、1925年10月25日 - )は日本の弓道家。範士十段。全日本弓道連盟会長、国際弓道連盟会長を務めていた。 2015年より名前を冠した「範士十段鈴木三成杯弓道大会」が開催されている。 大正14年(1925年)10月25日、八戸市出身。 青森県立八戸中学校(現青森県立八戸高等学校)出身。 全日本弓道選手権大会には1960年より14回出場し、優勝2回、2位3回、3位1回、5位2回の成績を挙げ、最高得点賞を5回獲得している。 1964年東京オリンピックではデモンストレーション弓道競技で代表の1人として参加している。 1974年、デーリー東北賞受賞。 2006年から2012年まで全日本弓道連盟会長を務めた。
森田 誠吾(もりた せいご、本名:堀野 誠吾、1925年10… 森田 誠吾(もりた せいご、本名:堀野 誠吾、1925年10月25日 - 2008年10月16日)は、日本の小説家。 東京出身。東京府立第一商業学校(現東京都立第一商業高等学校)卒業後旧制東京商科大学(一橋大学の前身)中退。久保栄・滝沢修・薄田研二が結成した東京芸術劇場の研究生となり、特に劇作家久保栄に師事する。久保との関係は久保の死(1958年3月15日)まで続く。森田の『曲亭馬琴遺稿』には、久保の戯曲『火山灰地』(1938年)や長編小説『のぼり窯』(1951年)の影響が見受けられる。 東京芸術劇場解体後、実家の広告制作会社精美堂社長を務めていた。 1981年に『曲亭馬琴遺稿』で作家デビュー。
藤田 温(ふじた あつし、1925年10月25日 - 201… 藤田 温(ふじた あつし、1925年10月25日 - 2015年10月4日)は、日本の経営者。倉敷紡績社長、会長を務めた。 岡山県出身。1947年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、同年に倉敷紡績に入社。 1968年6月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1976年7月に専務、1982年7月に副社長を経て、1987年7月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1998年6月には相談役に就任。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、1997年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2015年10月4日肺炎のために死去。89歳没。
岩谷 俊夫(いわたに としお、1925年10月24日 - 1… 岩谷 俊夫(いわたに としお、1925年10月24日 - 1970年3月1日)は兵庫県神戸市灘区出身の新聞記者、サッカー選手、サッカー指導者。 御影師範学校附属小学校でサッカーを始める。 1938年に兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)へ進学、ア式蹴球部のエースとして1941年に明治神宮競技大会で優勝、翌1942年には主将として橿原神宮大会優勝と明治神宮競技大会連覇に貢献した。1943年に早稲田大学に進学しア式蹴球部へ入部。 1945年7月に兵役に就いたが、病気のために同年8月に除隊となった。戦後は早稲田大学に復学し、1946年と1947年に関東大学サッカーリーグ戦と東西大学1位対抗において2年連続二冠に貢献した。
三木 亘(みき わたる、1925年10月24日 - 2016… 三木 亘(みき わたる、1925年10月24日 - 2016年9月4日)は、日本の歴史学者、中東学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は中東歴史生態学、民族生薬学、世界史学など。 兵庫県生まれ。東京大学文学部西洋史学科を卒業後、都立高校教員となり東京都立深川高等学校、東京都立大学附属高等学校などで歴史学を教える。その後、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授となった後に、慶應義塾大学文学部教授に就任する。91年定年、名誉教授、静岡精華短期大学教授。
山田 里津(やまだ りつ、1925年10月24日 - )は、… 山田 里津(やまだ りつ、1925年10月24日 - )は、日本の看護師、看護学者。 三重県出身。日赤甲種看護婦養成所(日本赤十字看護大学の前身)卒。二葉看護学院院長、三井記念病院高等看護学院長。日本看護学校協議会名誉会長。フローレンス・ナイチンゲール記章受章。
木村 茂(きむら しげる、1925年(大正14年)10月23… 木村 茂(きむら しげる、1925年(大正14年)10月23日 - 2017年(平成29年)11月23日)は、日本の政治家。東京都千代田区長(3期)、東京都議会議員(4期)、都議会自民党政調会長、都議会自民党幹事長を歴任した。東京府出身。 東京市麹町区生まれ。麹町小学校、早稲田実業学校卒業。1944年に熊谷陸軍飛行学校に第3期生として入学。1年後輩には、後の内閣総理大臣竹下登がいた。陸軍少尉として終戦までタイ、マレーシア、スマトラを転戦。1950年早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。卒業後は、25年間にわたり国会議員秘書を務めた。当時の同僚秘書には海部俊樹や森喜朗がいる。 その後、1973年に東京都議会議員に当選。
小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - … 小林 禎作(こばやし ていさく、1925年10月22日 - 1987年3月8日)は、日本の物理学者、雪学者。 神奈川県鎌倉市生まれ。旧制浦和高等学校を経て、1948年、北海道帝国大学理学部物理学科卒業。北海道江別高等学校教諭。1949年8月、北海道大学低温科学研究所助手、1963年に助教授、1980年に教授、物理学部門主任。 雪の結晶についての実験研究に取り組み、中谷宇吉郎が示した雪の結晶の形状と雲の温度・湿度に関する「中谷ダイアグラム」を拡張、精緻化した「中谷・小林ダイアグラム」を開発し、1960年に日本気象学会賞を受賞した。
宮崎 繁樹(みやざき しげき、1925年10月21日 - 2… 宮崎 繁樹(みやざき しげき、1925年10月21日 - 2016年4月10日)は、日本の国際法学者。明治大学名誉教授、財団法人人権教育啓発推進センター顧問。法学博士(明治大学、1962年)(学位論文「ザールラントの法的地位」)。
深野 和夫(ふかの かずお、1925年 <大正14年> 10… 深野 和夫(ふかの かずお、1925年 <大正14年> 10月21日 - 2021年 <令和3年> 11月16日)は、日本の銀行家。山陰合同銀行頭取を務めた。位階は従五位。 神奈川県出身。1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年10月に日本銀行に入行した。1978年7月に監事を経て、1981年6月に山陰合同銀行副頭取に就任し、1983年6月には頭取に昇格。1992年6月に会長に就任し、1995年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。 2003年11月に旭日中綬章を受章。 2021年11月16日、死去。96歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
大ノ浦 一廣(おおのうら かずひろ、1925年10月21日 … 大ノ浦 一廣(おおのうら かずひろ、1925年10月21日 - 1987年3月26日)は、秋田県能代市出身で花籠部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。1950年代から1960年代にかけ、十両・幕内力士として活躍した。本名は水木 一廣(みずき かずひろ)。現役時代の体格は171cm、99kg。最高位は西前頭16枚目(1957年9月場所)。得意手は左四つ、投げ、二枚蹴り、足癖など。 若い頃から地元の素人相撲で活躍していたが、1947年秋に上京し、二所ノ関部屋へ入門。同年11月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外で全勝し、途中からは新序に昇格して相撲を取った。そこでも勝ち越したので、翌年5月場所の番付では序ノ口を飛び越して、序二段の地位に四股名が載った。
伊藤 漱平(いとう そうへい、1925年10月20日 - 2… 伊藤 漱平(いとう そうへい、1925年10月20日 - 2009年12月21日)は、日本の中国文学者。東京大学名誉教授、二松學舍大学名誉教授。 1925年、愛知県碧海郡に生まれた。刈谷中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学支那哲文学科を卒業、大学院に進学した。1949年に大学院博士課程を退学。同1949年に北海道大学助手として着任した。 1955年、島根大学講師に就任。1960年より大阪市立大学助教授。1970年より北海道大学中国文学科教授。1977年より東京大学中国文学科教授となった。1986年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は二松學舍大学教授として教鞭をとった。また、1989年から1993年にかけて第6代二松學舍大学学長を務め、国際政治経済学部の設置に尽力した。
野中 廣務(のなか ひろむ、1925年(大正14年)10月2… 野中 廣務(のなか ひろむ、1925年(大正14年)10月20日 - )は、日本の政治家。
今井 功(いまい いさお、1925年10月20日 - 200… 今井 功(いまい いさお、1925年10月20日 - 2006年3月25日)は、日本の地質学者である。 地質調査所において、日本各地の地質調査を行い、地質図幅の作成、編集を行った。また、日本の地質学史についての調査・研究を進める。その成果は、『黎明期の日本の地質学』や『地質調査所百年史』などにまとめられている。東京地学協会の日本地学史編纂委員会委員もつとめ、日本の地学史研究に多大な貢献をした。父は地質学者の今井半次郎。
夏井 昇吉(なつい しょうきち、1925年10月19日 - … 夏井 昇吉(なつい しょうきち、1925年10月19日 - 2006年9月13日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 21歳で柔道を始めた晩学ながら第1回世界選手権大会や全日本選手権大会を制した。現役引退後は秋田県警警察官としての道を全うし、後には全日本柔道連盟評議委員や東北柔道連盟会長等を務めて柔道界の運営に携わった。 秋田県男鹿市船川に生まれる。幼少期から運動神経は抜群で、いわゆる“わんぱく坊主”として近所でもよく知られていた 秋田工業高校入学と同時に、夏井の体格の良さ・足腰の強さに目を付けたラグビー部に勧誘され、入部後はロックとして活躍した。この頃の夏井は柔道の経験は無いが、体が大きいために柔道の試合には臨時選手として引っ張り出されたりもしている。
石橋 義夫(いしばし よしお、1925年10月19日 - 2… 石橋 義夫(いしばし よしお、1925年10月19日 - 2015年9月18日)は、共立女子学園学園長、理事長。10代目横綱審議委員会委員長。 茨城県東海村出身。1951年日本大学法文学部法律学科卒。鳩山一郎の秘書などを経て、1972年共立女子学園監事、1977年同理事、1982年同理事長代行、1990年同学園長兼理事長に就任した。 また、2000年から横綱審議委員に就任。2003年から2007年まで横綱審議委員長を務めた。2010年に任期満了により退任。2015年死去。 鳩山一郎の秘書時代に鳩山が脳出血で倒れ、鳩山邸(現:鳩山会館)は騒然となった。このとき鳩山邸を外から中の様子をうかがっていた男がいた。
阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 20… 阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 2005年3月22日)は、日本の詩人、小説家、児童文学作家として、小説・詩・作詞など幅広く執筆した。 大阪府大阪市に生まれた。阪田家は、代々紺屋の屋号であり安芸国忠海(現:広島県竹原市忠海)で海運業を営んでいた。寛夫の祖父・阪田恒四郎が38歳の時、広島から大阪に出て興したのが阪田インキ製造所(後のサカタインクス)。寛夫の父・素夫は同社の二代目社長であった。600坪の屋敷で3人兄弟の末弟として育つ。 熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、母・京は同志社女子専門学校英文科の卒業生で、アメリカから来た教師に西洋料理をたくさん学んだハイカラな女性だった。
土井 新吉(どい・しんきち、1925年10月18日 - 20… 土井 新吉(どい・しんきち、1925年10月18日 - 2004年6月16日)は、日本国のスポーツジャーナリスト。
岡野 喜久麿(おかの きくまろ、1925年10月17日 - … 岡野 喜久麿(おかの きくまろ、1925年10月17日 - 2015年7月29日)は、日本の銀行家。 静岡県沼津市出身。1951年に日本大学農学部を卒業。滝川製紙、駿州製紙での勤務を経て、1960年に駿河銀行に転じ、1964年に取締役に就任し、1966年に常務、1974年に専務、1978年1月に副頭取を経て、1981年3月には頭取に就任。1985年5月に相談役に就任。陸上自衛隊富士学校後援会会長、全国地方銀行協会理事なども歴任した。 2015年7月29日、心不全のために死去。89歳没。
清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 201… 清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 2010年1月14日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県長野市出身。1944年早稲田高等工学校機械工学科卒。1944年大日本機械に入社し、応召・復員後、印刷工となる。1949年印刷出版労組長野県支部書記長から、1957年長野県労評事務局長、1966年同議長。1976年の総選挙で旧長野1区から社会党公認で立候補し、初当選し以後6期務めた。1979年社会党政策審議会副会長、1982年衆議院予算委員、1984年社会党国会対策副委員長、同産業貿易政策委員長を務める。1993年の総選挙で落選し、政界を引退。1995年、勲二等旭日重光章受章。
中村 隆英(なかむら たかふさ、1925年10月15日 - … 中村 隆英(なかむら たかふさ、1925年10月15日 - 2013年9月26日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授。専門は、経済統計学・日本経済論。東京出身。
中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)… 中村 雄二郎(なかむら ゆうじろう、1925年(大正14年)10月13日 - 2017年(平成29年)8月26日)は、日本の哲学者、評論家、文学博士。明治大学名誉教授。 東大哲学科卒。卒業後、文化放送に就職するが、1955年から明大に勤務し、1964年に教授となった。 早くからフランス人文主義に関心をもち、パスカルやデカルトを研究し『パスカルとその時代』(1965年)を書く。一方、近代合理主義を厳しく批判し、感性や情念の正当な位置づけを試みて『感性の覚醒』(1975年)を著した。また人間存在を根源から回復させる方法として、人間の共通感覚を重視する『共通感覚論』(1979年)を執筆。現代日本を代表する国際的な哲学者の一人。
森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年〈大正14年〉10… 森本 哲郎(もりもと てつろう、1925年〈大正14年〉10月13日 - 2014年〈平成26年〉1月5日)は、日本のジャーナリスト、評論家。東京新聞記者、朝日新聞記者を経て評論家に転身し、東京女子大学教授なども歴任した。 東京府生まれ。府立十中、府立高等学校を経て、1948年(昭和23年)、東京大学文学部哲学科を卒業。文学部時代には風刺雑誌『VAN』の編集長を務めた。大学院に進学し、翌年には在学のまま東京新聞社に入社、社会部記者となる。1950年(昭和24年)、東京大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程を修了。 1953年(昭和28年)、招聘を受けて朝日新聞社に移り、学芸部に籍を置く。1954年(昭和29年)2月、マリリン・モンローが来日した際には握手を交わした。
築島 裕(つきしま ひろし、1925年10月12日 - 20… 築島 裕(つきしま ひろし、1925年10月12日 - 2011年4月11日)は、日本の国語学者。東京大学文学部名誉教授。文学博士。日本学士院会員。鉄道切符の収集家。
岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2… 岡本愛彦(おかもと よしひこ、1925年10月11日 - 2004年10月24日)は、日本の映画監督、テレビドラマの演出家、ジャーナリスト。 1925年10月11日に、日本統治時代の朝鮮または鳥取県で生まれる。陸軍士官学校在学中に敗戦を迎え、1946年には日本社会党へ入党。1950年に慶應義塾大学を卒業し、NHK東京放送局に放送記者・社会報道番組ディレクターとして入局。その後、鳥取・東京・大阪と放送局を転々とし、後にテレビドラマを手掛ける様になる。1957年にNHKを退社して、ラジオ東京(KRT、現・東京放送ホールディングス / TBSテレビ)へ入社する。 黎明期のテレビドラマにおいて、社会性のある作品を中心に活躍した演出家である。
山口 廣(やまぐち ひろし、1925年10月11日 - 20… 山口 廣(やまぐち ひろし、1925年10月11日 - 2017年7月12日)は、日本の建築史家。工学博士(論文博士・1972年)(学位論文「ドイツ表現派の建築」)。日本大学名誉教授。東京生まれ。 1959年日本大学旧工学部卒業。1971年明治大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。1972年「ドイツ表現派の建築」で工学博士。 日本大学生産工学部助教授を経て1975年同教授。1987年日本建築学会賞論文賞受賞。1988年に日本建築学会副会長。96年日本大学を定年、名誉教授。
小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 -… 小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 - 1996年12月7日)は、経済学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1949年京都帝国大学経済学部卒、大阪市立大学経済研究所に入所。1951年京都大学助手、1956年助教授、1970年教授。1989年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。
佐藤 雅彦(さとう まさひこ、1925年10月10日 - 1… 佐藤 雅彦(さとう まさひこ、1925年10月10日 - 1988年3月23日)は、日本の美術史家、陶磁器研究家。東洋美術史、中国、日本の陶磁史を研究。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部芸術学科卒。1951年大阪市立美術館学芸員、学芸課長、1972年京都市立芸術大学教授、1980年学長。北海道立近代美術館館長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小林 重順(こばやし しげのぶ、1925年10月10日 - … 小林 重順(こばやし しげのぶ、1925年10月10日 - 2010年5月9日)は、デザイン研究者。 愛媛県今治市に生まれる。旧制広島工業専門学校電気工学科(現広島大学)を卒業後、早稲田大学第二文学部、同大学院で心理学を修了。東洋美術学校、武蔵工業大学講師などを経て、1966年、(株)日本カラーデザイン研究所を創設、代表取締役に就任。1973年以降1997年迄、国際色彩学会で研究発表、国内外の色彩研究者と広く交流を重ねる。1978年、カラーイメージスケール特許公開、1982年、特許認可。論文発表、講演活動、執筆などを通じ、色の見方や配色テクニック、カラーイメージスケールの啓蒙、普及に努める。 2002年日本色彩学会名誉会員に推挙。
菅原 信海(すがわら しんかい、1925年10月10日 - … 菅原 信海(すがわら しんかい、1925年10月10日 - 2018年2月11日)は、日本の仏教学者、早稲田大学名誉教授、天台宗僧侶(勧学・大僧正・日光山輪王寺執綱・妙法院門跡門主)。栃木県日光市生まれ。 天台宗庶務部長・教学部長菅原英信の子に生まれる。昭和26年(1951年)、早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒業。同大講師・助教授を経て、昭和47年(1972年)教授。1991年「山王神道の基礎的研究」で大正大学文学博士。早稲田大学仏教青年会第7代会長も務める。 2000年に妙法院門跡に就任し、2001年には坂本・東南寺で戸津説法を務める。 2018年2月11日午前9時25分、転移性肝癌のため栃木県日光市の病院で死去した。
江口 季好(えぐち すえよし、1925年(大正14年)10月… 江口 季好(えぐち すえよし、1925年(大正14年)10月9日 - 2014年(平成26年)6月4日)は、日本の詩人、国語教育研究者。
鈴木 清一(すずき せいいち、1925年10月9日 - 没年… 鈴木 清一(すずき せいいち、1925年10月9日 - 没年不明)は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。 島田商業学校から専修大学へ進学し、1946年にセネタースに入団。同年は101試合に出場し、当時のプロ野球記録となるシーズン14三塁打を記録した。1947年も101試合に出場。一方で守備は1年目63失策、2年も59失策と2年連続でリーグ最多失策を記録してしまった。 1948年は金星スターズに移籍したがわずか5試合の出場にとどまり、同年限りで引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 19… 渡瀬 憲明(わたせ のりあき、1925年10月8日 - 1998年8月1日)は、日本の政治家。衆議院議員。熊本県八代市出身。旧制八代中学、明治大学法学部卒業。 坂田道太の秘書を経て政界入り。1990年、第39回衆議院議員総選挙に坂田の後継者として旧熊本2区から自由民主党公認で立候補し、初当選(当選同期に岡田克也・佐田玄一郎・藤井裕久・鈴木俊一・亀井久興・中谷元・森英介・福田康夫・石原伸晃・河村建夫・小林興起・塩谷立・古屋圭司・細田博之・松岡利勝・小坂憲次・山本拓・赤城徳彦・簗瀬進など)。2期務め、河本派に所属した。この間、防衛政務次官、衆議院文教委員会理事、衆議院安全保障委員会委員、衆議院厚生委員会委員、石炭対策特別委員会委員などの要職を歴任。
武井 良平(たけい りょうへい、1925年10月7日 - 2… 武井 良平(たけい りょうへい、1925年10月7日 - 2020年3月26日)は、日本の実業家。元帝国繊維社長。 神奈川県南足柄市のみかん農家に生まれた。旧制県立小田原中学(今の神奈川県立小田原高等学校)、慶応義塾大学経済学部卒業後、1952年富士銀行入行、1972年に浜松支店長を務めた。帝国繊維の社長、会長を務め、72歳で退職。日本における麻織物の発展に努めた。日本工業倶楽部俳句会で稲畑汀子に師事し、2001年第18回朝日俳壇賞受賞。2020年3月26日94歳で死去。