森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2… 森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2月6日)は、北海道函館市出身(旧満州生まれ)の元プロ野球選手(外野手)・監督、解説者。
1935年(昭和10年)生まれ:1,285人
森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2… 森 徹(もり とおる、1935年11月3日 - 2014年2月6日)は、北海道函館市出身(旧満州生まれ)の元プロ野球選手(外野手)・監督、解説者。
朝木 善次郎 (あさき ぜんじろう、1935年11月3日 -… 朝木 善次郎 (あさき ぜんじろう、1935年11月3日 - 2009年4月25日)は、日本のプロセス工学者。京都大学名誉教授。元三菱マテリアル常勤顧問。 1959年京都工芸繊維大学工芸学部窒業工芸学科卒業。1962年京都大学大学院工学研究科冶金学専攻修士課程修了、京都大学工学部冶金学科助手。1970年同講師。1976年同助教授。1988年同教授。1999年定年退官、京都大学名誉教授、三菱マテリアル常勤顧問。デミング賞委員会委員、日本学術振興会協力会素材プロセシング第69委員会副委員長、資源・素材学会理事なども歴任した。 米国冶金学会科学賞受賞。従四位瑞宝小綬章。 専門分野はプロセス工学。 2009年4月25日、敗血症のため死去。
松本 正徳(まつもと まさのり、1935年11月3日 - )… 松本 正徳(まつもと まさのり、1935年11月3日 - )は、日本の経営学者、中央大学名誉教授。 東京出身。1959年中央大学商学部卒、同大学院経営学研究科修士課程修了、1972年「ヴェブレン研究」で商学博士。札幌短期大学助手、講師、1965年中央大学商学部専任講師、1966年助教授、1972年教授。1993年商学部長、2006年定年、名誉教授。
工藤 直子 (くどう なおこ、1935年(昭和10年)11月… 工藤 直子 (くどう なおこ、1935年(昭和10年)11月2日 - )は、日本の詩人、童話作家、翻訳家。 1935年(昭和10年)台湾台南州東石郡朴子街(現在の嘉義県朴子市)に生まれる。 1959年(昭和34年)お茶の水女子大学文教育学部中国文学科卒業後、博報堂に入社し女性初のコピーライターとなる。 1963年(昭和38年)博報堂退社、フリーとなる。 1964年(昭和39年)吉原幸子、吉行理恵、新藤凉子、山本道子、村松英子、山口洋子、渋沢道子ら同世代の女性詩人8人のぐるーぷ・ゔぇが(VEGA)に参加。1965年の詩誌『ゔぇが』第4号まで詩・童話を掲載。 1983年(昭和58年)『てつがくのライオン』で日本児童文学者協会新人賞、1985年(昭和60年)『ともだちは海のにおい』で産経児童出版文化賞、1990年(平成2年)『ともだちは緑のにおい』で芸術選奨新人賞、2004年(平成16年)巖谷小波文芸賞受賞。
生田 滋(いくた しげる、1935年11月2日 - 2024… 生田 滋(いくた しげる、1935年11月2日 - 2024年1月17日)は、日本の東南アジア史研究者。大東文化大学名誉教授。専門は、前近代の東南アジア史、大航海時代史、古琉球史。旧満洲国・ハルビン市生まれ。 1959年、東京大学文学部東洋史学科を卒業。1961年、同大学院人文科学研究科修士課程(東洋史専攻)を修了。同年、財団法人東洋文庫入職。同文庫附置ユネスコ東アジア文化研究センター研究員、同調査資料室長を経て、1986年から大東文化大学国際関係学部国際文化学科教授。2006年3月、同大を定年退職。同年から同大名誉教授。 2024年1月17日午前6時、病気療養中のところ東京都内の病院で死去、満88歳没。
成宮 明光(なるみや あきみつ、1935年11月2日 - 2… 成宮 明光(なるみや あきみつ、1935年11月2日 - 2007年11月10日)は、日本中央競馬会・中山競馬場→美浦トレーニングセンター北に所属していた元調教師、有限会社明成牧場の元代表者である。神奈川県出身。 牧場経営を志し、高校卒業後すぐに青森県へ移住。現地の牧場主から獣医師の資格を取得するよう勧められ、日本獣医畜産大学へ入学。獣医師免許を取得した後の1959年、日本中央競馬会の獣医師を兼務する形で中山・杉浦照厩舎所属の厩務員となり、後に調教助手となった。 1964年、調教師免許を取得する。28歳4か月での調教師免許取得は最年少記録であり、獣医師・大学卒業者としても初の調教師となった。1965年、中山競馬場で厩舎を開業。
日下部 禧代子(くさかべ きよこ、1935年11月2日 - … 日下部 禧代子(くさかべ きよこ、1935年11月2日 - )は、日本の政治家。世界連邦運動協会理事長。元社会民主党の参議院議員(2期)。 神奈川県出身。福岡女子大学文学部英米文学科卒業後、中学校非常勤講師を経てロンドン大学政治経済学部で福祉行政を専攻。1966年(昭和41年)に同大学を卒業。日本女子大学、淑徳短期大学などの講師を務める。 1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙で比例区に日本社会党から立候補して当選。1995年の第17回参議院議員通常選挙比例区(1位)再選。1996年、第1次橋本内閣で文部政務次官就任。同年、社会民主党参議院議員会長。98年1月から2000年2月まで社会民主党副党首。
横山 欣司(よこやま きんじ、1935年〈昭和10年〉11月… 横山 欣司(よこやま きんじ、1935年〈昭和10年〉11月1日 - 2023年〈令和5年〉12月28日)は、鹿児島県を拠点に活躍していた日本のフリーアナウンサー。 東京府北多摩郡立川町出身。國學院大學を卒業。 1959年(昭和34年)2月12日、MBC南日本放送にアナウンサーとして入社。入社した年からMBCラジオの洋楽番組『ユアヒットパレード』のディスクジョッキーとして活躍し若者の支持を集める。 1963年(昭和38年)、鹿児島市の丸屋デパートに完成した、九州初となるラジオ公開放送のサテライトスタジオ「MBCサテライトスタジオ」での放送が開始され、公開放送の度にスタジオ前には人だかりができる状態であったが、ユアヒットパレードで人気を博していた横山がアナウンサーの有島裕子と司会を務め、1965年(昭和40年)に丸屋で行われた2周年記念イベントの公開ラジオ番組「ミュージック☆オンパレード」もその例外ではなく、集まった多くの来場者から2人がリクエスト曲の受け付けを行った。
竹田 美文(たけだ よしふみ、1935年〈昭和10年〉11月… 竹田 美文(たけだ よしふみ、1935年〈昭和10年〉11月 - )は、日本の医師・医学者。学位は医学博士(大阪大学・1965年)。国立感染症研究所名誉所員。専門は細菌学、感染症学など。2006年瑞宝重光章受章。 東京大学医科学研究所教授、京都大学医学部教授、日本細菌学会理事長、日本熱帯医学会理事長、野口英世記念会理事長等を歴任した。息子は大阪大学大学院医学研究科免疫制御学教授の竹田潔、東京大学大学院医学系研究科微生物学教授の竹田誠。
大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11… 大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11月 - )は、日本の実業家。元新日鉄化学社長、新日本製鉄常務取締役。長崎県出身。 1935年(昭和10年)長崎県生まれ。1959年(昭和34年)一橋大学経済学部卒業後、八幡製鉄に入社。以後営業畑を歩み、八幡製鉄所生産業務部長・本社自動車鋼板販売部長などを経て、1989年(平成元年)6月、八幡製鉄所副所長。当時の好況に浮かれる所内の引き締めを図った。1991年(平成3年)堺製鉄所所長、1993年(平成5年)新日本製鉄常務取締役、1995年(平成7年)新日鉄化学副社長を経て、1997年(平成9年)同社社長に就任。新日鉄化学は当時、1994年(平成6年)の為替差損問題で経営危機に陥っており、副社長時代から一貫して経営再建に取り組んだ。
三好 功峰(みよし こうほう、1935年(昭和10年)11月… 三好 功峰(みよし こうほう、1935年(昭和10年)11月— )は、日本の医学者。専門は精神医学、ことに老年精神医学と神経病理学。認知症を含めた大脳器質性精神障害の臨床的ならびに脳病変の研究。兵庫医科大学教授、京都大学大学院教授、兵庫県立高齢者脳機能研究センター所長を歴任。国際神経精神医学会会長および理事長、一般財団法人仁明会精神衛生研究所所長を務める。現職は一般財団法人仁明会精神衛生研究所名誉所長。 1935年、鳥取県米子市に生まれる。山陰日日新聞や日本海新聞の取締役を務めた三好徹次郎の三男。 1960年、京都大学医学部卒業。1966年 京都大学医学部附属病院助手。1968年、医学博士(京都大学) 1969年 コロンビア大学神経学教室。
本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 -… 本屋敷 錦吾(もとやしき きんご、1935年10月31日 - )は、兵庫県神戸市東灘区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者。現在は芦屋市在住。 芦屋高校では在学中に甲子園に3回、国体に3回出場。1年時はベンチ外だったが、チームが出場した1951年夏の選手権では、1年先輩のエース植村義信を擁し準々決勝に進出するも、中西太のいた高松一高に敗退。秋の広島国体では決勝に進むが、広島観音高に敗退。2年上のチームメートに杉谷和男中堅手(のち大映)がいる。二塁手として出場した翌1952年春の選抜では、2回戦で平安高に敗れる。同年夏の選手権は順調に勝ち進み、決勝でエース木村保を擁する八尾高を降し初優勝を飾る。
浜 木綿子(はま ゆうこ、1935年10月31日 - )は、… 浜 木綿子(はま ゆうこ、1935年10月31日 - )は、日本の女優。元・宝塚歌劇団雪組トップ娘役。
横地 森太郎(よこち しんたろう、1935年(昭和10年)1… 横地 森太郎(よこち しんたろう、1935年(昭和10年)10月31日 - )は、日本の水泳選手。ポルトガル陸軍士官学校教官。ポルトガルのオリンピック水泳代表監督を5回務めた。
横井 清(よこい きよし、1935年10月31日 - 201… 横井 清(よこい きよし、1935年10月31日 - 2019年4月7日)は、日本中世史学者。 京都市生まれ。1958年立命館大学文学部卒、1962年同大学院文学研究科博士課程中退、京都市史編纂補助、1970年代花園大学文学部助教授、著述業の時代をへて、1980年代富山大学人文学部教授、1990年代桃山学院大学文学部教授。1989年『的と胞衣』で毎日出版文化賞受賞。中世民衆史を専攻し、差別、穢れなどの問題を実証的に論じた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
滝内 弥瑞生(たきうち やすお、1935年10月30日 - … 滝内 弥瑞生(たきうち やすお、1935年10月30日 - 2018年9月23日)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 戸畑高校ではエース・中島孝司(南海)を擁し、3年次の1953年に夏の甲子園県予選で決勝に進出するが、後にプロで同僚となる東筑高の仰木彬投手に抑えられ惜敗。卒業後の1954年に西鉄ライオンズへ入団。3年目の1956年に一軍に定着し、内野のユーティリティプレイヤーとして39試合に先発出場。また代走・守備要員としても起用され、同年からの3年連続リーグ優勝・日本一に貢献。1年先輩の正遊撃手であった豊田泰光が少し打撃不調になると、滝内はベンチの横に来て「あんたが打てんかったら何の取り柄もなか。
吉川 武彦(きっかわ たけひこ、1935年10月30日 - … 吉川 武彦(きっかわ たけひこ、1935年10月30日 - 2015年3月21日)は、日本の医学者、精神科医。金沢市出身。1961年千葉大学医学部医学科卒。1966年同大学院医学研究科神経精神医学専攻修了(医学博士、論文の題は「ロールシャッハテストによる不安の研究 : 特に不安の顕在化と潜在化をめぐる精神力動について」)。 また、日本泳法委員として日本泳法の普及、発展に尽力。古式泳法の水府流太田派 桐游倶楽部の免許皆伝。 学生時代には安保闘争に参加、1960年6月15日のデモでは国会へ詰めかける。この時、先頭に立っていた樺美智子が倒れ込むところを間近に目撃、混乱のなかから樺美智子を引きずり出して救護所へ運び込んだ。
小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月… 小林 和男(こばやし かずお、1935年〈昭和10年〉10月30日 - 2018年〈平成30年〉1月26日)は、日本の政治家、地方公務員、教育者。北海道乙部町出身。北海道学芸大学旭川分校卒業。北海道三笠市市長(3期)。 8人兄弟の5番目として生まれる。大学卒業後、小中学校教諭、三笠市立博物館副館長を経て、1987年三笠市議会議員に当選。その後の市議選で落選し、1999年7月三笠市教育長に就任。市教育長を辞職して、2003年三笠市長選に立候補し初当選。2011年3期目当選。市長在職中は全国市長会理事も務めていた。2015年任期満了で市長を退任。 退任後は、後任の西城賢策市長の発案により、三笠市の特産品などをPRする目的で新設した特命大使第1号に任命された。
稲村 利幸(いなむら としゆき、1935年10月29日 - … 稲村 利幸(いなむら としゆき、1935年10月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(8期)。 栃木県足利市出身。1954年、栃木県立足利高等学校卒業。 高校時代から政治家を志し、旧栃木2区選出の自由民主党衆議院議員小平久雄の事務所などに出入りする。1958年、学習院大学政経学部政治学科卒業。 政界に人脈を広げるために雄弁会に入会しようと考え、早稲田大学政治経済学部経済学科に学士入学。1961年、早稲田大学政治経済学部卒業。早大在学中、三木武夫の秘書として活動。大学卒業後、小平の秘書となる。 1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧栃木2区から自由民主党公認で立候補し落選。
高畑 勲(たかはた いさお、1935年〈昭和10年〉10月2… 高畑 勲(たかはた いさお、1935年〈昭和10年〉10月29日 - 2018年〈平成30年〉4月5日)は、日本のアニメ監督、映画監督。 畑事務所代表、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事。日本大学芸術学部講師、学習院大学大学院人文科学研究科主任研究員、多摩美術大学客員教授などを歴任、紫綬褒章受章。映画プロデューサーや、フランス文学(ジャック・プレヴェール)の翻訳も手がけている。 1959年に東映動画に入社。『太陽の王子 ホルスの大冒険』で長編をはじめて演出した後、1971年からAプロダクションに移る。以後『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』などのテレビアニメを経て、宮崎駿、鈴木敏夫らと設立したスタジオジブリで監督作を手がけた。
牧 昌見(まき まさみ、1935年10月29日 - 2009… 牧 昌見(まき まさみ、1935年10月29日 - 2009年9月8日)は、学校経営学・教育行政学者。国立教育政策研究所名誉所員。 宮城県白石市出身。1958年東北大学教育学部卒、67年同大学院教育行政学専攻博士課程修了、「教員資格制度の発達に関する研究」で教育学博士。1963年東北大学教育学部助手、1967年国立教育研究所研究員、74年同研究室長、90年研究部長、その後、同研究所次長を経て退官。1996年聖徳大学児童学部教授。国立教育政策研究所名誉所員。晩年は、政策研究大学院大学の講師も務め、病魔に冒されながらも、2009年8月の集中講義を終えて、同年9月に逝去。 研究姿勢はあくまでも学校や教育委員会の現場に根付いたもので、全国の多くの教育長や学校管理職、教育センター職員から親しまれ、特に川崎市の学校管理職と共に学校経営診断カードの作成を試みたことで広く知られる。
白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )… 白坂 道子(しらさか みちこ、1935年10月28日 - )は、日本の女優、声優、ナレーター。北海道札幌市出身(岩見沢市、または小樽市出身とする文献もある)。81プロデュース所属。 北海道札幌南高等学校卒業後、NHK札幌放送劇団に入る。1957年のラジオドラマ『赤い石』で、同年度の芸術祭文部大臣演技奨励賞を受賞。そのことがきっかけで、東京放送劇団に移る。その後プロダクションエム・スリーに所属した。この間俳優座養成所第13期生として入所し、3年間演技の基礎を学んでいた。 近年は朗読を中心に活動を続けている。 特技は東北弁。趣味はシャンソン。 札幌市立豊水小学校(現:札幌市立資生館小学校)時代の5年生の時に、卒業式で在校生総代として祝辞を読む時の皆から募集した祝辞の作文をはっきりと大きい声で、皆の前で聞こえるように読む課題で、子供たちにコンクールをしていた。
木村 至宏(きむら よしひろ、1935年10月28日 - )… 木村 至宏(きむら よしひろ、1935年10月28日 - )は、日本の文化史学者、成安造形大学名誉教授。 滋賀県生まれ。滋賀県立高島高等学校卒、大谷大学文学部卒、同大学院文学研究科修士課程中退。大津市教育委員会、大津市歴史博物館初代館長を経て、1996年から成安造形大学教授、2000年学長。2009年退任、名誉教授、同大学附属近江学研究所所長。専攻は日本文化史。びわ湖検定公式問題の監修も務める。
日野 光幸(ひの みつゆき、1935年〈昭和10年〉10月2… 日野 光幸(ひの みつゆき、1935年〈昭和10年〉10月28日 - 2023年〈令和5年〉10月31日)は、日本の政治家。元宮崎県西都市長(1期)。 宮崎県出身。宮崎高等経理学校(現・鵬翔中学校・高等学校)卒。西都市議会議員を経て、1983年、日本社会党から宮崎県議会議員に当選する。宮崎県議を4期務める。2001年、西都市長選挙に立候補して当選する。市長を1期務め、2005年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元宮崎県議の橋田和実に敗れた。 2023年10月31日、老衰のため西都市の特別養護老人ホームで死去、88歳。
早田 輝洋(はやた てるひろ、1935年10月28日 - )… 早田 輝洋(はやた てるひろ、1935年10月28日 - )は、日本の言語学者。 東京出身。1959年東京大学文学部言語学科卒、1968年同大学院大学院博士課程満期退学、1987年「博多方言のアクセント・形態論」で九州大学より文学博士の学位を取得。1962-1963年ハーヴァード大学助手。1964年日本放送協会総合放送文化研究所研究員、1974年九州大学文学部助教授、1989年教授、1994年大東文化大学外国語学部教授、2006年定年退任、東北学院大学客員教授。放送文化基金賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
中村 浩道(なかむら ひろみち、1935年10月27日 - … 中村 浩道(なかむら ひろみち、1935年10月27日 - 2007年4月6日)は、元プロ野球審判員、野球解説者。鹿児島県鹿児島市出身。審判員袖番号は18(1977年初採用 - 1990年引退まで、※1991年以降はその年採用の山村達也が引き継ぐ)。 川内高校、早稲田大学を卒業後、大平鉱業、大洋鑿泉工業を経て1964年にパシフィック・リーグの東京審判部に入局し1990年の引退まで審判をつとめる。一軍2121試合に出場し、オールスターは3回出場した。1990年に定年年齢到達に基づき引退したあと数年間は東京審判部の指導員をつとめた。 張本勲が3000本安打を達成した試合で球審を務めた。 英語が堪能で、米国の野球事情に精通した審判員であった。
多田 正見(ただ まさみ、1935年(昭和10年)10月27… 多田 正見(ただ まさみ、1935年(昭和10年)10月27日 - )は、日本の政治家。元東京都江戸川区長(任期:1999年4月27日 - 2019年)。 愛知県豊川市出身。早稲田大学第二政治経済学部卒業。 1956年、東京都に移住。江戸川区役所に入庁。区民部区民課長、政情報室長などを経て、1995年、江戸川区教育長に就任。 1999年4月の江戸川区長選挙に立候補し、宇田川芳雄前東京都議会議員を破り初当選した。4月27日、区長に就任。 2007年、江戸川区長3選、特別区長会会長に就任。2015年、江戸川区長5選。2019年4月26日、任期満了をもって5期20年にわたり務めてきた江戸川区長を引退。
佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)… 佐藤 藤三郎(さとう とうざぶろう、1935年(昭和10年)10月26日 - )は、日本の農家、農業問題評論家、著作家、詩人。 無着成恭の『山びこ学校』の卒業生。上山市の青年学級主事、教育委員、農業協同組合理事などを務める。 山形県南村山郡山元村(現上山市)出身。山元村立山元中学校在学時に無着成恭の教えをうけ、1951年、文集『山びこ学校』に生活記録がのる。 山形県立上山農業高等学校定時制在学中に農民詩を発表。1955年、同校を卒業してからは家業の農業のかたわら、著作活動を続けている。 木村迪夫に影響を与え、詩の道へ進ませるきっかけを作った。
増田 繁夫(ますだ しげお、1935年10月26日 - )は… 増田 繁夫(ますだ しげお、1935年10月26日 - )は、日本の日本文学研究者。大阪市立大学名誉教授。 兵庫県小野市生まれ。京都大学文学部卒業。甲南大学助教授、梅花女子大学助教授、大阪市立大学教授、1998年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。
千本 健一郎(せんぼん けんいちろう、1935年10月26日… 千本 健一郎(せんぼん けんいちろう、1935年10月26日 - )は、ジャーナリスト、翻訳家。 東京生まれ。1960年早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1965年朝日新聞社入社。「週刊朝日」記者、「朝日ジャーナル」記者・副編集長・編集委員などを経て、朝日カルチャーセンター文章教室講師、法政大学講師(社会思想)。
井上 忠行(いのうえ ただゆき、1935年10月25日 - … 井上 忠行(いのうえ ただゆき、1935年10月25日 - 2007年12月15日)は、福岡県出身のプロ野球選手、プロ野球審判員。セ・リーグ袖番号は2(1988年初採用から2001年退職まで、専任指導員に転じた1997年以降もつけていた。2004年以降は敷田直人がつけている。)。 八女工業高校卒業後、門司鉄道管理局に進み、1956年の都市対抗に出場。1957年に西鉄ライオンズに内野手として入団。1959年には一軍に定着、主に一塁手として起用される。1962年には、選手兼監督に就任した中西太の故障が悪化したこともあり、一塁手、三塁手として56試合に先発出場を果たす。しかし翌年にはジョージ・ウィルソン、ジム・バーマらが入団して出場機会が減り、1964年限りで現役引退。
北條 文緒(ほうじょう ふみお、1935年10月25日 - … 北條 文緒(ほうじょう ふみお、1935年10月25日 - 2023年7月23日)は、日本の英文学者、作家、翻訳家。東京女子大学名誉教授。20世紀始めの英国小説が専門。 東京で鬼頭仁三郎(東京商科大学(現一橋大学)教授)の娘として生まれる。1958年東京女子大学文学部英米文学科卒、1961年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1967年東京女子大学講師、助教授、教授、2004年定年退任、名誉教授。 1967年、同人誌『炎』に発表した「魚」で芥川賞候補。2002年、短篇小説集『嘘』を上梓。2023年、死去。聖イグナチオ教会で葬儀・告別式が行われた。同年日本翻訳文化賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
酒巻 英雄(さかまき ひでお、1935年(昭和10年)10月… 酒巻 英雄(さかまき ひでお、1935年(昭和10年)10月25日 - )は、日本の実業家。元野村證券(現在の野村ホールディングス)代表取締役社長。 神奈川県に生まれる。1958年(昭和33年)に法政大学経済学部を卒業し、野村證券に入社する。 1991年(平成3年)6月、同社代表取締役社長に就任する。1997年(平成9年)3月、総会屋に対する利益供与事件で同社代表取締役社長を引責辞任する。また、東京証券取引所理事会議長、公社債引受協会会長を歴任し、アジア・アライアンス・ホールディングス社外取締役を務めたこともある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神崎 巌(かんざき いわお、1935年10月24日 - )は… 神崎 巌(かんざき いわお、1935年10月24日 - )は、ドイツ文学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立新宿高等学校、早稲田大学文学部卒。同大学院博士課程中退。早大教育学部助教授、人間科学部教授。1981年旺文社児童文学翻訳賞受賞。2006年定年退任したが年金問題で早大と争っている。早稲田大学の年金を知る会代表。日本民主主義文学同盟会員。
アキコ・カンダ(本名:神田 正子(かんだ まさこ)、1935… アキコ・カンダ(本名:神田 正子(かんだ まさこ)、1935年10月24日 - 2011年9月23日)は、埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身の舞踊家、ダンサー、振付家。 ”モダンダンスの神様”と言われる故マーサ・グラハムの愛弟子の一人で我が国モダンダンス界の第一人者としての地位を確立する。数々の名誉ある賞を受賞する一方で30年間以上にわたり宝塚音楽学校・宝塚歌劇団の振り付け及び講師も務め、多くの宝塚スターを世に送り出した。ダンスを「生きている証」と語ったアキコ・カンダは紛れもない天性のダンサーでありその生き方はまさに”ダンスの化身”であった。 7歳からダンスを始め石井小浪に師事。日本女子大学附属中学校・高等学校卒業。
伊藤 菊雄(いとう きくお、1935年10月24日 - 20… 伊藤 菊雄(いとう きくお、1935年10月24日 - 2015年8月15日)は、日本の元野球指導者、プロ野球スカウト。元読売ジャイアンツスカウト部長。
依田米秋(よだ べいしゅう(よねあき)、1935年10月24… 依田米秋(よだ べいしゅう(よねあき)、1935年10月24日 - 1992年12月13日)は、日本の政治運動家。長野県上田市出身、野沢北高校、早稲田大学卒業。元進歩党常任幹事、元進歩自由連合党首。
高橋 昌男(たかはし まさお、1935年10月23日 - 2… 高橋 昌男(たかはし まさお、1935年10月23日 - 2019年1月27日)は、日本の小説家、文芸評論家。 東京府生まれ。慶応義塾大学文学部仏文科卒。博報堂、コスモ・ピーアール勤務を経て創作活動に入る。1973年「白蟻」で芥川賞候補、1974年「道化の背景」、1975年「藁のぬくもり」で同じく芥川賞候補、1977年『巷塵』で直木賞候補、1983年「町の秋」で芥川賞候補。第7次『三田文学』復刊に携わり、1985年から1986年にかけて編集長をつとめる。1997年『独楽の回転 甦る近代小説』で第25回平林たい子文学賞受賞。1998年5月~99年7月、日本経済新聞に小説「饗宴」を連載した。 2019年1月27日午後5時15分、肺炎のため東京都内の病院で死去。
桜田 誠一(さくらだ せいいち、本名同じ。1935年10月2… 桜田 誠一(さくらだ せいいち、本名同じ。1935年10月23日 - 2012年3月19日)は、日本の作曲家である。日本作曲家協会会員、日本レコード大賞制定委員会委員でもある。青森県平川市(旧南津軽郡尾上町)出身。 1957年(昭和32年)三船浩の「恋なんて捨てっちまえ」で作曲家デビュー。当時桜田はまだ18歳であった。 1986年(昭和61年)第28回日本レコード大賞最優秀歌唱賞に、北島三郎の「北の漁場」が受賞(作詞:新條カオル、編曲:斉藤恒夫)。1987年(昭和62年)第29回日本レコード大賞最優秀歌唱賞に、大月みやこの「女の駅」が受賞(作詞:石本美由起、編曲:丸山雅仁)。 2012年3月19日、急性白血病により死去。
花上 晃(はなうえ あきら、本名 同じ、1935年10月22… 花上 晃(はなうえ あきら、本名 同じ、1935年10月22日 - )は、東京都出身の俳優。 東京都立北園高等学校卒業後、劇団青俳、吉江企画を経て楡プロダクションに所属。 主に1970年代後半から1980年代に日活映画に多く出演していたほか、テレビの時代劇の悪役としても活躍した。
九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 -… 九條 今日子(くじょう きょうこ、1935年10月22日 - 2014年4月30日)は、日本の女優、演劇、映画プロデューサー。東京都麻布出身。女優時代の芸名は九条映子(九條映子)。本名:寺山 映子(てらやま えいこ)。1963年から1970年まで寺山修司と婚姻関係にあった。
木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 20… 木津川 計(きづがわ けい、1935年10月22日 - 2026年4月16日)は、日本の雑誌編集者、文化芸能評論家、コラムニスト。本名は坂本 凡夫(さかもと つねお)。 雑誌『上方芸能』を発行するかたわら、立命館大学ほかで教鞭をとったほか、演芸賞・文学賞等の審査を行った。 高知県高知市江ノ口生まれ。高知市立旭小学校・高知市立城北中学校・高知県立高知丸の内高等学校卒業。萩原遼(本名:坂本孝夫)は実弟。 20代より上方の芸能に関する執筆活動を行う。ペンネームを当初「私の主張に『気付けい』」との思いを込め、「木津 計(きづ けい)」としていたが、やがて「聞き流していただいて結構です、水のように川のように」と心境が変化し、川の字をつけて「木津川 計」と改めたという。
廣瀬 健(ひろせ けん、1935年10月22日 - 1993… 廣瀬 健(ひろせ けん、1935年10月22日 - 1993年8月16日)は、日本の数学者・計算機科学者。専門は数学基礎論。元早稲田大学理工学部教授。 大分県出身。立教大学理学部数学科卒業。立教大学大学院理学研究科数学専攻に進学して赤攝也ゼミに所属。その後、東京教育大学助手、講師を経て、1970年早稲田大学理工学部数学科助教授、1977年早稲田大学理工学部教授。 子に、高圧地球科学者の廣瀬敬がいる。 1973年にヒルベルトの23の問題の第10問題(ディオファントス方程式の可解性の決定問題)を部分的に解決したが、廣瀬とは独立にユーリ・マチャセビッチによる証明が先に公表されたため、最初の証明者とはならなかった。
鵜崎 庚一(うざき こういち、1935年10月21日 - 2… 鵜崎 庚一(うざき こういち、1935年10月21日 - 2025年6月8日)は、日本の作曲家・音楽教育家。 1935年10月21日、東京都目黒区に生まれる。父は政治家の鵜崎多一、祖父は日本メソジスト教会初代監督の鵜崎庚午郎、曽祖父は姫路藩士で漢学者の鵜崎久平。 幼い頃より教会音楽に触れる。中学生の頃、妹のピアノレッスンの付き添いがきっかけとなり、ピアノ、和声の勉強を始める。 東京芸術大学音楽学部作曲科にて、作曲を池内友次郎、矢代秋雄、理論を島岡譲、指揮を金子登、ピアノを徳川愛子各氏に師事。 1964年3月 作曲、理論を学ぶためフランス・パリへ留学。作曲をトニー・オーバン、フーガをマルセル・ビッチュ、対位法・コラールをノエル・ギャロン各氏に師事。
船戸 安之(ふなと やすゆき、1935年10月20日 - 1… 船戸 安之(ふなと やすゆき、1935年10月20日 - 1990年5月7日)は日本の作家。 埼玉県本庄市生まれ。早稲田大学第一文学部国文科卒、同大学院日本文化研究科修士課程修了。埼玉県立熊谷高等学校教師などを務め、1972年小説『蔡琰』で第3回埼玉県文学賞受賞。詩集に『喝采』、評論に「野坂昭如の文体」「野坂昭如と親族」などがある。1988年私小説「ハホー・ピュッ」にて第19回埼玉文芸賞。船戸鏡聖(あきまさ)のペンネームもある。
杉崎 喬(すぎさき たかし、1935年10月20日 - )は… 杉崎 喬(すぎさき たかし、1935年10月20日 - )は、日本の録音技師である。東京録音現像チーフミキサーを経て、ニューメグロスタジオ常務取締役を歴任した。日本映画・テレビ録音協会元会員。 1935年(昭和10年)10月20日、日本統治時代の朝鮮の全羅南道光州府(現在の大韓民国光州広域市)に生まれる。 第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)4月、新制・神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学、1954年(昭和29年)3月、同校を卒業する。1955年(昭和30年)、東京録音現像に入社、録音部に配属される。同社はいわゆる「目黒スタジオ」と通称され、同社創業者であり代表取締役であった金井喜一郎(1901年 - 1961年)は、都映画社代表や、伊藤武郎らの独立映画の監査役も務めており、したがって同社は、独立系のアフレコや現像を請け負うポストプロダクションであった。
武藤 章生(むとう しょうせい、1935年10月20日 - … 武藤 章生(むとう しょうせい、1935年10月20日 - 1995年11月5日)は、日本の俳優。本名:武藤 章生(むとう あきお)。 愛知県名古屋市熱田区市場町出身。愛知県立瑞陵高等学校、専修大学卒業。石原プロモーションを経て、大鷲プロに所属していた。 1950年代から60年代にかけては日活の専属脇役として数々の映画に出演し、1970年代からはテレビドラマを中心に活躍。 日活時代に共演した石原裕次郎の信任のもと、『大都会』『西部警察』など石原プロモーション制作の刑事ドラマシリーズに準レギュラーとして継続出演した。 1995年11月5日死去。60歳没。 特技は名古屋弁、関西弁。
村串 仁三郎(むらくし にさぶろう、1935年(昭和10年)… 村串 仁三郎(むらくし にさぶろう、1935年(昭和10年) 10月20日- )は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。専門は労働経済学。 東京に生まれる。1958年に法政大学社会学部(2部)を卒業し、1963年に同大学大学院社会科学研究科経済学専攻修士課程を修了、1969年に同大学院博士課程を単位取得後満期退学する。1969年に法政大学経済学部専任助手、1970年に助教授、1980年に教授に就任する。1982年に『日本炭鉱賃労働史論』で経済学博士(法政大学)取得する。2006年3月、定年退職する。 2016年に行われた『高度成長期日本の国立公園』の出版記念会で、弟子の中村寿徳にスピーチを求め、中村は、環境保護運動で有名な南方熊楠とを対比して述べた。
伊藤 慶二(いとう けいじ、1935年〈昭和10年〉10月1… 伊藤 慶二(いとう けいじ、1935年〈昭和10年〉10月19日 - )は、日本の陶芸家、現代美術家。岐阜県土岐市出身で、同地で創作活動を続ける。本名の読みは「よしじ」。 岐阜県土岐郡和泉町大富(現・土岐市泉町)に次男として生まれる。二男二女の4人きょうだいだった。10歳で終戦を迎えた時に父から聞かされた「広島という町に原子爆弾が落とされ、何万人もの人間が亡くなった。」との話が強い記憶として残る。これが後の「HIROSHIMA」シリーズを創作するきっかけとなる。 1954年に岐阜県立多治見工業高等学校図案科を卒業して武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に進む。美術学校の油画科では森芳雄、山口長男、棟方志功らに学ぶ。
村田 純一(むらた じゅんいち、1935年10月19日 - … 村田 純一(むらた じゅんいち、1935年10月19日 - )は、日本の実業家。村田機械会長、京都商工会議所名誉会頭、京都文化交流コンベンションビューロー理事長、国立京都国際会館副理事長を務めている。 京都府京都市出身。1958年に慶應義塾大学法学部を卒業し、アメリカのバブソン大学大学院での修了を経て、1960年に村田機械に入社した。 1970年に社長に就任し、2003年から会長に就任した。この間、1999年から2004年まで日本繊維機械協会会長を務めた。 2001年から2007年までに京都商工会議所会頭や日本商工会議所副会頭を務め、「古典の日」の制定を宣言するなど古典の普及にも力を入れ、退任後、京都商工会議所名誉会頭。