長屋 恭一(ながや きょういち、1948年11月17日 - … 長屋 恭一(ながや きょういち、1948年11月17日 - )は、岐阜県出身の元フィールドホッケー選手。岐阜県立岐阜総合学園高等学校体育教諭・男子ホッケー部総監督を歴任。現在は朝日大学経営学部ビジネス教授として、朝日大学体育会ホッケー部の指導にあたる。指導力と魅力的な人柄に、全国の強豪校から多くの高校生が朝日大学ホッケー部の門を叩く。また教え子の多くが全日本代表チームで活躍している。元ホッケー男子日本代表監督。 岐阜西工業高でホッケーを始め、天理大学進学後、在学中に1968年メキシコシティーオリンピックに出場。アジア競技大会では銀メダルを獲得した。 卒業後は、教員として可児工業高に赴任し、ホッケー部を8年間指導。
二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )… 二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )は、ブラジルの法学者、弁護士、翻訳家。サンパウロ大学法学部博士教授。専門は、比較法、国際法、日伯外交史、移民史。長野県上田市出身。 ブラジル連邦共和国の弁護士(ブラジル弁護士会サンパウロ支部登録26565号)として、日本企業の法務に携わるほか、ブラジルと日本の両国の大学で教鞭をとる。留学先の東京大学大学院法学政治学研究科においては、高野雄一、池原季雄および星野英一にそれぞれ指導を受ける。 日系人の移民の歴史にも造詣が深く、また、日本の公人がブラジルを訪問した際、逆にブラジルの公人が日本を訪問した際の通訳を務める。 CIATE 国外就労者情報援護センター理事長、一般財団法人あしなが育英会賢人達人会メンバー、日本学術振興会(JSPS)顧問(サンパウロ海外アドバイザー)、国際協力機構(JICA)顧問を務める。
増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいし… 増位山 太志郎(ますいやま だいしろう、歌手活動時は「たいしろう」、1948年11月16日 - 2025年6月15日)は、東京都墨田区(大相撲の登録上は兵庫県姫路市)出身で三保ヶ関部屋に所属した大相撲力士。最高位は東大関。 引退後は10代三保ヶ関として三保ヶ関部屋師匠を務めた。日本相撲協会を定年退職した後は本格的に歌手(ムード歌謡・演歌)として活動し、ゴールデンミュージックプロモーションに所属した。 7代目増位山。大関・増位山大志郎の長男として東京の三保ヶ関部屋で生まれる。生まれも育ちも東京都であるが、日本相撲協会発表の出身地は実父と同じ兵庫県姫路市となっており、番付の出身地欄も「兵庫」と記されていた。
田井 一郎(たい いちろう、1948年(昭和23年)11月1… 田井 一郎(たい いちろう、1948年(昭和23年)11月16日 - )は、日本の実業家、元東芝取締役代表執行役・副社長。岡山県高梁市出身。先端技術学生論文表彰の審査委員を務める。 1948年(昭和23年)岡山県高梁市に生まれる。その後、地元の岡山県立高梁高等学校へ進学し、同期には、ソニー常務取締役となるFeliCaを開発した伊賀章、岡山大学医学部教授になる三村哲重がいる。その後、東京大学へ入学。元JR北海道社長の小池明夫や弁護士の濱田俊郎は、高梁高校から東京大学へ進学した2歳年上の先輩として深い親交があった。東京大学工学部を卒業後、同大学工学系研究科原子力工学専攻を経て東芝へ入社した。大学での研究は、原子力高速炉の計測装置の開発である。
マルコン・シャンドル(英語: Markon Sandor、1… マルコン・シャンドル(英語: Markon Sandor、1948年11月16日 - ) は、ハンガリー出身の研究者・教育者であり、日本に住んでいる。現在神戸情報大学院大学の教授である。
瀬尾 育生(せお いくお、1948年11月16日 - )は、… 瀬尾 育生(せお いくお、1948年11月16日 - )は、日本の詩人、ドイツ文学者。東京都立大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1973年、東京大学文学部独文科卒業。東京大学大学院人文科学研究科独文科修士課程修了。1991年、湾岸戦争の際に藤井貞和と論争を行った。1996年、詩集『Deep purple』で第26回高見順賞を受賞。2006年、『戦争詩論 1910-1945』で第15回やまなし文学賞を受賞。2010年、稲川方人との共著『詩的間伐―対話2002-2009』で第1回鮎川信夫賞受賞。文芸評論家の神山睦美、詩人の福間健二などとGENIUSの会をつくり、ガリ版刷GIPを発行した。名古屋工業大学助教授、旧・東京都立大学教授、首都大学東京教授を経て、同名誉教授。
大庭 誠介(おおば せいすけ、1948年11月16日 - )… 大庭 誠介(おおば せいすけ、1948年11月16日 - )は、静岡県出身の歯科医・ラリードライバー。 日本大学歯学部を卒業し、浜松市に自身の歯科医院を経営している。 大学在学中からラリーを始め、1979年から1993年までADVAN PIAA ラリーチームに所属。全日本ラリー選手権(JRC)、世界ラリー選手権(WRC)、RACラリー(現ウェールズ・ラリーGB)、ラリージャパンなどに参戦した。 1993年で一旦ラリードライバーから引退するも、1998年に現役復帰。 2005年には、全日本ラリー選手権2輪駆動Cクラスで年間チャンピオンを獲得。2008年に現役を引退。 2009年より2013年まで、自身のプライベーター参戦体制のREPSOL-ADVAN-RALLY TEAMを改変する形で「REPSOL-ADVAN RALLY HELP-SERVICE(のちにREPSOL ADVAN HELP SERVICEに名称変更)」を立ち上げ、全日本ラリー選手権に参戦するプライベーターの中で、サービス体制が準備できないエントラントたちのためにサービスを行う。
北村 俊昭(きたむら としあき、1948年(昭和23年)11… 北村 俊昭(きたむら としあき、1948年(昭和23年)11月15日 - )は、日本の官僚、経営者。元経済産業審議官。株式会社INPEX相談役。元石油鉱業連盟会長。北海道小樽市出身。 北海道小樽潮陵高等学校を経て、1972年(昭和47年)東京大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、通商産業省入省(鉱山石炭局石炭部炭政課)。貿易経済協力局、製造産業局、通商政策局各局長を歴任し、2006年(平成18年)に経済産業審議官となり、2007年(平成19年)に退官する。 退官後は東京海上日動火災保険顧問、早稲田大学大学院客員教授をへて、2009年(平成21年)に国際石油開発帝石副社長に就任。2010年(平成22年)から同社社長を務める。
猿田 寿男(さるた ひさお、1948年(昭和23年)11月1… 猿田 寿男(さるた ひさお、1948年(昭和23年)11月15日 - )は、日本の政治家。元千葉県勝浦市長(2期)。 千葉県大多喜町に生まれる。千葉県立大多喜高等学校卒業。明治大学法学部卒業後、千葉県庁に入庁。総合企画部参事兼知事室長、地域振興担当部長、商工労働部長などを歴任した。 2009年(平成21年)6月、千葉商工会議所専務理事に就任。 2011年(平成23年)4月、勝浦市副市長に就任。同年6月12日、勝浦市長の山口和彦が肺がんのため死去。これに伴って行われた市長選挙(7月24日告示、7月31日投票)に立候補し無投票で初当選した。2015年(平成27年)の市長選も無投票で再選。 2019年(令和元年)の市長選挙では、自民党・公明党の推薦を得て3選に挑むも、元市議の土屋元に敗れた。
湯木 博恵(ゆき ひろえ、本名:新沼 博江(にいぬま ひろえ… 湯木 博恵(ゆき ひろえ、本名:新沼 博江(にいぬま ひろえ、旧姓:湯木)、1948年11月15日 - 2011年9月7日 )は、日本のバドミントン選手。世界一に4度君臨したバドミントン女王。日本人で唯一のバドミントン殿堂入り選手。夫は演歌歌手の新沼謙治。 広島県安芸郡海田町で生まれ、1歳で岡山県岡山市に移った。山陽女子高等学校3年の時、高校総体で初優勝。 日本女子体育大学2年だった1969年、全英オープン選手権女子シングルスで初優勝を果たすと2年連続を含む計4度優勝。全英オープンは1977年に世界選手権が創設されるまで事実上の個人の世界選手権だったので、世界一に4度君臨したことになる。この偉業を称え、持ち回りの純銀製優勝プレートの永久保存を許された。
清川 徹(きよかわ とおる、1948年11月15日 - )は… 清川 徹(きよかわ とおる、1948年11月15日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 広島市立舟入高等学校を経て中央大学法学部卒業後、1971年入局。北は北海道から南は沖縄まで全国各地で勤務。趣味はゴルフ、映画鑑賞。定年後も広島放送局の番組に出演していたが、2021年3月限りで退職した。
平松 邦夫(ひらまつ くにお、1948年11月15日 - )… 平松 邦夫(ひらまつ くにお、1948年11月15日 - )は、日本の政治家、元アナウンサー。第18代大阪市長。
丸尾 充(まるお みつる、1948年11月15日 - 201… 丸尾 充(まるお みつる、1948年11月15日 - 2016年6月4日)は、日本の元バスケットボール選手。元日本バスケットボールリーグ理事長。元日鉄住金鋼管社長。 1967年、静岡県立静岡高等学校卒業。慶応義塾大学商学部を卒業後の1971年、住友金属工業に入社。 大学1年からレギュラーとして活躍。大学3年の春、関東大学トーナメント大会で優勝。大学4年の1970年には、ユニバーシアードトリノ大会に日本代表選手として出場。1971年から1985年まで東南アジア、オーストラリアなど海外に遠征し、住友金属工業バスケットボール部で日本リーグ、オールジャパンに各4回計8回優勝。 2008年、日鉄住金鋼管社長に就任。
田中 文夫(たなか ふみお、1948年11月15日 - )は… 田中 文夫(たなか ふみお、1948年11月15日 - )は、日本のテレビプロデューサー。 毎日放送のプロデューサーとして活躍し、取締役編成部長、常務取締役、専務取締役などを歴任した。 兵庫県龍野市(現・たつの市)出身。1972年3月、東京大学教養学部卒業後、4月に毎日放送入社。入社以来、ラジオ番組『MBSヤングタウン』のディレクターを経て、テレビ番組制作となってからはTBS系列全国ネット・関西ローカルのテレビ番組のディレクター・プロデューサーを務めた。 2001年6月ラジオ局長、2003年6月取締役編成局長を経て、2005年より常務取締役(編成局・製作局・報道局担当)を務め、2007年6月27日より専務取締役兼業部門総括兼オーサカキング推進担当兼オーサカキング推進室長だが、2009年6月25日付から専務取締役テレビ部門統括に肩書きが変更となり、2011年6月23日付で顧問に就任。
笹倉 明(ささくら あきら、1948年11月14日 -)は、… 笹倉 明(ささくら あきら、1948年11月14日 -)は、日本の小説家。タイ在住の上座部仏教の日本人比丘(僧侶)。比丘としての名前はプラ・アキラ・アマロー。 シンガーソングライター・レコーディング・エンジニア・スタジオ兼カフェのオーナーで内装職人の笹倉慎介は実子。 兵庫県西脇市生まれ。淳心学院高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。広告代理店、フリーの雑誌記者等を経て、1980年、日本人青年の異国放浪を描いた『海を越えた者たち』(第4回すばる文学賞佳作入選)でデビュー。 1988年、『漂流裁判』で第6回サントリーミステリー大賞受賞。翌1989年、ジャパゆきさんによる殺人事件をテーマにした長編小説『遠い国からの殺人者』で第101回直木賞を受賞。
山本 繁太郎(やまもと しげたろう、1948年〈昭和23年〉… 山本 繁太郎(やまもと しげたろう、1948年〈昭和23年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉3月15日)は、日本の政治家、元建設官僚。山口県知事(第46代)を務めた。 山口県柳井市出身。山口県立柳井高等学校から東京大学法学部第2類(公法コース)卒業後、1972年(昭和47年)に建設省(後の国土交通省)に入省し、住宅局長等を歴任。以降は内閣府等を経て、麻生内閣のもとで務めた内閣官房地域活性化統合事務局長を最後に退官。 2008年(平成20年)には福田康夫内閣で初めての国政選挙となる衆議院山口2区補欠選挙に自由民主党公認、公明党推薦で立候補。この補選は山口2区選出の福田良彦(自民)が岩国市長選へ立候補するため議員辞職したこと(後に市長選に当選)に伴うものだった。
山﨑 恒(やまざき ひさし、1948年11月14日 - )は… 山﨑 恒(やまざき ひさし、1948年11月14日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元公正取引委員会委員。元札幌高等裁判所長官。千葉県出身。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 … 青葉城 幸雄(あおばじょう ゆきお、1948年11月14日 - )は、宮城県仙台市太白区出身で押尾川部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した元大相撲力士。本名は庄司 幸雄(しょうじ ゆきお)。現役時代の体格は181cm、152kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。最高位は西関脇(1983年7月場所)。愛称は「土俵の鉄人」。初土俵(序ノ口)以来1630回の連続出場記録保持者であった。 中学時代はサッカー部に所属していた一方で、小学5年生の頃から自転車やサッカースパイクを買うために新聞配達を行っていた。この新聞配達を冬の雪の中でもひたすら行ったことが、健康面や精神面の修養に効果をもたらした。相撲経験は皆無であったが、横綱・大鵬のような力士になりたいと卒業直前に力士を志し、アルバイトで貯めた金で上京して大鵬が所属する二所ノ関部屋に出向き入門を許可された。
増田 みず子(ますだ みずこ、1948年11月13日 - )… 増田 みず子(ますだ みずこ、1948年11月13日 - )は、日本の小説家。東京都足立区千住関屋町出身。本名、榛名みず子。 東京都立白鷗高等学校に入ったが、受験校の校風に反発して中退し、東京都立上野高等学校の定時制に再入学。のち、当時の心の傷跡を自伝的な作品『内気な夜景』の題材にした。東京農工大学農学部植物防疫科卒業。日本医科大学第二生化学教室勤務を経て「死後の関係」で新潮新人賞の候補となり、小説家としてデビューする。 元来、男女問わず独身生活を主題とする作家だったが、1986年の『シングル・セル』はその到達点ともいうべき長編で、「シングル」という語が少し流行語となり、また話題となった。 近年は青山学院女子短期大学で創作を指導しながら、雑誌に短篇を発表している。
野木 秀子(のぎ ひでこ、1948年11月13日[要出典] … 野木 秀子(のぎ ひでこ、1948年11月13日[要出典] - )は、日本の情報技術者、実業家。日立製作所システム開発研究所を経て、ソフトウェア企業CIJの常務取締役、副社長、CIJ America代表取締役社長などを歴任した。横浜市教育委員会教育委員、中央教育審議会委員も務めた。女性のキャリア形成支援を目的とするキャリア研究会会長としても活動している。。 1970年代の日本のソフトウェア産業創成期に企業の技術部門で活動した女性技術者の一人であり、男女雇用機会均等法制定以前の時代に大企業の技術職としてキャリアを築いた[独自研究?]。 兵庫県出身。兵庫県立生野高等学校[要出典]を経て、1971年に京都教育大学理学科(物理学専攻)を卒業。
高橋 隆雄(たかはし たかお、1948年11月13日 - 2… 高橋 隆雄(たかはし たかお、1948年11月13日 - 2020年6月16日)は、日本の哲学者・倫理学者。熊本大学名誉教授。 1948年、神奈川県に生まれる。東京大学工学部船舶工学科卒業。東京大学大学院博士課程単位取得退学(哲学専攻)。1981年、熊本大学大学院社会文化科学研究科に着任、その後教授として、応用倫理学の開拓に従事した。ヴィトゲンシュタイン研究、日本思想研究、生命倫理学研究、環境倫理学研究、調査倫理学研究、ケアの倫理研究、工学倫理研究、災害倫理研究などを手がけた。第6回日本医学哲学・倫理学会学会賞を受賞。 2014年3月、熊本大学を定年退職。2014年4月、熊本大学博士課程教育リーディングプログラム客員教授(- 2018年3月)。
藤井 明(ふじい あきら、1948年11月13日 - )は、… 藤井 明(ふじい あきら、1948年11月13日 - )は、日本の建築理論家。建築評論家。東京大学名誉教授。 岡山県生まれ。1971年東京大学工学部建築学科卒業。1977年同大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了(工学博士)。 1996年より東京大学生産技術研究所教授。都市形態学専攻。建築計画、都市解析と平行して世界の伝統的集落の調査を行ない、40カ国以上を調査している。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
佐藤 謙(さとう けん、1948年11月13日 - )は、日… 佐藤 謙(さとう けん、1948年11月13日 - )は、日本の生物学者(生態学者)。学術博士(広島大学)。北海学園大学名誉教授。 岩手県江刺市(現奥州市)出身。1971年北海道大学農学部農業生物学科卒業。1973年北海道大学大学院農学研究科農業生物学専攻修士課程修了。 1973年北海学園大学教養部講師。1980年北海学園大学教養部助教授、1987年北海学園大学教養部教授。1998年北海学園大学工学部教授。同年から1年間スイス連邦工科大学リューベル地植物学研究所留学。2002年北海学園大学工学部社会環境工学科教授。2004年社団法人北海道自然保護協会会長に就任。2009年カルガリー大学留学。2012年北海学園大学工学部生命工学科教授。
山崎 博昭(やまざき ひろあき、1948年11月12日 - … 山崎 博昭(やまざき ひろあき、1948年11月12日 - 1967年10月8日)は、日本の学生活動家である。第1次羽田事件で死亡した学生として知られる。 高知県生まれ。大阪市立茨田中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1967年京都大学文学部に入学し、同年4月に革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に参加。高校時代は「大手前高校社研(社会研究会)」で活動したほか、中核派系の反戦高協大阪府委員会結成に参加している。デモや集会に度々参加し、砂川闘争にも加わっていた。 1967年10月8日の第1次羽田事件(佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止運動)に参加。羽田空港への突入を図る学生らと機動隊が海老取川に架かる弁天橋で激しい攻防を展開し、機動隊から奪った警備車兼放水車を暴走させるなど学生が激しく機動隊を攻撃する中、警備車が通った後に倒れているのを発見された。
石橋 正次(いしばし しょうじ、1948年11月12日 - … 石橋 正次(いしばし しょうじ、1948年11月12日 - )は、日本の俳優、歌手である。本名は石橋 正次(いしばし まさつぐ)。 大阪府大阪市東住吉区の出身で、大阪電気通信高校電子工業科を卒業し、ホリプロ、児山美栄事務所などを経て、HIDEKO事務所に所属する。 高校卒業後に上京し、1967年10月に新国劇へ入団して舞台俳優を志す。 1970年に藤田敏八監督から見出され、日活映画『非行少年 若者の砦』で主人公の少年役に起用される。1970年に、ボクシング劇画『あしたのジョー』の舞台と映画でともに主演し、コロムビアレコードから『あしたの俺は』で歌手デビューする。 1971年にNHK連続テレビ小説『繭子ひとり』で、主人公の繭子と生き別れた弟を演じた。
戸田 裕一(とだ ひろかず、1948年11月12日 - )は… 戸田 裕一(とだ ひろかず、1948年11月12日 - )は日本の実業家、元社員コピーライター。博報堂DYホールディングス代表取締役社長 兼 博報堂代表取締役社長。
高嶺 剛(たかみね ごう、1948年11月12日 - )は、… 高嶺 剛(たかみね ごう、1948年11月12日 - )は、沖縄県石垣島川平出身の映画監督。京都市在住。 小学生になる前に那覇市に移り住む。1969年、京都教育大学特修美術学科に「国費留学生」として進学。在学中から自主映画を取り始めるが、大学中退。 ほぼ一貫して、沖縄をテーマとする映画を制作している。ジョナス・メカスの影響をもとにドキュメンタリー映画を撮っていたが、『パラダイスビュー』(1985年)からは劇映画に進出。1989年の作品『ウンタマギルー』は日本映画監督協会新人賞、ベルリン国際映画祭カリガリ賞、ナント三大陸映画祭最優秀賞などを受賞した。 2008年の作品『Puppet shaman star』は沖縄を舞台としておらず、京都在住の顔師(祇園祭の稚児の顔に化粧をする職)にして人形つかいの奥山恵介をとりあげたドキュメンタリーである。
島野 容三(しまの ようぞう、1948年11月12日 - )… 島野 容三(しまの ようぞう、1948年11月12日 - )は、日本の経営者。シマノ社長を務めた。 大阪府出身。父親はシマノの二代目社長である島野尚三。 1971年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年に島野工業(現在のシマノ)に入社(1974年入社とする文献もある)。入社後、本社工場で一工員として2年半働いた後、下関工場の工場長・本社営業管理部長・同営業企画部長を歴任した。1986年2月に取締役に就任し、1995年1月に専務を経て、2001年3月に社長に就任。2021年3月に会長兼最高経営責任者に就任。
黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 … 黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 - 2019年4月25日)は、新潟県西頸城郡青海町(現在の糸魚川市)出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は田中 秀男(たなか ひでお)。現役時代の体格は182cm、147kg。得意手は押し、右四つ、寄り。最高位は東関脇。四股名の由来は出身地旧青海町の黒姫山から。 幼少期はプロレスラーに憧れており、プロレスの新聞記事の切り抜きを集めたり、兄弟とプロレスごっこをして過ごしていた。出稼ぎに出た父親が戻ってこず、中学卒業後に家の家計を助けるために大相撲入りを決断し、1964年3月場所において初土俵を踏んだ。 入門前の田中にとってヒーローはとにかく力道山であり、相撲は全く好きではなかった。
井上 健(いのうえ けん、1948年11月11日 - )は、… 井上 健(いのうえ けん、1948年11月11日 - )は、日本の比較文学者、東京大学名誉教授、元日本比較文学会会長。 東京都出身。東京都立戸山高等学校を経て東京大学文学部仏文科に進んだが、英文科に転じて卒業、同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了、大谷女子大学専任講師、神戸大学助教授、京都大学助教授、東京工業大学教授を経て、2005年から東大大学院総合文化研究科教授。2007年日本比較文学会会長に就任。2008年東大比較文学会会長(2011年まで)。2012年東大を退任、日本大学国際関係学部教授。2019年退職。 多くの翻訳を行うのみならず、翻訳に関するエッセイがある。『トイレット部長』をベストセラーにした藤島茂は従兄である。
高山 秀則(たかやま ひでのり、1948年11月11日 - … 高山 秀則(たかやま ひでのり、1948年11月11日 - )は、宮崎県出身の元競艇選手。 初代本栖チャンプであり、1973年9月に36期生として選手登録され、同期には飯田加一・今垣武志らがいる。同年の11月に若松で初勝利を挙げ、1990年の第5回賞金王決定戦競走(住之江)でSG初制覇、1996年の第6回GC決定戦競走(多摩川)でSG・2勝目を挙げる。2年前の1994年第4回(住之江)でも優出するが、3コースを確保して絶好のカド位置に着けたものの、起こしを完全にしくじってホーム水面に置いていかれ、あわや出遅れ返還寸前のコンマ98で6着に終わる。1990年は賞金がアップされたこともあり、今村豊・新井敏司・野中和夫と共に4名同時で誕生した1億円レーサーの一人となる。
糸井 重里(いとい しげさと、1948年〈昭和23年〉11月… 糸井 重里(いとい しげさと、1948年〈昭和23年〉11月10日 - )は、日本のコピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家、実業家。 株式会社ほぼ日代表取締役社長。株式会社エイプ代表取締役。フィールズ株式会社社外取締役。妻は女優の樋口可南子。日本モノポリー協会会長。 群馬県前橋市出身。生誕後に両親が離婚し、司法書士であった父親の元に引き取られ祖母に育てられる。その後、実母と1981年に再会した。 小学校3年の時に父親が再婚。幼少時から漫画好きで漫画家に憧れていた。中学時代は北杜夫に熱中した。 群馬県立前橋高等学校に入学。文学青年の友達ができ、アングラ文学などに目覚める。また、バンカラを気取って一本歯の下駄で学校に通った。
真木 洋子(まき ひろこ、1948年〈昭和23年〉11月10… 真木 洋子(まき ひろこ、1948年〈昭和23年〉11月10日 - 2000年〈平成12年〉7月22日)は、日本の女優。本名:郡司 園子(ぐんじ そのこ)。 東京都渋谷区千駄ヶ谷出身。大東学園高等学校卒業。高校卒業後に劇団青年座入団。 デビュー当時は、柚木れい子(ゆずき れいこ)という芸名であった。 1972年、連続テレビ小説 『藍より青く』のヒロイン・田宮真紀役に抜擢され、これを機に「真木洋子」に改名。健気な戦争未亡人を演じ、注目を浴びる。 翌1973年の映画『日本侠花伝』では、打って変わって激しい気性の女侠客を演じ、大胆なヌードでも話題を呼んだが、東宝宣伝部や主要スタッフからヌードになるよう1ヶ月に渡り説得されるも拒否した。
山口 泰明(やまぐち たいめい、本名:やまぐち やすあき、1… 山口 泰明(やまぐち たいめい、本名:やまぐち やすあき、1948年11月10日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。衆議院議員(7期)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、内閣府副大臣(第3次小泉改造内閣衆議院 外務委員長、自由民主党選挙対策委員長などを歴任。 埼玉県比企郡川島町生まれ。日本大学第二高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒。叔父が武州ガス会長で、その勧めにより、旭川ガスに入社。その後、坂戸ガス・武州ガスと各ガス会社に勤務している。 1996年の総選挙で初当選。以降、小選挙区で4回連続当選。 党総務、衆議院安全保障委員会理事、外務大臣政務官、等を歴任。第3次小泉改造内閣では内閣府副大臣を務めた。
清水 潔(しみず きよし、1948年11月10日[要出典] … 清水 潔(しみず きよし、1948年11月10日[要出典] - )は、日本の歴史学者。前皇學館大学学長・教授。博士(法学)(2008年・京都産業大学)。専門は日本古代史(法制史、朝儀史、古代典籍、古代公卿学の研究)。三重県名張市出身[要出典]。同市在住。2024年、瑞宝中綬章受章。 以下は皇學館学園報第32号(平成23年6月1日号)に拠る。
川崎 あかね(かわさき あかね、1948年11月10日 - … 川崎 あかね(かわさき あかね、1948年11月10日 - )は、日本の女優。本名、奥野 ときゑ。旧姓名、川崎 ときゑ。父親は撮影技師の川崎新太郎。 京都府京都市出身。洛陽女子高等学校卒業。八重子プロに所属していた。 6歳より日本舞踊を学ぶ。 1967年に高校卒業と同時に大映に入社。1968年公開の『陸軍中野学校 開戦前夜』に端役で出演。同年の『妖怪大戦争』ではヒロイン役を演じて実質的なデビュー作となる。以後、『笹笛お紋』(1969年)などに出演。 1971年11月20日封切りの映画『蜘蛛の湯女』に主演。セミヌードが話題になるが、同月29日に大映が倒産したため、1972年1月、松竹へ移籍。同年の映画『女生きてます 盛り場渡り鳥』に主演するが、1973年に退社してフリーとなる。
加藤 千速(かとう ちはや、1948年〈昭和23年〉11月1… 加藤 千速(かとう ちはや、1948年〈昭和23年〉11月10日 - )は、日本の政治家、実業家。三重県尾鷲市長(3期)。 三重県尾鷲市九鬼町出身。慶應義塾大学商学部卒業後、阪急百貨店に入社し、アジア太平洋トレードセンター社長、阪急オアシス社長、阪急百貨店常務取締役などを歴任。 2017年(平成29年)6月11日、岩田昭人の任期満了に伴う尾鷲市長選挙に出馬し、元尾鷲市議会議員の榎本隆吉を破り、初当選。※当日有権者数:16,057人人 最終投票率:77.89 %(前回比: 0.03pts) 就任に際したインタビューで加藤は「小売りの経験を生かし、地場産業の中でも特に水産業の振興を徹底的にやっていきたい」「阪急のネットワークを使い、尾鷲の水産物を欲しているところを見つけ出し、トップセールスを展開していきたい」などと抱負を語った。
平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月… 平田 耕一(ひらた こういち、1948年(昭和23年)11月9日 - )は、日本の政治家、実業家。財務副大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、経済産業大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任。 四日市市天ヶ須賀(富洲原地区住吉町)生まれ。実業家だった父の方針で、特別教育を受けるために公立の四日市市立富洲原小学校ではなく私立小学校(暁学園)の暁小学校、暁中学校で学び、三重県立四日市高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を卒業[要出典]。 石膏ボードメーカーの千代田建材工業に入社して、1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)まで同社の社長を務める。
門野 利治(かどの としじ、1948年11月9日 - )は、… 門野 利治(かどの としじ、1948年11月9日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
本間 洋平(ほんま ようへい、1948年(昭和23年)11月… 本間 洋平(ほんま ようへい、1948年(昭和23年)11月9日 - )は、日本の小説家。本名、唐木田邦男。 長野県長野市生まれ。茨城大学経済学部卒業。デビュー作『家族ゲーム』は、1983年に森田芳光監督・松田優作主演で映画化、長渕剛主演でドラマ化された。2013年には櫻井翔主演で再びドラマ化されている。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
小林 正観(こばやし せいかん、1948年11月9日 - 2… 小林 正観(こばやし せいかん、1948年11月9日 - 2011年10月12日)は、日本の著作家。心学研究家。コンセプター(基本概念提案者)。デザイナー(SKPブランドオーナー)。歌手。2008年には、作詞家「星(ほし)間(あいだ)」としてデビュー。 東京都江東区深川出身。中央大学法学部卒業。 学生時代から人間の潜在能力やESP現象、超常現象に興味を持ち、心学などの研究を行っていた。講演は、年に約300回の依頼があり、全国を回る生活を続けていた[要出典]。 『「そ・わ・か」の法則』『喜ばれる』など、著書にベストセラー作品が多数。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
井馬 博(いま ひろし、1948年11月9日 - )とは、ば… 井馬 博(いま ひろし、1948年11月9日 - )とは、ばんえい競馬の元実況アナウンサーである。有限会社井馬企画 代表。 北海道生田原町 出身、北見市在住。 子供のころからスポーツのアナウンサーに憧れていた。帝京大学卒業 後はサラリーマンをしていたが、友人の結婚式の余興で行った競馬の実況が関係者の目にとまり転職。1980年、30歳を過ぎてからの遅咲きの実況デビューとなった。その後はばんえい競馬のアナウンサー一筋、2004年に病気のため初めて休養 するまで24年間休まず実況を務めるなど、30年以上にわたりほぼ一人でレース実況を担当してきたが、2012年3月に「声が出なくなる前に若い人に経験を積んでもらいたい」と声明を発表、同年3月26日の実況を最後に勇退。
塚本 勝巳(つかもと かつみ、1948年(昭和23年)11月… 塚本 勝巳(つかもと かつみ、1948年(昭和23年)11月9日 - )は、日本の魚類学者。専門は海洋生命科学、特にウナギ研究の第一人者。「うなぎ博士」の愛称で知られる。 岡山県玉野市出身。1964年玉野市立日比中学校卒業、1967年岡山県立玉野高等学校卒業。1971年、東京大学農学部水産学科卒業。 1974年、東京大学大学院農学系研究科水産学専攻博士課程中途退学、東京大学海洋研究所助手。1980年、農学博士(東京大学)。1986年、同研究所助教授、1994年同研究所教授。2010年、東京大学大気海洋研究所教授。2013年同大退職後、日本大学生物資源科学部教授。 独自の海山仮説、新月仮説、塩分フロント仮説に基づき、2008年に海洋でウナギの親魚を捕獲し、2009年5月には世界で初めて天然ウナギの卵をマリアナ諸島西方海域で採集することに成功した。
宮尾 慈良(みやお じりょう、1948年11月9日 - )は… 宮尾 慈良(みやお じりょう、1948年11月9日 - )は、日本の演劇学者、アジア民族造形文化研究所教授、アジア演劇研究センター所長。早稲田大学・慶應義塾大学・日本大学芸術学部などで非常勤講師も務める。父親は宮尾しげをである。1983年から1990年代中旬まで、宮尾 瑛祥名義で代々木ゼミナール英語科講師を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
溝口 常俊(みぞぐち つねとし、1948年(昭和23年)11… 溝口 常俊(みぞぐち つねとし、1948年(昭和23年)11月8日 - )は、日本の地理学者。名古屋大学名誉教授。 1948年、愛知県名古屋市で生まれた。愛知県立明和高等学校を卒業し、名古屋大学文学部史学地理学科に進んだ。1972年に卒業し、同大学院文学研究科に進学。1979年に博士後期課程を単位取得後満期退学。 1981年、名古屋大学文学部助手に採用された。1983年、富山大学教養部助教授に就いた。1994年に教授昇格。1996年、名古屋大学文学部教授に転じ、2001年からは環境学研究科教授。2002年、学位論文『日本近世の畑作地域史論』を京都大学に提出して文学博士号を取得。2013年に名古屋大学を定年退任し、名誉教授となった。
藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本… 藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本の大蔵・金融官僚。東北財務局長、金融庁総務企画局長、(株)ジャスダック証券取引所会長などを歴任。血液型はB型。 秋田県秋田市出身(父母も秋田県)。秋田県立秋田高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1972年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1977年7月 米沢税務署長。その後は和歌山県総務部財政課長、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)、主計局主計官補佐(労働係主査)、主計局主計官補佐(厚生第三係主査)などを務める。1987年7月 大臣官房企画官兼大臣官房文書課。1990年7月 三重県総務部長。1996年7月12日 証券局総務課長。1998年7月1日 東北財務局長。
今西 一(いまにし はじめ、1948年11月8日 - 202… 今西 一(いまにし はじめ、1948年11月8日 - 2022年1月6日)は、日本の歴史学者。小樽商科大学名誉教授。日本経済史、日本近代史を専門に扱い、同和問題で積極的に問題提起する。サハリン・樺太史研究会で副会長を務めた。 京都市東山区出身で、1972年に龍谷大学文学部を卒業後、京都大学農学部研修員を経て、1979年に立命館大学大学院文学研究科修士課程を修了し、1990年に京都大学より農学博士の学位を取得。 1973年に大阪貿易学院高校、京都府立朱雀高等学校の非常勤講師。1980年大阪外国語大学非常勤講師、大阪府立大学、立命館大学、神戸大学などの非常勤講師を経て、1992年小樽商科大学商学部助教授、1994年教授、2014年退職。
山下 晋司(やました しんじ、1948年11月7日 - )は… 山下 晋司(やました しんじ、1948年11月7日 - )は、日本の文化人類学者。東京大学大学院総合文化研究科名誉教授。 1948年、山口県で生まれた。山口県立下関西高等学校を卒業し、東京大学教養学部教養学科文化人類学専攻に進学。1973年に卒業し、東京都立大学大学院社会科学研究科に進み文化人類学を専攻。1978年、博士課程を満期退学。 1984年、広島大学総合科学部助教授に就いた。1987年、学位論文『トラジャ社会の儀礼的構成:動態的民族誌の試み』を東京都立大学に提出して文学博士の学位を取得。1989年、東京大學教養学部助教授に転じた。1995年、同教授に昇格。学界では、2012年から2019年まで総合観光学会会長を務めた。
井上 正嗣(いのうえ しょうじ、1948年(昭和23年)11… 井上 正嗣(いのうえ しょうじ、1948年(昭和23年)11月7日 - )は、日本の政治家。元京都府宮津市長(3期)。 京都府宮津市字中野生まれ。1967年(昭和42年)3月、京都府立宮津高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、立命館大学理工学部土木工学科卒業。同年4月、土木技術吏員として京都府庁に採用される。 2000年(平成12年)4月、商工部次長に就任。2002年(平成14年)6月、福知山地方振興局長、2004年(平成16年)5月、中丹広域振興局副局長就任。2005年(平成17年)1月、宮津市助役に就任。 2006年(平成18年)6月23日、徳田敏夫・宮津市長が健康上の理由により辞職。
高崎 裕子(たかさき ゆうこ、1948年11月6日 - )は… 高崎 裕子(たかさき ゆうこ、1948年11月6日 - )は、日本の政治家。国会議員経験者(参議院北海道選挙区から1期)。弁護士。ペンネームは「高崎ゆう子」としている。また、フェミニストとしても知られる。札幌弁護士会所属。 新潟県生まれ。北海道札幌旭丘高等学校卒業。1971年、北海道大学法学部卒業。1976年、司法試験に27歳で合格し、司法修習31期経て1979年に弁護士登録。北海道合同弁護士事務所勤務ののち、たかさき法律事務所を開設。弁護士業の傍ら、労働法制改悪に反対する懇談会世話人や泊・幌延直接請求の会代表委員などを経て、1989年、日本共産党新人として北海道選挙区から出馬し、第15回参議院議員通常選挙で初当選した。