早坂 文雄(はやさか ふみお、1914年8月19日 - 19… 早坂 文雄(はやさか ふみお、1914年8月19日 - 1955年10月15日)は、日本の作曲家である。宮城県仙台市出身。 1914年(大正3年)、宮城県仙台市東一番丁(現・青葉区)で、早坂順之助・ふみ江の子として生れる。兄弟姉妹は兄(夭折)、弟、妹2人がおり、他に順之助と先妻との間に生まれた異母兄がいた。早坂家は代々宮城県志田郡三本木町の地主の家系で、祖父の代までは裕福だったと言われるが、父(順之助)の代には没落していた。1918年(大正7年)4月頃に北海道札幌市南7条西7丁目(現・中央区)に転居した。ただし、本人は生涯にわたって故郷は北海道ではなく宮城県であるという意識を持っていたという。家庭はこれといって音楽的環境ではなかったが、父は日本画をたしなみ、早坂も旧制・北海中学校(現北海高等学校)入学時には洋画家になろうと思っていたが、15歳の頃から作曲家を志すようになった。
神前 善一(こうざき よしかず、1914年8月19日 - 1… 神前 善一(こうざき よしかず、1914年8月19日 - 1984年2月6日)は、日本の経営者。和歌山県出身。 1932年に和歌山商業学校を卒業し、同年に松下電工に入社。1947年7月に取締役に就任し、1955年1月に常務、1964年9月に専務を経て、1977年2月には社長に就任。1982年2月から副会長を務めた。 1984年2月6日急性心筋梗塞のために死去。69歳没。
河村 勝夫(かわむら かつお、1914年 <大正3年> 8月… 河村 勝夫(かわむら かつお、1914年 <大正3年> 8月18日 - 2002年 <平成14年> 9月13日)は、日本の経営者。フジクラ社長、会長を務めた。位階は従四位。 山口県出身。1939年に東京商科大学を卒業し、同年に藤倉電線(のちのフジクラ)に入社。1967年11月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1973年11月に専務を経て、1976年12月には社長に就任。1982年6月に会長に就任し、1991年6月から相談役を務めた。 1980年4月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2002年9月13日肺炎のために死去。88歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
佐野川谷 安太郎(さのがわや やすたろう、1914年(大正3… 佐野川谷 安太郎(さのがわや やすたろう、1914年(大正3年)8月17日 - 2013年(平成25年)8月18日)は日本の実業家、元佐野安船渠(現・サノヤスホールディングス)社長、会長。大阪府大阪市出身。趣味は、ゴルフ。
土方 三郎(ひじかた さぶろう、1914年8月16日 - 2… 土方 三郎(ひじかた さぶろう、1914年8月16日 - 2002年9月19日)は、日本の経営者。日東電気工業(現:日東電工)社長を務めた。山口県萩市出身。 1935年に高松高等商業学校を卒業し、日立製作所での勤務を経て、同年に日東電気工業(のちの日東電工)に入社。1949年に取締役に就任し、1957年に常務、1961年に専務、1971年11月に副社長を経て、1974年6月に社長に就任。1985年6月に会長に就任し、1989年6月には相談役に就任。 1985年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2002年9月19日老衰のために死去。88歳没。
野澤 晁(のざわ あきら[要出典]、1914年8月15日ー2… 野澤 晁(のざわ あきら[要出典]、1914年8月15日ー2000年5月13日[要出典])は、広島県出身のサッカー選手、日本代表選手(全日本)。フォワード。野澤正雄は実兄。 広島高等師範附属中学(現広島大学附属高校)から1933年、早稲田大学へ入学。早稲田大学ア式蹴球部で、川本泰三、堀江忠男、加茂健、加茂正五、西邑昌一らと関東大学リーグを四連覇、東京大学ア式蹴球部黄金期後の早稲田大学黄金時代に貢献した。 大学在学中の1934年には日本代表に選出され、第10回極東選手権大会(マニラ)出場。足を痛めていた川本に次ぐフォワードとして全3試合にフル出場。第2戦のフィリピン代表戦では、相手に胸を蹴られて肋骨が折れ、意識を無くすほどの重症を負ったが、逆転の決勝ゴールを叩き込むなど3試合3得点を決めた。
延命 直松(えんめい なおまつ、1914年8月14日 - 1… 延命 直松(えんめい なおまつ、1914年8月14日 - 1997年7月10日)は、日本の経営者。アサヒビール社長を務めた。石川県鹿島郡鹿島町(現在の中能登町)出身。 旧制四高を経て1939年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行し、取締役、常務を歴任した。1971年に朝日麦酒専務に就任し、副社長を経て、1976年2月に社長に昇格した。1982年3月に取締役相談役を経て、1983年3月から相談役を務めた。 1984年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 1997年7月10日心筋梗塞のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
花房 英樹(はなふさ えいじゅ/ひでき、1914年8月14日… 花房 英樹(はなふさ えいじゅ/ひでき、1914年8月14日 - 1998年1月9日)は、日本の漢文学者。京都府立大学名誉教授。 1914年、鳥取県鳥取市で生まれた。広島文理科大学大学院を修了。 1949年、西京大学助教授に就いた。後に教授昇格。1959年に校名変更となり、以降京都府立大学教授。1961年、学位論文『白氏文集の批判的研究』を広島大学に提出して文学博士号を取得。在職中は学部長も務めた。停年を迎え、名誉教授となった。その後は京都産業大学教授として教鞭をとり、図書館長も務めた。1985年に京都産業大学を退職。 1998年、肺炎のため死去。
草川 俊(くさかわ しゅん、1914年8月13日 - 200… 草川 俊(くさかわ しゅん、1914年8月13日 - 2000年3月6日)は、日本の作家。宮城県石巻市に生まれる。宇都宮高等農林学校(現在の宇都宮大学農学部)卒業。本名:高橋善三郎。1958年、『黄色い運河』、『長城線』、1964年、『赤い運河』、それぞれ直木賞候補。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
伊村 光(いむら ひかり、1914年8月12日 - 1996… 伊村 光(いむら ひかり、1914年8月12日 - 1996年10月15日)は、日本の銀行家。山口銀行頭取を務めた。 山口県出身。1935年に山口高等商業学校を卒業し、同年に百十銀行に入行。1944年3月に山口銀行に転じ、1960年4月に取締役、1967年4月に常務、1970年4月に専務を経て、1974年5月には頭取に就任。1992年6月から会長を務めた。 1983年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1996年10月15日呼吸不全のために死去。82歳没。
近岡 善次郎(ちかおか ぜんじろう、1914年(大正3年)8… 近岡 善次郎(ちかおか ぜんじろう、1914年(大正3年)8月10日 - 2007年(平成19年)6月3日)は、日本の洋画家。 1914年(大正3年)山形県新庄市に生まれる。1931年(昭和6年)山形県立新荘中学校(現・山形県立新庄北高等学校)を卒業。1933年(昭和8年)文化学院美術部にて、石井柏亭、有島生馬、山下新太郎に学ぶ。1946年(昭和21年)一水会優賞を受賞。1956年(昭和31年)文部省留学生として渡欧した後、帰国。1960年(昭和35年)一水会会員となる。1961年(昭和36年)太平洋地域絵画展に日本代表として出品(「飛びの森の天狗」)。1963年(昭和38年)第6回安井賞受賞。
今野 圓輔(こんの えんすけ、本名は圓助、1914年8月10… 今野 圓輔(こんの えんすけ、本名は圓助、1914年8月10日 - 1982年7月31日)は、日本の民俗学者、毎日新聞社員。 福島県出身。1941年慶應義塾大学文学部国文学科卒業。佐藤信彦、折口信夫から民俗学の薫陶を受けるとともに、柳田國男に師事。毎日新聞社に勤務しつつ、日本民俗学会評議員などを歴任。1947年民俗学研究所設立の際に牧田茂、直江広治らと共に実務面で尽力した。
後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2… 後藤田 正晴(ごとうだ まさはる、1914年8月9日 - 2005年9月19日)は、日本の内務・警察・防衛・自治官僚、政治家。
若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、19… 若松 光一郎(わかまつ こういちろう、本名みついちろう、1914年8月8日 - 1995年11月7日)は、日本の洋画家。コラージュの世界的第一人者。 「大地の歌」。グスタフ・マーラーの「大地の歌」を聞きながら、チベットの古代壁画のイメージで描いた150号超を3枚組み合わせた大作である。 東京国立近代美術館、福島県立美術館、いわき市立美術館、郡山市美術館、そしてアートスペースエリコーナに彼の作品が置かれている。
ジュリアーナ・ストラミジョーリ(Giuliana Stram… ジュリアーナ・ストラミジョーリ(Giuliana Stramigioli、1914年8月8日 ローマ - 1988年7月25日 ローマ) はイタリアの日本学者、実業家。ローマ・ラ・サピエンツァ大学教授。『将門記』の研究者。勲三等宝冠章受章。 1914年8月8日、ローマ生。 1936年、ローマ・ラ・サピエンツァ大学にて学位取得。指導教官はジュゼッペ・トゥッチ。同年、第一回日伊交換留学生として京都帝国大学に留学し、日本語と仏教美術を研究する。2年後イタリアに帰国し、ナポリ大学にて教鞭を執るが、その1年後に国際文化振興会(国際交流基金の前身)の奨学金を得て再び日本に留学する。 1936年から1940年の間、ジャーナリズムの分野で盛んに活動。
伊原 徳栄(いはら とくえ、1914年8月6日 - )は、福… 伊原 徳栄(いはら とくえ、1914年8月6日 - )は、福井県出身のプロ野球選手。
村上 素男(むらかみ もとお、1914年8月6日 - 200… 村上 素男(むらかみ もとお、1914年8月6日 - 2004年5月11日)は、日本の経営者、銀行家。東京都民銀行頭取を務めた。 東京都出身。1938年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1962年に取締役、1965年に常務を経て、1972年2月に東京都民銀行専務に就任し、1973年5月に副頭取を経て、1976年8月には頭取に就任。1979年6月から1982年6月までに会長を務めた。1983年3月から1988年3月に日本銀行政策委員を務めた。 1980年11月に藍綬褒章を受章。 2004年5月11日心不全のために死去。89歳没。
大島 信太郎(おおしま しんたろう、1914年8月5日 - … 大島 信太郎(おおしま しんたろう、1914年8月5日 - 1995年2月24日) は、日本の技術者。国際電信電話副社長や、電気通信学会会長、テレビジョン学会会長などを歴任した。紫綬褒章受章。 1940年九州帝国大学工学部電気工学科卒業、国際電気通信入社。名古屋大学工学部助教授を経て、1950年電気通信研究所入所。喜安善市の下で研究に従事した。1954年国際電信電話入社。1962年九州大学工学博士。国際電信電話取締役研究所長を経て、1977年国際電信電話副社長、電気通信学会会長。1979年テレビジョン学会会長。独創的電気通信研究を行った。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
永松 英吉(ながまつ ひできち、男性、1914年8月4日 -… 永松 英吉(ながまつ ひできち、男性、1914年8月4日 - 1992年11月18日)は、日本の元アマチュアボクシング選手。ベルリンオリンピックライト級日本代表。明治大学卒業。歌手の菅原都々子は妻。 大学時代、1934年から3年連続で全日本選手権ライト級に優勝を収めた。 1936年、ベルリンオリンピックにライト級の日本代表として出場し、1回戦にポイント勝ちを収め、2回戦でこの大会の銀メダリストとなるニコライ・ステパロフ(英語版)(エストニア)との対戦にポイント負けとなった。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 200… 岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 2005年10月24日)は、日本の実業家。元三菱自動車工業顧問。 近藤宏太郎の四男として新潟県に生まれた(出生地は東京府…現:東京都)。1937年京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、三菱重工業に入社。岩崎俊弥(旭硝子創業者)の三女・温子と結婚し、俊弥未亡人(すなわち妻・温子の母)八穂の婿養子となった。 名古屋航空機製作所、名古屋発動機製作所、静岡発動機製作所、川崎機器製作所勤務を経て東京自動車製作所に転じる。1958年10月同所川崎製造部長に、1965年3月川崎自動車製作所副所長に就任。1967年5月同所長となったが、同年妻・温子に先立たれた。
岡田 茂(おかだ しげる、1914年〈大正3年〉8月3日 -… 岡田 茂(おかだ しげる、1914年〈大正3年〉8月3日 - 1995年〈平成7年〉7月20日)は、日本の実業家。三越社長(1972年 - 1982年)。 1972年から老舗百貨店・三越の社長を10年務めて「流通界の革命児」と呼ばれたが、一方で三越社内にワンマン体制を敷いて「岡田天皇」とも呼ばれるほどの権勢をふるった。愛人の竹久みちへの不正な利益供与など背任行為問題を起こしたことで、1982年の「三越事件」により社長職を解任され、後に特別背任で逮捕、裁判で有罪判決を受けるなど、明暗二様を生きた。 京都府京都市で生まれた。父親は雅号を紫郊といい、京友禅染めの下絵描きだったが、岡田が生まれてまもなく上京。
岡田 又三郎(おかだ またさぶろう、1914年8月2日 - … 岡田 又三郎(おかだ またさぶろう、1914年8月2日 - 1984年3月2日)は、昭和期の洋画家、日展理事。東京都出身。荒削りの大胆な技法で背景の省略された処理の巧みさと、伝統的な写実性を兼ね備えた風格ある画風が特徴。岡田三郎助、浦和画家の寺内萬治郎に師事。1965年にフランスのサロン・ドートンヌで日本人初の金賞を受賞、フランス政府から芸術勲章を授与された。 親しい友人に、三木武夫がいる。
大江 季雄(おおえ すえお、1914年(大正3年)8月2日 … 大江 季雄(おおえ すえお、1914年(大正3年)8月2日 - 1941年(昭和16年)12月24日)は、日本の元陸上競技選手。元棒高跳日本記録保持者。1936年ベルリンオリンピック銅メダリスト。京都府舞鶴市出身。旧制舞鶴中学校(京都府立西舞鶴高等学校)、慶應義塾大学卒業。 1935年、第6回国際学生陸上(ブダペスト)で4m10をマークし準優勝した。1936年、4m34の日本新記録を樹立。同年、ベルリンオリンピックで4m25の記録で西田修平と2・3位を分け合い、帰国後にお互いのメダルを切断して「銀・銅2色の友情のメダル」を作成した美談は有名であり、西田は大江を銅メダルながら2位の表彰台に立たせたと言う。
木下 順二(きのした じゅんじ、1914年〈大正3年〉8月2… 木下 順二(きのした じゅんじ、1914年〈大正3年〉8月2日 - 2006年〈平成18年〉10月30日)は、日本の劇作家、評論家。代表作に『夕鶴』がある。日本劇作家協会顧問。母方の伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。著名な進歩的文化人(戦後民主主義者)であった。 東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。父は熊本県伊倉町長を務めた木下弥八郎、祖父は玉名郡長・衆議院議員を務めた木下助之。異母兄は天文学者の木下國助、異母姉・静は侍従次長の木下道雄に嫁いだ。第二女子師範附属小学校を経て郷里熊本市に戻る。実家は祖父の代まで惣庄屋を務めた熊本の名家だった。旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)、第五高等学校を経て1936年、東京帝国大学文学部英文科に入学し、中野好夫の指導でシェイクスピアを専攻した。
福田 克美(ふくだ かつみ、1914年8月1日 - 1987… 福田 克美(ふくだ かつみ、1914年8月1日 - 1987年8月28日)は、日本の実業家。日本ガイシ取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 岐阜県立本巣中学校(現岐阜県立本巣松陽高等学校)を経て、1936年東亜同文書院卒業、日本碍子入社。第一業務部次長を経て、1956年取締役に昇格。1962年常務取締役。1966年専務取締役。1969年取締役社長。1972年藍綬褒章受章。1977年取締役会長。1979年紺綬褒章受章。
梶川 静雄(かじかわ しずお、1914年(大正3年)8月1日… 梶川 静雄(かじかわ しずお、1914年(大正3年)8月1日 - 1978年(昭和53年)2月9日)は、昭和期の労働運動家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 鳥取県気高郡鹿野町(現鳥取市鹿野町)で、梶川俊造の四男として生まれる。鳥取第二中学校(現鳥取県立鳥取東高等学校)、第六高等学校を経て、1924年(大正13年)九州帝国大学法文学部法律科を卒業。 その後、満洲国の大同学院を卒業し、満洲国国務院官吏となった。その後、徴兵されて終戦を迎え、日本に帰国した。鳥取県労働組合会議顧問、日本農民組合鳥取県支部連合会顧問、日本社会党鳥取支部書記長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙に鳥取県全県区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
長岡 三重子(ながおか みえこ、1914年〈大正3年〉7月3… 長岡 三重子(ながおか みえこ、1914年〈大正3年〉7月31日 - 2021年〈令和3年〉1月19日)は、日本の女子水泳選手、実業家、能楽師。 1914年7月31日、山口県徳山市(現在の周南市)で、商家の7人兄弟の次女として生まれる。勉強熱心な家庭で山口県立徳山高等女学校(現在の山口県立徳山高等学校)に進学。同校を卒業したのち、1938年(昭和13年)、23歳の時に長岡守治と結婚し、藁工品の卸問屋「田布施長岡本店」に嫁ぐ。その後、守治との間に2人の子(二男)を授かり、専業主婦として一家を支え続けた。 1968年(昭和43年)、夫・守治が56歳で死去。53歳で家業を継ぐこととなったが、当時藁工品から化学製品への移行期で藁工品は斜陽になりつつあった。
立原 道造(たちはら みちぞう、1914年〈大正3年〉7月3… 立原 道造(たちはら みちぞう、1914年〈大正3年〉7月30日 - 1939年〈昭和14年〉3月29日)は、昭和初期に活躍し、24歳8か月で急逝した日本の詩人。建築家としての足跡も残した。別筆名(旧制一高時代の短歌投稿時に使用)に、三木祥彦・山木祥彦がある。東京帝国大学工学部建築学科卒業、学位(当時は称号)は工学士(東京帝国大学)。東大建築学科在学中の3年間、同学科より辰野賞を連続受賞、詩作では1938年に中原中也賞を受賞。 東京都中央区に生まれた。東京府立三中で芥川以来の秀才と称された。一高在学中に三中の先輩でもある堀辰雄を知り、また室生犀星に師事。東大在学中の夏に、信濃追分に滞在、土地の旧家の孫娘に恋をする。
上林 吾郎(かんばやし ごろう、1914年7月30日 - 2… 上林 吾郎(かんばやし ごろう、1914年7月30日 - 2001年6月21日)は、日本の経営者。文藝春秋社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1939年に早稲田大学文学部国文科を卒業し、同年に文藝春秋新社に入社。 出版部長、「文学界」・「オール讀物」・「週刊文春」・「文藝春秋」各編集長を経て、1961年に取締役に就任し、専務、副社長を経て、1984年6月に社長に就任。1988年5月には会長に就任。 2001年6月21日、肺炎のために死去。86歳没。
中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日… 中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日 - 1992年(平成4年)11月25日)は、日本の内務・警察官僚。警視総監。位階は正四位。 東京都出身。第一高等学校を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年、東京帝国大学法学部を卒業。同年、内務省に入省し計画局属となる。1939年に徴兵され入営。1942年召集解除となる。 内務省に復帰し福岡県警察部職業課長に就任。以後、企画院勤務、内務省防空総本部業務局勤務、神奈川県警察部経済保安課長、同警備第一課長などを歴任し終戦を迎えた。 1946年、内務省警保局防犯課勤務となり、以後、山梨県警察部長、国家地方警察山梨県本部警察長、国家地方警察千葉県本部警察長、国家地方警察本部刑事部鑑識課長、同総務部会計課長、警察庁長官官房会計課長、茨城県警察本部長、警察庁警ら交通部長、警視庁交通部長、警察庁警務局人事課長、警視庁総務部長、同警務部長、警察庁警務局長などを歴任。
加藤 省吾(かとう しょうご、1914年7月30日 - 20… 加藤 省吾(かとう しょうご、1914年7月30日 - 2000年5月1日)は、静岡県富士市出身の作詞家。孫は声優の加藤有生子。 青春時代に聴いた流行歌「丘を越えて」に触発され、作詞家を志すようになった。1935年に単身上京、印刷会社に就職し、合間を縫って自作の歌詞をレコード会社に売り込んだ。1937年に書いた「かわいい魚屋さん」が山口保治の作曲を得て翌1938年にレコード化され、初のヒットとなった。その後音楽新聞社の記者を務めながら作詞を続ける。1946年には海沼實の依頼で創作した「みかんの花咲く丘」が空前の大ヒット、1949年にコロムビアと専属契約を結ぶ。1957年にキングレコードに移籍後は、子供向けテレビ番組の主題歌「隠密剣士の歌」「快傑ハリマオ」などがヒットした。
河合 滉二(かわい こうじ、1914年7月28日 - 199… 河合 滉二(かわい こうじ、1914年7月28日 - 1998年6月29日)は、日本の経営者。サッポロビールの社長、会長を務めた。岡山県井原市出身。 1939年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に大日本麦酒に入社。1949年にサッポロビールに移り、1971年に取締役に就任し、専務などを経て、1978年に社長に就任。1983年に会長に就任し、1985年から取締役相談役を務めた。1961年には上島珈琲会館を設立し、社長に就任した。 1984年に勲三等瑞宝章を受章した。 1998年6月29日肝不全のために横浜市の病院で死去。83歳没。
明石 孝(あかし たかし、1914年〔大正3年〕7月26日 … 明石 孝(あかし たかし、1914年〔大正3年〕7月26日 - 1997年〔平成9年〕5月29日 )は、近畿日本ツーリスト元社長、日本国有鉄道(国鉄)元常務理事である。 東京都出身。1938年〔昭和13年〕に東京帝国大学工学部を卒業した後に鉄道省に入省した。東京鉄道局新橋運輸部運転課長、同運転部電車課長、大阪鉄道管理局運転部長、東京鉄道管理局運転部長、運転局列車課長、名古屋鉄道管理局長、副技術長兼安全企画部長、運転局長など様々な要職での歴任を経て、1965年から1968年には国鉄常務理事東北支社長を務めた。 1968年4月に国鉄を退職し、同6月に近畿日本ツーリストに入社。顧問、専務取締役を経て、1973年から副社長を務めた。
石丸 藤吉(いしまる とうきち、1914年7月25日 - 1… 石丸 藤吉(いしまる とうきち、1914年7月25日 - 1991年11月21日)は、佐賀県佐賀市出身のプロ野球選手(内野手)。
有村 家斉(ありむら いえなり、1914年7月24日 - 1… 有村 家斉(ありむら いえなり、1914年7月24日 - 1997年6月23日)は、鹿児島県出身のプロ野球選手。 鹿児島第二中学校では投手として活躍し、1932年の全九州中等学校野球大会で佐賀中学校との試合では20三振を奪っている。 立教大学では4番ファーストとして出場し、卒業後は満州電業、全鹿児島、林兼造船とノンプロチームでプレー。 1952年に38歳という年齢で大洋ホエールズへ入団。1954年に外野手へ転向するが同年引退。1955年から大洋の二軍コーチに就任し、1957年に退団。 その後は北洋水産、柳川商業高校(現・柳川高校)、関東学院大学で監督を務めた。
南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年… 南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年12月17日)は、日本の社会心理学者。日本女子大学教授・一橋大学社会学部教授・成城大学教授を歴任。日本社会心理学会第3期・第9期・第10期理事長。 1914年、東京市赤坂区田町(現在の東京都港区赤坂)に生まれる。父は医師の南大曹(福島県出身、1878年生まれ。日本医科大学教授、日本消化器病学会会長、財団法人癌研究会理事長、南胃腸病院院長)。近藤達児は父の兄。石川千代松は母方祖母の弟。大倉喜八郎は叔母の祖父であり、林達夫も叔母の縁続きに当たる。 慶應義塾幼稚舎、東京高等学校 (旧制) 尋常科から理科乙類を経て、父親の希望により医師を志すが、父の激務に恐れをなし1937年(昭和12年)東京帝国大学医学部を中退。
斎田 朋雄(さいだ ともお、1914年〈大正3年〉7月23日… 斎田 朋雄(さいだ ともお、1914年〈大正3年〉7月23日 - 2012年〈平成24年〉7月)は、日本の詩人。本名は斎田 友雄(さいだ ともお)。群馬県ペンクラブ会長、西毛文学代表、日本ペンクラブ、日本現代詩人会、群馬詩人クラブ会員。 群馬県甘楽町福島に生まれる。 満州事変勃発の1931年(昭和6年)頃、詩の同人活動を開始した。1953年(昭和28年)、総合文学雑誌『西毛文学』(NCID AA11685096)を創刊した。1957年(昭和32年)群馬詩人クラブを創設。 1971年(昭和46年)、同じ群馬出身の詩人・大手拓次に触れ、その功績を大きく評価。自ら「大手拓次曼荼羅」を著し、『西毛文学』に連載した。
水口 宏三(みなくち こうぞう、1914年(大正3年)7月2… 水口 宏三(みなくち こうぞう、1914年(大正3年)7月21日 - 1973年(昭和48年)3月1日)は、日本の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)。 東京府東京市本郷区本郷(現在の東京都文京区本郷)生まれ。東京府立高等学校を経て、1938年(昭和13年)、東京帝国大学農学部卒業後、農林省入省。1942年-1943年(昭和17-18年)企画院出向。戦後は供米制度に反対、1946年(昭和21年)、全農林職員労働組合を結成して初代委員長に選出、官公庁民主化運動の前面に立ち人事への発言権を得ることに尽力、全官公庁共同闘争委員会議長にもなった。その後、全官公職員労働組合の初代委員長に就任。1947年(昭和22年)の二・一ゼネストでは、中心指導者となる。
杉浦 清(すぎうら きよし、1914年7月20日 - 198… 杉浦 清(すぎうら きよし、1914年7月20日 - 1987年8月22日)は、愛知県西尾市出身のプロ野球選手・監督、旧制中等学校野球指導者、野球解説者。
滝崎 安之助(たきざき やすのすけ、1914年7月20日 -… 滝崎 安之助(たきざき やすのすけ、1914年7月20日 - 1980年9月5日)は、日本のドイツ文学者。東京大学名誉教授。 愛知県出身。1939年東京帝国大学独文科卒業。左翼文学運動に加わる。 戦後は新日本文学会に入りその後『人民文学』にも参加。 学習院大学助教授、東京大学教養学部助教授、1965年教授(ドイツ語)、1975年定年退官、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大内 俊司(おおうち しゅんじ、1914年7月20日 - 2… 大内 俊司(おおうち しゅんじ、1914年7月20日 - 2001年7月4日)は、日本の経営者。山陽特殊製鋼社長を務めた。岐阜県出身。 1938年に日本大学法文学部を卒業し、同年に富士製鉄に入社。1965年に取締役に就任し、1967年に常務、1970年に新日本製鐵常務、1973年に専務、1977年に副社長、1979年に常任顧問を経て、1980年に山陽特殊製鋼社長に就任し、同社の再建に尽力。1986年に会長に就任し、1992年には相談役に就任。新日本製鐵室蘭硬式野球部の初代監督も務めた。 1975年に藍綬褒章を受章し、1984年に勲二等旭日重光章を受章。 2001年7月4日肺炎のために死去。86歳没。
高平 公友(たかひら きみとも、1914年7月18日 - 2… 高平 公友(たかひら きみとも、1914年7月18日 - 2000年2月10日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 富山県出身。滑川商卒。立山町議を1期、富山県議を5期、同議長も務める。1975年、町議や県議として公共の福祉に奉仕して地方自治の発展に貢献したとして藍綬褒章受章。1977年の第11回参議院議員通常選挙に富山県選挙区から自民党公認で立候補して初当選し、2期務める。自民党参議院国会対策副委員長、鈴木善幸内閣科学技術政務次官、内閣委員長などを歴任した。1989年に引退。1990年秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2000年2月10日、胃癌のため富山県富山市の流杉病院で死去、85歳。
浜野 政雄(はまの まさお、1914年(大正3年)7月18日… 浜野 政雄(はまの まさお、1914年(大正3年)7月18日 - 2007年(平成19年)1月9日)は、日本の音楽教育学者。 東京出身。1941年東京音楽学校甲種師範科卒。1941年福井県鯖江師範学校、42年8月青山師範学校(のち東京第一師範学校)教授、1949年東京都教育庁指導主事、56年文部省教科書調査官、1965年東京芸術大学講師、助教授、教授、音楽学部長。1983年名誉教授、武蔵野音楽大学教授。90年春、勲三等旭日中綬章受勲。
山田 禅二(やまだ ぜんじ、1914年7月17日 - 没年不… 山田 禅二(やまだ ぜんじ、1914年7月17日 - 没年不明)は、日本の俳優。本名は万田 正敏(まんだ まさとし)。北海道浦河郡浦河町出身。グループ71に所属していた。 1929年、北海道庁立室蘭商業学校中退後、王子製紙工業苫小牧工場に入社。 映画『大学は出たけれど』を鑑賞したことがきっかけで、1936年に日活多摩川撮影所の美術部に入社 。翌年、俳優に転向し、助演俳優として活動 。戦後は大映に入る 。戯曲座の舞台でも活動した 。1954年に映画製作を再開した日活に戻り、アクション映画の悪役として活躍。1966年にフリーに転向して以降はテレビドラマを中心に活動した 。
内村 皓一(うちむら こういち、大正3年(1914年)7月1… 内村 皓一(うちむら こういち、大正3年(1914年)7月15日 - 平成5年(1993年)12月29日)は20世紀に活躍した写真芸術家。 陰翳を重視する姿勢から作品はモノクロのみであり、カラーのものは一点もない。満州時代の作品は戦争という過酷な状況に生きる名もない人間の姿を写しながら荘厳な印象をあたえるものが多い。帰国後のものは神社仏閣・人物表現を通して日本の風習・礼節の描写に力を入れ、「東洋の幽玄美」と評された。
林 富士馬(はやし ふじま、1914年7月15日 - 200… 林 富士馬(はやし ふじま、1914年7月15日 - 2001年9月4日)は、東京府出身の詩人、文芸評論家、医師。俳号は空花。 東京府大曲に生まれ、父母の郷里である長崎県に育つ。長崎では芥川龍之介の門人だった渡辺庫輔と交友。慶應義塾大学文学部在学中に佐藤春夫の門人となり、1935年夏頃、佐藤邸にて太宰治と知り合う。1939年、佐藤春夫の序文を得て、第一詩集『誕生日』(私家版)を刊行(林修平名義)。しかし、薬物中毒や自殺未遂を繰り返す太宰の激しい生き方を見て一度は文学を断念した。 慶應義塾大学を中退して日本医科大学を卒業し、医師となる。1943年、文学青年時代の三島由紀夫と知り、当時まだ無名だった三島の才能を高く評価。
納家 米吉(なや よねきち、1914年7月15日 - 194… 納家 米吉(なや よねきち、1914年7月15日 - 1941年4月3日)は、和歌山県出身のプロ野球選手(投手、外野手)。 1914年に和歌山市で生まれた。雄小学校から和歌山高等小学校に進み、和歌山中学に進学した。和歌山中学で活躍していたが浪華商業学校にスカウトされる。浪華商時代は甲子園に合計4度出場(第9回選抜中等学校野球大会、第10回選抜中等学校野球大会、第19回全国中等学校優勝野球大会、第11回選抜中等学校野球大会)。昭和9年春の選抜では準決勝で享栄商・近藤金光と二日間にわたる投げ合いの末4対2で下し、同校初の決勝進出。決勝戦では東邦商(現・東邦高校)の立谷順市投手(専修大学)との投手戦となり、0対0のまま延長戦に突入。
丸山 静(まるやま しずか、男性、1914年7月12日 - … 丸山 静(まるやま しずか、男性、1914年7月12日 - 1987年7月2日)は、日本の文芸評論家。 東京帝国大学仏文科卒、京都帝国大学東洋史学科卒。1980年から愛知大学教授を務めた。 風巻景次郎・西郷信綱らと「抒情」を創刊。当初は島木赤彦をはじめ現代日本文学の評論を行ったが、のち文化人類学、民俗学に関心を移し、『熊野考』を遺作として残した。 ジュリア・クリステヴァ、ジョルジュ・デュメジルなどの訳者としても知られる。1968年、現象学会設立。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
熊谷 尚夫(くまがい ひさお、1914年(大正3年)7月11… 熊谷 尚夫(くまがい ひさお、1914年(大正3年)7月11日 - 1996年(平成8年)6月11日)は、日本の経済学者。専門は、厚生経済学・経済政策。学位は、経済学博士(大阪大学・論文博士・1958年)(学位論文「資本主義経済と雇傭」)。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。位階は従三位。岡山県岡山市生まれ。河合栄治郎門下。
室井 綽(むろい ひろし、1914年7月11日 - 2012… 室井 綽(むろい ひろし、1914年7月11日 - 2012年10月5日)は、植物学者。専門は竹の分類、植物の生態。「日本竹笹の会」の会長として研究をリードし、「竹博士」と呼ばれた。 兵庫県赤穂市生まれ。1938年、盛岡高等農林学校農学部(現岩手大学農学部)卒業。1948年、第二神戸中学校(現兵庫県立兵庫高等学校)の教諭となり、1956年、富士竹類植物園(静岡県駿東郡長泉町)の初代園長となる。1962年「有用竹類の形態学的特性とその利用に関する研究」で北海道大学農学博士。1973年、県立兵庫高等学校を退職し、姫路学院女子短期大学教授。同年、兵庫県生物学会長。2012年10月5日、肺炎のため死去。