三船 浩(みふね ひろし、本名:森田肖三、1929年9月28… 三船 浩(みふね ひろし、本名:森田肖三、1929年9月28日 - 2005年7月8日)は、日本の歌手。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。1951年、NHKのど自慢で新潟県代表となり関東・甲信越大会で優勝、全国大会で第3位に入賞。新潟放送でのラジオ制作・DJを経験し上京。 1956年(昭和31年)12月、「男のブルース」(作詞:藤間哲郎、作曲:山口俊郎)で豊かな低音の魅力を生かし、キングレコードより歌手デビュー。芸名の三船浩とは、柔道四段の腕前で講道館の三船久蔵十段から命名。当時、フランク永井・神戸一郎・石原裕次郎と共に低音ブームを巻き起こし一世を風靡した。 その後も、「さようなら故郷さん」「東京だより」「夜霧の滑走路」「黒帯の男」「サワーグラスの哀愁」「小樽の赤い灯が見える」「男の酒場」などのヒット曲を放った。
門田 研造(もんでん けんぞう、1929年9月27日 - 2… 門田 研造(もんでん けんぞう、1929年9月27日 - 2019年5月1日 )は、日本の経営者。 大阪府豊中市出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に川崎製鉄に入社。1978年6月に人事部長に就任し、理事、取締役、常務、専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1995年6月には副会長に就任した。1996年7月に会長に就任し、1998年10月から取締役相談役を務めた。 2019年5月1日左腎盂癌で死去。89歳没。
光崎 育利(みつざき やすとし、1929年9月26日 - 2… 光崎 育利(みつざき やすとし、1929年9月26日 - 2009 <平成21年> 10月27日)は、日本の建築計画・都市計画学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪市立大学)。元建築学教室担当。位階は従五位。 専門は、建築計画・建築設計、都市計画・地区計画。 1949年旧制摂南工業専門学校(旧:関西高等工業学校)建築科卒業。1952年大阪工業大学工学部建築学科卒業(建築学科一期生)。のちに、大阪市立大学(現在の大阪公立大学)大学院にて工学博士。ゼネコン会社勤務を経て、大阪工業大学工学部建築学科助手として着任。1961年講師、助教授を経て、1978年同学科教授。1992年図書館長。1995年定年退職、同大学名誉教授。
佐藤 信行(さとう のぶゆき、1929年9月26日 - )は… 佐藤 信行(さとう のぶゆき、1929年9月26日 - )は、日本の文化人類学者、広島大学名誉教授。 1929年、東京生まれ。南山大学社会学部を卒業し、東京大学大学院社会科学研究科博士課程を中退。 広島大学総合科学部教授に就いた。1966年、学位論文『ペルー南部アンデスの宗教:チンチエーロの事例をめぐって』を東京大学に提出して社会学博士号を取得。1993年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は中京大学教授として教鞭をとり、2000年に退任。
簑原 宏(みのはら ひろし、1929年9月25日 - 199… 簑原 宏(みのはら ひろし、1929年9月25日 - 1999年12月28日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。 旧制福岡県筑紫中学校から西日本鉄道、国鉄志免鉱業所を経て、1950年に南海ホークスへ入団。1年目からいきなり中堅手のレギュラーポジションを獲得し、1番打者として活躍。翌年以降も笠原和夫が不調の際には代わりを頼まれるなど南海の主力打者として3度のリーグ優勝を経験した。 1955年に東映フライヤーズへ移籍。4番打者として活躍した。1956年も4番打者として活躍するが、この年に引退した。 引退後は九州朝日放送やRKB毎日放送で長きにわたって野球解説者を務めた。 1999年12月28日に心筋梗塞のため死去(享年70歳)。
青木 大祐(あおき だいゆう、1929年9月25日- )は… 青木 大祐(あおき だいゆう、1929年9月25日- )は、日本の経営者。安田倉庫社長、会長を務めた。カビ写真家の青木大祐とは別人。 東京都出身。1952年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に富士銀行に入行。1983年5月に常務に就任し、1986年6月には安田倉庫副社長に就任し、1987年1月に社長に昇格。1995年6月に会長に就任を経て、2001年6月に相談役に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
志村 正雄(しむら まさお、1929年9月25日 - 202… 志村 正雄(しむら まさお、1929年9月25日 - 2022年4月24日)は、日本のアメリカ文学者。東京外国語大学名誉教授、鶴見大学名誉教授。 20世紀アメリカ文学専攻で、トマス・ピンチョン、ジョン・バースなどを研究、翻訳した。 東京府豊多摩郡渋谷町(現在の渋谷区広尾)生まれ。評論家のマークス寿子は実妹。 1953年に東京外国語大学外国語学部英米語学科を卒業。1962年ニューヨーク大学大学院英米科修士課程修了。1961年コロンビア大学助手、1962年インディアナ大学専任講師、1964年コロンビア大学兼任講師、1967年鶴見女子大学助教授、1970年横浜市立大学助教授、1972年東京外国語大学助教授、1974年教授、1993年定年退官、名誉教授、鶴見大学教授、2000年退職、名誉教授。
間 宏(はざま ひろし、1929年9月25日 - 2009年… 間 宏(はざま ひろし、1929年9月25日 - 2009年8月14日)は、日本の社会学者。文学博士(論文博士・1966年)(学位論文「日本労務管理史研究 経営家族主義の形成と展開」)。 神奈川県横浜市出身。東京教育大学卒、1958年同大学院産業社会学博士課程満期退学。1966年「日本労務管理史研究 経営家族主義の形成と展開」で文学博士の学位を取得。1958年東京教育大学文学部助手、1961年専任講師、1964年助教授、1976年早稲田大学文学部教授。2000年定年、名誉教授。1975年『イギリスの社会と労使関係』で日経・経済図書文化賞受賞。産業・労働社会学、経営史。
金原 淑郎(きんばら よしろう、1929年9月24日 - )… 金原 淑郎(きんばら よしろう、1929年9月24日 - )は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、自動車技術会会長を務めた。 愛知県立刈谷高等学校を経て、1954年早稲田大学大学院工学研究科修士課程修了。1980年トヨタ自動車工業取締役。1986年トヨタ自動車常務取締役。1988年トヨタ自動車専務取締役。1992年からトヨタ自動車取締役副社長を務め、プロジェクト「G21」を立ち上げて次世代自動車の在り方の検討を行うなどした。1994年自動車技術会会長。運輸省運輸技術審議会自動車部会委員等も務めた。
大井 数雄(おおい かずお、1929年9月24日 - 198… 大井 数雄(おおい かずお、1929年9月24日 - 1986年5月3日)は、日本の翻訳家、人形劇制作者。 長野県小諸町(現・小諸市)出身。1949年東京教育大学在学中に学生人形劇団を組織。劇団人形座を運営したが、1963年に解散。1967年人形劇団カラバスを創設した。 1965年演劇教育賞受賞。ソ連の社会主義リアリズムの人形劇理論を翻訳した。 1959年人形座で上演した「春楡(チキサニ)の上に太陽」(脚本・深沢一夫)は、高畑勲監督のアニメ映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』の原作となった。
北垣 宗治(きたがき むねはる、1929年9月24日 - 2… 北垣 宗治(きたがき むねはる、1929年9月24日 - 2024年3月28日)は、英文学者。同志社大学名誉教授。 1929年、兵庫県城崎郡香住町(現美方郡香美町)出身。1982年、同志社大学文学部英文科卒、同大学院博士課程満期退学、1954年、文学修士(同志社)。1957年、B.Phil.(英国セントアンドルーズ大学)アーモスト大学に半年間学ぶ。ハーヴァード大学で数次にわたり在外研究を行う。1981年「十七世紀英国における翻訳の原理と諸問題」で文学博士。同志社大学文学部教授。1990年定年退職、名誉教授、1991年、新潟県で設立された敬和学園大学初代学長、2003年退任。 クリスチャンで、日本基督教団京都教会に所属していた。
赤木善光(あかぎ よしみつ、1929年9月23日 - 202… 赤木善光(あかぎ よしみつ、1929年9月23日 - 2022年3月1日)は、日本の神学者。東京神学大学名誉教授。 福岡県出身。九州大学文学部哲学科卒業、1956年東京神学大学大学院修士課程修了、日本基督教団東中通教会主任牧師、1961年から1962年までフランス・ストラスブールのプロテスタント神学大学博士課程に学び、帰国後東北学院大学講師、1965年東京神学大学講師、1967年助教授、1972年教授、1973年「信仰と権威 -新約聖書からアウグスティーヌスまで」で東京神学大学神学博士。1966年から1986年まで自由が丘教会主任牧師。1998年東京神学大学を定年退職。 2022年3月1日に死去した。
佐藤 正明(さとう まさあき、1929年9月23日 - )は… 佐藤 正明(さとう まさあき、1929年9月23日 - )は、日本のカトリック聖職者・神学者。 神奈川県藤沢市出身。1948年カトリック教会にて受洗(洗礼名ヨセフ)。上智大学卒、エルマー神学大学倫理神学科卒。玉川大学文学部講師、助教授、教授(教育学)。国際援助団体・手を貸す運動代表。社会福祉法人・地の星理事。西アフリカ・シエラレオネにあるグァダルーペ聖母女子学園(OLG学園)を支援した。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22… 朝倉 直巳(あさくら なおみ、1929年(昭和4年)9月22日 - 2003年(平成15年)2月14日)は、日本のグラフィックデザイナー、美術教育者。 日本、中国、台湾で大学教授を務めた。 静岡県立静岡中学校を経て、東京教育大学教育学部芸術学科構成専攻を卒業後、グラフィックデザイナーとなる。1960年(昭和35年)、福島大学教育学部に採用されて以降、40年以上に亘り大学教員として歩む。京都学芸大学を経て筑波大学教授、1990年(平成2年)、文教大学教授、2001年(平成13年)、台湾・崑山科技大学視覚伝達設計系客座教授。デザイン学、構成学の発展に寄与した。広州美術学院名誉教授(中国)、山東工芸美術学院大学名誉教授(中国)、天津美術学院大学客座教授(中国)。
高 昇孝(こうしょうこう、こすんひょ、朝: 고승효, 192… 高 昇孝(こうしょうこう、こすんひょ、朝: 고승효, 1929年9月21日 - 1994年7月19日)は、朝鮮出身の経済学者。 1929年、済州島生まれ。大阪大学法経学部経済学科を卒業し、大学院に進んで経済学博士号を取得。 卒業後は、大阪外国語大学講師などを務めた。在日朝鮮社会科学者協会顧問。1950年、金鐘鳴を中心に姜在彦、金時鐘、呉在陽らと共に『朝鮮評論』を創刊した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 19… 新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 1999年5月13日)は、日本のジャーナリスト、ジャーナリズム研究者。 岩手県盛岡市出身。東京大学文学部独文科卒業。在学中に同大学新聞研究所の第1期研究生となった。1951年共同通信入社。社会部、文化部を経て文化部次長、科学部長、編集委員、調査部長を歴任し、1978年退社して創価大学文学部教授、1993年東京女子大学現代文化学部教授。日本ジャーナリスト会議設立時には共同支部幹事を務め、1973年から1979年まで同会議副議長を務めた。 評論家の樋口恵子とは事実婚の関係にあった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
西原 道雄(にしはら みちお、1929年9月21日 ‐ 20… 西原 道雄(にしはら みちお、1929年9月21日 ‐ 2017年6月25日)は、日本の法学者(民法)。弁護士。神戸大学名誉教授。元近畿大学法学部教授。 父は商法学者の西原寛一。従兄に刑法学者の西原春夫がいる。 1952年、東京大学法学部卒業。指導教官は我妻榮。神戸大学法学部教授を経て、近畿大学法学部教授。 西原は、(1)生命侵害による損害賠償請求権の相続を否定し、(2)生命喪失の事案においては賠償額を離れた「損害額」は客観的には存在せず、完全賠償原則の欠陥を補充するものとして、被害者側の過失を、加害者側の非難可能性の程度を減少させるものとして相殺に用い、(3)通説である差額説を批判したうえで死傷損害説を前提として、「なんらかの意味での損害の類型化,賠償額の定額化が必要」とする、いわゆる西原理論を提唱。
青木 義朗(あおき よしろう、1929年〈昭和4年〉9月20… 青木 義朗(あおき よしろう、1929年〈昭和4年〉9月20日 - 2000年〈平成12年〉9月3日)は、日本の俳優。東京府荏原郡世田ヶ谷町出身。本名は青木 義郎(読みは同じ)。 1946年、目黒工業高等学校卒業。映画演劇研究所の一期生を経て1959年(昭和34年)にデビュー。その渋いキャラクターで幾多のテレビドラマや映画で脇役ながらも重厚な演技で存在感を示した。特に『特別機動捜査隊』では、波島進に代わる番組の顔、三船剛主任刑事として8年間にわたり出演、青木の代表作となった。杉良太郎からの信頼が厚く、杉の舞台、テレビ作品には共演者としてコンスタントに出演し続けた。 2000年(平成12年)9月3日午前1時、食道静脈瘤破裂のため死去(70歳没)。
宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 20… 宮脇 愛子(みやわき あいこ、1929年9月20日 - 2014年8月20日)は、日本の彫刻家。本名・磯崎愛子。旧姓・荒木。夫は建築家の磯崎新。 静岡県出身。熱海の資産家(商家)の一人娘として生まれ、幼少期より病弱のため戦時中も自宅療養し、丈夫になるようにと貴子、幹子と改名を繰り返した。 1945年に広津和郎が近所に転居して以降、家族ぐるみの交流が始まる。1946年に小田原高等女学校(現、神奈川県立小田原高等学校)卒業後、日本女子大学文学部史学科へ入学、東京大学西洋史学科の学生だった宮脇俊三との交際が始まり、俊三を広津に紹介する。在学中に俊三と結婚し(1960年に別居し1965年離婚)、1952年に大学卒業。
仲手川良雄(なかてがわ よしお、1929年9月20日 - )… 仲手川良雄(なかてがわ よしお、1929年9月20日 - )は、日本の西洋史・思想史学者、早稲田大学名誉教授。専攻は古代ギリシア史・西洋思想史。 東京に生まれる。早稲田大学第一文学部卒業。同大学院文学研究科博士課程修了。1976年「ブルクハルトの普遍史と「現代」」で文学博士。1964年富山工業高等専門学校講師、1966年東京工業高等専門学校教員、1976年文部省初等中等教育局、1978年東洋大学教授、1982年早稲田大学教育学部教授。1999年定年、名誉教授。
岡野 行秀(おかの ゆきひで、1929年9月19日 - 20… 岡野 行秀(おかの ゆきひで、1929年9月19日 - 2014年5月9日)は、日本の経済学者。位階は従四位。 専門は交通経済学。東京大学名誉教授、創価大学名誉教授。郵政研究所所長、道路経済研究所理事長等を歴任。道路経済研究所最高顧問兼参与。従四位。東京都出身。
草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9… 草薙 幸二郎(くさなぎ こうじろう、1929年〈昭和4年〉9月19日 - 2007年〈平成19年〉11月11日)は、日本の俳優。 東京市北豊島郡王子町(現:東京都北区)出身。日本大学文学部哲学科中退。劇団民藝を経て、アクターズカンパニーに所属していた。 長男の草薙仁は俳優で、長女の草薙かおりも元女優。 1941年、巣鴨商業に入学したものの、戦災により、津市立励精商業へ転校して卒業。 戦後、日本大学文学部哲学科へ進学するも中退。 定職もなく過ごすうち、1951年に土方与志の人民演劇集団の移動隊に加わって農漁村を巡回。翌年から本格的に新劇俳優を志して劇団民芸の勉強会に研究生として入団。 1956年から1971年に退団するまで民芸の一員として『郡上の立百姓』『イルクーツク物語』ほかの舞台に立つ。
辻井 正(つじい ただす、1929年9月19日 - 2014… 辻井 正(つじい ただす、1929年9月19日 - 2014年7月3日)は、日本の医師・医学者。奈良県立医科大学名誉教授。元日本消化器病学会理事長。2006年、瑞宝中綬章受章。医学博士(東京大学・1960年)(学位論文「アルファーグロブリン増加の機序に関する研究」)。 昭和22年03月 奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)卒業 昭和29年03月 奈良県立医科大学卒業 昭和33年07月~昭和35年3月 奈良県立医科大学(第一内科学)助手 昭和35年04月~昭和35年9月 奈良赤十字病院医員 昭和35年10月 奈良県立医科大学(第一内科学)助手 昭和39年06月 奈良県立医科大学(第一内科学)講師 昭和52年06月 奈良県立医科大学拡充に伴い、新設された、第三内科学[=消化器内科分野]の初代教授となり、平成07年3月までつとめる、以下退職まで学長専任 昭和63年04月~平成04年3月 奈良県立医科大学 附属病院長 平成06年04月~平成10年3月 奈良県立医科大学長(平成08年4月より、奈良県立医科大学看護短期大学部の学長を兼任) 内科学一般、消化器、肝臓病学 肝硬変合併症の病態生理学的背景と治療 胆汁酸代謝、胆汁酸の免疫 次の学会長を務めた。
向井 輝美(むかい てるみ、1929年9月19日 - 199… 向井 輝美(むかい てるみ、1929年9月19日 - 1990年4月20日)は、日本の遺伝学者。 山口県出身。山口県立豊浦高等学校、京都大学農学部卒業。1964年理学博士(東京都立大学 (1949-2011))「キイロショウジョウバエにおける自然集団の遺伝的構成 : 生存力を支配するポリジーンの突然変異率」。国立遺伝学研究所研究員、ノースカロライナ州立大学教授などを経て、1975年九州大学理学部教授。 ショウジョウバエ自然集団の遺伝学的構造の研究で、1966年日本遺伝学会賞、1990年日本学士院エジンバラ公賞受賞。
成田 豊(なりた ゆたか、1929年(昭和4年)9月19日 … 成田 豊(なりた ゆたか、1929年(昭和4年)9月19日 - 2011年(平成23年)11月20日)は、日本の実業家。大手広告代理店・電通グループの会長、ならびに電通の最高顧問を務めた。2010年6月より電通名誉相談役。1993年から長年にわたり電通のトップに君臨した。位階は従三位。 1929年、日本統治下の朝鮮忠清南道天安郡(現在の天安市)生まれ。父清臣(きよおみ)は石川県出身・日本統治下の朝鮮総督府鉄道勤務。母ソメは佐賀県出身。従来、京城府(現在の大韓民国ソウル特別市)生まれと一般に言われてきたが、正確な出生地は天安(ソウルの南約100kmにある街。本人の告白によれば、細かな説明をするのが面倒で京城生まれと言ってきたという)。
寺本 哲治(てらもと てつじ、1929年9月18日 - 20… 寺本 哲治(てらもと てつじ、1929年9月18日 - 2010年2月 )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 田辺高を経て、1949年に読売ジャイアンツに入団。この年より巨人は二軍制を敷いたが、寺本は二軍で打率・本塁打・打点・盗塁の四冠王を獲得する。1950年には初めて一軍に昇格し、7月19日の対大洋ホエールズ戦での先発出場を始めとして7試合で二塁手を守った。その後、1951年に8試合、1954年に1試合の代走出場に終わり、1954年限りで現役を退いた。 引退後は、報知新聞社大阪本社営業局に勤めている。 できたばかりの二軍に入れられるが、一軍を目指して猛練習に励み、巨人における二軍選手の心構えの基盤を築いたと、評価されている。
蟹江 嘉信(かにえ よしのぶ、1929年9月17日 - 20… 蟹江 嘉信(かにえ よしのぶ、1929年9月17日 - 2012年1月20日)は、日本の経営者。 愛知県生まれ。カゴメ株式会社創業者蟹江一太郎の孫で、同社代表取締役社長、日本缶詰協会会長を歴任。カゴメ不動産株式会社(現・カゴメアクシス株式会社)元代表取締役社長の蟹江信孝は長男。 東海中学校・高等学校を経て、1952年(昭和27年)、立命館大学経済学部卒業。 1991年(平成3年)、第5代カゴメ株式会社社長就任と同時に同社を「農業食品メーカー」と規定。「収益力中心経営」をカゴメの経営課題に据え、当時2,000品目以上あった商品を1,000程度に絞り込むなど収益力重視の経営姿勢を貫いた。1996年(平成8年)には社長の座を伊藤正嗣に譲り、自らは相談役に退いて、5代続いた創業家社長の歴史に終止符を打った 。
花岡太郎(はなおか たろう、1929年9月17日- )は、日… 花岡太郎(はなおか たろう、1929年9月17日- )は、日本の作家、文筆家。 大連生まれ、本名は信衛。熊本県立済々黌高等学校卒業、1950年鎌倉アカデミア文学科卒業。1952年に『新潮』で「表通り」(花岡信衛)を発表して文筆生活に入る。 息子は春風亭小朝。父の静一郎は土建業者で、乃木坂に花岡アパートを建て、太郎が家主時代に永六輔、大竹省二らが居住した。
中塚 明(なかつか あきら、1929年(昭和4年)9月17日… 中塚 明(なかつか あきら、1929年(昭和4年)9月17日 - 2023年(令和5年)10月29日)は、日本の歴史学者。奈良女子大学名誉教授。専門は日本近代史、特に近代日朝関係史。 大阪府出身。1953年(昭和28年)、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。奈良女子大学文学部附属高校教諭をへて、1963年(昭和38年)から奈良女子大学文学部に勤務、1993年(平成5年)定年退職。 「九条科学者の会」呼びかけ人、奈良県歴史教育者協議会会長、非核の政府を求める奈良の会常任世話人を務めていた。 2023年10月29日、肺癌のため死去。94歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
矢田部 厚彦(やたべ あつひこ、1929年9月17日 - )… 矢田部 厚彦(やたべ あつひこ、1929年9月17日 - )は、日本の元外交官。筆名綾部克人(あやべ かつひと)。 東京大学法学部在学中に外交官試験に合格し、中退して外務省に入る。駐ベトナム大使、海外経済協力基金理事、1986年大臣官房付。1987年駐オーストリア大使、1989年帰国し待命、1990年駐ベルギー大使、兼ルクセンブルク大使、1992年駐フランス大使。兼ジブチ大使、1994年EC日本政府代表部特命全権大使、同年退官後はソニー顧問を務めた。1999年秋、勲二等旭日重光章受勲。NPO日本アンリ・ファーブル会会長を務める。 父は駐タイ特命全権公使の矢田部保吉。矢田部和彦(パリ第7大学助教授)は長男、矢田部吉彦(元東京国際映画祭プログラミングディレクター)は次男。
狩野 敏也(かの としや、1929年9月17日 - 2019… 狩野 敏也(かの としや、1929年9月17日 - 2019年2月3日)は、日本の詩人、料理評論家。児童書ではかのりゅうの筆名も用いる。 北海道標津郡標津町出身。1952年北海道大学法経学部政治学科卒業後、日本放送協会に就職する。札幌、函館、室蘭、東京の各地で記者、ディレクター、資料部員、考査室主査などを務める。1964年、山之口貘の紹介により土橋治重主宰の詩誌「風」の同人となり、終刊まで参加。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本ペンクラブ名誉会員。俳誌「花林花」同人として俳句も詠んだ。 1987年に退職後、十文字学園女子短期大学教授に就任し、2000年までコミュニケーション論、現代詩作法などを講じた。
水野 繁(みずの しげる、1929年〈昭和4年〉9月16日 … 水野 繁(みずの しげる、1929年〈昭和4年〉9月16日 - 2014年〈平成26年〉9月17日)は、日本の官僚、実業家。大蔵官僚として国税庁長官などを務め、日本たばこ産業社長、整理回収銀行社長、東京経済大学理事長などを歴任した。 群馬県桐生市に、桐生警察署長だった水野栄・タヨの三男として生まれる。群馬師範附属小学校から前橋中学校に進学。戦闘機乗りを志して仙台陸軍幼年学校に学び、終戦後に前橋中学校に復学し1947年卒業。旧制浦和高等学校文科甲類から東京大学へ進む。 1953年に東京大学法学部法律学科を卒業して大蔵省に入省。入省同期に吉野良彦、大場智満、宮下創平、津島雄二、楢崎泰昌らがいる。銀行局検査部管理課に配属。
吉原 賢二(よしはら けんじ、1929年(昭和4年)9月16… 吉原 賢二(よしはら けんじ、1929年(昭和4年)9月16日 - )は、日本の化学者。専門は放射化学。
鈴木 治輔(すずき じすけ、1929年9月16日 - )は、… 鈴木 治輔(すずき じすけ、1929年9月16日 - )は、日本の銀行家。 新潟県出身。1952年に東北大学経済学部を卒業し、同年に第四銀行に入行。1976年12月に取締役に就任し、1980年12月に常務、1983年5月に専務を経て、1988年6月に副頭取に就任し、1990年5月には頭取に昇格。1998年6月に会長に就任。 1995年11月に藍綬褒章を受章し、2001年11月に勲三等瑞宝章を受章。
武田 圭策(たけだ けいさく、1929年9月16日 - )は… 武田 圭策(たけだ けいさく、1929年9月16日 - )は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。 北海道出身。1950年に室蘭工業専門学校電気学科を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1983年1月に取締役、1987年1月に常務を経て、1992年6月に北海道文化放送社長に就任。1998年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 -… 山本 鉱太郎(やまもと こうたろう、1929年9月15日 - )は東京都江東区深川木場出身の旅行作家、劇作家。現在千葉県流山市在住。栃木県立足利高等学校、群馬大学卒。旅行をテーマにした作品の小説が多い。日本旅のペンクラブ代表。 2005年12月、社会教育功労者として文部科学大臣より表彰される。日本ペンクラブ、日本推理作家協会、旅行記者クラブ、日本旅のぺンクラブ、旅行作家の会会員。趣味はカメラ、郷土玩具収集、料理、水泳、ハーモニカ、スケッチ。いまも年間100日は国内外の旅を続けている。
北村 けんじ(きたむら けんじ、本名:北村憲司、1929年9… 北村 けんじ(きたむら けんじ、本名:北村憲司、1929年9月14日 - 2007年8月21日 )は、日本の児童文学作家。 1929年(昭和4年)9月14日、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町)に生まれた。3歳の時に三重県桑名郡多度村(現・桑名市)に転居し、多度村立多度小学校、旧制三重県立桑名中学校を卒業した。18歳だった1947年(昭和22年)、恩師の勧めによって多度小学校の代用教員となった。その後、三重大学学芸学部養成科(現・教育学部)を卒業した。 三重県内の小学校で教員を務めるかたわら、数多くの児童文学を創作した。1970年(昭和45年)、『ハトと飛んだボク』で新美南吉文学賞を受賞した。
転法輪 奏(てんぽうりん すすむ、1929年9月14日 - … 転法輪 奏(てんぽうりん すすむ、1929年9月14日 - 1998年10月3日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長を務めた。三重県四日市市出身。 1952年に東京大学経済学部を卒業し、同年に大阪商船に入社。1981年に取締役に就任し、1984年に常務、1985年に専務を経て、1987年に副社長に就任し、1989年には社長に昇格。1994年6月に会長に就任し、1998年に相談役に就任。社長在任時には円高に伴う海運危機の煽りを受けて、大規模なリストラを実施。1995年4月から経済同友会副代表幹事も務めた。 1992年4月に藍綬褒章を受章。 1998年10月3日特発性間質性肺炎のために死去。
後藤 文雄(ごとう ふみお、1929年9月13日 - 202… 後藤 文雄(ごとう ふみお、1929年9月13日 - 2025年9月17日)は、日本のカトリック教会司祭、神言会士。 1929年、新潟県長岡市の浄土真宗本願寺派の末寺の次男として生まれる。1947年3月、県立長岡中学校(翌年に県立長岡高等学校に改称)を卒業後、代用教員。1950年、岐阜県多治見市の神言神学院に入学。 1955年、南山大学哲学科を卒業後、神学研修を積み、1960年、司祭として叙階を受ける。同期の叙階は他に三好迪ら3人がいたが、3人は後に司祭を辞めて還俗している。 カトリック南山教会、カトリック吉祥寺教会主任司祭など、神言会運営の教会にて司祭を歴任。1981年から1994年まで、14人のカンボジア難民の子どもを次々に里子として引き受け、養育。
笹沼 澄子(ささぬま すみこ、1929年9月13日 - 20… 笹沼 澄子(ささぬま すみこ、1929年9月13日 - 2021年10月25日)は、日本の言語聴覚士である。日本における言語聴覚障害領域の研究と臨床の先駆者であり、世界の失語症研究の第一人者である。Academy of Aphasia名誉会員。 東京都杉並区出身。1953年、津田塾大学学芸学部英文学科卒業。1968年にアイオワ大学大学院で日本人として初めて言語病理学博士の学位を取得し、メイヨークリニック言語病理学科でポストドクトラル・フェローを務め、帰国。東京都老人総合研究所にて言語聴覚研究室を創設し、同研究室室長、リハビリテーション医学部長を歴任。1974年には、日本聴能言語士協会を設立し、会長に就く。
小林 路易(こばやし るい、1929年9月13日 - 200… 小林 路易(こばやし るい、1929年9月13日 - 2002年3月3日)は、日本のフランス文学者・比較文学研究者。早稲田大学名誉教授。東京府(現杉並区)生まれ。1951年早稲田大学文学部仏文科卒、1956年同大学院修了、パリ大学に学び、1964年早大文学部助教授、1969年教授、1979年第二文学部長、1982年第一文学部長、2000年定年退任、名誉教授。フランス政府から教育功労章(Ordre des Palmes académiques)を受ける。
沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12… 沓掛 哲男(くつかけ てつお、1929年〈昭和4年〉9月12日 ‐ 2024年〈令和6年〉1月30日)は、日本の建設官僚、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、通商産業省政務次官(宮澤内閣)、環境副大臣(第二次森改造内閣)、国家公安委員会委員長(第73代)兼内閣府特命担当大臣(防災担当)(第5代)、参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任。 石川県金沢市出身。金沢一中を経て1950年に第四高等学校を卒業し、1953年、東京大学工学部(土木工学)を卒業した。 1953年、建設省に入省し、道路局長などを経て、1985年12月27日、建設技監を最後に退官した。
西山 廣一(にしやま ひろいち、1929年9月12日 - 2… 西山 廣一(にしやま ひろいち、1929年9月12日 - 2026年4月1日)は、日本の実業家で、第7代京王帝都電鉄(現・京王電鉄)社長を務めた。東京都出身。 1951年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1953年に慶應義塾大学院経済研究科を修了し、同年に住友信託銀行に入社。住友信託銀行では、取締役、常務、専務、副社長を歴任した。 1988年をもって、退職し、同年に京王帝都電鉄の顧問に就任した。副社長を経て、1993年6月に社長に就任し、1999年に会長に就任し、2003年に相談役に就任した。 2026年4月1日、敗血症性ショックのため死去。96歳没。
一本松 康雄(いっぽんまつ やすお、1929年 <昭和4年>… 一本松 康雄(いっぽんまつ やすお、1929年 <昭和4年> 9月12日 - 2012年 <平成24年>11月5日)は、日本の経営者。神戸電鉄社長を務めた。一本松珠璣の息子。位階は正五位。 兵庫県出身。1950年に第一高等学校を経て、1953年に東京大学法学部を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。1983年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年6月に専務となった。 約22年間にわたって神戸電鉄の発展に尽力した中田大三の後任として、1992年(平成4年)6月25日の取締役会において神戸電鉄社長に就任する役員人事が決定した。前社長である中田大三の社長方針「ルールを守れ。
サトウ サンペイ(本名:佐藤 幸一〔さとう ゆきかず〕、19… サトウ サンペイ(本名:佐藤 幸一〔さとう ゆきかず〕、1929年9月11日 - 2021年7月31日)は、日本の漫画家。 「平凡なサラリーマンの生活」を描き、「サラリーマン漫画」の創始者と評されるほか、紀行文やエッセイの執筆もおこなった。 愛知県名古屋市生まれ。生家は時計製造販売会社「佐藤時計製作所(サトウクロック)」を営んでおり、サトウの父が大阪で新工場と事務所を手掛けることになったため、2歳から大阪府大阪市天王寺区で育つ。 幼少期は『タンクタンクロー』や『のらくろ』などの児童漫画に親しんだほか、自身でも絵を得意とし、大阪府の図画コンクールで入選したこともあったという。旧制生野中学校入学後は、学徒動員で陸軍造兵廠に徴用され、旋盤工として高射砲用の弾丸製作に従事した。
榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - 2… 榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - 2015年2月8日)は、日本の工業デザイナー。GKデザイングループ創設者。静岡文化芸術大学名誉教授。 GKインダストリアルデザイン研究所所長、世界デザイン機構会長、第4代桑沢デザイン研究所所長、静岡文化芸術大学デザイン学部学部長などを歴任。 東京府生まれ。ハワイ、広島県育ち。両親は広島の出身で僧侶だった。榮久庵祥二元日本大学芸術学部教授は弟。父の跡を継ぐため1945年、江田島の海軍兵学校から原爆が投下された8月の終わりに広島市へ入る。実家の戒善寺は爆心地から500メートルのところにあった。焼け野原に焼けただれた寝台の枠や鉄かぶと、自転車、路面電車が壊れてひっくり返っていた。
河野 昭(こうの あきら、1929年9月11日 - 1995… 河野 昭(こうの あきら、1929年9月11日 - 1995年12月25日)は、愛媛県出身の体操選手、体操指導者。1956年メルボルンオリンピック体操男子団体銀メダリスト。得意種目はあん馬。 宇和島市生まれ。旧制宇和島中(現・宇和島東高)、日本体育専門学校(現・日本体育大学)卒業。竹本正男に師事する。 1952年、1953年、1957年の全日本体操競技選手権大会個人種目別あん馬で優勝。1956年、メルボルン五輪体操男子団体2位、同個人総合16位。1958年、世界体操競技選手権個人種目別あん馬4位。 愛媛大学教授・愛媛大学教育学部附属中学校校長、日本体操協会理事、愛媛県体操協会会長などを歴任した。
矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 197… 矢代 秋雄(やしろ あきお、1929年9月10日 - 1976年4月9日)は、日本の作曲家。 若い頃より英才として将来を期待され、東京音楽学校作曲科、東京藝術大学研究科を卒業した後、パリ国立高等音楽院に留学。和声法で一等賞を得る等、優秀な成績を修めて卒業。晩年は、作曲家として活動する一方、東京藝術大学音楽学部作曲科の主任教授として、後進の指導にあたった。門下より、野田暉行、池辺晋一郎、西村朗、北爪道夫、荻久保和明、糀場富美子、尾高惇忠、池上敏など現在の日本を代表する作曲家を輩出している。完璧主義、寡作主義で知られる。 矢代秋雄は、1929年9月10日、東京の大森で西洋美術、美術史を専門とする評論家、矢代幸雄の長男として生まれた。
川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 20… 川手 生巳也(かわて ふみや、1929年9月10日 - 2022年9月26日)は、日本の経営者。日産火災海上保険社長、会長を務めた。静岡県出身。 静岡県立静岡中学校を経て、1949年、山口経済専門学校卒業。同年、日産火災海上保険に入社。1982年7月、取締役。1985年7月に常務、1988年4月に専務を経て、1989年6月、社長。1995年6月、会長。2000年6月に相談役に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章。 2022年9月26日肺炎のために死去。93歳没。
石川 一成(いしかわ かずしげ、1929年9月8日 - 19… 石川 一成(いしかわ かずしげ、1929年9月8日 - 1984年10月23日)は、昭和時代の歌人・高等学校国語科教諭(神奈川県立厚木高等学校教頭)。竹柏会「心の花」編集委員。 千葉県佐原市に生まれる。旧制東京文理科大学漢文学専攻科を卒業。在学当時から歌人佐佐木信綱に師事。1950年竹柏会に入会し、後に歌誌「心の花」編集委員に就任。神奈川県立藤沢高等学校を経て、1954年から1972年まで神奈川県立湘南高等学校国語科教諭を歴任。神奈川県立総合教育センター国語研究室在職中に中華人民共和国四川省重慶市の四川外語学院に派遣され、同校で2年間、日本人として初めて日本語教師を務めた(1979年から1981年まで)。