樋口 紀男(ひぐち のりお、1940年11月 - )は商学者… 樋口 紀男(ひぐち のりお、1940年11月 - )は商学者、マーケティング論研究者、クリエイティブ・ディレクター。元日本大学商学部教授。 1964年、中央大学商学部商業学科を卒業。1967年、中央大学大学院商学研究科修士課程を修了。その後、同大学で研究者、講師として勤務したのち、博報堂に転職。 1987年、東芝機械ココム違反事件において、共産主義国側との交渉役を務めた。 2010年11月、日本大学商学部教授を退職。大学教授退職後も、大学の非常勤講師としてだけではなく、実業家、政府・企業アドバイザー、ブレーンとして活動。 博報堂勤務時代は、『日清・カップヌードル』・『日清・どん兵衛』、『白鶴酒造・まる』等のマーケティング・ビジネスモデルの設計、デザイン・パッケージ作り、市場導入等の仕事を担当。
山口 佳紀(やまぐち よしのり、1940年11月 - )は、… 山口 佳紀(やまぐち よしのり、1940年11月 - )は、日本語学者、聖心女子大学教授。上代日本語が専門で、古事記を研究する。 1963年東京大学国文科卒、67年同大学院博士課程中退、東大助手、70年より聖心女子大助教授、のち教授。1985年『古代日本語文法の成立の研究』で東大文学博士、新村出賞受賞。
中濱 精一(なかはま せいいち、1940年11月 - )は、… 中濱 精一(なかはま せいいち、1940年11月 - )は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。元産業技術総合研究所高分子基盤技術研究センターセンター長。元高分子学会会長。 1963年東京工業大学理工学部化学工学科卒業。1965年東京工業大学大学院修士課程修了。1973年東京工業大学工学博士。東京工業大学助手、東京工業大学助教授、東京工業大学教授、東京工業大学名誉教授、産業技術総合研究所高分子基盤技術研究センター長、産業技術総合研究所研究コーディネータ(PL)を歴任。1998年高分子学会会長。1999年桜花会副会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
仁木 勝治(にき かつじ、1940年11月 - )は、日本の… 仁木 勝治(にき かつじ、1940年11月 - )は、日本の英文学者。立正大学名誉教授。 北海道生まれ。北海道立檜山高等学校、1963年立正大英文科卒、1971年同大学院博士課程満期退学。同助教授、教授。1995年「フォークナーの「世紀末」と「ギリシャ壷」」で立正大文学博士。2011年定年退任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
吉田 公一(よしだ こういち、1940年10月31日 - 2… 吉田 公一(よしだ こういち、1940年10月31日 - 2018年7月29日)は、日本の政治家。 衆議院議員(4期)、農林水産副大臣(野田第3次改造内閣)、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣政務官(菅直人第2次改造内閣)、練馬区議会議員(2期)、東京都議会議員(3期)を務めた。 東京都練馬区出身。東京都立農芸高等学校、宇都宮大学農学部卒業。1963年に東京都庁に入庁し、経済局に勤務するかたわら明治大学政治経済学部に入学するも、明治大学は1966年に中退した。1967年から参議院議員・石井桂の秘書を務めた[要出典]。1971年、統一地方選挙で練馬区議会議員選挙に立候補し、初当選し、2期務める。その後、参議院議員・原文兵衛の秘書を経て、1981年の東京都議会議員選挙に練馬区選挙区から立候補して当選し、都議を3期務める。
中村 紀雄(なかむら のりお、1940年〈昭和15年〉10月… 中村 紀雄(なかむら のりお、1940年〈昭和15年〉10月30日 - )は日本の政治家。群馬県議会議員(7期)、第75代群馬県議会副議長、第79代群馬県議会議長を歴任した。 1940年10月30日、群馬県前橋市曲輪町(現大手町2丁目)に生まれる。1955年、前橋市立元総社中学校卒業。その後は、実家の製菓業に従事する。1961年、群馬県立前橋高等学校定時制卒業。1969年、東京大学文学部西洋史学科卒業。卒業後、私塾修学館を設立した。 1987年に初めて群馬県議会議員選挙に立候補した際は270票及ばず落選。1988年7月10日、群馬県議会議員補欠選挙に前橋市選挙区から無所属で立候補して、初当選を果たした。
長澤 英俊(ながさわ ひでとし、1940年10月30日 - … 長澤 英俊(ながさわ ひでとし、1940年10月30日 - 2018年3月24日)は日本の彫刻家。現在の中国黒龍江省生まれ。 父親が日本軍の軍医として勤務していた満洲国牡丹江省東寧(トウネイ―現在の中国吉林省東寧・トンニン)で生まれた。1945年の敗戦時、ソ連軍が満洲に侵攻してきたため、長澤と家族は、突然の引揚げを余儀なくされた。助産婦だった母親の実家のある埼玉県比企郡川島郷三保谷村(現在の川島町)に定住した長澤は、県立川越高校時代に数学と絵画に傾倒し、多摩美術大学に進学してからは1963年の卒業まで、建築とインテリア・デザインを学ぶかたわら、空手と徒歩旅行に打ち込んだ。その間、東京上野で毎年開催されていた読売アンデパンダン展などをとおして「グタイ」、「ネオダダ」など当時最先端の前衛動向に親しく接し、芸術の本質が物質・物体に記録されなくても行為と精神に宿るものであることを理解した。
富田 孝佳(とみた たかよし、1940年10月30日 - 2… 富田 孝佳(とみた たかよし、1940年10月30日 - 2015年9月2日)は、徳島県出身のプロ野球選手。 海南高校ではエースとして活躍。1957年秋季四国大会県予選決勝に進み、徳島商の板東英二と投げ合うが敗退。1959年に大洋ホエールズへ外野手として入団。1960年の最終戦で広島を相手に右翼手、八番打者として先発出場を果たすが、その後は出場機会に恵まれず1961年限りで引退。
西田 美昭(にしだ よしあき、1940年10月29日 - 2… 西田 美昭(にしだ よしあき、1940年10月29日 - 2012年10月19日)は、日本の歴史学者。専門は日本経済史。東京大学名誉教授。東京大学社会科学研究所教授・オックスフォード大学客員教授・ミラノ大学客員教授等を歴任。 東京都出身。東京都立豊多摩高等学校を経て1964年横浜国立大学経済学部卒業、1966年一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了、1969年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。一橋大学での指導教官は古島敏雄と永原慶二。永原とともに山梨の農村調査に行き、共同研究論文「日本地主制の構成と段階」を著す。1969年一橋大学経済学部助手(特別研究員)就任。労働組合活動に力をいれ、指導教官の永原らから注意を受ける。
名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は… 名倉加代子(なくら かよこ、1940年10月29日 - )は、日本の振付家。日本ジャズダンス芸術協会専務理事、日本振付家協会理事、名倉ジャズダンススタジオ主宰。新潟県新潟市出身。 四人姉妹の次女として新潟県新潟市で生まれる。 新潟大学教育学部附属新潟小学校在学中に銀行員だった父親の転勤で福井県福井市に転居。 12歳で竹部玲子バレエ団に入り、ダンスを始める。1959年、福井県立藤島高等学校卒業後に姉妹3人で上京。竹部玲子バレエ団に在籍しながらショー番組やステージに出演する。1960年、当時、日本テレビのディレクターだった井原髙忠が結成したスタジオNo.1ダンサーズ初代メンバーの一員となり、『シャボン玉ホリデー』などテレビや舞台に出演する。
安野 眞幸(あんの まさき、1940年10月29日 - )は… 安野 眞幸(あんの まさき、1940年10月29日 - )は、日本史学者、弘前大学名誉教授。対外交渉史が専門。 神奈川県横須賀市に生まれる。1964年東京大学文学部国史学科卒、1973年同大学院博士課程単位取得満期退学、弘前大学教養部助教授。1989年『バテレン追放令』でサントリー学芸賞受賞、その後教授。2006年定年退官して名誉教授、聖徳大学教授。2011年定年退職。 中世日本の下人、長崎市におけるバテレン追放令、平戸・横瀬浦・長崎などの貿易港、楽市・楽座、唐人屋敷についての研究を行なっている。貿易港と関わった商業民族や対外交易者は、共同体の境界線に属する二重所属的な人々であり、こうした集団が市民社会の形成を担ったと論じている。
巻山 晃(まきやま あきら、1940年〈昭和15年〉10月2… 巻山 晃(まきやま あきら、1940年〈昭和15年〉10月28日 - 2022年〈令和4年〉11月26日)は元札幌テレビ放送アナウンサー。
横山 紘一(よこやま こういち、1940年(昭和15年)10… 横山 紘一(よこやま こういち、1940年(昭和15年)10月28日 - 2020年(令和2年)7月13日)は、日本の天文学者。国立天文台・水沢観測センター長、国立天文台地球回転研究系研究主幹、国際地球回転・基準系事業第2代理事会会長、日本測地学会名誉会長などを歴任した。 岩手県江刺郡岩谷堂町(現:奥州市江刺岩谷堂)出身。岩谷堂中学校、岩手県立水沢高等学校を卒業し、京都大学理学部宇宙物理学科へ進学、卒業後は緯度観測所(現:水沢VLBI観測所)研究員となった。京都大学宇宙物理学教室の清水彊のもとで大学院に進む予定だったが、清水の指示により、当時新しい望遠鏡の導入に伴う定員増があった岩手県水沢市の文部省緯度観測所(現:水沢VLBI観測所)へ行くことになった。
長谷川 秀男(はせがわ ひでお、1940年10月28日 - … 長谷川 秀男(はせがわ ひでお、1940年10月28日 - )は日本の地域政策・地域産業政策の学者。高崎経済大学名誉教授。専門分野は地域政策、産業政策、中小企業研究。
平岡 龍人(ひらおか たつと、1940年10月28日 - )… 平岡 龍人(ひらおか たつと、1940年10月28日 - )は、日本の実業家、高野山真言宗の僧侶、清風情報工科学院理事長。 大阪府生まれ。1964年甲南大学法学部卒業。佛教大学大学院修了。家業である清風学園の教諭、副校長、専務理事を経て、2001年清風明育社理事長、清風情報工科学院校長。関西経済同友会常任幹事。 2000年、清風学園専務理事時代、當時の横山ノック知事が辞任したことに伴って実施された大阪府知事選挙に自民党大阪府連と自由連合の推薦を受け出馬した。公明党の基礎票90万票といわれる大阪で574,821票と健闘したものの、落選した[要出典]。 1980年ごろから仏教に目覚め、現在は高野山真言宗大御堂山 光平寺の住職を務め、月に2回、自坊にて法話の会を開いている[要出典]。
二階堂 有希子(にかいどう ゆきこ、1940年〈昭和15年〉… 二階堂 有希子(にかいどう ゆきこ、1940年〈昭和15年〉10月27日 - )は、日本の元女優、元声優。東京都淀橋区出身。八ヶ岳倶楽部初代社長。 夫は俳優の柳生博(2022年没)。長男は園芸家の柳生真吾(2015年没)。 東京女学館高等学校卒業。 劇団俳優座養成所9期生。入所試験ではトップであり、当時の劇団内では看板女優だった岩崎加根子の後継と目されていたという。また、夫となる柳生博ともこの頃に出会う。 劇団俳優座、東映、エヌ・エー・シー、江崎プロダクションを経て、フリーランスで活動。 主に舞台やテレビドラマなどで活躍し、俳優座卒業後は昼の連続ドラマに多く出演。海外ドラマ『ルート66』の吹き替え以降は声優としても活動していた。
木村 登紀子(きむら ときこ、1940年10月27日 - )… 木村 登紀子(きむら ときこ、1940年10月27日 - )は、日本の心理学者。学位は博士(文学)(東北大学・2005年)。聖路加国際大学名誉教授。 聖路加看護大学看護学部教授、淑徳大学総合福祉学部教授、日本ヒューマン・ケア心理学会常任理事などを歴任した。 1964年、東北大学文学部(心理学)卒業。1966年、東北大学大学院文学研究科修士課程(心理学専攻)修了。1968年、東北大学大学院文学研究科博士後期課程中退。聖路加看護大学の看護学部にて 教授などを歴任した。2001年、淑徳大学教授就任。2005年、東北大学より博士(文学)。 指導健康心理士、臨床心理士などの資格を持つ。
水野 建雄(みずの たつお、1940年10月26日 - )は… 水野 建雄(みずの たつお、1940年10月26日 - )は、日本の哲学・倫理学者。筑波大学名誉教授、八洲学園大学教授。 静岡県生まれ。1964年東京教育大学文学部哲学科倫理学専攻卒、1970年同大学院文学研究科博士課程満期退学、高千穂商科大学(現高千穂大学)倫理学教員、亜細亜大学教養部専任講師、1973年助教授、1980年教授、1981年筑波大学助教授、1998年教授、2004年定年退官、八州学園大学教授。
堀田 進(ほった すすむ、1940年10月24日 - 199… 堀田 進(ほった すすむ、1940年10月24日 - 1996年11月1日)は、日本の地質学者・古生物学者。 元東京経済大学教授。専門は化石生物、特に貝類化石などに残存するアミノ酸などの有機物質にを研究、化石の生化学的研究に貢献した。また動物園見学を活用するなど、現生の動物学と関連づけた古生物学の教育・普及に努めた。 東京都港区(現在)に生まれる。 1958年に東京都立北園高等学校を卒業、1964年に東京教育大学理学部地学科地質学鉱物学専攻に入学、卒業後は、大学院へ進み、大森昌衛の下で学び、秋山雅彦らとともに化学的手法を生かした化石の研究に取り組んだ。1971年に「軟体動物の殻を構成する有機物質の石灰化および化石化に関して、その組成と構造に関する基礎的研究」で東京教育大学より理学博士の学位を取得。
三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月… 三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月23日 - 2021年(令和3年)7月8日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。 熊本県体育協会顧問、熊本県障害者スポーツ・文化協会会長、濟々黌上塚周平顕彰会会長、熊本県柔道整復師連盟顧問、芝浦工業大学校友会熊本支部長、九州・トルコ協会会長、熊本城顕彰会会長、熊本県神社庁総代会副会長を務めた。
ミチオ高倉(みちお たかくら、1940年10月23日 - )… ミチオ高倉(みちお たかくら、1940年10月23日 - )は、大分県大分市生まれの実業家。パラグアイ在住。日本の国政選挙に立候補した、初の在外日本人候補である。 「にっぽんよ!」万葉舎 (2004-05-12出版)。
山内 豊彦(やまのうち とよひこ、1940年10月22日 -… 山内 豊彦(やまのうち とよひこ、1940年10月22日 - 2022年6月17日)は、日本の実業家、元記者。一般社団法人共同通信社元社長、元顧問、公益社団法人日本広告審査機構(JARO)元理事長。 1940年、静岡県生まれ。1963年3月、立教大学経済学部卒業。同年4月、共同通信社入社。編集局経済部長、編集局長、業務局長などを経て2000年から専務理事、2002年10月から社長代行・専務理事。2002年12月、社長就任。2005年、社長を退任した後、顧問に就任。 2012年6月、公益社団法人日本広告審査機構(JARO)理事長に就任。2018年6月、JARO理事長を退任。 2021年6月まで公益財団法人同盟育成会の理事長も務めた。
吉村 弘(よしむら ひろし、1940年10月22日 - 20… 吉村 弘(よしむら ひろし、1940年10月22日 - 2003年10月23日)は日本の音楽家、作曲家。神奈川県横浜市出身。早稲田大学第二文学部美術科卒業。 サウンド・デザインやグラフィック・デザイン、ヴィジュアル・ポエトリーを含有したサウンド・オブジェやパフォーマンス、環境音楽の制作を行い、特にTOAとの共同施工で多くの音デザイン事業を手がけた。日本の環境音楽の草分け的存在とされる。国立音楽大学音楽デザイン学科非常勤講師や千葉大学工学部工業意匠学科非常勤講師を歴任し、美術館などでの市民参加のワークショップにも力を注いでいたが、2003年に皮膚がんのため死去。
笹森 清(ささもり きよし、1940年10月21日 - 20… 笹森 清(ささもり きよし、1940年10月21日 - 2011年6月4日)は、日本の労働運動家。日本労働組合総連合会長(第4代)、内閣特別顧問を歴任した。位階は従三位。 東京都出身。埼玉県川越市に転居し、埼玉県立川越高等学校卒業。東京電力入社後に東京電力労働組合に入り、組合活動などを行った。1989年には委員長になる。1993年からは全国電力関連産業労働組合総連合(電力総連)の会長に就任。 2001年に日本労働組合総連合会会長(第4代)に就任、2005年まで務めた後に、連合顧問に就任。2010年には、当時内閣総理大臣の菅直人に請われて、内閣特別顧問を務めた。 2011年6月4日午前5時56分、膵臓癌のため東京都の病院で死去。
渡辺 長武(わたなべ おさむ、1940年10月21日 - 2… 渡辺 長武(わたなべ おさむ、1940年10月21日 - 2022年10月1日)は、日本のレスリング選手。1964年東京オリンピックレスリングフリースタイルフェザー級金メダリスト。北海道上川郡和寒町出身。「アニマル」の異名を持つ。 日本レスリング史上最強と言われる選手のひとり。 石材商の家に生まれ育ち、幼少時には石の積み卸しの手伝いをしたという。父は草相撲の力士も務め、渡辺の名前を「武運長久」から命名したが、渡辺の幼少時に過労からリウマチを発症して病床に伏した。その後は母が豆腐店を始め、豆を石臼で挽くことが渡辺の日課となった。これで腕力が鍛えられたという。 力士に憧れがあったが体格が小さかったため、体重制のレスリングに着目して北海道士別高等学校時代に取り組み始める。
片山 修(かたやま おさむ、1940年10月21日- )は、… 片山 修(かたやま おさむ、1940年10月21日- )は、日本の経済ジャーナリスト、経営評論家。 愛知県名古屋市に生まれる。 明治大学経営学部を卒業し、名古屋タイムズ記者を経て、1970年以降はフリーランスのジャーナリストとして活動する。 2001年から2011年にかけて、学習院女子大学客員教授であった。日本ペンクラブ会員。
葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2… 葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - 2022年5月25日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道(JR東海)代表取締役社長・代表取締役会長・代表取締役名誉会長、取締役名誉会長を歴任した。他に、学校法人海陽学園理事長を務めた。 兵庫県明石市生まれ、東京都杉並区育ち。井手正敬、松田昌士と共に「国鉄改革3人組」と称され、日本国有鉄道(国鉄)の分割民営化に尽力した。 1940年10月20日に、父・葛西順夫(のぶお)と、母・益世(旧姓:本庄)の間に兵庫県明石市で生まれた。 父は旧制明石中学校に勤務していた国語科(漢文)の教員で、敬之が生まれてほどなくして一家で上京。父からは『論語』や日本の古典の講義を高校終わりまで受けた。
青尾 幸(あおお さち、旧姓:南村、1940年10月20日 … 青尾 幸(あおお さち、旧姓:南村、1940年10月20日 - )は、元日本テレビアナウンサー。 主に、報道・教養番組、天気予報を担当した。皇室関連の番組を長く担当していたため、ロイヤル青尾という愛称で呼ばれることもあった。
万波 誠(まんなみ まこと、1940年10月19日 - 2… 万波 誠(まんなみ まこと、1940年10月19日 - 2022年10月14日)は、日本の医師。元宇和島徳洲会病院泌尿器科部長。岡山県備前市出身。 1940年、岡山県の生まれ。岡山県立閑谷高等学校卒業。1969年に山口大学医学部卒業。1970年、愛媛県宇和島市立病院に勤務。1975年、アメリカ・ウィスコンシン大学留学、インドネシア出身のオランダ人外科医ベルツァー(Folkert O. Belzer)の元で腎臓移植を学ぶ。日本に帰国後の1977年、宇和島市立病院で初めて腎臓移植手術を行った。その後、これまでに約1,000件の腎臓移植手術を行ったと言われている。2004年、新規開院した宇和島徳洲会病院に転職し現職となる。
松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2… 松澤 隆司(まつざわ たかし、1940年10月19日 - 2017年8月11日)は、鹿児島県鹿児島市出身のサッカー指導者。鹿児島実業高等学校サッカー部総監督。鹿児島県サッカー協会副理事長、九州サッカー協会常任理事、全日本ユース選手権大会実施委員。 市立甲南中学校時代にサッカーを始める。鹿児島市立鹿児島商業高等学校2年次の1958年に高校選手権に出場したが、2回戦で静岡県立藤枝東高等学校に敗れた。卒業後は一般企業に就職するが、知人の勧めもあり無線通信士を目指す様になった。上級資格試験まであと一歩の時に、鹿児島実業高校の教員に採用。当初は国家試験までの半年間の約束であったが、サッカー部の顧問も同時に引き受け、九州大会予選で優勝したことから本格的にサッカー指導者の道へ進む事になった。
伊藤 竜彦(いとう たつひこ、1940年10月19日 - )… 伊藤 竜彦(いとう たつひこ、1940年10月19日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(内野手・外野手)。
宮島 喬(みやじま たかし、1940年10月19日 - )は… 宮島 喬(みやじま たかし、1940年10月19日 - )は、日本の社会学者。お茶の水女子大学名誉教授。専門は社会学。とくにエミール・デュルケームやピエール・ブルデューなどフランス社会学の研究で知られる。 東京府生まれ。横浜国立大学学芸学部附属横浜中学校、東京教育大学附属高等学校、東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院社会学研究科博士課程中退。1973年よりお茶の水女子大学文教育学部助教授、1985年同教授、1995年より立教大学社会学部教授、2006年より法政大学大学院社会学研究科教授。日本学術会議連携会員。 父は哲学者の宮島肇。弟に経済学者の宮島洋、政治学者の宮島泉がいる。また、折り紙作家の宮島登は次男。
峰 国安(みね くにやす、1940年10月18日 - )は、… 峰 国安(みね くにやす、1940年10月18日 - )は、長崎県西彼杵郡野母崎町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 幼少期の1945年8月9日、たまたま塀に登って眺めていた「夕日のような景色」は、長崎市内に投下された原子爆弾であった。 戦後は海に沈む鉄クズを拾っては換金し、軍艦島にも上り、コンクリートだらけの廃墟で草木が一つもない異様な光景を目の当たりにした。 実家は漁師で、船乗りであった父を手伝いながら野球に没頭し、中学時代は駐留軍の米兵と草野球をしたこともあった。 海星高校では無敵のエースに成長し、2年次の1957年夏の県大会で優勝するが、西九州大会1回戦で敗れる。3年次の1958年は準決勝へ進出するが、西海学園に延長11回サヨナラ負けで甲子園出場を逃す。
藤原 秀次郎(ふじわら ひでじろう、1940年10月18日-… 藤原 秀次郎(ふじわら ひでじろう、1940年10月18日- )は、日本の経営者。しまむら社長、会長を務めた。神奈川県横須賀市出身。 1963年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年にフジワラストアーに入社した。1970年9月に島村呉服店(現在のしまむら)に転じ、1976年に取締役、1982年に専務を経て、1990年5月には社長に就任した。社長在任時には、流通業界では屈指の低オペレーションを確立させ、小さな衣料品店であった同社を日本有数の衣料チェーン店に育て上げたので、「中興の祖」と呼ばれている。2005年5月には会長に就任。 2009年6月から2011年6月までに埼玉経済同友会代表幹事を務めた。
大原 謙一郎(おおはら けんいちろう、1940年(昭和15年… 大原 謙一郎(おおはら けんいちろう、1940年(昭和15年)10月18日 - )は、日本の実業家。大原総一郎の長男で、大原孫三郎、野津鎮之助の孫に当たる。大原家9代目当主。長女・大原あかねは(公財)大原美術館代表理事。 (公財)大原美術館評議員(現在は大原芸術財団)、(公財)大原記念倉敷中央医療機構理事会長、(公財)倉敷民芸館理事長兼館長、(一社)人文知応援フォーラム代表理事会長。 これまでに(株)クラレ副社長、(株)中国銀行副頭取、岡山経済同友会代表幹事、倉敷商工会議所会頭、日本商工会議所政策副委員長、(公社)岡山県文化連盟会長などを歴任。 東京大学経済学部卒業後、イエール大学大学院経済学博士課程に学び単位取得退学。
冨沢 宏(とみさわ ひろし、1940年10月18日 - )は… 冨沢 宏(とみさわ ひろし、1940年10月18日 - )は、日本の大蔵官僚。血液型はA型。大阪国税局長、国税庁次長、JTサービス代表取締役、国立印刷局理事長(初代)などを務めた。 東京府武蔵野町出身。東京都立西高等学校から東京大学に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1963年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。大臣官房秘書課調査係長心得、総理府内閣総理大臣官房審議室調査企画担当主査などを経て、1969年7月 枚方税務署長。 大蔵大臣秘書官(事務担当)などを務め、1978年7月 大臣官房企画官兼主税局総務課。1979年7月 大臣官房文書課広報室長。1980年6月 東京国税局査察部長。 1986年6月10日に関税局企画課長となり、1987年6月25日から関税局総務課長。
佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)… 佐藤 征一郎(さとう せいいちろう、1940年(昭和15年)10月15日 - )は、日本の声楽家(バス、バスバリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。 宮城県仙台市生まれ。神奈川県立川崎高等学校 卒業。1967年(昭和42年)東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1970年(昭和45年)同大学院修士課程修了。大学院在学中に第132回芸大オーケストラ定期公演(指揮:山田一雄)ベートーヴェン『第九』バス独唱で音楽界にデビュー。1969年(昭和44年)二期会(指揮:若杉弘)ワーグナー『ラインの黄金』ファフナーでオペラデビュー。その後、読売日本交響楽団第58回定期演奏会(指揮:若杉弘)ベルリオーズ『ファウストの劫罰』ブランデルや、同年帰国した小澤征爾指揮による日本フィルハーモニー交響楽団第180回東京定期演奏会 モーツァルト『コジ・ファン・トゥッテ』(演奏会形式)に出演 したほか、二期会を中心に1971年(昭和46年)2月までの約2年間に計14本 ものプロダクションに出演している。
表 三郎(おもて さぶろう、1940年10月15日 - 20… 表 三郎(おもて さぶろう、1940年10月15日 - 2024年11月9日[要出典])は、日本の経済学者、思想家、予備校講師(英語科)。元大阪市立大学全学共闘会議議長、元桃山学院大学講師、元駿台予備学校英語科講師。 1940年、広島県に生まれ、大阪府で育った。1961年、2浪の末、甲南大学経済学部に入学。1970年、大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程修了。 最初革命的共産主義者同盟に所属するも、中核派・革マル派の分裂に際してはそのどちらにも加わらず、その後大阪市立大学の全共闘議長に就任するなど学生運動に傾倒した。大学院修了後は桃山学院大学の講師を務める傍ら論文執筆に励み、「現代の理論」等に多数掲載。
岡山 紀男(おかやま のりお、1940年10月15日 - 2… 岡山 紀男(おかやま のりお、1940年10月15日 - 2010年11月14日)は、日本の実業家。住友電気工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本電線工業会会長、大阪大学産業科学研究協会理事長等を務めた。 石川県出身。1963年東京大学文学部社会学科卒業、住友電気工業入社。人事組織部次長、人事部次長を経て、1985年人事部長に就任。1991年取締役中部支社長に昇格。1995年常務取締役。1999年から代表取締役社長を務め、イギリスのルーカスSEI・ワイヤリング・システムの買収などを行った。2004年住友電気工業代表取締役会長。2007年同社取締役会長。2008年同社特別顧問。大阪大学産業科学研究協会理事長等も務めた。
古賀 さと子(こが さとこ、1940年10月14日 - 19… 古賀 さと子(こが さとこ、1940年10月14日 - 1996年5月25日)は、日本の歌手、女優。本名は古賀 達子。 東京市(現在の東京都)板橋区出身。上野学園高等学校音楽科を卒業した。1950年代には童謡歌手や子役として人気を博していた。 代表曲は、『子鹿のバンビ』『ピーコポン』など。 父はピアノ調律師の古賀良三。四人姉妹の三女。次姉は田原総一朗の妻でエッセイストの田原節子である。 さと子が小学校2年生のとき、父のピアノ調律師仲間の紹介で作曲家、保田正の組織する「さくら子供会」という合唱団に入る。1948年、ビクターから保田作曲の『動物あそび』で童謡歌手としてデビュー。大きなリボンがトレードマークの愛くるしい姿でたちまち人気者となり、1951年5月「ひばりと麦笛」、1951年10月「ママのおひざ」、1952年3月ディズニーアニメ「バンビ」をモチーフとした「子鹿のバンビ」など大ヒットを次々飛ばす。
栗坪 良樹(くりつぼ よしき、1940年10月13日 - 2… 栗坪 良樹(くりつぼ よしき、1940年10月13日 - 2021年3月30日)は、日本近代文学研究者。青山学院女子短期大学名誉教授。 満洲国奉天市生まれ。北海道月形高等学校、早稲田大学教育学部卒。同大学院修士課程修了、麻布中学校・高等学校教師の後、青山学院女子短期大学教授、1990-1998年学長を務める。2011年定年、名誉教授。河出書房新社『定本横光利一全集』、岩波講座『日本文学史』、岩波書店『阿部昭集』等の編集に携わる。 2021年3月30日、心臓病のため死去。80歳没。
野口 雅昭(のぐち まさあき、1940年10月13日 - )… 野口 雅昭(のぐち まさあき、1940年10月13日 - )は、日本の元外交官。アラビスト。元京都文教大学人間学部長、現代社会学科教授。龍谷大学客員教授。京都聖母女学院短期大学非常勤講師。福島県会津若松市出身。父は旧帝国陸軍で参謀などを務めた野口省己。登山家の野口健は次男。野口絵子は孫(健の長女)。 外交官時代は、アラビア語の専門教育を受けたアラビストであった。1991年1月31日、イエメン大使在任時に、大使公邸に手榴弾が投げ込まれた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田野井 一雄(たのい かずお、1940年10月12日 - )… 田野井 一雄(たのい かずお、1940年10月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の横浜市会議員(10期)。第37代横浜市会議長。 神奈川県横浜市港南区生まれ。横浜市立桜岡小学校、関東学院六浦中学校・高等学校、明治大学文学部を卒業。 青年会議所に所属しており、1983年には横浜青年会議所理事長に就任している。政界入りを考えはじめたのは、横浜市会議員の松村千賀雄に市議選への出馬を打診されたことがきっかけだが、青年会議所の活動に専念するために一度は辞退をしている。その後1983年に、横浜市会議員選挙に港南区から立候補し、定数6のうち5番目の得票数(8642票)で初当選。1999年には横浜市会議長に就任し、2002 FIFAワールドカップの誘致に尽力した。
羽鳥 兼市(はとり けんいち、1940年10月12日 - )… 羽鳥 兼市(はとり けんいち、1940年10月12日 - )は実業家、ガリバーインターナショナルの創業者、取締役会長。
竹田 恒正(たけだ つねただ、1940年〈昭和15年〉10月… 竹田 恒正(たけだ つねただ、1940年〈昭和15年〉10月11日 - )は、日本の旧皇族。竹田宮第3代当主。竹田宮恒徳王第1王子。皇籍離脱前の身位は王(恒正王)。明仁(上皇)のはとこにあたる。 1940年(昭和15年)10月11日午後1時55分、竹田宮恒徳王の第1王男子として東京府東京市芝区高輪南町17番地(現在の東京都港区高輪)の竹田宮邸で生まれる。母は恒徳王妃光子。同年10月17日に恒正と命名される。皇紀二千六百年を祝う大観艦式の日に生まれたため、「観艦式の日のご誕生だから、将来はぜひ海軍に」と海軍関係者から望まれた。日本国憲法施行後の1947年(昭和22年)10月14日、父や家族とともに皇籍離脱となる。
古川隆久(ふるかわ たかひさ、1940年(昭和15年)10月… 古川隆久(ふるかわ たかひさ、1940年(昭和15年)10月11日 - )は、栃木県芳賀郡益子町の陶芸家であった。 後に妻・俊子と共に、茨城県八郷町に、そして長野県軽井沢町へと移住し、油彩画を手掛けるようになった。 1940年(昭和15年)10月11日、東京都板橋区に生まれる。生家は喫茶店を営業していたという。 隆久が東京芸術大学3年生で視覚デザイン専攻生となっていた時に、加藤土師萌が東京芸大に陶芸講座を開いた。陶芸講座で開設された授業で、隆久は初めて陶芸を体験し、その面白さを知った。そして1963年(昭和38年)、隆久が4年生になった時から陶芸講座に入り、加藤土師萌に招聘された藤本能道の直弟子となった。
合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 - 2… 合田 佐和子(ごうだ さわこ、1940年10月11日 - 2016年2月19日)は、日本の女性画家。 前夫との間に一女あり。三木富雄は2人目の夫で、その間に生まれたのが合田ノブヨである。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、… 田辺 清(たなべ きよし、1940年10月10日 - )は、日本の元プロボクサー。青森県青森市出身。1960年ローマオリンピックのフライ級銅メダリスト。不運な判定により五輪金メダルを懸けた決勝進出を妨げられ、プロ転向後は技術とパワーのバランスの取れた逸材として世界王座を嘱望されたが、世界挑戦を前に網膜剥離を発症し無敗のまま引退。 1958年、青森工業高校でボクシングを始め、高校日本一となった。 中央大学に進学。大学でアルバイトをしながら競技に打ち込み、国内タイトルを総なめにする。2年後輩に1964年東京オリンピック・バンタム級金メダリストとなった桜井孝雄がおり、公式戦では2度戦い、いずれも田辺が勝利。
久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10… 久保田 博南(くぼた ひろなみ、1940年〈昭和10年〉10月10日 - )は、群馬県太田市出身の医療機器開発コンサルタント、サイエンスライターである。生体情報モニタの創始を手始めとして、心電図モニタ、パルスオキシメーターなどのワイヤレス化、小型・省エネ化、ポータブル化などによる関連機器群の普及活動に尽力している。 1963年、群馬大学工学部電気工学科を卒業後、日本光電工業株式会社に入社し医療機器の研究開発に従事した。1965年に生体情報モニタ、1975年にワイヤレス式の生体情報モニタを商品化し、ともに世界初の開発だったことから「ミスタモニタ」や「生体モニタの父」と呼ばれる。このとき開発された初号機「MBM-40」は現在麻酔博物館に展示されている。
渡邊 紀征(わたなべ のりゆき、1940年(昭和15年)10… 渡邊 紀征(わたなべ のりゆき、1940年(昭和15年)10月10日 - )は、日本の実業家。ファミリーマート副社長や西友の社長・会長を務め、セゾングループ成長の牽引役の一人として知られた。日本チェーンストア協会会長、スギホールディングス取締役、エステー取締役等も歴任。 東京都出身。東京都立立川高等学校を経て、1963年に一橋大学社会学部を卒業した。野村證券に入社するも、自分に合わないと考え退社、客の喜びが直接伝わってくる小売業への就職を希望し、1968年に西友ストアーに入社、営業畑を歩む。営業企画部長、小売事業本部長を経て、1982年に取締役、1986年に常務、1992年代表取締役専務に就く。