佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日 … 佐多 宗二(さた そうじ、1921年(大正10年)8月2日 - 1996年(平成8年)11月10日)は、日本の政治家。全国商工会連合会会長、参議院議員(1期)。 鹿児島県揖宿郡頴娃村(頴娃町を経て現南九州市)出身。1936年(昭和11年)松原高等小学校を卒業。酒造業、製飴業などを経て、1948年(昭和23年)に酒造業を法人化し有限会社佐多宗二商店を設立。 1955年(昭和30年)鹿児島県議会議員に初当選し、1975年(昭和50年)まで務め、県議会議長にも就任。田中角栄から声が掛かった事がきっかけで、1975年(昭和50年)自由民主党参議院議員に当選。1982年(昭和57年)全国商工会連合会会長に就任。
大森 荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1… 大森 荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。 物理学から哲学に転向し、科学における哲学的問題の検証を目指した。物心二元論を否定し、独特の一元論による哲学体系を確立。著書に『言語・知覚・世界』(1971年)、『時間と存在』(1994年)などがある。 岡山県生まれ。東京府立一中から第一高等学校理科乙類を経て、1944年 東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1945年、海軍技術研究所三鷹実験所勤務。当初は物理学を志すも、科学における哲学的問題を問うため、哲学に転向。1949年、東京大学文学部哲学科を卒業する。はじめ現象学などを学ぶが、満足せずアメリカに留学。
青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 200… 青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 2002年6月12日)は、日本の実業家。讀賣テレビ放送(よみうりテレビ、読売テレビ)社長・名誉会長、日本民間放送連盟副会長、関西経済連合会理事、関西経営者協会理事、近畿警察官友の会会長、日本室内楽振興財団理事長。広島県府中市出身。
山口 敏雄(やまぐち としお、1921年(大正10年)8月1… 山口 敏雄(やまぐち としお、1921年(大正10年)8月1日 - 2014年(平成26年)4月8日)は日本の実業家。元神鋼商事社長。元神戸製鋼所顧問。広島県出身。旧姓:木村。
藤原 宏(ふじわら ひろし、1921年8月1日 - 2008… 藤原 宏(ふじわら ひろし、1921年8月1日 - 2008年10月2日)は、日本の国語教育学者。国語・書写を担当した。兵庫教育大学教授・早稲田大学教育学部教授を歴任。 東京出身。東京大学文学部支那文学哲学科卒。1956年同大学院修了。1965年文部省初等中等教育局教科書審査官、1975年兵庫教育大学教授、早稲田大学教育学部教授、1992年定年退任。
河本 國雄(かわもと くにお、1921年 <大正10年> 8… 河本 國雄(かわもと くにお、1921年 <大正10年> 8月1日 - 2011年 <平成23年> 9月25日)は、日本の経営者。第一証券社長、平和不動産社長を務めた。位階は正五位。 東京都出身。1944年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1945年10月に日本勧業銀行に入行した。1952年12月に日本長期信用銀行に転じ、1964年11月に第一証券専務に就任し、1966年11月には社長に昇格。1975年11月から1986年11月までに東京証券取引所副理事長を務め、1987年6月から1994年6月までに平和不動産社長を務めた。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章した。 2011年9月25日、前立腺がんのために死去。
陶 隆司(すえ たかし、1921年7月31日 - 2010年… 陶 隆司(すえ たかし、1921年7月31日 - 2010年12月26日)は、日本の俳優。群馬県館林市生まれ埼玉県出身。本名及び旧芸名は陶 隆(読みは同じ)。 はちの会、、劇団中芸、東京芸術座、東京映画俳優協会、つくしグループに所属していた。 浦和町立浦和商業学校(現・埼玉県立浦和商業高等学校)卒業。東京陸軍経理学校卒業。 経理将校として、太平洋戦争(兵役(旧・満州国 関東軍経理将校)に従軍。 1951年、舞台『街道』でデビュー。 1954年、劇団中芸(東京芸術座の前身)発足時に、新人オーディションに合格して入団。 剣道と槍術の心得があり、双方では『嗚呼!! 花の応援団 男涙の親衛隊』の青田玄道役を、また、槍術ではテレビドラマ『新選組血風録』(1965年 東映京都+NET)の武田観柳斎役の起用のきっかけとなった。
藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月… 藤原 弘達(ふじわら ひろたつ、1921年〈大正10年〉7月31日 - 1999年〈平成11年〉3月3日)は、日本の政治学者、評論家。広島県尾道市生まれ。「ふじわら こうたつ」と呼ばれることが多い。 雑貨店の忠雄と美容師キクノの長男。5歳の時に父を腸チフスで亡くし、母は国鉄駅員と再婚。尾道市立筒湯小学校(現・尾道市立久保小学校)、福山誠之館中学を経て、第六高等学校に入学。同級生に星野直樹次男の星野良二。 1942年(昭和17年)東京大学法学部に入学。同級生に志垣民郎。高等学校の教師の伝手で法制局参事官の長村貞一の邸宅に下宿していた。1943年(昭和18年)12月末に学徒出陣に召集され、歩兵第11連隊補充隊(広島西部第2部隊)にて3か月間の普通教育を受けたのち、久留米第一予備士官学校に入学。
稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1… 稲垣 泰彦(いながき やすひこ、1921年7月31日 - 1982年2月28日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 広島県呉市生まれ。1939年に広島県立呉第一中学校を卒業し、広島高等学校文科に進学。同校2年生だった1940年の夏、東京中野在住だった兄の家に滞在していたときに、隣家に住んでいた宝月圭吾を紹介され、進学先の相談をしたところ、東京帝国大学を勧められ、同大学への進学を決めたという。1942年に高校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同期入学に永原慶二、安田元久、山口啓二らがいる。翌年、海軍に入隊し、その間の1944年9月に卒業。1947年、東京帝国大学大学院を退学。 同年、東京帝国大学史料編纂所に入所、1966年助教授、1969年教授。
塩澤 護(しおざわ まもる、1921年(大正10年)7月30… 塩澤 護(しおざわ まもる、1921年(大正10年)7月30日 - 2009年(平成21年)2月20日)は、日本の実業家。第8代養命酒製造社長。 長野県上伊那郡大草村(現中川村)出身。父の友茂は4代目と6代目と2度にわたって養命酒製造の社長をつとめた。明治大学商学部卒業。養命酒製造に入社。常務、専務をへて1973年、社長に就任。墓所は多磨霊園(22-1-29-2)
高月 ことば(たかつき ことば、1921年7月30日 - 2… 高月 ことば(たかつき ことば、1921年7月30日 - 2006年10月18日)は、日本の作詞家である。本名は-辞(-ことば)。渡哲也の『東京流れ者』(1965年)や、白根一男の『はたちの詩集』(1961年)、木立じゅんの『484のブルース』(1968年、補作詞)で知られる。 1921年(大正10年)、愛媛県宇和島市に生まれる。 1955年(昭和30年)、作詞家の清水みのるに師事する。その後、東芝レコードに「専属作詞家第1号」として入社し、その後、テイチクレコードを経て、フリーランスの作詞家となった。 日本音楽著作権協会(JASRAC)、日本作詩家協会で、それぞれ評議員を務めた。 2006年(平成18年)10月18日、18時30分、胃がんのため岡山県倉敷市の病院で死去、84歳没。
高橋 富雄(たかはし とみお、1921年7月28日 - 20… 高橋 富雄(たかはし とみお、1921年7月28日 - 2013年10月5日)は、日本の日本史学者。東北大学名誉教授。福島県立博物館名誉館長。 東北古代史研究の第一人者である。永年歴史上の謎とされて来た前九年の役の古文書に記述されている阿久利川事件発生地の比定に携わり、地道な郷土史研究と発掘作業により宮城県栗原市志波姫の迫川流域(阿久戸)の地域同定に至った。[要出典] 岩手県北上市生まれ[要出典]。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業[要出典]、1943年、東北帝国大学法文学部国史学科卒業。同大学大学院特別研究生を経て、旧制第二高等学校講師。1949年、東北大学教養部講師、その後同大助教授、教授となる。
谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2… 谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日)は、日本の民俗学者・地名学者・作家・歌人。近畿大学教授・日本地名研究所所長等を歴任。2007年文化功労者選出。 在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげた。 1921年、熊本県水俣で六人兄弟の長男として生まれた。熊本中学、浪速高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部に進学。しかし東京大学入学後、結核を患い、各地の療養所を転々とした。大学ではフランス文学専攻で学び、卒業。 30歳を過ぎた頃より編集者として平凡社に勤務、『風土記日本』(1957-60年)、『日本残酷物語』(1959-61年)などを企画・編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務めた。
三雲 四郎(みくも しろう、1921年(大正10年)7月28… 三雲 四郎(みくも しろう、1921年(大正10年)7月28日 - 2007年(平成19年)1月11日)は、日本のジャーナリスト。産業経済新聞社取締役論説委員長。 鹿児島県出身。学徒出陣後に復学し、慶應義塾大学経済学部を卒業。 「自分はペンで生活していきたい」と、1946年産業経済新聞社に入社。本社経済部長や編集局次長、外信記者としてロンドン特派員、パリ支局長、欧州総局長を務めたほか、論説委員長も担った。娘・孝江も小学2年の夏から小学6年までロンドンで過ごしたという。 1971年に東京都公害審査委員会委員に就任し、1983年3月まで務めた。 2007年1月11日午後8時2分、肺炎のため東京都内の病院で死去。
須知 徳平(すち とくへい、本名:須知 茂(すち しげる)、… 須知 徳平(すち とくへい、本名:須知 茂(すち しげる)、1921年7月28日 - 2009年3月17日)は、日本の小説家、児童文学作家。 岩手県盛岡市出身。國學院大學専門部卒業。軍隊から復員後、岩手県や北海道で中学、高校の教師をしたのち上京する。 1962年、『ミルナの座敷』で講談社児童文学作品受賞(当時は佐川茂名義)、同作品はNHKのNHK少年ドラマシリーズ(1972年4月1日 - 4月29日放送)にもなった。 ほかには小林旭の監督で映画化された『春来る鬼』で、1963年毎日新聞社主催の第一回吉川英治賞を受賞(現在の吉川英治文学賞とは別)。1988年から盛岡大学の教授および非常勤講師を務めた。
八馬 啓(はちうま ひろし、1921年〈大正10年〉7月28… 八馬 啓(はちうま ひろし、1921年〈大正10年〉7月28日 - )は、日本の実業家。多聞酒造相談役。 兵庫県西宮市久保町、三代八馬兼介の長男。1944年、東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。海兵に入団する。1945年、復員後に八馬汽船取締役。 1947年、オーエス映画監査役、1949年、新朝日自動車副社長となり、1951年、八馬汽船専務に就任。宝梅園農場社長、多聞酒造社長、相談役を務めた。 八馬理、八馬望、八馬立の兄である。 趣味は碁、写真。宗教は真宗。住所は兵庫県西宮市、宝塚市小林字梅圃。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
広瀬 京一郎(ひろせ きょういちろう、1921年 7月28日… 広瀬 京一郎(ひろせ きょういちろう、1921年 7月28日 - 1980年1月12日)は、日本の倫理学者。 1944年東京帝国大学文学部倫理学科卒。聖心女子大学助教授/教授、お茶の水女子大学教授。父は北海道拓殖銀行頭取や札幌商工会議所会頭を務めた広瀬経一。
古谷 法夫(ふるや のりお、1921年7月27日 - 没年不… 古谷 法夫(ふるや のりお、1921年7月27日 - 没年不明)は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 宇都宮実業では1938年と1939年に夏の甲子園北関東大会へ進出するも、1938年は初戦、1939年には準決勝でそれぞれ敗退して甲子園に出場することはできなかった。 高校卒業後は1940年に法政大学へ進学するも中退し、1941年に東京鉄道局へ入社。南安男と並ぶ主戦投手になり、1942年と1946年の都市対抗に出場するが、それぞれ準々決勝で敗退。 コロムビア移籍後はエースとして活躍し、1950年に国鉄スワローズへ入団。1年目は結成第1戦となる3月10日の大洋戦(下関)に先発登板する予定であったが、緊張と重圧に耐えきれずに「はたして自分に開幕投手が務まるのだろうか?」と思い悩み、この日は「病院に行ってくる」と宿舎を出たきり戻らなかった。
山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2… 山口 吉暉(やまぐち よしてる、1921年7月27日 - 2006年7月15日)は、日本の政治家。千葉県勝浦市長(8期)。 千葉県出身。1943年明治大学専門部卒。1963年勝浦市議会議員に当選し1期務める。1967年勝浦市長に当選。以来連続8期32年務める。在職中国際武道大学を勝浦市に誘致し、開学した。同大学の副理事長や日本武道館常任理事を務めた。1999年退任する。2002年勲三等旭日中綬章受章。2006年7月15日死去、84歳。死没日をもって従四位に叙される。
柴田つる子(しばた つるこ、1921年7月27日 - 199… 柴田つる子(しばた つるこ、1921年7月27日 - 1997年11月28日)は、日本の歌手。北海道函館市出身。本名、西谷ツル子。 函館実習高等女学校を卒業後、歌手の小林千代子に師事。その後、ムーランルージュ新宿座や日劇ダンシングチームで歌っていた。戦時中になると、活躍の場を奪われ退団。1946年(昭和21年)、戦後初めて行われた「コロムビア新人歌手募集」に合格。同期での合格者に岡本敦郎、津村謙がいた。同年5月、「港に灯りのともる頃」(藤浦洸作詞、平川英夫作曲)でデビュー、ヒットする。同時期に活躍していた、奈良光枝、池真理子と共に、コロムビア新人歌手の三羽烏と評された。 1954年(昭和29年)、結婚し引退。
宇井 あきら(うい あきら、本名:宇井昶〈読み同じ〉、192… 宇井 あきら(うい あきら、本名:宇井昶〈読み同じ〉、1921年〈大正10年〉7月26日 - 2009年〈平成21年〉9月1日)は、日本の元作曲家、シャンソン歌手。武蔵野音楽学校声楽科卒業。 1955年にシャンソン歌手としてデビュー。『ひるのいこい』(NHKラジオ第一放送)にレギュラー出演するなどの活動をした後に作曲家へ転身し、シャンソンを中心に歌謡曲やテレビドラマの主題歌、或いは東京都内の小学校校歌に至るまで幅広いジャンルの作品を手掛けた。特に菅原洋一が1970年にヒットさせた『今日でお別れ』は其の年の日本レコード大賞を受賞するなどして宇井あきらの代表作となった。 また、宇野ゆう子を始め、後進のシャンソン歌手育成にも熱意を傾けたことでも知られる。
山崎喜陽(やまざき きよう、1921年7月25日 - 200… 山崎喜陽(やまざき きよう、1921年7月25日 - 2003年11月11日)は、機芸出版社元社長・代表取締役。長崎県佐世保市出身。 戦前、『子供の科学』主催のスピード競争・牽引力競争で優勝。やがて『模型鉄道』、『科学と模型』に投稿を続ける。 1945年(昭和20年)、東京帝国大学理学部を卒業後、地理学教室に嘱託として残るが鉄道関係の小冊子を数冊発刊した。 1946年(昭和21年)、機芸社(のちの機芸出版社)を設立し、雑誌『鉄道模型趣味』(TMS)を創刊。病気のため事実上離れる最晩年まで長年主筆を務めた。 鉄道模型においては、軌間16.5mmのHOゲージ(縮尺1/87)およびOOゲージ(縮尺1/76)との対比から、日本型車輌を縮尺1/80とし、これらを総称して「16番ゲージ」と呼称することを定めた。
安居 香山(やすい こうざん、1921年7月24日 - 19… 安居 香山(やすい こうざん、1921年7月24日 - 1989年7月20日)は、日本の中国文化学者。讖緯思想の研究で知られる。また、大正大学の学長を務めた。 滋賀県出身。1944年大正大学哲学科を卒業。1977年「緯書成立の研究」で大正大学文学博士。大正大学文学部助教授を経て、1971年に教授。1984年に文学部長、1987年に学長に就任した。
山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2… 山口 康助(やまぐち こうすけ、1921年7月23日 - 2013年3月)は、日本の日本史学者・教育者。 1921年(大正10年)7月23日、福島県に生まれる。1940年(昭和15年)3月、福島県立会津中学校(現・福島県立会津高等学校)卒業。1942年(昭和17年)9月、新潟高等学校(現・新潟大学)文科甲類卒業、東京帝国大学に進学。1944年(昭和19年)3月、学徒出陣。1945年(昭和20年)9月、召集解除、復員。1947年(昭和22年)3月、東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業直後に腎臓摘出の手術を受け、さらに結核により半年あまり自宅療養する。1952年(昭和27年)3月、東京大学文学部大学院満期修了。
北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9… 北 洋(きた ひろし、1921年7月23日 - 1951年9月15日)は日本の探偵小説家、原子物理学者。作品に「写真解読者」『アトム君の冒険』など。本名は鈴木 坦(すずき ひろし)。 東京府東京市王子区(現:東京都北区)出身。京都帝国大学理学部卒。 1946年、探偵小説誌『ロック』に「写真解読者」を発表しデビュー。以降も『ロック』を中心に短編を発表した。また、同時期には本名で『アトム君の冒険』などの科学解説書も著している。 物理学者としては湯川秀樹門下であり、横浜国立大学の助教授も務めた。 1951年9月15日、持病であった喘息の発作から死去。30歳。
山田 稔(やまだ みのる、1921年7月23日 - 1995… 山田 稔(やまだ みのる、1921年7月23日 - 1995年5月1日)は、日本の実業家。ダイキン工業元社長・会長。ダイキン工業創業者の山田晁の長男。 福岡県出身。芦屋市立精道小学校、神戸第一中学校、第六高等学校、東京帝国大学工学部卒業。1946年に大阪金属工業(現・ダイキン工業)入社。1972年に3代目社長へ就任し、22年間務めた後、1994年より会長を務めた。その他には関西経済連合会副会長、関西経済同友会代表幹事、 太平洋人材交流センター初代理事長も務めた実績がある。 元サントリー会長の佐治敬三、森下仁丹2代目社長の森下泰とは長年の友人だった。
風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23… 風見 章子(かざみ あきこ、1921年〈大正10年〉7月23日 - 2016年〈平成28年〉9月28日)は、日本の女優。群馬県富岡市出身。本名は中村 フサ(なかむら - )。最終所属先は放映新社。 1921年、群馬県富岡市七日市に生まれる。 富岡高等女学校(現・群馬県立富岡高等学校)を中退し、父が芸事を好んでいたことからエノケン一座に入団。 1937年に日活のオーディションに合格。 1939年に公開された内田吐夢監督映画『土』で主役に抜擢された。 1940年代後半からは松竹・新東宝・東映などの映画にも出演し、1960年代前後からテレビドラマでも活動を開始。 2000年、『忘れられぬ人々』で第22回ナント三大陸映画祭主演女優賞を受賞。
村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月2… 村山 喜一(むらやま きいち、1921年〈大正10年〉7月21日 - 1996年〈平成8年〉8月16日)は、日本の政治家。 鹿児島県議会議員、衆議院議員(10期)、衆議院副議長(第58代)などを歴任した。 鹿児島県姶良郡蒲生町(のちの姶良市)にて生まれた。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)卒業。1941年に台南師範学校卒業後、小学校教員、鹿児島県評事務局長、鹿児島県議会議員を経て、1960年の第29回衆議院議員総選挙に日本社会党より立候補し当選、以後当選10回。 党内では和田博雄 – 勝間田清一 – 石橋政嗣の派閥に所属する。1982年2月、飛鳥田一雄委員長の下で国会対策委員長に就任、その後馬場昇書記長下ろしに伴う役員改選により、同年12月副委員長となる。
服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月2… 服藤 弘司(はらふじ ひろし、1921年〈大正10年〉7月20日 - 2005年〈平成17年〉7月15日)は、法制史学者、東北大学名誉教授。専門は近世武家法。 愛媛県新居浜市生まれ。1939年愛媛県立西条中学校卒、1942年旧制広島高等学校卒、同年九州帝国大学法文学部入学、1943年学徒動員、1945年復員。 1946年九州帝国大学法文学部卒、1952年同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:金田平一郎)、九州大学九州文化史研究所研究員、1953年金沢大学法文学部助教授、1957年同教授、1962年九州大学にて論題「近世封建法の性格」で法学博士受く、1967年東北大学法学部教授、1979年同図書館長、1985年定年退官、名誉教授。
片岡 明(かたおか あきら、1921年7月20日 - 199… 片岡 明(かたおか あきら、1921年7月20日 - 1997年8月14日)は、日本の経営者。ヒガシマル醬油社長を務めた。兵庫県出身。 1944年に京都帝国大学法学部を卒業し、1952年4月にヒガシマル醬油に入社。1966年に取締役に就任し、1971年5月に常務、1978年3月に専務を経て、1986年3月に副社長に就任し、1990年3月には社長に昇格。1996年3月には副会長に就任。 1997年8月14日急性呼吸不全のために死去。76歳没。
中込 八郎(なかごみ はちろう、1921年〈大正10年〉7月… 中込 八郎(なかごみ はちろう、1921年〈大正10年〉7月20日 - 1999年〈平成11年〉11月14日)は、日本の高等学校物理教師、科学写真家。 群馬県館林市生まれ。群馬師範学校を経て、1944年東京高等師範学校卒。東京都立竹早高等学校、東京都立西高等学校教諭として勤務。1986年定年退職。日本物理教育学会理事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
保井 浩一(やすい こういち、1921年7月19日 - 20… 保井 浩一(やすい こういち、1921年7月19日 - 2001年11月17日)は、京都府出身のプロ野球選手・監督。
古角 俊郎(こすみ としろう、1921年7月19日 - 20… 古角 俊郎(こすみ としろう、1921年7月19日 - 2013年1月8日[1])は、日本の高校野球指導者。和歌山県立新宮高等学校硬式野球部元監督、明治大学硬式野球部OB会の駿台倶楽部顧問を務めた。
富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1… 富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1月)は、日本の国文学者。 三重県津市生まれ。京都帝国大学文学部国文科卒。高野山大学教授、皇學館大學教授、四天王寺女子大学教授、四天王寺国際仏教大学教授、副学長。1971年「伊賀蕉門の研究と資料」で大谷大学文学博士。71年同著で芭蕉祭文部大臣賞受賞。1989年中村元東方学術賞・東方文化賞受賞。近世俳諧、特に芭蕉が専門。
桑名 重治(くわな しげはる、1921年7月18日 - 没年… 桑名 重治(くわな しげはる、1921年7月18日 - 没年不明)は、茨城県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 水戸中学校から満州鉱山、松下飛行機、茨城県庁を経て、1950年に東急フライヤーズへ入団。1年目は33試合に登板して5勝11敗の成績だった。その後は1952年に6勝、1953年は8勝を挙げている。1954年は1勝9敗と成績は振るわずこの年に引退した。横手投げからシュート、カーブを武器とした。
竹山 太郎(たけやま たろう、1921年7月17日 - 20… 竹山 太郎(たけやま たろう、1921年7月17日 - 2016年12月18日)は、日本の材料工学者。北海道大学名誉教授。元日本電子顕微鏡学会会長。 横浜生まれ。1945年北海道帝国大学工学部生産冶金工学科卒業。北海道大学工学部助手、北海道大学工学部講師を経て、1959年北海道大学工学部助教授。1962年工学博士。1963年北海道大学工学部教授。1971年日本電子顕微鏡学会瀬深賞受賞。1983年日本金属学会谷川・ハリス賞受賞。1984年日本電子顕微鏡学会会長。1985年北海道大学名誉教授。北海道産業専門学校客員教授。1992年同退職。1996年勲三等旭日中綬章受章。日本金属学会北海道支部長、文部省学術審議会専門委員、日本原子力研究所核融合炉材料研究専門委員。
大河内 鷹(おおこうち たか、1921年(大正10年)7月1… 大河内 鷹(おおこうち たか、1921年(大正10年)7月17日 - 2009年(平成21年)4月9日)は、日本の政治家。福島県二本松市長(3期)。 福島県安達郡二本松町(現・二本松市)出身。1942年、陸軍士官学校(56期)卒。戦後、帰郷し、二本松市議会議員となり、7期務め、議長も2期務めた。1984年、二本松市長に当選し、3期務める。1996年に市長を退任した。2009年(平成21年)4月9日死去、87歳。死没日をもって正七位から従四位に叙される。
鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 200… 鹿取 泰衛(かとり やすえ、1921年7月16日 - 2003年1月11日)は、日本の外交官。位階は正三位。 外務大臣官房長、外務審議官、駐中国特命全権大使、駐ソ連特命全権大使。 宮城県仙台市出身。1941年浦和高等学校文科乙類卒業。1943年東京帝国大学法学部政治学科中退、外務省入省。ドイツ語研修を受ける。在ドイツ日本国大使館一等書記官を経て、1963年外務省欧亜局西欧課長。1965年外務省外務大臣官房会計課長。1967年外務省北米局外務参事官。同年在シアトル日本国総領事館総領事。1969年在インド日本国大使館参事官。1970年外務省経済協力局外務参事官。1972年外務省外務大臣官房長。1974年外務省経済協力局長。
水之江 忠臣(みずのえ ただおみ、1921年(大正10年)7… 水之江 忠臣(みずのえ ただおみ、1921年(大正10年)7月16日 - 1977年(昭和52年)7月18日)は、日本の家具デザイナーである。大分県豊後高田市出身。 日本大学卒業後、1942年(昭和17年)に前川國男が創設したデザイン建築事務所に入所し、デザイナーとしての活動を始める。その後前川から建築の設計を教わり、椅子やテーブル等の家具の設計に携わる。水之江の作品はこれまで以上に丈夫な材料を用いた事や斬新なデザインによって、1954年(昭和24年)に神奈川県立音楽堂や神奈川県立図書館に所蔵され、一躍有名となった。 後に公共施設のみならず、家庭向けの家具の設計にも従事する。1958年(昭和33年)には日本室内設計家協会の発足と共に理事長を務め、1963年(昭和38年)には独立して自身のデザイン設計事務所を創設した。
木谷 忠(きたに ただし、1921年7月15日 - 2006… 木谷 忠(きたに ただし、1921年7月15日 - 2006年4月10日)は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。和歌山県出身。 1944年に東京商科大学経済学部を卒業し、1948年に朝日新聞社に入社。1980年6月に取締役に就任し、1981年4月に常務、1983年10月に専務を経て、1985年6月に名古屋テレビ放送副社長に就任し、1988年7月守部政喜社長の急逝により社長昇格。1993年6月に代表取締役相談役に就任し、1995年6月に取締役相談役、1998年6月から相談役を経て、1999年6月に特別顧問に就任。 2006年4月10日肝不全のために死去。84歳没。
水原 泰介(みずはら たいすけ、1921年7月14日 - 1… 水原 泰介(みずはら たいすけ、1921年7月14日 - 1989年9月14日)は、日本の社会心理学者。 広島県生まれ。1944年9月東京帝国大学文学部心理学科卒。大学院に進み、1946年副手。1952年お茶の水女子大学助教授、1958年名古屋大学教育学部助教授、1964年9月東京大学教養学部助教授(心理学)、1974年東大文学部教授(社会心理学)、1982年定年退官、名誉教授、駒澤大学教授。没後、正四位勲三等旭日中綬章受勲。 1971年10月 東京大学 文学博士。論文の題は「態度の形成・変化と認知構造」。
佐々木 力(ささき つとむ、1921年7月13日 - 201… 佐々木 力(ささき つとむ、1921年7月13日 - 2019年8月11日)は、日本の労働法務の専門家。 宮城県出身。1947年東北帝国大学法学部卒。1948年日本出版協会勤務。1950年労働法令協会勤務、調査部長で1964年退職。1965年人事制度研究会を設立し所長。労務に関する実用書を多数執筆した。 2019年8月11日死去。 (享年98歳) この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐野 肇(さの はじめ、1921年7月13日 - 2003年… 佐野 肇(さの はじめ、1921年7月13日 - 2003年6月24日)は、日本の経営者、薬学博士。中外製薬社長を務めた。宮城県仙台市出身。 1944年に東京帝国大学第一工学部火薬学科を卒業し、同年に日本火工に入社し、陸軍兵器学校、陸軍技術中尉を経て、1947年10月に中外製薬に入社。 1964年5月に取締役に就任し、1974年11月に常務、1985年3月に専務を経て、1987年3月から1992年10月までに社長を務めた。 2003年6月24日肺炎のために死去。81歳没。
楠 正弘(くすのき まさひろ、1921年7月10日-2009… 楠 正弘(くすのき まさひろ、1921年7月10日-2009年7月20日)は、日本の宗教学者。東北大学名誉教授。 京都府綾部市出身。浄土真宗の寺に生まれる。東北大学大学院文学部特別研究生博士課程修了。東北大学教養部助教授、文学部日本文化研究施設教授。79年「信仰の形成と本質構造」で東北大学文学博士。85年定年退官、名誉教授、武蔵野女子大学教授。堀一郎に師事し、宗教学から民間信仰へと研究を進めた。
上田 明一(うえだ めいいち、1921年7月10日 - 20… 上田 明一(うえだ めいいち、1921年7月10日 - 2004年6月20日)は、日本の哺乳類学者。元農林省林業試験場鳥獣科長。森林野生動物研究会会員。北海道における森林害獣としてのユキウサギやエゾヤチネズミ等の応用動物学的研究を行った。動物学者・生態学者の上田宏の父。 1921年北海道旭川に生まれる。1945年北海道帝国大学農学部農業生物学科卒業。1947年北大大学院特別研究生を修了し、農林省札幌営林局森林有害動物調査所に勤務。1951年森林有害動物調査所の廃止に伴い、林業試験場(現・森林総合研究所)札幌支場に移った。1961年、農学博士(北海道大学)取得。論文の題は「エゾヤチネズミの発生予察並びにその駆除法に関する研究」。
荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9… 荒木 義朗(あらき よしろう、1921年(大正10年)7月9日 - 1989年(平成元年)6月3日)は、日本の銀行家。富士銀行頭取、会長、全国銀行協会連合会会長、経済同友会副代表幹事を歴任した。 東京生まれ。府立高等学校を経て京都帝国大学法学部を卒業。学徒出陣し陸軍経理学校で終戦を迎える。 1945年(昭和20年)秋に安田銀行(後の富士銀行)に入行。本店の貸付審査部門を長く担当し、本所、広島の支店長を歴任した。 1970年(昭和45年)取締役に選任され、73年に常務、75年に副頭取、81年から頭取を務め、87年に会長に退く。この間、全銀協会長を2度務め、経済同友会副代表幹事を6年間にわたり担った。
山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月… 山中 貞則(やまなか さだのり、1921年〈大正10年〉7月9日 - 2004年〈平成16年〉2月20日)は、日本の政治家。鹿児島県囎唹郡末吉村大字深川(現在の曽於市末吉町深川)出身。位階・勲等は正三位勲一等。称号は沖縄県名誉県民等多数。 衆議院議員(17期)、沖縄開発庁長官(初代)、防衛庁長官(第31代)、自由民主党政務調査会長(第23代)、通商産業大臣(第41代)などを歴任した。 税制のスペシャリストとして長年にわたり自民党税調に君臨し、「税調のドン」と呼ばれた。ニックネームは「ヤマサダ」、「ヤマテイ」。浜田幸一や一部の官僚達からは名前の「貞則」を音読みした「テイソク」と呼ばれた。 旧制宮崎県立都城中学校(現在の宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校)、台湾・台北第二師範学校を卒業後、高雄州の国民学校で教職を務める。
金 正熙(キム ジョンヒ、英: Kim Jeong-hui、… 金 正熙(キム ジョンヒ、英: Kim Jeong-hui、1921年7月9日 - 1975年11月2日)は北朝鮮の建築家・都市計画家。1940年代から1950年代にかけて、平壌の都市計画に携わったことで知られる。一般にも1987年に公開された映画『ある建築家に関する話』(한 건축가에 대한 이야기)で知られるようになる。 平壌は朝鮮戦争で壊滅的に破壊されたが、停戦後、ソ連の援助で復興事業が開始され、1951年の金の都市デザインにより、社会主義国特有の広場や、スターリン様式を取り入れたプロパガンダ色の濃い町が建設された。金はその後、平壌のみならず北朝鮮各地の都市復旧建設事業に尽力していく。 平安北道の農家の子として出生。
多田 文久三(ただ ふくぞう、1921年7月8日 - 200… 多田 文久三(ただ ふくぞう、1921年7月8日 - 2006年9月1日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手。
小嶋 仁八郎(こじま にはちろう、1921年7月7日 - 1… 小嶋 仁八郎(こじま にはちろう、1921年7月7日 - 1999年11月16日)は、大分県津久見町(現・津久見市)出身のプロ野球選手、高校野球指導者。2020年現在、九州(沖縄除く)で唯一、春夏の甲子園大会で優勝を経験している高校野球監督。 1921年7月7日、津久見町に生まれた。少年時代から野球センスが高く、1933年に開催された北海部郡少年野球大会ではエースとして、津久見小学校を優勝に導いた。津久見小学校卒業後、臼杵中学校(現・大分県立臼杵高等学校)に入学してここでもエースとしてチームを引っ張ったが、甲子園の壁は厚く、遂に在学中に出場を果たす事は出来なかった(大分県予選に出場していたが、1936年夏は大分商業(現・大分県立大分商業高等学校)に1-19、1937年夏は大分工業(現・大分県立大分工業高等学校)に4-8といずれも1回戦で大敗している)。