野呂 加南子(のろ かなこ、2000年7月8日 - )は、日… 野呂 加南子(のろ かなこ、2000年7月8日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 青森県つがる市出身。小学2年生のときにバレーボールを始めた。 下北沢成徳高等学校時代は石川真佑や大﨑琴未と共にチームの主力として、3年生の時は2019年1月の春高バレーこそ準決勝で敗れたものの、平成30年度全国高等学校総合体育大会(サオリーナ)および第73回国民体育大会(三国体育館)との二冠を達成した。 2019年1月には石川、大﨑、そして水杉玲奈と共に東レアローズへの入団(内定)が決まる。2019/20シーズンの開幕戦となるPFUブルーキャッツ戦(2019年10月19日)にてVリーグデビューを果たすなど、同シーズンは24試合に出場する。
生田 俊平(いくた しゅんぺい、1998年4月3日 - )は… 生田 俊平(いくた しゅんぺい、1998年4月3日 - )は、日本の俳優。青森県つがる市出身。所属事務所はミシェルエンターテイメント。 実家は釣具店。青森山田高等学校在学中は野球部に所属し、甲子園出場を経験した。レギュラーはつかめなかったが、2年秋の明治神宮野球大会では代打で決勝打を放った。仙台大学に進学後も野球部に所属していたが途中で断念し、在学中に俳優を志し、卒業後は芸能事務所の養成所に通って演技のレッスンを受けた。 2022年、7月8日公開映画『モエカレはオレンジ色』で映画初出演。同年、朝日放送テレビ制作の「第104回全国高等学校野球選手権大会中継」内で11日間にわたって試合中継の合間に放送された10話構成のミニドラマ『ふたりの背番号4』でテレビドラマ初出演を果たし、俳優デビュー。
境 紗里奈(さかい さりな、1997年9月11日 - )は、… 境 紗里奈(さかい さりな、1997年9月11日 - )は、日本の女子バレーボール選手である。 青森県つがる市出身。2人兄妹の長女。小学4年生のとき、親戚がバレーボールをしていたことをきっかけにバレーボールを始めた。 弘前学院聖愛高等学校、東北福祉大学を経て、2019/20シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属する日立リヴァーレの内定選手となった。2020年に正式入団。 2021年7月1日、背番号変更が発表となり、「18」から「10」に変更された。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り。
佐々木 健(ささき たける、1996年5月13日 - )は、… 佐々木 健(ささき たける、1996年5月13日 - )は、青森県西津軽郡木造町(現:つがる市)出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 つがる市立瑞穂小学校在学中の5年生の時に野球を始め、つがる市立木造中学校在学時には軟式野球部に所属していた。 青森県立木造高等学校では投手兼外野手として2年生から出場。最高成績は県大会ベスト16で、甲子園出場経験はない。 富士大学時代は、4年次にエースとして活躍。北東北大学野球連盟秋季リーグではベストナインに選出され、大学野球日本代表候補メンバーにも選出された。 大学卒業後はNTT東日本に所属し、1年目ながら先発に抜擢されると、都市対抗野球大会や日本選手権大会でも起用された。
木村 啓太郎(きむら けいたろう、1993年6月12日 - … 木村 啓太郎(きむら けいたろう、1993年6月12日 - )は、青森県つがる市出身の元バスケットボール選手である。ポジションはポイントガード。 前橋育英高校から新潟医療福祉大学に進学。在学中の2016年2月、bjリーグの新潟アルビレックスBBとアーリーエントリー制度に基づき契約し、11試合に出場。 2016-17シーズンはB2の青森ワッツに所属。9月25日の茨城戦でキャリアハイの21得点。 2017-18シーズンは香川ファイブアローズに所属し、59試合に出場。2018-19シーズンは57試合に出場し、その内45試合でスターターを務め、1試合平均8.6得点3.2アシストを記録。 2019-20シーズンはファイティングイーグルス名古屋に所属し、リーグ戦47試合に出場。
大坂谷 啓生(おおさかや ひろき、1992年11月9日 - … 大坂谷 啓生(おおさかや ひろき、1992年11月9日 - )は、青森県つがる市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。
宮本 裕大(みやもと ゆうだい、1980年7月22日 - )… 宮本 裕大(みやもと ゆうだい、1980年7月22日 - )は、日本の陸上競技選手。青森県つがる市出身。Japan Ultra Multieventsの代表。国内で初となるウルトラ混成陸上競技である二十種競技、十四種競技の大会を開催した。 青森県立木造高等学校在学時代は走り高跳び選手として、1998年のかながわ・ゆめ国体に出場し、6位の成績を残す。その後は国際武道大学体育学部に進学するが成績は振るわず、卒業後は社会人として日本国内初となる二十種競技、十四種競技の大会を企画・開催する。自身の運営するホームページで出場者やスポンサーを募り、地元の青森で開催して多くのメディアに取り上げられる。2006年より国際武道大学の陸上競技部のコーチとなり、2006年、2008年、2014年と二十種競技の大会を開催した。
成田亮(なりた あきら 1980年5月1日 - )は青森県つ… 成田亮(なりた あきら 1980年5月1日 - )は青森県つがる市出身の日本の2輪レーサー(モトクロスライダー)。トライアル (オートバイ)選手の成田亮(なりた りょう)はオフロードバイク競技の選手で同姓同名(読みが異なる)だが別人。 中学2年生の時に全日本モトクロス選手権へ出場。初年度にて国際B級クラスチャンピオンを獲得、史上最年少の14歳でトップカテゴリーとなる国際A級ライセンスを取得する(1995年)。以降2019年までに12度のIA1クラス(旧国際A級250ccクラスを含む)チャンピオンを獲得するなど国内を代表するトップライダーとして活躍した。また、国別対抗戦であるモトクロス・オブ・ネイションズ(旧:モトクロス・デナシオン )でも、2000年と2003年に日本が6位に入賞した際の、日本代表メンバーだった。
盛風力 秀彦(せいふうりき ひでひこ、1967年3月11日 … 盛風力 秀彦(せいふうりき ひでひこ、1967年3月11日 - )は、青森県西津軽郡稲垣村(現・つがる市)出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 秀彦(さとう ひでひこ)。身長184cm、体重131kg、得意手は左四つ、寄り、上手投げ。最高位は西十両12枚目(1992年3月場所)。 相撲を始めた小学校4年生時点ですでに身長170センチあり地元の相撲大会で次々と優勝し、稲垣村立稲垣中学校では全国大会に出場した。中学時代は山中勝巳(のちの関脇・安芸乃島)が佐藤のライバルと目されていた。高校や複数の相撲部屋からのスカウトの中から親方自らが真っ先に佐藤家を訪れた押尾川部屋を選び、中学卒業と同時に入門した。
小島 和恵(こじま かずえ、1965年12月12日 - )は… 小島 和恵(こじま かずえ、1965年12月12日 - )は、青森県つがる市出身の日本の元陸上競技選手。1989年に女子マラソンの日本最高記録(当時)を樹立したが、同年で現役を引退した。 高校入学以前から、吹雪に閉じ込められた校舎で廊下を走っていたという。稲垣村立稲垣中学校 卒業後、青森県立木造高等学校に進学し、長谷川穂と長谷川宇民の指導を受ける。高校3年生の時には青森県高校総体の800mで優勝。「1000m以上の練習は大嫌い」だったため、800mにこだわっていた。木造高校在籍時代の1983年には、『陸奥湾一周駅伝競走大会』(青森県民駅伝競走大会の前身)の第1回大会に、稲垣村代表の女子選手として参加した。
旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年〈昭和35年〉7… 旭富士 正也(あさひふじ せいや、1960年〈昭和35年〉7月6日 - )は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で大島部屋に所属した元大相撲力士、第63代横綱(平成最初の横綱)。本名は杉野森 正也(すぎのもり せいや)。現役時代の体格は身長189cm、体重143kg。得意技は右四つ、寄り、掬い投げ。現在は年寄・宮城野。 血液型はB型、趣味は音楽鑑賞、映画鑑賞。特技は手品。近畿大学を中途退学して大相撲入門後、現役中に同大学通信教育課程に再度入学し卒業(学位は学士)。 木造町立木造中学校、私立五所川原商業高等学校(現在の下山学園高等学校)在学中は相撲部に所属。高校生時代に長野県で行われた第33回国民体育大会では、少年の部の団体優勝に貢献した。
倉光 弘昭(くらみつ ひろあき、1956年11月8日 - )… 倉光 弘昭(くらみつ ひろあき、1956年11月8日 - )は、日本の政治家。青森県つがる市長(2期)。 青森県西津軽郡木造町(現・つがる市木造柴田)生まれ。青森県立五所川原高等学校、明治大学農学部卒業。 1982年(昭和57年)4月、木造町役場に入庁。 2005年(平成17年)2月11日、西津軽郡木造町、森田村、柏村、稲垣村、車力村の1町4村が合併して、つがる市が誕生。2017年(平成29年)4月、つがる市副市長に就任。 2021年(令和3年)2月21日告示、2月28日執行のつがる市長選挙に自由民主党の推薦を受けて立候補し、無投票で初当選した。3月13日、市長就任。2025年(令和7年)2月、無投票で再選。
綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日… 綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日 - )は、現在の青森県つがる市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒滝 隆男(くろたき たかお)。現役時代の体格は177cm、107kg。最高位は東十両13枚目(1980年7月場所)。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。 小学校から相撲部に所属し、青森県大会でも動きの良さを活かした相撲で大活躍し、この頃から力士を志していた。高校を中退し、家族に無断で上京。寿司屋でアルバイトしていたところを常連客の紹介により、大鵬部屋へ入門した。1973年9月場所にて初土俵を踏み、翌11月場所は序ノ口優勝を果たした。1980年7月場所で十両に昇進するも、5勝10敗と大きく負け越し、十両はこの1場所のみとなった。
西崎 憲(にしざき けん、1955年 - )は、日本の小説家… 西崎 憲(にしざき けん、1955年 - )は、日本の小説家、翻訳家、作曲家。音楽レーベル「dog and me rocords」主宰。
坂本 東一(さかもと とういち、1953年8月27日 - )… 坂本 東一(さかもと とういち、1953年8月27日 - )は、ばんえい競走の調教師、元騎手。青森県つがる市出身。血液型O型。 1975年、5月3日騎手としてデビュー。所属は梨本照夫厩舎。5月11日にヤマトニシキで初勝利。 1983年8月17日に通算100勝、1989年11月27日に通算500勝、1995年8月28日に通算1000勝を達成した。 2003年、1月6日にばんえい史上3人目となる通算2000勝を達成した。 2007年、12月19日に2007年度第3回調教師・騎手免許試験新規合格者が発表され、調教師試験に合格したことが明らかになった。12月30日の騎乗が引退レース。 2008年、1月1日付で調教師免許が交付され、4月1日付で厩舎を開業。
青山 良平(あおやま りょうへい、1952年10月23日 -… 青山 良平(あおやま りょうへい、1952年10月23日 - )は、青森放送(RAB)のパーソナリティ兼ディレクター。青森県つがる市出身。青森県立木造高等学校卒。愛称は(後輩の青山英次がいるため)良平、良平さん、良ちゃん良平ちゃん。 『津軽弁の日』メンバーの一人であり、開催される10月23日(高木恭造の命日)は奇しくも青山自身の誕生日のため、祝福されている。 岩手県盛岡市に住んでいた頃にたまたまデンコードーにてレコードを見ていたところ、伊奈かっぺいの「消ゴムで書いた落書き」のレコードを見かけて購入し、そのレコードを聞いて衝撃を受ける。なお、青山は当時、伊奈かっぺいのことは全く知らなかった。 その後、青森へ戻り様々な仕事を経て、田中耕一の店で飲んでいたところ田中より「良平おめ、面白ぇなぁ、俺のラジオさ出るが?」と誘われ、ラジオ番組に出演。
工藤淳(くどう じゅん、1949年10月14日 - )は、ア… 工藤淳(くどう じゅん、1949年10月14日 - )は、アップルウェザーの代表取締役であり、気象予報士、防災士である。
出羽ノ花 好秀(でわのはな よしひで、1928年11月1日 … 出羽ノ花 好秀(でわのはな よしひで、1928年11月1日 - 2011年3月3日)は、青森県西津軽郡車力村(現、同県つがる市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は小山内 清三(おさない せいぞう)。最高位は西前頭13枚目(1957年1月場所)。現役時代の体格は176cm、94kg。得意手は突っ張り、右四つ、寄り。 1946年に上京して角界入りし、同年11月、出羽海部屋から初土俵を踏んだ。 当初は本名や「大櫻」を名乗っていたが、幕下時代、同部屋の先輩(出羽ノ花國市)に因んだ「出羽ノ花」の四股名を襲名。 最盛期でも25貫(93キロ強)という軽量であったため、出世は早くはなかった。 1952年1月場所で十両昇進、1954年1月場所で新入幕を果たす。
上原 賢六(うえはら けんろく、1924年(大正13年)6月… 上原 賢六(うえはら けんろく、1924年(大正13年)6月3日 - 1980年(昭和55年)9月14日)は昭和期の作曲家。兄は同じく作曲家の上原げんと。 青森県つがる市出身。東洋音楽学校卒業。1945年(昭和20年)、召集され満州へ出征。シベリア抑留を経験し、帰国後、兄上原げんとのもとで作曲を学ぶ。後に作曲家になる船村徹と知り合い、共にバンドの仕事をするなどして、1953年(昭和28年)テイチクレコードの専属作曲家になる。主に石原裕次郎とコンビを組み、「俺は待ってるぜ」、「錆びたナイフ」、「赤いハンカチ」などを作曲した。1980年(昭和55年)9月14日心臓疾患にて死去。56歳没。墓所は東京都の小平霊園。
上原 げんと(うえはら げんと、1914年(大正3年)12月… 上原 げんと(うえはら げんと、1914年(大正3年)12月28日 - 1965年(昭和40年)8月13日)は、昭和期の日本の作曲家。上原 絃人とも。弟も同じく作曲家の上原賢六。 よこはま・たそがれ - 長崎から船に乗って - かもめ町みなと町 - 待っている女 - 夜汽車の女 - 旅鴉 - あなたの灯 - 霧の出船 - ふるさと - 狼のバラード - 夜空 - 別れの鐘の音 - 紅い花 - 浜昼顔 - みれん - 明日の愛 - 哀恋記 - ひろしのさくら音頭 - 千曲川 - ふたりの旅路 - 愛の始発 - 北酒場 - 旅人 - どこへ帰る - 途中駅 - 風の子守唄 - 今日だけは - 灯りが欲しい - 潮どき - まだ乾かない油絵に - あしたも小雨 - 熱愛 - 惜春 - 蟬時雨 - おまえとふたり 倖せさがして - 日本橋のうた - ふたりの夜明け - 港・ひとり唄 - 越前有情 - 人生かくれんぼ - 愛しつづけるボレロ - 流れのままに - 契り - あなた - 雨あがり - 細雪 - 科学万博音頭 - 長良川艶歌 - そして…めぐり逢い - 夢しずく - 浪花盃 - 追憶 - それは…黄昏 - 港の五番町 - 絆 - 面影の郷 - フラワー&グリーン 花の輪音頭 - 暖簾 - 二枚目酒 暖簾 (ニューバージョン) - 心 - 吹きだまり/母人よ - 時が過ぎれば… - おしどり - 杯に歌のせて - 愛別 - 終着駅 - べにばな - 涙でもかまわない - 女・ひとり - 汽笛 - パパとあそぼう - 愛のバラードを…となりで - 酒 尽尽 - 由良川慕情 - 女の酒場 - 粋な男 - 出発の朝 - 罪と罰 - 紫陽花 - 雑草 - そして…花送り - 千日草 - 傷だらけの人生 - 北のともしび - 酒ひとり - 流れ星 - 萩の花郷 - 再り会い 京都恋歌 - 山河 - 風雪に吹かれて聞こえる唄は… - おふくろの子守歌 - 逢いたかったぜ - 渚の女 (ニューバージョン) - 傘ん中 - 北物語 - 望郷の詩 - 逢えて…横浜 - アカシア挽歌/雪燃えて - 大阪ナイトスキャンダル - ふりむけば日本海 - 高瀬舟 - 献身 - ゆめかぜ - この愛に死んでも - ふるさと ~'08バージョン~ - 橋場の渡し - テネシーワルツ - 江戸の手毬唄 - 凍て鶴 - 雪が降る - 紅い花
立汐 唯五郎(たてしお ただごろう、1903年4月11日 -… 立汐 唯五郎(たてしお ただごろう、1903年4月11日 - 1935年4月28日)は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)出身で振分部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤本 唯五郎(旧姓長谷川)。最高位は西十両5枚目。兄は幕内力士の立汐祐治郎。 浪ノ音の振分部屋に入門。1918年5月場所で「鷹城山」の四股名で初土俵を踏む。1920年1月場所「鷹ヶ汐」に改名。1924年5月場所から兄の四股名の「立汐」を名乗った。1927年5月場所新十両。10月場所では幕下のままのため、東京場所と地方場所では番付の地位が異なるという珍現象を起こした。十両で勝ち越すことはなく、1930年3月場所限り廃業した。十両在位は4場所に終わり、兄に続く入幕は果たせなかった。
潮ヶ濱 義夫(しおがはま ぎふ、1897年12月8日 - 1… 潮ヶ濱 義夫(しおがはま ぎふ、1897年12月8日 - 1937年11月6日)は、青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は長谷川 義夫。現役時代の体格は身長170cm、体重90kg。最高位は西前頭11枚目(1930年1月場所・3月場所)。得意手は突っ張り、左四つ、寄り、足癖。 旧制函館中学校(現・北海道函館中部高等学校)を卒業し、小学校の代用教員をしていたという、角界では異色の経歴を持つ。遠縁に幕内力士立汐祐治郎・立汐唯五郎の兄弟がいた。3代高砂(元大関2代朝潮)に入門して1917年1月場所で初土俵。6年後の1923年5月場所に十両昇進、1928年3月場所で入幕した。
立汐 祐治郎(たてしお すけじろう、1888年4月2日 - … 立汐 祐治郎(たてしお すけじろう、1888年4月2日 - 1972年11月7日)は、青森県西津軽郡木造町(現つがる市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は長谷川 祐治郎。身長170cm、体重86kg。最高位は西前頭13枚目。立汐唯五郎は実弟。 浪ノ音健藏に見出され入門。1906年5月に初土俵を踏み、1910年6月十両昇進した。1911年10月、岐阜県内での巡業中に八甲山純司が締めていた化粧廻しを見て「そんな化粧廻しはみっともないぜ」と言ったのに対し、八甲山は「お前に言われる筋合いはない」と反論されたのに腹を立て、取組で土俵に上がった八甲山に剃刀を手にした立汐は土俵に乱入してその場で八甲山のマゲをつかんで切り落とし、さらに右腕に長さ10cmの切り傷を負わせるトラブルを起こした。
千年川 亀之助(ちとせがわ かめのすけ、1884年1月21日… 千年川 亀之助(ちとせがわ かめのすけ、1884年1月21日 - 1936年3月4日)は、青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身で高砂部屋、立田山部屋に所属した力士。本名は小嶋 佐兵衛。6代立田山。170cm、94kg。最高位は東小結。得意技は左四つ、寄り、掬い投げ。 1900年5月場所で初土俵。入門当初は体質が弱く病気勝ちで、当時の高砂親方に出世の見込みが無いと諭されて一旦は帰郷させられたが、力士への思いを断ち難く再び上京し、同郷の立田山部屋に入門した。そのため番付表に自身の名が初めて現れたのは1902年5月場所のときで、その場所は序二段であった。1907年1月場所で十両昇進。1908年1月場所で新入幕、1911年6月場所には小結に昇進した。
雲竜 辰五郎(うんりゅう たつごろう、1880年3月 - 1… 雲竜 辰五郎(うんりゅう たつごろう、1880年3月 - 1919年12月30日)は、青森県つがる市出身で追手風部屋、高砂部屋、草風部屋(京都相撲)、藤島部屋(大坂相撲)、再度追手風部屋に所属した力士。本名は野宮 辰五郎。165cm、98kg。最高位は東前頭7枚目。7代千賀ノ浦。 1900年1月初土俵を踏むが、三段目の時に脱走、大坂相撲、京都相撲に在籍した。1909年6月の三都合併相撲で好成績を残し、1910年6月東上して幕内格付出で入幕した。1911年2月6勝2分1預1休で優勝旗手。侠気に富みもめ事の仲裁をよく務めていた。1916年1月に引退して千賀ノ浦を襲名したが1919年、風邪をこじらせ39歳で急死。
原田 藤次郎(はらだ とうじろう、1874年(明治7年)10… 原田 藤次郎(はらだ とうじろう、1874年(明治7年)10月21日 - 1948年(昭和23年)1月5日)は、明治時代後期から大正時代の政治家、銀行家。衆議院議員。 原田佐治郎の長男として、青森県西津軽郡森田村(現・つがる市森田町)に生まれる。農業を営む傍ら青森県農工銀行取締役を歴任する。1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で青森県第4区から立憲政友会所属で出馬して当選し、2期務めた。 在任中は五能線の五所川原以西の延伸に尽力し、1924年(大正13年)には陸奥森田駅まで列車が走るようになり、翌年には鰺ケ沢まで、1934年(昭和9年)には深浦まで開通した。1933年(昭和8年)から1946年(昭和21年)までは西津軽郡土淵堰、悪水路の両水利組合議員を務め、農業水利の改善に尽くした。
津島 源右衛門(つしま げんえもん、1871年8月3日〈明治… 津島 源右衛門(つしま げんえもん、1871年8月3日〈明治4年6月17日〉 - 1923年〈大正12年〉3月4日)は、日本の政治家、実業家、青森県多額納税者、資産家。衆議院議員(青森県郡部選出、当選1回)。貴族院議員。族籍は青森県平民。 小説家太宰治の父である。孫は俳優の津島康一、小説家の津島佑子、小説家の太田治子、曾孫は政治家の津島恭一、政治家の津島淳、劇作家の石原燃などがいる。 青森県西津軽郡木造村(現つがる市)の松木家に、8代目七右衛門の四男として生まれる。旧名は永三郎。1888年、北津軽郡金木村(現五所川原市)の津島家の婿養子となる。1892年、「源右衛門」と改名。農業、商業を営む。 金木銀行設立の議が起ると率先して尽力する。
長内 則昭(おさない のりあき、1869年4月23日(明治2… 長内 則昭(おさない のりあき、1869年4月23日(明治2年3月12日) - 1937年(昭和12年)5月17日)は、明治から昭和時代初期の政治家。衆議院議員(1期)。 長内泰民の子として陸奥弘前藩領西津軽郡穂積村(青森県西津軽郡稲垣村を経て現つがる市)に生まれる。東奥義塾を経て弘前公立病院附属医学校に入る。1885年(明治18年)同校閉校に伴い東京慈恵医学専門学校に入学するが、政治家を志し中退し新聞記者となる。その後、北海道に渡り材木商を始めるが挫折し、帰郷する。また、日清戦争に従軍した。 1899年(明治32年)稲垣村助役、1903年(明治36年)郡議から青森県会議員に転じ、1906年(明治39年)第3代稲垣村長に就任する。
千年川 政吉(ちとせがわ まさきち、文久元年7月25日(18… 千年川 政吉(ちとせがわ まさきち、文久元年7月25日(1861年8月30日) - 明治45年(1912年)7月4日)は、青森県つがる市出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は奈良 安吉(なら やすきち)。身長170cm、体重94kg。最高位は小結。 一ノ矢藤太郎を頼って津軽から上京。小結を5場所務めた。腸を患っていたため思うような活躍ができなかったが、技量も土俵態度も優れ、三役の風格を持っていた。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
市田 兵七(いちた/いちだ ひょうしち、1856年4月29日… 市田 兵七(いちた/いちだ ひょうしち、1856年4月29日(安政3年3月25日) - 1914年(大正3年)5月29日)は、明治時代の政治家、銀行家。衆議院議員(2期)。 陸奥弘前藩領津軽郡木作新田(青森県西津軽郡木造町を経て現つがる市)に生まれる。近江国神崎郡市田村(滋賀県神崎郡竜田村、北五個荘村、五個荘町を経て現東近江市)を本拠とした市田家の子孫。1885年(明治18年)西津軽郡会議員に当選し、議長代行者を務める。1891年(明治24年)には青森県会議員となり、1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙では工藤行幹の急死に伴う補欠選挙で当選した。第10回総選挙でも憲政本党の非公認で出馬し当選。
城岡 れい(しろおか れい) 青森県つがる市出身。女性作詞家… 城岡 れい(しろおか れい) 青森県つがる市出身。女性作詞家。 第39回(平成18年)日本作詩大賞(テレビ東京)上杉香緒里「おんな酒」優秀賞入賞 第39回(平成18年)日本有線大賞 有線音楽賞「おんな酒」受賞 『新宿の月』 「春江ワルツ」 『マゼンダの黄昏に』 『よりそい酒』 「よりそい酒パートⅡ」『永遠の花』 「鴎のブルース」 『おんな傘』 「堂島しぐれ」『波止場うた』 「紅蓮の花」『鬼灯』 「白い着物」『暗夜の恋』 「風の酒」 『黄昏に愛を・・・』「愛のソーシャルダンス」 『チェビ~燕』「黄砂の時」『めぐりあい』「つよがり」 「愛の流れに」「地図のない道」