小森谷 泉(こもりや いずみ、1954年12月9日 - 20… 小森谷 泉(こもりや いずみ、1954年12月9日 - 2023年1月13日)は、日本のピアニスト。元桐朋学園大学教授、音楽学部学部長。茨城県古河市出身。 茨城県古河市で声楽家の父・小森谷二雄、ピアニストの母・マリ子の元で生まれ、3歳から母の手ほどきでピアノを始める。9歳で桐朋子供のための音楽教室(仙川教室)入室。大島久子に師事。 1969年に桐朋女子高等学校音楽科へ入学(音楽科は男女共学)。1976年桐朋学園大学音楽学部卒業。森安芳樹、井口基成に師事。 1977年にジュネーブ音楽院へ入学し、ルイ・ヒルトブラン(ロシア語版)に師事。1980年にジュネーブ音楽院卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
菅谷 憲一郎(すがや けんいちろう、1952年(昭和27年)… 菅谷 憲一郎(すがや けんいちろう、1952年(昭和27年)4月3日 - )は、日本の政治家。茨城県古河市長(1期)、茨城県議会議員(1期)、総和町長(2期)などを歴任した。 茨城県古河市出身。茨城県立古河第一高等学校を経て1975年(昭和50年)3月、東海大学政治経済学部卒業。38歳のときに首長になろうと決意し、1992年(平成4年)、総和町長選挙に出馬するも落選。1996年(平成8年)の町長選挙で初当選。2000年(平成12年)に再選。2004年(平成16年)の町長選挙で白戸仲久に敗れる。 2005年(平成17年)9月12日、旧古河市と総和町、三和町が新設合併、現在の古河市となる。これに伴って行われた古河市長選挙に出馬するも落選。
野伏 翔(のぶし しょう、1952年1月23日 - )は、日… 野伏 翔(のぶし しょう、1952年1月23日 - )は、日本の演出家、映画監督。劇団夜想会主宰。茨城県古河市出身。 獨協大学外国語学部英語学科卒業。文学座演劇研究所を経て1982年「劇団夜想会」を設立。これまでの演出作品は100作品を超える。劇団設立初期はシェイクスピア、サルトル、チェーホフ作品など新劇作品の演出多かった。 俳優として『トーキング・ヘッド』(押井守監督・1992年)に出演している。 空手道、少林寺拳法、剣道などの武道が趣味で計十段の腕前を誇る。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
永岡 洋治(ながおか ようじ、1950年〈昭和25年〉12月… 永岡 洋治(ながおか ようじ、1950年〈昭和25年〉12月24日 - 2005年〈平成17年〉8月1日)は、日本の政治家、農林水産官僚。自由民主党(亀井派)に所属した。妻は洋治の死後地盤を引き継いで衆議院議員となった永岡桂子。 茨城県古河市出身。埼玉県立春日部高等学校を経て、東京大学法学部卒業。ハーバード大学大学院修了。1975年(昭和50年)、農林水産省に入省。1985年(昭和60年)、鹿児島県農政課長。1987年(昭和62年)、農林水産省大臣官房予算課長補佐。1990年(平成2年)、農林水産省大臣官房企画室上席企画官。1991年(平成3年)、農林水産省大臣官房総務課調査官。1993年(平成5年)、農林水産省経済局国際部ガット室長。
井上 高志(いのうえ たかし、1950年6月7日 - )は、… 井上 高志(いのうえ たかし、1950年6月7日 - )は、日本の俳優。本名、井上 孝(読み同じ)。 茨城県古河市出身。茨城県立古河第一高等学校卒業。文学座附属演劇研究所出身。アクティブハカタに所属。 高校生時代の部活は演劇部。高校2年生の時に東宝ニューフェイス、新劇のそれぞれの試験を受けるもいずれも不合格。高校卒業後は就職してサラリーマン生活を送る。1974年に文学座附属演劇研究所入所。
沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人… 沖 ななも(おき ななも、1945年9月24日 - )は歌人。歌誌「熾」代表。本名は中村眞理子。 茨城県古河市生まれ。埼玉県立浦和西高等学校卒業。 中学生のころから現代詩をつくり始め、1968年、若い人社文学会に参加。1974年、歌誌「個性」に入会(2004年終刊)。1994年1月、佐藤信弘と「詞法」を創刊、2004年4月、「熾」と改め、代表となる。2024年、「熾」が発足して20年になることを記念して、既刊10歌集を収めた『沖ななも選歌集』が刊行された。 2008年より、朝日新聞埼玉版および埼玉新聞の短歌欄選者。2009年より、埼玉文芸賞(さいたま文学館)および埼玉文学賞(埼玉新聞社)の選考委員。
大出 健(おおいで けん、1942年1月4日 - )は、日本… 大出 健(おおいで けん、1942年1月4日 - )は、日本の翻訳家。電子書店グーテンベルク21主宰。 茨城県古河市出身。本名・大和田伸。1968年東京大学文学部卒、講談社出版研究所に入る。1980年からフリー。『ギネスブック』、ゲームブック、「修道士カドフェル」シリーズなどの翻訳をおこなう。1998年からインターネット上の書店「グーテンベルク21」を開始した。
田村 隆(たむら たかし、1941年4月1日 - 2024年… 田村 隆(たむら たかし、1941年4月1日 - 2024年12月18日)は、日本の放送作家。茨城県古河市出身。明治学院大学文学部卒業。愛称は「タムセン」(田村先生の略。名付け親は加藤茶と木の実ナナ)。 大学在学中に「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)の秋元近史ディレクターに自作のコント台本を送付。それを目にした秋元から番組収録の見学に誘われ、そこで青島幸男を紹介されて弟子入りして放送作家としてデビュー。70年代〜90年代に多くのヒット番組を生み出し、多い時は週に14本のレギュラーを抱えていた。 妻は元女優、モデルの狩野恵子。 2024年12月18日午後7時40分、敗血症のため東京都内の病院で死去。
小林 久三(こばやし きゅうぞう、1935年11月15日 -… 小林 久三(こばやし きゅうぞう、1935年11月15日 - 2006年9月1日)は、日本の小説家・推理作家。脚本家、プロデューサーとしても活動した。本名読みは、こばやしひさみ。日本推理作家協会元会員。 茨城県古河市生まれ、県立古河第一高校から東北大学文学部へ進学する。野村芳太郎監督松本清張原作『張込み』を観て映画の道を志し、大学卒業後1961年に松竹大船撮影所に助監督として入社。シノプシス(原作の要約)作成の仕事を経て、喜劇を中心に多数の映画に脚本家としても名を連ねた。中では『吸血鬼ゴケミドロ』が今日でも有名だが、共同脚本の高久進は、後年『映画芸術』誌上で小林は会社のお目付け役で実際には執筆していないと語っている(小林は高久のSFセンスを絶賛している)。
粕谷 栄市(かすや えいいち、1934年11月9日 - )は… 粕谷 栄市(かすや えいいち、1934年11月9日 - )は、日本の詩人。不条理な寓話やショートショートの趣もある散文詩を専門とする。 茨城県古河市生まれ。従兄に粒来哲蔵がいる。実家は製茶業の二津屋。1956年早稲田大学商学部卒。在学中「早稲田詩人会」所属。1957年『ロシナンテ』に参加、石原吉郎を知る。 1971年詩集『世界の構造』で第2回高見順賞受賞。 1972年『歴程』同人。1995年高貝弘也、江代充、法橋太郎と『幽明』創刊。 1989年詩集『悪霊』で第27回藤村記念歴程賞受賞。 1999年詩集『化体』で第15回詩歌文学館賞受賞。 2005年『鄙唄』『轉落』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。 2011年『遠い川』で第6回三好達治賞受賞。
吉原 泰助(よしはら たいすけ、1933年2月14日 - 2… 吉原 泰助(よしはら たいすけ、1933年2月14日 - 2022年1月21日)は、日本のマルクス経済学・フランス古典派経済学研究者、護憲論者、反戦主義者。福島大学名誉教授、元学長。福島県九条の会代表。九条の会全国講師団メンバー。専門は経済理論・経済理論史。 茨城県古河市生まれ。1951年埼玉県立浦和高等学校卒、東京大学教養学部文科一類に入学。教養学部の同級に井上喜一、小和田恒、栗山尚一、黒井千次がいる。東大教養学部在籍中は三鷹寮に入り、4期と6期の寮委員長を務め、初代都寮連委員長。その後、東京大学法学部三類(政治学)に進学、1955年に卒業し同大学経済学部に学士入学、1957年同学部卒業。同大学院社会科学研究科(博)に進学、1962年単位取得満期修了。
半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2… 半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。
金田 常代(かねだ つねよ、1926年〈大正16年〉6月21… 金田 常代(かねだ つねよ、1926年〈大正16年〉6月21日 - 1988年〈昭和63年〉3月30日)は、日本の画家・絵本作家。茨城県古河市生まれ。 小学校・幼稚園の教師を経て、自由で豊かな感性を育む子どものためのアトリエを開設。アジア各地を旅し、長年にわたって子どもをテーマに絵を描き続けた。 代表作「ロミラの夢」(偕成社)は、1982年に絵本にっぽん賞を受賞した作品で、英語および韓国語にも翻訳・出版されている。 1926年(大正16年) - 茨城県古河市に生まれ、4人姉妹の末娘として育つ。 1948年(昭和23年) - 行動美術研究所にて向井潤吉、高井貞二に師事、本格的な絵の勉強を始める。
永井 路子(ながい みちこ、1925年〈大正14年〉3月31… 永井 路子(ながい みちこ、1925年〈大正14年〉3月31日 - 2023年〈令和5年〉1月27日)は、日本の歴史小説家。本名は黒板擴子(くろいた ひろこ)。茨城県古河市および神奈川県鎌倉市の名誉市民。 東京府東京市本郷区に生まれる。実父は来島清徳、実母は声楽家の永井智子。実父は生後数年で死去している。 母が一人娘だったため、母の実家を継ぐ目的で、血縁的には大叔父に当たる永井八郎治の長女として入籍。3歳で茨城県古河町(現:古河市)に転居して、当地で育つ。茨城県立古河高等女学校(現:茨城県立古河第二高等学校)卒業。1944年、東京女子大学国語専攻部を卒業。戦後は東京大学で経済史を学んだ。 1949年、歴史学者の黒板勝美の甥で同じく歴史学者となる黒板伸夫と結婚し、東京・中野に転居。
一色 孝(いっしき たかし、1915年6月3日 - 1958… 一色 孝(いっしき たかし、1915年6月3日 - 1958年4月15日)は、日本の薬学者(薬学博士〈東京大学)。 1957年に新設された東北大学医学部薬学科の初代教授として赴任し、学科のカリキュラム立案、学科の教室や研究室の新設・改設などに従事した。一年後の名古屋の学会に出席中、研究室火災の報を受け、急遽、仙台に戻る夜行列車途中の伊達駅付近で急逝した。 東京帝国大学薬学科の朝比奈泰彦研究室で石館守三助教授の指導のもとで薬学研究をスタートし、石館守三教授の新設講座設立(薬品分析化学講座)に伴い、副手、助手、助教授として研究を行った。 1943年の秋頃、古河町の実家に疎開し以後古河から通勤したが戦時中でありしばしば研究を中断せざるを得なかった。
斉藤 丑松(さいとう うしまつ、旧姓鹿倉(しかくら)、191… 斉藤 丑松(さいとう うしまつ、旧姓鹿倉(しかくら)、1912年12月24日 - 1994年6月4日)は日本の作曲家、ホルン奏者。茨城県猿島郡新郷村(現古河市)出身。 1912年、茨城県猿島郡に鹿倉浅之丞の四男として生まれる。1929年、海軍軍楽兵として横須賀海兵団に入団。アルトホルンを専攻する。1931年には地中海方面に派遣された練習艦隊に乗り組む。成績優秀につき1932年には東京音楽学校に練習生として派遣される。1935年に処女作である「空軍の威力」を発表して以来、帝国海軍軍楽隊のエースとして活躍。その独特の旋律は「鹿倉節」と軍楽隊関係者でよばれていた。もっとも、作品の著作権を軍楽隊員個人が持つことがふさわしくないとされたため、作品は発表当時はすべて「○○(陸軍、海軍、帝国のいずれかが入る)軍楽隊作曲・編曲」と記されるようになった。
宇賀田 順三(うがた まさぞう、じゅんぞう、1898年8月1… 宇賀田 順三(うがた まさぞう、じゅんぞう、1898年8月10日 - 1979年5月19日)は、日本の法学者。専門は、憲法・行政学。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1961年)。九州帝国大学教授、八幡大学(現・九州国際大学)学長・理事長をつとめた。 1898年、茨城県古河市生まれ。 前身の法学校、専門学校から創設に於いて実質的な八幡大学の真の中心人物といえる宇賀田は1952年に学長に就任した。1954年人事に関し学長の宇賀田と一部教授陣との確執が大学紛争に発展し各メディアで報道される事になった。この八幡大学事件は八幡市長、八幡市議会、八幡商工会議所、安川電機株式会社等が両派の斡旋に動き、福岡地方裁判所小倉支部にて調停となったが断裂し、凡そ1年の及ぶ騒動は1955年1月、結局宇賀田の学長辞任(事実上解任)という結果で終止符を打った。
佐藤 洋之助(さとう ようのすけ、1894年(明治27年)7… 佐藤 洋之助(さとう ようのすけ、1894年(明治27年)7月9日 - 1984年(昭和59年)7月7日)は、日本の政治家、実業家。所属政党は戦前は立憲政友会→政友会革新同盟→日本進歩党、公職追放解除後は自由党→自由民主党。衆議院議員を通算10期務めた。 茨城県猿島郡古河町(現在の古河市)の旧家・佐藤長之助の長男として生まれる。慶応義塾大学中退。古河町会議員、茨城県会議員、同副議長を経て、1932年の第18回衆議院議員総選挙で茨城県3区(当時)から政友会公認で立候補して初当選。1939年の政友会分裂に際しては中島知久平が総裁を務める政友会革新派に参加。1942年の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。
本間 憲一郎(ほんま けんいちろう、1889年〈明治22年〉… 本間 憲一郎(ほんま けんいちろう、1889年〈明治22年〉2月24日 - 1959年〈昭和34年〉9月19日)は、昭和期の国家主義者。頭山満の高弟。号は紫山。 古河町(現在の茨城県古河市)出身。父秋田代吉は古河藩士秋田重柔の二男、母本間まさ(お正とも記述する)は水戸藩主徳川斉昭の侍医であった本間玄調の孫(玄調の長男・高佐=たかすけの二女)。 明治24年(1891年)1月に父が死去し、同年2月27日に母ともども本間家に復籍。翌明治25年(1892年)に母が再婚し東京へ行くものの、憲一郎は水戸市藤坂町(現在の水戸市泉町三丁目、五軒町三丁目のあたり)の伯父本間包三(かねみつ)方に預けられた。 憲一郎は水戸市五軒小学校、水戸市三の丸高等小学校、茨城県水戸中学校を経て、明治44年(1911年)に東洋協会専門学校(現在の拓殖大学)支那語科へ入学。
飯島 雷輔(いいじま らいすけ、1887年(明治20年)10… 飯島 雷輔(いいじま らいすけ、1887年(明治20年)10月20日 - 1964年(昭和39年)2月21日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、貴族院勅選議員、茨城県旧古河市長。 茨城県西葛飾郡古河町(現:古河市)で、製糸業・飯島政吉の長男として生まれる。1909年(明治42年)家業を継承した。 武州銀行相談役、飯島商店社長、日本特殊合金鋳工社長、長島製糸所代表、古河町農会長、日本赤十字社特別社員、済生会特別会員などを務めた。 1936年(昭和11年)4月、古河町長に就任し同年11月まで在任。1939年(昭和14年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ、1941年(昭和16年)10月2日に辞任した。
竹上 常三郎(たけがみ つねさぶろう、1872年12月9日〈… 竹上 常三郎(たけがみ つねさぶろう、1872年12月9日〈明治5年11月9日〉- 没年不詳)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級。旧姓・大橋。 茨城県、後の古河町(現古河市)出身。大橋力蔵の二男として生まれ、竹上寅吉の養子となり家督を相続した。 1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業し、同年9月、陸軍歩兵少尉に任官。1897年(明治30年)12月、陸軍大学校(14期)に入学し、1900年(明治33年)12月に卒業して士官学校に配属された。日露戦争では第7師団参謀として出征した。 以後、第17師団参謀などを経て、1914年(大正3年)8月、歩兵大佐に進み陸軍省人事局補任課長に就任。
小久保 喜七(こくぼ きしち、1865年4月17日(慶応元年… 小久保 喜七(こくぼ きしち、1865年4月17日(慶応元年3月22日) - 1939年(昭和14年)12月14日)は、日本の政治家、自由民権家。従四位勲二等。中田文武館館長。号は城南。族籍は茨城県平民。 下総国猿島郡(のちの茨城県猿島郡新郷村中田、現在の茨城県古河市)出身。小久保藤吉の長男。幼い頃に母を失い、祖母に養われた。栃木県佐野町で先生に就いて漢学を学んだ。 1879年(明治12年)、郷里に帰り民権自由の説を唱え、自由民権運動に投じる。1883年(明治16年)春に有終会を組織し、又五州志士舟遊会を起し推されて幹事となる。さらに自由党結成大会に出席した。中田文武館を設立し自ら館長となり大に壮士を養う。
初見 八郎(はつみ はちろう、1861年4月14日(文久元年… 初見 八郎(はつみ はちろう、1861年4月14日(文久元年3月5日) - 1930年(昭和5年)5月31日)は、仏語教授、日本の政治家、ジャーナリスト。国会議員衆議院議員。自由民権運動の中心人物。 常陸国猿島郡東山田村(現在の茨城県古河市)出身。東山田村名主の豪農、茨城県多額納税者である初見吉左衛門の四男で土浦五十銀行の頭取を務めた初見敬二郎の長男。明治維新前初見家は代々北山田(きたやまた)の名主でした。農業を中心に大規模な土地経営を行い、地域の有力な地主として知られていました。東山田村は藍の生産地であり、利根川水運を通じて深谷や江戸方面に送られる流通ルート上にあったため、渋沢栄一の藍染業務時代から直接関わっていました。
奥原 晴湖(おくはら せいこ、天保8年8月15日(1837年… 奥原 晴湖(おくはら せいこ、天保8年8月15日(1837年9月14日) - 大正2年(1913年)7月28日)は、幕末から明治期の画家。野口小蘋とともに明治の女流南画家の双璧といわれ、また安田老山と関東南画壇の人気を二分した。 本名は池田せつ(節)もしくは節子、通称:せい子。はじめ石芳と号するが、のちに秋琴・珠琴・蘭瑛・雲錦・静古・星古などと号した。堂号(居宅・画室)に墨吐煙雲楼・繍水草堂など。下総国古河宿(現在の茨城県古河市)出身。 古河藩大番頭の池田繁右衛門政明の四女(三女)に生まれる。母はきく。蘭学者の鷹見泉石は伯父にあたる[要出典]。経学を茅根一鴎、書を小山霞外・小山悟岡に就いて修めた。
河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい、1831年5月18日〈天保… 河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい、1831年5月18日〈天保2年4月7日〉 - 1889年〈明治22年〉4月26日)は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。号は「ぎょうさい」とは読まず「きょうさい」と読む。それ以前の「狂斎」の号の「狂」を「暁」に改めたものである。 明治3年(1870年)に筆禍事件で捕えられたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」と称した。 天保2年(1831年)、下総国古河石町(現茨城県古河市中央町2丁目)にて、河鍋記右衛門ときよの次男として生まれる。父は古河の米穀商亀屋の次男の生まれで、古河藩士・河鍋喜太夫信正の養嗣子で、母は浜田藩松平家の藩士三田某の娘。
合田 智子 は、日本の元女子プロ野球選手。茨城県出身。
鈴木 祥一(すずき よういち)は、日本の官僚。会計検査院第2… 鈴木 祥一(すずき よういち)は、日本の官僚。会計検査院第2局長。 茨城県古河市出身。小山工業高等専門学校を経て、1988年、東京農工大学大学院卒業、会計検査院入省。衆議院出向を経て、2022年12月22日より会計検査院第2局長。2023年4月岐阜県代表監査委員。
染野 行雄(そめの ゆきお)は、日本および香港にて活動中の映… 染野 行雄(そめの ゆきお)は、日本および香港にて活動中の映画プロデューサー。 日本で最も中国映画ビジネスに精通しているプロデューサーであり、現在も、日本・香港を拠点にして日中製作の映画・TV作品のプロデュースを行っている。 茨城県猿島郡三和町(現古河市)生まれ。国立清水海員学校卒業後、第三管区海上保安本部横浜海上保安部巡査船「むろと」配属となる。1966年8月に海上保安部を辞任。 1967年、当時香港最大の映画会社だったショウ・ブラザーズのスタッフが『金燕子』『飛刀手』の撮影のために来日し、現場である御殿場にて主演俳優の乗馬スタントを担当した事がきっかけで、ショウ・ブラザーズより乗馬指導の要請を受け、1968年、香港に渡り同地を拠点にスタントマン、俳優、アクション指導などを行う。