上州山 一(じょうしゅうざん はじめ、1892年(明治25年… 上州山 一(じょうしゅうざん はじめ、1892年(明治25年) - 没年不詳)は、群馬県前橋市若宮町出身の大相撲力士。本名は松本一。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 初め東京相撲の出羽海部屋に入門し碇野 一と名乗って1911年(明治44年)6月序ノ口についた。1914年(大正3年)1月場所前に廃業。 大阪相撲の藤嶋部屋に転じ上州山 常五郎で幕下に付け出された。1917年(大正6年)1月入幕、5月下の名を一に改める。徐々に力をつけ1920年(大正9年)5月小結、1922年(大正11年)1月関脇。この場所8勝2敗で5月には新大関となり9勝1敗で優勝を果たした。168cm90kgの小兵ながら組んで良し離れて良しの相撲巧者で知られた。
猪谷 六合雄(いがや くにお、1890年〈明治23年〉5月5… 猪谷 六合雄(いがや くにお、1890年〈明治23年〉5月5日 - 1986年〈昭和61年〉1月10日)は、日本のスキー指導者。国際オリンピック委員会(IOC)副会長・猪谷千春の父。日本スキー界の草分け的存在。日本職業スキー教師連盟(SIA)2代会長。3回の結婚で計9人の子をもうけた。3人目の妻の定子は日本初の女性ジャンパーでもあった[要出典]。 1890年(明治23年)5月5日、群馬県勢多郡富士見村大洞の赤城山大沼湖畔に生まれた。実際の出生日は5月23日だったが、戸籍上は5月5日生まれとなっている。父は赤城神社の神主をしていた。生家は猪谷旅館を営んでおり、1904年(明治37年)には高村光太郎、石井柏亭、与謝野鉄幹らが訪れている。
内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年〈明治23年〉… 内山 岩太郎(うちやま いわたろう、1890年〈明治23年〉2月28日 - 1971年〈昭和46年〉11月19日)は、日本の外交官・政治家。神奈川県知事(官選、公選第1・2・3・4・5代)、テレビ神奈川初代社長。位階は正三位。日本の国際連合加盟に貢献をした人物として知られる。元丸紅ブラジル会社副社長の内山勇は三男。 1890年(明治23年)、群馬県前橋市天川原町に、父・内山岩吉、母・ちか子の三男として生まれる。1902年(明治35年)、群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学。1905年(明治38年)に校長排斥の同盟休校を起こし放校となり、正則英語学校を経て立教学院に編入、1907年(明治40年)卒業。
佐藤 垢石(さとう こうせき、1888年〈明治21年〉6月1… 佐藤 垢石(さとう こうせき、1888年〈明治21年〉6月18日 - 1956年〈昭和31年〉7月4日)は、日本の新聞記者、エッセイスト、釣り師。本名は佐藤 亀吉(さとう かめきち)。号の「垢石」は、アユが好むとされる水垢のついた石に由来する。 1888年(明治21年)、群馬県群馬郡東村大字上新田村(現・前橋市上新田町)に生まれる。佐藤栄三郎・ハツの三男として出生するが、同村の佐藤孝次郎・ケイの養嗣子となる。 桃井尋常高等小学校卒業後、前橋中学(現・群馬県立前橋高等学校)に進学。4年生の時に校長排斥のストライキ(同盟休校)を行い退学処分となり、上京して郁文館中学で学んだ。その後早稲田大学英文科に進学するも中退。
萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)… 萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年(明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人、評論家。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。 群馬県東群馬郡北曲輪町(のちの前橋市北曲輪町(現・千代田町一丁目))に、開業医の父・密蔵と母・ケイの長子として生まれた。名前の朔太郎は、長男で朔日(ついたち)生まれであることから、命名された。1893年(明治26年)に群馬県師範学校附属小学校に入学。この頃から神経質かつ病弱であり、「学校では一人だけ除け者にされて、いつも周囲から冷たい敵意で憎まれている。」 と孤独を好み、一人でハーモニカや手風琴などを楽しんだ。
篠原 秀吉(しのはら ひできち、1886年〈明治19年〉1月… 篠原 秀吉(しのはら ひできち、1886年〈明治19年〉1月5日 - 1971年〈昭和46年〉7月8日)は、日本の新聞記者、実業家。上毛新聞社社長。また、学生時代から柔道で鳴らし、講道館8段という経歴から日本体育協会評議員を務めるなど、スポーツ環境の整備に尽力した。桜郷と号して書をよくした。正四位勲三等。 群馬県前橋町(現・前橋市)に、上毛新聞社初代社長・篠原叶の子として生まれる。旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)を経て、1911年(明治44年)早稲田大学政治経済学部を卒業。同年上毛新聞社に入社。 1926年(大正15年)父の死により上毛新聞社を継ぐ。1939年(昭和14年)に上毛新聞が株式会社となると取締役社長に就任した。
高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1… 高畠 素之(たかばたけ もとゆき、1886年1月4日 - 1928年12月23日)は、日本の社会思想家、哲学者。資本論の全訳を行い、国家社会主義を唱えた。 旧前橋藩士の子。クリスチャンとなり同志社神学校に入るも、途中キリスト教を捨て中退。高崎市で社会主義雑誌『東北評論』を発刊、1908年新聞紙条例により禁固2ヶ月の刑を受け入獄、獄中で英訳のカール・マルクス『資本論』(1867年出版)に出合う。 1911年、売文社に入り社会主義活動に身を挺す。1915年、堺利彦・山川均らと『新社会』を発行することで、マルクス主義を紹介した。特に1917年からカール・カウツキーの『資本論解説』(原題『カール・マルクスの経済学説』、1887年出版)を翻訳したことは、彼のマルクス研究者としての地位を確固のものとした。
平井 晩村(ひらい ばんそん、1884年(明治17年)5月1… 平井 晩村(ひらい ばんそん、1884年(明治17年)5月13日 - 1919年(大正8年)9月2日)は、明治・大正時代の日本の詩人・小説家・新聞記者。民謡詩人として多くの作品を残した。群馬県前橋市出身。本名は駒次郎。 1884年(明治17年)5月13日/15日/17日、群馬県前橋本町(現在の前橋市本町2丁目)に生まれる。実家は酒造業を営んでいた。祖父・與吉は近江国蒲生郡(現在の滋賀県東近江市)の出身で、武蔵国の造り酒屋「中村屋」に奉公した後前橋にのれん分けをした。與吉は現在の新潟県柏崎市出身のゆきを妻としたが夫婦には子がなかったため、晩村の父となる仙太郎を養子に迎え、とを(ゆきの妹)と結婚させた。
清水 留三郎(しみず とめさぶろう、1883年〈明治16年〉… 清水 留三郎(しみず とめさぶろう、1883年〈明治16年〉4月28日 - 1963年〈昭和38年〉4月18日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、外務政務次官。 現在の群馬県前橋市大手町に生まれる。群馬県立前橋中学校を経て、1902年(明治35年)に早稲田大学法科を卒業した。その後渡米し、ワシントン大学とミネソタ大学で学び、法学修士の称号を得た。帰国後は関東産業新聞社長、上野新聞社専務、上毛機械合資会社代表社員、合資会社桜組支配人などを務めた。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に憲政会から出馬し、当選。第16回より立憲民政党に所属し、第21回に至るまで7回当選を果たす。
斎藤 玉男(さいとう たまお、1880年〈明治13年〉4月1… 斎藤 玉男(さいとう たまお、1880年〈明治13年〉4月14日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は日本の医師、精神医学者。高村智恵子の晩年の主治医であった。 1880年(明治13年)、群馬県南勢多郡苗ヶ島村(勢多郡宮城村を経て現・前橋市苗ヶ島町)に生まれる。祖父は幕末から明治時代にかけて活躍した国学者・医師であった斎藤多須久(たすく)。群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学医科大学を卒業した。その後、ドイツやアメリカに留学。 東京府巣鴨病院医員として勤務。巣鴨病院の後輩には斎藤茂吉がおり親交を結んだ。1916年(大正5年)日本医学専門学校教授に就任し、1944年(昭和19年)まで務める。
四王天 延孝(しおうでんのぶたか、1879年〈明治12年〉9… 四王天 延孝(しおうでんのぶたか、1879年〈明治12年〉9月2日 - 1962年〈昭和37年〉8月8日)は、日本の陸軍軍人、政治家。ユダヤ陰謀論を唱え『シオン賢者の議定書』の邦訳などを行なった。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。旧姓・西村。 前橋藩士・西村茂兵衛の弟として、埼玉県松山市あるいは群馬県前橋市に生まれ、前橋藩士・四王天政彬の養嗣子となった。1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業し、翌年6月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる。 清国駐屯工兵中隊付などを経て日露戦争に出征。近衛工兵大隊中隊長、大本営運輸通信長官部副官、陸士教官、近衛工兵大隊付などを歴任し、1909年(明治42年)12月、陸軍大学校(21期)を卒業した。
小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1… 小屋 道治(こや みちはる、1879年〈明治12年〉 - 1921年〈大正10年〉6月27日)は、日本の工学者。秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)教授。 小屋右兵衛の長男として1879年(明治12年)に群馬県勢多郡笂井村(現在の前橋市笂井町)に生まれる。父小屋右兵衛は南勢多郡木瀬村の村長(1896年から1904年まで)を務めた人物であり、美学者大塚保治(旧姓・小屋)の兄である。 現在の前橋市立笂井小学校、群馬県立前橋高等学校を卒業後、第二高等学校を経て、東京帝国大学工科大学応用化学科を卒業する。卒業後は東京砲兵工廠火薬製造技術にて研究に従事する。 中国広東省の高等工業学堂の教授を経て、1912年(明治45年)より秋田鉱山専門学校にて、講師、教授を務める。
細谷 而楽(ほそや じらく、1878年〈明治11年〉3月30… 細谷 而楽(ほそや じらく、1878年〈明治11年〉3月30日 - 1940年〈昭和15年〉11月16日)は、日本の彫刻家。本名・三郎。 1878年(明治11年)、群馬県一毛村(現・前橋市城東町1丁目)に生まれる。細谷家は前橋藩士の家柄だった。祖父・登代平の時に廃藩となり、父・桟平は製糸業や質屋を営んでいた。而楽は桟平・まきの三男として生まれた。前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に学ぶが、中退して上京。1897年(明治30年)9月、東京美術学校予科(現・東京藝術大学)に入学する。翌年には新しく開かれた塑造科へと進み担当教官である高村光雲に師事する。同期の高村光太郎(光雲の子息)と親しく交流し、1902年(明治35年)7月に同校を卒業。
小島 源三郎(こじま げんざぶろう、1874年〈明治7年〉1… 小島 源三郎(こじま げんざぶろう、1874年〈明治7年〉11月15日 - 1934年〈昭和9年〉5月19日)は、日本の内務官僚、弁護士。官選秋田県知事、静岡市長。 群馬県勢多郡駒形町(現・前橋市)出身。小島彦右衛門の二男として生まれる。群馬県尋常中学校、私立日本中学校を経て、第一高等学校を卒業。1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し総務局属となる。 以後、広島県参事官、内務省参事官、関東州民政署事務官・旅順支署長、関東都督府民政署長、長崎県事務官・第四部長、静岡県事務官・内務部長などを経て、1913年6月、兵庫県内務部長となる。
遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年〈明治7年〉10… 遠藤 隆吉(えんどう りゅうきち、1874年〈明治7年〉10月2日 - 1946年〈昭和21年〉2月5日)は、日本の思想家、社会学者、教育者。私立巣鴨学園の創設者である。 1874年(明治7年)前橋藩の下級士族・遠藤千次郎、はる夫妻の長男として現在の群馬県前橋市神明町で生まれた。父・千次郎は福澤諭吉の思想に共鳴していた。隆吉は桃井学校に学び、1892年(明治25年)群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業した。第一高等学校に進学し、1896年(明治29年)に卒業。東京帝国大学文科大学哲学科に進んで、1899年(明治32年)に卒業。同校学長の井上哲次郎、心理学教授・元良勇次郎、外国人教師・ケーベルから強く影響を受けた。
大藤 鋳三郎(だいとう ちゅうさぶろう、1874年8月 - … 大藤 鋳三郎(だいとう ちゅうさぶろう、1874年8月 - 1961年4月7日)は、日本の聖職者、神学者、教育者。日本聖公会司祭、立教女学院第7代理事長、聖路加国際病院理事、学校法人聖路加看護学園(現・聖路加国際大学)理事。 1895年(明治28年)6月25日、立教学校(立教大学の前身校の一つ)を卒業。この時の卒業式は第3回生卒業式と、第4回生卒業式が併せて行われ、第3回生の卒業生には、木村重治、須藤吉之祐らがおり、同期である第4回生の卒業生には、大藤鋳三郎のほか、濱口梧洞(10代目濱口儀兵衛、ヤマサ醤油社長)、古河倍造、岩佐松太郎(島根出身)、曾根精(福井出身)、中村正路(熊本出身)、白井兵治(福井出身)、菅沼四郎(奈良出身)、鈴木一(千葉出身)らがいた。
鈴木 たま(すずき たま、明治3年〈1870年〉 - 195… 鈴木 たま(すずき たま、明治3年〈1870年〉 - 1958年〈昭和33年〉12月3日)は、日本の教育者。群馬県における女子教育の先駆者のひとり。明治裁縫学校創設者。名は多満子とも。 明治3年(1870年)、前橋に生まれる。 前橋藩士の家柄で、祖父は祐筆を勤めた。父・鈴木福次郎は西南戦争に抜刀隊として従軍して田原坂の戦いで戦功を挙げ、その後は東群馬・南勢多合同郡役所に勤務した。母の名はトワ。 13歳のときに父をチフスで亡くし、さらに母や弟も病死。15歳から前橋の仕立屋で修業ののち、川越に移り裁縫の技術を修練した。また前橋に仙台の松操女学校(現・仙台大学附属明成高等学校)分校ができたため同校で学ぶ。
大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日〈1869… 大塚 保治(おおつか やすじ、明治元年12月20日〈1869年2月1日〉 - 1931年〈昭和6年〉3月2日)は、日本の美学者、東京帝国大学教授(文学博士)。日本における学術的な美学の創設者とされる。夏目漱石との交友でも知られる。旧姓・小屋。 明治元年(1869年)上野国勢多郡木瀬村大字笂井(現・群馬県前橋市笂井町)に、小屋宇平治(卯平治/宇兵衛)の次男として生まれる。兄・右兵衛は木瀬村長を務めた。笂井小学校を経て、1884年(明治17年)旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。旧制第一高等学校を経て、1891年(明治24年)に帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)哲学科を卒業。大学院で美学を専攻する。
矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年1… 矢部 規矩治(やべ きくじ、明治元年9月20日〈1868年11月4日〉 - 1936年〈昭和11年〉10月2日)は、日本の農学者(醸造学)、大蔵技師。清酒酵母の発見者であり、醸造試験所(酒類総合研究所の前身)の設立に関わるなど、日本の酒造業の発展に貢献した。また、科学的に納豆を研究した先駆者としても知られている。 位階・勲等は正三位勲二等。学位は農学博士。 前橋藩士の長男として、上野国勢多郡一毛村(現在の群馬県前橋市城東町)で生まれた。 群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)卒業後、1886年(明治19年)に第一高等学校に進学。東京帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)に進み、農芸化学を専攻した。
関口 安太郎(關口、せきぐち やすたろう、慶応元年12月25… 関口 安太郎(關口、せきぐち やすたろう、慶応元年12月25日〈1866年2月10日〉 - 1911年〈明治44年〉7月11日)は、明治期の畜産業者、実業家、政治家(衆議院議員、群馬県会議員)。 上野国勢多郡下大島村(群馬県南勢多郡木瀬村、勢多郡木瀬村を経て現前橋市下大島町)で、代々前橋藩の御蔵番を務めた関口家当主・仲次郎、りせ の長男として生まれた。大島梨の栽培で知られる関口長左衛門は祖父の兄にあたる。その後、前橋曲輪町(現:前橋市大手町)に転居した。前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)を卒業し、1890年(明治23年)東京法学院(現中央大学)を卒業。 1894年(明治27年)群馬県会議員に選出され1896年(明治29年)まで在任。
下村 善右衛門(善右衞門、しもむら ぜんうえもん、1863年… 下村 善右衛門(善右衞門、しもむら ぜんうえもん、1863年9月9日(文久3年7月27日)- 1934年(昭和9年)12月27日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。 上野国群馬郡前橋本町(群馬県東群馬郡前橋本町、前橋町本町を経て現前橋市)で、初代前橋市長となる下村善太郎の長男として生まれた。父の方針で福沢諭吉から直接個人教育を受けた。1882年(明治15年)自費で4名の青年を海外に留学させた。 政界では、前橋市会議員、同参事会員を務めた。1899年(明治32年)群馬県会議員に選出された。1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(群馬県前橋市、無所属)で初当選。第8回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
岡 登喜太(おか ときた、安政元年7月5日〈1854年7月2… 岡 登喜太(おか ときた、安政元年7月5日〈1854年7月29日〉 - 1903年〈明治36年〉9月30日、ローマ字表記: Oka Tokita)は、日本の政治家。群馬県勢多郡荒砥村(現・前橋市二之宮町)出身で、同村の初代村長を務めた。群馬県会議員、勢多郡会議員としても活動したほか、地域の寺子屋教育に関与した記録が残る。 安政元年(1854年)、上野国勢多郡二之宮村に、父・岡孝十郎、母・かくの長男として生まれる。 明治維新により大区小区制が施行されると、戸長に就任した。 1889年(明治22年)3月4日、町村制施行により荒砥村が発足し、初代村長に就任した。1901年(明治34年)まで在職。 1890年(明治23年)、群馬県会議員に選出された。
桜井 郁二郎(さくらい いくじろう、嘉永5年9月6日〈185… 桜井 郁二郎(さくらい いくじろう、嘉永5年9月6日〈1852年10月18日〉 - 大正4年(1915年)2月10日)は明治時代、大正時代初期の医師、産婦人科医。 西洋医学による近代的な産婆術の普及に努め、民間で初めてといわれる近代医学に基づく産婦人科専門病院を開設し、産科学の発展と、婦人病の治療、母性衛生の啓蒙に尽くした。 上野国西群馬郡(現在の群馬県)に生まれる。幼名は理作。父は江戸で柔術の天神真楊流の師範代を務めた武道家で、明治維新後は群馬県前橋町で整骨師を始めた。理作(郁二郎)は幼い時より地元の儒者の下で勉強し、1868年(明治元年)17歳の時、郷里を出て前橋に行き、兄が家業を継ぐべく武術と整骨術の道に進む一方で、医学を志し蘭学者で医師の宮下慎堂に就いた。
江原 芳平(えばら/えはら よしへい、嘉永元年9月12日〈1… 江原 芳平(えばら/えはら よしへい、嘉永元年9月12日〈1848年10月8日〉 - 1928年〈昭和3年〉2月19日)は、明治から大正時代の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員、群馬県会議員、群馬銀行頭取。幼名は治三郎。 江原家は元々上野国勢多郡河原浜村(現・群馬県前橋市河原浜町)の出で、江戸時代の前半に前橋へ出て米穀商を営み、その2・3代後から醤油醸造業を始めたという。江原家が富豪となったのは芳平の父芳右衛門が横浜開港に伴い生糸業を始めたことによるという。 芳平は上野国群馬郡前橋新町(群馬県東群馬郡前橋町字新町を経て現前橋市)出身。「穀芳」として知られた江原芳右衛門の三男として生まれる。
小渕 志ち(おぶち しち、1847年11月9日(弘化4年10… 小渕 志ち(おぶち しち、1847年11月9日(弘化4年10月2日) - 1929年(昭和4年)3月16日)は、上野国勢多郡石井村(現・群馬県前橋市)出身の女性実業家(製糸家)。愛知県東三河地方の玉糸製糸業の先覚者とされ、特に豊橋市では「玉糸製糸の祖」として顕彰されている。 座操器による玉糸の操糸法を確立させ、玉繭という屑繭から高品質の生糸を繰ることに成功した。1885年(明治18年)に渥美郡二川町に製糸工場(後の糸徳製糸)を建設した。糸徳製糸の経営の傍ら、東三河地方で同業組合の結成を促進するなど、製糸業の発展に大きな功績をあげた。 弘化4年(1847年)10月2日、上野国勢多郡石井村(現・群馬県前橋市富士見町石井芝110番地)に生まれた。
下村 善太郎(しもむら ぜんたろう、文政10年4月28日〈1… 下村 善太郎(しもむら ぜんたろう、文政10年4月28日〈1827年5月19日〉- 1893年〈明治26年〉6月4日)は、明治時代の生糸貿易商。初代前橋市長。 文政10年(1827年)4月28日、上野国群馬郡前橋本町(現前橋市)で小間物屋、三好屋を営む下村重右衛門の子として生まれる。幼名定之丞。17歳の時に家業を継いで善右衛門と称した。しかし賭博や米相場に手を出して失敗、大きな損失を出す。この頃、大前田栄五郎から博奕にのめりこむのを戒められたとの逸話がある。 嘉永3年(1850年)9月に妻子を連れて武蔵国八王子に転居し再起を図る。その後は横浜開港で八王子が生糸取引中継地となった影響も受けて、生糸商として成功した。
佐渡嶽 沢右エ門(さどがたけ さわえもん、1737年 - 1… 佐渡嶽 沢右エ門(さどがたけ さわえもん、1737年 - 1795年)は、上野国群馬郡(群馬県前橋市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した江戸時代の大相撲力士。最高位は前頭2枚目。現代に続く年寄名跡・佐渡ヶ嶽の初代である。
松本 亜希子(まつもと あきこ、3月31日 - )は、日本の… 松本 亜希子(まつもと あきこ、3月31日 - )は、日本のフリーアナウンサー。ウグイス嬢、スポーツMC、ライター。現在はフリーランス。群馬県前橋市出身。 サッカー: JFL 流通経済大学ドラゴンズ龍ヶ崎 スタジアムMC プレナスチャレンジリーグ入替戦 群馬FCホワイトスター スタジアムMC バスケ:2018-19B.LEAGUE B2男子 西宮ストークス アシスタントMC バレーボール:2018-19V.LEAGUE DIVISON2男子 警視庁フォートファイターズ アリーナMC 馬術: 群馬県馬事公苑馬術連盟主催馬術大会 場内アナウンス
青木 瀬令奈 は、群馬県前橋市出身の日本の女子プロゴルファー… 青木 瀬令奈 は、群馬県前橋市出身の日本の女子プロゴルファーである。リシャール・ミル所属。
古澤 融 は、日本の声優、舞台俳優、演出家。個人事務所のロウ… 古澤 融 は、日本の声優、舞台俳優、演出家。個人事務所のロウノーツ エージェンシー 所属。劇団「Rlung風-ルン-」座長。本名及び旧芸名は古澤 徹(読み同じ)。
青木 朋(あおき とも、12月19日 - )は、日本の女流漫… 青木 朋(あおき とも、12月19日 - )は、日本の女流漫画家。歴史(昭和史、三国志、清朝など)、ミステリー、ファンタジーなどの要素が融合した漫画作品を発表している。 群馬県前橋市出身。京都府立大学文学部歴史学科日本史専攻。 1994年にデビュー。自作『意中の人』が小学館新人コミック大賞に入選。自身では、「漫画賞にひっかかって、親に「漫画家になりたい」とカムアウトするまでは、博物館に勤めたいと公言していました」と語っている。好きな言葉は「笑う門には福来たる」。 現在は東京都を拠点に漫画家として活動中。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
朝陽 つばさ(あさひ つばさ、5月30日 - )は、元宝塚歌… 朝陽 つばさ(あさひ つばさ、5月30日 - )は、元宝塚歌劇団月組男役。 群馬県前橋市、東京農業大学第二高校出身。169cm。愛称は「あさぴ」、「つーたん」。 2011年4月、宝塚音楽学校入学。同期には野々花ひまり、美園さくら、彩みちる、小桜ほのか、OGに笘篠ひとみ、舞雛かのんらがいる。 2013年3月、宝塚歌劇団に99期生として入団。入団時の成績は32番。雪組公演「ベルサイユのばら -フェルゼン編-」で初舞台。 2014年2月、組廻りを経て月組に配属。 2025年3月9日、『ゴールデン・リバティ/PHOENIX RISING -IN THE MOONLIGHT-』千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。
斎藤 和之(さいとう かずゆき、5月16日 - )は、群馬テ… 斎藤 和之(さいとう かずゆき、5月16日 - )は、群馬テレビ営業局事業部長、元同局のアナウンサー。 群馬県勢多郡富士見村(現・前橋市)出身。身長180センチメートル、体重74キログラム(2001年時点)。好きなスポーツは野球、卓球、バドミントン、テニス、ゴルフなどの、ラケットやクラブで打つタイプの球技全般。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
小川 マキ(おがわ まき、3月7日 - )は、日本のシンガー… 小川 マキ(おがわ まき、3月7日 - )は、日本のシンガーソングライター。群馬県前橋市出身。O型。 3月7日、群馬県前橋市生まれ。 群馬県立前橋女子高等学校出身。在学中はテニスにいそしむ。 表現者を志して上京。都内の芸能スクールで演劇や歌を学ぶ。はじめ芝居やタレント活動に精を出すが、「音楽を通じて発信者になりたい」と、2002年春より自ら作詞作曲をしながら、ライブ活動を開始。 2006年6月、伴都美子のファーストソロシングル「Flower」の歌詞を提供。作詞家としてのキャリアを開始する。 2008年2月、10万人に1人といわれている難病・赤芽球癆(せきがきゅうろう)を発症。約2年間、活動休止を余儀なくされる。
マサ 小浜(マサ こはま、Masa Kohama、1月15日… マサ 小浜(マサ こはま、Masa Kohama、1月15日 - )は、長年アメリカ合衆国で、現在は日本で活動しているギタリスト・ソングライターである。 ブラックミュージックを土台としつつ多様かつ独自な音楽性を特徴とし、幅広いアーティストの作品やライブに参加すると共に、グラミー賞受賞作に携わった経験も持つ。 群馬県前橋市出身。前橋市立第二中学校、群馬県立前橋高等学校を経て、青山学院大学文学部英米文学科を卒業後、1991年に渡米、ミュージシャンズ・インスティチュートを卒業。 ロサンゼルスにて、黒人教会(シティ・オヴ・レフュージ)でハウス・ギタリストとして9年間ゴスペルを演奏しながら、ビリー・プレストンやスティーヴィー・ワンダー、ウォーレン・G、イディナ・メンゼル、ジェイムス・ギャドソン(英語版)、テンプテーションズのアリ・オリー・ウッドソン(英語版)等のミュージシャンと共演を重ねた。
金井 昭彦(かない あきひこ)は、日本の国土交通官僚。国土交… 金井 昭彦(かない あきひこ)は、日本の国土交通官僚。国土交通省大臣官房審議官や、観光庁審議官、国土交通省近畿運輸局長などを歴任した。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、京都大学経済学部卒業。1989年運輸省入省、国際運輸・観光局観光部企画課。1993年運輸省関東運輸局自動車第一部旅客第一課長。1996年運輸省運輸政策局複合貨物流通課補佐官。1999年外務省在大韓民国日本国大使館一等書記官。2003年国土交通省総合政策局政策課企画専門官。2005年国土交通省中部運輸局自動車交通部長。 2007年国土交通省大臣官房総務課企画官(自動車交通局併任)。2008年鉄道建設・運輸施設整備支援機構国鉄清算事業管理部担当部長。
柳家 小もん(やなぎや こもん)は、落語家の名前。 柳家 小… 柳家 小もん(やなぎや こもん)は、落語家の名前。 柳家 小もん(やなぎや こもん、1990年9月10日 - )は、落語協会に所属する落語家。本名∶竹澤 雅。 前橋市立粕川小学校、前橋市立粕川中学校、群馬県立前橋高等学校、学習院大学文学部史学科出身。大学時代は、落語研究会に所属しており、委員長もつとめていた。 2013年5月、柳家小里んに入門。2014年11月1日、前座となる。前座名「小多け」。 2018年3月21日、春風亭一花、桃月庵こはくと共に二ツ目昇進し、「小もん」と改名。 2018年春、群馬県出身の若手落語家4名にて同県の全35市町村で公演を催す趣旨の落語家ユニット「上州事変」を結成する。
青柳 美保(あおやぎ みほ)は、フリーアナウンサー、フリーの… 青柳 美保(あおやぎ みほ)は、フリーアナウンサー、フリーの司会者、料理研究家、実業家。 愛称「ムーちゃん」。群馬県前橋市出身。群馬県立前橋女子高等学校を経て、共立女子大学を卒業。群馬テレビ編成部を退社後、フリーの司会者となる。前橋まつりや前橋花火大会など前橋市の公共イベントでの司会を務め、まえばしCITYエフエムで複数番組のパーソナリティを務める。 大学時代の専攻が食物学であり、料理研究家として料理コンテストでの受賞経歴や飲食店向けのレシピ開発や商品プロデュースの実績を持つ。自身がプロデュースしたカフェを開業し、菓子製造やカフェ事業、制服販売などを手掛けるMOO-FACTORYの代表取締役に就任。
阿部 智里 は、日本の小説家。学位は、修士(文学)(早稲田大… 阿部 智里 は、日本の小説家。学位は、修士(文学)(早稲田大学・2017年)。
関口 奈美 は、日本のフリーアナウンサー、気象予報士、防災士… 関口 奈美 は、日本のフリーアナウンサー、気象予報士、防災士。ウェザーマップ所属、気象キャスターネットワークメンバー。
梁川 梨里(やながわ りり )は日本の詩人。高崎市在住。群馬… 梁川 梨里(やながわ りり )は日本の詩人。高崎市在住。群馬県立前橋女子高校、高崎経済大学経済学部経営学科卒業。現代詩手帖等で入選。2017年詩と思想現代詩の新鋭(新鋭紹介/文月悠光)日本現代詩人会会員
福嶋 頼秀(ふくしま よりひで)は、日本の作曲家、編曲家。群… 福嶋 頼秀(ふくしま よりひで)は、日本の作曲家、編曲家。群馬県前橋市出身。オーケストラ、現代邦楽作品を多く手がけている。鈴木輝昭に師事。 慶應義塾大学法学部を卒業した後、新星日本交響楽団や東京フィルハーモニー交響楽団の編曲を手がけ音楽活動をスタート。その後、多数のオーケストラの演奏会に携わる。また、日本音楽集団の作曲家として、和楽器のための作品も多数作曲。 劇伴音楽では、土曜ワイド劇場、月曜ドラマスペシャルの音楽の他、夏祭り・年忘れにっぽんの歌シリーズの指揮・編曲なども。構成・編曲(一部、作詞・作曲)を担当する「こどもオペラ」シリーズは、全国で毎年30回以上開催されている。 作曲作品は、室内楽からオーケストラ、ミュージカルなど、様々な分野におよぶ。
安村 栄美(やすむら えみ)は、日本の映像作家。スターダスト… 安村 栄美(やすむら えみ)は、日本の映像作家。スターダストプロモーション関連のSTARDUST CREATORS所属。 群馬県前橋市出身。女子美術大学芸術学部デザイン学科卒業、映画美学校第11期フィクション・コース初等科を修了。 短編映画「WAO」が第25回ロサンゼルス国際短編映画祭、第25回ファンタジア国際映画祭に正式出品。短編映画「ビー・プリペアード」が第36回東京国際映画祭 Amazon Prime Videoテイクワン賞審査委員特別賞を受賞。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
アイキッド(AI-KID)は、群馬県前橋市出身のソングライタ… アイキッド(AI-KID)は、群馬県前橋市出身のソングライター、編曲家、映像作家。イロモンレコード代表。 大学在学中から編曲の仕事を始め、キーボーディストとしてcaminoに加入。卒業後Blondy bon Biancaのメンバーとしてビクターエンタテインメントよりメジャー・デビュー。現在はザ・リーサルウェポンズのメンバー兼プロデューサーとして活動中。
中澤 英彦(なかざわ ひでひこ)は、日本の言語学者。専門はロ… 中澤 英彦(なかざわ ひでひこ)は、日本の言語学者。専門はロシア語学、ウクライナ語学。東京外国語大学でロシア語学・スラヴ語学を専攻し、母校で助教授、教授を務めて退職し、現在は名誉教授。NHKラジオロシア語講座講師(1986年 - 1995年)、ソビエト連邦時代のロシア他で在外研究(1988年 - 1989年)。群馬県前橋市出身。 ウクライナ首都の日本語表記を「キエフ」から、ウクライナ語に近い「キーウ」と表記することなど、2019年の日本国政府との有識者会議で提唱。2022年ロシアのウクライナ侵攻開始後の同年3月31日に日本国外務省が発表した「キーウ」への変更に至るまでの検討に寄与した。 著書『ニューエクスプレス ウクライナ語』(白水社、2009年)において、日本語・ウクライナ語間の転写方法をまとめている(10—18頁)。
竹内 友(たけうち とも)は、日本の女性漫画家。群馬県前橋市… 竹内 友(たけうち とも)は、日本の女性漫画家。群馬県前橋市出身。武蔵野美術大学卒業。元ラテンアメリカ専攻の競技ダンサー。 2009年に、『月刊少年マガジン増刊 月マガGREAT』(講談社)掲載の「隣の肖像」でデビューし、2011年に『月刊少年マガジン』(同)12月号から「ボールルームへようこそ」連載を開始。途中、体調不良により休載をしたが、2017年2月号から再開。2020年1月17日に10巻発売。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
沢田 知佳(さわだ ちか)は、日本の女性歌手。群馬県前橋市出… 沢田 知佳(さわだ ちか)は、日本の女性歌手。群馬県前橋市出身。ジャンルは歌謡曲。尾瀬の郷親善大使。 2003年5月にデビュー。「心を唄う」をキャッチコピーに活動し、国内外で公演や音楽活動を行っている。 各地のカラオケ大会に出場し、太田市商工祭のど自慢大会で優勝。 キングレコード主催の東日本大会に出場し最優秀賞を受賞、全国決勝大会では第3位を受賞した。 1998年10月28日、日本テレビ系『ルックルックこんにちは 女ののど自慢』に生放送出演し、合格者として紹介された。