野本 品吉(のもと しなきち、1893年〈明治26年〉3月1… 野本 品吉(のもと しなきち、1893年〈明治26年〉3月15日 - 1968年〈昭和43年〉1月28日)は、日本の教員、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)。日本退職公務員連盟会長。国民党、国民協同党、自由民主党を渡り歩いた。協同組合主義者。旧姓・正田。 群馬県新田郡尾島町押切(現・太田市押切町)に、正田豊吉、そうの四男として生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を経て、1913年(大正2年)群馬県師範学校本科二部を卒業。 世良田尋常高等小学校を皮切りに、群馬県内の小学校で教師として勤務。1922年(大正11年)に野本家に婿入りした。生品小学校、矢場川小学校、広沢小学校、伊勢崎小学校、太田小学校で校長を歴任。
岡部 周治(おかべ しゅうじ、1891年〈明治24年〉4月1… 岡部 周治(おかべ しゅうじ、1891年〈明治24年〉4月17日 - 1967年〈昭和42年〉11月30日)は日本の政治家。衆議院議員(1期、日本社会党)、群馬県議会議員(2期)、群馬県新田郡強戸村長。 1891年(明治24年)4月17日、群馬県新田郡強戸村大字強戸(現・太田市強戸町)に岡部駒次郎・よし夫婦の次男として生まれる。生家は地主で、父駒次郎は群馬県会議員・強戸村長を務めた。1909年(明治42年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)、1911年(明治44年)東京府青山師範学校第二部、1915年(大正4年)に法政大学専門部法律科を卒業する。 家業の農業に従事し、戦前は強戸村農会長、東毛乾繭販売利用組合理事、新田郡農会長、県農地委員会委員などを歴任。
中島 知久平(なかじま ちくへい、1884年〈明治17年)1… 中島 知久平(なかじま ちくへい、1884年〈明治17年)1月1日 - 1949年〈昭和24年〉10月29日)は、日本の海軍軍人、実業家、政治家。中島飛行機(のちに富士産業、富士重工業を経て、現在のSUBARU)の創始者として知られ、政治家に転じてからは大臣や立憲政友会総裁を務めた。 1884年(明治17年)1月1日、群馬県新田郡尾島村字押切(現在の群馬県太田市押切町、2005年3月27日までは群馬県新田郡尾島町大字押切)の農家中島粂吉と母いつの長男として生まれた。1898年(明治31年)3月、尾島尋常高等小学校卒業。1903年(明治36年)10月、海軍機関学校入学(第15期生)。1907年(明治40年)4月25日、海軍機関学校卒業。
関口 志行(せきぐち しこう、1882年〈明治15年〉5月9… 関口 志行(せきぐち しこう、1882年〈明治15年〉5月9日 - 1958年〈昭和33年〉12月21日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(立憲民政党)、前橋市長、群馬県会議員。俳人としても知られ、号は雨亭。 群馬県新田郡木崎町大字赤堀(現在の太田市新田赤堀町)に、父貞作、母いすの長男として生まれる。1900年(明治33年)群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)を卒業、1903年(明治36年)に旧制第二高等学校を卒業、1906年(明治39年)京都帝国大学法科大学英法科を卒業した。文部省に入省するが、1年で退官。1909年(明治42年)、司法官試補となり、前橋地方裁判所に勤務した。やがて判事に昇進し、1911年(明治44年)には甲府地方裁判所に異動するが、1913年(大正2年)に退官した。
川岸 文三郎(かわぎし ぶんざぶろう、1882年〈明治15年… 川岸 文三郎(かわぎし ぶんざぶろう、1882年〈明治15年〉1月1日 - 1957年〈昭和32年〉6月16日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。 群馬県新田郡尾島町前小屋(現・太田市前小屋町)出身。川岸虎造の三男として生まれる。太田中学校を経て、1903年11月、陸軍士官学校(15期)を卒業、翌年3月、歩兵少尉任官。日露戦争では、歩兵第3連隊付として出征した。1911年(明治44年)11月、陸軍大学校(23期)を卒業。 清国駐屯軍司令部付、参謀本部員、参謀本部付(上海)、支那駐屯軍参謀、近衛歩兵第2連隊大隊長、参謀本部員、関東軍司令部付、参謀本部員、第1師団参謀などを歴任し、1924年(大正13年)2月から1929年(昭和4年)まで侍従武官を務めた。
木暮 理太郎(こぐれ りたろう、1873年(明治6年)12月… 木暮 理太郎(こぐれ りたろう、1873年(明治6年)12月7日 - 1944年(昭和19年)5月7日)は、日本の登山家。 1873年(明治6年)12月7日、群馬県新田郡寺井村(現・太田市寺井町)の農家の長男として生まれる。東京の私立郁文館中学校を卒業後仙台の旧制第二高等学校に進み1897年(明治30年)に卒業した。さらに東京帝国大学に進学しはじめ哲学科、ついで史学科で学んだが、中途退学した。その後は博文館の雑誌『ハガキ文学』の編集に従事し、『泰西名画鑑』を著した。1907年(明治40年)からは東京市史料編纂室嘱託となり、亡くなるまで東京市史稿編集に携わった。 若年時から登山を趣味としていたが、田部重治と知り合ったことをきっかけに1913年(大正2年)9月に日本山岳会に入会した。
林 愛作(はやし あいさく、1873年〈明治6年〉10月12… 林 愛作(はやし あいさく、1873年〈明治6年〉10月12日 - 1951年〈昭和26年〉2月10日)は、明治末から昭和前期のホテル支配人。帝国ホテルと甲子園ホテルで支配人を務めた。 群馬県山田郡下小林村(現在の太田市)の出身。父親が事業に失敗し破産したため11歳で上京し、神奈川県の横浜で親戚が営んでいたタバコ卸の下働きを通じて米国人キリスト教宣教師を知り、19歳で単身渡米して様々な仕事に就く。サンフランシスコの日本雑貨店「シバタ」で働きながら学び、店で知り合った米国女性の推薦と支援でマウントハーモンスクールに入学し、聖書と英語、ビジネスを学んだ。同校卒業後の1900年、ニューヨーク山中商会に入社し、東洋美術を扱う美術商としてニューヨークの社交界にも繋がりを持ち、フランク・ロイド・ライトやフェノロサとも知り合った。
二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、安政3年7… 二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、安政3年7月4日〈1856年8月4日〉 - 1930年〈昭和5年〉4月12日)は、日本の政治家、銀行家、名望家、群馬県多額納税者、地主。群馬県新田郡太田町長(初代)。族籍は群馬県平民。 上野国新田郡太田町(現・群馬県太田市)出身。質店を営んだ初代澁澤金蔵の長男で、1887年に父から家政を譲られた。前名を直次郎と呼び1889年、家督を相続して二代目金蔵を襲名した。 商業、金銭貸付業を営んだ。上毛実業銀行顧問、上野銀行、新田銀行各取締役、群馬商業銀行監査役などをつとめた。 町村制実施と同時に太田町初代町長となり、太田消防組第一回の組頭として以来町政に貢献し、また町議として活動した。
井上 武子(いのうえ たけこ、1850年5月4日〈嘉永3年3… 井上 武子(いのうえ たけこ、1850年5月4日〈嘉永3年3月23日〉 - 1920年〈大正9年〉3月21日)は、日本の女性。井上馨の妻。夫と共に「鹿鳴館外交」を担い「鹿鳴館の華」とも言われた。旧姓は岩松、新田。 生年は嘉永5年(1852年)とも。父は上野国下田島(現・群馬県太田市下田島町)領主の岩松(新田)俊純。母は旗本の関盛泰の娘の千代子。武子は幼少期を下田島で送ったが、明治元年(1868年)の10月に東京へ上っている。 明治2年(1869年)、当時大蔵少輔であった井上馨と結婚した。 1876年(明治9年)に井上と共にアラスカ号で渡航し、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスにそれぞれ滞在する。
渋沢 市郎(しぶさわ いちろう、弘化4年10月15日〈184… 渋沢 市郎(しぶさわ いちろう、弘化4年10月15日〈1847年11月22日〉 - 1917年〈大正6年〉1月19日)は、日本の政治家、実業家、養蚕家、篤農家。深谷銀行取締役。族籍は埼玉県平民。幼名は須永才三郎。子爵・渋沢栄一の妹婿で従弟。 幕領上野国新田郡成塚村(後・群馬県新田郡強戸村、現・太田市)に生まれた。須永惣次郎の二男。母は渋沢宗助(2代目)の娘で渋沢市郎右衛門(先代の市郎)の妹。兄は須永伝蔵。渋沢栄一が東京に移り、別に一家を創立したため、その妹婿となり渋沢市郎右衛門家(中ノ家)を承継した。1892年、選ばれて八基村会議員となり1899年、名誉村長に推薦された。1905年、職を辞し県会議員に当選した。
横山 意一郎(よこやま いいちろう、天保11年4月8日〈18… 横山 意一郎(よこやま いいちろう、天保11年4月8日〈1840年5月9日〉 - 1903年〈明治36年〉4月30日)は、日本の政治家、群馬県の大地主。群馬県会議員。族籍は群馬県平民。 群馬県新田郡太田町(現・太田市)に、横山佐右衛門の長男として生まれる。嘉永3年(1850年)家督を相続する。大地主で、農業を経営する。素封家の主人で、宝生流謡曲を趣味とする。 明治初年太田町肝煎名主戸長、1884年(明治17年)4月から同年8月まで県会議員をつとめる。 1898年(明治31年)に隠居。菩提寺は太田市の受楽寺。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
伏島 近蔵(ふせじま ちかぞう/きんぞう、天保8年3月7日〈… 伏島 近蔵(ふせじま ちかぞう/きんぞう、天保8年3月7日〈1837年4月11日〉 - 1901年〈明治34年〉8月7日)は、江戸幕末から明治にかけて活躍した、上野国(群馬県)出身の実業家。横浜を開拓した代表的人物の一人であり、第七十四国立銀行の初代頭取や、横浜市会議員をつとめた。 天保8年(1837年)、上野国新田郡藪塚村(現・群馬県太田市)に生まれる。 慶応元年(1865年)に、横浜に出て商売を始めた。南京豆や蚕卵紙の取引によって財をなす。特にウォルシュ・ホール商会に重用された。 明治5年(1872年)、私財を投じ、廃絶していた郷里の岡登用水の再興を行う。この功績により、1876年(明治9年)の明治天皇東北巡幸の際には賞品の下賜を受けた。
長山 弥一(ながやま やいち、1830年〈天保元年〉 - 1… 長山 弥一(ながやま やいち、1830年〈天保元年〉 - 1899年〈明治32年〉)は、日本の柔術家。 気楽流柔術師範や免許皆伝(14世)として知られた。 11世飯塚臥龍斎並びにその養子12世飯塚義高、その子、13世飯塚龍之輔興高から気楽流を学ぶ。上野国新田郡高根村(後の新田郡綿内村、現群馬県太田市新田大根町)生まれ。 1852年(嘉永5年)に義高帯刀に入門、その子・龍之介興高からも教授を受け、1861年(文久元年)免許皆伝。1864年(元治元年)、大根村領主であった加納遠江守の武練組役となる。1870年(明治3年)に帰農。 岡部正春、高山辰二郎らほか多数の門弟を育て、弟弟子にあたる飯塚猪早司義興に免許を授与ける。
初代 澁澤 金蔵(しょだい しぶさわ きんぞう、1829年1… 初代 澁澤 金蔵(しょだい しぶさわ きんぞう、1829年11月〈文政12年11月〉 - 没年不明)は、日本の商人、慈善家、政治家。群馬県多額納税者。族籍は群馬県平民。 上野国新田郡太田町(現・群馬県太田市)に生まれた。周蔵の長男。幼い頃から豪放不羈で、他人に頼り衣食することを欲しなかった。母を亡くし、13歳の頃父を助けて質屋古着商を営むが失敗。ことごとく資本を失う。ほとんど「赤貧洗うがごとし」の状態となった。18歳の頃その目的を父に告げて家を出た。他郷に周遊し多くの苦労をしたが、ついに意を果たさず、嘉永4年、家に帰り一小太物店を開いた。 前の負債は元利益々嵩み債主の督促はいよいよ厳しくなったため、いったん家を売却して償還することを父に告げたが父は許さなかった。
島田 岳洋(しまだ たかひろ、6月1日 - )は、日本の男性… 島田 岳洋(しまだ たかひろ、6月1日 - )は、日本の男性声優。群馬県太田市出身。太田市立強戸中学校、群馬県立大泉高等学校卒業。ACT COMF所属。 2011年映像テクノアカデミア、俳協ボイスアクターズスタジオを経て東京俳優生活協同組合に所属。 2025年末を持って俳協を退所、2026年1月からはACT COMFへの所属を事務所SNSにて発表。
風雅 奏(ふうが かなで、2月6日 - )は、宝塚歌劇団雪組… 風雅 奏(ふうが かなで、2月6日 - )は、宝塚歌劇団雪組に所属する男役。 群馬県太田市、県立太田女子高校出身。身長170cm。愛称は「かめ」。 2016年4月、宝塚音楽学校入学。 2018年4月、宝塚歌劇団に104期生として入団。入団時の成績は28番。星組宝塚大劇場公演『ANOTHER WORLD/Killer Rouge』で初舞台。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
内田 彩 は、日本の女性声優、歌手。群馬県太田市出身。アクロ… 内田 彩 は、日本の女性声優、歌手。群馬県太田市出身。アクロスエンタテインメント所属。レコードレーベルは日本コロムビア。
怨霊(おんりょう、霊界元年5月27日 - )は、日本のプロレ… 怨霊(おんりょう、霊界元年5月27日 - )は、日本のプロレスラー。あの世で生まれた(ギミック)幽霊である(背中に幽霊の刺青を施している)。 。ただし、SNSでは怨霊の写真、並びに怨霊という名前を添えて本名で登録している。 東海大学在学中の1992年、学生プロレスで「ウルフ小澤」のリングネームで名を馳せる(ギミック上はデビュー前の経歴は「生前」の話とされている。)。 1995年3月31日、熊谷市民体育館レッスル夢ファクトリー旗揚げ戦にて、対ザ・ウルフ、オリンピコ戦でデビュー(パートナーはザ・マッドネス) 2000年4月に行われた第3回スーパーJカップに出場。登場時は奇抜な色物と思われたが、鋭い闘いを見せカレーマンから金星を取り知名度をあげた。
対比地 一正(ツイヒジカズマサ、KazumasaTsuihi… 対比地 一正(ツイヒジカズマサ、KazumasaTsuihiji) は、日本の美術家、コンテンポラリー・アーティスト、アートディレクター。群馬県太田市出身。 コンテンポラリーアートの分野に限り、アーティストネーム”johnny Mnemonic”を使用、さらに表現方法のバリエーションに合わせてJMがイニシャルの作家名を多数使用する。 1978年、日本大学芸術学部デザインコース在学中からイラストレーターとしての活動を始める。1980年にスーパーリアリズムで、制作された作品が米国の第23回ソサエティ・オブ・イラストレーターズに入選。卒業後、フリーランスのイラストレーターとなった。 主に広告・出版・テレビ媒体関係のイラストレーター、グラフィックデザイナー、アートディレクターとして活動。
岡部 幸雄(おかべ ゆきお、 は、日本の元騎手、競馬評論家。… 岡部 幸雄(おかべ ゆきお、 は、日本の元騎手、競馬評論家。群馬県新田郡強戸村 出身。日本中央競馬会 に所属し1967年から2005年にかけて現役生活を送った。
山田 久美 は、将棋の女流棋士。群馬県太田市出身。西村一義九… 山田 久美 は、将棋の女流棋士。群馬県太田市出身。西村一義九段門下。女流棋士番号は6(2011年3月31日までの旧番号は18)。