穂積 昌信(ほづみ まさのぶ、1974年〈昭和49年〉9月1… 穂積 昌信(ほづみ まさのぶ、1974年〈昭和49年〉9月18日 - )は、日本の政治家。群馬県太田市長(1期)。過去には群馬県議会議員(3期)を務めた。 1974年、群馬県太田市生まれ。 1993年、佐野日本大学高等学校卒業。以降太田医療技術専門学校、早稲田大学人間科学部を卒業。理学療法士となる。 自由民主党の政治塾で学び、2011年の群馬県議会議員選挙に自由民主党公認候補として出馬したが落選した。2015年、群馬県議会選挙にて初当選し、以降3期連続当選。議会では農林環境、厚生文化、総務企画、健康福祉の各常任委員会委員長などを務め、党内では群馬県連県議団長、政調会長を務めた。 2025年4月13日に執行された太田市長選挙の投開票の結果、現職で全国最高齢市長でもあった清水聖義に約2000票差で勝利した。
柿沼 正明(かきぬま まさあき、1965年〈昭和40年〉9月… 柿沼 正明(かきぬま まさあき、1965年〈昭和40年〉9月26日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(1期)。 群馬県太田市生まれ。 太田市立宝泉中学校、群馬県立太田高等学校を経て、1989年に一橋大学経済学部(石弘光ゼミナール)を卒業し、日本興業銀行(のちのみずほフィナンシャルグループないしみずほコーポレート銀行)に入行。 2003年4月、14年間勤めた銀行を退職。同年11月、第43回衆議院議員総選挙の広島1区に初めて立候補するが、自由民主党で元内閣府特命担当大臣の岸田文雄に敗れ、落選。 2005年、第44回衆議院議員総選挙では、故郷の群馬3区に立候補するが、自民党で元農林水産大臣の谷津義男に敗れ、落選。
須永 徹(すなが とおる、1950年〈昭和25年〉2月14日… 須永 徹(すなが とおる、1950年〈昭和25年〉2月14日 - 1991年〈平成3年〉11月23日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 群馬県太田市出身。足利大学附属高等学校を卒業。1971年群馬大学工業短期大学部卒。富士重工に入り、その後衆議院議員小川省吾の秘書を務めた。太田中小企業労務協会理事長、自治労群馬県本部特別執行委員、日本社会党太田総支部書記長、同党群馬県副委員長を経て、1990年の総選挙で旧群馬2区から立候補して初当選。その前の第38回衆議院議員総選挙では落選している。 しかし在職中の1991年11月23日、群馬県桐生市内の知人の結婚披露宴に出席し祝辞を述べた直後に倒れ、近くの大間々町の恵愛堂病院に搬送されたが、30分後に死亡した。
大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月… 大澤 正明(おおさわ まさあき、1946年〈昭和21年〉1月21日 - )は、日本の政治家。 群馬県知事(公選第17・18・19代)、群馬県議会議員(4期)、第80代群馬県議会議長、尾島町議会議員(2期)などを歴任した。 1946年1月21日、群馬県新田郡尾島町尾島(現在の太田市尾島町)で生まれる。父は尾島町長を務めた大澤明治。1964年、群馬県立太田高等学校卒業。1969年、慶應義塾大学工学部卒業。 1970年、海上自衛隊幹部候補生学校卒業(20期1分隊)。 1971年、大沢建設株式会社入社。1978年に株式会社三協を設立し代表取締役となる。1983年に尾島町議に当選、連続2期務め議長にもなった。
清水 聖義(しみず まさよし、1941年〈昭和16年〉12月… 清水 聖義(しみず まさよし、1941年〈昭和16年〉12月7日 - )は、日本の政治家。 群馬県太田市長(5期)、旧太田市長(3期)、群馬県議会議員(3期)、太田市議会議員(1期)などを務めた。 群馬県新田郡太田町(現・太田市)に、父孝一・母せんの長男として生まれる。1960年群馬県立太田高等学校を卒業し、1964年慶應義塾大学商学部卒業。同年シオノギ製薬に入社。学習塾の経営も行った。 1979年に太田市議会議員に初当選し1期務める。1983年群馬県議会議員選挙に太田市選挙区から無所属で立候補し当選。以降連続3期務める。同年自由民主党に入党、同党群馬県連副幹事長などを務める。 1993年に日本新党に党籍変更。
戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 … 戸澤 久夫(とざわ ひさお、1933年〈昭和8年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉6月14日)は、日本の政治家。群馬県太田市長(5期)、群馬県議会議員(1期)。 群馬県新田郡宝泉村(現・太田市下田島町)出身。群馬県立太田高等学校卒。卒業後は青年団活動に参加し、群馬県青年団連合会副会長などを務めた。1958年(昭和33年)日本社会党衆議院議員東海林稔の秘書となる。1964年(昭和39年)中央大学専攻科法学研修課程修了。1968年(昭和43年)群馬県労農会議事務局長。 1971年(昭和46年)小川省吾の後継者として群馬県議選に社会党から立候補し当選(1期)。1975年(昭和50年)太田市長に当選し、5期務める。
小川 省吾(おがわ しょうご 1922年〈大正11年〉3月2… 小川 省吾(おがわ しょうご 1922年〈大正11年〉3月29日 - 1993年〈平成5年〉12月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期、日本社会党)、群馬県議会議員(2期)。 群馬県新田郡生品村(現・太田市)に生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業後、外務省の留学生として北京へ留学する。1943年(昭和18年)に北京大学法学院を卒業。外務省北京日本大使館文化局に勤務し、中国で終戦を迎えた後は復員事務に従事する。 帰国後は進駐軍の通訳などとして勤務したのち、1948年(昭和23年)から群馬県庁職員として勤務する。1958年(昭和33年)県労農会議理事、1961年(昭和36年)県衛生民生部世話課援護係長。
板橋 明治(いたばし めいじ、1921年〈大正10年〉6月2… 板橋 明治(いたばし めいじ、1921年〈大正10年〉6月25日 - 2014年〈平成26年〉12月24日)は、日本の農民運動家、政治家。毛里田村議会議員、太田市議会議員。毛里田村鉱毒根絶期成同盟会長として、足尾鉱毒問題の解決に奔走した。百年公害と言われた足尾鉱毒問題を解決に導き、幾多の指標的な成果を全国に提供したとされる。 1921年(大正10年)、群馬県山田郡毛里田村大字只上(現・太田市只上町)に、農業を営む板橋家の長男として生まれた。毛里田村の北側に、銅山と製錬所を擁する足尾山地を源流域とする渡良瀬川が、西から東へと流れている。その川は乳白色ににごり、毛里田の子供は川の水は、その色がもともとの川の水の色だと思って遊んだ。
恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月… 恩田 正一(おんだ しょういち、1907年〈明治40年〉7月25日 - 1989年〈平成元年〉8月20日)は日本の政治家、社会運動家。群馬県議会議員、渡良瀬川鉱毒根絶期成同盟会長。 1907年(明治40年)、群馬県山田郡毛里田村(現・太田市)に生まれる。父は政七、母は寿世(スセ)。母方の祖父は群馬県会議員・武藤幸逸。1926年(大正15年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を卒業し、慶應義塾大学英文学部予科へ進学するが中退。法政大学法学部を卒業する。 大学卒業後は家業の農業に従事。酪農も始めて東毛酪農協同組合を創立、初代会長に推された。群馬県毛里田村農業協同組合長、群馬県養蚕農協連合会会長を歴任。
笹本 一雄(ささもと かずお、1898年〈明治31年〉6月2… 笹本 一雄(ささもと かずお、1898年〈明治31年〉6月20日 - 1964年〈昭和39年〉6月11日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。 群馬県新田郡太田町(現・太田市)もしくは邑楽郡館林町(現・館林市)で、警視庁職員・笹本一郎、うらの四男として生まれる。群馬県立館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)を経て明治大学法科で学び、卒業。 内閣調査事務嘱託、軍需省嘱託、商工省事務嘱託などを歴任。その後、朝鮮総督府顧問に就任。帰国して、商工省総務局嘱託、帝国新報社経済部記者となり、東洋電線取締役、東亜窯業取締役などを務めた。また、中小企業経営者を対象として大政翼賛会により組織された新産業連盟の会長に就任した。
大島 義晴(おおしま よしはる、1894年〈明治27年〉12… 大島 義晴(おおしま よしはる、1894年〈明治27年〉12月25日 - 1953年(昭和28年)4月21日)は、大正から昭和前期の労働運動家、農民運動家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 群馬県新田郡尾島町(現・太田市)で生まれる。 18歳頃から棒頭(人足頭)として足尾線工事、利根川改修工事に従事。徴兵検査後に上京し三河島造船尻ケ崎鉄工所で働き、労働運動に加わり日本友愛会向島支部長に就任した。1919年(大正8年)ワシントンで開催の第1回国際労働会議に労働代表顧問として出席。マーガレット・サンガーに賛同して産児調節運動に取り組むが、出版法違反で投獄された。 満洲に移り、その後、盧溝橋近くで大島鉱業所を経営した。
須永 好(すなが こう、1894年〈明治27年〉6月13日 … 須永 好(すなが こう、1894年〈明治27年〉6月13日 - 1946年〈昭和21年〉9月11日)は、日本の農民運動家、政治家。衆議院議員(2期)、強戸村会議員。香川県の「伏石事件」、新潟県の「木崎争議」とともに日本三大小作争議の1つとして有名な「強戸争議」を主導した。農民運動の指導は合法主義で、争議による処罰者を出さなかったと言われている。 群馬県新田郡強戸村大字成塚(現・太田市成塚町)に、須永伊平・つやの次男として生まれる。長男は早世したため事実上長男として育つ。実家は絽機屋を営む裕福な農家であった。地元の強戸小学校を経て、旧制群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)に進学する。しかし、祖父・高次郎が病臥したことと、父が政治にのめり込んで武藤金吉の子分となり新田郡会議員となって家庭を顧みなくなったため、1909年(明治42年)に太田中学校を退学して農業に従事する。
野本 品吉(のもと しなきち、1893年〈明治26年〉3月1… 野本 品吉(のもと しなきち、1893年〈明治26年〉3月15日 - 1968年〈昭和43年〉1月28日)は、日本の教員、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)。日本退職公務員連盟会長。国民党、国民協同党、自由民主党を渡り歩いた。協同組合主義者。旧姓・正田。 群馬県新田郡尾島町押切(現・太田市押切町)に、正田豊吉、そうの四男として生まれる。旧制太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)を経て、1913年(大正2年)群馬県師範学校本科二部を卒業。 世良田尋常高等小学校を皮切りに、群馬県内の小学校で教師として勤務。1922年(大正11年)に野本家に婿入りした。生品小学校、矢場川小学校、広沢小学校、伊勢崎小学校、太田小学校で校長を歴任。
岡部 周治(おかべ しゅうじ、1891年〈明治24年〉4月1… 岡部 周治(おかべ しゅうじ、1891年〈明治24年〉4月17日 - 1967年〈昭和42年〉11月30日)は日本の政治家。衆議院議員(1期、日本社会党)、群馬県議会議員(2期)、群馬県新田郡強戸村長。 1891年(明治24年)4月17日、群馬県新田郡強戸村大字強戸(現・太田市強戸町)に岡部駒次郎・よし夫婦の次男として生まれる。生家は地主で、父駒次郎は群馬県会議員・強戸村長を務めた。1909年(明治42年)群馬県立太田中学校(現・群馬県立太田高等学校)、1911年(明治44年)東京府青山師範学校第二部、1915年(大正4年)に法政大学専門部法律科を卒業する。 家業の農業に従事し、戦前は強戸村農会長、東毛乾繭販売利用組合理事、新田郡農会長、県農地委員会委員などを歴任。
中島 知久平(なかじま ちくへい、1884年〈明治17年)1… 中島 知久平(なかじま ちくへい、1884年〈明治17年)1月1日 - 1949年〈昭和24年〉10月29日)は、日本の海軍軍人、実業家、政治家。中島飛行機(のちに富士産業、富士重工業を経て、現在のSUBARU)の創始者として知られ、政治家に転じてからは大臣や立憲政友会総裁を務めた。 1884年(明治17年)1月1日、群馬県新田郡尾島村字押切(現在の群馬県太田市押切町、2005年3月27日までは群馬県新田郡尾島町大字押切)の農家中島粂吉と母いつの長男として生まれた。1898年(明治31年)3月、尾島尋常高等小学校卒業。1903年(明治36年)10月、海軍機関学校入学(第15期生)。1907年(明治40年)4月25日、海軍機関学校卒業。
関口 志行(せきぐち しこう、1882年〈明治15年〉5月9… 関口 志行(せきぐち しこう、1882年〈明治15年〉5月9日 - 1958年〈昭和33年〉12月21日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(立憲民政党)、前橋市長、群馬県会議員。俳人としても知られ、号は雨亭。 群馬県新田郡木崎町大字赤堀(現在の太田市新田赤堀町)に、父貞作、母いすの長男として生まれる。1900年(明治33年)群馬県中学校(現在の群馬県立前橋高等学校)を卒業、1903年(明治36年)に旧制第二高等学校を卒業、1906年(明治39年)京都帝国大学法科大学英法科を卒業した。文部省に入省するが、1年で退官。1909年(明治42年)、司法官試補となり、前橋地方裁判所に勤務した。やがて判事に昇進し、1911年(明治44年)には甲府地方裁判所に異動するが、1913年(大正2年)に退官した。
二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、安政3年7… 二代目 澁澤 金蔵(にだいめ しぶさわ きんぞう、安政3年7月4日〈1856年8月4日〉 - 1930年〈昭和5年〉4月12日)は、日本の政治家、銀行家、名望家、群馬県多額納税者、地主。群馬県新田郡太田町長(初代)。族籍は群馬県平民。 上野国新田郡太田町(現・群馬県太田市)出身。質店を営んだ初代澁澤金蔵の長男で、1887年に父から家政を譲られた。前名を直次郎と呼び1889年、家督を相続して二代目金蔵を襲名した。 商業、金銭貸付業を営んだ。上毛実業銀行顧問、上野銀行、新田銀行各取締役、群馬商業銀行監査役などをつとめた。 町村制実施と同時に太田町初代町長となり、太田消防組第一回の組頭として以来町政に貢献し、また町議として活動した。
渋沢 市郎(しぶさわ いちろう、弘化4年10月15日〈184… 渋沢 市郎(しぶさわ いちろう、弘化4年10月15日〈1847年11月22日〉 - 1917年〈大正6年〉1月19日)は、日本の政治家、実業家、養蚕家、篤農家。深谷銀行取締役。族籍は埼玉県平民。幼名は須永才三郎。子爵・渋沢栄一の妹婿で従弟。 幕領上野国新田郡成塚村(後・群馬県新田郡強戸村、現・太田市)に生まれた。須永惣次郎の二男。母は渋沢宗助(2代目)の娘で渋沢市郎右衛門(先代の市郎)の妹。兄は須永伝蔵。渋沢栄一が東京に移り、別に一家を創立したため、その妹婿となり渋沢市郎右衛門家(中ノ家)を承継した。1892年、選ばれて八基村会議員となり1899年、名誉村長に推薦された。1905年、職を辞し県会議員に当選した。
横山 意一郎(よこやま いいちろう、天保11年4月8日〈18… 横山 意一郎(よこやま いいちろう、天保11年4月8日〈1840年5月9日〉 - 1903年〈明治36年〉4月30日)は、日本の政治家、群馬県の大地主。群馬県会議員。族籍は群馬県平民。 群馬県新田郡太田町(現・太田市)に、横山佐右衛門の長男として生まれる。嘉永3年(1850年)家督を相続する。大地主で、農業を経営する。素封家の主人で、宝生流謡曲を趣味とする。 明治初年太田町肝煎名主戸長、1884年(明治17年)4月から同年8月まで県会議員をつとめる。 1898年(明治31年)に隠居。菩提寺は太田市の受楽寺。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
初代 澁澤 金蔵(しょだい しぶさわ きんぞう、1829年1… 初代 澁澤 金蔵(しょだい しぶさわ きんぞう、1829年11月〈文政12年11月〉 - 没年不明)は、日本の商人、慈善家、政治家。群馬県多額納税者。族籍は群馬県平民。 上野国新田郡太田町(現・群馬県太田市)に生まれた。周蔵の長男。幼い頃から豪放不羈で、他人に頼り衣食することを欲しなかった。母を亡くし、13歳の頃父を助けて質屋古着商を営むが失敗。ことごとく資本を失う。ほとんど「赤貧洗うがごとし」の状態となった。18歳の頃その目的を父に告げて家を出た。他郷に周遊し多くの苦労をしたが、ついに意を果たさず、嘉永4年、家に帰り一小太物店を開いた。 前の負債は元利益々嵩み債主の督促はいよいよ厳しくなったため、いったん家を売却して償還することを父に告げたが父は許さなかった。