富田辰郎(とみた たつろう、1952年1月23日 - )は日… 富田辰郎(とみた たつろう、1952年1月23日 - )は日本の財務官僚。神戸税関長、国税不服審判所次長などを務めた。 埼玉県川口市出身(父は千葉県、母は埼玉県)。開成高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。東大経済学部経済学科在学中に国家公務員上級甲種試験(経済)を合格。1974年4月 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1977年7月 関税局企画課。1979年7月 伊勢崎税務署長。1983年5月から1986年6月まで外務省在フランス大使館に勤務。東京国税局調査第一部長、徳島県総務部長などを経て、環境庁自然保護局企画調整課長、環境庁企画調整局企画調整課長を務める。2000年6月30日 神戸税関長。2002年7月9日 国税不服審判所次長。
奥ノ木 信夫(おくのき のぶお、1951年〈昭和26年〉4月… 奥ノ木 信夫(おくのき のぶお、1951年〈昭和26年〉4月29日 - )は、日本の政治家。埼玉県川口市長(3期)、埼玉県議会議員(5期)、川口市議会議員(1期)を歴任した。 埼玉県川口市西川口出身。父は川口市議会議員や埼玉県議会議員(第89代議長)を務めた奥ノ木徳二。 西川口幼稚園、川口市立仲町小学校、川口市立仲町中学校、埼玉県立浦和高等学校卒業。1975年3月、早稲田大学法学部卒業。 1991年4月、川口市議会議員選挙に出馬し、初当選。1995年4月、埼玉県議会議員選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。2009年3月から2010年3月まで埼玉県議会議長をつとめた。 2013年12月25日、川口市長の岡村幸四郎が急性腎不全のため在任死去。
望月 かつみ(もちつき かつみ、1950年3月30日 - 2… 望月 かつみ(もちつき かつみ、1950年3月30日 - 2026年4月8日)は日本の漫画家、イラストレーター、ゲームクリエイター。埼玉県出身。 1950年、埼玉県川口市に生まれる。立教大学では漫画研究会に所属していた。大学在学中に緑書房『フィッシュマガジン』掲載の「僕は迷ブリーダー」で漫画家デビューする。以降、各社で児童書の挿絵や小学館の学年別学習雑誌で学習漫画を中心に活動する。代表作は『小学二年生』で1981年から1988年まで連載した『バニーのなんでもウォッチング』。 1983年、エニックス(現スクウェア・エニックス)が主催した第2回ゲーム・ホビープログラムコンテストで応募作の『ロリータ・シンドローム』がプログラム賞を受賞し、FM-7およびPC-8801用に製品化される。
吉永 みち子(よしなが みちこ、1950年3月12日 - )… 吉永 みち子(よしなが みちこ、1950年3月12日 - )は、日本のノンフィクション作家。テレビコメンテーター。元競馬新聞記者。旧姓は鈴木。CNNj放送番組審議会委員。 埼玉県川口市出身。中学生の時、母子家庭の家計を助けるためアイドルタレントになろうと考え、渡辺プロダクションのオーディションを受けて合格(ただし芸能活動は行わず)。その後、埼玉県立浦和第一女子高等学校、1973年に東京外国語大学外国語学部インドネシア語学科卒業後、競馬専門紙「勝馬」を発行する立馬株式会社に入社。日本初の女性競馬新聞記者となる。 夕刊紙「日刊ゲンダイ」の記者を経て、1977年に騎手(当時)の吉永正人と結婚(後に離婚)。
新木 章(あらき あきら、1947年〈昭和22年〉10月16… 新木 章(あらき あきら、1947年〈昭和22年〉10月16日 - )は、埼玉県出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1977年(昭和42年)5月、埼玉県川口市にて失踪した。失踪当時、29歳であった。 1947年(昭和22年)10月16日生まれ。銀行に勤務しており、当時はオンライン化の仕事を担当していた。 1977年(昭和52年)5月21日、午後1時ころ、母親に「買い物に行ってくる。午後6時か7時ころに帰る。」と言って川口市栄町の自宅を出たまま行方不明となっている。家を出たときは財布しか持っていない。財布には運転免許証とクレジットカードが入っていたが、免許更新はなされておらず、カードは使われていない。
伴 大介(ばん だいすけ、1947年〈昭和22年〉5月5日 … 伴 大介(ばん だいすけ、1947年〈昭和22年〉5月5日 - )は、日本の俳優。本名は斉藤 清憲()。映像劇団テンアンツ所属。 埼玉県川口市出身。埼玉県立蕨高等学校、明治大学文学部卒業。 高校在学中より演劇活動を始め、大学卒業後に劇団NLTのオーディションに合格し研究生となる。この間、劇団の仕事で地方の学校を巡回公演する。 1972年から1973年にかけて放送の特撮テレビドラマ『人造人間キカイダー』(NET)の主人公・ジロー/キカイダー役に抜擢されて本格的デビューを果たす。その際、原作者・石ノ森章太郎に「伴 大介」と命名される。 1973年から1974年にかけて放送の『イナズマン』(NET)で再び主演を務めることとなった際、姓名判断によって「伴 直弥」()に改名。
西城 正三(さいじょう しょうぞう、1947年(昭和22年)… 西城 正三(さいじょう しょうぞう、1947年(昭和22年)1月28日 - )は、日本のプロボクサー。WBA世界フェザー級王者。埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町出身。身長171cm。戦績は38戦29勝(8KO)7敗2分。 大場政夫、沼田義明、小林弘、柴田国明らと共に当時日本人現役世界王者が5人同時にいたという日本ボクシング黄金時代を彩った一人。協栄ボクシングジムから海老原博幸以来二人目の世界王者となった。日本プロスポーツ大賞の初代大賞受賞者。 日本人として初めて海外での世界王座奪取に成功した。 野口ボクシングジムで小学生の頃からベビーボクシングに取り組み、中学卒業後、実兄のトレーナー西条正右とジムの先輩金平正紀が興した協栄ボクシングジム(当時・金平ボクシングジム)に入門し、1964年(昭和39年)8月13日にプロデビュー。
名倉 隆(なぐら たかし、1945年〈昭和20年〉8月16日… 名倉 隆(なぐら たかし、1945年〈昭和20年〉8月16日 - 2025年〈令和7年〉3月5日)は、日本の政治家。位階勲等は従四位旭日中綬章。 元埼玉県鳩ヶ谷市(現・川口市)長(4期)。 埼玉県川口市(のち鳩ヶ谷町→鳩ヶ谷市に分離)出身。埼玉県立川口工業高等学校卒。卒業後は機械、印刷、製薬会社に勤務する。1974年(昭和49年)から鳩ヶ谷市議会議員を4期務める。 1990年(平成2年)9月9日の鳩ヶ谷市長選挙に無所属で立候補し、元市議や政治活動家の三井理峯ら4人を破って初当選する(三井は82票と最下位)。 ※当日有権者数:41,396人 最終投票率:62.17%(前回比:+18.14pts) 1994年(平成6年)9月11日の市長選挙に自民党、新生党、日本新党、民社党、新党さきがけの各党の推薦を得て無所属で立候補し、共産党推薦の無所属新人を破って再選を果たした。
江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月… 江藤 正修(えとう まさのぶ、1944年 - 2017年5月24日)は、昭和から平成時代の社会運動家、ジャーナリスト。政治グループ・MELTの中心メンバー。『労働情報』編集長。 東京都杉並区、埼玉県川口市で育ち、中学生のとき隣家の共産党員から影響を受けた。1960年、埼玉県立浦和西高校に入学。1962年、日本社会主義青年同盟に加盟。1963年、高校の先輩で後に全国反戦委員会世話人となる村上明夫により社青同構造改革派(後の主体と変革派)の一員となった。高校卒業後、一浪して法政大学文学部に入学。1966年頃に村上の誘いで社青同の専従となり、1968年に埼玉県反戦青年委員会事務局長となった。 70年闘争の後は左翼運動から離れてサラリーマン生活を送っていたが、社青同に加入していた第四インターメンバーと再会したことが契機となり、1974年に第四インターナショナル日本支部に加盟した。
村松 克己(むらまつ かつみ、1939年〈昭和14年〉9月1… 村松 克己(むらまつ かつみ、1939年〈昭和14年〉9月10日 - 2001年〈平成13年〉12月1日)は、日本の俳優。埼玉県川口市出身。別表記:村松 克巳。 早稲田大学教育学部卒業。 1966年、岸田森、悠木千帆(後の樹木希林)らと共に劇団「六月劇場」を結成。「演劇センター68」(「六月劇場」、「自由劇場」、「発見の会」の3劇団の連合組織)を経て1971年、「黒色テント六八/七一」(後の劇団黒テント)の創立に参加。以後劇団の中心メンバーとして活動する傍ら、主に脇役として様々の映画、テレビドラマに出演した。 2001年12月1日午前8時55分、胃癌のため埼玉県川越市の病院で死去。62歳没。
高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 20… 高木 時夫(たかぎ ときお、 1937年4月21日 - 2006年1月23日)は、埼玉県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 浦和高校時代はサッカーをしていたこともあった。捕手として1954年秋季関東大会県予選決勝に進むが、浦和商に惜敗。高校卒業後は日本大学へ進学し、東都大学リーグでは在学中3度の優勝を経験。宮田征典とバッテリーを組み、1959年秋季リーグの優勝に貢献。リーグ通算31試合出場、73打数20安打、打率.274、0本塁打、6打点、ベストナイン1回受賞。大学同期に会田豊彦・黒木基康(大洋)・笹木士朗(日本鋼管)らがいた。大学卒業後は富士製鐵釜石に入社し、1961年に常磐炭砿の補強選手として都市対抗に出場。
小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、… 小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、漫画家。埼玉県川口市出身。北海道函館市在住。本名:小沢暁。別名:小沢さとる・北沢力。代表作に潜水艦漫画『サブマリン707』、アニメ化された『青の6号』など。名義に「小澤さとる」と「小沢さとる」があるが意図して少年向けには「小沢さとる」を、青年向けには「小澤さとる」を使用している。海洋SF漫画の先駆者で、多くの漫画家・アニメーターに影響を与えている。ヒット商品となった「ロボダッチ」や「チョロQ」の開発にも携わり、生みの親として知られる。 1950年代半ば、高校在学中にアルバイトを探していた際、知り合いの編集者に「君、器用だから やってみないか」と手塚治虫のアシスタント業務を紹介され、「製図ができるならベタも塗れるだろう」とアシスタントを務める。
大野 元昭(おおの もとあき、1936年(昭和11年)1月2… 大野 元昭(おおの もとあき、1936年(昭和11年)1月28日 - )は、日本の実業家。ライオンズクラブ元国際理事。ゼネラル・サービス元代表取締役社長。大野電機鋳造所元代表取締役社長。祖父は川口市議会元議員の大野元次郎。長男は第61代埼玉県知事の大野元裕。 埼玉県川口市出身。川口市長を務めた大野元美の長男として生まれる。1958年(昭和33年)慶應義塾大学文学部を卒業し、同年4月家業である大野電機鋳造所入社。同年12月専務取締役を経て、1975年(昭和50年)9月代表取締役社長に就任。 1970年(昭和45年)6月ゼネラル・サービス代表取締役社長、1977年(昭和52年)4月日装代表取締役会長に就任。
蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2… 蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年10月15日 - 2016年5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。桐朋学園芸術短期大学名誉教授。
ダニー飯田(ダニーいいだ、1934年1月6日 - 1999年… ダニー飯田(ダニーいいだ、1934年1月6日 - 1999年7月5日)は、昭和時代中期から平成時代初期に活動したバンド・ダニー飯田とパラダイス・キングのリーダー。本名:飯田 紘久(いいだ ひろひさ)。埼玉県川口市出身。 芸名のダニーは尊敬するスティール・ギター奏者ダニー・クワナから取ったという。 元々ハワイアンバンド・『大橋節夫とハニー・アイランダース』の一員として活動していたが、1955年に独立し同年3月に『ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー』を結成(翌年『ダニー飯田とパラダイス・キング』に改名。)。ジェリー藤尾、坂本九、石川進、九重佑三子らを育て上げた。 歌唱、スティール・ギター演奏の他、パラダイス・キングの殆どの楽曲の編曲を担い、坂本九のデビュー曲『題名のない歌だけど』では作詞・作曲・編曲を担当している。
黄金井 光良(こがねい みつよし、1934年1月3日 - )… 黄金井 光良(こがねい みつよし、1934年1月3日 - )は、埼玉県川口市出身の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会埼玉支部に所属。 日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)創設以前に競輪選手登録された期前選手で、登録番号は2832。実子の黄金井憲は競輪学校第54期生の競輪選手。憲の実子で、当人の孫にあたる黄金井力良は競艇選手。 1950年4月8日、大宮競輪場でデビューし7着。初勝利は同年同月10日の同場。 デビュー当時から追い込みを主体とした競走スタイルを貫き、大阪中央競輪場で開催された1953年の第8回全国争覇競輪(現在の日本選手権競輪)では、優勝の中井光雄、2位の山崎勲に次いで3位。また、川崎競輪場で開催された1960年の全国オールスター争覇競輪(現在のオールスター競輪)でも決勝戦で3着(優勝は吉田実)に入った。
新藤 孝衛(しんどう こうえ、1932年2月22日 - 20… 新藤 孝衛(しんどう こうえ、1932年2月22日 - 2020年8月10日)は、日本の実業家、映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。映画プロデューサーとしての名を新船 澄孝(あらふね すみたか)とし、1972年(昭和47年)、映画監督としての名を南雲 孝(なぐも たかし)と改名した。1969年(昭和44年)、学校法人川口ふたば幼稚園理事長。 1932年(昭和7年)2月22日、埼玉県北足立郡芝村大字柳崎(現在の同県川口市柳根町)に生まれる。祖父は芝村の村議を歴任、父はのちの川口市議会議長となる新藤勝衛である。新制の埼玉県川口市立川口高等学校(現在の埼玉県立川口高等学校)に入学、水泳部で活躍する。
高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )… 高山 信雄(たかやま のぶお、1932年 - 2025年 )は、英文学者、電気技術者、童話作家、大正大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。旧制川口中学校(現・埼玉県立川口高等学校)に入学後、15歳で就職し、31歳まで民間の工場や会社に電気技術者として勤務。その間、夜間課程の川口市立県陽高等学校卒、芝浦工業大学2部電気工学科卒業。1964-82年東京都立港工業高等学校定時制に電子科教諭として勤務。本務の傍ら、法政大学で英文学、中央大学でドイツ文学と法律学の学科を卒業し、東京大学医学部の研究生として6年間医用工学の研究に従事。法政大学大学院人文科学研究科博士課程単位修得退学。1982年大正大学に勤務。
永瀬 洋治(ながせ ようじ、1931年(昭和6年)9月10日… 永瀬 洋治(ながせ ようじ、1931年(昭和6年)9月10日 - 2012年(平成24年)2月11日)は日本の政治家。埼玉県川口市長(第15代 - 第18代)。 埼玉県川口市出身。市立浦和高等学校を経て1954年に立教大学を卒業し、川口市役所に就職、1967年に川口市議会議員に初当選、この年の第22回国民体育大会では事務局長を務めた。 埼玉県議会議員を経て1981年から1997年まで4期16年川口市長を務めた。市長退任後も日本体育協会の理事、埼玉県体育協会の副会長、埼玉県国際交流協会の副会長、日本オペレッタ協会の理事を務めた。 市長在任中、「文化の香る街づくり」を掲げて川口駅前の公害資源研究所跡地の払い下げを受けて川口リリアを建設すると共に川口市民音楽協会会長(市長を退任した1998年から名誉会長)に就任、第九の会などを設立した。
堺 勝朗(さかい かつろう、1930年3月27日 - 201… 堺 勝朗(さかい かつろう、1930年3月27日 - 2012年12月10日)は、日本の元俳優、元映画監督である。初期には本名の坂井 勝利(さかい かつとし)で活動した時代もある。坂井 勝朗、堺 克郎といった表記も初期にはあった。軽演劇と独立系成人映画における喜劇俳優として知られる。 1930年(昭和5年)3月27日、埼玉県北足立郡川口町(現在の同県川口市)に生まれる。堺が3歳を迎えた1933年(昭和8年)4月1日に同地域は川口市になった。幼少時に両親と死別し、『ザ・ロケーション』の津田一郎によれば、堺は「強い姉に育てられた」と述懐したという。 第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月、旧制・川口市立川口中学校(1951年県に移管されて埼玉県立川口高等学校)に進学したが、中途退学した。
野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 200… 野崎 直治(のざき なおじ、1924年8月12日 - 2009年4月21日)は、日本の西洋史学者。専門は西洋中世社会経済史。早稲田大学名誉教授。 埼玉県川口市生まれ。1951年早稲田大学文学部西洋史学科卒業。1954年早稲田大学大学院文学研究科史学修士課程修了。ドイツなどヨーロッパ中世社会経済史が専門。1988年、「ドイツ中世農村史の研究」により文学博士の学位を授与。 早大文学部専任講師、助教授をへて、教授。早稲田大学史学会会長、日本歴史学協会監事、社会経済史学会理事・顧問等を歴任。1995年定年、同大学名誉教授となる。2002年、勲三等瑞宝章を受章。
榎本 美佐江(えのもと みさえ、1924年3月13日 - 1… 榎本 美佐江(えのもと みさえ、1924年3月13日 - 1998年9月23日)は日本の歌手。美人芸者歌手として、戦後に人気を博した。 1924年(大正13年)3月13日、埼玉県川口市で生まれる。家が貧しかったため、1934年(昭和9年)、小学校5年生で浅草の小劇場・玉木座の劇場主に奉公へ出される。1938年(昭和9年)には15歳で石川県の能登で芸者に出されたが、1940年(昭和10年)に東京の実家に戻る。だがすぐに大井町から芸者に出される。その後、作曲家大村能章の日本歌謡学院にて歌を学び、戦争中は工場や軍隊の慰問などに回った。戦時歌謡を吹き込んだりもした。 1946年(昭和21年)、テイチク入社し、同年10月に発売した「貴方にはわからない」で本格的に歌手デビュー。
仁田 三夫(にった みつお、1924年 -)は、日本の写真家… 仁田 三夫(にった みつお、1924年 -)は、日本の写真家、考古学者。 埼玉県川口市生まれ。埼玉県立浦和高等学校卒業、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業後、主として西欧の風景写真を主として撮影している。1970年頃より、その文化的根源であるエジプト文明とその文物と古代エジプトの遺跡と壁画を、エジプト政府(考古省)の了解を得て、ルクソールの女神の神殿の壁画、ルクソールのファラオの壁画、ツタンカーメン王の壁画を中心に、当時初の非熱源の照明装置と大型撮影装置を駆使し、困難を極めた古代壁画の撮影を行った。その後も70回以上、古代壁画を中心にエジプト考古学の文物の撮影と考古学的研究のため、エジプトを再三訪れ、エジプトの首脳陣との交流を深め、多数のエジプトの文物の写真画像を記録している。
小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 200… 小泉 譲(こいずみ ゆずる、1913年7月13日 - 2004年8月19日)は、日本の作家。本名・一久。 埼玉県川口市生まれ。慶應義塾高等部中退。満鉄上海事務所調査部をへて、上海特別市政府に勤務。丹羽文雄の『文学者』に参加。1943年「桑園地帯」で芥川賞候補。1949年『死の盛粧』で直木賞候補、50年『君が火の鳥』『南支那海』、60年『小説天皇裕仁』で直木賞候補。『小説天皇裕仁』はベストセラーとなる。日中文化交流協会会員。「じょう」と読まれることもある。
井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 19… 井野川 潔(いのかわ きよし、1909年5月15日 - 1995年12月21日)は、日本の教育運動家。本名は早船斌男(よしお)。妻は早船ちよ。 埼玉県川口市出身。埼玉師範学校卒業。小学校教師となる。 1931年退職し、郷土社で『綴方生活』などを編集。新興教育研究所に属し左翼教育運動を行い、弾圧を受ける。 1934年早船ちよと結婚、共に浦和市(現・さいたま市)で児童文化運動にかかわる。 戦時中科学工業新聞社、朝日映画社に勤務。 戦後は教育運動史研究会を運営、新作家協会・児童文化の会の創立に参画し、『新作家』『子ども世界』などを主宰した。また、『新興教育』『綴方生活』の復刻や出版に努めた。1977年生活綴方研究会を創設、教育運動史研究の隆盛に貢献した。
岩田 三史(いわた さんし、1890年(明治23年)12月3… 岩田 三史(いわた さんし、1890年(明治23年)12月3日 - 1973年(昭和48年)9月3日)は、大正から昭和期の医師、政治家。貴族院多額納税者議員、埼玉県川口市長、川口市名誉市民。 埼玉県北足立郡川口町(現在川口市)で、川口屈指の大地主・岩田武三郎、いよ の長男として生まれた。浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)、第四高等学校第三部を経て、1919年(大正8年)九州帝国大学医学部を卒業。同医学部副手、東京帝国大学医学部細菌学教室研究生となり、医学博士号を取得した。その後、帝国女子医学薬学専門学校(現在の東邦大学)教授、額田内科病院副院長を務めた。 1931年(昭和6年)6月4日、補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され、1932年(昭和7年)9月28日まで在任。
永瀬 寅吉(ながせ とらきち、1890年(明治23年)11月… 永瀬 寅吉(ながせ とらきち、1890年(明治23年)11月5日 - 1965年(昭和40年)7月17日)は、日本の実業家・政治家。貴族院多額納税者議員、埼玉県川口市長(第3代)。 埼玉県北足立郡川口町(現:川口市)で、川口町長・鋳物業、永瀬庄吉の長男として生まれる。1909年、埼玉県立浦和中学校卒業後に東京高等工業学校を修了した。 1912年以降、永瀬鉄工所管理者、川口商工会議所会頭、川口鋳物工業組合理事などを務めた。 1933年、川口市の市制施行に伴い市会議員に就任し、初代議長を務めた。1935年7月1日、第3代川口市長に就任し、1938年4月1日まで在任。その他、埼玉県産業報国会副会長、大政翼賛会埼玉県支部参与などを務めた。
田中 徳兵衛(四代目 德兵衞、たなか とくべえ、1875年(… 田中 徳兵衛(四代目 德兵衞、たなか とくべえ、1875年(明治8年)5月15日 - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、埼玉県北足立郡南平柳村長。幼名・徳蔵。勲四等旭日章。味噌醸造業。 埼玉県足立郡十二月田村(のち北足立郡南平柳村、現・川口市)で、味噌醸造業、素封家・三代目田中徳兵衛の長男として生まれる。1894年(明治27年)家督を相続し四代目徳兵衛を襲名した。 埼玉味噌醸造組合長、帝国実業協会幹事、東京共立銀行監査役、東京紡績監査役などを務めた。 南平柳村会議員を務めた後、1922年(大正11年)から1929年(昭和4年)まで同村長を務めた。
野呂 丈太郎(のろ じょうたろう、1874年(明治7年)1月… 野呂 丈太郎(のろ じょうたろう、1874年(明治7年)1月29日 - 1927年(昭和2年)10月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 埼玉県足立郡安行領根岸村(のち北足立郡神根村、現:川口市安行領根岸)で、染織業・野呂栄次郎の長男として生まれる。東京で警察官を務めながら法律学を学ぶ。その他、榊原鍵吉から剣術を学び、さらに柔道を修めた。父の病により帰郷し家業を継いだ。埼玉製織会社を設立して社長となり、茨城県で鉱山事業も営んだ。 政界では、神根村会議員、北足立郡会議員、埼玉県会議員などを務めた。1920年5月、第14回衆議院議員総選挙で埼玉県第一区から憲政会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
大熊 氏廣(おおくま うじひろ、1856年7月14日(安政3… 大熊 氏廣(おおくま うじひろ、1856年7月14日(安政3年6月13日) - 1934年(昭和9年)3月20日)は、日本の彫刻家。日本初の西洋式銅像とされる靖国神社の大村益次郎像で知られる。 鳩ヶ谷宿近くの武蔵国足立郡中居村八幡木(現埼玉県川口市八幡木)で農家の次男として生まれた。兄・徳太郎は後に篤農家として知られた人物である。 幼少時から絵が得意で、後に洋画を学んだ。1876年(明治9年)に開校した工部美術学校の彫刻科に入学し、イタリア人教師ラグーザのもとで学んだ。1882年に首席で卒業し、翌年、有栖川宮邸(J.コンドル設計)の建築彫刻を担当、1884年に工部省に入り、皇居(明治宮殿)造営などに関わった。
伊藤 仙太郎(いとう せんたろう、1856年(安政3年) -… 伊藤 仙太郎(いとう せんたろう、1856年(安政3年) - 1927年(昭和2年)7月)は、日本の発明家。 武蔵国川口出身。1873年(明治6年)に現在のイトコー株式会社を設立した。1913年(大正2年)に、鋸屑を燃料とする焜炉を発明し、愃六竈(せんろくかまど)と命名した。1926年(大正15年)に帝国発明協会の全国発明表彰により、有功賞が授与されている。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
唯城 ありす(ゆしろ ありす、1月28日 - )は、OSK日… 唯城 ありす(ゆしろ ありす、1月28日 - )は、OSK日本歌劇団の娘役スター。埼玉県川口市出身。AB型 。
片石 千春(かたいし ちはる、4月18日 - )は、日本の女… 片石 千春(かたいし ちはる、4月18日 - )は、日本の女性声優。埼玉県川口市出身。 日本女子大学附属高等学校、日本女子大学文学部社会福祉学科卒業。 劇団自転車キンクリートを経て、青二プロダクションに所属していたが、1997年に引退。2017年9月1日に青二プロダクション再所属を果たす。 外国語はドイツ語、英語。 趣味は韓国語。特技は早口。 資格・免許は普通自動車免許。 太字はメインキャラクター。
石田 勝之 は、日本の政治家、政治学者。勲等は旭日重光章。日… 石田 勝之 は、日本の政治家、政治学者。勲等は旭日重光章。日本大学国際関係学部・大学院国際関係研究科教授、同特任教授。
村山 裕(むらやま ゆたか)は、日本の経企・内閣府官僚。迎賓… 村山 裕(むらやま ゆたか)は、日本の経企・内閣府官僚。迎賓館次長、内閣府政策統括官、経済社会総合研究所所長。 埼玉県川口市生まれ。1984年埼玉県立浦和高等学校卒業。1988年一橋大学経済学部卒業、経済企画庁入庁。外務省経済協力開発機構日本政府代表部参事官を経て、2009年内閣府大臣官房参事官。2010年内閣府参事官(経済対策・金融担当)(政策統括官(経済財政運営担当)付)、内閣府参事官(経済見通し担当)(政策統括官(経済財政運営担当)付)。2011年内閣府大臣官房企画調整課長兼大臣官房参事官。2012年消費者庁消費者政策課長。2013年内閣官房内閣参事官(内閣官房副長官補付)併任。同年内閣府参事官(海外担当)(政策統括官(経済財政分析担当)付)。
古今亭 志ん駒(ここんてい しんこま)は、落語家の名。 古今… 古今亭 志ん駒(ここんてい しんこま)は、落語家の名。 古今亭 志ん駒(ここんてい しんこま、1937年1月2日 - 2018年1月18日)は、埼玉県川口市出身の落語家。本名∶徳永 一夫。落語協会所属。出囃子は『越後獅子』。 海上自衛隊から1963年7月に五代目古今亭志ん生に入門。前座名は「志ん駒」。 1967年3月、柳家小ゑんと共に二ツ目に昇進。1973年9月に師匠志ん生死去に伴い、十代目金原亭馬生一門に移籍する。 1976年3月に真打昇進。1978年5月に、六代目三遊亭圓生主導による落語協会分裂騒動において、師・馬生でなく、馬生の実弟である三代目古今亭志ん朝について落語三遊協会に参加。しかし移籍が頓挫し、協会に戻った後は志ん朝一門となった。