飯田瑞穂(いいだ みずほ、1933年―1991年4月13日)… 飯田瑞穂(いいだ みずほ、1933年―1991年4月13日)は、日本史学者。 横浜市生まれ。1952年(昭和27年)、茨城県立水戸第一高等学校卒業。東京大学大学院で坂本太郎に師事し、博士課程中退。宮内庁書陵部編集課、中央大学文学部助教授、教授。没後、名誉教授を追贈。息子は正倉院事務所の日本古代史学者・飯田剛彦。古代日本の律令制下の政治体制について天皇の貴族に対する優位性を説き、吉川真司がこれを受け継いだ。『常陸国風土記』など郷土史研究でも知られ、『茨城県史料』の校訂にも携わった。
鈴木 善次(すずき ぜんじ、1933年 - 2024年1月2… 鈴木 善次(すずき ぜんじ、1933年 - 2024年1月24日)は、日本の生物学者、科学史家。大阪教育大学名誉教授。専門は科学史、科学教育。 神奈川県横浜市生まれ。1956年東京教育大学理学部卒業、1958年同農学部卒業。山口大学教養部助教授、同大学教授、1985年頃、大阪教育大学教育学部教授を歴任。1997年定年退官、同大学名誉教授となる。また、神奈川大学非常勤講師も務めた。 2024年1月24日に死去。
田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7… 田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7年)11月23日 - 2006年(平成18年)11月21日)は、日本の政治家。位階は正四位。勲等は旭日重光章。参議院議員、法務大臣、日本大学理事、日本会理事長を歴任。 神奈川県横浜市出身。1956年に日本大学法学部を卒業。日大会頭・古田重二良の懐刀である。 日大評議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬し、初当選。その後、比例区から立候補して、連続当選3回。党内では福田派→安倍派→三塚派に所属。 第2次中曽根内閣 (第1次改造)の通商産業政務次官、参議院文教委員長を経て、1995年の8月に村山改造内閣の法務大臣として初入閣したが、かねてから親密な関係にあった立正佼成会からの2億円借り入れ問題が発覚した。
青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1… 青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1991年3月2日)は、日本のコラムニスト、文芸評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒。同大学大学院修士課程修了。在学中は「早稲田大学現代文学会」に所属。会員に生島治郎、高井有一、富島健夫がいた。生島は神奈川県立横浜第二中学校(横浜翠嵐高等学校の前身)以来の友人でもある。 新聞記者として東京タイムズ社に勤務、学芸部長を務めた。その後、学習参考書編集者を経てコラムニスト・文芸評論家に。1972年から1978年まで『週刊朝日』に「人間万歳」を連載し、「アメヒコ節」で人気を博した。早川書房の『ミステリマガジン』誌では、読者の誌上登場コーナー「街角のあなた」のインタビュアーなども行っている。
堀 威夫(ほり たけお、1932年(昭和7年)10月15日 … 堀 威夫(ほり たけお、1932年(昭和7年)10月15日 - )は、日本の芸能プロモーター、実業家。ホリプロ創業者。宇都宮ビジネス電子専門学校名誉顧問、宇都宮アート&スポーツ専門学校名誉顧問。社団法人日本音楽事業者協会理事長なども歴任した。 横浜市生まれ。浅野学園時代からサークルでバンド活動に勤しみ、1948年(昭和23年)にワイキキ・ハワイアンズを結成。明治大学商学部時代の52年には、小坂一也、井原高忠等とともに学生バンドのワゴン・マスターズにスカウトされ、ギタリストとして活躍した。 卒業後、文化放送でのアルバイトを経て、1957年(昭和32年)にスウィング・ウエストを結成しリーダーとなり、田辺昭知がドラムを叩いた。
米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月… 米川 忠吉(よねかわ ただよし、1932年(昭和7年)10月1日 - 2011年(平成23年)9月16日)は、日本の航空自衛官。第19代航空幕僚長。 神奈川県横浜市出身。横浜第一中学、希望ヶ丘高校を経て、青山学院大学へ進み、学生時代はラグビーに熱中した。入隊の動機は、1955年(昭和30年)頃は不況で入社を予定していた会社は皆、採用中止となり、自衛隊に入隊した親戚やラグビー部の同輩に相談し、入隊を勧められた。陸上自衛隊の採用試験を受験し、第15期一般幹部候補生として採用されたが、採用となってから航空自衛隊のパイロット要員が足りないため、空自に行かないかとの話があり、興味もあったことから航空自衛隊に入隊した。
河相 一成(かわい かずしげ、1932年9月20日 - 20… 河相 一成(かわい かずしげ、1932年9月20日 - 2021年10月24日 )は、日本の農業経済学者。東北大学名誉教授。横浜市出身。1957年東北大学経済学部卒。1976年「戦後日本の小農と土地所有に関する研究」で農学博士。東北大学農学研究所助教授を経て、農学部教授。1996年定年退官後、名誉教授。農業・食糧経済学。みやぎ憲法九条の会事務局長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松本 四郎(まつもと しろう、1932年9月17日 - )は… 松本 四郎(まつもと しろう、1932年9月17日 - )は、日本史学者、都留文科大学名誉教授。 横浜市生まれ。1956年横浜市立大学文理学部卒、1958年東京都立大学 (1949-2011)(現・首都大学東京)大学院修士課程修了。財団法人三井文庫専任研究員、都留文科大学教授、96年定年退官、名誉教授。
篠竹 幹夫(しのたけ みきお、1932年8月29日 - 20… 篠竹 幹夫(しのたけ みきお、1932年8月29日 - 2006年7月10日)は、日本のアメリカンフットボールの元選手および監督。日本大学名誉教授。全国大学王者通算17回と監督通算勝利数401勝は歴代1位。 神奈川県横浜市出身。日本大学高等学校(日大日吉)時代はラグビー選手として活躍したが、日本大学アメリカンフットボール部に入部。卒業後、コーチを経て、1959年に日本大学アメリカンフットボール部監督に就任。独特の指導法で知られ、特徴的なパス攻撃を繰り出す「ショットガン隊形」を導入。2003年3月、定年により退職するまでの44年間の監督在任期間中、17度の学生王座に導くなど、日大アメリカンフットボール部の黄金時代を築いた。
岸 惠子(きし けいこ、1932年8月11日 - )は、女優… 岸 惠子(きし けいこ、1932年8月11日 - )は、女優・文筆家。岸恵子の表記もある。身長161cm。体重47kg。舞プロモーション所属。
宮原 昭夫(みやはら あきお、1932年8月5日 - )は、… 宮原 昭夫(みやはら あきお、1932年8月5日 - )は、日本の小説家。1972年に第67回芥川賞を受賞した。 神奈川県横浜市生まれ。中学3年から神奈川県立横浜翠嵐高等学校にかけての同期に青木雨彦と生島治郎がいた(ただし宮原は高校在学中に胸を患って数年間休学している)。早稲田大学第一文学部露文科卒業。同人誌「木靴」に参加し、太宰治の門弟として知られる小山清に師事した。 1963年、『ごったがえしの時点』を出版。1966年、「石のニンフ達」で文学界新人賞を受賞して文壇デビューし、第56回芥川賞候補に挙がる。以後「やわらかい兇器」「待っている時間」でも同賞候補に挙がり、1972年、「誰かが触った」で第67回芥川賞受賞を果たした。
新倉 俊一(にいくら しゅんいち、1932年7月5日 - 2… 新倉 俊一(にいくら しゅんいち、1932年7月5日 - 2002年3月7日)は、日本のフランス文学者。位階は従四位。 中世文学専攻。東京大学名誉教授。財団法人日仏会館元常務理事。 横浜市出身。東京大学教養学科フランス科を経て同大学院人文科学研究科仏語仏文学修士課程、同博士課程を了えてから二度のフランス留学し、立教大学、東京大学で教鞭をとり、1980年から82年まではパリ国際大学都市日本館館長を務めた。日本フランス語フランス文学会の渉外委員長、「東京の夏」音楽祭の企画構成責任者となり、留学生試験選考委員や日仏会館理事・評議員を務めるなど、広範な仕事を精力的にこなした。 専門の中世に関する著書は『ヨーロッパ中世人の世界』(筑摩書房、1983年)、『フランス中世断章』(岩波書店、1993年、『中世を旅する』(白水社、1999年)ほかがあり、共著、翻訳も多いが、重要な共同作業の成果として『スタンダード和仏辞典』(大修館、1960年)、『事典・現代のフランス』(大修館、1977年)などの執筆・編集がある。
福本 秀子(ふくもと ひでこ、1932年5月22日 - )は… 福本 秀子(ふくもと ひでこ、1932年5月22日 - )は、フランス語の翻訳家、歴史家。 横浜市出身。1955年慶應義塾大学経済学部卒。1971年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。パリ大学法経学部博士課程修了(フランス政府給費留学)。フランス語で日本史紹介の本『女と侍』などを刊行。駐日フランス大使ド・ラ・シュバルリの日本語家庭教師も務めた。夫は福本直之。
八木 誠一(やぎ せいいち、1932年2月15日 - )は、… 八木 誠一(やぎ せいいち、1932年2月15日 - )は、日本の新約聖書学者、神学者、宗教哲学者。東京工業大学名誉教授。 1932年、神奈川県横浜市生まれ。実家は無教会系のクリスチャンホームであった。1955年、東京大学教養学部ドイツ科を卒業し、1962年、同大学院西洋古典学専攻博士課程を単位取得満期退学。ゲッティンゲン大学で学んだ。 1960年に関東学院大学専任講師となり、1964年に助教授昇進。しかし、関東学院大学において新約聖書への批判的言辞は研究にとどめ、授業では教授しないことを求められて学問の自由の立場から同大を辞職。東京工業大学助教授となり、1975年に教授昇進。1967年に学位論文『新約思想の成立』を九州大学に提出して文学博士号を取得。
大谷 泰司(おおたに たいじ、1932年(昭和7年)1月31… 大谷 泰司(おおたに たいじ、1932年(昭和7年)1月31日 - 2012年(平成24年)2月1日)は、日本のプロ野球セントラル・リーグ審判。神奈川県横浜市出身。プロ野球で没収試合(後述)を宣言した数少ない審判員でもある。 横浜市立横浜商業高等学校に進んだが、春の選抜・夏の選手権の全国大会へは進出できなかった(当時は浅野高等学校、湘南高等学校が夏の甲子園に出場していた時期である)。卒業後1961年にセントラル・リーグの審判部に入局。関東出身でありながら関西審判部所属を希望。受理され1984年1月の退局まで同部の所属となる。 若い頃から視力が落ちており、一時期は眼鏡をかけて審判していたが、1969年のとあるゲームで判定に激昂した当時の中日監督水原茂に眼鏡をむしり取られるという出来事に見舞われてからはコンタクトレンズをつけて審判するようになる。
鳥海 久義(とりうみ ひさよし、1932年(昭和7年) - … 鳥海 久義(とりうみ ひさよし、1932年(昭和7年) - )は、日本の英文学者、和洋女子大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学第一文学部英文科卒、同大学院修士終了。和洋女子大学英文学科助教授、教授、2003年定年、名誉教授。
境野 勝悟(さかいの かつのり、1932年 - )は、日本の… 境野 勝悟(さかいの かつのり、1932年 - )は、日本の哲学者、東洋思想研究家、著作家。 神奈川県横浜市出身。浅野学園高等学校を経て、1955年、早稲田大学教育学部国語国文学科卒業。同年より、栄光学園で国語科教員として教鞭を執る。1973年、同校を退職。1973年、神奈川県大磯町に「道塾」を開設。1975年、駒澤大学大学院禅学特殊研究科博士課程修了。
坂本 由英(さかもと よしえ、1931年11月13日 - 1… 坂本 由英(さかもと よしえ、1931年11月13日 - 1998年10月2日)は、日本の俳優。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部演劇科卒業 。1950年に劇団近代座に入団 。その後はダテ企画に所属していた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
小野寺 健(おのでら たけし、1931年9月19日 - 20… 小野寺 健(おのでら たけし、1931年9月19日 - 2018年1月1日)は、日本の英文学者、翻訳家。横浜市立大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学英文科卒、同大学院に学び、1958年茨城大学専任講師、1962年横浜市立大学助教授、1967年英国リーズ大学に留学。横浜市立大学教授を96年定年退官、日本大学教授、2002年退職。文化学院・文芸学科講師。2018年1月1日午前3時5分、老衰のため死去した。86歳没。 20世紀の英国小説を専門とし、ジョージ・オーウェル、アニータ・ブルックナー、E・M・フォースターなど翻訳多数、またエッセイ集もある。
岡田 哲(おかだ てつ、1931年9月 - 2019)は、日… 岡田 哲(おかだ てつ、1931年9月 - 2019)は、日本の食文化史研究家。 神奈川県横浜市生まれ。1956年東京大学農学部農芸化学科卒業。1990年まで日清製粉勤務、1994-1997年放送大学食文化史担当。全国調理師養成施設協会『調理用語辞典(改訂版)』の編集委員。
池田 利夫(いけだ としお、1931年7月11日 - 201… 池田 利夫(いけだ としお、1931年7月11日 - 2012年3月12日)は、日本の国文学者。 横浜市生まれ。慶應義塾大学国文科卒。1963年同大学院博士課程満期退学。1976年「日中比較文学の基礎研究 翻訳説話とその典拠」で慶應義塾大学より文学博士の学位を取得。1960年慶應女子高等学校講師、1963年鶴見女子大学講師、助教授、鶴見大学教授、2002年定年、名誉教授。
倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月2… 倉橋 羊村(くらはし ようそん、1931年〈昭和9年〉4月28日 - 2020年〈令和2年〉2月11日)は、日本の俳人。俳誌「波」主宰。本名は倉橋 裕(くらはし ゆたか)。 神奈川県横浜市に生まれる。戦時中の1945年、厚木市へ縁故疎開し神奈川一中(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)から厚木中学(現神奈川県立厚木高等学校)に転入、学徒動員を受ける。青山学院大学経済学部卒業。1952年、水原秋桜子に師事し、1954年には俳誌「馬酔木」の雑詠欄「馬酔木集」の巻頭を飾るなど主力として活躍し、青の会賞を受賞する。1964年には「鷹」を創刊した藤田湘子にしたがい編集長として参加するも、後に退会。1989年、青木泰夫より「波」主宰を継承。
成瀬 駒男(なるせ こまお、1931年3月12日 - 199… 成瀬 駒男(なるせ こまお、1931年3月12日 - 1995年8月14日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 神奈川県横浜市生まれ。1953年、東京大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了。國學院大学文学部助教授、教授。1995年8月14日、在任中に肝不全のため死去。 ルネサンスの民衆文化などを研究、『マルタン・ゲールの帰還』などアナール派の歴史書の翻訳で知られる。
吉田 誠一(よしだ せいいち、1931年1月19日 - 19… 吉田 誠一(よしだ せいいち、1931年1月19日 - 1987年10月28日)は、日本の英文学者、翻訳家。 神奈川県横浜市出身。東京外国語大学英米語科卒業。横浜市立大学教授を務めた。また、日本英文学会会員であった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18… 磯田 光一(いそだ こういち、1931年(昭和6年)1月18日 - 1987年(昭和62年)2月5日)は、日本の文芸評論家、イギリス文学者。東京工業大学教授などを歴任。没後勲四等旭日小綬章受章。 1964年に三島由紀夫論『殉教の美学』を刊行し文壇に登場。戦後文学の再検討を進め、文学を通した近代論へと批評の幅を広げた。代表作に『永井荷風』、『思想としての東京』、『鹿鳴館の系譜』などがある。 神奈川県横浜市中区伊勢町(現・西区伊勢町)に生まれ、東京都葛飾区亀有育ち。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)3年の時に敗戦を迎え、1948年に第一高等学校 (旧制)入学。東京大学文学部英文学科に進学し、イギリス・ロマン派を専攻して卒業。
青木 栄一(あおき えいいち、1930年(昭和5)11月30… 青木 栄一(あおき えいいち、1930年(昭和5)11月30日 - )は、日本の翻訳家。 神奈川県横浜市出身。1953年東京教育大学文学部英米文学科卒業、北海道新聞社入社。同編集局、1965年ワシントン支局勤務、1968年論説委員を務めた。 1975年より東京水産大学助教授、同教授、1985年より共立女子大学文芸学部教授を歴任。国際政治・経済、近未来ものなど翻訳多数。
村瀬 敏夫(むらせ としお、1930年10月1日- )は、日… 村瀬 敏夫(むらせ としお、1930年10月1日- )は、日本の国文学者。東海大学名誉教授。 横浜市生まれ。1959年早稲田大学大学院国文学博士課程満期退学、79年「紀貫之伝の研究」で早稲田大学文学博士。東海大学講師、助教授、教授、96年定年退任、名誉教授。『古今和歌集』などが専門。
小林 惟司(こばやし ただし、1930年7月27日 - )は… 小林 惟司(こばやし ただし、1930年7月27日 - )は、日本の商学者、文筆家。千葉商科大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒業後、明治生命(現:明治安田生命)入社(1983年3月まで)。 1983年より千葉商科大学助教授となり、1989年から千葉商科大学教授となる。1991年、「日本保険思想の生成と展開」で中央大学商学博士。2002年、千葉商大退任、名誉教授。 生命保険を研究したが、その他寺田寅彦などの人物伝を執筆する。
宍戸 健夫(ししど たけお、1930年4月25日 - )は、… 宍戸 健夫(ししど たけお、1930年4月25日 - )は、日本の保育学者、愛知県立大学名誉教授。 横浜市出身。1954年東京大学文学部教育学科卒、1959年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、愛知県立女子大学・愛知県立女子短期大学講師、助教授、1973年教授、愛知県立大学教授。1991年「日本の幼児教育 昭和保育思想史」で東大教育学博士。1996年定年退官、名誉教授。佛教大学教授、同朋大学教授、大阪健康福祉短期大学教授。
吉田 次郎(よしだ じろう、1930年4月3日 - )は、… 吉田 次郎(よしだ じろう、1930年4月3日 - )は、日本の地方公務員、経営者。神奈川県総務部長、テレビ神奈川社長を務めた。神奈川県横浜市出身。勲四等瑞宝章受章。 1954年に東京都立大学人文学部を卒業し、同年に神奈川県庁に入庁。総務部長、湘南国際村専務を経て、1994年6月にテレビ神奈川社長に就任し、1998年6月までに務めた。2000年春の叙勲で勲四等瑞宝章を受章。
小原 宏(おはら ひろし、1930年2月28日 - 1996… 小原 宏(おはら ひろし、1930年2月28日 - 1996年12月11日)は、日本の経営者。ニッカウヰスキー社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1953年に成城大学政治経済学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社。1982年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務を経て、1994年3月にはニッカウヰスキー社長に就任。 1996年12月11日肝不全のために死去。66歳没。
小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひ… 小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひら みえこ)、1930年(昭和5年)1月8日 - )は、日本の脚本家である。代表作には、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』やNHKの大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』などがある。
森田 哲弥(森田 哲彌、もりた てつや、1930年 <昭和5… 森田 哲弥(森田 哲彌、もりた てつや、1930年 <昭和5年> 1月2日- 2014年 <平成26年> 6月8日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授。1990年日本会計研究学会会長。1972年日本会計研究学会学会賞受賞、1980年日本会計研究学会太田賞受賞、1979年日経・経済図書文化賞受賞。位階は正四位。 神奈川県横浜市生まれ。1945年神奈川県立横浜第二中学校(現神奈川県立横浜翠嵐高等学校)第3年学年修了、海軍兵学校予科入学。1946年東京商科大学(現一橋大学)予科入学、1953年東京商科大学卒業。1954年東京商科大研究科退学。1956年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、1959年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得退学。
小篠 菊雄(おざさ きくお、1930年 - 2020年)は、… 小篠 菊雄(おざさ きくお、1930年 - 2020年)は、日本のアナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員。神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学文学部卒業。 1958年に[要出典]文化放送へ入社し、その後にフジテレビジョンへ移籍(同期に鶴岡巍)[要出典]。主にスポーツ実況で活躍。プロ野球中継、ボクシング中継などを担当、特にボクシングではファイティング原田(笹崎ボクシングジム)の試合を中心に実況を担当。また、オリンピック大会の中継でも活躍。1964年東京大会では、開会式の実況を担当。1972年ミュンヘン大会ではジャパンコンソーシアムの一員として中継を担当した。冷静なアナウンスが特徴。 フジテレビではアナウンサーののち、アナウンス室長、スポーツ部プロデューサーを歴任。
青柳 まちこ(あおやぎ まちこ、本名・青柳真智子、1930年… 青柳 まちこ(あおやぎ まちこ、本名・青柳真智子、1930年 - )は、日本の文化人類学者、立教大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。東京女子大学文学部社会科学科卒業。東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程修了(1964年中退、1984年「モデクゲイ - パラオ新宗教の研究」で文学博士)。ハワイ大学、オークランド大学留学。清泉女子大学助教授、立教大学助教授、文学部教授、1997年定年、名誉教授、茨城キリスト教大学教授を務めた。専攻はオセアニア地域。夫は、同じく文化人類学者の青柳清孝。 立教大学に青柳から寄贈された奨学基金を基にした「青柳真智子奨学金」が設置されているが、人文地理学および文化人類学の分野において、主として海外調査を行う学生を対象として、研究者の育成・支援を目的とした奨学金となっている。
青木 和雄(あおき かずお、1930年 - )は、日本の児童… 青木 和雄(あおき かずお、1930年 - )は、日本の児童文学作家。 神奈川県横浜市出身。早稲田大学第一文学部心理学科卒業。 横浜市教育委員会指導主事、横浜市立小学校校長を経て、教育カウンセラーとなる。カウンセラーとしての経験を生かし、いじめや児童虐待をテーマにした児童書を多数出版。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
徳岡 昌克(とくおか まさかつ、1930年 - 2019年6… 徳岡 昌克(とくおか まさかつ、1930年 - 2019年6月26日)は、日本の建築家、徳岡昌克建築設計事務所主宰。 横浜市生まれ。1951年(昭和26年)、京都工業専門学校(現 京都工芸繊維大学)建築科卒。同年、竹中工務店大阪本店設計部入社。1965年(昭和40年)から1967年(昭和42年)、同社を休職し、ワシントンD.C.ムーマ建築事務所・シカゴ C.F.マーフィー建築事務所(現 マーフィー・ヤーン建築事務所)勤務。1967年(昭和42年)から竹中工務店大阪本店設計部に復職。1968年(昭和43年)から1983年(昭和58年)まで同社の大阪本店設計課長・副部長・九州支店設計部長・大阪本店設計部副部長のほか、京都工芸繊維大学の非常勤講師を歴任。
二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、… 二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、マルクス経済学者。元専修大学経済学部教授、専修大学社会科学研究所所員。 横浜市生まれ。兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)および台北で育つ。1944年秋に日本に引き揚げ、福島県の旧制会津中学校に転校した。1945年江田島の海軍兵学校に入学した。敗戦後に会津中学校の4年生に復帰した。1947年、旧制浦和高等学校に入学した。1949年に落第および旧制高校廃止により中退し、東京大学教養学部文科2類に入学した。日本共産党に入党した。学生自治会結成と同時に副委員長を務めた。1950年夏より全学連書記局を務めた。「50年問題」では国際派に所属する。
宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 20… 宮津 昭彦(みやつ あきひこ、1929年11月10日- 2011年1月10日)は、昭和・平成期の俳人。神奈川県横浜市生まれ。横浜商工実習学校商業部(現・神奈川県立商工高等学校)で担任であった大野林火の指導を受けたのをきっかけに俳句をはじめる。卒業後は大阪住友海上保険(のちの三井住友海上火災保険)に入社、同時期に林火の「濱」同人。濱賞、濱同人賞を受賞、林火死去後の1998年より「濱」副主宰を務める。林火の句風を受け継いだ叙情性のある句風。1997年、句集『遠樹』で第37回俳人協会賞受賞。俳人協会副会長も務めた。2011年1月10日死去、81歳。
間 宏(はざま ひろし、1929年9月25日 - 2009年… 間 宏(はざま ひろし、1929年9月25日 - 2009年8月14日)は、日本の社会学者。文学博士(論文博士・1966年)(学位論文「日本労務管理史研究 経営家族主義の形成と展開」)。 神奈川県横浜市出身。東京教育大学卒、1958年同大学院産業社会学博士課程満期退学。1966年「日本労務管理史研究 経営家族主義の形成と展開」で文学博士の学位を取得。1958年東京教育大学文学部助手、1961年専任講師、1964年助教授、1976年早稲田大学文学部教授。2000年定年、名誉教授。1975年『イギリスの社会と労使関係』で日経・経済図書文化賞受賞。産業・労働社会学、経営史。
神山 圭介(かみやま けいすけ、1929年8月3日 - 19… 神山 圭介(かみやま けいすけ、1929年8月3日 - 1985年1月16日)は、日本の作家・小説家。 神奈川県横浜市生まれ。本名・金子鉄磨(カネマロ)。東京大学文学部独文科卒。在学中より雑誌『現代文学』に参加。 卒業後、中央公論社に勤めるかたわら執筆活動を行う。 1976年「鴾色の武勲詩」で芥川賞候補。文化学院講師を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2… 古山 良司(ふるやま りょうじ、1929年6月28日 - 2011年8月22日)は、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。神奈川県横浜市出身。父は騎手の古山喜三郎。 1950年に騎手デビュー。早くより頭角を現し、1950年代から1960年代にかけて第一線の騎手として活動、「戦後派ナンバーワン」との評を取り、コマツヒカリで東京優駿(日本ダービー)に優勝したほか、「走る精密器械」と呼ばれたタカオー、「怪物」タケシバオーといった名馬の主戦騎手を務めた。騎手通算は4409戦619勝、うち八大競走5勝を含む重賞24勝。 1970年より調教師に転身し、美浦トレーニングセンターに所属。2000年の引退までに数々の重賞勝利馬を手掛けた。
郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年… 郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年9月30日)は、日本の小説家。
桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 -… 桜井 眞一郎(さくらい しんいちろう、1929年4月3日 - 2011年1月17日)は日本の自動車技術者。 株式会社エス・アンド・エス エンジニアリング取締役会長。日本自動車殿堂入り、オーテックジャパン初代代表取締役。神奈川県出身。戸籍上の氏名は、櫻井 眞一郎。 旧プリンス自動車工業時代より日産自動車時代に渡るまでスカイラインの開発に携わる。2代目の途中からは開発責任者(主管)として7代目の開発終盤まで長期間携わっていたことから、「GT-Rの生みの親」「ミスタースカイライン」「スカイラインの父」として知られている。 清水建設に勤務していた時代に「日本で初めてバッチャープラントとコンクリートミキサー車(生コン車)を開発した」と伝えられるが、これについては異論も出されている。
絹川 正吉(きぬかわ まさきち、1929年3月7日 - 20… 絹川 正吉(きぬかわ まさきち、1929年3月7日 - 2025年1月23日)は、日本の数学者。国際基督教大学名誉教授・元学長。専門は解析学、フーリエ解析。Ph.D.(ノースウェスタン大学)。神奈川県横浜市出身。 2025年1月23日召天。95歳没。 『教養と大学スタッフ』、東信堂、2022年 (出典:『ACADEMIA』2021年・No.180、全国日本学士会)
黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 19… 黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 1997年4月10日)は、日本の作曲家。戦後のクラシック音楽、現代音楽界を代表する音楽家の一人として知られる。また、東京藝術大学作曲科講師として後進の育成にもあたった。
ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010… ジョー樋口(ジョーひぐち、1929年1月18日 - 2010年11月8日)は、日本の元プロレスラー、元レフェリー。 本名は樋口 寛治(ひぐち かんじ)。愛称は「ジョー」。 神奈川県横浜市出身。法政大学卒業。俳優の樋口隆則は息子。 日本プロレスと全日本プロレスでレフェリー、外国人係を務めた後、プロレスリング・ノア監査役、GHCタイトル管理委員長を歴任した。 実家は本牧の洋食材の問屋で、幼少時からコーヒーを嗜み、ジャズを愛好する少年だった。周囲の環境から、英語や洋食の調理もお手のものであった。また柔道の道に進み、二段まで昇段。終戦後は進駐軍に柔道を教えていた(この時期に英語をマスターしたとの記述もある)。
唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日… 唐 順棋(とう じゅんき、1929年1月16日 - )は、日本の映画監督である。神奈川県横浜市生まれ、国籍は中華人民共和国である。日本名唐沢 二郎(からさわ じろう)、別名早坂 紘(はやさか こう)あるいは早坂 絋清(はやさか こうせい)の名でも活動した。「早坂絋」「早坂絃」「早坂宏」と記されることもある。おもにテレビ映画において「唐順棋」、劇場用映画において「唐沢二郎」「早坂紘」を使い分けた。連続テレビ映画『水滸伝』、『西遊記』では時代考証を手がけた。 1929年(昭和4年)1月16日、神奈川県横浜市中区元町に生まれる。『日本映画監督全集』によれば、本籍は中華人民共和国上海市延安東路(中国語版)にあるといい、同国は1949年(昭和24年)10月1日に建国されており、同書の記述が正しければ同国建国以降のものであり、唐の誕生の時点では同地は中華民国に属していた。
寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 198… 寺田 和夫(てらだ かずお、1928年5月17日 - 1987年9月5日)は、日本の人類学者、東京大学教養学部教授。 1928年、横浜市生まれ。第一高等学校から、東京大学理学部人類学科へ進んだ。1951年に卒業し、同大学院に進学。 1956年、教養学部助手に採用された。1958年から1969年、東京大学アンデス地帯学術調査団の一員としてペルーで考古学遺跡の発掘調査に従事。助教授を経て、教授した。1962年、学位論文『人体計測値による親子の類似性の分析』を東京大学に提出して理学博士の学位を取得。在職中に死去した。 ラテンアメリカの歴史と文化を専攻し、師泉靖一のインカ文化・アンデス文明研究を引き継いだ。
色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 202… 色摩 力夫(しかま りきを、1928年5月13日 - 2022年11月24日)は、日本の外交官。国家基本問題研究所客員研究員。浜松大学教授。 神奈川県横浜市生まれ。仙台陸軍幼年学校卒業、陸軍士官学校61期。東京大学文学部仏文学科卒業。 1954年、外務省入省、スペイン留学、国際連合局社会課長、アメリカ局中南米参事官、内閣官房インドシナ難民連絡調整会議事務局長、サン・パウロ総領事を経て、ホンジュラス大使、コロンビア大使、チリ大使を歴任。 1992年に退官し、浜松大学国際経済学部教授。2003年退職。 1998年、勲二等瑞宝章受章。