彦坂 興秀(ひこさか おきひで、1948年 - )は、日本出… 彦坂 興秀(ひこさか おきひで、1948年 - )は、日本出身の神経科学者、医師。アメリカ国立衛生研究所眼病研究所 (NEI) 所属。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1973年に東京大学大学院から医学博士号を取得し、1978年には島津浩の指導下で前庭眼脳幹系の研究により博士号を取得した。同年から東邦大学講師、翌年からは助教授を務めた。その後は1982年までアメリカ国立衛生研究所眼病研究所 (NEI) で博士研究員として研究を行った。 1983年に東邦大学の准教授に就任。1988年、生理学研究所に教授として移籍し、1993年に順天堂大学医学部第一生理学教室教授。2002年以降はアメリカ国立衛生研究所眼科研究所に戻り、感覚運動システムの研究グループリーダーを務めている。
千野 共美(ちの ともみ、1948年 - )は、長野県長野市… 千野 共美(ちの ともみ、1948年 - )は、長野県長野市出身の前衛いけばな作家、華道家。中川幸夫の妻である半田唄子に師事。半田唄子の死後、中川幸夫のアシスタントを務めた。花の教室を主宰、花を教える他、いけこみ等の仕事に携わる。現在、東京都国立市在住。
中山 史郎(なかやま しろう、1947年7月9日 - 201… 中山 史郎(なかやま しろう、1947年7月9日 - 2018年9月8日)は、日本のテレビドラマの監督・演出家である。株式会社ザ・ワークス取締役副社長、株式会社The icon取締役。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1972年早稲田大学第一文学部卒業後、日本テレビに入社。入社後は「たんぽぽ」の演出補(AD)を務める。1980年「池中玄太80キロ」で演出デビュー。 1984年、日本テレビを退社。その後フリーとなり、ザ・ワークスに入社した。
太田 政男(おおた まさお、1946年10月6日 - )は、… 太田 政男(おおた まさお、1946年10月6日 - )は、日本の教育学者。大東文化大学名誉教授。第15代大東文化大学学長。 長野県長野市生まれ。1969年東京大学教育学部卒業。1971年東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。1976年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。1976年大東文化大学文学部教育学科専任講師、1981年同助教授、1987年同教授。2010年から2017年まで第15代大東文化大学学長。教育科学研究会副委員長、埼玉社会教育研究会会長。
花岡 信昭(はなおか のぶあき、1946年4月2日 - 20… 花岡 信昭(はなおか のぶあき、1946年4月2日 - 2011年5月14日)は、日本のジャーナリスト、コラムニスト、産経新聞客員編集委員。拓殖大学大学院地方政治行政研究科教授。保守の論客として知られた。 長野県長野市生まれ。信州大学教育学部附属長野小学校、信州大学教育学部附属長野中学校、長野県長野高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。幼・小・中・高では作家の猪瀬直樹と同級であった。1969年産業経済新聞社入社。社会部を経て政治部に属し政治部長、論説副委員長を歴任。2002年退社し、評論活動に入る。2007年、産経新聞客員編集委員に就任。 2011年5月14日、心筋梗塞のため東京都新宿区の病院で死去、65歳。
小坂 憲次(こさか けんじ、1946年〈昭和21年〉3月12… 小坂 憲次(こさか けんじ、1946年〈昭和21年〉3月12日 - 2016年〈平成28年〉10月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)、文部科学大臣(第7代)、参議院憲法審査会会長(初代)、自由民主党参議院幹事長などを歴任した。 1990年代前半は、一貫して羽田孜の側近であった[要出典]。1993年に自民党を離党し、羽田が率いる新生党に入党する[要出典]。その後も羽田に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、羽田が菅直人元厚生大臣率いる旧民主党への合流を進めたことに反発[要出典]。民主党には合流せず、無所属の期間を経て、自民党に復党した。 2008年自由民主党総裁選挙では石破茂の選挙責任者を務めた。
竹元 正美(たけもと まさみ、1945年‐)は、日本の外交官… 竹元 正美(たけもと まさみ、1945年‐)は、日本の外交官。ホンジュラス、ウルグアイの両国で特命全権大使を歴任した。元東宮侍従。 長野県長野市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、1970年に外務省入省。米国ドゥルー大学大学院修士号取得(国際関係論)。 外務省アメリカ局、中近東アフリカ局、経済局、韓国大使館、オーストラリア大使館、欧亜局、中近東アフリカ局勤務後、1986年に宮内庁東宮侍従。皇太子・同妃の訪米と、礼宮のブラジル訪問に随行した。 1988年、外務省経済局海洋課長。大臣官房儀典官。 1990年、儀典官として即位の礼に参列する外国人賓客の受け入れ準備に当たる。 海外勤務では、韓国大使館一等書記官、豪州大使館一等書記官、タイ大使館公使、スペイン大使館公使。
吉田 總一郎(Soichiro "Sol" Yoshida、… 吉田 總一郎(Soichiro "Sol" Yoshida、1945年 - 2026年2月24日)は、日本の実業家、経済学者、環境学研究者、ディーゼル燃料・ディーゼルエンジン研究者。長野県長野市生まれ。 現在、長野、東京をベースに、環境、CSR、代替エネルギー、動植物性脂肪酸(油脂)分野の研究及びビジネス・アプリケーション、コンサルティング、講演、執筆活動を国際的に展開している。
倉石 功(くらいし いさお、1944年4月1日 - )は、日… 倉石 功(くらいし いさお、1944年4月1日 - )は、日本の俳優。長野県長野市出身。日本大学芸術学部中退。所属事務所は手力プロダクション。長男はファッションデザイナーの倉石一樹。 長野中央高等学校(現在の長野日本大学中学・高等学校)在学中の1961年、ミスター平凡コンテストに応募しグランプリを獲得。その後、大映に第16期ニューフェイスとして入社。1963年の映画『停年退職』でデビュー。その後『高校三年生』などで主演。1965年より大映テレビ室製作のテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』にメンバー最年少の杉井隊員役でレギュラー出演した。 1969年、大映を退社し劇団欅に入団。1974年に、『ザ・ガードマン』の共演者だった宇津井健の仲立ちにより老舗料亭「土筆亭(つくしてい)」の令嬢:吉田秀子と交際期間半年で結婚。
小林 敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本史学… 小林 敏男(こばやし としお、1944年 - )は、日本史学者、大東文化大学名誉教授。日本古代史が専門。 長野県長野市生まれ。1978年東京教育大学大学院文学研究科(日本史学)博士課程単位取得退学。1995年「古代王権と県・県主制の研究」で國學院大學より博士(歴史学)の学位を取得。大東文化大学文学部教授。2015年定年退任、名誉教授。
岡田 弘(おかだ ひろむ、1943年12月27日 - )は、… 岡田 弘(おかだ ひろむ、1943年12月27日 - )は、日本の地球科学者。北海道大学名誉教授。専門は火山物理学、火山噴火予知、火山災害。理学博士(北海道大学、1977年)。長野県長野市出身。 十勝岳、有珠山噴火の際にテレビ、新聞に現れ、俗世にまみれぬ真っ白な長髪の風体が、いかにも学者然として注目を集めた。また、2000年有珠山噴火を的確に予想した事から「有珠山の主治医」とも評された。同年には「長年の有珠山研究に基づく火山噴火予知と防災活動への貢献」の功績により北海道新聞文化賞特別賞を受賞。 しかし、有珠山は有史時代の噴火でほぼ例外なく体に感じるような地震を伴うことなどから噴火は予知しやすい火山とされており、有珠山の噴火を予知したことだけでなく火山の静穏な時期から地元に密着した住民への啓発活動等によってスムーズな事前避難をうながしたこと、自治体職員など防災機関の人たちと常に連携した活動をして有珠山の噴火期に的確な災害対策について助言をした功績により、平成13年(2001年)度防災功労者内閣総理大臣表彰を受賞した。
五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月2… 五明 公男(ごみょう・きみお、1943年〈昭和18年〉8月21日 - 2019年〈平成31年〉3月1日)は、日本の体育学者、アマチュア野球指導者。 1943年(昭和18年)に東京都で生まれるが、太平洋戦争激化の影響により一家で長野県更級郡篠ノ井町(現在の長野市篠ノ井地区)へ疎開し、幼年時代を過ごす。小学校入学の際に東京へ戻り、大田区立羽田小学校へ入学。小学校・中学校と野球に熱中する。 中学校3年時に進学先を決める際に、東京都と神奈川県の高等学校をリサーチし、「高校で野球をやるんなら甲子園へ行きたい」と思い、「法政二高の田丸仁監督は素晴らしい指導者であると言うので、ここへ行こう」と思い法政大学第二高等学校への進学を決めたという。
鎌原 正直(かんばら まさなお、1943年3月26日 - )… 鎌原 正直(かんばら まさなお、1943年3月26日 - )は、日本の経営者。三菱レイヨン(現在の三菱ケミカル)社長を務めた。 長野県長野市出身。1965年に東京外国語大学を卒業し、同年に三菱レイヨンに入社。1997年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、2006年6月に社長に就任。2012年4月に取締役に就任し、2016年4月に相談役を退く。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
荒井 賢一(あらい けんいち、1943年2月23日 - )は… 荒井 賢一(あらい けんいち、1943年2月23日 - )は、日本の工学者・物理学者。専門は磁気工学。東北大学名誉教授。学位は工学博士。公益財団法人電磁材料研究所評議員。 長野県長野市出身。1971年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士(学位論文「磁気共鳴法を用いたスピネル型強磁性単結晶の磁気弾性結合に関する研究」)。東北大学電気通信研究所助手、同助教授を経て、1986年に同所電気通信材料学研究部門の教授に就任。2004年東北大学評議員、2005年東北大学総長候補者選考管理委員会委員長を務めた。 2005年、(独)情報通信研究機構の連携研究部門内に仙台リサーチセンターを立ち上げ、プロジェクトリーダーに就任。
加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8… 加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8日 - )は、日本の政治家、実業家。元長野県長野市長(2期)。現在は日本会議NAGANO会長を務める。 長野県長野市出身。1961年、長野県長野高等学校卒業。1965年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。内田産業株式会社を経て、1967年に株式会社本久入社。1985年に同社社長、2009年に本久ホールディングス社長に就任。インフラ整備、外食事業、ホテル国際21等のレジャー事業を手掛ける。 2007年から長野商工会議所会頭・長野県商工会議所連合会会長を務め、2009年には、しなの鉄道取締役会長にも就任した。 2013年10月27日に行われた長野市長選挙に立候補。
山田 作衛(やまだ さくえ、1941年6月11日 - )は、… 山田 作衛(やまだ さくえ、1941年6月11日 - )は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。国際リニアコライダーの物理研究責任者。元KEK素粒子原子核研究所所長。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1964年東京大学理学部物理学科卒業。1969年、同大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了、理学博士。東京大学理学部助教授を経て、東京大学原子核研究所教授。小柴昌俊のもとで電子・陽電子衝突実験に従事。長年、DESY研究所の国際実験、HERAに貢献してきた。2007年より、国際リニアコライダーの物理研究責任者を担当している。2022年、瑞宝中綬章受章。
鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)1… 鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)11月8日 - 2022年(令和4年)3月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。元長野県長野市長(3期)。 長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。大学在学中から生家が経営する炭平鷲澤(現炭平製作所)に入社し、1963年から代表取締役社長を務める。大学を卒業後、1965年長野陸送、1966年炭平運輸、1968年三国コンクリートの各代表取締役に就任。会社経営の傍ら、長野市及び長野県のPTA連合会会長、長野市教育委員会委員、長野商工会議所副会頭、東北信生コン事業協同組合理事長、長野市青年会議所理事長、長野県経営者協会常任理事などを歴任した。
金丸 龍之介(かなまる りゅうのすけ、1939年8月31日)… 金丸 龍之介(かなまる りゅうのすけ、1939年8月31日)は、日本の内科医。専門は、癌化学療法、分子生物学。医学博士。
黒沢 惟昭(くろさわ のぶあき、1938年10月25日 - … 黒沢 惟昭(くろさわ のぶあき、1938年10月25日 - )は、日本の教育学者。東京学芸大学教育学部教授、財団法人神奈川県高等学校教育会館教育研究所代表等を経て、中国東北師範大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1965年一橋大学社会学部卒業。高島善哉や鈴木秀勇の指導を受けた。1969年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。指導教官は宮原誠一。2010年「現代に生きるグラムシ 市民的ヘゲモニーの思想と現実」で一橋大学より博士(社会学)の学位を取得。審査員加藤哲郎、関啓子、平子友長。 1969年本州大学(現長野大学)経済学部専任講師、1972年助教授。神奈川大学外国語学部教授を経て、2001年に東京学芸大学教育学部教授を定年退官。
丸田 頼一(まるた よりかず、1938年2月4日 - 202… 丸田 頼一(まるた よりかず、1938年2月4日 - 2020年6月21日)は、日本の造園学者。位階は従四位。 千葉大学名誉教授。代表的業績に、都市空間の熱環境評価・対策技術の開発がある。 大分県生まれで、長野県長野市育ち。 1964年に、ルイジアナ州立大学大学院修士課程を修了する。翌年に東京大学大学院生物系研究科修士課程を、1969年に東京大学大学院農学系研究科博士課程をそれぞれ修了し、農学博士号を取得した。 1969年より日本大学農獣医学部講師となり、1972年に助教授に昇進する。1978年に千葉大学園芸学部に転じ、1988年に教授に就任した。 1997年に環境情報科学センター理事長、2000年に千葉大学評議員となる。
上野 矗(うえの ひとし、1937年9月26日 - 2022… 上野 矗(うえの ひとし、1937年9月26日 - 2022年6月13日)は、日本の心理学者。大阪教育大学名誉教授。 長野県長野市出身。東北大学文学部心理学科卒業、1967年、同大学院文学研究科心理学専攻博士課程単位取得退学、白梅学園短期大学講師。1969年、弘前大学養護教諭養成所助教授。1973年、大阪教育大学助教授。1983年、教授。1992年「病気との和解実現の方途を探って-体験学習におけるグループ受容体験をモデルとして」で久留米大学医学博士。2003年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授。2008年退職。2017年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
石田 治一郎(いしだ じいちろう、1937年5月21日 - … 石田 治一郎(いしだ じいちろう、1937年5月21日 - 2014年10月12日)は日本の政治家。藍綬褒章、正五位、旭日中綬章。長野県長野市出身。早大教育卒。長野県議会議員(連続9期)。長野県議会議長、自由民主党県連幹事長、全国幹事長連絡協議会会長、政権構想会議メンバー。 長野県政に強い影響力をもち、“県政の重鎮、県政のドン”とよばれた。 1937年、長野市若穂綿内(当時は上高井郡綿内村)生まれ。 早稲田大学教育学部卒業。信濃毎日新聞社勤務を経て起業する。長野青年会議所理事長を経て、1979年の長野県議会議員選挙へ出馬(無所属、当選後は自民党)しトップで初当選した。 1985年、長野市長選挙へ出馬し、塚田佐と保守を二分する激戦の末敗れたが、1987年の長野県議会議員選挙ではトップ当選で返り咲いた。
和田 登(わだ のぼる、1936年1月1日 - 2025年2… 和田 登(わだ のぼる、1936年1月1日 - 2025年2月4日)は、日本の作家・児童文学作家。信州児童文学会事務局長・編集委員。 長野県長野市生まれ。信州大学教育学部卒業。 1956年大学時代の仲間で親友はまみつを、高橋忠治らと児童文学同人誌「とうげの旗」を創刊。1959年より公立小学校の教師を31年間務めるかたわら、1966年「虫」で第1回日本児童文学者協会短編賞を受賞し児童文学作家となる。1977年、松代大本営設営に駆り出された朝鮮人を描いた『悲しみの砦』で第1回塚原健二郎文学賞。2005年「武器では地球を救えない」で産経児童出版文化賞受賞。 反戦・反差別の立場からする児童文学のほか、人物伝、怪奇もの、児童向けSFなどを多く執筆、中山晋平の伝記を何度か書いている。
河原 正彦(かわはら まさひこ、1935年9月25日 - 2… 河原 正彦(かわはら まさひこ、1935年9月25日 - 2017年5月9日)は、日本の美術史学者。京都国立博物館名誉館員。専門領域は文化史学、美術工芸史、東洋陶磁史など。 長野県長野市生まれ。同志社大学文学部文化学科文化史専攻卒業。同大学院文学研究科文化史学専攻博士課程単位取得満期退学。京都府立総合資料館資料部主事。京都国立博物館学芸課工芸室、研究職文部技官、工芸室長、学芸課学芸課長。京都橘女子大学文学部文化財学科教授。滋賀県立陶芸の森館長。 2017年5月9日、細菌性肺炎のため、京都府城陽市内の病院で死去、81歳。
小林 實(こばやし まこと、1935年6月1日 - 2017… 小林 實(こばやし まこと、1935年6月1日 - 2017年6月18日)は、日本の自治官僚。長野県長野市出身。 長野県長野高等学校を経て、昭和33年(1958年)東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。同年、自治庁(現総務省)に入庁し、北海道庁に配属される。同39年(1964年)栃木県総務部地方課長、同42年(1967年)京都府教育管理課長、同48年(1973年)自治省大臣官房参事官、同55年(1980年)北九州市助役、同58年(1983年)同省財政局財政課長、同61年(1986年)自治省大臣官房審議官、同62年(1987年)10月1日 同大臣総務審議官、平成元年(1989年)6月 同大臣官房長、同平成2年(1990年)7月 財政局長などを歴任後、同3年(1991年)10月 自治事務次官を務めた。
小野 正弘(おの まさひろ、1935年1月4日 - 2010… 小野 正弘(おの まさひろ、1935年1月4日 - 2010年12月25日)は、日本の建築家。長野県長野市生まれ。立正大学・日本大学・宇都宮大学・足利工業大学講師を歴任。 受賞歴に、中部建築賞、神奈川県建築コンクール優秀賞、東京建築士事務所協会作品コンクール最優秀賞・優秀賞 奈良市民ホール国際建築競技設計佳作入選などがある。
高山 邦男(たかやま くにお、1934年10月7日 - )は… 高山 邦男(たかやま くにお、1934年10月7日 - )は、長野県長野市出身の元プロ野球選手。 松代高校から1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。1956年に退団し、長野鉄道管理局に入社した。
滝沢 貞夫(たきざわ さだお、1934年7月26日 - 20… 滝沢 貞夫(たきざわ さだお、1934年7月26日 - 2016年11月20日)は、日本の国文学者。信州大学名誉教授。専門は中世和歌で、『詞花和歌集』以後の二十一代集の総索引を作成した業績がある。 新潟県生まれ。長野県長野市育ち[要出典]。1957年東京教育大学文学部卒業、1959年同大学院修士課程修了。長野県立高校教諭を経て、1968年長野工業高等専門学校助教授、1972年信州大学教育学部助教授、1979年同教授。2000年定年退任、名誉教授。正四位、瑞宝中綬章追贈。
町田 行彦(まちだ ゆきひこ、1934年3月8日 - 202… 町田 行彦(まちだ ゆきひこ、1934年3月8日 - 2025年9月22日)は、長野県長野市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。 長野北高校では、2年生次の1950年夏の甲子園予選信越大会決勝に進むが、松商学園に敗退し甲子園出場を逸する。同年の秋季北信越大会では優勝を飾るが、翌1951年春の選抜には選出されなかった。高校通算36本塁打。高校同期に松橋慶喜、1年下に山岸静馬がいた。 1952年に国鉄スワローズへ入団。入団後まもなく強肩を見込まれて、本来の守備位置である三塁手から外野手にコンバートされた。1953年には開幕から右翼手として起用され、7月には杉浦清に代わり初の四番打者も経験。1954年には初の規定打席(29位、打率.250)に達する。
松橋 慶季(まつはし よしき、旧名:義喜(よしき)、秀康(ひ… 松橋 慶季(まつはし よしき、旧名:義喜(よしき)、秀康(ひでやす)、1934年1月10日 - 2015年2月22日)は、長野県長野市出身のプロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員。 長野県長野北高等学校では2年生の時、捕手として1950年夏の甲子園予選信越大会決勝に進むが、松商学園に敗退し甲子園出場を逸する。松商学園の控え捕手は吉沢岳男であった。同年の秋季北信越大会では優勝を飾るが、翌年春の選抜の出場校には選出されなかった。高校同期に三塁手の町田行彦、1年下に控え捕手の山岸静馬がいた。 1952年に阪急ブレーブスに入団するが、翌1953年に国鉄スワローズに移籍。阪急から国鉄に移籍したのは、郷里に母を一人残した中、長野県から遠い西宮市でプレーするのを好まなかったからである。
小坂 健介(こさか けんすけ、1933年10月27日 - 2… 小坂 健介(こさか けんすけ、1933年10月27日 - 2021年12月10日)は、日本の経営者。信濃毎日新聞社社長を務めた。 長野県長野市出身。1957年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社した。1964年に信濃毎日新聞社に転じ、1965年に取締役に就任し、1971年に常務、1982年に専務を経て、1988年に副社長に就任し、1993年3月には社長に昇格。2011年3月には取締役相談役に就任。共同通信社理事、日本新聞協会理事も務めた。また長野テレメッセージ社長も務めている。 2012年11月に旭日重光章を受章した。 2021年12月10日、心不全のために死去。88歳没。 長男は小坂壮太郎(信濃毎日新聞社長)。
宮澤 康人(みやざわ やすと、1933年3月30日- )は、… 宮澤 康人(みやざわ やすと、1933年3月30日- )は、日本の教育学者、東京大学・放送大学名誉教授。長野県長野市生まれ。 東京大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科、経済学研究科博士課程中退。コロンビア大学で修士号取得。関西大学文学部専任講師、東京大学教育学部助教授、教授。1994年、定年退官、名誉教授、放送大学教養学部教授。2004年、退任、名誉教授。大人と子供の関係史研究会世話人。専攻は教育史・教育哲学。
児島 和人(こじま かずと、1933年2月5日 - )は、日… 児島 和人(こじま かずと、1933年2月5日 - )は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1958年東京大学文学部社会学科卒、NHK放送文化研究所所員、NHK放送世論調査所主任研究員、1971年東大大学院社会科学研究科博士課程満期退学、1977年埼玉大学助教授、1983年東京大学新聞研究所助教授、1985年教授、1992年社会情報研究所教授、1993年定年退官、専修大学文学部教授、2003年定年。
北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2… 北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2023年5月15日)は日本の大蔵官僚。大臣官房総務審議官、証券局長、大阪証券取引所理事長などを歴任。 長野県長野市出身。東京大学法学部卒業。1956年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1956年入省同期に小粥正巳(日本経済研究所会長、初代日本政投銀総裁、日本開銀総裁、公正取引委員会委員長、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、秦郁彦(歴史研究者)らがいた。 1963年7月 館林税務署長。1980年6月 銀行局総務課長。1981年6月 東海財務局長。1982年6月 大臣官房審議官(理財局担当)。1983年6月 銀行局検査部長。1984年6月27日 大臣官房総務審議官。
林 邦雄(はやし くにお、1932年8月21日 - )は、日… 林 邦雄(はやし くにお、1932年8月21日 - )は、日本の教育心理学者。障害児教育に当たった。 長野県長野市生まれ。東京教育大学教育学部卒、同大学院教育心理学博士課程満期退学。青鳥養護学校、桐丘養護学校勤務ののち、静岡大学教育学部助教授、教授、1996年定年退官、目白大学人文学部教授、2003年退職。1976年「「こども」の精神療法における言語表現の問題」で神戸大学より医学博士の学位を取得。
宮林 昭彦(みやばやし しょうげん、1932年3月27日 -… 宮林 昭彦(みやばやし しょうげん、1932年3月27日 - 2014年7月10日)は、長野県長野市生まれの浄土宗の僧、仏教学者。大正大学教授。全日本仏教会副会長。大本山光明寺第百十二世法主。
飯島 周(いいじま いたる、1930年11月18日 - 20… 飯島 周(いいじま いたる、1930年11月18日 - 2020年7月18日)は、日本の言語学者、跡見学園女子大学名誉教授。専攻は言語学(スラブ語)。 長野県長野市出身。1953年東京大学文学部言語学科卒業。1955年同大学院文学研究科言語学専攻修士課程修了。跡見学園女子大学短期大学部助教授、跡見学園女子大学大学教授、1994年から1998年まで学長を務め、2001年定年、名誉教授。 1967年以降数度にわたりチェコスロバキアのカレル大学に留学、2009年、チェコ文化普及の功績により同国政府より功労賞授与。日本チェコ協会会長。 2020年7月18日に死去。89歳没。
山田 欣吾(やまだ きんご、1930年 - )は、日本の歴史… 山田 欣吾(やまだ きんご、1930年 - )は、日本の歴史学者、経済学者。主専攻はドイツ中世史。一橋大学名誉教授。 1930年、長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校を経て、1954年一橋大学経済学部卒業、1959年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。大学では一橋新聞部に所属。 1960年一橋大学経済学部専任講師、1972年より同教授。1995年に定年退官し、その後共立女子大学国際文化学部教授として教鞭をとった。
西沢 利栄(にしざわ としえ、1929年2月16日 - 没年… 西沢 利栄(にしざわ としえ、1929年2月16日 - 没年不詳)は、日本の気候学・地理学者、筑波大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。東京教育大学卒、1961年同大学院理学研究科修士課程修了。1967年「日本における河川水の熱収支に関する研究」で理学博士。立教大学助教授、筑波大学教授、1992年定年退官、名誉教授、東京成徳大学教授、同附属図書館長。1993-99年PPG7国際諮問委員会委員。1993年、21世紀地球賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉沢 典男(よしざわ のりお、1928年8月25日 - 19… 吉沢 典男(よしざわ のりお、1928年8月25日 - 1988年3月8日)は、日本の国語学者・音声学者。 長野県長野市出身。長野師範学校付属小学校、旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、國學院大學文学部国文科卒業、1953年同大学院修士課程中退、同年国立国語研究所に入所、東京医科歯科大学助教授を経て、1963年千葉大学文理学部助教授、1966年東京外国語大学助教授、同音声学研究所教授。 1962年「呼気消費量計による、発声・発音についての音声生理学的研究」で神戸医科大学医学博士。NHK放送用語委員会委員を務めた。
川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 20… 川原 啓美(かわはら ひろみ、1928年7月21日 - 2015年5月22日)は日本の医師(外科医)。 長野県長野市出身。1952年に名古屋大学医学部卒業。1953年、暁子(さとこ)と結婚。夫婦として医師として一緒に歩み始める。 1962年JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)入会。理事を務めた。 アメリカ合衆国のオールバニ医科大学(en)留学を経て一般外科、胸部外科にたずさわる。 1976年ネパール王国での短期医療協力の経験を生かし、1980年アジア保健研修所を設立。1981年愛知国際病院を開設し院長に就任。 1992年老人保健施設 愛泉館発足。1999年よりホスピス病棟を開設。 1959年 医学博士(名古屋大学)。
小林 経旺 (こばやし つねお、1926年1月1日 - 生死… 小林 経旺 (こばやし つねお、1926年1月1日 - 生死不明 )は、長野県出身の元プロ野球選手(投手)。 1948年の登録名は小林 常夫、1949年から1954年は小林 恒夫。 通算100敗以上しながら、唯一通算50勝未満の投手であり、負け越し数「64」(46勝110敗)のプロ野球ワースト記録を保持する。 台中商業、社会人野球の台湾電力、上田栞製作所を経て、1947年に国民野球連盟の大塚アスレチックスに入団。翌1948年に大塚の金星スターズ買収に伴い金星スターズへ移ると、監督であった石本秀一の指導で頭角を現す。翌1949年に石本が大陽ロビンスの監督に就任する際に、小林も連れていこうとする。これに対して、金星の後継球団である大映スターズが二重契約であると主張。
清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 201… 清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 2010年1月14日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県長野市出身。1944年早稲田高等工学校機械工学科卒。1944年大日本機械に入社し、応召・復員後、印刷工となる。1949年印刷出版労組長野県支部書記長から、1957年長野県労評事務局長、1966年同議長。1976年の総選挙で旧長野1区から社会党公認で立候補し、初当選し以後6期務めた。1979年社会党政策審議会副会長、1982年衆議院予算委員、1984年社会党国会対策副委員長、同産業貿易政策委員長を務める。1993年の総選挙で落選し、政界を引退。1995年、勲二等旭日重光章受章。
金井 格(かない ただし、1925年1月28日 - 没年不詳… 金井 格(かない ただし、1925年1月28日 - 没年不詳)は東京農業大学名誉教授。専門は造園学の工学分野。 長野県長野市出身。生まれは外地で母方の祖父は片倉製紙の重役。本籍長野の他は埼玉で長く暮らす。 1945年9月 東京農業大学専門部緑地土木科を卒業し、1946年9月から1954年まで東京農業大学専門部緑地科助手、1954年からは埼玉県行田市役所技術嘱託土木課公園掛、1956年から1962年3月までは行田市役所技術吏員で、その間の1957年から1961年まで東京農業大学造園学科造園工学専攻で年度講師として測量などを担当し、1962年4月から東京農業大学造園学科講師、1965年に同大学助教授、1978年から同大学教授就任、1995年に退職し名誉教授。
関 恒義(せき つねよし、1924年(大正13年)9月27日… 関 恒義(せき つねよし、1924年(大正13年)9月27日 - 2013年(平成25年)10月23日)は、日本のマルクス経済学者。一橋大学名誉教授。日教組大学部執行委員長、行財政総合研究所副理事長、日本科学者会議『日本の科学者』編集委員長等を歴任した。 1924年、長野県長野市生まれ。長野師範学校附属小学校(現信州大学教育学部附属長野小学校)、旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、東京府立第十中学校(現東京都立西高等学校)を経て、1942年に旧制東京商科大学(現一橋大学)予科入学。同期の川勝堅二(元三和銀行頭取)や本間要一郎(横浜国立大学名誉教授)とともに小平市の一橋寮に入寮したが、ストームで小便を飲まされ退寮する。
道田 信一郎(みちだ しんいちろう、1924年8月7日 - … 道田 信一郎(みちだ しんいちろう、1924年8月7日 - 1988年6月10日)は、日本の法学者。専門は、英米法(特にアメリカ商取引法)、国際取引法。 長野県長野市出身。1945年8月陸軍士官学校第59期在学中に終戦。1949年京都大学法学部卒。 1953年京都大学法学部助教授、1962年「対米貿易売買法」で法学博士の学位を取得、教授に昇任。1980-1982年法学部長。1988年定年退官、名誉教授、姫路獨協大学法学部教授に就任。この間ミシガン大学、ハーバード大学などのロースクールで客員教授として国際取引法などを講義。1968年より国際連合国際商取引法委員会(UNCITRAL)の日本代表として「国際物品売買契約に関する国際連合条約」(CISG)の起草に尽力し、この条約を採択した1980年のウィーン外交会議では実質規定ラポルトゥールを務めた。
倉嶋 厚(くらしま あつし、1924年1月25日 - 201… 倉嶋 厚(くらしま あつし、1924年1月25日 - 2017年8月3日)は、日本の気象エッセイスト、気象学者。理学博士(東京教育大学(現・筑波大学))。かつてテレビで気象キャスターとして活躍した。 長野県長野市生まれ。父は仏教関係の新聞を出版していた倉島元弥。兄は長野市長を務めた倉島至。 旧制・長野縣長野中學校(現・長野県長野高等学校)を経て、中央気象台付属気象技術官養成所研究科(現・気象大学校)を卒業後、1949年に気象庁入庁。気象庁主任予報官、札幌管区気象台予報課長、鹿児島地方気象台長を歴任。 1984年気象庁を定年退職。業務で付き合いがあったNHKに招聘され外部解説委員となり、『ニュースセンター9時』『にっぽん列島ただいま6時』『NHKおはようサンデー』『NHKモーニングワイドサンデー』で気象情報、気象キャスターを担当。
宮崎 明(みやざき あきら、1923年10月19日 - 20… 宮崎 明(みやざき あきら、1923年10月19日 - 2003年9月20日)は日本の建設官僚。鹿島建設元社長。 長野県長野市出身。昭和21年(1946年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業。同年内務省に入省。同47年(1972年)建設省技術参事官、同49年(1974年)国際水資源局長。 退官後、昭和51年(1976年)鹿島建設に入社。同63年(1988年)副社長、平成2年(1990年)社長に就任したが、ゼネコン汚職問題で引責辞任して同8年(1996年)会長、のち名誉相談役となる。同9年(1997年)土木学会第85代会長に就任した。
宮澤 清治(宮沢 清治、みやざわ せいじ、1923年2月21… 宮澤 清治(宮沢 清治、みやざわ せいじ、1923年2月21日 - 2011年7月18日)は、日本の気象解説者。 長野県長野市出身。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、1942年気象技術官養成所(現在の気象大学校)本科卒業。長野地方気象台、新潟地方気象台を経て福岡管区気象台予報課長。1968年運輸大臣表彰(豪雪機構の解明)。1969年「豪雪に関する中気候学的研究」で東京教育大学理学博士。1972年気象庁天気相談所長。1980年広島地方気象台長。1982年神戸海洋気象台長。1983年気象庁を退官。1983年から2010年6月まで、NHKテレビ・ラジオの「気象情報」の解説を担当した。1993年日本気象学会評議員。
小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1… 小林 清志(こばやし きよし、1922年〈大正11年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉10月28日)は、日本の機械工学者。東北大学教授を経て、豊田工業大学学長や、日本伝熱学会会長、日本熱物性研究会会長等を歴任した。 長野県長野市生まれ。旧制長野商業学校(長野県長野商業高等学校)、旧制横浜高等工業学校、東北帝国大学工学部を経て、1949年同大学院修了。1959年文部省の在外研究員としてアルゴンヌ国立研究所留学。1960年東北大学教授。1970年静岡大学教授。1981年日本伝熱学会会長。1983年日本熱物性研究会会長。1984年 豊田工業大学教授、豊田工業大学副学長。1990年豊田工業大学第3代学長就任。