笠井 千香子(かさい ちかこ、1998年11月25日 - )… 笠井 千香子(かさい ちかこ、1998年11月25日 - )は、長野県千曲市出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)のソニーセミコンダクタマニュファクチャリング ブルーサクヤ鹿児島所属。 大阪体育大学時代は2017年にジュニアアジア選手権の日本代表U-20、第5回U-22東アジア選手権の日本代表U-22(U-20で構成)に選出。 2018年は第21回ジュニア世界選手権の日本代表U-20に選出。7月には第24回世界学生選手権の日本代表U-24に選ばれた。同年の西日本学生選手権大会(西インカレ)では優秀選手賞を受賞した。 2021年1月に日本ハンドボールリーグのソニーセミコンダクタマニュファクチャリングへ加入。
七瀬 七名(ななせ なな、1998年〈平成10年〉4月14日… 七瀬 七名(ななせ なな、1998年〈平成10年〉4月14日 - )は、日本の女優、タレント。長野県千曲市出身。身長169cm。血液型はA型。 本名は 五十嵐きよか 1998年、長野県千曲市出身。長野市立裾花中学校時代に全日本中学校バレーボール連合大会で優勝した学校に中学1年の1学期まで在校。その後精神病院に手足拘束で3年近く入退院をしていた。上京後、不動産会社勤務などを経て女優へ転身した。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
古畑 あずみ(ふるはた あずみ、1998年3月25日 - )… 古畑 あずみ(ふるはた あずみ、1998年3月25日 - )は、信越放送 (SBC) のアナウンサー。 長野県千曲市出身。長野日本大学高等学校、日本大学芸術学部放送学科卒業。大学在学時にはフジテレビアナウンストレーニング講座アナトレにも通っていた。 2020年4月にさくらんぼテレビジョン (SAY) に入社し、同期の今野花織、宮本大句見とともに同局のアナウンサーになる。 2022年3月までさくらんぼテレビに在籍の後、信越放送へ移籍。同年春に新卒入社した佐々木一朗、平山未夢とともに同局のアナウンサーになる。 2025年8月25日放送の『坂ちゃんのずくだせえぶりでい』のエンディングにて、同年9月から産休に入ることが発表された。
堀口 あやか(ほりぐち あやか、1994年7月27日 - )… 堀口 あやか(ほりぐち あやか、1994年7月27日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 長野県千曲市出身。バレーボールをやっていた兄と姉の影響で自身もバレーボールを始めた。 2017年1月11日、PFUブルーキャッツ公式サイトにて、堀口の入団内定が発表された。 2020-21シーズンより、PFUのキャプテンを2シーズン務めた。 2023年3月をもって現役を引退。自身のホームゲーム最終戦となった3月19日、埼玉上尾メディックス戦の第3セットに途中出場し、終盤に3本連続でスパイクポイントを決める活躍を見せた。試合後に引退セレモニーが行われた。現役最後の試合となった3月25日のヴィクトリーナ姫路戦はアウェーであったが、その最終戦の試合後にも姫路の特別な計らいで花束贈呈とスピーチの機会が設けられた。
須坂 佳祐(すざか けいすけ、1992年3月2日 - )は、… 須坂 佳祐(すざか けいすけ、1992年3月2日 - )は、長野県千曲市出身の元ハンドボール選手、指導者。 中部大学時代は2011年に日本代表U-22の強化合宿に参加。 2013年に第1回U-22東アジア選手権の日本代表に選ばれた。 2014年1月に日本ハンドボールリーグの北陸電力へ加入。 2015-16年シーズンから主将に就任。 現役後期にはコーチ兼任となり、さらに2022-2023年シーズンは兼任監督を務めた。 北陸電力は2022-2023シーズンを最後に廃部・解散となり、2023年3月の解散式では、ファンに挨拶をおこなった。福井永平寺ブルーサンダーは2023年4月に発足して引き続き監督を務めるが、選手兼任のない専任監督となっている。
多田 仁美(ただ ひとみ、1991年10月13日 - )は、… 多田 仁美(ただ ひとみ、1991年10月13日 - )は、長野県千曲市出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリス所属。 日本体育大学時代は2013年の関東学生ハンドボール・春季リーグで得点王(82得点)に輝き、優秀選手賞を受賞。秋季リーグでは57得点を挙げ、2年連続で得点王のタイトルを獲得した。 2014年に日本ハンドボールリーグの三重バイオレットアイリスへ加入。 2016年にはヒロシマ国際ハンドボール大会の日本代表に選出。2016-17年シーズンはリーグ3位となる70得点を記録し、ベストセブンに選出された。 2017年はアジア選手権の日本代表に選出された。2017-18年シーズンはリーグ3位の134得点を挙げ、2年連続でベストセブン賞を受賞。
酒井 麻衣 (さかい まい、1991年8月22日 - ) は… 酒井 麻衣 (さかい まい、1991年8月22日 - ) は日本の映画監督である。長野県千曲市出身。京都造形芸術大学映画学科プロデュースコース卒業。
大関 さおり(おおぜき さおり、1990年〈平成2年〉8月2… 大関 さおり(おおぜき さおり、1990年〈平成2年〉8月2日 - )は、日本の女性モデル、タレント、元プロボクサー。本名、旧芸名及びリングネームは大関 沙織(読み同じ)。長野県千曲市出身。レグルスペード所属。現在は主にオートバイに関するメディアやイベントで活動している。
太田 信吾(おおた しんご、1985年9月12日 - )は、… 太田 信吾(おおた しんご、1985年9月12日 - )は、日本の映画監督・俳優・演出家。 埼玉県立浦和西高等学校、早稲田大学文学部卒業。在学中は哲学・物語論を専攻。 『卒業』でイメージフォーラムフェスティバル優秀賞・観客賞を受賞。『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で公開後、世界12カ国で配給され大ヒットを記録。2014年、第27回東京国際映画祭において『解放区』が「日本映画・ある視点」部門に選ばれた。2022年、志賀直哉原作の小説『城の崎にて』の監督を務めることが発表された。 俳優としても舞台・ドラマ・バラエティなどに多数出演。 2017年、韓国のソウル市立美術館で初のインスタレーション作品を発表した。
海野 紀恵(うんの きえ、1984年11月8日 - )は、日… 海野 紀恵(うんの きえ、1984年11月8日 - )は、日本のフリーアナウンサー、浄土真宗本願寺派 僧侶。長野県千曲市出身。実家は浄土真宗本願寺派の寺院。上田西高等学校を経て京都女子大学卒業。 2007年4月 愛媛朝日テレビ(eat)に入社。 2011年3月をもってeatを退社。同年4月より山梨放送に移籍して局アナ活動を再開する。 2022年3月31日付で山梨放送を退職。
塚田 浩司(つかだ こうじ、1983年5月14日 - )は、… 塚田 浩司(つかだ こうじ、1983年5月14日 - )は、日本の小説家。長野県更埴市(現千曲市)生まれ。 日本料理店の七代目当主。三姉妹の父。小説を描き始めるきっかけになった作家として綿矢りさ、朝井リョウ、羽田圭介、又吉直樹を挙げている。好きなアーティストはセツナブルースター、玉置浩二、、90年代のV系バンド。ソムリエの資格を持っている。
アブドーラ・小林(アブドーラ・こばやし、本名:小林 洋輔(こ… アブドーラ・小林(アブドーラ・こばやし、本名:小林 洋輔(こばやし ようすけ)、1976年7月22日 - )は、日本の男性プロレスラー。長野県千曲市出身。血液型A型。大日本プロレス所属。愛嬌あるキャラクターとして君臨している。プロレスでの師匠はアブドーラ・ザ・ブッチャーでリングネームもその師匠の名前から取っており師匠譲りのファイトを展開している。自称「信州信濃の流血マシーン」、「ブラッド・レインメーカー」。以前は自ら起業したレスラーズ運輸という運送会社の代表を務める(廃業)傍ら、「スーパー銭湯おふろの国」での催しとしてマグロ・鮭・タコ・真鯛・ロブスターなどとも戦ってきた。「小林軍団」の軍団長を務める。
アブドーラ小林(アブドーラこばやし、本名:小林 洋輔(こばや… アブドーラ小林(アブドーラこばやし、本名:小林 洋輔(こばやし ようすけ)、1976年7月22日 - )は、日本のプロレスラー。長野県千曲市出身。大日本プロレス所属。身長175cm、体重140kg。愛嬌あるキャラクターとして君臨している。プロレスでの師匠はアブドーラ・ザ・ブッチャーでリングネームもその師匠の名前から取っており師匠譲りのファイトを展開している。自称「信州信濃の流血マシーン」「ブラッドレインメーカー」。自ら起業したレスラーズ運輸という運送会社の代表を務める傍ら、「スーパー銭湯おふろの国」での催しとしてマグロ・鮭・タコ・真鯛・ロブスターなどとも戦ってきた。
柿崎 順一(かきざき じゅんいち、Junichi Kakiz… 柿崎 順一(かきざき じゅんいち、Junichi Kakizaki、1971年1月4日 - )は、日本の芸術家。現代美術家、環境アーティスト、ランドアーティスト、フラワーアーティスト。長野県千曲市生まれ。現代美術の世界に花飾の表現を持ち込んだ。 花・葉・実・樹枝・苔類などの植物や、キノコ・地衣類などの菌類、石・土など自然素材を主材または主題に、ランドアート・環境アート(エンバイロンメンタルアート)・アースワーク・フラワーアートなどのビジュアルアート作品を制作、立体・写真・ビデオ等を媒体に国内外にて発表している。特に北欧から多く招聘、作品の制作を依頼されている。 パフォーマンスアートや舞台作品などにおいては俳優として出演もしている。
プチ鹿島(プチかしま、1970年〈昭和45年〉5月23日 -… プチ鹿島(プチかしま、1970年〈昭和45年〉5月23日 - )は、日本のお笑い芸人、コラムニスト、映画監督。本名は、鹿島 智広(かしま ともひろ)。ワタナベエンターテインメント所属。 長野県千曲市出身。高田文夫に憧れて、高田と同じ日本大学芸術学部に進学したいと思っていたが、大阪芸術大学の推薦入試合格の方が先に決まっていたため、同大学芸術学部放送学科に入学、卒業。大学時代、友達とラップグループ『イエローモンキークルー』を結成し、第2回チェック・ユア・マイク・コンテスト(ECD主催)で優勝した。CDを発売している。そして、大学卒業後、高田の番組を聴きたいという一心で上京した。 「骨太熱」、「鹿島商業」、「第三勢力」というお笑いグループでの活動を経て、2003年にバカ野坂と『俺のバカ』を結成した。
滝沢 伸介(たきざわ しんすけ、1967年2月1日 - )は… 滝沢 伸介(たきざわ しんすけ、1967年2月1日 - )は、日本のファッションデザイナー。 長野県千曲市出身。実家は蕎麦屋の「一松亭」。上京後、DJやスタイリストなどをしながらぶらぶらしていたが、1988年、日本初のクラブ・ミュージック・レーベル、メジャーフォースの立ち上げに際してスタッフを探していた高木完、藤原ヒロシから森俊二を通して声をかけられ、森と共にファイルレコードへ入社。メジャーフォースの担当となる。 レコード会社時代は一人しかいない部署のため、部長の役職を得る。そのため古い友人達からは社長になった今でも部長のあだ名で呼ばれている。 退社後の1994年、自身のブランドNEIGHBORHOODをスタート。
日詰正文(ひづめ まさふみ、1965年7月20日 - )は、… 日詰正文(ひづめ まさふみ、1965年7月20日 - )は、日本の言語聴覚士、作家。教員免許を所持している。長野県千曲市出身、安曇野市在住。1988年金沢大学文学部行動科学科卒業。1989年金沢大学教育学部特殊教育特別専攻科言語障害児教育コース修了。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
水野 和敏(みずの かずとし、1952年1月 - )は日本の… 水野 和敏(みずの かずとし、1952年1月 - )は日本の自動車エンジニア。日産自動車の元エンジニア、GT-Rの開発で知られる。プロジェクト・カーズ合同会社 代表 長野県千曲市出身。長野工業高等専門学校を卒業後、1972年に日産自動車に入社。1980年代には901運動に車体設計の面で関わり、その成果となるP10型プリメーラやR32型スカイラインの開発では車両のパッケージング設計を担当した。1989年にはNISMOに出向し、グループCカーの耐久レースのチーム監督兼チーフエンジニアに就任しデイトナ24時間レースやル・マン24時間レースなどを戦い、特に1992年にはR91CPでデイトナ24時間レースを優勝、R92CPで出場したJSPCと鈴鹿1000kmで全戦優勝(クラス優勝も含む)している。
北川原 温(きたがわら あつし、1951年(昭和26年)10… 北川原 温(きたがわら あつし、1951年(昭和26年)10月31日 - )は、日本の建築家(一級建築士)。長野県千曲市生まれ。元東京芸術大学教授(2019年3月退任)、元「北川原温建築都市研究所」代表取締役所長。現在東京芸術大学名誉教授、「MET株式会社」フェロー職。日本建築学会賞作品賞、日本芸術院賞、日本建築大賞、村野藤吾賞、ケネス・F・ブラウン建築文化大賞、など多数受賞。 東京芸術大学建築科在学中に国際設計コンペで1位となり、大学院ではサウジアラビアで都市計画の仕事に携わる。20代から設計活動を始め、これまでに多くの作品が世界に紹介されている。 日本建築学会賞、村野藤吾賞、グッドデザイン賞金賞、アルカシア賞ゴールドメダル、ケネス・F・ブラウン大賞をはじめ国内外の多数の建築賞を受賞。
岡田 昭雄(おかだ あきお、1951年(昭和26年)9月17… 岡田 昭雄(おかだ あきお、1951年(昭和26年)9月17日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日双光章。元長野県千曲市長(2期)。 長野県千曲市出身。1970年(昭和45年)3月、長野県坂城高等学校卒業。同年4月、更埴市役所に入庁。1972年(昭和47年)、長野経済短期大学夜間部卒業。 2003年(平成15年)9月1日、更埴市・更級郡上山田町・埴科郡戸倉町が合併して千曲市が発足。 2009年(平成21年)4月、千曲市役所の議会事務局長に就任。2011年(平成23年)4月、総務部長に就任。2012年(平成24年)4月、参与に就任。 2012年(平成24年)10月17日、近藤清一郎千曲市長が病気療養のため任期途中で辞任。
依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27… 依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27日 - )は、日本の男性実業家で、ドリーミュージック代表取締役会長、エイベックス元会長兼社長。元日本レコード協会(RIAJ)会長、元音楽産業・文化振興財団理事長。業界、政界や海外への強い影響力を持っている。エイベックスの実質的な創業者として経営の中心を担ってきたが、同じく創業者である松浦勝人との経営方針の確執が深刻化、2004年8月3日付けで会長兼社長を辞任。同日、日本レコード協会の会長も辞任し、エイベックス名誉会長に(2004年中に退任)。
小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は… 小林 茂昭(こばやし しげあき、1938年3月5日 - )は、日本の医学者、医師。専門は脳神経外科。米国脳神経外科学会専門医。前小諸厚生総合病院院長。相澤病院顧問、世界脳神経外科学会連盟名誉会長、信州大学名誉教授。 長野県千曲市出身。長野県上田高等学校を経て、1963年信州大学医学部卒業。脳神経外科を専攻し、在日米軍横須賀海軍病院でのインターンを経て、1965年から6年間メイヨー医科大学院に留学。帰国後は信州大学医学部附属病院で杉田虔一郎に師事し、脳神経外科の手術・研究に従事した。また、ロボット手術の機械を開発し、脳深部の腫瘍や動脈瘤の新たな手術方法を考案するなど脳外科分野の発展に大きく貢献し、米国脳神経外科学会の「国際功労賞」を日本人として初めて受賞。
宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は… 宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は、日本の俳人、国文学者。信州大学名誉教授。本名、敏夫。 長野県千曲市生まれ、松本市育ち。信州大学で近世文学を専攻。卒業後、1961年から長野県の公立高校教諭となり、1974年信州大学医学部保健学科助教授、教授を経て2001年定年退官、名誉教授。大学では近世および近現代国文学、日本人の死生観等を専門とした。 俳句は14歳から始め、18歳から「若葉」に投句、富安風生、加倉井秋をに師事。1962年、「龍膽」編集長となり同誌を小諸から発行。1968年、藤田湘子に会い「鷹」に入会、翌年に無鑑査同人となる(1995年に退会)。1978年俳誌「岳」(たけ)を創刊、主宰。
飯島 彰(いいじま あきら、1934年7月26日 - 200… 飯島 彰(いいじま あきら、1934年7月26日 - 2001年1月28日)は日本の実業家。トヨタ車体社長・会長を歴任した。 長野県千曲市出身。長野県屋代東高等学校、信州大学工学部卒業。トヨタ車体代表取締役社長を経て、2000年より同社会長。2001年、肝不全のため死去。
田中清光(たなか きよみつ/せいこう、1931年3月19日-… 田中清光(たなか きよみつ/せいこう、1931年3月19日- )は、日本の詩人。
滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年〈昭和2年〉6月15… 滝沢 健児(たきざわ けんじ、1927年〈昭和2年〉6月15日 - 2013年〈平成25年〉5月2日)は、日本の建築家。 1927年、長野県更埴市(現千曲市)出身。早稲田大学大学院修了後、吉阪隆正主宰のU研究室の創設メンバーとして1954年から1964年まで在籍。この時期に関わった代表作に「浦邸」(『吉阪隆正の方法 浦邸1956』斉藤祐子編著、住まい学大系064:住まいの図書館出版局、1994に詳しい)がある。ほかに、「ヴィラ・クゥクゥ」、「富山市立呉羽中学校旧校舎」、「大学セミナー・ハウス」などを担当した。 1965年に自身の建築設計事務所を開設、更埴市庁舎などを設計している。国士舘大学教授も務めた。
柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月… 柳沢 錬造(柳澤 錬造、やなぎさわ れんぞう、1919年1月21日 - 2007年6月10日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 長野県埴科郡戸倉町(現千曲市)出身。小学校入学前から新聞配達を行う。私立石川島造船所青年学校卒業(6期)。その後、パプアニューギニアのラバウルに従軍。 戦後、石川島播磨重工業に入社し、同社労働組合委員長、造船重機労連委員長を務める。 1977年の第11回参議院議員通常選挙全国区初当選(民社党)。1979年、民社党組織局長。1983年、第13回参議院議員通常選挙比例区再選。 1989年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)。同年の第15回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界引退。
中村 広(なかむら ひろし、1915年5月10日 - 199… 中村 広(なかむら ひろし、1915年5月10日 - 1997年10月9日)は、日本の競馬騎手、調教師。 1933年に騎手デビュー。初戦から2か月足らずで最高格競走帝室御賞典を制するなど早くから頭角を現す。1936年からは群馬県片品村の素封家千明家(千明牧場)の専属となり、1939年まで騎手兼調教師として帝室御賞典優勝馬マルヌマ、東京優駿(日本ダービー)優勝馬スゲヌマなどを手掛けた。ほか騎手として1943年の横浜農林省賞典四歳呼馬(皐月賞)をダイヱレク、1954年の天皇賞(秋)をオパールオーキットで制している。1950年度国営競馬リーディングジョッキー(年間最多勝利騎手)。1955年に史上3人目の通算500勝を達成して騎手を引退し、調教師に転身した。
児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8… 児玉 幸多(こだま こうた、1909年〈明治42年〉12月8日 - 2007年〈平成19年〉7月4日)は、日本の歴史学者。学位は、文学博士。学習院大学名誉教授。学習院大学学長・学習院女子短期大学学長を歴任。品川区立品川歴史館名誉館長、千曲市名誉市民。「日本近世農村・交通史の泰斗」と呼ばれた。 1909年、長野県更級郡稲荷山町(現在の千曲市稲荷山)生まれ。 旧制東京府立第二中学、旧制成蹊高等学校を経て、東京帝国大学国史学科に入学。児玉が少年期を過ごした故郷の稲荷山町は、江戸時代の善光寺街道最大の宿場町として栄え、明治期までは商都としても栄えた街であった。その最大の理由は、善光寺街道として知られる北国街道と北国西街道の事実上の合流点であり、善光寺街道から谷街道が分岐する交通の要衝であったためである。
近藤 日出造(こんどう ひでぞう、1908年2月15日 - … 近藤 日出造(こんどう ひでぞう、1908年2月15日 - 1979年3月23日)は、日本の漫画家。本名は近藤 秀蔵。長野県更級郡稲荷山町出身(読みは同じ)。 戦中から昭和後期にかけて政治家の似顔絵を主とする1コマの政治風刺漫画を中心に描いた。似顔絵は、手塚治虫が「似顔絵の名手」と評する腕前だった。 近藤が各所に文章として残した略歴は誇張や創作が加わっているらしく、書いた時期や媒体によって内容がまちまちであり、特に少年期の就職についての詳しい時期や順序は不明であるが、峯島正行の調査などにより、少なくとも以下のことが判明している。 近藤は1908年(明治41年)、長野県更級郡稲荷山町(のちの千曲市稲荷山)で生まれた。
柳原 正之(やなぎはら まさゆき、1907年〈明治40年〉1… 柳原 正之(やなぎはら まさゆき、1907年〈明治40年〉1月2日 - 1989年〈平成元年〉10月28日)は、昭和期の農業技術者、政治家。長野県長野市長。位階は正五位。 長野県更級郡八幡村(現千曲市)で、柳原慶助、ゆみ の二男として生まれた。1924年(大正13年)3月、更級農業学校(現長野県更級農業高等学校)を卒業。 1928年(昭和3年)八幡村農会技手となり、1934年(昭和9年)長野県技手、1941年(昭和16年)農商務省技手、1944年(昭和19年)長野県農林技師、1951年(昭和26年)特産課長、1953年(昭和28年)農業改良課長、1955年(昭和30年)下伊那地方事務所長、1957年(昭和32年)地方課長、1959年(昭和34年)人事課長、1960年(昭和35年)人事委員会事務局長、1961年(昭和36年)企業局電気部長を歴任した。
唐木田 稲治郎(からきだ いねじろう、1901年(明治34年… 唐木田 稲治郎(からきだ いねじろう、1901年(明治34年)2月26日 - 1980年(昭和55年)9月24日)は、日本の政治家、実業家。長野県埴生町長や更埴市長、長野県議会議員を務めた。 長野県埴科郡屋代町(現・千曲市)に唐木田藤左衛門、きい夫妻の4番目の末子として生まれる。家業が傾き、母と二人で親戚の家に間借りをしていたが、1907年(明治40年)、6才の時に母が病気で急逝。その後、親戚に預けられたり、養子に出されるなどを繰り返し、小学校を5度も変わる生活に追込まれた。上の兄姉たちは叔父の鈴木小右衛門(長野市長)の世話となり上級学校に進んでいたが、稲治郎は尋常小学校を卒業後、丁稚奉公に出る。
新村 忠雄(にいむら ただお、1887年(明治20年)4月2… 新村 忠雄(にいむら ただお、1887年(明治20年)4月26日 - 1911年(明治44年)1月24日)は、日本の社会主義者、アナキスト。 幸徳事件(大逆事件)で処刑された12名の1人で、計画の首謀者とも言われる。号は秋峰。 長野県埴科郡屋代町(現:長野県千曲市)の出身で生家は豪農だった。1897年(明治30年)に屋代小学校尋常科を卒業し、高等科に4年、補習科に1年ほど在学した。 郷里で信仰に疑問を持って無神論者となり、1903年(明治36年)に上京して幸徳秋水・堺利彦らが製作した平民新聞を愛読し、同年には日本メソジスト教会で受洗する。 1906年(明治39年)、新村はピョートル・クロポトキンの「無政府主義の哲学」を読んでアナキズムを知る。
長谷川 五作(はせがわ ごさく、1880年(明治13年)2月… 長谷川 五作(はせがわ ごさく、1880年(明治13年)2月15日 - 1963年(昭和38年)7月18日)は、旧制中学校の教員。長野県埴科郡松代町(現在の長野市松代町)においてビン詰めによるエノキタケの人工栽培法を考案した。
西沢 喜太郎(にしざわ きたろう、旧字体: 西澤 喜太郞、慶… 西沢 喜太郎(にしざわ きたろう、旧字体: 西澤 喜太郞、慶応元年12月13日〈1865年1月29日〉 - 1941年〈昭和16年〉2月25日)は、明治末期から昭和戦前期にかけて活動した日本の銀行経営者である。長野県長野市の人物で、家業である書籍商を営みつつ長野市を拠点とする長野商業銀行・長野農工銀行・長野貯蓄銀行で頭取を務めた。「喜太郎」を襲名する前の名は喜三郎。 慶応元年12月13日(新暦:1865年1月29日)、堀内鍋作(士族)の次男として生まれる。出身地は信濃国埴科郡屋代町(現・長野県千曲市)。1882年(明治15年)勉学のため上京し、1885年(明治18年)陸軍教導団へ入隊。翌年一等軍曹に任ぜられたが、1888年(明治21年)病を得て除隊した。
堀内 賢郎(ほりうち かしくろう、安政5年10月(1858年… 堀内 賢郎(ほりうち かしくろう、安政5年10月(1858年)- 大正8年(1919年)8月25日)は、衆議院議員(自由党)。号は如風。 信濃国埴科郡粟佐村(現長野県千曲市)生まれ。明治維新後、上京して 中江兆民の仏学塾に学ぶ。明治17年(1884年)自由党に入党し、同21年(1888年)長野県会議員となり、翌22年(1889年)第1回衆議院議員総選挙で初当選した。条約改正中止の建白書を政府に提出したほか、地元で埴科郡自由党を結成した。自由党中央委員となり、同31年(1898年)、党合同により憲政党が発足すると、北海道庁事務官に就任し、高等官二等、正五位に叙せられた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
滝沢菊太郎/瀧澤菊太郞(たきざわ きくたろう、1854年12… 滝沢菊太郎/瀧澤菊太郞(たきざわ きくたろう、1854年12月4日(嘉永7年10月15日) - 1933年(昭和8年)1月12日)は明治時代から大正時代にかけての日本の教育者。府県師範学校長。 信濃国埴科郡福井村(現・長野県千曲市)生まれ。14歳で寺子屋に学び私塾で漢学を修める。1874年に上京、日本橋の私塾日章堂、次いで慶應義塾に入塾し英学を学ぶ。1876年東京師範学校に入学。師範教育取調を目的とする米国留学から帰国した伊沢修二・高嶺秀夫が、ペスタロッチ主義教育(開発教授)の本格的導入を開始した時期であったため、卒業取消を願って3年の履修課程を6年かけ、1882年2月に同校中学師範学科を卒業した。
6代 色部 義太夫(いろべ ぎだゆう、嘉永5年9月9日(18… 6代 色部 義太夫(いろべ ぎだゆう、嘉永5年9月9日(1852年10月21日) - 1915年(大正4年)3月14日)は、明治時代の政治家、大地主。貴族院多額納税者議員。幼名・吉郎治、本名・義智(よしとも)。 信濃国埴科郡杭瀬下村(長野県埴科郡埴生町、更埴市を経て現千曲市)で、大地主・豪農の5代色部義太夫義祐(よしすけ)、義江子夫妻の長男として生まれる。山寺常山に師事し漢学を修めた。後に6代義太夫を襲名し、正式名には義太夫を用いた。 1873年(明治6年)5月、長野県の地券取調所出仕となり出納課附属となる。1876年(明治9年)2月、地租鑑定を命ぜられ、同年12月に長野県を辞した。1884年(明治17年)2月の補選で長野県会議員となり、同年10月、埴科郡連合町村会議員となる。
小出 八郎右衛門(こいで はちろうえもん、天保11年10月1… 小出 八郎右衛門(こいで はちろうえもん、天保11年10月1日(1840年10月25日) - 明治43年(1910年)11月12日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 信濃国更級郡稲荷山村(現長野県千曲市)生まれ。幼名は鶴治。長じて家業を継ぎ、材木商から蚕種製造業に転換した。商用で横浜へ赴き、銀行業務の実際を学び帰郷。明治14年(1881年)稲荷山銀行を設立し、専務取締役となり、松方デフレの難局を乗り切った。また同20年(1887年)には小坂善之助とともに、長野県の為替業務を扱う「真彰社」を再建し、信濃銀行と改称し支配人に就任した。さらに同26年(1893年)経営難に陥った松代の第六十三国立銀行を稲荷山銀行と合併させ、稲荷山に本店を移転した。
熊木 杏里 は、日本の女性シンガーソングライター。長野県更埴… 熊木 杏里 は、日本の女性シンガーソングライター。長野県更埴市(現・千曲市)出身。身長153cm。血液型はB型。関東国際高等学校を経て目白学園女子短期大学卒。