天野 一(あまの はじめ、1942年11月25日 - )は、… 天野 一(あまの はじめ、1942年11月25日 - )は、日本の政治家。静岡県議会議員。元静岡県議会議長。 静岡市生まれ。静岡市立城内小学校、静岡市立城内中学校を経て、1961年(昭和36年)静岡県立静岡高等学校卒業。青山学院大学経済学部卒業。静岡県の最年長県会議員。静岡市議会議員(3期)、静岡県議会議員 当選9回。静岡市葵区選出。第101代県議会議長(2008年5月から2009年5月まで)。静岡県レクリエーション協会会長、公益社団法人静岡県茶業会議所理事、静岡県人権・地域改善推進会会長。 静岡市葵区馬場町9 田辺ビル3階
一瀬 邦夫(いちのせ くにお、1942年10月2日 - )は… 一瀬 邦夫(いちのせ くにお、1942年10月2日 - )は日本の実業家、料理人。株式会社ペッパーフードサービスの創業者で元代表取締役社長。 1942年10月2日、静岡県静岡市生まれ。戸籍上は1942年10月出生となっているが、実際には同年8月に生まれている。物心つく前に東京へ引っ越すが、幼少期から富士宮市に疎開。4歳の時に東京に戻り、江戸川区小岩の一軒家で母親と2人暮らしを始めた。母は昼夜働きながら小唄や三味線を修行し、後に教室を開いた。後に墨田区へ移住し、日出学園高等学校 卒業後、母親の紹介で洋食屋のキッチンナポリに就職。母からは「邦夫、コックになるんだったら、日本で五本指に入れるようなコックになるんだよ」と送り出された。
横山 進一(よこやま しんいち、1942年9月10日 - )… 横山 進一(よこやま しんいち、1942年9月10日 - )は日本の実業家。住友生命保険社長・会長、生命保険協会会長を歴任。
戸塚 洋二(とつか ようじ、1942年(昭和17年)3月6日… 戸塚 洋二(とつか ようじ、1942年(昭和17年)3月6日 - 2008年(平成20年)7月10日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士。東京大学特別栄誉教授。 静岡県富士郡吉永村(後の吉原市、現在の富士市)富士岡出身。富士市名誉市民(第1号)。2002年文化功労者、2004年文化勲章、2008年従三位。 1960年、静岡県立富士高等学校卒業、1965年、東京大学理学部物理学科卒業。1972年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。理学博士。その後、東京大学理学部教授を経て1988年に東京大学宇宙線研究所教授。 1995年には神岡宇宙素粒子研究施設長に就任、1997年からは東京大学宇宙線研究所長。
大槻 公一(おおつき こういち、1942年 - )は、日本の… 大槻 公一(おおつき こういち、1942年 - )は、日本の獣医学者。鳥インフルエンザ研究の第一人者。鳥取大学名誉教授。獣医学博士(北海道大学・論文博士・1980年)。静岡市出身。 渡り鳥の保有する鳥インフルエンザウイルスの調査、病原性などの解析、新型インフルエンザウイルス出現メカニズムの解明などを研究。獣医事審議会委員(農水省)や家きん疾病小委員会委員(農水省)などを歴任。鳥インフルエンザ、鶏伝染性気管支炎、鶏病などに関する著書・学術論文・総説は160編を超える。 静岡市清水区出身。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、北海道大学獣医学部獣医学科卒。塩野義製薬油日ラボラトリーズ研究員を経て、1971年、鳥取大学農学部講師。
鈴木 與平(すずき よへい、1941年8月8日 - )は、日… 鈴木 與平(すずき よへい、1941年8月8日 - )は、日本の実業家。鈴与代表取締役社長を経て、現在は同社代表取締役会長。旧名 鈴木道弘。社長在任中、Jリーグ 清水エスパルスの運営支援を開始、フジドリームエアラインズを設立、航空事業へ参入した。 静岡市出身。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業。1967年、東京大学経済学部卒業。同年、鈴与入社。日本郵船に出向。1970年、鈴与取締役。1974年、鈴与常務。1976年、鈴与副社長。1977年、鈴与社長。2014年、鈴与会長兼社長。2015年、鈴与会長。 1992年、2月より日本プロサッカーリーグ(Jリーグ) 清水エスパルスの運営支援を開始、球団会長。
家田 佳子(いえだ よしこ、1941年7月12日 - )は、… 家田 佳子(いえだ よしこ、1941年7月12日 - )は、日本の元女優、元モデルである。本名同じ。 1941年(昭和16年)7月12日、静岡県静岡市に生まれる。 青山学院中等部・高等部に進学する傍ら、舞踊家の貝谷八百子が創設した貝谷バレエ団(現在の貝谷バレエアカデミー)に所属し、4年間舞踊を修得していたが、1957年(昭和32年)5月、同校高等部在学中に実父と懇意だった劇作家の内村直也にスカウトされ、東宝に入社する。同年11月5日に公開された鈴木英夫監督映画『脱獄囚』で池部良と共演し、映画デビューを果たす。以後、同社の新進女優として、ジャンルを問わず多くの作品に脇役、時には準主役として出演した。
高田 忠敬(たかだ ただひろ、1941年(昭和16年)4月1… 高田 忠敬(たかだ ただひろ、1941年(昭和16年)4月11日 - )は、日本の医学者。専門は消化器外科学。特に肝胆膵外科。帝京大学名誉教授。静岡市出身。 1941年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)生まれ。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、千葉大学医学部卒業。1967年、東京女子医科大学消化器病センター外科(医療錬士)。1973年、同助手。1977年、同講師、1981年、東京女子医科大学消化器病センター助教授、帝京大学医学部外科助教授。1991年、帝京大学医学部外科教授。2006年、帝京大学医学部外科主任教授。2007年、帝京大学名誉教授・客員教授。帝京短期大学ライフケア学科長・教授。
瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003… 瀧 安治(たき やすはる、1941年2月11日 - 2003年11月19日)は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(二塁手)。実兄に阪神の捕手であった瀧英男がいる。
池上 洋通(いけがみ ひろみち、1941年(昭和16年)- … 池上 洋通(いけがみ ひろみち、1941年(昭和16年)- )は、日本の地方自治研究者。地方自治と地域社会に関する各種の分野の事項に積極的に発言・主張、創作活動を行っており、雑誌編集などのジャーナリストとしても活動してきた。静岡県清水市(現静岡市)出身。 フリーライターを経て、1974年~1992年、東京都日野市市役所職員。秘書課、企画課、社会福祉課、市民会館などに勤務、この間、市の基本構想策定、市民意識調査、社会福祉政策、文化政策などの立案・実施に直接携わる。また、市民として、文化運動、障がい者・難病患者運動に参加、政府の難病政策の転換(施設→在宅)に寄与した。この間に、市民・自治体職員・研究者で構成する全国組織・自治体問題研究所の一員となり、地方自治・各分野の地域運動などに関わる運動・政策論などの執筆活動を開始。
鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007… 鈴木 悳夫(すずき のりお、1940年7月7日 - 2007年6月14日)は、静岡県静岡市出身のプロ野球選手(捕手、一塁手)・コーチ、評論家。 清水東高校では1年次の1956年秋から捕手として活躍し、2年次の1957年には春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年には1年上のチームメイトに4番・遊撃手の漆畑勝久を擁して夏の甲子園に出場するが、2回戦(初戦)で法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封負けを喫す。 同年の秋季中部大会では同期の山田茂利(明大-日本鋼管)とバッテリーを組み決勝に進出し、中京商のエース伊藤竜彦に完封を喫するが、3年次の1958年の選抜へ出場を決めた。
大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023… 大石 清(おおいし きよし、1940年4月3日 - 2023年11月28日)は、静岡県清水市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。 「剃刀」と喩えられたストレートとスライダーを武器に、「カープ史上最速のピッチャー」と評された。 清水商業高校では3年次の1958年に春季中部大会1回戦で岐阜商に逆転負けし、夏も県予選で敗れ甲子園には届かなかった。卒業後は清水商野球部後援会と立教大学校友会静岡支部の推薦で立大進学が決まっていたが、家庭の事情でプロ入りが決まる。 1959年に広島カープへ入団し、同期には後に阪急でもコーチとして同僚となる上田利治らがいた。選手の給料もままならない弱小・広島において、1年目から39試合に登板して9勝を挙げ、若くして主戦投手となる。
牧野 宗則(まきの むねのり、1940年2月11日 - )は… 牧野 宗則(まきの むねのり、1940年2月11日 - )は日本の木版画作家。浮世絵木版画の高度な技術と創作木版画の精神性を融合・昇華させ、自然の生命の輝きを華麗に表現する。静岡市葵区出身。
山本 肇(やまもと はじめ、1940年 - 2006年10月… 山本 肇(やまもと はじめ、1940年 - 2006年10月29日)は、元NHKの解説委員。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡高等学校、京都大学法学部を卒業後1962年NHK入局。神戸、大阪放送局を経て報道局社会部記者、ニュースキャスター、プロデューサー、解説主幹、地元静岡放送局長を務めた。 1994年、第31回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞。 NHKを定年退職した後、1997年に静岡県文化財団副理事長に就任。静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」の館長も務め、教育、文化、地域振興などの分野で活躍した。2006年10月29日に66歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月1… 海野光弘(うんの みつひろ、1939年(昭和14年)11月19日 - 1979年(昭和54年)9月23日)は、日本の木版画家。静岡県静岡市出身。 静岡市新富町(現在の葵区新富町)4丁目で染色業を営んでいた海野家の次男として生まれる。1952年(昭和27年)、静岡市立末広中学校に入学。1年の頃、日記の中に入れた版画が教諭の目に留まり、日本教育版画協会所属の教諭・蒔田晋治を紹介され、以後版画制作に没頭するようになる。静岡商業高校卒業後は日立製作所東京本社に就職したが、20歳になった1959年(昭和34年)に退職。本格的に版画家としての道を歩むようになり、同年、静岡市内で初の個展を開く。1964年(昭和39年)に発表した「触」が日本版画協会賞奨励賞を受賞。
鈴木 忠志(すずき ただし、1939年6月20日 - )は、… 鈴木 忠志(すずき ただし、1939年6月20日 - )は、日本の演出家。世界各地での上演活動や共同作業、俳優訓練法「スズキ・トレーニング・メソッド」で知られている。唐十郎、寺山修司らとともに、1960年代におこった新しい演劇運動の代表的な担い手の一人である。 静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。東京都立北園高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田大学在学中に、学生劇団「自由舞台」に参加。劇作家の別役実らと知り合い、本格的に演劇活動を開始した。 1966年 大学卒業後、鈴木を中心として、別役、斉藤郁子、蔦森皓祐らと劇団「早稲田小劇場」を結成、早稲田大学近くの喫茶店「モンシェリ」2階に劇団と同名の劇場をかまえ、活動を続けた(2015年、早稲田大学は鈴木忠志に名称使用の了解を得て、跡地に「早稲田小劇場どらま館」を再建した)。
樋口 裕康(ひぐち ひろやす、1939年 - )は、日本の建… 樋口 裕康(ひぐち ひろやす、1939年 - )は、日本の建築家。静岡県静岡市生まれ。 1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。1965年、早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。1965年から1971年までU研究室。1971年に富田玲子や大竹康市らと象設計集団を設立。同年、返還前の沖縄子供の国マスタープラン策定、今帰仁中央公民館、名護市庁舎で芸術選奨文部大臣賞、都市計画学会賞、日本建築学会賞などを受賞。1986年より台湾北東部の宜蘭懸冬山河風景区開発計画に着手。1990年、事務所を十勝に移し、全国各地で学校、公共施設、福祉施設をはじめとする地域性に根差した建築を進める。
大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、… 大木 利男(おおき としお、1938年2月11日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(外野手)。
和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13… 和田 春樹 (わだ はるき、1938年(昭和13年)1月13日 - )は、日本の歴史学者。専門は、近代ロシア史とソビエト連邦史および現代朝鮮。東京大学名誉教授。 1968年にキング牧師が暗殺されたことをきっかけに、妻の和田あき子と共に地元の大泉学園でベトナム戦争反対の市民運動を始めた。主な著作として『ニコライ・ラッセル』『マルクス・エンゲルスと革命ロシア』および『朝鮮戦争』がある。 大阪府出身、静岡県立清水東高等学校卒業。父の和田捷雄は歴史の教師で、清水東高等学校の校長代理をつとめた。東京大学文学部卒業。ドイツ語クラスの同級生に古井由吉や加藤祐三がいた。大学入学から退官まで、約50年間にわたって東京大学においてのみ過ごした。
永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 20… 永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 2010年9月6日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。元順天堂大学医学部教授。学位は、医学博士。 1965年、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室に入局し、島崎敏樹教授、宮本忠雄助教授のもとで学んだ。村上靖彦、市橋秀夫、中安信夫らと共に日本の精神病理学第3世代を代表する人物である。主として統合失調症の研究を行った。 1937年12月5日、静岡市生まれ。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東京医科歯科大学医学部卒業。1965年4月、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室入局、1965年10月、関東労災病院神経科勤務、1967年1月、私立多摩湖病院勤務、1972年7月、成増厚生病院勤務、1975年1月、同愛記念病院神経科勤務。
松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は… 松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
鈴木 明徴(すずき あきよし、1937年(昭和12年) - … 鈴木 明徴(すずき あきよし、1937年(昭和12年) - 2020年(令和2年)4月27日)は、日本の高等学校教諭、学校長。 静岡市生まれ。1956年(昭和31年)、静岡県立静岡高等学校卒業。東京大学理学部卒業。 1961年(昭和36年)から私立雙葉学園教諭、1964年(昭和39年)から1977年(昭和52年)まで地方公務員である公立高校の教員に転身し、母校の静岡高校で教鞭を執り、同年4月から7年間、静岡西高校、その後、川根高校、焼津中央高校教頭、静岡県立横須賀高校校長、藤枝西高校校長、三島北高校校長を歴任した。 定年退職後、財団法人静岡県青少年会館事務局長を務めた。2004年(平成16年)から2008年(平成20年)まで八幡聖母幼稚園勤務。
瀧 英男(たき ひでお、1936年8月17日 - )は、静岡… 瀧 英男(たき ひでお、1936年8月17日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(捕手)。
小長谷 清実(こながや きよみ、男性、1936年2月16日 … 小長谷 清実(こながや きよみ、男性、1936年2月16日 - 2017年11月26日 )は、日本の詩人。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校を経て、上智大学文学部英文科在学中から詩誌「氾」同人となる。大学卒業後、電通に勤務。現代詩人会会員。1977年『小航海26』で第27回H氏賞受賞。1991年『抜けがら狩り』で第21回高見順賞受賞。2007年『わが友、泥ん人』で第25回現代詩人賞受賞。 跡見学園女子大学の教授で、元IBC岩手放送アナウンサーの小長谷悠紀は娘。その夫で同郷でもあるフジテレビアナウンサーの青嶋達也は義息子にあたる。
篠原 直(しのはら ただし、1936年(昭和11年) - 2… 篠原 直(しのはら ただし、1936年(昭和11年) - 2001年(平成13年)12月17日)は、日本の編集者、出版人。ごま書房共同創業者・元代表取締役社長。静岡市出身。 1936年(昭和11年)、静岡市に生まれる。1955年(昭和30年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1957年(昭和32年)、一橋大学社会学部入学。大学卒業後、光文社に入社。同社で編集者として実績を積み、1960年代のカッパ・ブックスを筆頭とする新書・実用書ブームの現場に携わる。 1971年(昭和46年)2月、光文社を退社。同僚の編集者であった福島茂喜と共に株式会社ごま書房を設立。設立に際して、ソニー創業者の井深大、心理学者の多湖輝、山種証券社長の山崎富治ら各界有力者からの出資および支援を取り付けた。
大石 司朗(おおいし しろう、1935年(昭和10年)10月… 大石 司朗(おおいし しろう、1935年(昭和10年)10月8日 - 2020年(令和2年)11月25日)は、日本の実業家。元静岡ガス代表取締役会長。静岡市出身。 1958年(昭和33年)3月、早稲田大学政治経済学部卒業、1958年(昭和33年)3月、静岡ガス入社、1979年(昭和54年)1月、広報室長、1980年(昭和55年)3月、取締役、1994年(平成6年)3月、常務取締役、1997年(平成9年)3月、専務取締役、2000年(平成12年)3月、代表取締役専務取締役、2001年(平成13年)3月、同代表取締役社長、2006年(平成18年)3月、同代表取締役会長。2010年(平成22年)3月、同相談役。
酒井 シヅ(さかい しづ、1935年6月22日- )は、日本… 酒井 シヅ(さかい しづ、1935年6月22日- )は、日本の医史学者である。前日本医史学会理事長。順天堂大学名誉教授。静岡県静岡市出身。 三重県立大学医学部卒業、1967年東京大学大学院医学研究科博士課程修了、「サルの皮質視床線維の終止部位について 中心前回並に中心後回を中心にして」で医学博士。 1969年に順天堂大学助手、75年講師、助教授、第2代医史学教授となる。2001年客員教授となり2008年に同大学の特任・名誉教授となる。2014年に本郷キャンパス内に開館した「日本医学教育歴史館」の館長も併任し、医史学の研究を続けている。 NHK大河ドラマ「花神」「獅子の時代」「八重の桜」等、漫画「JIN-仁-」及びそのドラマ化作品(TBS)等で医学考証を担当した。
影山 昇(かげやま のぼる、1935年6月5日 - )は、日… 影山 昇(かげやま のぼる、1935年6月5日 - )は、日本の教育学者、東京水産大学名誉教授。 1935年、静岡市生まれ。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。静岡大学教育学部小学校教員養成課程卒業、東京大学大学院教育学研究科博士課程中退。群馬県、静岡県の中学校・高校教諭を経て、1979年、愛媛大学教授、1984年、東京水産大学教授。1996年、「人物による水産教育史研究」で東京水産大学博士(水産学)。1999年、定年退官、名誉教授。その後、成城大学文芸学部で非常勤講師を務めた。 2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。
吉田 政幸(よしだ まさゆき、1935年2月11日 - 20… 吉田 政幸(よしだ まさゆき、1935年2月11日 - 2003年9月24日)は、日本の化学者・図書館情報学者。 静岡市生まれ。1953年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1957年、東京大学理学部化学科卒業。1962年、同大学院博士課程修了、理学博士。東京大学理学部助教授を務めたのち、物理有機化学から図書館情報学に転じ、図書館情報大学教授となり、1991年、副学長、1995年、学長。再選、再々選され、7年間学長を務めた。2002年、定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
北條 博厚(ほうじょう ひろあつ、1935年(昭和10年) … 北條 博厚(ほうじょう ひろあつ、1935年(昭和10年) - )は、日本の医学者。専門は小児科学、特に小児神経学。静岡県立こども病院第3代院長、名誉院長。医学博士。静岡市出身。 1954年(昭和29年)、静岡県立静岡高等学校卒業。京都大学医学部卒業。医学博士(京都大学)。滋賀県立近江学園、京都大学医学部附属病院小児科を経て、静岡県立こども病院に1977年の開院とともに勤務。1994年、同病院第3代院長。2001年、同名誉院長、伊豆医療福祉センター施設長(〜2003年)。2010年、瑞宝小綬章受章。2014年まで診療を続け、その後、静岡県立北特別支援学校校医、幼稚園の園医。静岡英和学院大学非常勤講師。
村田 和雄(むらた かずお、1935年(昭和5年) - )は… 村田 和雄(むらた かずお、1935年(昭和5年) - )は、日本の実業家、ヨットマン。元ユアサコーポレーション代表取締役専務。2006年、自らの70歳の記念行事として太平洋単独横断に挑戦。処女航海で成功。静岡市出身。 1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。1959年、横浜国立大学工学部卒業、湯浅電池入社。1981年から1989年までイギリス駐在。ユアサコーポレーション代表取締役専務を経て、2000年退任。2005年までデルタ電子上級顧問。筑波大学ビジネススクール非常勤講師(2年間)。京都ヨットクラブ所属。 入社から14年で新製品の研究開発と商品開発、量産工場の建設を担当。ユミクロン電池を開発、アメリカの学会で発表した。
田宮 俊作(たみや しゅんさく、1934年〈昭和9年〉12月… 田宮 俊作(たみや しゅんさく、1934年〈昭和9年〉12月19日 - 2025年〈令和7年〉7月18日)は、日本の実業家。株式会社タミヤ代表取締役会長兼社長を務めた。ミニ四駆などのヒット商品を生み出した。 静岡県静岡市生まれ。静岡県立静岡高等学校を経て、1958年に早稲田大学法学部を卒業後、父・田宮義雄が経営する田宮商事合資会社に入社。 入社後は、木製模型の企画や設計に携わるが、欧米からのプラスチックモデルの流入といった危機が迫るなか、木製からプラスチックを素材とした模型製造への大転換を果たした。1968年には世界中の玩具メーカーが集まるニュルンベルク国際玩具見本市に初出展し、以来51年連続出展を続けている。
江﨑 善三郎(えざき ぜんざぶろう、1933年〈昭和8年〉1… 江﨑 善三郎(えざき ぜんざぶろう、1933年〈昭和8年〉11月23日 - 2016年〈平成28年〉3月13日)は、日本の実業家。江﨑新聞店会長。静活社長。毎日新聞東京懇話会最高顧問。江崎とも表記される。旧姓田中。位階は従六位。 静岡市出身。1952年(昭和27年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年(昭和31年)、慶應義塾大学文学部英文学科卒業。明治42年創業の江﨑新聞店3代目社長。1980年(昭和55年)、静活入社。静活、静岡オリコミ各社長、毎日新聞の主要販売所長で作る毎日新聞東京懇話会会長を務めた。1996年(平成8年) - 2012年(平成24年)、静岡県文化協会会長。2007年(平成19年)、静岡県と浙江省の友好提携二十五周年を記念して交流する派遣団団長。
小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )… 小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )は、日本の厚生官僚。第23代社会保険庁長官。薬害エイズ事件時の厚生省薬務局長。 静岡県静岡市出身。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京大学法学部卒業。同年、厚生省入省。1972年、医務局指導課長、1973年、内閣審議官、1976年、社会保険庁年金保険部計画課長、1977年、保健局企画課長、1979年7月、大臣官房会計課長、1981年8月、社会保険庁年金保険部長、1982年11月、大臣官房総務審議官、1984年8月、薬務局長、1986年6月、社会局長、1989年、社会保険庁長官、1990年6月、退任。同年同月、財団法人厚生年金事業団副理事長。
生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 … 生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 1966年〈昭和41年〉3月23日)は、日本の社会主義運動家。共産主義者同盟(共産同・ブント)創立者。 静岡県静岡市出身。静岡城内高校2年の時、共産党に入党。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。同年東京大学入学。教養学部細胞のリーダーとして活動。共産党が武装闘争路線を転換した1955年(昭和30年)の六全協の後、大学に戻り、授業料値上げ反対闘争を指導。1956年(昭和31年)、経済学部に進み、自治会中央委員会議長として砂川基地反対闘争などを指導。1958年(昭和33年)、東大細胞機関誌「マルクス・レーニン主義」を創刊、党中央と理論的に対立し、島成郎らとブントを組織、1959年(昭和34年)8月事務局長。
丸尾 敏夫(まるお としお、1932年(昭和7年)6月17日… 丸尾 敏夫(まるお としお、1932年(昭和7年)6月17日 - 2019年7月11日)は、日本の医学者。専門は眼科学。帝京大学名誉教授。静岡市出身。 1932年、静岡市に生まれる。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1958年、東京大学医学部卒業。1965年、東京大学医学部講師。1971年、帝京大学医学部教授。2000年、帝京大学医学部長。2003年、帝京大学名誉教授。2004年、帝京大学医療技術学部長。2009年、帝京大学医療技術学部客員教授。 東京大学医学部眼科学教室在籍中、外眼筋の生理研究において、萩原朗が日本で初めて筋電図を導入、久保木鉄夫により研究が開始され、丸尾敏夫、石川哲らによって大成された。
山口 博(やまぐち ひろし、1932年 - )は、日本の日本… 山口 博(やまぐち ひろし、1932年 - )は、日本の日本近代文学研究者。元・鎌倉女子大学教授。 静岡市生まれ。國學院大學文学部卒業。高校教諭となり、神奈川県立平塚江南高等学校校長、鎌倉女子大学講師、助教授、教授。
丹治 昭義(たんじ てるよし、1932年 - )は、日本の仏… 丹治 昭義(たんじ てるよし、1932年 - )は、日本の仏教学者、関西大学名誉教授。
岩堀 行宏(いわほり ゆきひろ、1932年(昭和7年) - … 岩堀 行宏(いわほり ゆきひろ、1932年(昭和7年) - 2000年(平成12年)9月2日)は、日本の英学史・辞書史研究者であるとともに実業家。後楽園スタヂアム常務取締役、東京ドーム常務理事を務めた。元西日本後楽園会長。 1932年(昭和7年)、静岡市出身。1951年(昭和26年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。明治学院大学経済学部卒業。学生時代より『和英語林集成』をきっかけに辞書に魅かれ、幕末・明治の英語辞書、草創期の辞書を収集。ジョアン・ロドリゲスの「日本大文典」に始まり、ヘボンの「和英語林集成」に至る、揺籃期の英和・和英辞典の歩みを実物に即して解明した『英和・和英辞典の誕生 : 日欧言語文化交流史』を著した。
山田 重雄(やまだ しげお、1931年10月26日 - 19… 山田 重雄(やまだ しげお、1931年10月26日 - 1998年2月5日)は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のバレーボール指導者。バレーボール日本女子代表監督を務めた。旧姓は中村。 静岡県立藤枝東高等学校、東京教育大学卒業。大学在学中、八王子市で「山田の森」と言われる広大な土地を所有するも子供がいなかった山田義治・三枝子夫妻の養子となる。 大学卒業後に教員として赴任した東京都立三鷹高等学校の女子バレーボール部監督として生沼スミエ等を指導し、1963年の全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会で優勝。1964年、東京五輪の女子バレーボールで日本が優勝し、バレーボール人気が高まる中、1965年に日立武蔵の監督に転身。
海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 200… 海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 2000年10月30日)は、日本の経済官僚、エコノミスト。経済企画庁で物価局長、国民生活局長、総合計画局長、経済企画審議官等を歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡市立高等学校を経て、1957年一橋大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁入庁。計画局計画第一課に配属され、大来佐武郎(計画局長)、大田亮一(計画第一課長)の部下として働く。後に当時の課員であった宮崎勇(経済企画庁長官)、新藤稔(国際証券顧問)らとともに「大田会」と称して、毎年忘年会を開くようになる。 1962年から64年までスタンフォード大学留学。1970年から1971年まで第3次佐藤内閣の佐藤一郎経済企画庁長官事務秘書官を務めた。
寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳… 寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。東邦大学医学部に脳神経外科教室を創設、初代教授を務めた。静岡市出身。「寺尾栄夫」表記も多用される。 1931年、男ばかりの3人兄弟の次男として静岡市に誕生。静岡市城内東小学校卒業。1948年、静岡県立静岡中学校4年終了で、静岡高等学校 (旧制)に入学したが、学制変更により1年で廃止。新制静岡大学文理学部プレメディカルコースに入学。2年後に東京大学医学部入学。1955年、東京大学医学部卒業。医師免許を取得、東京大学医学部附属病院第一外科・脳神経外科に入局と同時に大学院生となった。大学院在籍の間に教授の指示で、船医を経験した。
岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17… 岡部 宏之(おかべ ひろゆき、1931年(昭和6年)1月17日 - 2023年12月29日)は、日本のSF翻訳家、詩人。日本文藝家協会会員。杉山 高之の名義も使用した。 静岡県静岡市出身。1953年静岡大学文理学部卒業。静岡のSFサークル「東海SFの会」で活動している際、浜松在住の浅倉久志の紹介でSF翻訳家になる。SFファン時代の1967年、ハインラインの『宇宙の戦士』が翻訳され、石川喬司の否定的なレビューにより『SFマガジン』誌上で論争となった際、杉山高之名義で論争に参加しており、のちの石川の著書『SFの時代』で「読み応えがある」と4頁もにわたり投稿全文が紹介されている。なお、この時の杉山の在住地は「静岡県志太郡岡部町」と書かれている。
影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年… 影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年6月16日)は、日本の体育学者、市民活動家。愛知教育大学名誉教授。 管理教育に反対し、様々な市民運動を牽引したことで知られる。学究生活のかたわら、名古屋オリンピック招致反対運動や愛知万博反対運動などにも深く関わった。 静岡県静岡市生まれ。師範学校の教師だった父親の異動に伴い、3歳で静岡市を離れ、福島県、長野県などを転々とした。福島県少年スキー大会で滑降3位を記録した。 6度目の引っ越しとなる16歳のときに愛知県に移住。豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)に入学。1951年(昭和26年)、岡崎高等師範学校卒業。1953年(昭和28年)3月、東京教育大学体育学部卒業。
井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 201… 井出 義光(いで よしみつ、1929年8月11日 - 2011年4月19日)は、日本の歴史学者。専門はアメリカ史。特にアメリカ南部史専攻。筑波大学名誉教授。静岡市出身。 1929年、静岡市に生まれる。1947年、静岡県立静岡中学校卒業。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院修士(西洋史)課程、フロリダ大学博士課程修了。Ph.D. 日本女子大学教授、立教大学教授、筑波大学教授を歴任。筑波大学名誉教授。筑波大学を離れた後、共立女子大学においてアメリカ研究を含む地域研究新学部を設立し、国際文化学部長に就いた。その後、女子教育に従い城西大学女子短期大学部副学長、定年後一年間、客員教授。アメリカ学会会長(1990年〜1992年)。
岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 … 岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 - 2022年(令和4年)8月17日) は、日本の分子生物学者。従四位瑞宝中綬章。東京大学名誉教授。理学博士。静岡市出身。 1945年静岡県立静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)卒業。1952年大阪大学理学部化学科卒業。赤堀四郎に師事。同大学院理学研究科修了。九州大学医学部、大阪大学医学部で助手。1964年オレゴン大学客員準教授(1966年まで)。留学中、ストライジンガーと共同でT4リゾチームの系を用い、フレームシフト変異の存在を蛋白質化学により、世界で初めて実証した。帰国後、新設の農林省植物ウイルス研究所において、タバコモザイクウイルス(TMV)の研究に着手。
石川 哲男(いしかわ てつお、1929年(昭和4年) - )… 石川 哲男(いしかわ てつお、1929年(昭和4年) - )は、昭和(戦後)の裁判官。クリスチャン(日本基督教団)。 1929年(昭和4年)、静岡市生まれ。1946年(昭和21年)、静岡県立静岡中学校四年修了、海軍兵学校77期入学。1949年(昭和24年)、静岡高等学校 (旧制)文科卒業。1953年(昭和28年)、東京大学法学部卒業。大学院特別研修課程在籍(3年)。1956年(昭和31年)、北海道大学法学部勤務(1年)。1960年(昭和35年)、裁判官任官。地方裁判所(前橋・熊本・福岡・大阪・松山・名古屋)、名古屋高等裁判所勤務。1986年(昭和61年)、名古屋高等裁判所退官。日本基督教団静岡教会会員。
諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日… 諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日本の経済史学者、神奈川大学名誉教授。ドイツを中心としたヨーロッパの経済史が専門。 静岡県静岡市生まれ。1945年旧制静岡県立静岡中学校卒業。1948年旧制静岡高等学校卒業。1952年東京大学経済学部卒業。同大学院修了、1970年「ドイツ初期資本主義研究」で経済学博士の学位を取得。 福島大学経済学部講師、助教授、1965年神奈川大学経済学部教授、1999年定年、名誉教授。
山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月… 山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月3日 - 2025年〈令和7年〉1月6日)は、日本の地理学者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 筑波大学名誉教授。筑波大学自然学類長、筑波大学附属高等学校長、第27代日本地理学会会長等を歴任した。学位は理学博士(東京教育大学・1961年)。 静岡市生まれ。1945年(昭和20年)静岡県立静岡中学校卒業。1948年(昭和23年)東京高等師範学校文科4部3年修了。1951年(昭和26年)東京文理科大学地学科地理学専攻卒業。1951年(昭和26年)4月、静岡県立静岡城内高校教諭。1952年(昭和27年)3月、同校教諭退職。1955年(昭和30年)東京文理科大学(研究奨学生)前期修了。
杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は… 杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。「円月打法」という独特の打撃フォームで人気のあった職人的左打者。