小川 正廣(小川 正広、おがわ まさひろ、1951年10月1… 小川 正廣(小川 正広、おがわ まさひろ、1951年10月12日 - )は、日本の古代ラテン文学者、名古屋大学名誉教授。 京都市生まれ。1975年京都大学文学部西洋古典語学西洋古典文学専攻卒。79年同大学大学院文学研究科博士後期課程退学、92年「ウェルギリウス研究」で文学博士。京都大学文学部助手、1982年京都産業大学教養部専任講師、86年助教授、1990年名古屋大学文学部助教授を経て、96年教授、2000年文学研究科教授、2017年定年退任、名誉教授。
川端 義明(かわばた よしあき、1951年〈昭和26年〉10… 川端 義明(かわばた よしあき、1951年〈昭和26年〉10月7日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサーで 現在はフリーアナウンサー、声優。 立命館大学では立命館大学放送局に所属。 アナウンサーの海平和のファン。 1975年、アナウンサーとしてNHKに入局(同期入局のアナウンサーには長田弘之、小野智史、加藤行輝、川上規子、小板橋靖夫、金野正人、後藤繁榮、桜井洋子、佐藤充宏、志摩悦二郎、島田稔、末田正雄、鈴木桂一郎、周山制洋、高橋洋之、高橋佳久、徳田章、花田和明、三宅民夫、山極裕、山下信、渡辺幹雄)、室蘭に配属。その後、山形、宇都宮を経て1985年8月に東京アナウンス室に異動、報道リポーターを担当。
原田 伸郎(はらだ のぶろう、1951年〈昭和26年〉10月… 原田 伸郎(はらだ のぶろう、1951年〈昭和26年〉10月1日 - )は、日本のシンガーソングライター、お笑いタレント、司会者、プロゴルファー、書道家。本名は同じ表記で「はらだ のぶお」と読む。 愛称はのぶりん。所属事務所はあのねのね事務所→ムーン原田伸郎事務所。 京都府京都市右京区出身。嵯峨小学校、嵐山小学校を経て、平安高等学校、京都産業大学経済学部卒業。大阪府豊中市在住。 右京区花園寺ノ内町生まれ。父はブライダル関連の会社の社員。当時新興大学だった京都産業大学在籍中に先輩の清水国明、同級生の笑福亭鶴瓶および女性1名(のちの鶴瓶夫人)と一緒にあのねのねを結成。後に清水と2人でデビューを果たし、『赤とんぼの唄』が大ヒットした。
安村 好弘(やすむら よしひろ、1951年9月22日 - )… 安村 好弘(やすむら よしひろ、1951年9月22日 - )は日本の作曲家。 京都市出身。1974年に愛知県立芸術大学を卒業し、1976年に同大学院を修了した。在学中は作曲を石井歓らに師事した。京都女子大学文学部助教授・教授を経て、現在は京都女子大学発達教育学部教授。。2011年は京都女子学園創立100周年記念コンサートのために作曲した『天地悠久』が演奏された。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
小林 薫(こばやし かおる、1951年9月4日 - )は、日… 小林 薫(こばやし かおる、1951年9月4日 - )は、日本の俳優、馬主。ニコフイルム所属。 京都府生まれ。京都府立洛東高等学校卒業。1971年から1980年まで唐十郎が主宰する状況劇場に在籍。退団の際、その才能を惜しんだ唐が説得のために包丁持参で小林の住むアパートを訪れるも、危機を感じた小林が先に逃げ出して説得は失敗、そのままうやむやのうちに退団を認めたというエピソードがある[出典無効]。 役者以外にも、声優としてアニメ映画『もののけ姫』や『ゲド戦記』に出演し、ドキュメンタリー番組『美の巨人たち』(テレビ東京)ではナレーションも務めている。 糸井重里とは30年来の友人である。 1984年に中村久美と結婚するが、1995年に離婚。
飯田 耕一郎(いいだ こういちろう、1951年8月24日 -… 飯田 耕一郎(いいだ こういちろう、1951年8月24日 - 2026年2月25日)は、日本の漫画家、漫画評論家。京都府京都市左京区出身。 1969年2月、「奇人クラブ」(村岡栄一、岡田史子、つか絵夢子らを輩出した同人会)に入会。1970年に虫プロ商事「COM」への持ち込みを経て、社員として入社。その後、同社「ファニー」、芸文社「コミックVAN」の編集者を経て漫画家になる(「COMコミックス」1972年4・5月合併号(虫プロ商事)掲載「けだるい時」でデビュー)。以後、三流劇画誌やニューウェーブコミック誌を中心に活躍。一時期には雑誌『相撲』で現役力士の伝記漫画も描いた。また、創作者として漫画を描きつつ、同時に漫画評論活動も行った。
河端 真一(かわばた しんいち、1951年8月4日 - )は… 河端 真一(かわばた しんいち、1951年8月4日 - )は、元社団法人経済同友会幹事。株式会社学究社の代表取締役社長。首都圏に進学塾enaを展開。京都府京都市出身。
瀬戸 賢一(せと けんいち、1951年4月20日 - )は、… 瀬戸 賢一(せと けんいち、1951年4月20日 - )は、日本の言語学者・英語学者、大阪市立大学名誉教授、佛教大学文学部英米学科教授。 京都市生まれ。大阪市立大学文学研究科後期博士課程単位取得。1999年「空間のメタファー研究」で大阪市大文学博士。大阪経済大学講師、1987年大阪市立大学文学部助教授、文学研究科教授。2016年定年退任、名誉教授、佛教大学文学部英米学科教授。専門は英語学・レトリック。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
徐 京植(ソ・キョンシク、서 경식、1951年2月18日 -… 徐 京植(ソ・キョンシク、서 경식、1951年2月18日 - 2023年12月18日)は、在日朝鮮人作家、文学者。東京経済大学名誉教授。 京都市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業(フランス文学専攻)。兄に元立命館大学特任教授の徐勝、人権運動家の徐俊植がいる。4人兄弟の末っ子。 在日朝鮮人の父母のもと、京都市に生まれる。早稲田大学在学中の1971年、二人の兄が留学中のソウルで国家保安法違反容疑で逮捕される(学園浸透スパイ団事件)。すぐさま逮捕の不当性を訴えて母や支援者とともに救援活動を展開。1974年に早稲田大学第一文学部仏文学科を卒業するも、依然兄弟は獄中にあり、自らも大学院進学を諦めて兄の解放と韓国民主化運動のため活動を継続する。
川勝 泰介(かわかつ たいすけ、1951年 - )は、日本の… 川勝 泰介(かわかつ たいすけ、1951年 - )は、日本の教育学者。専門は、児童文化学・教育学・児童文学。学位は、博士(教育学)(関西学院大学・論文博士・2001年)。ユマニテク短期大学教授。 京都市生まれ。1975年関西学院大学文学部教育学科卒業。1980年同大学院文学研究科博士課程満期退学。2001年に「児童文化学研究序説」で関西学院大学より博士(教育学)の学位を受けた。 1980年市邨学園短期大学専任講師、その後大学名変更により名古屋経済大学短期大学部教授を経て、2005年より京都女子大学教授、2017年よりユマニテク短期大学教授。日本児童文学学会事務局長を4期務めた後、代表理事を経て、2015年11月より2019年11月まで日本児童文学学会会長を務めた。
大西 憲(おおにし あきら、1951年 - )は日本の翻訳家… 大西 憲(おおにし あきら、1951年 - )は日本の翻訳家。京都市生まれ。信州大学理学部卒。日本推理作家協会会員。
倉光 修(くらみつ おさむ、1951年 - 2025年9月1… 倉光 修(くらみつ おさむ、1951年 - 2025年9月14日)は、日本の臨床心理学者。専門は学校臨床心理学、臨床心理学。博士(教育学)(京都大学、論文博士・2000年1月24日)。大阪大学教授、東京大学教授、放送大学教授を歴任した。 京都府京都市生まれ。京都大学教育学部卒。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程満期退学。 京都大学教育学部助手、京都大学保健管理センター講師、京都府立大学文学部助教授、大阪大学人間科学部助教授/教授、東京大学大学院教育学研究科教授 兼 東京大学学生相談所長、2014年放送大学教養学部教授。その後、2020年より放送大学特任教授。2024年3月退任。 2000年「学習や仕事に対する動機づけを向上させる要因に関する一研究 心理療法とその教育的応用を通して」で博士(教育学)の学位を取得。
青木 道喜(あおき みちよし、1950年(昭和25年)12月… 青木 道喜(あおき みちよし、1950年(昭和25年)12月23日 - )は能楽師(シテ方観世流)である。重要無形文化財総合認定保持者。 京都市生まれ。観世流能楽師、青木祥二郎の長男。父及び九世片山九郎右衛門(幽雪)に師事。重要無形文化財総合指定者。京都市中京区に冬青庵能舞台を構え、京都を中心に意欲的な活動を展開。 宮沢賢治生誕百年記念新作能「永訣の朝」、親鸞上人五百回御遠忌記念能「蓮如」、信州明科オリジナル作品「犀龍小太郎」「恋の龍門渕」、新作狂言「鹿踊りのはじまり」「はしくれ法師」「ものぐさ歌太郎」を書くなど、『風姿花伝』第三問答条々の「能をせん程の者の、和才あらば、申楽を作らん事、易かるべし。
石山 一秀(いしやま かずひで、1950年12月13日 - … 石山 一秀(いしやま かずひで、1950年12月13日 - )は、日本出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球指導者・監督。出身地は京都府京都市下京区。日本野球機構(NPB)と韓国野球委員会(KBO)において活動。在日韓国人として生まれ(プロ入り後に日本国籍へ帰化)、韓国名およびKBOでの登録名は「宋 一秀」(ソン・イルス[4][5]、ハングル:송일수)。
子安 増生(こやす ますお、1950年11月16日 - )は… 子安 増生(こやす ますお、1950年11月16日 - )は、日本の教育心理学者。京都大学名誉教授。甲南大学文学部特任教授。専門は教育認知心理学。特に心の理論、メタファー理解などの発達心理学的研究。 日本心理学諸学会連合理事長。博士(教育学)。 京都市出身。高槻高等学校を経て1973年京都大学教育学部卒業。1977年に京都大学大学院教育学研究科博士課程を中退。同年から1988年まで愛知教育大学助手・助教授を務めた後、京都大学教育学部助教授に就任。1998年より教授。2016年4月から京都大学名誉教授。
酒井 潔(さかい きよし、1950年(昭和25年)10月17… 酒井 潔(さかい きよし、1950年(昭和25年)10月17日 - )は、日本の哲学者。哲学史家。学習院大学文学部哲学科名誉教授。京都府京都市生まれ。 ライプニッツ、カント、ハイデッガーを中心とするドイツ近現代哲学を専攻。主に形而上学、現象学の観点から研究している。1985年(昭和60年)博士論文「世界と自我―ライプニッツ形而上学論攷―」により文学博士(京都大学)。 徹底したテクスト読解、事象に即した体系的思索、そして西洋哲学史の広汎な知識に立脚した研究には定評がある。また、近代日本における西洋哲学の受容(とくに西田幾多郎、三宅剛一)の問題にも取り組んでいる。国内での研究発表や執筆活動にとどまらず、ドイツを中心に海外での発表や講演、学会誌や論文集への寄稿、共同研究、さらには主要研究者の日本への招聘(しょうへい)などでも多くの実績をあげている。
中条 潮(ちゅうじょう うしお、1950年9月21日 - )… 中条 潮(ちゅうじょう うしお、1950年9月21日 - )は、日本の交通経済学者。慶應義塾大学商学部教授。京都学園大学客員教授、専攻は、公共経済学・社会問題の経済学。 公共料金、交通問題等を中心に、公共・社会問題を経済学の視点から研究。スカイマーク株式会社設立に参加した。週刊東洋経済『エコノミックス』編集委員。京都府京都市出身。
中村 卓史(なかむら たかし、1950年9月18日 - )は… 中村 卓史(なかむら たかし、1950年9月18日 - )は、日本の物理学者。専門は宇宙物理学。学位は、理学博士(京都大学・1978年)。京都大学名誉教授。京都府京都市出身。 専門は宇宙物理学で、一般相対論分野の権威。大学院生時代から、一般相対論の基礎方程式であるアインシュタイン方程式の数値計算に取り組み、世界で初めて軸対称ブラックホール形成のシミュレーションに成功した。さらにこの研究を3次元に拡張し、数値相対論と呼ばれる分野を開拓した。また、佐々木節と共に、ブラックホール時空の摂動を計算するための基礎方程式(佐々木-中村方程式)を導出した。その後、現在ではBaumgarte-Shapiro-Shibata-Nakamura (BSSN) 形式として知られる記法により、数値相対論のシミュレーションを長時間安定に発展させることに成功した。
奥野 卓司(おくの たくじ、1950年8月8日 - )は、日… 奥野 卓司(おくの たくじ、1950年8月8日 - )は、日本の人類学者。専攻は情報人類学・人間動物関係学。関西学院大学名誉教授。千里金蘭大学特別客員教授。公益財団法人山階鳥類研究所シニアフェロー。公益財団法人千里文化財団理事。 1950年、京都府京都市生まれ。京都市立堀川高等学校、京都工芸繊維大学卒業。1978年京都工芸繊維大学大学院修士課程修了。2001年同学術博士。論文の題は「情報化時代における『第三の社会』に関する実証的研究」。 卒業後は京都芸術短期大学芸術文化研究所専任講師、助教授、米国イリノイ大学客員准教授、甲南大学文学部助教授、1994年教授。 1997年より関西学院大学社会学部教授。
宮本 好宣(みやもと よしのぶ、1950年7月26日 - )… 宮本 好宣(みやもと よしのぶ、1950年7月26日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)、スカウト、プロ野球コーチ。右投右打。 京都府京都市下京区生まれ、大阪府大阪市育ち。 布施工業高から同志社大学へ進学。関西六大学野球リーグでは1971年春季リーグで優勝を経験。1972年春季リーグで初登板、同年秋季リーグでは関大に次ぐ2位と健闘。リーグ通算21試合登板し3勝6敗の成績を残した。 大学卒業後は、社会人野球のエアロマスターに入団。1973年の産業対抗でチームは優勝するが、エース細淵守男の控えにとどまり出番はなかった。1974年5月にエアロマスターの母体である日本熱学工業が倒産し野球部も解散となったため、西濃運輸に移籍。
池田 信夫(いけだ のぶお、1950年5月25日 - 201… 池田 信夫(いけだ のぶお、1950年5月25日 - 2012年11月24日)は、京都府出身の野球選手(投手)、指導者。 繋駕速歩の騎手である池田三郎を父に持つ。 平安高校では甲子園に4回出場した。1966年、1年の時に、3年生エース門野利治の控えとして夏の選手権に出場。準々決勝に進むが報徳学園に敗退。この大会では2試合にリリーフとして登板。2年からエースとなり、1967年の春の選抜に出場。2回戦で新居浜商に敗れる。同年夏は京滋大会決勝で守山高に敗退、甲子園出場を逸する。1年上のチームメートに四番打者の江島巧中堅手がいた。 翌1968年春の選抜では準々決勝に進出するが、この大会に優勝した大宮工の吉沢敏雄に抑えられ敗退、同年夏の選手権にも出場するが、1回戦でまたも大宮工に9回逆転負けした。
入江 良平(いりえ りょうへい、1950年3月30日 - )… 入江 良平(いりえ りょうへい、1950年3月30日 - )は、日本のユング心理学者、翻訳家。青森県立保健大学教授。 京都市生まれ。一橋大学社会学科卒、1976年同大学院社会学研究科(社会心理学)修士課程修了、1980 -)1981年チューリッヒのユング研究所に学ぶ。青森短期大学講師、助教授、青森大学助教授、富山国際大学助教授、教授、1999年青森県立保健大学教授。
ばんば ひろふみ(1950年〈昭和25年〉2月20日 - )… ばんば ひろふみ(1950年〈昭和25年〉2月20日 - )は、日本のフォークシンガー、ラジオパーソナリティ。本名は馬場弘文(読みは同じ)。京都市東山区祇園出身。既婚。離婚1回。愛称は「ばんばん」。ペンネームは馬場章幸。血液型はB型。京都市立清水小学校、中高一貫校である立命館中学校・高等学校を経て、立命館大学経済学部卒業。所属事務所はヤングジャパン→アップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)→アップフロントクリエイト。 実家は八坂神社の近くのお茶屋で、玄関から座敷までがお茶屋で、それ以外がばんば家族の生活空間だった。子供の頃はばんばたちが普通に日常生活を送る中、隣のお座敷では芸妓・舞妓と客たちが宴会している、という状況だった。
南出 喜久治(みなみで きくぢ、1950年〈昭和25年〉1月… 南出 喜久治(みなみで きくぢ、1950年〈昭和25年〉1月3日 - )は、日本の弁護士。京都弁護士会所属。國體護持塾塾長、体罰の会副会長。憲法無効論を主張。反ワクチン活動家であり、全てのワクチンを否定する立場をとっている。 京都市生まれ。生家は公衆浴場業(風呂屋)。父親は支那に渡り、支那事変以降は特務機関の将校として北支那で勤務した。復員後は、逓信局(郵便局)に勤務していたが、軍歴のため公職追放の対象となり失職。その後は、家業の風呂屋を営んだ。 小学校3年のときに母親が脳溢血で寝たきりとなったため、南出が家事を受け持ち、家業の手伝いもするようになった。中学進学後に父親が肝硬変で倒れ、南出は家業や家事のため、中学・高校時代は慢性的寝不足の状態で登校していた。
宮野 正喜(みやの まさき、1950年 - )は、日本の写真… 宮野 正喜(みやの まさき、1950年 - )は、日本の写真家。 京都府京都市生まれ。日本写真家協会会員。国際スポーツプレス協会会員。日本スポーツプレス協会会員。 立命館大学理工学部化学科卒業。2014年7月から日本ホッケー協会理事で広報・マーケティング委員長。社団法人日本ホッケー協会機関誌「ホッケーマガジン」編集長。 写真家として、桂俊夫に師事。1978年から、広告写真の分野で写真活動を開始し、美術工芸品や伝統芸術に関する撮影などにも進出する。スポーツ分野の写真を得意にし、海外取材など精力的にこなす。
吉田 潤喜(よしだ じゅんき、1949年12月7日 - )は… 吉田 潤喜(よしだ じゅんき、1949年12月7日 - )は、京都府京都市南区出身のアメリカの実業家。吉田ソース創業者。ヨシダグループ会長。空手家。
隅田 和世(すみた かずよ、1949年12月5日 - )は、… 隅田 和世(すみた かずよ、1949年12月5日 - )は、日本の女優。父は東映京都の映画監督だった隅田朝二。母は女優の藤枝久江。 京都府京都市生まれ。京都市家政学園高等学校卒業。高校卒業直後の1968年に、父の仕事の都合で東京都町田市に転居する。父の仕事のフィルム編集の助手をしていたが、女優への思いを募らせる。両親に内緒で応募したこの年の日活ニューフェースに合格し、反対する両親を強引に説得して研究生となる。同年10月から翌1969年6月まで水の江滝子タレント・センターの1期生として基礎を学んだ。 1969年(昭和44年)にTBS『新・流氷の女』、日活映画『涙でいいの』でデビュー。この時は隅田和江という名前だった。
五所の家 小禄(ごじょのや ころく、1949年12月4日 -… 五所の家 小禄(ごじょのや ころく、1949年12月4日 - )は、京都府京都市出身の落語家。本名は高橋 平明。 京都産業大学卒業。はじめは露の五郎に師事し、後に笑福亭松之助に再入門。弟弟子の明石家さんまの大ブレイクであまり目立たなかったが、京都新京極の京都花月劇場をホームグラウンドとして、独演会を開くなど活躍した。松之助・さんま同様、上方落語協会には所属していない。 デビュー当初はタレント志望が強かったが、新作落語・古典落語ともに演じた。さんまと京都で落語2人会をやったこともあり(客として、やしきたかじんと当時の愛人の2人だけに行ったこともあり、さんまはそれを恩義に感じている)、さんまが巨人の小林繁の形態模写をしたのに対して、張本勲の形態模写をした。
神谷 武(かみたに たけし、1949年12月 - )は日本の… 神谷 武(かみたに たけし、1949年12月 - )は日本の外交官。国連公使等を経て、駐アルジェリア特命全権大使や駐パラグアイ特命全権大使を歴任。 京都府京都市出身。高槻高等学校を経て、1973年京都大学法学部を卒業し、外務省入省。妻はエッセイストで元NHK職員の神谷ちづ子。 法務省入国管理局政策課長、国際連合日本政府代表部公使、リオデジャネイロ総領事を経て、2006年国際研修協力機構常務理事兼国際部長を経て、2008年10月駐アルジェリア特命全権大使。 2011年駐パラグアイ特命全権大使に就任。パラグアイ政府との間で、総額150万ドルの草の根・人間の安全保障無償資金協力プロジェクトを締結した。
油谷 幸利(ゆたに ゆきとし、1949年11月28日 - )… 油谷 幸利(ゆたに ゆきとし、1949年11月28日 - )は、日本の朝鮮語学者。同志社大学言語文化教育センター教授。文学修士。 京都府京都市出身。京都大学文学研究科修了。天理大学外国語学部助教授、富山大学人文学部助教授、愛知教育大学教育学部教授などを歴任した後、1997年に現職である同志社大学言語文化教育研究センターに教授として就任。研究分野は朝鮮語および朝鮮語情報処理。 NHKラジオ・ハングル講座講師や大学入試センター韓国語部会部会長なども務める。 2004年に大韓民国文化観光部からハングル発展有功者褒章を受賞するなど、日本における朝鮮語学の権威の一人と言える。
中川 敬(なかがわ たかし、1949年11月2日 - )は、… 中川 敬(なかがわ たかし、1949年11月2日 - )は、元東京楽天地取締役会長、日本の映画プロデューサー。京都府京都市出身。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
小泉 和裕(こいずみ かずひろ、1949年10月16日 - … 小泉 和裕(こいずみ かずひろ、1949年10月16日 - )は、日本の指揮者。 京都府京都市生まれ。堀川高等学校音楽科(現京都市立京都堀川音楽高等学校)卒業。東京藝術大学指揮科で山田一雄に師事。1970年、第2回民音指揮者コンクール第1位。 1972年10月ベルリンのホッホシューレ(現ベルリン芸術大学)に入学、ラーベンシュタイン教授にオペラ指揮法を師事。1973年夏、ボストンのタングルウッド音楽祭に参加。同年11月、第3回カラヤン国際指揮者コンクールに第1位受賞、その後ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してベルリン・デビューを飾った。1975年3月に、ベルリン・フィルの定期演奏会に出演。
藤田真一(ふじたしんいち、1949年8月27日 - )は、日… 藤田真一(ふじたしんいち、1949年8月27日 - )は、日本の国文学者、関西大学名誉教授。専門は日本近世文学、特に与謝蕪村。 京都市生まれ。洛星中学校・高等学校を経て、1973年大阪外国語大学ドイツ語科卒、1980年大阪大学大学院博士後期課程国文学専攻満期退学。大阪大学では信多純一に師事した。2000年「蕪村俳諧遊心」で阪大文学博士。1979年追手門学院大学助教授、1986年京都府立大学に転じる。助教授を経て、同教授。2001年関西大学文学部教授。2017年退職。 2000年『蕪村俳諧遊心』で文部大臣奨励賞、2012年『蕪村余響』でやまなし文学賞受賞。2020年、第55回大阪市市民表彰。
豊田 潤多郎(とよだ じゅんたろう、1949年(昭和24年)… 豊田 潤多郎(とよだ じゅんたろう、1949年(昭和24年)8月22日 - )は、日本の大蔵官僚、政治家。生活の党と山本太郎となかまたち京都府第4区総支部長、医療法人淳宰晃会理事長。
上田 正樹(うえだ まさき、1949年〈昭和24年〉7月7日… 上田 正樹(うえだ まさき、1949年〈昭和24年〉7月7日 - )は、日本のR&B・ソウルシンガー、シンガーソングライター。京都府出身。 父は京都大学医学部卒業の医師。京都市に生まれ、恵まれた環境で育っていた。 電車道を挟んだ隣の家が沢田研二の家であり幼少期には よく遊んでいたという。父の結核が悪化し、母も感染したため、京都市立第三錦林小学校二年のとき、母親の実家・兵庫県姫路市に預けられる。 間もなく父が亡くなり、母は回復し、父の親友でやはり医師と再婚。姫路の小学校四年の冬に、岐阜県高山市へと移った。母を巡る嫉妬から「絶対この義父には負けたくない」と東京大学医学部を目指して猛勉強。高山市立松倉中学校では生徒会長も務め、岐阜県立岐阜高等学校に進学。
豊田 勇造(とよだ ゆうぞう、1949年7月1日- )は、日… 豊田 勇造(とよだ ゆうぞう、1949年7月1日- )は、日本のシンガーソングライター、エッセイスト。
岡田 裕介(おかだ ゆうすけ、本名︰岡田 剛(おかだ つよし… 岡田 裕介(おかだ ゆうすけ、本名︰岡田 剛(おかだ つよし)、1949年5月27日 - 2020年11月18日)は、日本の実業家、映画プロデューサー。東映代表取締役グループ会長、ティ・ジョイ(現:東映ジョイ・エンタテインメント)代表取締役社長、テレビ朝日ホールディングス社外取締役を務めた。1970年代には俳優として活躍したことでも知られる。 京都市出身。父は岡田茂(東映社長・会長を経て最晩年は名誉会長)。妹は高木美也子(コメンテーター、日本大学総合科学研究所教授)。声優・ナレーターの政宗一成ははとこ。 子供の頃の遊び場は東映京都撮影所(以下、東映京都)で、東映京都は子煩悩な役者が多く、片岡千恵蔵や萬屋錦之介、大友柳太郎、伏見扇太郎らによく可愛がってもらった。
矢野 環(やの たまき、男性、1949年5月24日 - )は… 矢野 環(やの たまき、男性、1949年5月24日 - )は、日本の数学者、茶道研究家、同志社大学文化情報学部教授。専門は数理文献学、茶道・華道・香道史、伝統文化論、応用多変量解析、数学。 京都市生まれ。1972年京都大学理学部卒、1977年同大学院理学研究科数学専攻博士課程修了、「b函数の理論について」で理学博士。1977年埼玉大学理学部数学科助手、1983年助教授、1995年教授、2005年同志社大学文化情報学部教授。 1999年茶道文化学術賞受賞。
早川 聞多(はやかわ もんた、1949年4月2日 - )は、… 早川 聞多(はやかわ もんた、1949年4月2日 - )は、日本の美術史家。専攻は日本美術史、江戸文化史。国際日本文化研究センター名誉教授。主に与謝蕪村や浮世絵春画などを研究分野としている。 京都市出身。京都教育大学附属高等学校を経て、1970年に国際基督教大学人文学科中退後、東京大学入学。在学中硬式野球部に所属。投手として東京六大学野球で活躍し、1973年秋のリーグ戦で慶法立から3勝を挙げた。六大学リーグ戦通算3勝。1974年に東京大学文学部哲学科卒業。 1980年大阪大学大学院芸術学専攻修士課程修了。1978年大和文華館学芸員、1987年に創設された国際日本文化研究センターに同年11月より助教授として勤務する。
八田 英二(はった えいじ、1949年3月20日 - )は、… 八田 英二(はった えいじ、1949年3月20日 - )は、日本の経済学者。学校法人同志社第18代総長・理事長。同志社大学経済学部名誉教授。専攻は産業組織論および計量経済学。 京都府京都市出身。第27・28・29・30・31代同志社大学長。第7代日本高等学校野球連盟会長。
青山 静男(あおやま しずお、1949年〈昭和24年〉3月1… 青山 静男(あおやま しずお、1949年〈昭和24年〉3月19日 - 1995年〈平成7年〉3月13日)は、日本の写真家。 街角の少女をとらえた写真で知られる。趣味はロック・ミュージック。 1949年(昭和24年)3月19日、京都府京都市に生まれる。 1976年(昭和51年)ころから、カメラを持って京都や大阪の街を歩き、少女たちの姿を写真に収め始める。昭和50年代半ばの日本では、子供たちが公園や街角で遊ぶ光景はありふれており、そしてたいていは子供のほうから静男に声を掛けてきた。 『写真時代』1982年11月号にて、商業誌デビュー。『ヘイ!バディー』1983年7月号から、終刊の1985年11月号まで、写真を連載する。
九後 汰一郎(くご たいちろう、1949年3月 - )は、日… 九後 汰一郎(くご たいちろう、1949年3月 - )は、日本の理論物理学者。京都大学名誉教授。京都大学基礎物理学研究所第8代・10代所長。専門は素粒子論。理学博士(京都大学・1976年)。京都市出身。本名は九後太一(くご たいち)。研究者としては汰一郎を使用。 小嶋泉との共同研究により、非可換ゲージ理論(ヤン=ミルズ場の理論)の共変正準量子論において物理的状態を選び出す条件(九後・小嶋の補助条件)を見出し、物理的S行列のユニタリー性に対する明快な証明を与えた。その際、非物理的状態の寄与がゲージ場の縦波・スカラー状態、およびゴースト・反ゴースト状態の四つで互いに相殺すること(九後・小嶋のカルテット機構)を発見した。
石浦 正寛(いしうら まさひろ、1949年2月10日 - )… 石浦 正寛(いしうら まさひろ、1949年2月10日 - )は、日本の生物学者。学位は、理学博士(大阪大学・論文博士・1978年)。専門はナノ生物学・ゲノム機能学。名古屋大学名誉教授。京都府京都市出身。 1971年、金沢大学理学部生物学科卒業、1973年、大阪大学大学院理学研究科修士課程生理学専攻修了、1976年、大阪大学理学研究科博士課程修了、1978年、理学博士(大阪大学)「Biochemical studies on the functions of cytoplasmic actin in non-muscle cells(非筋細胞におけるアクチン機能の生化学的研究)」。 1977年、大阪大学微生物研究所動物ウイルス部助手、1979年、基礎生物学研究所細胞融合部門助手。
荒木 実(あらき みのる、1949年2月9日- )は、京都市… 荒木 実(あらき みのる、1949年2月9日- )は、京都市右京区出身の元競輪選手。日本競輪学校第23期生。同期には阿部道らがいる。 京都府立桃山高等学校時代は野球部に在籍し、同部の主将を務めた。 1966年9月18日、和歌山競輪場でデビューするや、無傷の18連勝を達成。若い頃よりマーク型の選手としてトップスターへの道へと上りつめ、1974年に行われた高松宮杯競輪では、中を一気に割って伸び優勝。2年後の高松宮杯でも同じような形のレース内容で制した。ちなみに2回とも、雨が降りしきる中レースが行われたが、そのことにあやかって、雨男のニックネームがつけられた。 1988年、競輪発祥40周年を記念して、平塚競輪場で開催されたルビーカップのシニア杯に出走し優勝した。
団 時朗(だん じろう、1949年〈昭和24年〉1月30日 … 団 時朗(だん じろう、1949年〈昭和24年〉1月30日 - 2023年〈令和5年〉3月22日)は、日本の俳優。旧芸名は、団 次郎や団 次朗(いずれも読みは同じ)。本名は村田 秀雄(むらた ひでお)。 京都府京都市出身。平安高等学校卒業。生前はアルファエージェンシーに所属していた。 イギリス系アメリカ人の父と小唄の師匠である日本人の母の間に生まれたハーフ。 1966年、母が知り合いである大映の三隅研次監督に頼み、勝新太郎主演の『酔いどれ博士』の端役で俳優デビュー。同年に髙島屋と提携したピエール・カルダンのスーツを一度に3着購入するほどファッションへの想いが強かったことからも、1967年3月に平安高等学校を卒業するとただちに上京し、セントラルファッションに所属する。
森川 展男(もりかわ のぶお、1949年1月19日 - )は… 森川 展男(もりかわ のぶお、1949年1月19日 - )は、日本のアメリカ文学者、法社会学者。近畿大学総合社会学部総合社会学科教授。専門はアメリカ文学、法社会学。 京都府生まれ、京都市育ち。立命館高等学校卒、立命館大学法学部卒業、1977年同大学文学部英米文学専攻卒業、関西外国語大学大学院外国語研究科英語学専攻博士課程(前期)入学。1982年米国ユニオン大学大学院博士課程英米文学専攻修了、Ph.D.取得。 1990年東海大学福岡短期大学助教授、1993年大東文化大学助教授、1997年退職。1999年東亜大学総合人間文化学部教授。2002年近畿大学産業理工学部(福岡キャンパス)教授。2010年同総合社会学部(東大阪)教授。
杉本 信行(すぎもと のぶゆき、1949年1月12日 - 2… 杉本 信行(すぎもと のぶゆき、1949年1月12日 - 2006年8月3日)は日本の外交官。上海総領事として上海総領事館員自殺事件の対応にあたり、その後病死した。山本七平賞特別賞受賞。 京都府京都市生まれ。1973年に京都大学法学部を卒業し外務省入省。中国語研修を受けたチャイナ・スクール。入省試験では、第一希望に英語、第二希望にフランス語、第三希望に中国語を出した。当時中国は文化大革命中だったため、上司の小倉和夫首席事務官に、せめて香港で研修を受けたいと申し出たが聞き入れられなかった。1974年中国北京市の北京語言学院(現北京語言大学)で研修を開始したものの、教育内容が悪いため再び香港に希望を出したが、聞き入れられず、瀋陽市の遼寧大学に転学。
村瀬 学(むらせ まなぶ、1949年 - )は、日本の児童文… 村瀬 学(むらせ まなぶ、1949年 - )は、日本の児童文化研究者、心理学者。同志社女子大学名誉教授。 京都市出身。同志社香里高等学校を経て1973年同志社大学文学部(哲学科)卒。高校時代からセーレン・キェルケゴールを読み、大学の卒論でもキェルケゴールを論じた。 大阪府交野市の心身障害児通所施設あすなろ園職員を経て、同志社女子大学教授。 第34回日本児童文学学会奨励賞受賞。
北山 安夫(きたやま やすお、1949年 - )は、日本の造… 北山 安夫(きたやま やすお、1949年 - )は、日本の造園家・作庭家。造園業の北山造園 (京都市北区等持院中町)代表。 実家は、京都で有名な材料屋(庭園資材舗:しざいほ)である。実母は、愛媛県松山市の出身。京都にはほかに嵐山にも(株)北山造園があるため、等持院の北山造園と説明する場合もある。 私立平安高等学校を卒業後、1971年3月、京都産業大学経済学部を卒業した。卒業後、京都小宮山庭園創作所に入る。小宮山博康に師事。小宮山博康に評価される程、石組には秀でていた。京都小宮山庭園創作所で修行後、26歳で独立して、北山造園を設立した。 十数年前には、森蘊の友人の孫が、弟子入りしていた時期もある。
川崎 あかね(かわさき あかね、1948年11月10日 - … 川崎 あかね(かわさき あかね、1948年11月10日 - )は、日本の女優。本名、奥野 ときゑ。旧姓名、川崎 ときゑ。父親は撮影技師の川崎新太郎。 京都府京都市出身。洛陽女子高等学校卒業。八重子プロに所属していた。 6歳より日本舞踊を学ぶ。 1967年に高校卒業と同時に大映に入社。1968年公開の『陸軍中野学校 開戦前夜』に端役で出演。同年の『妖怪大戦争』ではヒロイン役を演じて実質的なデビュー作となる。以後、『笹笛お紋』(1969年)などに出演。 1971年11月20日封切りの映画『蜘蛛の湯女』に主演。セミヌードが話題になるが、同月29日に大映が倒産したため、1972年1月、松竹へ移籍。同年の映画『女生きてます 盛り場渡り鳥』に主演するが、1973年に退社してフリーとなる。