新堂 友衛(しんどう ともえ、1931年〈昭和6年〉5月 -… 新堂 友衛(しんどう ともえ、1931年〈昭和6年〉5月 - 2023年〈令和5年〉9月6日)は、日本の実業家。元大阪シティ信用金庫最高顧問。 大阪市出身。1950年(昭和25年)大阪府立四条畷高等学校(現・大阪府立四條畷高等学校)卒業、1955年大阪経済大学経済学部卒業。1967年大阪市信用金庫理事、1974年常務理事、1979年専務理事、1988年理事長。2010年(平成22年)代表理事会長就任。2013年より、市信金など3金庫の合併した大阪シティ信用金庫の名誉会長。 大阪府信用金庫協会・会長、近畿地区信用金庫協会・会長、全国信用金庫協会・副会長、信金中央金庫・理事などの要職に就き、特に大阪府下8金庫の合併を手がけ、当時経営不振問題に直面していた大阪府内の信用金庫再編を行い、金融不安の回避に尽力した。
杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 20… 杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 2022年2月20日)は、日本の地理学者・文化人類学者。専攻は文化地理学。国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大学文学部文学研究科博士課程修了。国立民族学博物館教授・第5研究部長を経て、1992年3月末をもって定年退職、同名誉教授。その後は関西学院大学教授、大阪人間科学大学教授を務めた。 1968年、学位論文「日本における民家の地理学的研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。 2022年2月20日、死去。90歳没。死没日付をもって正五位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
渡守武 健(ともたけ たけし、1931年4月25日 - 20… 渡守武 健(ともたけ たけし、1931年4月25日 - 2023年2月1日)は、日本の経営者。大日本製薬社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学医学部薬学科を卒業し、同年に大日本製薬に入社。 1981年に取締役に就任し、1985年に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月には社長に就任。 1999年6月に会長に就任。 2023年2月1日老衰のために死去。91歳没。
脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日… 脇田 修(わきた おさむ、1931年3月14日 - )は、日本の歴史学者。大阪大学名誉教授。元大阪歴史博物館館長。専門は日本近世史。妻は歴史学者脇田晴子。大阪市生まれ。
岡本 伊三美(おかもと いさみ、1931年2月26日 - )… 岡本 伊三美(おかもと いさみ、1931年2月26日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 次女に元プロテニスプレイヤーの岡本久美子がいる。 中学まではバスケットボールの選手だったが、京都市立第一工業学校時代に野球へ転向。野球部の同期に元阪神の桧山進次郎の実父がおり、当時岡本が遊撃手で桧山の父がエース投手であった。 高校卒業後の1949年に南海ホークスへテスト生として入団。高校時代のチームメイトに種田訓久(後に南海で共にプレー)がいる。 1951年はシーズン終盤の9試合に二塁手として先発出場、また南海土建に出向という形で社会人野球でもプレーした。 1952年には兼任監督の山本一人の後継と目され、7月からは二塁手の定位置を獲得。
木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 20… 木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 2006年2月5日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学研究科を修了し、同年に三菱重工業に入社。1970年に分社独立した三菱自動車工業に転じ、1989年6月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1996年6月に社長に就任。1999年から会長を務めた。 2006年2月5日、胆管癌で死去。74歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 20… 柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 2015年10月4日)は、日本の実業家。朝日放送の元社長・会長・相談役。 大阪府大阪市出身。旧制大阪高等学校を経て、1953年に京都大学文学部卒業後、朝日新聞社へ入社。深代惇郎とは同期。社会部員、外報部員、サイゴン、パリ各支局長、ヨーロッパ総局長、1976年東京本社外報部長、1983年大阪本社編集局長、1987年朝日放送取締役、1989年常務、1990年専務、1995年6月社長、2002年6月27日会長、2005年6月28日相談役。その他には大阪日伊協会会長、社団法人アジア協会アジア友の会会長などを歴任した。 ※この他宝塚歌劇で上演された「凱旋門」(2000年・雪組)や「琥珀色の雨にぬれて」(2002年・花組)の公演プログラムにも本人の執筆によるエッセイが掲載されている。
倉田 喜弘(くらた よしひろ、1931年1月14日- 202… 倉田 喜弘(くらた よしひろ、1931年1月14日- 2022年8月31日)は、日本の芸能史研究家。 大阪市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業後、NHKに勤務。1966年、根岸登喜子と結婚。1988年、NHKを退職。その後は芸能史研究に専念する。特に、端唄を収録した『江戸端唄集』の編纂で知られる。2022年8月31日、肺がんのため死去。91歳没。
八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年… 八千草 薫(、1931年〈昭和6年〉1月6日 - 2019年〈令和元年〉10月24日)は、日本の女優。 大阪府大阪市出身。宝塚音楽学校卒業。所属事務所は柊企画。愛称は「ヒトミ(ちゃん)」(本名に由来)。公称身長154cm。 幼少時に父を亡くし、母子家庭で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。 聖泉高等女学校(現:プール学院中学校・高等学校)在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団34期生として入団。入団時の成績は50人中19位。入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、人気を博した。
稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994… 稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994年2月24日)は、日本の小説家、放送作家。大阪府大阪市出身。 記録映画のマネージメントを務める傍ら、1968年文芸誌の新人賞に入選、しかし多忙のため作家活動に専念しなかった。テレビCF、記録映画のプロデューサを努める。 1985年肝臓癌の手術を受けるが全摘ができないと分かると、生きた証として小説家活動に打ち込むと周囲に宣言し、1989年『ダブルオー・バック』にて本格的に小説家デビュー。1991年『ダック・コール』にて数々の賞を受賞し期待されるも、1994年わずか9冊を残して癌のため没した。 作品は自身の趣味であった猟銃の知識を生かしたハードボイルドな推理小説で、少年の視点・目線やニヒリズムを取り入れたものであった。
樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英… 樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英文学者、大阪市立大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪市立大学人文学部英文科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、教授、名誉教授、関西大学教授、2000年退職。18-19世紀の英国文学を研究した。
橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12… 橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12月17日)は、日本の国語教育学者。 大阪市生まれ。1954年広島大学教育学部卒業。和歌山県立桐蔭高等学校、広島県下の高等学校に勤務。1969年広島県教育委員会指導課指導主事、高等学校教育係係長・指導課課長補佐。広島県立高等学校教頭、1980年大分大学助教授、教授。1989年鳴門教育大学教授、評議員、付属図書館長となり「大村はま文庫」を創設、1990年大村はま賞受賞。1997 - 2003年徳島文理大学教授。2002年「中等学校国語科教材史研究 現代文教材化の状況とその史的役割を中心に」で広島大学博士(教育学)。専攻は国語教育学、国語教育史研究。
開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和… 開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和5年〉12月30日 - 1989年〈平成元年〉12月9日)は、日本の小説家。組織と人間の問題を扱った『パニック』『裸の王様』や、ベトナム戦争取材の体験をもとにした『輝ける闇』などがある。また趣味の釣りについて世界各地での体験を綴ったエッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』などでも知られる。 大阪市天王寺区で父・正義、母・文子との間に長男として生まれる。7歳の時に住吉区北田辺(現・東住吉区)へ転居。子供時代は、紙芝居と本が好きで、江戸川乱歩、山中峯太郎、海野十三などを読んでいた。1943年4月に旧制天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ入学、勤労動員の合間に内外の文学作品を乱読した。
今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2… 今井 政之(いまい まさゆき、1930年12月25日 - 2023年3月6日)は、日本の陶芸家。位階は従三位、勲等は文化勲章。公益社団法人日展名誉顧問、日本芸術院会員、文化功労者。国際陶芸アカデミー会員。 京都府美術工芸家協会理事、社団法人日展常務理事、財団法人京都文化財団理事などを歴任した。 苔泥彩とよばれる独特の技法を生みだし、現代陶芸界に独自の領域を開拓。 花や魚の模様を象嵌する技法の第一人者として知られ海外でも高い評価を受けている。 大阪府大阪市出身。1943年、父の郷里広島県賀茂郡竹原町(現・竹原市)に移り住む。広島県立竹原工業学校(現・広島県立竹原高等学校)卒業後、岡山県備前市に赴き備前焼の修行を始める。
磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月… 磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月8日 - 2007年(平成19年)11月26日)は、日本の政治家、経済学者。大阪市長(第16代)、大阪市助役、大阪市立大学名誉教授。経済学博士(大阪市立大学)。大阪市出身。 大阪市立大学では経済学部長等の要職を務めたが、1990年に西尾正也大阪市長(当時)に請われ、大阪市助役に就任。行政マンに転身した。 1995年に西尾市長の後継として、共産党以外のいわゆる「オール与党」の推薦で大阪市長選に立候補して初当選。観光やスポーツ振興による都市活性化をめざす「国際集客都市」を公約し、西尾市長時代に浮上した大阪オリンピック構想をその目玉とした。 公約に基づき、任期中には多くの集客施設を開業させ、負の遺産となった(2023年9月時点でなにわの海の時空館のみ売却出来ておらず、「大阪市最後の負の遺産」として残存)。
熊谷 達人(くまがい みちひと、1930年12月7日 - 1… 熊谷 達人(くまがい みちひと、1930年12月7日 - 1977年4月12日)は、将棋棋士。贈九段。野村慶虎門下。棋士番号54。大阪府大阪市出身。 1947年10月、府立天王寺中学5年在学中に野村慶虎門下に入門。 1949年に四段に昇段。 1950年のC級2組順位戦では同率決戦に敗れて昇級はならなかったが、成績優秀により昇段。 1962年、王座戦に挑戦したが加藤一二三に0-2で敗れる。 1974年にA級に復帰するも、翌年に降級。 その後現役のまま1977年に死去。
有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日… 有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日 - 2020年〈令和2年〉12月6日)は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。位階は正三位。旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学、1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員、文部大臣(第125代)、科学技術庁長官(第58代)などを歴任した。 主に、原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績を上げた。
須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日… 須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日 - 1998年〈平成10年〉10月2日)は、日本の映画監督、脚本家。代表作に『野獣死すべし』『君も出世ができる』『蛍川』など。 大阪府大阪市西区新町で石綿(アスベスト)製造販売業の家に生まれ、旧制大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)を経て、1953年(昭和28年)東京大学経済学部を卒業し、東宝に入社。映画界入りのきっかけは、終戦直後の日本に大量に輸入された外国映画の洗礼を受けたことだった。 助監督時代に執筆したシナリオ『危険な英雄たち』が、1957年に鈴木英夫監督、石原慎太郎主演によるピカレスク(悪漢小説)・ドラマ『危険な英雄』として製作・公開され、シナリオも書ける助監督の有望株として評価を受ける。
久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989… 久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989年4月5日)は、日本の経営者。内田洋行社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法経学部経済学科を卒業し、同年に内田洋行に入社。1961年6月に取締役に就任し、1963年4月に専務を経て、1966年5月には社長に就任した。 1989年4月5日、心不全のために死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石井 威望(いしい たけもち、1930年7月26日 - 20… 石井 威望(いしい たけもち、1930年7月26日 - 2024年10月5日)は、日本のシステム工学者。東京大学名誉教授。アカデミーヒルズリサーチ・ネットワーク所長。工学博士(東京大学・1963年)。大阪市生まれ。 専門はシステム工学・マルチメディア。テクノポリス(高度技術集積都市)構想を推進し、未来社会論で独創性を見せる。著書に『日本人の技術はどこから来たか』(1997年)、『iバイオテクノロジーからの発想』(2000年)など。 東京大学に在学中、ノーバート・ウィーナーの『サイバネティックス』を読んで、医学から工学に転じた。その後、システム工学、管理工学、応用工学から人工臓器、都市交通システムまで幅広い分野で活躍したが、専門はシステム工学・マルチメディアである。
和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 20… 和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 2018年10月10日)は、日本の推理作家・弁護士。本名は古屋峻三。別名として夏目 大介(なつめ だいすけ)。写真家としての顔も持ち、日本図書館協会選定図書の写真集『日本の原風景』(1993年)も発表している。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)に京都大学法学部を卒業し中部日本新聞の記者となるが、友人から月刊文芸誌『宝石』を見せられ推理小説の魅力にとりつかれる。1960年(昭和35年)に同誌の宝石賞に応募し候補作に選ばれる。応募作『紅い月』は本名の滝井峻三名義で『宝石』に掲載され作家としてデビューした。「生まれて初めて書いた小説が雑誌に掲載されたときの私の感動は、一生涯、忘れることができないものとなりました」と和久は語っている。
戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30… 戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年(昭和5年)4月30日 - 1993年(平成5年)3月25日)は、日本の俳優・声優。大阪府大阪市出身。本名は東良 睦宏(とうら むつひろ)。 代表作に『藪の中の黒猫』・『竹山ひとり旅』・『沈黙 SILENCE』・『とべない沈黙』など。 ライター・編集者・AV監督の東良美季は息子(次男)。 旧制・上宮中学校(現在の上宮高校)を経て京都大学に進学する。 京都大学文学部英文学科在学中から演劇志望であり、大学内の劇団「風波」で活動していた。映画監督の野田幸男も、在学中に同劇団に参加している。また、同窓生の大島渚らと学生運動にも参加していた。 大学卒業後は大阪高等学校で英語教師とラグビーフットボール部顧問をしながらセミプロの劇団活動を行っていた。
坂本 幸夫(さかもと ゆきお、1930年4月19日 - )は… 坂本 幸夫(さかもと ゆきお、1930年4月19日 - )は、日本の経営者。読売ジャイアンツ広報部長、ハミングバード社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1953年に関西大学経済学部を卒業。大阪読売新聞社で記者を務め、1962年に読売ジャイアンツに出向し、1969年までに広報担当兼オーナー秘書兼広報部長を務めた。 1969年にパイオニアに転じ、販売部長と取締役を経て、1978年にはワーナーパイオニア常務に就任。 1983年にハミングバードを設立し、社長に就任。
浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月… 浅倉 久志(あさくら ひさし、本名:大谷善次、1930年3月29日 - 2010年2月14日)は、日本の翻訳家。 SF作品の翻訳で著名であり、特にカート・ヴォネガット、フィリップ・K・ディック、ウィリアム・ギブスンの作品を多く翻訳している。 また、同業者の伊藤典夫と共に、R・A・ラファティ、コードウェイナー・スミス、ジェイムズ・ティプトリー・Jr.といった異色の実力派作家を日本に紹介した。カート・ヴォネガット・ジュニアの作品も、伊藤と分担して翻訳・紹介した。 日本の代表的な海外SF翻訳家の一人である。なお、エッセイ集によると日本から外に出たことはないという。日本SF作家クラブ会員。 大阪府大阪市出身。
3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年… 3代目 桂 春団治(かつら はるだんじ、1930年〈昭和5年〉3月25日 - 2016年〈平成28年〉1月9日)は、上方落語の落語家。本名:河合 一。大阪府大阪市出身。所属事務所は松竹芸能。上方落語協会会員で死去時点で相談役、1977年から1984年までは第3代会長を務めた。出囃子は『野崎』。2代目桂春団治は実父であり師匠。 2代目桂春団治は実父、河本寿栄は義母。実母とは死別している。兄が早世したため、長男の扱いであった。 浪華商業学校(現在の大阪体育大学浪商高等学校)では野球部で夜まで練習する生活を送った。卒業後、兵庫県宝塚市の自動車部品販売会社でサラリーマンとなる。本人にも父にも落語家の道に進む考えはなかった。
高見 英一(たかみ えいいち、1930年3月18日 - )は… 高見 英一(たかみ えいいち、1930年3月18日 - )は、日本のスペイン文学者、翻訳家。法政大学名誉教授。 大阪市生まれ。1954年東京外国語大学スペイン語科卒。1957年同志社大学講師、1963年法政大学教養部講師、助教授、第一教養部教授。2001年定年退任、名誉教授。
金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)… 金森 順次郎(かなもり じゅんじろう、1930年(昭和5年)3月7日 - 2012年(平成24年)11月13日)は、日本の物理学者、理学博士。大阪大学名誉教授。位階は従三位。 第13代大阪大学総長、財団法人国際高等研究所所長、財団法人国際高等研究所上級研究員、財団法人山田科学振興財団理事長を務めた。 大阪市出身。近畿日本鉄道(近鉄)の実質的な創業者の一族に生まれたが、順次郎は嫡流でなかったこともあり、学界へと進んだ。
澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003… 澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003年7月10日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1971年)(学位論文「公害の私法的研究 」)。関西大学名誉教授。大阪府出身。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立豊中中学(現・豊中高校)、旧制浪速高校を経て、1949年大阪大学医学部に入学。その後、1953年に法学部に転部、1955年同学部を卒業。1957年大阪大学大学院修士課程修了、関西大学法学部助手。1960年同専任講師、1963年同助教授、1969年同教授に昇進。1973年から1974年まで関西大学学生部長を務め、1980年から1981年まで関西大学法学部長を務めた。
福田 紀一(ふくだ きいち、1930年2月11日 - 201… 福田 紀一(ふくだ きいち、1930年2月11日 - 2015年7月14日)は、日本の小説家。元大阪工業大学教授。 大阪市生まれ。京都大学文学部(美学美術史専攻)卒業。高校教師をしながら文筆活動をする。同人誌『VIKING』に参加。1979年『おやじの国史とむすこの日本史』によりサントリー学芸賞(社会・風俗部門)受賞。1991年から97年、大阪工業大学教授。 在阪・同窓の小松左京らと親交が深い。小松の処女長編『日本アパッチ族』の主人公、木田福一は、福田の名前から取ったものである。作品は、自己の高校教諭(日本史・世界史)としての経験に依拠したものや、歴史に因んだものが多く、また、SF的な作品もある。
辻 薫(つじ かおる、1930年1月4日- 2012年9月2… 辻 薫(つじ かおる、1930年1月4日- 2012年9月29日 )は、日本の経営者。トクヤマ社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学経済学部を卒業し、同年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1980年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1989年6月には社長に就任。1997年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 1995年11月に藍綬褒章を受章。 2012年9月29日、膀胱癌のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
畑中 幸子(はたなか さちこ、1930年 - )は、日本の文… 畑中 幸子(はたなか さちこ、1930年 - )は、日本の文化人類学者、中部大学名誉教授。専門は、オセアニア研究、民族問題研究。 大阪市生まれ。和歌山県立田辺高校(和歌山県立田辺中学校・高等学校)、早稲田大学を経て、1968年東京大学大学院社会学研究科博士課程修了、「プカルア 環礁に住むポリネシア人の社会・経済的研究」で社会学博士。ニューギニア奥地に単身居を構え、未開の民族を調査していた畑中を、友人の作家有吉佐和子が訪ねた記録は、有吉の『女二人のニューギニア』(朝日新聞社後朝日文庫)というエッセイとなっている。オーストラリア国立大学高等研究所太平洋地域研究部。金沢大学文学部助教授、教授、国立民族学博物館併任教授。
森田 康夫(もりた やすお、1930年 - )は、日本史学者… 森田 康夫(もりた やすお、1930年 - )は、日本史学者、樟蔭東女子短期大学名誉教授。 大阪市生まれ。立命館大学大学院日本史研究科修士課程修了。樟蔭東女子短期大学教授、2001年定年、名誉教授。2009年「大塩平八郎と陽明学」で立命館大学文学博士。
岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007… 岡 仁詩(おか ひとし、1929年11月10日 - 2007年5月11日)は、日本の元ラグビー選手。元ラグビー日本代表監督。日本ラグビーフットボール協会理事。同志社大学ラグビー部元監督、同大名誉教授。同大FWで活躍。同志社ラグビーの象徴ともされる存在である。
瀬尾 芙巳子(せお ふみこ、1929年8月5日-2022年)… 瀬尾 芙巳子(せお ふみこ、1929年8月5日-2022年)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は意志決定論(意思決定論ではない)、経営環境分析論。経済学博士(東京大学・1967年)。大阪市出身。
山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日… 山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日 - 2016年(平成28年)4月10日)は、日本の労働運動家。従三位。勲一等瑞宝章受章。 日本労働組合総連合会初代会長、国際郵便電信電話労働組合連盟(PTTI)会長、情報通信産業労働組合連合会委員長、全国電気通信労働組合(全電通)委員長を歴任した。 大阪市出身。行商人の子として生まれる。父親は仕事が長続きせず職を転々としており、さらに病気を患ったため、幼少期は貧しい生活を送った。啓発第二小学校を経て旧制大阪中学に進学するも、1944年(昭和19年)4月に母の実家へと疎開。同地の旧制豊岡中学に転校した。在学中の9月に海軍甲種予科練習生に志願(甲種14期生)し、防府海軍通信学校を経て1945年(昭和20年)4月15日に宇佐の第九三一海軍航空隊に配属された。
谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6… 谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6月27日 - 2011年3月8日)は、日本の国文学者、文芸評論家、書誌学者。専門は書誌学、日本近代文学。関西大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大江小学校、旧制大阪府立天王寺中学校(現在の大阪府立天王寺高等学校)を経て、1947年関西大学予科に入学。1952年関西大学文学部国文学科卒業。1955年関西大学文学部助手、1957年関西大学大学院文学研究科博士課程単位取得。1959年同大学文学部専任講師、1962年同助教授、1968年同教授。1972年「日本近代文学評論史研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。 1980年、書評コラムを集めた『完本 紙つぶて』でサントリー学芸賞を受賞。
岡村 泰孝(おかむら やすたか、1929年6月13日 - 2… 岡村 泰孝(おかむら やすたか、1929年6月13日 - 2011年12月22日)は、大阪市生まれの戦後第17代検事総長。弁護士。位階は正三位。
永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20… 永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20日 - 2026年〈令和8年〉2月23日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市出身。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。 日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2… 伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2004年9月1日)は、日本のロシア語翻訳家、出版編集者、ロシア語教育者。 現在の大阪府大阪市旭区森小路生まれ。大阪市立中大江東小学校、山水中学校、仙台幼年学校、茨城県立下妻中学校を経て、東京外国語大学ロシア語科卒業。新読書社社長、本郷ロシア語クールス主宰。レーニン、クルプスカヤ夫妻に関心が深く教育学関係図書の翻訳を多く行った。 2004年9月1日、脳幹梗塞のため死去。
廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評… 廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評論家。元産経新聞社大阪文化部記者・編集委員。 大阪市生まれ。樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国文科卒業後、産経新聞社入社。大阪文化部で古典芸能や宝塚歌劇など舞台を中心とした記事に携わる。司馬遼太郎とは文化部の同僚であった。 演劇・演芸評論家として雑誌・新聞などに多数の評を執筆。書籍や各種パンフレットなどの執筆、大阪市文化財保護審議会委員、大阪文化祭賞選考委員、人形浄瑠璃因協会理事、文化庁芸術選奨(演劇部門・古典芸能部門・大衆芸能部門・舞踊部門)選考委員なども務める。
玉井 敬之(たまい たかゆき、1929年 -2026年 )は… 玉井 敬之(たまい たかゆき、1929年 -2026年 )は、日本近代文学研究者。学位は、文学博士(関西大学・論文博士・1978年)(学位論文「夏目漱石論」)。同志社大学教授・武庫川女子大学教授を歴任。 大阪市生まれ。関西大学文学部国文科卒。1978年「夏目漱石論」で関西大学より文学博士の学位を取得。同志社大学教授、2000年定年、武庫川女子大学教授。
阪田 誠造(さかた せいぞう、1928年(昭和3年)12月2… 阪田 誠造(さかた せいぞう、1928年(昭和3年)12月27日 - 2016年(平成28年)7月21日)は、日本の建築家。 大阪府大阪市出身。1951年(昭和26年)、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年坂倉準三建築研究所入所。 1969年(昭和44年)の坂倉準三死去に伴い、西沢文隆らと共に坂倉建築研究所を設立し、取締役東京事務所長、1985年(昭和60年)から1999年(平成13年)まで代表取締役、1999年(平成13年)以後は最高顧問を務めた。 1990年(平成2年)から1991年(平成3年)まで新日本建築家協会副会長、1993年(平成5年)から1999年(平成11年)まで明治大学理工学部建築学科教授を務めるなど、建築界の発展や教育にも貢献した。
藤田 宏(ふじた ひろし、1928年12月7日 - )は、日… 藤田 宏(ふじた ひろし、1928年12月7日 - )は、日本の数学者。専門は関数解析学、偏微分方程式。東京大学名誉教授。大阪市出身。幼少期から中学校まで愛媛県新居浜市久保田町に在住。 1948年東京大学理学部物理学科入学。当時は小平邦彦、久保亮五、山内恭彦、今井功、高橋秀俊らが教鞭をとっていた。1952年卒業後、同大学院に進学し、物理学教室(加藤敏夫)に所属。 1956年同助手。1960年東京大学工学部応用物理学科講師。応用物理学科時代前半にスタンフォード大学へ留学。1964年に帰国してからまもなく併任助教授として東京大学理学部数学科でも教鞭をとるようになった。1966年より東京大学理学部数学科教授。
入谷 正典(いりたに まさのり、1928年10月15日 - … 入谷 正典(いりたに まさのり、1928年10月15日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
水谷 昭夫(みずたに あきお、1928年8月28日 - 19… 水谷 昭夫(みずたに あきお、1928年8月28日 - 1988年12月2日)は、日本近代文学研究者。大阪府大阪市生まれ。キリスト教の観点から日本近代文学を論じた。
藤沢 友吉郎(ふじさわ ともよしろう、1928年7月26日 … 藤沢 友吉郎(ふじさわ ともよしろう、1928年7月26日 - )は、日本の経営者、薬学博士。藤沢薬品工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に東北大学理学部化学科を卒業し、同年に藤沢薬品工業に入社。1970年11月に取締役に就任し、1972年11月に常務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1978年1月には社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1998年6月に取締役相談役を経て、2005年4月からアステラス製薬相談役を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2002年11月に勲二等瑞宝章を受章。
森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013… 森 浩一(もり こういち、1928年7月17日 - 2013年8月6日)は、日本の考古学者。同志社大学名誉教授。専門は、日本考古学・日本文化史学。 大阪府大阪市出身。少年時代は堺市近郊に住み、尋常小学校の国史の国定教科書における記紀神話と、堺市の百舌鳥古墳群を通じて、古墳及び陵墓への関心を抱く。大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)卒業。1951年に同志社大学文学部英文学科卒業、1957年、同大学院文学研究科文化史学専攻修士課程修了。学生時代から古墳の発掘と報告書作成に取り組む(例:黄金塚古墳)。学生考古学研究会も創設(後に古代学研究会)。 卒業後は府立泉大津高校の教諭を務める傍ら、新沢千塚(奈良県橿原市)など古墳の発掘に従事。
安岡 重明(やすおか しげあき、1928年7月5日 - 20… 安岡 重明(やすおか しげあき、1928年7月5日 - 2017年6月12日)は、日本の経済学者・経営学者・歴史学者。同志社大学名誉教授。専門は、日本経済史・経営史。学位は、経済学博士(大阪大学・1959年)。近世経済史研究を皮切りに、主に近現代経済史・経営史特に三井財閥に関する研究で知られる。 大阪府大阪市出身。1953年大阪大学経済学部卒業。1959年同大学院博士課程修了、経済学博士の学位を授与される。同年同志社大学助手。1967年同大学教授。1980年同大学商学部長。1986年同大学教務部長を経て1999年同大学名誉教授。 2009年4月瑞宝中綬章受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
市原 明(いちはら あきら、1928年(昭和3年)6月20日… 市原 明(いちはら あきら、1928年(昭和3年)6月20日 - 2018年(平成30年)11月20日)は、日本の医学者(酵素病理学者)である。医学博士。 大阪市出身。市原硬大阪大学名誉教授の子。1952年(昭和27年)大阪大学医学部を卒業。1954年(昭和29年)から1957年(昭和32年)までアメリカに留学し、カルフォルニア大学、ジョンズ・ホプキンズ大学で学んだ。 1959年(昭和34年)大阪大学歯学部助教授に就任。1965年(昭和40年)徳島大学医学部教授に転じた。同大酵素科学研究センター長を務め、名誉教授となった。指導学生に田中啓二がいる。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。
黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8… 黒田 実郎(くろだ じつお、1928年6月1日-1999年8月18日)は、幼児心理学者。 大阪市生まれ。1952年関西学院大学大学院心理学博士課程満期退学、ロンドン大学大学院心理学博士課程修了、聖和女子短期大学専任講師、55年助教授、61年教授、64年聖和女子大学教授、1970年「条件づけによる幼児の行動変容に関する実験研究」で関西学院大学文学博士。80年聖和大学教育学部教授。99年定年退任。没後正五位勲三等瑞宝章受勲。ジョン・ボウルビィのアタッチメント理論の権威であった。