新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 20… 新堀 通也(しんぼり みちや、1921年6月26日 - 2014年3月24日)は、日本の教育学者・社会学者。学位は、文学博士(広島大学・1961年)。広島大学名誉教授、武庫川女子大学名誉教授。 神戸市出身。第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)・広島高等師範学校を経て、1942年10月広島文理科大学に入学。卒業直前の1945年8月6日に広島市への原子爆弾投下により被爆。同年9月広島文理科大学教育学科を卒業。稲富栄次郎に師事。卒業の翌日、広島女子高等師範学校教諭に就任、翌年広島高師助教授に転任。1951年、広島大学教育学部助教授に配置換えとなり、1971年同教授。1968年からは広島大学助教授併任のまま文部省社会教育官として3年間つとめ、広島大学では教育学部長・大学教育研究センター長などの役職を歴任。
渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 20… 渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 2008年11月19日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1942年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1945年に山陽電気鉄道に入社。1966年11月に取締役に就任し、1973年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1986年6月に会長を経て、1991年6月から相談役を務めた。 2008年11月19日に死去。87歳没。
小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994… 小峰 元(こみね はじめ、1921年3月24日 - 1994年5月22日)は、日本の小説家。 1921年、兵庫県神戸市に生まれる。本名は廣岡 澄夫。姫路商業学校、大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)スペイン語科卒業後、貿易商、教員等を経て昭和18年、毎日新聞社に入社。毎日新聞社では大阪本社編集局整理部デスク、高松支局、金沢支局などを経て、大阪本社編集委員となる。新聞社時代の後輩としては作家の長井彬がいる。太平洋戦争終結(終戦)のすぐあとから短編小説を執筆する。1948年、雑誌「百面相」にて「仮面の花嫁」を発表、またこの年「百万塔の秘密」を刊行した。その後も少年向け小説を執筆する。毎日新聞社在職中、1973年に『アルキメデスは手を汚さない』で第19回江戸川乱歩賞を受賞する。
小松 康(こまつ こう、1921年3月14日 - 1999年… 小松 康(こまつ こう、1921年3月14日 - 1999年3月19日)は、日本の実業家。住友銀行元頭取。兵庫県神戸市出身。 1946年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1973年4月には常務に就任。常務時代に経営破綻に陥っていた総合商社安宅産業の社長として、出向し、同社の清算と伊藤忠商事との合併を取り仕切った。 1977年10月に住友銀行に復帰し、専務に就任し、1981年6月に副頭取を経て、1983年11月から1987年10月までに頭取を務めた。1986年に平和相互銀行を吸収合併し、アメリカのゴールドマン・サックスへの出資などで積極的な経営姿勢に評価され、1986年に英国金融雑誌の「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。
伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 20… 伊藤 慎一(いとう しんいち、1921年1月10日 - 2014年10月20日)は、新聞学者。 神戸市出身。1944年東京帝国大学文学部卒。1947年サン写真新聞入社、1950年日本新聞協会に入り、放送課長、編集課長、調査委員、1970年東京大学新聞研究所教授、76年同所長、81年定年退官、名誉教授、文教大学教授、1988年帝京大学教授。91年退職。
馬淵 秀夫(まぶち ひでお、1920年11月12日 - 20… 馬淵 秀夫(まぶち ひでお、1920年11月12日 - 2013年2月19日)は、日本の経営者。日本酸素社長、会長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1943年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三菱商事に入社。1976年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1984年6月に副社長を経て、1986年7月に日本酸素常勤顧問に就任し、同年9月には社長に昇格。1991年6月から1996年12月までに会長を務めた。 1993年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2013年2月19日急性冠症候群のために死去。92歳没。
末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 … 末元 善三郎(すえもと ぜんざぶろう、1920年8月28日 - 1991年12月5日)は、日本の天文学者。専門は、天体物理学、とりわけ太陽物理学。1967年日本学士院賞受賞、1991年勲二等瑞宝章受章。 兵庫県神戸市出身(出生地は富山県)。旧制神戸一中、第一高等学校を経て東京帝国大学理学部天文学科に進学し、東大では萩原雄祐に天体物理学を学んだ。
瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6… 瓜生 卓造(うりゅう たくぞう、1920年(大正9年)1月6日 - 1982年(昭和57年)6月1日)は、日本の小説家、随筆家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。 息子は瓜生中(うりゅう なか)で同じく作家。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10… 後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10月12日)は、日本の経済学者・経済思想史研究家。 神戸市生まれ。兵庫県第二神戸中学校(「神戸二中」、現在の兵庫県立兵庫高等学校)卒業。兵庫県立神戸高等商業学校(のちの神戸商科大学、現在の兵庫県立大学)を経て神戸大学卒業。指導教官は福田徳三門下の宮田喜代蔵。近畿大学商経学部元教授。思想の科学研究会会員。 マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるカルヴァン派に相当するものが、日本における浄土真宗であると考え、『真宗と資本主義』(所書店、1973年)を著した。また恩師と同じ福田門下である大熊信行の着想を展開させた『配分の経済学』(同文館出版、1977年)を出版した。
深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1… 深見 安博(ふかみ やすひろ、1919年11月26日 - 1972年4月9日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 19… 浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商業大学を卒業し、1946年10月に神戸銀行に入行。1967年5月に取締役に就任し、1968年10月に常務、1976年10月に太陽神戸銀行専務を経て、1978年6月に阪神相互銀行会長に就任。1981年6月には社長に就任。 1982年8月29日胃潰瘍のために死去。62歳没。
村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 19… 村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商科大学を卒業し、同年に東京ガスに入社。1969年9月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1976年1月に社長に就任。エネルギー産業の近代化を推進し、1969年には東京電力と共同でアラスカ産の液化天然ガスを導入した 1979年に藍綬褒章を受章。 1981年7月1日肝不全のために死去。61歳没。
武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月… 武田 繁太郎(たけだ しげたろう、1919年(大正8年)8月20日 - 1986年(昭和61年)6月8日)は、日本の小説家。兵庫県神戸市生まれ。早稲田大学独文科卒。 早稲田大学在学中に同人誌「炬火」に参加。 芥川賞候補に4回推されるが、いずれも受賞を逸した。 1960年作の「自由ヶ丘夫人」(光文社)はベストセラーとなり、1960年8月に映画化(東宝、監督佐伯幸三。出演:新珠三千代・池部良・淡路恵子・安西郷子・加東大介・浜美枝・有島一郎・杉葉子)されて、自由が丘の高級住宅街としてのイメージアップにつながった。また全国に「〜丘」という地名が出来るきっかけともなった。この他に「芦屋夫人」(1959年)、「銀座夫人」(1962年)がある。
後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 20… 後藤 磯吉(ごとう いそきち、1919年3月30日 - 2011年8月22日)は、兵庫県神戸市出身の実業家。はごろもフーズ元社長。シーチキンの生みの親。静岡県静岡市の名誉市民。 はごろもフーズ代表取締役会長の後藤康雄は、磯吉の次男。社長の後藤佐恵子は、康雄の長女(磯吉の孫)である。 1919年、兵庫県神戸市生まれ。山口高等商業学校経済研究科(現・山口大学経済学部)卒業。はごろもフーズの前身である後藤物産を創業者の先代から引き継ぎ、1947年後藤物産社長に就任。その後、社名を後藤物産缶詰、後藤缶詰、はごろも缶詰に改称。社長を務める。1987年にはごろもフーズに改称して同社長から同会長。2007年同社顧問に就任する。
直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - … 直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日 - 2019年2月2日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1969年)。日本古代史研究を代表する研究者。 1919年、兵庫県神戸市で生まれた。1936年、兵庫県立第一神戸中学校を卒業。1938年、第一高等学校文科乙類へ入学。1941年に第一高等学校を卒業し、 京都帝国大学文学部史学科に進んだ。太平洋戦争の時局悪化に伴い、1943年に京都帝国大学文学部国史学科を卒業。卒業後は、海軍土浦海軍航空隊に入隊した。 1945年、終戦により復員。最終的な階級は海軍中尉であった。翌1946年、京都帝国大学特別研究生として研究の道に戻った。
梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 200… 梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 2008年5月21日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党参議院議員(3期)。兵庫県神戸市出身。1990年勲一等瑞宝章受章。 1942年京都帝国大学農学部農林工学科卒業後、農林省に入省。農地局建設部長を退官後の1971年、参議院議員選挙に全国区から全国土地開発事業団を支持団体に自民党公認で出馬し初当選。 なお、この選挙を通じて選挙違反で関係者が17人逮捕されたほか、岡山県和気町議会副議長、町議員ら3人が被供応(料亭で梶木派関係者からもてなしを受けたもの)、文書頒布による選挙違反の疑いで逮捕されている。 その後比例代表区に回り連続当選3回。自民党内では佐藤栄作→田中角栄→竹下登派に所属し、大蔵政務次官(三木武夫内閣)、環境庁長官(第1次中曽根内閣)、自民党参議院幹事長などを歴任した。
末永 隆甫(すえなが たかすけ、1918年 <大正7年> 1… 末永 隆甫(すえなが たかすけ、1918年 <大正7年> 11月8日 - 2004年 <平成16年> 1月25日)は、日本の経済学者。専門は経済学史。大阪市立大学(現大阪公立大学)名誉教授。元神戸商科大学(現兵庫県立大学)学長。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校(現兵庫県立神戸高等学校)を経て、1941年東京商科大学(現一橋大学)卒業。杉本栄一や高島善哉に師事した。同年から早川泰正とともに企画院嘱託として調査部で勤務した。1942年第54師団輜重兵部隊入隊。1946年大阪市立大学経済学部助手着任。1949年大阪市立大学経済学部助教授。1955年大阪市立大学経済学部教授。1962年大阪市立大学経済学博士。
佐々木 崑(ささき こん、1918年11月2日 - 2009… 佐々木 崑(ささき こん、1918年11月2日 - 2009年3月27日)は、日本の写真家。兵庫県神戸市出身。本名、幸一。 昆虫や小動物、花などのネイチャーフォトの草分け的存在。誕生や羽化の瞬間を撮り続け、「小さい生命」としてアサヒカメラ誌に23年間256回連載した。また、昭和を代表する写真家、木村伊兵衛の数少ない弟子の一人である。 1918年、中国・青島に生まれる。幼少期に神戸に移る。小学6年生の時、トーゴーカメラを購入し、写真の魅力を知る。同じ頃、セスナの遊覧飛行を体験し、飛行機の魅力にも惹かれた。 1936年、神戸村野工業学校(現 神戸村野工業高等学校)卒業後に上京、日本理科工業(現 大陽日酸)にて設計に従事する。
高木 盛久(たかぎ もりひさ、1918年10月25日 - 2… 高木 盛久(たかぎ もりひさ、1918年10月25日 - 2000年8月12日)は、日本テレビ放送網最高顧問。兵庫県神戸市出身。陸軍少尉。趣味、特技はゴルフと読書。
大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 19… 大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 1990年11月9日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者、サッカージャーナリスト。東洋紡元社長の大谷一二は実兄。また、俳優の大谷亮介は長男、高畑裕太は孫である。 1918年4月23日神戸市御影生まれ。内海紡績常務取締役を務めた大谷恭助の四男として生まれる。御影師範学校附属小学校時代からサッカーに親しみ、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)でサッカー部に入部。1934年の全国招待大会、1935年の全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)に優勝し、2年連続全国大会制覇を達成した。第一高等学校(文科乙類)在学時代にも得点力のあるFWとして活躍。
坂野 惇子(ばんの あつこ、1918年4月11日 - 200… 坂野 惇子(ばんの あつこ、1918年4月11日 - 2005年9月24日)は、日本の実業家。アパレルメーカーファミリア創業者として知られる人物である。 1918年4月11日、兵庫県神戸市出身で、父はレナウン創業者で昭和時代に貴族院議員を務めた佐々木八十八。 1931年に甲南高等女学校に入学、1936年に甲南高等女学校を卒業。東京市へ上京し、東京女学館高等科の聴講生として学んでいる。 1940年、惇子は坂野兼通(山口銀行総理事)の子息、坂野通夫と結婚し、1943年に長女を出産した。その際に外国人専門の乳幼児看護師から外国式の育児法を教示される。 第二次世界大戦の進行と共に夫が大日本帝国海軍の軍属としてインドネシアに赴任。
佐藤 國吉(さとう くにきち、1917年11月16日 - 2… 佐藤 國吉(さとう くにきち、1917年11月16日 - 2002年6月18日)は海事実業家、元佐藤国汽船会長及び、元日本内航海運組合総連合会名誉会長。 兵庫県神戸市生まれ、1941年(昭和16年)12月慶応義塾大学経済学部卒業。佐藤國汽船に入社、1964年(昭和39年)公団共有船主協会副会長就任、1966年(昭和41年)日本船主協会理事及び、海運造船合理化審議会専問委員就任。1968年(昭和43年)全日本内航船主海運組合会長就任。1972年(昭和47年)船員中央労働委員会委員就任。1973年(昭和48年)神戸海運業組合長就任及び、日本押船土運船協会会長就任。1975年(昭和50年)日本近海船主協同組合理事長就任。
新間 進一(しんま しんいち、1917年9月3日 - 200… 新間 進一(しんま しんいち、1917年9月3日 - 2005年12月11日)は、日本の国文学者。北海道大学助教授・青山学院大学教授を経て、青山学院大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。東京芝生まれ。父は神戸市日蓮宗妙法華院住職・新間智啓。神戸一中、六高を経て、1940年東京帝国大学文学部国文学科卒、同大副手。佐佐木信綱に師事した歌人でもある。1946年白百合女子専門学校教授、1950年北海道大学文学部助教授、1957年文部省教科書調査官、1966年青山学院大学教授、1986年定年、名誉教授。中古・中世和歌と近代短歌を研究、特に「梁塵秘抄」と与謝野晶子研究で知られる。2005年、呼吸不全のため88歳で死去。
津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日 - 1979… 津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日 - 1979年4月17日)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。兵庫県神戸市出身。 第一神戸中学校時代に二宮洋一、直木和らと共に1933年に全国中等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で優勝。卒業後には二宮と共に慶應義塾大学へ進学し、体育会ソッカー部へ入部。レギュラーの座を掴むと関東大学サッカーリーグ戦4連覇(1937年、1938年、1939年、1940年)、1937年の全日本総合蹴球選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝、慶應BRB(現役選手とOBからなる混成チーム)の一員として1936年、1939年、1940年の全日本総合蹴球選手権大会 優勝に貢献した。
浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 -… 浜口 庫之助(はまぐち くらのすけ、1917年7月22日 - 1990年12月2日)は、日本のソングライター。兵庫県神戸市出身。愛称はハマクラ。府立四中卒業、早稲田大学中退。青山学院大学商学部卒業。パーカッショニストの浜口茂外也は子。元女優の渚まゆみは妻。
織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日… 織田 重治(おだ しげはる、1917年(大正6年)6月29日 - 1995年(平成7年))は、大阪通管工業所の創業者で、アマチュアの古代史研究家。フィギュアスケート選手・織田信成の祖父。 兵庫県神戸市生まれ。1966年(昭和41年)家庭用下水配管の洗浄業を大阪市浪速区桜川で個人経営として創業。1968年(昭和43年)4月、家庭用下水配管の洗浄業を有限会社大阪通管工業所に改組する。 1983年(昭和58年)大阪医科大学の解剖学実習のための献体組織「さつき会」の初代会長となる。1985年(昭和60年)3月、「好太王碑文」の改竄説否定と碑文の再解析のために、古田武彦に従い藤田友治ら21名と訪中して「好太王碑」の現地調査を行う。
砂田 重民(すなだ しげたみ、1917年3月4日 - 199… 砂田 重民(すなだ しげたみ、1917年3月4日 - 1990年9月24日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員、文部大臣、沖縄開発庁長官兼北海道開発庁長官などを務めた。父は自民党総務会長を務めた砂田重政。従弟は元衆議院議員の砂田圭佑。 兵庫県神戸市出身。暁星学園を経て、立教大学経済学部卒業。河野一郎の秘書を経て、1963年の第30回衆議院議員総選挙に父・重政の後継者として旧兵庫1区から出馬し初当選。当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮などがいる。以後2回連続当選後、3期目途中で議員を辞職し、1972年の神戸市長選挙に、自民党と袂を分かった現職の宮崎辰雄に挑む形で立候補したが落選。
水の也 清美(みずのや きよみ、1916年8月18日 - 没… 水の也 清美(みずのや きよみ、1916年8月18日 - 没年不詳)は、日本の女優である。兵庫県神戸市出身。本名は水谷 貞(みずたに さだ)(根沢 貞子とも)。宝塚歌劇団時代の芸名は左近 八重子(さこん やえこ)。愛称はサアちゃん。 兵庫生まれで兄三人姉一人妹一人がいた。水谷八重子は叔母で9歳のときに叔母とともに初舞台を踏む。幼少期は芸術座にいて芸術座童話劇部として活動していた。東京府立第五高等女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校)を三年で中退、宝塚音楽歌劇学校(現在の宝塚音楽学校)に入る。1931年に宝塚少女歌劇団の21期生として入団。同期に轟夕起子、服部富子がいた。1932年4月、『フーピー・ガール』で初舞台を踏んだ。
亀井 正夫(かめい まさお、1916年4月20日 - 200… 亀井 正夫(かめい まさお、1916年4月20日 - 2002年6月23日)は、日本の実業家。住友電気工業元社長、会長。関西国際空港株式会社元会長。住友老壮会会長。社会経済生産性本部元会長。国鉄再建監理委員会委員長。政治改革推進協議会会長。「新しい歴史教科書をつくる会」の賛同者。新しい日本をつくる国民会議元会長。勲一等旭日大綬章受章。 1916年兵庫県神戸市生まれ。旧制第一神戸中学校から岡山の旧制第六高等学校を経て1939年東京帝国大学法学部卒業。同年住友本社入社。1946年住友電気工業入社。1973年社長、1982年会長を経て1991年相談役に就任。1992年日本生産性本部会長。2001年より住友老壮会会長となる。
下畑 卓(しもはた たく、1916年1月30日 - 1944… 下畑 卓(しもはた たく、1916年1月30日 - 1944年4月10日)は、日本の児童文学作家。
殿山 泰司(、1915年10月17日 - 1989年4月30… 殿山 泰司(、1915年10月17日 - 1989年4月30日)は、日本の俳優、エッセイスト。 兵庫県神戸市出身。中央区立泰明小学校、東京府立第三商業学校中退。終戦後の日本映画界において独特の風貌で名脇役として活躍した。ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している。また、波乱万丈なその人生は、映画化もされている。 神戸の生糸商の長男として生まれる。幼名は殿山泰爾()である。父親は広島県生口島出身。6歳の頃に父親の事業が破綻して両親は別居。父とその愛人(泰司の義母となる)について上京し、東京府東京市中央区銀座で少年時代を過ごす。このとき父と義母が出したおでん屋が、銀座五丁目から移転し今も日本橋で営業をつづける「お多幸本店」である。
毛利 圭太郎(もうり けいたろう、1915年9月29日 - … 毛利 圭太郎(もうり けいたろう、1915年9月29日 - 2009年5月19日)は、日本の気象技官。気象庁長官を務めた。 兵庫県神戸市出身。1938年に東京帝国大学理学部天文学科を卒業し、同年に気象庁に入庁。1970年に札幌管区気象台長、1973年に予報部長を経て、1974年から1976年までに長官を務めた。1976年には国立国会図書館専門調査員に就任。 2009年5月19日に老衰のために死去。93歳没。
高橋 孝吉(たかはし こうきち、1915年9月20日 - 1… 高橋 孝吉(たかはし こうきち、1915年9月20日 - 1987年1月24日)は、日本の実業家、工学博士。神戸製鋼所社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1915年9月20日熊本県で生まれる。1938年に大阪帝国大学理学部を卒業し、同年に神戸製鋼所に入社した。1966年に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1977年10月から社長に就任した。1983年6月から会長に就任した。 日本溶接棒工業会、日本伸銅協会、日本産業用ロボット工業会、軽金属溶接構造協会の各会長、中東協力センター、造水促進センターの各理事長なども歴任した。 1977年11月に藍綬褒章を受章し、1985年に製鉄功労賞を受章した。
竹中 宏平(たけなか こうへい、1915年8月24日 - 1… 竹中 宏平(たけなか こうへい、1915年8月24日 - 1977年8月24日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1938年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、同年に竹中工務店に入社。取締役を経て、1945年2月に副社長に就任し、1977年3月には社長に就任。 1977年8月24日肝硬変のために社長在任中に死去。62歳没。
岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4… 岡部 桂一郎(おかべ けいいちろう、1915年(大正4年)4月3日 - 2012年(平成24年)11月28日)は歌人。 兵庫県神戸市生まれ。神戸尋常小学校、関西学院中等部を経て、熊本薬学専門学校(現熊本大学薬学部)卒業。 1937年(昭和12年)、山下陸奥の歌誌「一路」入会。1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)にかけて、作歌を中断。1947年(昭和22年)、上京し国立習志野病院の薬局長として勤務。1948年(昭和23年)、「一路」を退会し、山形義雄、芝山永治らと「工人」を創刊。1950年(昭和25年)、金子一秋、葛原繁、三木あや、山崎一郎らとともに「泥の会」の活動を開始。1954年(昭和29年)、山崎方代らと同人誌「黄」を創刊。
中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1… 中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1992年11月18日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(4期)。総理府総務長官、沖縄開発庁長官、危機管理担当大臣などを務めてきた。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、農林省に入省。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、1941年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業。陸奥に配属。1942年10月、特設巡洋艦りおん丸主計長となりラボールに赴任し、航空用ガソリン輸送に従事。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進む。1944年1月、ラボールで戦傷を受け、同年5月、海軍病院を退院し、海軍省兵備局第3課兼運輸総局船員局に転じて終戦を迎えた。
村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 19… 村田 知栄子(むらた ちえこ、1915年2月28日 - 1995年11月)は、日本の女優である。本名は村田 美代子(むらた みよこ)。兵庫県神戸市出身。元夫は俳優の見明凡太朗。姉の嘉寿代は「村田扶実子」の芸名で、芸術座や大映で活躍した女優。 旧芸名→村田智栄子→村田千栄子→村田千英子→村田知栄子→村田知英子。特技は三味線。 兵庫県御影師範学校附属小学校(現:神戸大学附属住吉小学校)、および松蔭高等女学校(現:松蔭中学校・高等学校)卒業。 1933年に日活太秦に入社。伊奈精一監督の現代劇映画『大東京曇後晴れ』にデビューする。明朗な娘役として売り出し、『夢に見る母』、『嫁ぐ日』などの作品に主演。1936年日活多摩川撮影所に移り、『人生劇場』で小杉勇と共演し、『恋は雨に濡れて』では岡譲二、時代劇『裸の町』では島耕二の相手役を務めた。
野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 -… 野間 宏(のま ひろし、1915年(大正4年)2月23日 - 1991年(平成3年)1月2日)は、日本の小説家・評論家・詩人。 大学時代の左翼運動と出征経験から、戦後『暗い絵』を書いて第一次戦後派の先頭に立ち、特に『真空地帯』は大きな反響を呼んで戦後文学の記念碑的名作となった。その後は社会全体の構造をとらえる全体小説を志向し、次々と大作を発表。文学の国際交流にも尽力し、また最晩年まで社会的な発言を多く行った。部落外の出身者だが部落解放同盟中央委員となった
吉川 勇次(よしかわ ゆうじ、1915年1月20日 - 19… 吉川 勇次(よしかわ ゆうじ、1915年1月20日 - 1977年2月6日)は、日本のヤクザ。暴力団三代目山口組若頭補佐、初代吉川組組長。三重県度会郡出身。 大正4年(1915年)三重県度会郡に生まれた。 大正8年(1919年)、兵庫県神戸市に移住した。 昭和6年(1931年)、神戸二中(後の兵庫県立兵庫高等学校)に入学した。田岡一雄(後の三代目山口組組長)らと喧嘩を繰り返した。その後、父親の病死で神戸二中を中退した 昭和20年(1945年)終戦後、田岡一雄と再会した。 同年、田岡が神戸市兵庫区下沢通りで田岡組を作った。吉川勇次も田岡組に参加した。戦後の混乱で警察力は弱体化していた。田岡は、街や闇市の警備のために、神戸市新開地の「花月劇場を本拠地に「自警団」を結成し、闇市への不良在日外国人の干渉を排除した。
播磨 幸太郎(はりま こうたろう、1915年 - 1953年… 播磨 幸太郎(はりま こうたろう、1915年 - 1953年7月19日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。兵庫県神戸市出身。 兵庫県御影師範学校附属小学校を経て、兵庫県立第一神戸中学校(神戸一中、現:兵庫県立神戸高等学校)に入学し、サッカー部に所属。右近徳太郎が2年先輩に、直木和、津田幸男および二宮洋一が1年後輩に当たる。1933年1月に開催された第15回全国中等学校蹴球選手権大会での優勝に貢献した。 1933年に神戸一中を卒業して、慶應義塾大学予科に入学。慶應入学後よりソッカー部に所属して予科1年次よりレギュラー選手となった。また、在学中には慶應BRBで1度(1936年)、慶應義塾大学として1度(1937年)の計2回全日本選手権(現在の天皇杯全日本サッカー選手権大会)で優勝した。
畑江 五郎(はたえ ごろう、1915年 - 1980年11月… 畑江 五郎(はたえ ごろう、1915年 - 1980年11月9日)は、日本の競走馬生産者、馬主。 兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学法学部卒業後の1941年、北海道・日高に渡り、牧場を開設して学生時代から思い描いていた競走馬生産を始める。牧場を開設するにあたり、当時の馬産牧場の最大手であり名門でもあった小岩井農場からフロラヴァースを譲り受けるなどして自身の理想を実現しようと力を入れていた。 第二次世界大戦末期の1944年、赤紙が届く。出征前、牧場所有の繁殖牝馬を保存しておくように家族に命じていたという。 畑江は中国大陸での戦闘に従事。1945年の第二次世界大戦終結後、ソ連軍の捕虜となり、シベリア抑留を経験することとなる。
戸田 藤一郎(とだ とういちろう、1914年11月22日 -… 戸田 藤一郎(とだ とういちろう、1914年11月22日 - 1984年7月11日)は、兵庫県神戸市出身の元プロゴルファー。本名「阪野 藤一郎」。 戦前、戦後を通じ「トイチ」のニックネームで天才プロと謳われた。 実家の近くに日本で2番目に出来たゴルフコース「横屋ゴルフ・アソシエーション」があり、近所に住んでいた日本プロ第1号の福井覚治にゴルフを教えてもらった。小学生の時からキャディを始め、客のプレーを盗み見しながらゴルフを覚える。 1933年に出来たばかりの廣野ゴルフ倶楽部にプロ助手として入社し、この頃は200ヤード先にある松を目標に、毎日何百発、何千発とアイアンで打ち込み、ついに松を枯らしてしまったことがあった。
吉利 一雄(よしとし かずお、1914年8月26日 - 19… 吉利 一雄(よしとし かずお、1914年8月26日 - 1992年10月17日)は、日本の経営者。塩野義製薬社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1937年に神戸商業大学を卒業し、同年に塩野義製薬に入社した。取締役、常務、専務を経て、1983年2月に社長に就任。社長在任時には研究開発体制の強化に力を入れた。1992年6月に会長に就任した。 1992年10月17日、急性心不全のために死去。78歳没。
牧野 耕二(まきの こうじ、1914年3月7日 - 2003… 牧野 耕二(まきの こうじ、1914年3月7日 - 2003年4月17日)は、日本の経営者。住友信託銀行社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1939年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。1960年5月に取締役に就任し、1963年11月に常務、1969年5月に専務、1972年5月に副社長を経て、1976年9月には社長に就任。1979年9月に会長に就任し、1984年6月に取締役相談役を経て、1990年6月には相談役に就任。 関西経済同友会幹事、南海電気鉄道、江崎グリコ、読売テレビ放送で各取締役なども歴任。 2003年4月17日に膵臓癌のために死去。89歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
保田 清(やすだ きよし、1913年 <大正2年> 11月1… 保田 清(やすだ きよし、1913年 <大正2年> 11月19日 - 1999年 <平成11年> 3月23日)は、日本の倫理学者。京都大学名誉教授。位階は正四位。 兵庫県神戸市生まれ。1937年京都帝国大学文学部卒業、大学院に進む。1943年大学院特別研究生。1950年京大教養部専任講師、1951年助教授、1962年教授、1977年定年退官、名誉教授。 1987年、勲三等旭日中綬章を受章。1993年「道徳哲学の基本」で、80歳にして文学博士。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日 - 2… 杉本 俊朗(すぎもと としろう、1913年10月1日 - 2012年9月27日)は、マルクス経済学者。横浜国立大学名誉教授。専門は国際経済学、経済書誌学。経済学者の平田喜彦は娘婿。 神戸市生まれ。1934年武蔵高等学校高等科文科乙類卒業。東京帝国大学経済学部に入学。大内兵衛ゼミで学ぶ。東京学生消費組合赤門支部の委員として活動。1937年に大学を卒業し、東洋経済新報社編集局に勤務。1940年に東洋経済記者の禰屋不二夫が石橋湛山主幹の京城支局への転勤命令を断り、9月9日付で退社。同僚若手記者らは石橋のワンマンぶりに反発し、杉本俊朗、細野宰男(のち細野武男に改名)、遊部久蔵、中野正の4名が9月13日付で退社した(のちに国松藤一も退社。
本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)… 本儀 静(もとぎ しずか、旧姓:高橋、1913年(大正2年)7月16日 - 没年不明)は、日本のピアニスト。元徳島文理大学音楽学部教授。元甲南大学文学部講師。 東京音楽学校ピアノ科卒業。兵庫県神戸市出身。 兵庫県神戸市出身。1935年(昭和10年)に東京音楽学校ピアノ科(現:東京芸術大学音楽学部)を卒業し、ピアノを高折宮次、レオ・シロタ、森昭子に師事する。 1951年(昭和26年)から1974年(昭和49年)まで甲南大学文学部で講師を務め、徳島女子大学音楽学部で講師・教授となり、同大学が改称した徳島文理大学音楽学部で教授を務めた。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。
石川 三郎(いしかわ さぶろう、1913年4月27日 - 1… 石川 三郎(いしかわ さぶろう、1913年4月27日 - 1999年11月1日)は、日本の経営者。日本触媒化学工業社長を務めた。兵庫県神戸市出身。位階は正五位。 1936年に京都帝国大学工学部工業化学科を卒業し、後に日本触媒化学工業に入社。 取締役、常務、専務を経て、1979年2月に副社長に就任し、1981年2月には社長に昇格。1986年2月に会長を経て、1990年2月から相談役を務めた。 1960年に大河内記念賞を受賞し、1969年11月に紫綬褒章を受章し、1977年4月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1999年11月1日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 20… 青山 光二(あおやま こうじ、1913年2月23日 - 2008年10月29日)は、日本の小説家。 神戸市生まれ。第三高等学校を経て東京帝国大学文学部美術史学科卒業。在学中の1935年(22歳)、織田作之助らと同人雑誌『海風』を創刊する。 大村謙太郎の仲介により映画『東京ノ回敎徒』を制作することとなり脚本を担当、1944年6月「室町一郎」名義で脚本完成、9月末に映画完成。 戦後、『旅への誘ひ』(1948)などの私小説風連作を発表。1956年、『法の外へ』で直木賞候補。 その後、任侠ヤクザ路線に移行し、『修羅の人』で1966年再度直木賞候補、1966年(53歳)小説新潮賞を受賞。1977年、『竹生島心中』で三たび直木賞候補、及び泉鏡花文学賞・平林たい子文学賞候補。
葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年〈大正元年〉12月1… 葦原 邦子(あしはら くにこ、1912年〈大正元年〉12月16日 - 1997年〈平成9年〉3月13日)は、兵庫県武庫郡本庄村字深江(現・兵庫県神戸市東灘区深江)出身の女優。元宝塚歌劇団星組トップスター。本名は中原 英子(なかはら えいこ)、旧姓は岡本。夫に画家の中原淳一、長男に画家の中原洲一、孫に声優・俳優の加古臨王がいる。 尼崎市立高等女学校(現・尼崎市立尼崎高等学校)卒業後、1928年に宝塚音楽学校に入学する。翌1929年、「春のをどり」で初舞台。宝塚歌劇団18期生で宝塚歌劇団のトップスターとして活躍し、同期生に春日野八千代、冨士野高嶺らがいた。 宝塚歌劇団在団中は「アニキ」の愛称で上級生の小夜福子や同期生の春日野と共に男役として人気を争い、宝塚歌劇団を背負って立っていった。