播戸 竜二(ばんど りゅうじ、1979年8月2日 - )は、… 播戸 竜二(ばんど りゅうじ、1979年8月2日 - )は、兵庫県姫路市出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、俳優、サッカーチーム経営者。現役時代のポジションはフォワード。元日本代表。日本サッカー協会(JFA)のアスリート委員、2021年2月1日からWEリーグの理事。2021年6月24日からは、Jリーグ選手OB会の副会長(定数は4人)にも名を連ねている。 2011年に、株式会社ミスタートゥエルブを設立したうえで代表取締役に就任。Jリーグ一筋で2019年に現役を引退した後は、2020年3月12日から2022年3月11日までJリーグの特任理事を務めていた。 2026年よりIKOMA FC 奈良の代表取締役社長を務める。
村上 誠典(むらかみ たかふみ、1978年 - )は、日本の… 村上 誠典(むらかみ たかふみ、1978年 - )は、日本の実業家、投資家。多摩大学大学院客員教授。シニフィアン株式会社共同代表として、日本初の独立系グロースキャピタル「THE FUND」を設立・運用し、急成長スタートアップへの投資と経営支援を行う。元ゴールドマン・サックス証券投資銀行部門幹部で、航空宇宙工学の研究者から金融業界、スタートアップ投資家へと転身した異色のキャリアを持つ。 兵庫県姫路市出身。淳心学院高等学校を卒業後、東京大学理科一類に進学。東京大学工学部を卒業後、同大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻に進学し、修士課程を修了した。在学中は宇宙科学研究所で小型衛星開発や衛星の自律制御・軌道工学に関する研究に従事した。
小林 幸恵(こばやし ゆきえ、1973年3月19日 - )は… 小林 幸恵(こばやし ゆきえ、1973年3月19日 - )は、兵庫県姫路市出身の女性歌手、経営者。かつての所属事務所はエス・エス・エム。 ASAYAN(テレビ東京)にて小室哲哉プロデュース企画のオーディション『最強女性ボーカリストオーディション1999』にて約24,000人の参加者より、グランプリを受賞。小室の全面プロデュースによりアメリカにてインディーズデビュー。そして、日本デビューを果たしたことで企画は、終了。しばらく、アメリカ、カナダなどで歌手活動を続けるが、日本に活動拠点を移し帰国。その後、結婚により北海道小樽市に活動拠点を移し、出産により、一時期、歌手活動を休止する。その後、小樽を拠点に活動しつつ、お好み焼き店である「小林焼き」をオープンする。
岩井迫 泰行(いわいさこ やすゆき、1972年〈昭和47年〉… 岩井迫 泰行(いわいさこ やすゆき、1972年〈昭和47年〉12月11日 - )は、日本の実業家、ビジネスプロデューサー、音楽プロデューサー。大阪府生まれ、兵庫県姫路市育ち。 東京、名古屋、大阪、兵庫、福岡を拠点に、企業のブランディングや販促、マーケティングを手掛ける。ITコンサルタントとしてのキャリアを背景に、エンターテインメントやファッション、伝統文化を「物語」として再編集する地域振興・プロデュース活動を広域に展開している。 大阪府に生まれ、小学生時に兵庫県姫路市へ転居。 1997年より企業向けインターネットコンサルティングを開始。1998年に株式会社スイムの代表取締役に就任した。帝国データバンクの指定コンサルタントとして、全国各地で企業のウェブ戦略や営業力強化を主導。
中島 誠一郎(なかしま せいいちろう、1971年12月3日 … 中島 誠一郎(なかしま せいいちろう、1971年12月3日 - )は日本の実業家。株式会社インフラプラス代表取締役社長。兵庫県姫路市生まれ。 姫路市立城乾中学校を経て横浜市の桐蔭学園高等学校へ入学。 1992年 早稲田大学人間科学部へ入学。在学中は、ラグビー部に所属し、大学4年次には主務としてチームのまとめ役に。全国大学選手権大会準優勝。当時の監督である宿沢広朗、木本建治の元でチームマネジメントを行った。 1996年 野村證券株式会社に入社。名古屋駅前支店配属。 1999年 野村證券を退社し、映画「故郷」製作プロジェクト(主演:淡島千景)に参加。プロデューサー補。 2000年 石塚武生とともにコーチング研修のため当時イングランドのプレミアシップに所属していた古豪リッチモンドクラブに帯同。
名倉 潤(なぐら じゅん、1968年〈昭和43年〉11月4日… 名倉 潤(なぐら じゅん、1968年〈昭和43年〉11月4日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、実業家、俳優。お笑いトリオ・ネプチューンのリーダー及びツッコミ担当。愛称は、潤ちゃん、リーダーなど。ワタナベエンターテインメント所属。妻はおニャン子クラブの元メンバーでタレントの渡辺満里奈。 兵庫県姫路市出身。姫路市立大津小学校、姫路市立広畑中学校、市川高等学校を卒業。男4人兄弟の末子で、長兄は7歳年上。[要出典] 1986年に芸能活動を開始。当初は俳優志望だったが、3年後の1989年にお笑いに転向。渡辺勝彦と「ジュンカッツ」としてコンビを組み、ツッコミを担当した。駆け出しの頃はバラエティ番組に出演するほか、『東京フレンドパーク』で前説を務めるなど下積みを重ねた。
松田 憲幸(まつだ のりゆき、1965年5月28日 - )は… 松田 憲幸(まつだ のりゆき、1965年5月28日 - )は、日本出身でアメリカ合衆国在住のシステムエンジニア、実業家。ソースネクスト創業者で、同社代表取締役会長兼CEO、SOURCENEXT Inc. President CEO、ロゼッタストーン日本法人代表取締役社長。新経済連盟理事。 兵庫県姫路市生まれ。1984年大阪府立北野高等学校卒業。1989年大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部数理工学科卒業後、日本アイ・ビー・エムに入社し、システムエンジニアを務めた。1993年システムコンサルタントとして独立し、トリプル・エーを設立。同社代表取締役社長に就任。 1996年ソース(現:ソースネクスト)創業、同社代表取締役社長に就任。
小山 正彦(こやま まさひこ、1956年4月9日 - )は、… 小山 正彦(こやま まさひこ、1956年4月9日 - )は、日本の実業家、社会人野球選手(内野手)。元株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド代表取締役社長兼株式会社西武ホールディングス取締役。日本ハム株式会社取締役、学校法人立命館評議員。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立加古川西高等学校から1975年に立命館大学経済学部入学、立命館大学硬式野球部入部。1979年大学を卒業し、プリンスホテル入社、プリンスホテル硬式野球部員第1期。一塁手を守り、石毛宏典や中尾孝義、居郷肇などが同期だった。 選手やコーチを経て、第60回都市対抗野球大会で優勝したのを期に1989年に退部し、1990年から品川プリンスホテル総務課で新横浜プリンスホテル開業準備にあたり、同年総務部総務課長に昇格。
内藤 弘康(ないとう ひろやす、1955年〈昭和30年〉4月… 内藤 弘康(ないとう ひろやす、1955年〈昭和30年〉4月20日 - )は、日本の実業家、技術者である。リンナイ代表取締役社長、名古屋鉄道社外取締役、名古屋商工会議所副会頭、日本ガス石油機器工業会副会長。 兵庫県姫路市出身。神奈川県川崎市、横浜市に転居し、栄光学園中学校・高等学校(22期)を卒業。精神科医の中嶋聡は中高大の友人である。1979年3月に東京大学工学部を卒業し、日産自動車に入社。同社には4年間勤務し、トランスミッションの設計を担当した。 1983年4月、当時リンナイ社長であった内藤明人の長女との結婚を機に同社に入社。営業・品質・製造・開発部門を順に経験する。1991年6月に取締役新技術開発部長、1998年7月に取締役開発本部長、2003年6月に常務取締役経営企画部長兼総務部長を歴任。
田中 聡(たなか さとし、1953年 - 2008年1月10… 田中 聡(たなか さとし、1953年 - 2008年1月10日)は、日本の実業家、イベントプロデューサー。 青年時代から関西圏の音楽イベントのプロデュースに取り組む。 1953年、兵庫県姫路市生まれ。後に父の仕事の都合で埼玉県浦和市(現さいたま市)に移る。 浦和市立常盤中学校卒業後、埼玉県立浦和西高等学校に入学するも、制服の自由化などを要求して紛争が起きた際に先頭で闘い停学処分となる。 主体と変革派系の埼玉高校生社会主義研究会に参加し議長を務める。駒澤大学に入学するも自然退学。 1972年、新左翼の労働者共産主義委員会(通称・怒濤派)に加盟。1973年-1974年に同派内の軍事方針をめぐる党内闘争を契機に離脱。
井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日… 井奥 貞雄(いおく さだお、1939年〈昭和14年〉1月5日 - )は、日本の政治家、実業家。元衆議院議員(3期)。 兵庫県姫路市出身。1957年兵庫県立飾磨工業高等学校卒業後、マッチ製造業の八家化学工業に入社。1965年にヤカ東京工場が設立されると工場長となり、1968年に取締役に就任すると松戸青年会議所の活動に加わる。1977年にヤカ常務に就任すると共に松戸青年会議所理事長。1979年には麻生太郎の後任として日本青年会議所会頭となり、オーナー経営者や二世の多いJCにあって初の高卒・サラリーマン重役出身の会頭として話題を呼んだ。 1983年にヤカ社長となるとともに第13回参議院議員通常選挙に自民党公認(名簿29位)で比例区から立候補、1986年の第14回参議院議員通常選挙でも立候補する(名簿24位)がどちらも落選に終わる。
二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月… 二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2022年〈令和4年〉8月10日)は、日本の実業家。従四位旭日重光章。 元ジャスコ社長、副会長、イオン名誉相談役、日本体操協会名誉会長、元日本チェーンストア協会会長。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業と同時に、父親である二木一一創業のフタギ株式会社に入社。常務取締役等を歴任後、1970年ジャスコと合併した後、取締役、取締役社長に就任。 その後、取締役副会長、相談役を歴任し、社名がイオンに変更された2001年には、日本体操協会会長に就任。 1995年(平成7年)5月15日 春の褒章で藍綬褒章を受章。
尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )… 尾上 壽男(おのえ ひさお、1935年〈昭和10年〉 - )は、日本の実業家。グローリー名誉会長。姫路商工会議所顧問。父はグローリー工業社長の尾上壽作。祖父は国栄機械製作所(現グローリー)創業者の尾上作兵衛。 兵庫県姫路市出身。物心ついたのは4、5歳ころの1940年前後で、当時尾上家の家業である会社は国鉄姫路駅の南西にあり、自宅はその隣だった。家は割合裕福だった。父の壽作は乗馬が好きで、馬を飼っていた。父が家庭では「うるさいおやじ」だったため、親元を離れたくて地元の高校を卒業すると東京へ出た。中央大学理工学部へ進んだ。よく遊んだので成績は中ぐらいだった。 大学を卒業した1959年は就職難で、職が決まらなかった。
茂理 佳弘(もり よしひろ、1931年3月8日 - 2025… 茂理 佳弘(もり よしひろ、1931年3月8日 - 2025年12月28日)は、日本の経営者。西松屋チェーン社長、会長を務めた。 兵庫県姫路市出身。1953年に神戸商科大学を卒業し、1956年に西松屋を設立し、社長に就任。2000年5月に会長に就任し、2003年5月には名誉会長に就任。 2025年12月28日、老衰のため姫路市の病院で死去。94歳没。
蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996… 蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996年1月1日)は、アメリカ文学者、批評家、太陽社社長。本名・三宅二郎。 兵庫県姫路市出身。東京外国語大学英米科卒業、東京大学英文科大学院修了、群馬大学勤務。1961年、磯田光一、小野二郎、近藤耕人、柘植光彦、中井多津夫らと第16次『新思潮』(晶文社)を創刊、1964年まで続いた。1971年、明治大学専任講師を辞任。 1967年、出版社・太陽社を興し、大学の語学テキストのほか、アメリカ文学や、ヒッピー文化に関する翻訳、自らの著作を刊行する。1979年、神保町で古書店「ワンダーランド」を開いた。 雑誌『新批評』に、英文科教授平井正穂から不当な扱いを受けたとして告発文を発表した。
太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 20… 太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 2020年1月15日)は、日本の実業家。ノーリツ創業者で、同社代表取締役社長や、神戸商工会議所副会頭などを務めた。 兵庫県姫路市出身。1945年海軍兵学校卒業。同期に平松一朗(元京浜急行電鉄社長)、小林公平(元阪急電鉄社長)、志村文一郎(元電気化学工業社長)等。 タイル職人植松清次の風呂を事業化するため、1950年に神戸市で能率風呂商会を設立したが連鎖倒産の憂き目に合う。 1951年能率風呂工業(現ノーリツ)設立、同社取締役就任。ガス給湯器の開発で成功し、プロパンガスの普及もあり家庭への浴室普及が促進されるという大きな社会的影響を与えた。 1964年に取締役会で代表取締役社長を解任される。
高馬 一郎(こうま いちろう、1909年2月10日 - 20… 高馬 一郎(こうま いちろう、1909年2月10日 - 2006年8月12日)は、日本の経営者。グンゼ社長を務めた。兵庫県姫路市出身。 1930年に上田蚕糸専門学校製糸科を卒業し、同年に郡是製絲(のちのグンゼ)に入社。1959年1月に取締役に就任し、1965年1月に常務、1967年1月に専務を経て、1975年1月には社長に就任。1979年2月には会長に就任。 2006年8月12日老衰のために死去。97歳没。
尾上 壽作(おのえ じゅさく、1903年〈明治36年〉11月… 尾上 壽作(おのえ じゅさく、1903年〈明治36年〉11月28日 - 1998年〈平成10年〉11月6日)は、日本の実業家。グローリー工業社長。国栄機械製作所(現グローリー)創業者尾上作兵衛の三男。グローリー名誉会長尾上壽男の父。 兵庫県姫路市出身。尾上作兵衛の三男。尾上家は姫路の商家だった。後分家した。 姫路中学校(現姫路西高校)を卒業した。1949年、株式会社国栄機械製作所の取締役社長に就任した。1963年、姫路商工会議所副会頭に就任した。1971年、取締役会長に就任した。趣味は乗馬、弓術。宗教は、浄土宗。住所は兵庫県姫路市俵町・同市南畝町。 1964年藍綬褒章、1974年勲三等瑞宝章受章。
牛尾 健治(うしお けんじ、1898年〈明治31年〉11月 … 牛尾 健治(うしお けんじ、1898年〈明治31年〉11月 - 1958年〈昭和33年〉8月20日)は、日本の実業家。牛尾合資会社代表社員。中国合同電気、山陽商事各社長。神戸銀行副頭取。姫路商工会議所会頭。神戸経済同友会元代表幹事。兵庫県輸出工業協会長。 兵庫県姫路市出身。飾磨郡豊沢村・梅吉の長男。1920年、大阪高等商業学校卒業。1923年、東京商科大学(現一橋大学)卒業。東京で大学講師をしていたが、1934年に父・梅吉が他界し、帰郷して事業を引き継ぐことになった。1934年、家督を相続した。株式公債売買業を営む。中国合同電気に入社。 広沢製作所会長、大日本産業報国会理事、神戸銀行副頭取、鳥取電燈副社長、日本電球、但馬瓦斯、山陽瓦斯、山陽製紐、北海電気興業、日本商品、日本編物、ナニワ電球工業、牛尾興業、山陽商事各社長などを務め、神戸経済同友会の立上げも行った。
池内 調造(いけうち ちょうぞう、1897年1月9日-198… 池内 調造(いけうち ちょうぞう、1897年1月9日-1988年2月16日)は、日本の実業家。KBS京都代表取締役、京都新聞社取締役、日本民間放送連盟の営業・予算・財務・総務の各委員及び理事を20年近くにわたり担務し民放界の発展に大きく寄与。
桑田 時一郎(くわた ときいちろう、1894年 <明治27年… 桑田 時一郎(くわた ときいちろう、1894年 <明治27年> 3月12日 - 1991年 <平成3年> 7月5日)は、日本の経営者。日本化成工業社長を務めた。位階は正四位。 兵庫県姫路市出身。1918年に東京帝国大学理学部応用化学科を卒業し、同年に旭硝子に入社。1940年5月に日本化成工業(のちの三菱化成)に転じ、1943年9月に取締役に就任し、1946年12月に常務を経て、1950年6月には社長に就任。1958年3月にから1959年9月に会長を務めた。 1964年4月には科学技術学園理事長に就任。 1961年に藍綬褒章を受章し、1965年に勲二等瑞宝章を受章。 1991年7月5日肺炎のために死去。
井上 貞治郎(いのうえ ていじろう、明治14年〈1881年〉… 井上 貞治郎(いのうえ ていじろう、明治14年〈1881年〉8月16日 - 昭和38年〈1963年〉11月10日)は、日本の実業家。 「段ボール」の実用新案を取得。大量生産と強固な段ボール箱の開発に成功し、聨合紙器(現社名・レンゴー)を設立した。「日本の段ボールの父」と評される。 兵庫県姫路市郊外で農業を営む長谷川家の三男として生まれた。2歳の時に、兵役を逃れるため遠縁にあたる井上家の死籍相続人になる。 高等小学校を卒業後、1895年(明治28年)から神戸の商家で丁稚を始める。その後中国料理店、パン屋、石炭屋等職を転々とする。1905年(明治38年)には妻・お雪と別れ、1人満州に旅立つ。 1909年(明治42年)に放浪の旅から立ち直り、東京で「三盛舎」(後に「三成社」と改名)を創業。
尾上 作兵衛(おのえ さくべえ、旧姓・池内、幼名・賢次、18… 尾上 作兵衛(おのえ さくべえ、旧姓・池内、幼名・賢次、1872年10月1日〈明治5年8月29日〉 - 没年不明)は、日本の政治家、実業家、資産家。姫路市会議員。国栄機械製作所創業者。族籍は兵庫県平民。 グローリー実質創業者尾上壽作の父。グローリー会長尾上壽男の祖父。 兵庫県飾麿郡安室村字新在家(現・姫路市)出身。兵庫県平民・池内宗太郎の二男。姫路の商家、尾上作平の養子となり、1901年、家督を相続した。 1918年3月、姫路市延末にて、作兵衛は個人経営で電球製造機の修理・販売を開始した。また、山陽醤油社長、日本化学漆器代表取締役、三十八銀行、姫路水力電気、姫路銀行、姫路莫大小、姫路倉庫各取締役など各種の会社重役を務めた。
川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治… 川口 木七郎(かわぐち きしちろう、1870年5月5日(明治3年4月5日)- 1937年(昭和12年)10月17日)は、明治から昭和前期の地主、実業家、政治家。衆議院議員。 播磨国飾西郡書写村(兵庫県飾西郡曽左村、飾磨郡曽左村を経て現姫路市)で、大地主で代々里正を務めた醤油醸造業、川口家先代当主・川口木七郎、つた の長男として生れ、1881年(明治14年)8月、家督を相続し木七郎を襲名した。漢学を修め、のち神戸で外国人教師から英語、フランス語を学んだ。 家業の醤油醸造業を営み、山陽醤油社長、神戸信託取締役、姫路三十八銀行取締役、姫路銀行取締役、飾磨銀行取締役、神栄生糸取締役、飾磨郡素麺製造販売組合長などを務めた。
牛尾 梅吉(うしお うめきち、1864年12月17日〈元治元… 牛尾 梅吉(うしお うめきち、1864年12月17日〈元治元年11月19日〉 - 1934年〈昭和9年〉5月4日)は、日本の政治家(姫路市会議員)、相場師、実業家、兵庫県多額納税者、資産家。姫路商工会議所会頭。姫路水力電気、姫路信託各社長。姫路銀行頭取。牛尾合資会社代表社員。山陽商事代表取締役。族籍は兵庫県平民。 神戸銀行副頭取、中国合同電気社長牛尾健治の父。ウシオ工業社長牛尾吉朗、ウシオ電機会長牛尾治朗の祖父。 播磨国姫路(現・兵庫県姫路市)に生まれた。牛尾政五郎の二男。牛尾政次郎の弟。1882年、兄・政次郎方より分かれて一家を創立した。分家の二男だった梅吉は自分で生計をたてる必要があった。呉服の行商から始めた。
岡本 松太郎(おかもと まつたろう、1860年4月9日(万延… 岡本 松太郎(おかもと まつたろう、1860年4月9日(万延元年3月19日)- 1942年(昭和17年)11月23日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家。衆議院議員、兵庫県会議長。 播磨国飾東郡八重畑村(兵庫県飾東郡谷内村、飾磨郡谷内村、飾東村を経て現姫路市飾東町)で、代々農業を営む家に生まれた。普通学を修めた。 1880年(明治13年)小学校教員となり8年間在任。1888年(明治21年)兵庫県会議員に選出され、同常置委員、同副議長、同議長も務めた。その他、徴兵参事員、旅団徴兵参事員なども務めた。 1898年(明治31年)3月、第5回衆議院議員総選挙(兵庫県第7区、進歩党)で初当選し、同年8月の第6回総選挙(兵庫県第7区、憲政本党)でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
後藤 恕作(ごとう じょさく、安政5年3月6日(1858年4… 後藤 恕作(ごとう じょさく、安政5年3月6日(1858年4月19日) - 昭和4年(1929年)3月6日)は播磨国(兵庫県)生まれの実業家。後藤毛織製造所(後に東京毛織)の創立者であり、明治から昭和初期にかけて活躍した。 播磨国揖東郡網干村(現・兵庫県姫路市)生まれ。明治8年(1875年)に清国公使として赴任した森有礼に随行し、北京で毛織染色法を学んだ。日本に帰国後、明治12年(1879年)本郷で小工場を設立しなめし革、毛糸紡績を行ったがこれは失敗し、じゅうたんなどの製造を始めた。明治13年(1880年)芝区白金台(現東京都港区)に民間としては日本初の毛織物工場である後藤毛織製造所を設立、明治25年(1892年)には大井町(現品川区)にも工場を進出させて生産基盤を強化し、日清戦争、日露戦争期には業績を躍進させた。
神田 兵右衛門(こうだ ひょうえもん、天保12年2月18日(… 神田 兵右衛門(こうだ ひょうえもん、天保12年2月18日(1841年4月9日) - 大正10年(1921年)1月13日)は、日本の実業家。本姓は梅谷で、名は胤保、号は松雲。播磨国印南郡大塩村(現在の兵庫県姫路市大塩町)出身で、慶應3年に兵庫開港商社取締役世話役に就任し、兵庫運河建設に大きく貢献した[要出典]。のち、神戸市会議長を務める。「神戸発展の父」とも呼ばれる[要出典]。 播磨国印南郡大塩村(現兵庫県姫路市大塩町)の大庄屋の三男に生まれ、15歳で兵庫出在家町の素封家、第12代神田兵右衛門の養子となる。 神田家の家督を継いだ兵右衛門は、慶應3年(1867年)7月、兵庫開港商社取締役世話役に命じられた。