櫻井 頼之介(さくらい よりのすけ、2003年7月21日 -… 櫻井 頼之介(さくらい よりのすけ、2003年7月21日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 尼崎市立難波小学校1年の時から軟式の野球を始め、尼崎市立中央中学校では尼崎ボーイズに所属。中学時代までは遊撃手として起用されていた。中学の同級生に元AKB48の福留光帆がいる。 聖カタリナ学園高等学校では3年春の第93回選抜高等学校野球大会にエースとして出場。東海大菅生との初戦に先発して8回4失点と粘投したが、試合は敗れた。 高校卒業後は東北福祉大学へ進学。エースとして活躍し、3年春、秋のリーグ戦で敢闘賞、4年春のリーグ戦でMVPを受賞した。第74回全日本大学野球選手権大会では2勝を記録して優勝に貢献し、最優秀投手に輝いた。
岸 潤一郎(きし じゅんいちろう、1996年12月8日 - … 岸 潤一郎(きし じゅんいちろう、1996年12月8日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。埼玉西武ライオンズ所属。 尼崎市立難波小学校4年で「成徳イーグルス」に入団し、野球を始めた。その後、「金楽寺少年野球クラブ」へ移籍。捕手を中心に多くのポジションを務めた。6年時にはオリックス・バファローズジュニアに選出。尼崎市立中央中学校時代は「西淀ボーイズ」に所属。主に投手を務め、3年時には「NOMOジャパン」に選出された。 明徳義塾高等学校に進学後、1年春からベンチ入り。投手兼中軸打者として1年夏の第94回全国選手権、2年夏の第95回全国選手権、3年春の第86回選抜大会、同年夏の第96回全国選手権と4度の甲子園大会出場を果たす。
床田 寛樹(とこだ ひろき、1995年3月1日 - )は、兵… 床田 寛樹(とこだ ひろき、1995年3月1日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 小学校1年から兵庫県の園田南キッドで野球を始め、尼崎市立園田中学校時代は兵庫スターズ(ボーイズリーグ)に所属した。 高校時代は大阪府箕面市の箕面学園高等学校にて1年秋からベンチ入りし、2年春の大阪大会でベスト16入り、2年夏予選からエースとしてチームを牽引、3年夏の大会は2回戦・大阪園芸高校戦で13奪三振5安打無四球完封勝利したが、3回戦で豊中高校に3-4でサヨナラ負け。 中部学院大学では、入学当初は130km/h程度だった球速が140km/h台になり、2年秋に先発2番手の座を掴み、同年の明治神宮野球大会では後に横浜DeNAに入団する駒澤大学の今永昇太と投げ合う。
森本 龍弥(もりもと たつや、1994年6月12日 - )は… 森本 龍弥(もりもと たつや、1994年6月12日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。血液型はO型。 小学1年時から軟式野球を始めると、中学生時代は大阪府内の硬式野球チームに所属した。 中学校を卒業後に、富山県の高岡第一高校へ進学。在学中は甲子園球場の全国大会と無縁であったが、対外試合で通算33本塁打を記録した。 2012年のNPBドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから2巡目で指名。契約金5,000万円、年俸500万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は24。 2013年には、イースタン・リーグ公式戦94試合の出場で、1本塁打、14打点をマーク。規定打席に到達したが、打率は.130で、規定打席に到達した23選手で最も低かった。
歳内 宏明(さいうち ひろあき、1993年7月19日 - )… 歳内 宏明(さいうち ひろあき、1993年7月19日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。羽田エキスパートエージェンシーとエージェント契約を結んでいる。 尼崎市立小園小学校3年時から「猪名川エンジェルス」で軟式野球を始めると、中学生時代にはボーイズリーグの宝塚ボーイズに所属した。 オリックス・ブルーウェーブの打撃投手時代にイチローの練習パートナーとして知られた当時の宝塚ボーイズ監督・奥村幸治の勧めで、中学卒業後は福島県の聖光学院高校へ進学。1年生だった2009年の秋からベンチ登録を果たしたものの、対外試合の登板では、打たれ出すと止まらなくなる傾向が見られた。 2010年には、2年への進級当初まで4番手・5番手の投手として扱われていたが、6月にスプリットの投げ方を身に付けたことから状況が好転。
田村 丈(たむら じょう、1992年11月20日 - )は、… 田村 丈(たむら じょう、1992年11月20日 - )は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
中村 茜(なかむら あかね、1989年12月21日 - )は… 中村 茜(なかむら あかね、1989年12月21日 - )は、日本の女子プロ野球選手。兵庫県尼崎市出身。
伊原 正樹(いはら まさき 、1986年11月4日 - )は… 伊原 正樹(いはら まさき 、1986年11月4日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 尼崎市立城内小学校(現:明城小学校)・尼崎市立城内中学校在学中に尼崎ボーイズに入団し、在団中に第10回南大阪大会優勝・ 第30回関西秋季大会県予選準優勝・第30回関西秋季大会出場・第31回春季大会県予選準優勝・第18回尼崎ボーイズリーグ大会準優勝を達成。 岡山共生高時代、3年時の夏は岡山県予選2回戦で敗退した。甲子園出場経験はない。 高校卒業後は、関西国際大学経営学部に進む。右の榊原諒と共に左右のエースとして活躍し、2007年の関西国際大学の明治神宮野球大会初出場に貢献した。最優秀投手2回、ベストナイン1回、大学通算20勝。
狩野 亜由美(かりの あゆみ、1984年11月6日 - )は… 狩野 亜由美(かりの あゆみ、1984年11月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の女子ソフトボール選手(外野手)。右投左打。元豊田自動織機所属。 デンソーに所属していた狩野香寿美は実妹、豊田自動織機チームメイトの江本奈穂は西山高校在籍時の1年後輩にあたる。 尼崎市立大庄北中学校卒業。西山高等学校(現・京都西山高等学校)卒業。 小学3年より野球を始め、中学からソフトボールに転向する。その後進学した西山高校のソフトボール部で2000年にインターハイ準優勝、2002年には全国高校選抜大会ベスト8の成績を残す。2003年、豊田自動織機に入団し、その年の日本ジュニア代表として世界ジュニア選手権で優勝する。2006年には世界選手権大会で準優勝し、同年のアジア大会では優勝を果たした。
金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は… 金刃 憲人(かねと のりひと、1984年4月10日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。 兵庫県尼崎市の出身。在日韓国人三世で、大学3年のときに日本へ帰化した。尼崎市立園和北小学校1年時に軟式野球の「園和北フレンズ」に入団し4年生でボーイズリーグ「兵庫尼崎」に移籍、6年時に全国優勝。尼崎市立園田中学校時代はボーイズリーグ「兵庫尼崎」に在籍。中学の1年先輩には後にプロでチームメイトとなる野間口貴彦がいた。 市立尼崎高校進学後は2年冬に甲子園未出場ながら高校全日本台湾遠征メンバーに選出され、MVPを受賞。3年夏の兵庫大会では準々決勝でグエン・トラン・フォク・アンを擁する東洋大姫路高校を完封するまで全て2失点以内に抑えたが、準決勝で坂口智隆を擁する神戸国際大附高校に9回裏2死から5点差を逆転されてのサヨナラ負けを喫してベスト4。
野間口 貴彦(のまぐち たかひこ、1983年5月31日 - … 野間口 貴彦(のまぐち たかひこ、1983年5月31日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。 1983年に兵庫県で生まれる。シニアリーグ時代に所属した伊丹シニアでAA世界野球選手権大会に出場した。2001年に関西創価高校から第73回選抜高等学校野球大会に出場。選抜初出場の同高でベスト4まで進出。2回戦では高井雄平と投げ合い1失点で完投勝利を収め、最終的に準決勝まで進出するが優勝した常総学院の横川史学にサヨナラ打を浴びて惜敗。この時点でプロからの誘いもあったが、大学進学を表明したことで指名回避された。 2002年に創価大学へ進学し、1年時から春のリーグ戦に登板するも「一発勝負の高校野球に比べ、リーグ戦の続く大学野球にあまり魅力を感じなかった」として退学し、シダックス野球部に入社。
福沢 卓宏(ふくざわ たかひろ、1981年8月19日 - )… 福沢 卓宏(ふくざわ たかひろ、1981年8月19日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。
廣瀬 芽(ひろせ めぐ、1981年4月23日 - )は、兵庫… 廣瀬 芽(ひろせ めぐ、1981年4月23日 - )は、兵庫県尼崎市出身の女子ソフトボール選手(内野手)。 夙川学院高等学校を卒業後、太陽誘電に入団。 2008年、北京オリンピック日本代表。同年紫綬褒章受章。 2010年シーズンを最後に現役引退。 2025年、タカギ北九州ウォーターウェーブのコーチに就任。
大西 宏明(おおにし ひろあき、1980年4月28日 - )… 大西 宏明(おおにし ひろあき、1980年4月28日 - )は、兵庫県尼崎市生まれ、大阪府堺市育ちの元プロ野球選手(外野手、右投右打)、監督。愛称は「ジミー」(ジミー大西から)。 高校時代は攻守の要でエース上重聡や主将平石洋介と共にチームを牽引。1998年の第70回選抜高等学校野球大会では準決勝敗退。第80回全国高等学校野球選手権大会で繰り広げられたPL学園対横浜延長17回においては、春の準決勝でも対戦した横浜高校の松坂大輔から一時は同点打となる左翼前安打を放った。 近畿大学では、2年春に首位打者となり大学通算65試合に出場、238打数65安打、打率.273、19打点を記録し、ベストナインを2回受賞した。
的場 寛一(まとば かんいち、1977年6月17日 - )は… 的場 寛一(まとば かんいち、1977年6月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手・社会人野球選手(内野手)、野球指導者。右投右打。 大学時代および阪神時代の2000年から2004年までの登録名は「的場 寛壱」。 尼崎市立杭瀬小学校、尼崎市立若草中学校に進学。小中学時代は祖父が設立したチームであるボーイズリーグの兵庫尼崎に在籍。高校進学は愛知県の弥富高等学校(現:愛知黎明高等学校)へ進学。1年からレギュラーとして出場し秋季東海大会8強、3年夏は愛知大会4強入りしたが上坂太一郎らを擁して甲子園出場する享栄高に大差で敗れ、最後は登板している。 高卒後の進路について的場本人は、「羽振りが良さそうだから」との理由で美容師を志望していたが、金城監督に猛反対され、家族の後押しもあり九州共立大学への進学に変更した。
嘉勢 敏弘(かせ としひろ、1976年10月6日 - )は、… 嘉勢 敏弘(かせ としひろ、1976年10月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)。
出口 雄大(でぐち ゆうだい、本名:出口 幸夫(でぐち ゆき… 出口 雄大(でぐち ゆうだい、本名:出口 幸夫(でぐち ゆきお)、1971年9月23日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)。
上田 浩明(うえだ ひろあき、1969年4月30日 - )は… 上田 浩明(うえだ ひろあき、1969年4月30日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(内野手)。
坂 孝一(さか こういち、1968年5月31日 - )は、兵… 坂 孝一(さか こういち、1968年5月31日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。 村野工業高では1年生の時からレギュラーとなり1984年は夏の兵庫県大会で決勝まで進出する。4番、遊撃手で高校通算打率.370、本塁打15本。1986年オフにドラフト外で阪神タイガースに入団。二塁や遊撃をメインにファームでレギュラーとなる。 プロ5年目の1991年に代走で一軍初出場を果たす。1992年限りで現役を引退した。 引退後も球団に残り、現在は企画統括部の部長(編成担当)を務める。
池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - … 池山 隆寛(いけやま たかひろ、1965年12月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ、監督。 NPBにおける現役時代はヤクルトスワローズ一筋のフランチャイズ・プレイヤーとして、1984年から2002年まで19年間プレーした。フルスイングを信条としており、その豪快なスイングから「ブンブン丸」の愛称で親しまれた。そのバッティングスタイルから、現役時代は三振が多かったものの、1988年から5年連続30本塁打を達成するなど、主軸打者として活躍、通算304本塁打を記録した。この通算本塁打記録は2025年に山田哲人に更新されるまで球団記録だった。引退後は東北楽天ゴ
岡本 透(おかもと とおる、1965年6月13日 - )は、… 岡本 透(おかもと とおる、1965年6月13日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。
金城 信夫(かねしろ のぶお、1963年7月6日 - )は、… 金城 信夫(かねしろ のぶお、1963年7月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 兵庫県市川町の市川高では3年夏の県大会準決勝で全国制覇することとなる金村義明(報徳学園中学校・高等学校)と投げ合って敗退、1981年のNPBプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから1位指名を受け入団。甲子園には未出場のため無名だが各スカウト間ではドラフト1位の「隠し玉」的存在だったが、ヒジの使い方がうまいオーバースローで高卒ながら1~2年後には戦力になると期待されていた。 しかし、一軍登板のないまま1985年オフに退団。 1986年に韓国へ渡り、KBOの青宝ピントゥス(1988年より、太平洋ドルフィンズ)へ入団。
竹下 浩二(たけした こうじ、1963年6月18日 - )は… 竹下 浩二(たけした こうじ、1963年6月18日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(投手)。
筒井 大助(つつい だいすけ、1958年1月22日 - )は… 筒井 大助(つつい だいすけ、1958年1月22日 - )は日本の野球選手(外野手)、野球指導者、学者。ソウルオリンピック日本代表チームでは主将を務めた。2009年以降に改名して筒井 崇護(つつい たかもり)となり、2011年現在は日本体育大学の教授として運動方法論などに取り組んでいる。
松本 匡史(まつもと ただし、本名:松本 哲(さとし)、19… 松本 匡史(まつもと ただし、本名:松本 哲(さとし)、1954年8月8日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者として活動している。業務提携先はTCP-Artist。
羽田 耕一(はだ こういち、1953年6月19日 - )は、… 羽田 耕一(はだ こういち、1953年6月19日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)。
松岡 高信(まつおか たかのぶ、1952年4月27日 - )… 松岡 高信(まつおか たかのぶ、1952年4月27日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。
江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵… 江夏 豊(えなつ ゆたか、1948年5月15日 - )は、兵庫県尼崎市出身(奈良県吉野郡生まれ)の元プロ野球選手(投手)、解説者・評論家・タレント。 2025年現在でも日本記録であるシーズン401奪三振を達成したほか、NPB最多タイ記録となる最優秀救援投手(現在の最多セーブ投手)を6回獲得している。プレーそのものについても「オールスター9連続奪三振」「江夏の21球」など多くのエピソードを持つ。 1948年5月15日、奈良県吉野郡にて生まれる。鹿児島県出身の母は大阪にいた頃大阪大空襲に遭い疎開先の奈良県吉野郡で江夏の父親となる男性と出会い、豊が生まれた。江夏の母親にとって豊は三男に当たり、14歳年上の長男、7歳年上の次男、と3人とも父親が全員異なるという複雑な家庭環境であり、江夏姓も母方の姓だった。
合田 栄蔵(ごうだ えいぞう、1942年6月3日 - )は兵… 合田 栄蔵(ごうだ えいぞう、1942年6月3日 - )は兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手。
今津 光男(いまづ みつお、1938年7月8日 - 2005… 今津 光男(いまづ みつお、1938年7月8日 - 2005年11月7日)は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
小玉 明利(こだま あきとし、本名読み:はるとし、1935年… 小玉 明利(こだま あきとし、本名読み:はるとし、1935年6月10日 - 2019年5月19日)は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(内野手)・監督。実弟に社会人野球で活躍し、同志社大学監督をつとめた小玉孝がいる。 神崎工業高校2年生時の1953年、近鉄パールスの入団テストを受ける。その際、捕手の根本陸夫に打撃の素質を見出され、根本は芥田武夫監督に「ぜひ小玉を採用すべきだ」と進言した。芥田は朝日新聞運動部長から前年途中に監督に就任したばかりで「高校を中退させるには…」と躊躇したが、根本は「3年まで待つと他球団に取られる」として強引に口説いた。小玉は高校中退してプロ入団か、進級して高校生活を続けるか、という選択を迫られ、自ら高校を中退して入団の道を選んだ。
緋本 祥男(ひもと さちお、1935年3月6日 - )は、兵… 緋本 祥男(ひもと さちお、1935年3月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手である。ポジションは外野手、一塁手。1954年から1963年までの登録名は、緋本 祥好。 県立西宮高校を卒業後、1954年に広島カープへ入団。入団後最初の2年間は二軍にいたが、1955年の秋に来日したメジャーリーガー、エルストン・ハワード(ニューヨーク・ヤンキース)の極端なクローズドスタンスからヒントを得る。さらに川上哲治の、「部屋の中にろうそくを立て、振ったバットの風力で火を消す」という練習法も覚え、初の一軍昇格を目指す。 1957年には開幕から右翼手、七番打者に抜擢される。同年は主に中堅手として101試合に先発出場、四番打者としても12試合に起用される。
岡田 功(おかだ いさお、旧名:和也(かずや)、1931年6… 岡田 功(おかだ いさお、旧名:和也(かずや)、1931年6月20日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球審判員。元セントラル・リーグ審判副部長。 兵庫県立尼崎工業高等学校から1950年に大阪タイガース に入団。1952年に一軍に上がり、1954年、1955年には各1試合に中堅手として先発出場。しかし活躍の場には恵まれず、1956年に審判員へ転身。以後着実に力を発揮し、プロ野球審判員現役37年、一軍実働36年、13年連続日本シリーズ出場、日本シリーズ通算94試合出場、日本シリーズ通算21回出場(1963年~1967年、1969年~1981年、1983年、1991年)、レギュラーシーズン通算3902試合出場は日本プロ野球記録。
日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 - 2010… 日下 隆(くさか たかし、1929年6月19日 - 2010年12月28日)は、兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手(外野手)。 兄に大阪タイガースでプロ野球選手として活躍、引退後は政治家となった日下章がいる。息子は育英高校の夏の甲子園優勝監督(1993年)である日下篤。 鳴尾中学から法政大学へ進学。東京六大学野球リーグでは在学中1回優勝。リーグ通算71試合出場、223打数71安打、打率.318、0本塁打、34打点。首位打者1回(1950年秋季リーグ)。 1952年に近鉄パールス入団。翌1953年には開幕から一番打者、右翼手に抜擢され、規定打席(10位、打率.285)にも到達した。1954年は近鉄の野手で初めてオールスターゲームに出場。
日下 章(くさか あきら、1927年7月22日 - 2004… 日下 章(くさか あきら、1927年7月22日 - 2004年1月10日)は兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手、政治家。