亀井 文雄(かめい ふみお、1954年3月19日 - )は、… 亀井 文雄(かめい ふみお、1954年3月19日 - )は、日本の実業家。愛媛県松山市出身。 現亀井鉄鋼代表取締役社長 兼 Jリーグ・元愛媛FC代表取締役社長。 愛光高校を経て、東海大学工学部建築学科卒業。中学生の頃からサッカー少年であり主に左ウイングとしてプレー、1997年まで地元クラブで現役を続けていた。 1985年亀井サンキ常務取締役、1997年現職の亀井鉄鋼代表取締役社長に就任した。在任中、当時セミプロで活躍していた愛媛FCの選手に職場を提供したことがきっかけとなり、石橋智之愛媛FC総監督(当時)に依頼され、2004年、株式会社愛媛FC社長に就任した。2015年2月、引責辞任した。
門屋 加壽子(かどや かずこ、1953年10月7日 - )は… 門屋 加壽子(かどや かずこ、1953年10月7日 - )は、愛媛県松山市出身の元女子バスケットボール選手。現姓・大野。日本女子バスケ黄金時代に活躍した選手のひとり。 名門・聖カタリナ女子高校で夏の総体、国体ともにベスト8を経験。 卒業後、ユニチカ山崎に入社。常勝チームの一員として全日本選手権・日本リーグで多くのタイトルに貢献。主将も務めた。 全日本にも選ばれ、1974年アジア大会金メダル、1975年世界選手権準優勝と1976年モントリオール五輪を経験する。 五輪後のシーズンを最後に現役引退。アシスタントコーチに就任する。 1980年、ユニチカを退社。母校・聖カタリナ女子高校のアシスタントコーチに就任。
樽茶 清悟(たるちゃ せいご、1953年9月20日 - )は… 樽茶 清悟(たるちゃ せいご、1953年9月20日 - )は、日本の物理学者。量子ドットなどの研究を行っている。愛媛県松山市出身。十倉好紀は大学時代の同級生。
徳永 光俊(とくなが みつとし、1952年12月21日 - … 徳永 光俊(とくなが みつとし、1952年12月21日 - )は、日本の経済学者、農学博士。専門は、日本経済史・地域文化論。大阪経済大学第13代学長。 愛媛県松山市出身。松山東高校から京都大学農学部卒。 2010年11月より、学長自らがどの様な大学作りを目指しているのか、どのような仕事をし、考えているのか伝達する媒体として「野風草だより」というページを大阪経済大学HP内に開設していた。
仙波 隆三(せんば りゅうぞう、1952年<昭和27年>1月… 仙波 隆三(せんば りゅうぞう、1952年<昭和27年>1月2日 - )は、日本の地方公務員。愛媛県教育長、同県副知事、同県社会福祉事業団理事長を歴任。瑞宝中綬章受章。 愛媛県松山市出身。 1974年3月 松山商科大学経営学部卒業、同年4月 愛媛県庁入庁、環境政策課長、2007年 (平成19年) 4月 農林水産部森林局長、2009年4月 保健福祉部長、2012年4 月 愛媛県教育委員会教育長、2015年7月 長谷川淳二副知事の総務省復帰に伴い副知事就任。2016年7月 総務部長の原昌史を後任として副知事退任、同年8月 愛媛県社会福祉事業団理事、2019年 (令和元年) 6月 愛媛銀行取締役。
大森 光生(おおもり みつお、1951年6月24日 - )は… 大森 光生(おおもり みつお、1951年6月24日 - )は、愛媛県松山市生まれのアマチュア野球選手(捕手)。 松山商業高校では2年生時の1968年、投の二本柱であった同期の中村哲(丸善石油)、井上明とバッテリーを組み、夏の甲子園に出場。3回戦で三重高の上西博昭に抑えられ敗退。 翌1969年は俊足を活かし、一番打者として夏の甲子園に連続出場。準々決勝では静岡商の松島英雄を打ち崩し、準決勝でも若狭高を降し決勝に進出した。決勝は井上と三沢高の太田幸司との投手戦となり、延長18回0-0の引き分けで終了。当時の大会規定によって、勝負は翌日の再試合に持ち込まれた。井上、太田とも再試合に先発登板、井上は本調子とは言えず中村の救援を仰ぐが、4-2のスコアで優勝を飾る。
井上 明(いのうえ あきら、1951年 - )は、日本の元学… 井上 明(いのうえ あきら、1951年 - )は、日本の元学生野球選手(投手)、新聞記者。愛媛県松山市生まれ。
塩崎 恭久(しおざき やすひさ、1950年〈昭和25年〉11… 塩崎 恭久(しおざき やすひさ、1950年〈昭和25年〉11月7日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)、衆議院法務委員長、外務副大臣(第3次小泉改造内閣)、内閣官房長官(第73代)、拉致問題担当大臣(初代)、厚生労働大臣(第17・18代)、自由民主党行政改革推進本部長、自由民主党党・政治制度改革実行本部長を歴任した。 当時大蔵官僚で後に衆議院議員となる塩崎潤の長男として愛媛県松山市に生まれる。東京都立新宿高等学校卒業後、東京大学に入学する。1975年、東京大学教養学部教養学科アメリカ科を卒業し、日本銀行へ入行。1982年にハーバード大学大学院(ケネディ・スクール)を修了し、行政学修士号を取得した 。
長榮 周作(ながえ しゅうさく、1950年〈昭和25年〉1月… 長榮 周作(ながえ しゅうさく、1950年〈昭和25年〉1月30日 - )は、日本の実業家、剣道家。パナソニック株式会社特別顧問、公益社団法人大阪府剣道連盟会長、小野薬品工業株式会社社外取締役。愛媛県松山市出身。京都府在住。学位は工学士(愛媛大学・1972年)。 松山市立三津浜小学校、松山市立三津浜中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て愛媛大学工学部電気工学科を卒業。1972年に松下電工に入社し、商品設計を担当する。1996年に施設照明事業部商品企画開発部部長に就任。2000年にインドネシア松下電工ゴーベル(現・パナソニック ゴーベル インドネシア)社長に就任。2003年に松下電工に戻り、照明デバイス開発事業部事業部長に就任。
玉置 泰(たまおき やすし、1949年7月17日 - )は、… 玉置 泰(たまおき やすし、1949年7月17日 - )は、日本の実業家(株式会社一六本舗代表取締役社長)、映画プロデューサー。 愛媛県松山市出身。父親は一六本舗の前社長・玉置一郎。1972年、慶應義塾大学卒業。電通入社。1977年、電通を退社。松山に戻り、家業の一六本舗に入社、宣伝担当となる。主力商品一六タルトのCMに出演する俳優を考えていたところ、リストにたまたま松山市と縁の深い伊丹十三の名があったため、伊丹を起用。これが機縁となり、2人の親交が始まる。伊丹の初監督作品となった『お葬式』製作の際、一六本舗として製作費を出資。映画は大ヒットし、玉置は自ら伊丹プロダクションの社長を兼任することになった。
坂和 章平(さかわ しょうへい、1949年1月26日 - )… 坂和 章平(さかわ しょうへい、1949年1月26日 - )は、日本の弁護士。愛媛県松山市生まれ。映画評論家としても活動している。 愛光中学校・高等学校に学び、1971年に大阪大学法学部卒業。学生時代は、「「活動家」として、ガリ版のビラ作りとアジ演説に明け暮れた」という。同年、司法試験に合格し、司法修習26期を経て、1974年に大阪弁護士会弁護士登録。 大阪モノレール訴訟(1982年 - 1994年)、阿倍野再開発訴訟(1984年 - 1988年)、門真市一番柳田町北土地区画整理事業訴訟(1990年 - 1996年)、アルネ津山訴訟(2002年 - 2005年)など、都市開発に関わる訴訟を手がけた。
桑原 一司(くわばら かずし、1949年 - )は、日本の民… 桑原 一司(くわばら かずし、1949年 - )は、日本の民間学者。新日本ガラパゴス協会会長。元広島市安佐動物公園副園長。JAZA種保存委員会爬虫両生類類別調整者。日本オオサンショウウオの会会長。瑞穂ハンザケ自然館館長。アンフィビアン・アーク日本代表理事。愛媛県松山市出身。 子供の頃より自然に親しんでおり、「愛媛県立博物館に育てられた」と後に綴っている。 愛媛大学理学部生物学科卒、熊本大学大学院理学研究科修士、広島大学大学院国際協力研究科博士。 1974年より広島市安佐動物公園に勤務。その傍ら、里山の動植物の観察や研究を続けてきた。 2009年より広島市安佐動物公園副園長。2024年7月より瑞穂ハンザケ自然館館長に就任。
西本 明和(にしもと あきかず、1948年10月11日 - … 西本 明和(にしもと あきかず、1948年10月11日 - )は、愛媛県松山市興居島出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。
本江 邦夫(もとえ くにお、1948年9月25日 - 201… 本江 邦夫(もとえ くにお、1948年9月25日 - 2019年6月3日)は、日本の美術史学者、多摩美術大学名誉教授、多摩美術大学美術館館長、美術愛住館館長。元府中市美術館館長。 愛媛県松山市生まれ。東京で小学校入学、中学2年の夏まで札幌と小樽で過ごす。 1973年東京大学文学部美術史学科卒業。1976年東京大学大学院人文科学研究科修士課程西洋美術史専攻修了。同年秋より東京国立近代美術館勤務。1986年同主任研究員、1992年同企画・資料課長、1994年同美術課長(~98年)。 1981年マチス、1983年ピカソ、1987年ゴーギャン、1989年ルドン、1994年木村忠太などの回顧展を手がける一方、1984年「メタファーとシンボル」、1990年手塚治虫、1992年「形象のはざまに」、1993年黒田アキ、1995年辰野登恵子などの現代的な企画に関与。
玉井 日出夫(たまい ひでお、1948年9月5日 - )は、… 玉井 日出夫(たまい ひでお、1948年9月5日 - )は、日本の文部官僚。文部科学審議官(文教担当)、文化庁長官を歴任。愛媛県美術館名誉館長、玉川大学客員教授。 愛媛県松山市出身。広島国泰寺高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業の後、同第1類(私法コース)に学士入学。1974年(昭和49年)に旧文部省に入省(初等中等教育局中学校教育課)。総括審議官や大臣官房長を歴任したのち、2007年(平成19年)から文部科学審議官(文教担当)。2009年(平成21年)7月より19代目の文化庁長官に在任し、2010年に退官。2011年に学校法人北海学園特任教授。2012年から玉川大学芸術学部客員教授(文化政策などを担当)。
亀井 範雄(かめい のりお、1948年6月13日 - )は、… 亀井 範雄(かめい のりお、1948年6月13日 - )は、日本の実業家。帝人ファイバー代表取締役社長や、東邦テナックス代表取締役社長、帝人代表取締役副社長等を歴任した。 愛媛県松山市出身。愛光高等学校を経て、1972年神戸大学経営学部卒業。荒川祐吉ゼミ出身。特技は囲碁。同年帝人入社。三原事業所での研修ののち、工繊販売部産業資材第2課に配属され、以降主に営業を担当した。2001年帝人執行役員に就任し、Akra Teijin,S.A.de.C.V.副社長を兼務。 2005年帝人グループ常務執行役員産業繊維事業グループ長兼帝人テクノプロダクツ代表取締役社長。2007年帝人グループ専務執行役員。2009年から帝人専務執行役員ポリエステル繊維事業グループ長兼帝人ファイバー代表取締役社長。
久米 雅雄(くめ まさお、1948年2月7日 - )は、日本… 久米 雅雄(くめ まさお、1948年2月7日 - )は、日本の考古学者・歴史研究者・印学家。学位は、博士(文学)(立命館大学)。アジア印章学、東洋文字学、貨幣学、キリシタン考古学等の分野で研究業績を重ねる。大阪府教育委員会文化財保護課主査を経て、大阪芸術大学客員教授となる。そのほか、錫安印章文化研究所所長、寧楽美術館評議員、西泠印社名誉社員、中国美術学院主管学術雑誌《中国篆刻》顧問なども併せつとめる。 愛媛県松山市生まれ(本籍:京都府)。1966年に愛媛県立松山東高等学校を卒業後、立命館大学文学部史学科(日本史学専攻)に進み、考古・古代史を北山茂夫らのもとで学ぶ。学園紛争のさなかの1970年に卒業。
芝 城太郎(しば じょうたろう、1948年 - )は、日本の… 芝 城太郎(しば じょうたろう、1948年 - )は、日本の漫画家兼俳優。愛媛県松山市出身。 松山南高等学校を卒業後、1967年(昭和42年)に創作民話『ゆきわらし』でデビューを果たす。以後も友人の漫画家久松文雄の補佐をしつつ、日本・世界の歴史漫画を中心として描く。 1972年(昭和47年)には鎌倉時代の日蓮の周辺を舞台とした『四条金吾』と貧しい農村の赤子の間引きとそれを諭す住職をテーマとした『熱原の凱歌』(いずれも潮出版社)の単行本を発表。引き続き、『巨人 戸田城聖』(講談社)を発表した。 また、1982年(昭和57年)から1983年(昭和58年)にかけて、代表作である『学習漫画日本の歴史』の2巻、4巻、7巻、9巻、12巻(笠原一男監修、全18巻、集英社)と1984年(昭和59年)の『学習漫画 日本の歴史の人物事典』(笠原一男・柳川創造監修)の聖徳太子などを発表した。
河野 良雄(こうの よしお、1947年11月19日 - )は… 河野 良雄(こうの よしお、1947年11月19日 - )は、日本の経営者。農林中央金庫理事長を務めた。愛媛県松山市出身。 1972年に京都大学農学部を卒業し、同年に農林中央金庫に入社した。2004年に専務理事に就任し、2007年の副理事を経て、2009年4月に理事長に就任。それまでの理事長職は農林水産省官僚や政治家が就任していたが、初めての生え抜きからのトップ人事となった。2018年4月まで務め、在任中は2008年のリーマン・ショックで生じた巨額損失を補てんするための資本増強と、2011年の東日本大震災からの復興支援などに尽力した。
堀内統義(ほりうち つねよし、1947年1月10日- )は、… 堀内統義(ほりうち つねよし、1947年1月10日- )は、日本の詩人。 松山市生まれ。早稲田大学教育学部卒。東京都、千葉県、愛媛県で高校教師を務め、2007年愛媛県立松山南高等学校を最後に定年退職。芝不器男の俳句や文章をめぐる「不器男旬報」を随時刊行している。
藤原 満(ふじわら みつる、1946年9月18日 - )は、… 藤原 満(ふじわら みつる、1946年9月18日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者。
日野 てる子(ひの てるこ、結婚後の本名:一ノ瀬 輝子 - … 日野 てる子(ひの てるこ、結婚後の本名:一ノ瀬 輝子 - いちのせ てるこ、1945年7月13日 - 2008年9月9日)は、日本の女性歌手。所属事務所はハブ・マーシー。 愛媛県松山市出身。松山東雲高等学校卒業。 1962年、全日本ハワイアンコンテスト優勝をきっかけに翌1963年に上京。バッキー白片らに師事する。 1964年、ハワイアン歌手として日本グラモフォンよりデビュー。 1965年に発表した「夏の日の想い出」がヒット。本分のハワイアンとは趣を異にする曲ではあったが、100万枚を超えるミリオンセラーとなったことから自身の代表曲となり、同年のNHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。ちなみにこの曲は当初「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー」のシングルB面曲だったもので、ヒットにより後にA面としてジャケットを差し替え発売されている。
上田 龍三(うえだ りゅうぞう、1944年9月20日 - )… 上田 龍三(うえだ りゅうぞう、1944年9月20日 - )は、日本の医学者。主な業績は成人T細胞白血病・リンパ腫に対する抗体医薬開発のトランスレーショナル・リサーチの実践。朝鮮・京城府生まれ、愛媛県松山市出身。医学博士(名古屋大学、1981年)。
青野 勝広(あおの かつひろ、1944年2月7日 - )は、… 青野 勝広(あおの かつひろ、1944年2月7日 - )は、日本の経済学者、松山大学経済学部教授、元松山大学学長。経済学博士。専門は土地問題。 愛媛県松山市出身。松山商業高校および松山大学卒業後、1971年神戸大学大学院博士課程修了。 1980年より松山大学経済学部教授、1983年~1987年に松山大学経済経営研究所長、1992年~1993年は松山大学副学長、2001年~2003年には松山大学理事長・学長をそれぞれ務めた。学長当時、将来を展望して新学部構想として「総合政策学部」の開設を構想したが、既存の学部と重複する、あるいは改革が急であるとの反発を受けたために実現しなかった。2018年からは倉敷芸術科学大学危機管理学部の非常勤講師を務める。
稲川泰弘(いながわ やすひろ、1944年1月1日 - )は日… 稲川泰弘(いながわ やすひろ、1944年1月1日 - )は日本の通産官僚。資源エネルギー庁長官、IHI副会長、同社会長などを務めた。 愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山東高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。 1967年 通商産業省に入省。工業技術院総務部総務課に配属。 1990年6月29日 立地公害局総務課長。1991年6月14日 産業政策局総務課長。1992年6月23日 資源エネルギー庁石炭部長。1993年6月25日 大臣官房審議官(産業政策担当)。1994年7月1日 国土庁長官官房審議官(長官官房担当)。1995年1月20日 国土庁長官官房審議官(長官官房担当)兼防災局付。 同年6月21日 関東通商産業局長。
大野 照旺(おおの てるお、1943年11月24日 - )は… 大野 照旺(おおの てるお、1943年11月24日 - )は、日本の実業家、馬主。愛媛県松山市に本社を置くオオノ開發株式会社の創業者で、現代表取締役会長。 1943年、愛媛県松山市出身。1966年8月、土木工事を請け負う大野開発を設立。1973年11月に大野開発株式会社に改組、代表取締役に就任。1980年2月に現在のオオノ開發株式会社に商号を変更した。その後廃棄物処理業の許可を受けつつ1992年には会社の資本金を7000万円とし、東京都や大阪府にも支店を設けたのちの2016年に社長の席を大野剛嗣(息子)に譲り代表取締役会長に就任。2022年に剛嗣が急逝すると4月に再び代表取締役に就任。2024年、取締役社長であった山下裕二が代表取締役社長となり、大野は再度会長となっている。
木村 紀子(きむら のりこ、1943年(昭和18年) - )… 木村 紀子(きむら のりこ、1943年(昭和18年) - )は、日本の言語学者、国語学者、奈良大学名誉教授。専攻は言語文化論・意味論。 愛媛県松山市出身。奈良女子大学文学部卒業。奈良大学助教授、教授、2008年名誉教授。
門田 洋子(かどた ようこ、1942年(昭和17年)10月5… 門田 洋子(かどた ようこ、1942年(昭和17年)10月5日 - )は、日本のアナウンサー。元徳島文理大学音楽学部教授。 愛媛県松山市。高知女子大学文学部英文学科卒業。 愛媛県北条市(現:松山市)で生まれ、学生時代から高知放送劇団員として活動、これを続けていくうちにアナウンサーに憧れて目指すようになる。 高知女子大学(現・高知県立大学)文学部英文学科を卒業し、大学卒業後の1965年(昭和40年)に南海放送に入社。 南海放送でテレビやラジオのアナウンサーを務め、1974年(昭和49年)に退社。その後、BS21ブライダルサービス取締役に就任し、南海放送ではラジオプレゼンターを務めた。また2013年(平成25年)からはエンディングカウンセラーとして活動を行う。
松原 正毅(まつばら まさたけ、1942年3月15日 - )… 松原 正毅(まつばら まさたけ、1942年3月15日 - )は、日本の社会人類学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。元大阪外国語大学理事。専門は社会人類学・遊牧社会論。 広島市出身、愛媛県松山市育ち。1960年3月に 愛光高等学校を卒業し、京都大学文学部へ進む。1965年3月、同大学文学部を卒業(考古学)。1967年3月 京都大学大学院文学研究科修士課程修了、1970年3月 京都大学大学院文学研究科博士課程中退。 生前の司馬遼太郎との親交があり、これが縁で2007年4月に開館した坂の上の雲ミュージアム館長を務めている(2017年3月末まで)。
佐伯 守(さえき まもる、1942年 - )は、日本の哲学者… 佐伯 守(さえき まもる、1942年 - )は、日本の哲学者・法学者(法哲学)。元松山大学法学部教授。哲学・倫理学・法哲学専門。 松山市生まれ。東洋大学大学院博士課程満期退学、毎日新聞嘱託。横浜国立大学講師、琉球大学教育学部助教授、1989年松山大学法学部教授、2013年退職。
井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は… 井上 和久(いのうえ かずひさ、1941年6月5日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(1期)。元公明党愛媛県議会議員(4期)。元公明党松山市議会議員(2期)。 愛媛県松山市出身。1966年、松山商科大学短期大学部中退。1978年、松山市議会議員選挙に公明党公認で立候補し初当選。1983年、再選。1986年、第38回衆議院議員総選挙に旧愛媛1区から公明党公認で立候補し初当選。愛媛県選出の公明党公認国会議員の初例となる。公明党愛媛県本部代表に就任。1990年、第39回衆議院議員総選挙で落選。1991年、愛媛県議会議員選挙松山市選挙区に公明党公認で立候補し初当選。1995年、公明から立候補して再選。
一色 浩一郎(いっしき こういちろう、1941年 - )は、… 一色 浩一郎(いっしき こういちろう、1941年 - )は、日本の経営学者、経営学博士(UCLA)。 愛媛県松山市出身。松山南高等学校、松山商科大学(現松山大学)卒業。百十四銀行勤務を経て渡米、UCLA博士後期課程修了、博士号取得。 現在カリフォルニア州立理工大学ポモナ校教授(コンピュータ情報学)。 米国のNCCでは委員長、講演者として著名。朝日新聞、日本経済新聞、日刊工業新聞などが主催する日本における講演も多数。 著書の1つである「Small Business Computer」は、米国・欧州の約200の大学でテキストになっている。
松田 利之(まつだ としゆき、1940年12月22日 - 2… 松田 利之(まつだ としゆき、1940年12月22日 - 2020年5月6日)は、日本の実業家。公益財団法人小田急財団顧問。小田急電鉄では代表取締役社長・顧問を歴任した。 1940年(昭和15年)12月22日、愛媛県松山市生まれ。1965年(昭和40年)、法政大学経済学部を卒業し、小田急電鉄入社。 2005年(平成17年)6月、小田急グループによる有価証券報告書虚偽記載問題の責任をとって引責辞任した。文化シヤッター、西松建設、ビックカメラの社外監査役を務めた。 2020年 (令和2年) 5月6日午前3時、虚血性心不全のため自宅で死去。79歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は… 松岡 紀雄(まつおか としお、1940年9月14日 - )は、日本の経営学者。神奈川大学名誉教授。専門は、海外広報論、企業市民論、英文出版・編集、アメリカ社会事情、ボランティア論、市民協働。「企業市民」の提唱者。英文国際比較統計集「Japan 1980」シリーズの生みの親。「松岡紀雄の公式YouTube」に、本人が80歳を超えて作成したスライド471枚、4時間24分のナレーションで構成するユニークな自分史、「自分勝手な記憶で綴るスライド自叙伝-松岡紀雄の80年の歩み」を公開。 愛媛県松山市出身。1964年京都大学法学部卒業後、松下電器産業(株)(現パナソニック)入社。松下幸之助の下でアメリカPHP研究所初代代表や英文国際版PHP編集長等を歴任。
井手 順二(いで じゅんじ、1939年〈昭和14年〉8月16… 井手 順二(いで じゅんじ、1939年〈昭和14年〉8月16日 - )は、日本の政治家。愛媛県北条市長を2期務め、平成の大合併により2005年(平成17年)1月1日を以って北条市は松山市に編入されたため、最後の市長となった。 愛媛県出身。愛媛県立松山北高等学校卒業。民間企業勤務を経て温泉郡北条町役場に入る。同町は1958年(昭和33年)11月1日市制施行し北条市となったため、北条市役所勤務となる。市役所では議会事務局長、市長公室長、総務課長を経て、収入役を歴任。2000年(平成12年)1月31日前任の菅朝照が急逝したのを受けて請われて北条市長選挙に立候補し、無投票で当選する。2004年(平成16年)は無投票で再選。
植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は… 植村 鞆音(うえむら ともね、1938年3月10日 - )は、日本のテレビプロデューサー・会社役員、伝記作家。 愛媛県松山市に生まれる。父植村清二は東洋史学者で、作家直木三十五の実弟。新潟県立新潟高等学校を経て1962年早稲田大学第一文学部史学科卒業、東映入社。 1964年テレビ東京入社。1994年同局常務取締役。1999年テレビ東京制作代表取締役社長を経て、DACグループ顧問、一般社団法人STEP理事。 2005年『直木三十五伝』で第19回尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞受賞、2007年『歴史の教師植村清二』で第55回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )… 松山 容子(まつやま ようこ、1937年11月30日 - )は、日本における昭和期に活躍した女優。本名・田中 曠子(旧姓・出井)。旧芸名は松山 清子。愛媛県松山市出身。 1968年の「ボンカレー」(大塚食品)発売以来、長らくパッケージモデルを務め、CM、ホーロー看板でも知られる。 愛媛県松山市で銀行を経営する名士の家に生まれる。愛媛県立松山南高等学校在学中、『アサヒグラフ』(1956年2月5日号)の表紙モデルを務めたのがきっかけで、松竹の役員の目にとまり、卒業と同時に松竹ニューフェイスとして入社する。 1957年6月4日公開の『勢揃い桃色御殿』に新人女優・松山清子として、端役デビューする。11月19日公開の『侍ニッポン』で本格デビューを飾る。
一色 俊作(いっしき しゅんさく、1937年7月22日 - … 一色 俊作(いっしき しゅんさく、1937年7月22日 - 2013年4月24日)は、日本の高校野球指導者。元愛媛県立松山商業高等学校野球部員で、後に監督として愛媛の高校野球の基礎を作った。
明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は… 明比 正行(あけひ まさゆき、1937年3月17日 - )は、日本のアニメーション演出家、映画監督。 愛媛県松山市出身。9人兄弟の三男として生まれるが、兄弟は若くして全員亡くなったという。 日本大学芸術学部文芸学科卒業。同郷の佐伯清の伝手を頼り、1959年に東映に入社。東京撮影所にて佐伯清、渡辺祐介、石井輝男、今井正らの下で助監督(サード、フォース)を務める。 映画産業の斜陽化に伴い、1964年に東映動画(現:東映アニメーション)に転籍する。転籍組の同期に日大の先輩であった久岡敬史や京都撮影所から移ってきた田宮武、勝間田具治らがいる。 アニメ初仕事となった『狼少年ケン』では山本寛巳の助手に就くが、山本が組合運動のためにしばしば会社を抜け出していたため、明比が仕事を肩代わりするようになり、第46話「ジャングルの友情」で早くも演出として一本立ちする。
伴野 朗(ともの ろう、1936年7月16日 - 2004年… 伴野 朗(ともの ろう、1936年7月16日 - 2004年2月27日)は、日本の小説家・推理作家・歴史作家。 愛媛県松山市生まれ。1954年、愛媛県立松山北高等学校卒業。1960年、東京外国語大学中国語学科卒業。 1962年、朝日新聞社入社。朝日新聞秋田支局を振り出しに、外報部、インドシナ特派員などを経て上海支局長を務めるかたわら、執筆活動を並行した。1976年、『五十万年の死角』で第22回江戸川乱歩賞を受賞。 1983年、日本冒険作家クラブの創設の発起人の一人となる。(同クラブの代表幹事をつとめたことがある ) 1984年、『傷ついた野獣』で第38回日本推理作家協会賞受賞。 1989年、朝日新聞社を退社。
堀川 哲男(ほりかわ てつお、1936年7月15日 - 19… 堀川 哲男(ほりかわ てつお、1936年7月15日 - 1990年10月5日)は、日本の中国史学者。中国近代史専攻。 1936年、愛媛県松山市生まれ。京都大学文学部史学科、同大学院文学研究科博士課程満期退学。岐阜大学助教授、京都大学教養部助教授、教授。1990年、腎腫瘍のため死去。
野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、… 野本 亀久雄(のもと きくお、1936年6月5日 - )は、日本の免疫学者。愛媛県松山市生まれ。九州大学名誉教授、元社団法人日本臓器移植ネットワーク理事長、元日本移植学会理事長。九州大学生体防御医学研究所の創立者。九州大学医学部卒業、九州大学大学院修了。 野本教授は生命科学を理解するための新しい学問領域として「生体防御学」を提唱し、その理論体系である生体防御論の確立と科学的実証を行ってきた。生体防御論では、生体防御機構を、外来異物あるいは異物的自己を排除することにより生体の恒常性を維持するメカニズムの全体と位置付けている。現在では、この「生体防御」が学術用語として定着し、大きな学問領域として認知されるに至った。
杉田 弘子(すぎた ひろこ、1935年〈昭和10年〉3月 -… 杉田 弘子(すぎた ひろこ、1935年〈昭和10年〉3月 - 2024年〈令和6年〉6月16日)は、日本の比較哲学研究者。武蔵大学名誉教授。 愛媛県松山市生まれ。愛知県立刈谷高等学校卒、1957年東京大学法学部卒業、文化放送勤務ののち1962年東大大学院比較文学比較文化修士課程入学、1968年同博士課程満期退学。1969年7月東大教養学部助手(ドイツ語)、1971年7月退任、西ドイツ・ハンブルク大学、1974年イタリア、米国で滞在研究。1976年帰国、武蔵大学人文学部教授、2000年定年退任、特任教授、2001年名誉教授。2011年『漱石の「猫」とニーチェ』で和辻哲郎文化賞受賞。 2024年6月16日に老衰のため死去。
戸嶋 平八(としま へいはち、1934年〈昭和9年〉11月1… 戸嶋 平八(としま へいはち、1934年〈昭和9年〉11月10日 - 1998年〈平成10年〉7月11日)は愛媛県で活動していたラジオパーソナリティ、イラストライター。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山東高等学校を卒業。 伊予弁による本音トークが人気であった。 1998年7月11日、死去。享年63。
星川順一(ほしかわ じゅんいち、1934年3月11日- )は… 星川順一(ほしかわ じゅんいち、1934年3月11日- )は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。 愛媛県松山市出身。1956年松山大学経済学部卒、1961年大阪市立大学大学院経済学博士課程満期退学、72年「価格体系と経済機構」で経済学博士。立命館大学講師、大阪市大経済学部助教授、教授を務める。97年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。2014年退職。
安西 徹雄(あんざい てつお、1933年4月20日 - 20… 安西 徹雄(あんざい てつお、1933年4月20日 - 2008年5月29日)は、日本の英文学者、演出家。上智大学名誉教授。専門はイギリス文学、特にウィリアム・シェイクスピア。日本のシェイクスピア研究の第一人者である。大学での研究教育の他、自身の著書多数あり、演劇集団「円」では演出家・翻訳家として活動した。 1933年、愛媛県松山市生まれ。愛媛県立松山東高等学校時代の友人に伊丹十三がいる。1958年愛媛大学文理学部を卒業。上智大学大学院文学研究科に進み、1965年に博士課程を中退して、上智大学の講師となる。1970年より助教授、1978年より教授。2003年に定年退任し、同校名誉教授となった。 1975年、芥川比呂志らと演劇集団 円の創立に参加、訳・演出によるシェイクスピア作品を多数上演し、近年ようやく安西訳によるシェイクスピア作品の刊行が始まった。
桐野 洋雄(、1932年〈昭和7年〉11月24日 - )は、… 桐野 洋雄(、1932年〈昭和7年〉11月24日 - )は、日本の俳優。愛媛県松山市出身。本名同じ。 ポンジュースの生みの親として知られる桐野忠兵衛の一族であったとされ、父親は愛媛の県会議員を務めていた。 早稲田大学文学部演劇科在学中の1952年、俳優座養成所に四期生として入所し(同期に仲代達矢、中谷一郎、佐藤慶、佐藤允ら)、劇団三期会を経て、1958年に東宝と専属契約。東宝の同期には夏木陽介がおり、契約も2人で同時に行ったという。 社長シリーズやクレージーキャッツの映画の常連であったほか、アクション映画の悪役から、特撮映画の自衛官まで、さまざまなジャンルの作品に個性派の脇役として多数出演。代表作に、『若い娘たち』の学生・橋本、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の精悍な防衛隊員、『100発100中 黄金の眼』のハッサン兄弟(一人二役)などがあり、テレビドラマ『ウルトラマン』の第31話「来たのは誰だ」でゴトウ隊員(正体は吸血植物ケロニア)を演じている。
品川嘉也(しながわ よしや、1932年9月15日 - 199… 品川嘉也(しながわ よしや、1932年9月15日 - 1992年10月24日)は、日本の脳生理学者・文筆家。 京都大学助教授を経て、日本医科大学教授。 愛媛県松山市生まれ。俳号・品川良夜。 1957年京都大学医学部卒。1964年医学博士。 1960年京都大学助手、1962年講師、1968年京都大学助教授、京都大学大型計算機センター研究開発部長、1983年日本医科大学教授となる。 右脳ブームの仕掛け人として多くの一般書を著した。
白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日… 白方 勝(しらかた まさる、1932年(昭和7年)8月19日 - )は、国文学者、愛媛大学名誉教授。愛媛県松山市生まれ。1955年愛媛大学教育学部中等教育国語科卒業、愛媛県立松山東高等学校教諭、1962年新居浜工業高等専門学校講師、1974年愛媛大学教育学部助教授、78年教授。1997年定年退官、名誉教授、松山東雲女子大学教授。2003年退職。第26回河竹賞受賞。愛媛出版文化賞受賞。2012年4月瑞宝中綬章受章。
佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12… 佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12日 - )は、日本の教育学者。合唱指揮者。愛媛大学名誉教授。 全日本合唱連盟名誉会長。国際合唱連合顧問。四国二期会顧問。愛媛県文化協会名誉会長。東京芸術大学音楽学部卒業。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市出身。東京芸術大学音楽学部卒業。大学卒業後は愛媛大学教育学部で講師となり、合唱の指導者として全国的に評さた。愛媛大学では助教授・教授を経て、退官後に名誉教授に就任。 またこれまでに四国二期会顧問・全日本合唱連盟名誉会長・国際合唱連合顧問・愛媛県文化協会名誉会長などを歴任。 2017年(平成29年)4月に瑞宝中綬章を受章した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。