高岡 修(たかおか おさむ、1948年9月17日 - )は、… 高岡 修(たかおか おさむ、1948年9月17日 - )は、日本の詩人、俳人。十代の頃より詩・俳句・小説を書き始める。昭和43年(1968年)現代俳句誌「形象」に参加、最年少同人となり、前原東作、前原誠、岩尾美義に師事。のち同誌の主幹に就任。詩集に『犀』『蟻』など20冊、句集に『剝製師』など9冊。南日本文学賞・土井晩翠賞・小熊秀雄賞・現代俳句評論賞・現代俳句協会賞などを受賞。文庫に『高岡修詩集』(思潮社版現代詩文庫)、『高岡修句集』(ふらんす堂版現代俳句文庫)。思潮社の現代詩文庫とふらんす堂の現代俳句文庫の両方にその名を冠する、唯一の存在である(2021年10月現在)。現代俳句誌「形象」主幹。出版社ジャプランを経営。
山本 公一(やまもと こういち、1947年〈昭和22年〉9月… 山本 公一(やまもと こういち、1947年〈昭和22年〉9月4日 - 2023年〈令和5年〉10月31日)は、日本の政治家、実業家。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(9期)、環境大臣(第23代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)、総務副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院内閣委員長・沖縄及び北方問題に関する特別委員長・国家基本政策委員長・政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長、盛運汽船代表取締役社長等を歴任した。 父は宇和島市長、衆議院議員、盛運汽船社長を務めた山本友一。 愛媛県宇和島市生まれ。愛媛県立宇和島南高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。大学卒業後、1970年に関西汽船株式会社に入社。
宮川 俊二(みやがわ しゅんじ、1947年8月26日 - )… 宮川 俊二(みやがわ しゅんじ、1947年8月26日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター、タレント。 元NHKアナウンサーで、元フジテレビ専属キャスター。 愛媛県宇和島市出身。血液型A型。既婚。 愛媛県立宇和島東高等学校、早稲田大学第一文学部社会学専攻卒業。 NHK山形放送局時代に、上司の許可をもらった上でBARを経営していたが、その後、山形での副業が元で次の赴任先では仕事を干された。1993年、チーフアナウンサーを最後にNHKを依願退職し、ベトナムで日本語講師として活動した。 1994年に帰国して、フジテレビと専属キャスター契約を結び、アナウンス業を再開。新設番組「ニュースJAPAN」のキャスターを皮切りに、「FNNスーパーニュース」のメインキャスター等を務めた。
上甲 正典(じょうこう まさのり、1947年6月24日 - … 上甲 正典(じょうこう まさのり、1947年6月24日 - 2014年9月2日)は、元高校野球の指導者で、愛媛県立宇和島東高等学校野球部監督を経て、済美高等学校(愛媛県松山市)野球部元監督。
森本 和子(もりもと かずこ、1947年3月2日 - )は、… 森本 和子(もりもと かずこ、1947年3月2日 - )は、日本の歌手。愛媛県宇和島市出身。 作曲家・遠藤実に師事し、日本マーキュリーレコードから「三吉馬子唄」でデビュー。そのあとポップスに路線変更し、1965年に日本コロムビアから「素敵な彼氏」を発表。1970年に日本ビクターから発売したみなみらんぼう作詞作曲の「酔いどれ女の流れ歌」で名前が知られるようになった。 知人の紹介で大学を出たばかりのみなみと出会い、自分の曲がびっしり書いてあるノートを見せてもらった中で、森本が気に入った『酔いどれ女の流れ歌』を歌いたいと懇願し、レコード化が実現した。この曲が売れたことにより、森本の生活は一変したという。
高山 良二(たかやま りょうじ、1947年〈昭和22年〉 -… 高山 良二(たかやま りょうじ、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の地雷処理専門家、NPO法人 国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長、元陸上自衛官。カンボジア・バタンバン在住。 愛媛県北宇和郡三間町(現・宇和島市)生まれ。36年間の陸上自衛隊勤務時代には、主に施設科部隊に在籍する。1992年から93年にかけてPKO活動で初めてカンボジアに派遣された自衛官の1人となる。 2002年退官後は再びカンボジアへ渡り、世界初となる住民参加による地雷処理活動を開始、「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」に参加し、理事を務めた。 2011年2月にはカンボジア王国中央政府機関 CMAC(カンボジア地雷対策センター)より地雷処理技術顧問に任命。
楠葉 宏三(くすば こうぞう、1947年 - 2018年3月… 楠葉 宏三(くすば こうぞう、1947年 - 2018年3月20日)は、日本の男性アニメーション作家、監督。愛媛県宇和島市出身。 1971年、東京ムービーに入社。日本アニメーションに移籍後、1981年に『フーセンのドラ太郎』で監督デビュー。『世界名作劇場』シリーズの中期から後期の作品を担当し、シリーズ最多7本の監督を務める。2004年よりフリーランス。 2005年4月からリニューアルした『ドラえもん (2005年のテレビアニメ)』の総監督に就任し、2012年まで務めた。以降はテレビシリーズの各話絵コンテ・演出を多数手がけている。『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』では総監督として外部打ち合わせや制作現場の環境整備などに務め(実制作のほとんどは監督の渡辺歩に任せっきりだったという)、原作漫画を上手く脚本に置き換える作業などを行った。
若宮 正則(わかみや まさのり、1945年9月5日 - 19… 若宮 正則(わかみや まさのり、1945年9月5日 - 1990年11月14日)は日本のアナキスト。元共産主義者同盟赤軍派の活動家。愛媛県宇和島市出身。 宇和島水産高校を卒業後上京して就職。その後、赤軍派に入り、中央軍の小隊長となる。 1969年に大菩薩峠事件で逮捕される。保釈後には釜ヶ崎へ向かい、1972年の「暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議」(釜共 /釜共闘)結成に参加。またラーメン屋を開業。 1972年9月4日に水崎町派出所爆弾事件を起こす。1972年12月26日に逮捕される。獄中で獄中者組合を結成。 1979年4月、増淵利行ら18人が土田・日石・ピース缶爆弾事件で起訴されて公判中に、1969年10月24日の警視庁機動隊庁舎爆破未遂事件の実行犯は自分であると証言した。
入江 禎(いりえ ただし、1944年12月9日 - )は、日… 入江 禎(いりえ ただし、1944年12月9日 - )は、日本のヤクザ。大阪府に本部を置く暴力団・二代目宅見組組長。 神戸山口組に在籍していた際は、組長に次ぐ立場の副組長のポストにあった。なお、六代目山口組時代は最高幹部の一役にあたる『総本部長』や『舎弟頭』を歴任した。 1944年(昭和19年)、愛媛県宇和島市に出生。高校を中退後、賭場への出入りを繰り返す内、暴力団員となる。 1997年(平成9年)に初代宅見組組長・宅見勝が五代目山口組中野会により暗殺されると、同組織の首領の座を継承。同時に上部団体にあたる五代目山口組の直参となった。そして司忍率いる六代目体制の発足と同時に六代目山口組『総本部長』に就任。
小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )… 小清水 漸(こしみず すすむ、1944年10月19日 - )は、日本の彫刻家・インスタレーション・アーティスト。京都市立芸術大学名誉教授。 愛媛県生まれ。小清水は1980年から京都市立芸術大学の専任教員であったが、後に、宝塚大学の教員となり、2011年7月末に前任者の西村武が健康を害して学長職を退いたのを受けて学長代行となり、10月には学長となって、2014年までその任にあった。 また、1960年代後半から70年代にかけて台頭した「もの派」 グループの中心メンバーとしても知られている。「もの派」とは、作家の干渉を最大限に排除し、主に石、砂、木、綿、ガラスや鉄といったありのままの物質をそのままの形で配置した彫刻やインスタレーションで主に構成された反モダニズム的な作品を発表していた作家達のゆるやかな集まりのことを指す。
神津 陽(こうづ あきら、1944年 - 2025年4月14… 神津 陽(こうづ あきら、1944年 - 2025年4月14日)は、日本の社会評論家・運動家。元駿台予備学校講師。 愛媛県宇和島市出身。愛媛県立宇和島南高等学校、中央大学法学部一部法律学科卒業。 三上治(味岡修)とともに新左翼の党派である共産主義者同盟(ブント)叛旗派の理論的指導者として、中大闘争、三多摩闘争、三里塚闘争等を主導する。著書『蒼氓の叛旗』はベストセラーとなった。70年代以降ブント内でも赤軍派に見られるような急進的軍事革命路線と、その他穏健派閥の中で対立が生まれ、新左翼グループ内で内ゲバが横行するようになると、これに嫌気をさした神津は1976年叛旗派を解散。以後在野の社会評論家として活動した。
復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は… 復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は、日本の国文学者・俳人。神奈川大学名誉教授。専門は、近世・近代の俳文学。俳号は復本鬼ヶ城(おにがじょう)。「阿」の会代表。 愛媛県宇和島市生まれ。神奈川県横浜市で育ち、横浜市立青木小学校、横浜市立栗田谷中学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校を卒業。1966年、早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業。1972年、同大学院博士課程単位取得満期退学、福岡教育大学助手。1973年、講師、1974年、助教授。同年、書籍 (『芭蕉における「さび」の構造』)で窪田空穂賞(早稲田大学国文学会)受賞。1977年、静岡女子大学文学部助教授。1979年10月、静岡大学人文学部助教授、1988年、教授。
谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 … 谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 - 1999年6月14日)は、日本の漫画家。愛媛県宇和島市出身。赤塚不二夫と並ぶ日本のギャグ漫画界の巨匠と言われる[誰によって?]。本名、谷岡泰次(やすつぐ)。元プロ野球選手の谷岡潔はいとこにあたる。 1959年、保善高等学校在学中、『中国小学生新聞』(中国印刷)に掲載された『やっちゃん』でデビュー。その後、わちさんぺいのアシスタントを経て本格的に活動する。 愛媛県宇和島市出身。山内一豊の末裔を自称[要出典]。高校生時代からすでにプロであった。実の父親からは「お前は天才だ」と言われていたと本人が雑誌のインタビューで語っている[要出典]。
丸平 峯子(まるひら みねこ、1940年6月16日 - )は… 丸平 峯子(まるひら みねこ、1940年6月16日 - )は、愛媛県宇和島市出身の日本の女優。 愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 -… 高見 成昭(たかみ しげあき、男性、1939年4月22日 - )は、愛媛県宇和島市出身の空手家。大山倍達の命により設立された極真会館愛媛県支部長・極真会館(松井派)四国本部長を歴任し、現在は空手道 高見空手の総師。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
山下 治広(やました はるひろ、1938年11月11日 - … 山下 治広(やました はるひろ、1938年11月11日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元体操競技選手で、日本体育大学名誉教授。跳馬のスペシャリストとしてその名を世界に知らしめた人物でもある。結婚後に叔母の松田家に養子縁組したために、松田治広と姓名を改めた。なお名前は、旧字体の「治廣」表記も用いられる。 愛媛県立宇和島東高等学校、日本体育大学出身。 1961年に日本体育大学を卒業し、同大学助手となり選手としても活動する。日本体育大学の体操体育館に寝泊まりしながら猛練習に明け暮れる中、ある学生が高く飛んで屈伸させながら跳馬を飛ぶ姿にヒントを得て前転と屈伸での着地を組み込んだ「山下跳び」を編み出す。山下はこの新技を引っさげて1962年世界体操競技選手権(チェコスロバキア・プラハ)の種目別跳馬で銀メダルを獲得した。
横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は… 横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 愛媛県議会議員(8期)、愛媛県議会議長(第95代)、地域政党愛媛維新の会代表などを務めた。 愛媛県宇和島市生まれ。宇和島市立明倫小学校、南宇和郡緑僧郡村立緑小学校、松山市立石井中学校、愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。 1964年に参議院議員の増原惠吉、1983年には衆議院議員の今井勇の秘書を務める。1991年に愛媛県議会議員選挙で立候補し、初当選した。 自由民主党に所属していたが、2010年の松山市長選挙では自民党推薦の新人候補を支持せず、野志克仁を応援したため、県連から除名処分を受ける(市長選では野志が当選)。
松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月1… 松山 恵子(まつやま けいこ、1937年〈昭和12年〉4月10日 - 2006年〈平成18年〉5月7日)は、日本の演歌歌手。本名:岡崎 恒好(おかざき つねこ)。庶民派で知られ、「お恵ちゃん」(おけいちゃん)の愛称で幅広いファンに親しまれた。裾の幅が広いフリフリのドレスにハンカチがトレードマーク。所属レコード会社は日本マーキュリーレコード⇒東芝レコード。 1937年、福岡県戸畑市(現在の福岡県北九州市戸畑区)で生まれる。生後すぐに父の仕事の関係から東京へ引っ越すが、終戦後の食糧難のため、父の故郷の愛媛県宇和島市へ引っ越す。 中学2年生で出場した「日本コロムビア全国歌謡コンクール」で10位入賞を果たし、関係者の注目を集めた。
吉村 昌弘(よしむら まさひろ、1936年(昭和11年)10… 吉村 昌弘(よしむら まさひろ、1936年(昭和11年)10月28日 - 2003年(平成15年)9月27日)は、愛媛県宇和島市出身の元競泳選手。1956年メルボルンオリンピック競泳男子200m平泳ぎ銀メダリスト。 宇和島東高校、日本大学卒業。大学在学中、メルボルンオリンピック200m平泳ぎで銀メダルを獲得した。金メダルの古川勝と共に潜水泳法を駆使し日本勢ワンツーフィニッシュを飾った。 2003年、66歳で死去。
土居 甫(どい はじめ、1936年(昭和11年)10月8日 … 土居 甫(どい はじめ、1936年(昭和11年)10月8日 - 2007年(平成19年)9月14日)は、日本の振付師。血液型A型。日本振付家協会常任理事。愛媛県北宇和郡津島町(現・宇和島市)出身。愛媛県立宇和島南高等学校卒。 1955年、作家の獅子文六を頼って上京し書生をした後、東京芸能学校(一期生)に入学。1957年に東宝演劇部所属となり、東宝ミュージカル・東宝歌舞伎・日劇ダンシングチーム・日劇ミュージックホール・新宿コマ劇場などに出演。 1961年から1969年まで日本テレビ『シャボン玉ホリデー』にレギュラー出演し、ザ・タイガース、ザ・ピーナッツなどの振付を担当。 1971年から『スター誕生!』(日本テレビ)で、花の中三トリオ(森昌子・桜田淳子・山口百恵)、石野真子、ピンク・レディー他番組出身のタレントなどの振付を担当。
清家 新一(せいけ しんいち、1936年(昭和11年)4月[… 清家 新一(せいけ しんいち、1936年(昭和11年)4月[要出典] - 2009年(平成21年)12月30日)は、日本のUFO研究家。 愛媛県宇和島市出身。東京大学理学部大学院修了後、茨城大学機械工学や愛媛帝京短期大学物理学教室で教鞭を取る。本人の弁によれば、学生時代に火星人の女性からのラブレターを受け取ったという。1969年(昭和44年)に「超相対性理論」を発表し、1973年(昭和48年)に宇和島市長堀、三島神社下に「重力研究所」(現「宇宙研究所」・同市、野川)を設立してUFO研究や宇宙人の研究に本格的に取り組む。重力消滅の実験、「空飛ぶ円盤」の試作やタイムマシンの理論と試作、重力子反応炉などの研究に取り組み、完成間近であるかのようなタイトルの著作を何冊も刊行と論文発表したが、未だに完成はしていない。
和田 香苗(わだ かなえ、1932年9月3日 - 2001年… 和田 香苗(わだ かなえ、1932年9月3日 - 2001年2月8日)は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。愛媛県宇和島市出身。男性。 主にアニメソングや演歌の作・編曲家として知られている。アニメの代表作としてはタツノコプロ製作アニメーション作品のコロムビアレコードの作曲、編曲を多数手掛け『紅三四郎』(丘灯至夫 詩 堀江美都子 唄)、『ハクション大魔王』のエンディング曲『アクビ娘』や『昆虫物語みなしごハッチ』のエンディング曲『ママをたずねて』などがある。 その一方で『会津の小鉄』(作詞:松島一夫 = 宮川左近ショー 、唄: 京山幸枝若 、1967年 キングレコード)、また「ご当地ソング」の先駆けともなった『新宿ブルース』(作詞:滝口暉子、唄: 扇ひろこ 、1967年日本コロムビア)など演歌の大ヒット曲も同時期に手掛けている。
浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 … 浜田泰介(はまだたいすけ、1932年〈昭和7年〉3月28日 - )は愛媛県宇和島市出身の画家。 1985年(昭和60年) ART GRAPH 9月号に巻頭特集
青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020… 青野 暉(あおの・あきら、1931年2月21日 - 2020年7月2日)は、日本の映画監督、演出家、脚本家。 愛媛県宇和島市出身。早稲田大学文学部仏文科卒業。就職に際しては大学の同級生だった今崎暁巳(ドキュメンタリー作家)と共にラジオ東京(後の東京放送)を受験するも、青野と今崎のふたりとも不合格であったという逸話が残る。 1954年に新東宝に入社。当初は企画部配属だったが、演出部へ異動となり石井輝男の下で宇津井健主演の『スーパージャイアンツ』シリーズの助監督を務める。 1961年に新東宝が倒産した後、国際放映へ移籍し、1964年放映のテレビドラマ『いまに見ておれ』(東京放送)で監督デビュー。 これ以後、青島幸男主演版の『意地悪ばあさん』第1作(1968年、よみうりテレビ)と第3作(1981年、フジテレビジョン)で演出と脚本を担当する。
河野 昭(こうの あきら、1929年9月11日 - 1995… 河野 昭(こうの あきら、1929年9月11日 - 1995年12月25日)は、愛媛県出身の体操選手、体操指導者。1956年メルボルンオリンピック体操男子団体銀メダリスト。得意種目はあん馬。 宇和島市生まれ。旧制宇和島中(現・宇和島東高)、日本体育専門学校(現・日本体育大学)卒業。竹本正男に師事する。 1952年、1953年、1957年の全日本体操競技選手権大会個人種目別あん馬で優勝。1956年、メルボルン五輪体操男子団体2位、同個人総合16位。1958年、世界体操競技選手権個人種目別あん馬4位。 愛媛大学教授・愛媛大学教育学部附属中学校校長、日本体操協会理事、愛媛県体操協会会長などを歴任した。
田中 健一(たなか けんいち、1927年8月31日 - 20… 田中 健一(たなか けんいち、1927年8月31日 - 2021年7月29日)は、日本のカトリック司教。洗礼名はライムンド。カトリック高松教区の教区長であった田中英吉司教の甥にあたる。 1927年8月31日、愛媛県宇和島市に生まれる。泰星中学校(福岡市・現上智福岡中学校)を経て1944年に長崎公教神学校、1946年に大阪関目仮神学校、1948年に東京神学院に入学した。1951年12月21日に高松教区にて司祭叙階。1952年から58年まで、ローマなどに留学した。帰国後は、大阪教区の甲陽園と園田、1964年から高松教区の桜町、三本松、長尾、大島の各小教区で働く。1976年7月8日、ローマ教皇パウロ6世により京都教区司教に任命、同年9月23日、司教に叙階された。
岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 200… 岩村 昇(いわむら のぼる、1927年5月26日 - 2005年11月27日)は、日本の医学者、医師。愛媛県宇和島市出身。
井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2… 井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2000年1月1日)は、日本の写真家、城郭研究家、ワイン評論家。推理小説も手がけた。 愛媛県宇和島市生まれ。日本大学農学部拓殖学科に在学中に学徒出陣し、名古屋の高射砲兵科に配属。陸軍病院に入院中、名古屋大空襲により名古屋城天守閣が焼け落ちる様子を目撃している。これを機に、城郭に関心をもち続けた。 戦後は公職追放を受け一時帰郷。復学後、元担任教授の今村忠助の勧めで新設の新聞学科を卒業。カメラマン編集者として雑誌・新聞社に勤務。1955年2月日本城郭協会を設立し、代表世話人に就任。のちに常務理事を務めた。 1964年、井上フォトプロダクションを設立。
川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 20… 川崎 宏(かわさき ひろし、1921年11月28日 - 2009年1月13日)は、漢文・中国文学、明治文学研究家。 愛媛県宇和島市出身(ただし生まれはアメリカ合衆国モンタナ州ディアロッジ)。宇和島中学(現愛媛県立宇和島東高等学校)、大東文化学院(現大東文化大学)卒業。元関東学院女子短期大学教授。 「明治村通信」の編集長を長くつとめた。 母方祖父母の住む吉田町の吉田尋常高等小学校に途中編入、母国語による学習をはじめ、のち宇和島の父母のもとに転じ宇和島市立第二尋常小学校を卒業、愛媛県立宇和島中学校在学、のち大東文化学院で漢学を学ぶ。 帝国海軍従軍後、東京にて「文芸新誌」編集人、中河与一編「現代フランス素描集」などの発行名義人に任じ、やがて新制度による中学校、高等学校発足後、宇和島市立城南中学校、愛媛県立吉田高等学校を含む県下の公立学校4校で教員勤務。
高月 ことば(たかつき ことば、1921年7月30日 - 2… 高月 ことば(たかつき ことば、1921年7月30日 - 2006年10月18日)は、日本の作詞家である。本名は-辞(-ことば)。渡哲也の『東京流れ者』(1965年)や、白根一男の『はたちの詩集』(1961年)、木立じゅんの『484のブルース』(1968年、補作詞)で知られる。 1921年(大正10年)、愛媛県宇和島市に生まれる。 1955年(昭和30年)、作詞家の清水みのるに師事する。その後、東芝レコードに「専属作詞家第1号」として入社し、その後、テイチクレコードを経て、フリーランスの作詞家となった。 日本音楽著作権協会(JASRAC)、日本作詩家協会で、それぞれ評議員を務めた。 2006年(平成18年)10月18日、18時30分、胃がんのため岡山県倉敷市の病院で死去、84歳没。
久保 喬(くぼ たかし、本名:久保 隆一郎、1906年11月… 久保 喬(くぼ たかし、本名:久保 隆一郎、1906年11月13日 - 1998年10月23日)は、日本の児童文学作家。 愛媛県宇和島市出身。愛媛県立松山商業学校卒業後、窪田空穂が主宰する短歌雑誌『国民文学』の同人となる。上京して東洋大学専門部東洋文科に進学。太宰治、檀一雄と出会い、同人誌「青い花」に参加。中退後、川端康成の紹介で創元社編集部の手伝いを経て、1939年に児童図書出版社の教養社へ入社したのを機に児童文学創作を志す。1942年に評論「童話の本質」を発表。1946年に日本児童文学者協会設立と同時に会員となる。 『ビルの山ねこ』で小学館文学賞、『赤い舟の帆』で日本児童文学者協会賞をそれぞれ受賞。
愛ノ花 初義(あいのはな はつよし、1904年1月13日 -… 愛ノ花 初義(あいのはな はつよし、1904年1月13日 - 1944年11月11日)は、愛媛県宇和島市出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は宮川 初義。最高位は十両2枚目。 大阪相撲の押尾川部屋に入門。東西合併により、1927年5月三段目に付出され、その場所で三段目優勝を果たす。1931年5月十両に昇進したが、2場所続けて負け越し、1932年1月場所の番付では幕下に落ちた。ところが、番付発表直後に起きた春秋園事件により、大量の幕内十両の脱退者が出たため、一転して十両残留となった。以後6場所連続十両の地位にあった。1934年1月に幕下に落ち、翌5月三段目まで陥落したところで廃業した。1944年死去。
増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年〈明治36年〉1月… 増原 惠吉(ますはら けいきち、1903年〈明治36年〉1月13日 - 1985年〈昭和60年〉10月11日)は、日本の内務及び防衛官僚、政治家。香川県知事(官選第37代、公選初代)、参議院議員(4期、自由民主党)、行政管理庁長官(第25-26代)、北海道開発庁長官(第23-24代)、防衛庁長官(第26・29-30代)。 愛媛県北宇和郡宇和島町(現宇和島市)で増原定蔵の次男として生まれる。 宇和島中学校、第一高等学校を経て1928年(昭和3年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。高等試験に合格して内務省に入省。京都属。 和歌山県保安課長、特高課長、北海道庁警視保安課長、兵庫県警務課長、山形県警務部長など警察畑を歩いたのち1946年(昭和21年)6月、香川県知事に就任した。
畦地 梅太郎(あぜち うめたろう、1902年12月28日 -… 畦地 梅太郎(あぜち うめたろう、1902年12月28日 - 1999年4月12日)は、日本の版画家。平塚運一らに師事した。山岳風景を題材とした木版画作品を多数発表し、「山の版画家」として知られる。画文集の出版や装丁、挿画などの分野でも活躍した。愛媛県北宇和郡二名村(現・宇和島市三間町)出身。 1937年夏に軽井沢へ出かけ浅間山に魅せられ、山を制作の主題に定めて山の風景を描いた作品を多数発表した。戦争中の満州への単身赴任などを経て、第二次世界大戦後は「山男」シリーズを発表していく。右手親指のけが、大やけどの後は家族をテーマにした作品を多く制作した。 1902年12月28日、愛媛県北宇和郡二名村(現・宇和島市三間町)に生まれた。
田中 英吉(たなか えいきち、1902年6月6日 - 198… 田中 英吉(たなか えいきち、1902年6月6日 - 1983年5月20日)は、カトリック教会の司教。洗礼名は「フランシスコ・ザビエル」。カトリック高松司教区の初代司教を務めた。愛媛県戸島出身で、カトリック京都司教区の田中健一名誉司教の叔父にあたる。 1902年6月6日に愛媛県の戸島村(現在の宇和島市)に生まれる。1935年12月21日に司祭に叙階された。その後は高松教区の教区司祭として働き、1955年には新設されたばかりの桜町教会(香川県高松市)の初代主任司祭となった。聖堂の建設に尽力し、1957年(昭和32年)3月17日に聖堂の献堂式が行われた。その後1963年9月に桜町教会は司教座聖堂に指定され、同年10月20日に田中は教皇パウロ6世から司教に叙階された。
馬越 晃(うまごし / うまこし あきら、1902年(明治3… 馬越 晃(うまごし / うまこし あきら、1902年(明治35年)3月6日 - 1971年(昭和46年)7月19日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)。旧姓は山口。 愛媛県北宇和郡岩松村(岩松町、津島町を経て現宇和島市)の山口家に生まれ、越智郡今治町今治(現今治市)の馬越大吉の養子となる。1924年(大正13年)愛媛県立弓削商船学校(現弓削商船高等専門学校)を卒業し、1930年(昭和5年)甲種船長に合格した。 その後、家業の魚問屋を継承して会社組織に変更。1932年(昭和7年)今治市会議員に当選。1933年(昭和8年)11月の補欠選挙で愛媛県会議員に選出され、1946年(昭和21年)まで3期在任し、同参事会員、同副議長を務めた。
毛山 森太郎(けやま もりたろう、1896年〈明治29年〉3… 毛山 森太郎(けやま もりたろう、1896年〈明治29年〉3月23日 - 1986年〈昭和61年〉6月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 愛媛県北宇和郡立間村柏木(吉田町を経て現宇和島市)出身。愛媛県立宇和島中学校(現・愛媛県立宇和島東高等学校)中退。農業を営み、立間村助役、同村長、愛媛県議、四国電気(株)重役、同参事会員、北宇和郡畜産組合長、南予乾繭販売利用組合会長となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では愛媛3区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選する。戦後は日本進歩党に入ったが、推薦議員のため公職追放となった。1951年追放解除。1986年死去。
志賀 勝(しが まさる、1892年3月29日 - 1955年… 志賀 勝(しが まさる、1892年3月29日 - 1955年8月1日)は、日本のアメリカ文学者。 愛媛県宇和島市出身。関西学院高等学部文科英文学科卒業、のち母校教授、戦後は関西学院大学英文科主任教授を務めた。早くからアメリカ文学に注目し、病気に苦しみながら著作、翻訳多数を上梓した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
永井 英夫(ながい ひでお、1892年(明治25年)3月 -… 永井 英夫(ながい ひでお、1892年(明治25年)3月 - 没年不明)は、日本の発明家。 愛媛県宇和島市出身。1906年(明治39年)に大阪市で莫大小卸商を開業し、1909年(明治42年)に永井莫大小製造所と改め工場を新設した。1926年(大正15年)2月に新工場が竣工するとともに営業所を移転し、新たに輸出部を設けた。 莫大小編成機色染装置を発明した。この機械は1918年(大正7年)11月の第1回発明博覧会において、皇后陛下の台覧を賜り、1929年(昭和4年)6月に天覧を賜った。 1926年(大正15年)に帝国発明協会の全国発明表彰により、進歩賞が授与されている。
玉島 愛造(たましま あいぞう、1890年12月19日 - … 玉島 愛造(たましま あいぞう、1890年12月19日 - 没年不明)は、日本の俳優。本名は菊沢 敬之助(旧姓は山内)。 1890年(明治23年)12月19日、愛媛県宇和島市に生まれる。東京の私立商工中学を中退後、独学で教員免状を取り、小学校に8年間勤務した。また、その間に川端画学校で西洋画を学び、十数年の間絵画の製作を続けた。 1925年(大正14年)、東亜キネマ甲陽撮影所に開設された佐藤紅緑主宰の俳優養成所に年齢超過で資格がないのを無理に頼んで入所する。同年に『海国の母』で映画デビューし、脇役として細山喜代松監督『赤熱の力』等に出演。やがて等持院撮影所に移籍し、多くの作品で老け役、敵役を演じた。
薬師神 岩太郎(やくしじん / やくしじ いわたろう、188… 薬師神 岩太郎(やくしじん / やくしじ いわたろう、1889年(明治22年)2月26日 ‐ 1953年(昭和28年)8月27日) は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、愛媛県北宇和郡来村長。 愛媛県北宇和郡、のちの来村(現宇和島市)で生まれた。独学して青年団活動に従事した。森岡天涯の雑誌『南予之青年』の編集に従事。 来村会議員を経て、1925年(大正14年)宇和島市会議員に当選し1930年(昭和5年)まで在任。1931年(昭和6年)5月から1934年(昭和9年)5月まで来村長に在任。その後、宇和島市会議員に再選され1947(昭和22年)まで在任し、1942年(昭和17年)市会議長に就任。
薬師寺 志光(やくしじ しこう、1889年(明治22年)-1… 薬師寺 志光(やくしじ しこう、1889年(明治22年)-1984年(昭和59年)7月23日)は、日本の民法学者。法政大学名誉教授、元愛知大学・國學院大學教授。 愛媛県吉田町に生まれる。宇和島中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部に入学する。1915年(大正4年)に東京帝国大学を卒業し、司法官試補をへて、1918年(大正7年)に東京地方裁判所判事に就任する。1920年(大正9年)に退官し、大学時代の恩師である乾政彦の法律事務所に勤務する。同年、法政大学法学部教授に就任する。1923年(大正12年)から1927年(昭和2年)までドイツ、イギリス、フランスに留学する。1934年(昭和9年)、『留置権論』により法学博士(東京帝国大学)を授与される。
高畠 華宵(たかばたけ かしょう、1888年(明治21年)4… 高畠 華宵(たかばたけ かしょう、1888年(明治21年)4月6日 - 1966年(昭和41年)7月31日)は、日本の画家。本名、高畠幸吉。 愛媛県宇和島市裡町に生まれ、京都市立美術工芸学校日本画科卒業。大正から昭和初期にかけて、華宵の絵は当時の少年少女の間で絶大な人気を得た。宇和島市長・衆議院議員を務めた高畠亀太郎は、実兄。 1905年京都市立美術工芸学校を中退、1906年関西美術院に学び、上京して寺崎広業に師事した。当座は生活苦に喘いでいたが、1911年(明治44年)に「華宵」名義で発表した津村順天堂「中将湯」の広告画で一躍有名になる。アール・ヌーボーやユーゲントシュティール、特にオーブリー・ビアズリーの影響を受けたとされるシャープなペン画によるモダンな絵はそれまでの広告イラストとは一線を画したもので、世間の注目を集めた。
白城 定一(しらき さだいち、1887年〈明治20年〉4月2… 白城 定一(しらき さだいち、1887年〈明治20年〉4月25日 - 1978年〈昭和53年〉11月4日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 愛媛県北宇和郡、のちの喜佐方村(吉田町を経て現宇和島市)で、白城清太郎の二男として生まれた。同郷の山下亀三郎を頼り、横浜石炭商会(のちの山下汽船)に入る。山下汽船(株)取締役、山下(名)理事、尼ヶ崎築港(株)監査役、阪神築港(株)取締役、白城(名)社長、日満鉱業(株)取締役、同社長、同会長、満州鉛鉱(株)副社長、満州鉱山(株)取締役、日満石膏(株)会長となる。 1930年の第17回衆議院議員総選挙において愛媛3区(当時)から立憲政友会公認で立候補したが落選。
大宮 庫吉(おおみや くらきち 1886年(明治19年)4月… 大宮 庫吉(おおみや くらきち 1886年(明治19年)4月1日 - 1972年(昭和47年)1月19日)は、大正・昭和時代の日本の実業家。寳酒造を日本有数の酒造会社にした宝酒造中興の祖。愛媛県宇和島市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大塚 信照(おおつか のぶてる、1886年(明治19年)1月… 大塚 信照(おおつか のぶてる、1886年(明治19年)1月1日 - 1958年(昭和33年)3月21日)は、日本の実業家。かつては大日本帝国陸軍の軍人であり、最終階級は陸軍少将であった。退役後、服部時計店取締役を務めた。 愛媛県宇和島市出身。北宇和島町神田川原に生まれる。1904年(明治37年)、兄が旅順要塞の東鶏冠山北砲台において戦死したのを受け、帝国軍人として尽くすことを決意する。兄の手紙には「明暁部下を率い一死以て敵陣に突入する死後は再日露戦争があるだろうからお前は軍人となって俺の敵を討って御国の為に尽くして呉れ」とあった。1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業。砲工学校、東京帝国大学を卒業し、米国に派遣される。
鹿村 美久(しかむら よしひさ、1884年(明治17年)5月… 鹿村 美久(しかむら よしひさ、1884年(明治17年)5月11日 - 1939年(昭和14年)1月21日)は、日本の実業家。第2代富士瓦斯紡績社長。在任中死去した。 現在の愛媛県宇和島市に生まれる。1901年に東京府城北中学校(現・都立戸山高校)を卒業。1905年に東京高等商業学校(現・一橋大学)本科を首席総代で卒業し、岩崎久弥の知遇を得て三菱の海外研究生として、3年間欧米に遊学した。帰国後、三菱合資銀行部に入行した。豊川良平初代銀行部長の娘婿となった。 1909年に富士瓦斯紡績に入社。同社小山工場庶務主任、営業部次長を経て、1913年に川崎工場が設立されると、工場長に就任する。営業部長(1919年)。
高畠 亀太郎(たかばたけ かめたろう、1883年2月6日 -… 高畠 亀太郎(たかばたけ かめたろう、1883年2月6日 - 1972年9月23日)は、日本の実業家・政治家、衆議院議員(2期)。画家の高畠華宵は弟。 小間物商と生糸商を営んでいた高畠和三郎の長男として愛媛県北宇和郡宇和島町裡町4丁目(現・愛媛県宇和島市)に生まれた。実業界・地方政界で活動した後、1937年に中央政界に入る。1939年の政友会分裂に際しては久原房之助や鳩山一郎らとともに正統派に所属した。政党解消後は翼賛議員同盟に所属し、1942年の第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦候補として立候補し当選。その後は翼賛政治会・大日本政治会に所属した。 戦後は旧日政会系の日本進歩党の結党に参加したが、日政会を母胎にしたとはいえ進歩党所属議員の大半は政党解消以前は立憲民政党・政友会革新派・政友会統一派に所属しており、政友会正統派に所属していた議員で進歩党結党に参加した者は高畠以外では中井一夫・西川貞一・依光好秋・猪野毛利栄・三善信房・綾部健太郎の6名のみである。
太宰 孫九(だざい まごく、1879年10月8日 - 194… 太宰 孫九(だざい まごく、1879年10月8日 - 1942年11月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。伊予鉄道電気(現伊予鉄グループ)6代社長。 愛媛県北宇和郡二名村(三間町を経て現宇和島市)生まれ。第四高等学校で学ぶ。1905年1月に二名村会議員となる。以後、北宇和郡会議員(1911年9月から1915年9月まで)、二名村長(1912年11月から1913年7月まで)を歴任する。 1915年9月の愛媛県会議員選挙に北宇和郡選挙区から、立憲政友会所属で立候補したが次点で落選した。その後、1917年7月の補欠選挙に当選して、同月17日に県会議員となる。1919年の県会議員選挙で再選を果たした。
樋口 虎若(ひぐち とらわか、明治5年11月10日(1872… 樋口 虎若(ひぐち とらわか、明治5年11月10日(1872年12月10日) – 1958年(昭和33年)6月4日)は、日本の医師。愛媛県宇和島市長。 愛媛県北宇和郡吉田町(現在の宇和島市)に吉田藩士の子として生まれた。1894年(明治27年)、第三高等中学校医学部を卒業し、翌年に陸軍三等軍医となった。一等軍医に昇進するが、辞して1900年(明治33年)に宇和島に耳鼻咽喉科医院を開業した。また宇和島市会議員、北宇和郡会議員、同副議長などを歴任した。 1938年(昭和13年)に宇和島市長に就任したが、翌年5月政党の対立抗争を嫌って退任した。